感じたり思った事を書いて行きます。 時には秘伝などを書く事も。 空手や色々な趣味の話も。

  Adept・Mentor 島津成晃の独り言のナビゲーター   トップページ > 2015年09月  

涼しい日でしたが、道場はいつも通り暑かったです

2015 - 09/30 [Wed] - 03:20

 先週は連休中だったので道場がお休みでしたから、今日の練習は二週間ぶりです。
先週は仕事が立て込んでいたので、結構疲れが溜まっていました。
今日の練習、体力が低下していないか、動けるかと不安でしたが、基本の段階で思っていたよりスムーズに身体が動き、これは行けるかなと思いました。
その後、型からミットへと練習が進み、最後はスパーリングでしたが、今日は私を含めて4人だったので4周しました。
師範も参加した2段のI君も加減しながらも、しっかり責めてくれるのでこちらもしっかり頑張りました。
幾ら何でも彼らに本気モードになられたら堪ったものじゃないですからね。

練習後、道場で少し前に起きたちょっとした問題について色々と話していましたが、中々結論が出ませんでした。
他の黒帯方の智恵や意見も聞かせて貰わないといけない様です。

 大人の世界には、守るべき筋があります。
また、空手と云う武道の世界は、厳しい不文律があります。
情は情、筋は筋、そこを曖昧にして仕舞うと、武道の本質が失われて仕舞います。
その辺りで師範とも、I君とも頭を悩ませましたが、難しいですね。

空手は武道であり、スポーツではないですから、武道としての本質、守るべき心は妥協する訳に行かないと思います。
とは云え、あまり堅苦しいのも宜しくないと思いますし。
これから、落とし所を探って行かなければいけないですね。


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方法を間違えない様にしたい自己顕示欲

2015 - 09/29 [Tue] - 03:07

 自己顕示欲なんてものは、誰でも持っていて当然です。
社会で人と関わって生きている以上、他人からの評価も必要ですし、それなりの立ち位置を確保する為に、認められたいと思うのは当然ですから、そう云う欲はあって当然です。
ですから、自己顕示欲を持つ事がいけない事ではありません。
あって当然です。
が、その方法を間違えると、評価をあげる為にやっている事が逆に自己の評価を下げて仕舞う事になる事もあります。

 大言壮語したりしても、後で結果を残せばそれでOKな訳で、また結果に結びつかなくてもそれに向かって努力している姿は説得力があります。
自分を大きく見せたいと云うのも、周囲が受け入れている間はそれで問題ないと思います。
ですが、自分を大きく見せるとか、偉そうに見せたいが為に、自分以外の人の批判を始めたり、人と自分を比べて自分が上だみたいになって来たり、過剰にお節介と云うか押しつけがましくなって仕舞ったりすると、周囲の人も段々迷惑な人と云う風に感じて来て仕舞います。
また、そう云う事自体が大変に下衆っぽく写りますし、品性下劣に感じて仕舞いますね。

分析と批判は紙一重です。
我が家でもそう云う話を良くしますが、批判的になるのと単に分析しているだけと云うものの違いって、凄く分り難いです。
ま、その後のその相手に対する態度や言葉、表情によるでしょうか。
分析であれば、その場で終り、その相手に対しても普通に大人として接して行けるでしょうし、批判であればその相手を見下し、馬鹿にしているのですから、そう云う態度が言動に出て仕舞うでしょうね。

立場をわきまえず、上から目線で言葉を発したり、自分以外の人が評価されたりする時にあからさまに不機嫌な態度を取ったり、そう云う言葉を発するのは子供じみていますし、下衆っぽいですね。
コワモテも、品の云いコワモテと下品な下衆っぽいコワモテがいます。
下品なのはやっぱり嫌われます。
人として余裕のなさ、また自分のコンプレックスの裏返しか、何れにしろ下衆っぽいのは勘弁して欲しいですね。

高齢者や身体が不自由な方や病み上がりの方で、同じ様な事があります。
捻くれている訳でもないでしょうが、人の言葉や態度に自分の気に入らない事があると、パタンとシャッターを降ろして仕舞って、無視したり、失礼な態度を取って仕舞ったりする。
他人に対しては批判的で、自分に甘い。
色々と不快な思いはあると思うので、気持ちは良く分りますし、理解しますが、我が侭な子供の様になって仕舞うと、大人としてのお付き合いは出来なくなって仕舞いますね。

自分の事は自分で分り難いものですし、大人の社会ではそう云う事を指摘してくれる人は少ないですから難しいですが、いつも自分を振り返っていたいものだなと思いますね。
大らかで、懐を広く持っておきたいですね。

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供養する側もされる側も、同席する人も、皆で癒される様な御供養

2015 - 09/27 [Sun] - 02:01

 秋の彼岸供養会が終りましたが、御供養ってとても奥が深いですね。
御先祖の御供養と云いますが、本当に御供養を進めて行く上で、大切な事は亡くなられた御霊の為だけに御供養していては、中途半端な御供養になって仕舞います。
御命日等には、御親族が集まったりする様に、亡くなられた御霊を思い、偲んで時間を過す。
その方を思い出すだけでも御供養になります。
ですが、そう云う時間を持つ事で、自分自身もその方への思いを解放して行き、自分自身も癒されなければ本当の意味で御供養と云えないと思います。

読経したり、香を焚いたり、昔からやっている事ですが、音楽セラピーやアロマテラピーの様なものです。
ゆったりした時間を持ち、心を鎮めて、その方を思いながら過す事で、自分自身も癒して行く。
亡くなられた御霊に向かってだけではなく、自分の内面に対しても経を染込ませて行く事で、御霊も自分自身も共に癒されて行く。
それを続けて行く事で、徐々に供養が進んで行き、完成します。
供養する側もされる側も、同席している人も、皆が癒されて行く、そんな広がりのある心地良い御供養が出来て行けたら良いですね。

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奇縁に感謝、この仕事に感謝です

2015 - 09/26 [Sat] - 03:44

 今日、面接にお出でになった方は、妻が書いた「だんな様は霊能力者」を出版したダイヤモンド社から、経済関係の本を出版された方で、同じ出版社から本を出していると云う事で御縁を感じてお出でになりました。
色々とお話しましたが、その中で、小学校が私と同じ所を卒業していて、後輩である事が分りました。
正直、驚きました。
同窓会も一度も出た事はなく、同級生達とも縁が完全に切れていて、今まで一度も同窓生に出会った事がありません。
卒業後何十年も経って、初めての経験です。
お出でになった方も初めての経験だったそうで、お互い笑って仕舞いました。
御縁とは不思議なものですね。
仕事柄、不思議としか思えない御縁には何度も遭って来ていますが、久々に驚愕しました。
妻が本を出した時、挿し絵を描いてくれた漫画家さんが妻の実家のすぐに近くの出身だと云う事がありましたが、奇縁と云うものはあるものですね。
御相談は、色々とお話して、気持ちも解放されて晴れ晴れとした顔をして帰って戴き、お礼もメールも戴いているので、喜んで貰えたなら良かったと思います。
人の出会いは一期一会、一つ一つを大切にして行きたいですが、出会いの縁は不思議な事もありますね。
それも、この仕事をしているお陰と、改めて感謝です。

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昨日の秋彼岸と内弟子の伝授

2015 - 09/25 [Fri] - 01:53

 昨日は、秋彼岸供養会を行ないました。
お出でになった方、また全国から送って下さった供養紙を読み上げて、奠供、理趣経を読経し、心を込めて御供養させて戴きました。
供養紙を詠みあげて行く時、色々なものが伝わって来ます。
御供養される対象の因縁の深さ、御先祖の状態、等々。
しかし、いざ読経に入ると、嵐の様に通り過ぎて行く御霊の風の中で、私は一つ一つについては中々認識不可能になって仕舞います。
ですから、御供養終了後、御自分の出された御供養紙に関する状態や御供養について御質問したいと思われてお聞きになりますが、お気持ちは当然ですが、私はお答え出来る状態にありません。
内弟子に代わって答えて貰います。
内弟子も助法しているので、厳しいものがあると思いますが、まだ余裕を持って見る事が出来ていると思うので。
既にプロで仕事している内弟子は、流石と云うべきか、しっかり答えてくれます。
助かります。

しかし、昨日はハプニングが(笑)
そのプロで仕事している内弟子が、事もあろうに自分の供養紙を出し間違えて仕舞って、供養の時に外れて仕舞いました。
昨日は、水曜日で伝授の日なので、夜の伝授で改めてその供養紙だけを内弟子達と共に供養しました。
供養とは、こう云うものだよと一緒にやる事で伝授した形になります。
ま、これも御縁であり、そう云う事もあります。

 本当は、もう少し早く伝授をやって、切り上げたかったのですが、残念ながら内弟子以外の人も遅くまで残っていたので、始めるのが遅くなり、結局朝までいつも通りやって仕舞いました。
最終的には、内弟子以外にも一人参加しての伝授となりましたが、ま、善しとしましょう。
私の伝授は、解る人にしか解らないと思います。
口伝と云うものは、文字や言葉で表せないもので、何を感じ何を受け取るか、受け取る側の力量が大きな要素となります。
解らない人には、ただの雑談や、単なる読経にしか見えないと思います。
目の前にある秘奥秘儀に気付き、見抜く目と心、それが一番の秘伝かもしれないですね。

都合、18時間位、中々厳しく長い一日でした(笑)

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明日は秋彼岸ですが

2015 - 09/23 [Wed] - 03:21

 明日は秋彼岸の御供養会を行ないます。
前日ですが、あちこちで色々な臭いがしたりしています。
先触れと云うか、明日御供養する御先祖様方がお出でになってお待ちかねなのでしょうね。
強い結界があるので、あちこちウロウロしたりは出来ないでしょうが。
御先祖様の御供養は御依頼戴けば、勿論しっかりやらせて戴きます。
が、供養と云うのは供養する側も御先祖も両方が癒されて行くべきものです。
ですから、出来る限り御供養の時には御依頼される方も御同席戴きたいと思います。
任せたから、それで安心、その様にしっかり御供養させて戴きますが、厄介者扱いの様に御供養を頼んで義務は果したと安易な気持ちは、御先祖様にも伝わって仕舞うと思います。
御霊と云うのは、大変に義理堅く、筋を重んじます。
元々、生前はいい加減だった人でも、御霊となると彼岸の決まり事の様に義理堅く恩義を返そうとします。
御供養をしてくれた人には恩義があり、それなりに恩を返そうとしてくれるものです。
依頼してそれで義務は果したからと云う人に、どれだけ恩を感じて返してくれるのでしょうね。
他人である、御供養を依頼された私に恩を感じて返して戴いても、本来恩を返すべき子孫や遺族がそれでは、御霊も悲しいものがあるのではないかと思います。
供養紙を送って依頼して、それで終りと云うのは、人の心の持ち様として如何なものでしょうね。
御供養って、本当は御遺族や子孫が、しっかり心を篭めてやれば良いと思うのですが、彼岸とコンタクト出来る能力や技術が必要だったりしますから、プロに手伝って貰ったり補助して貰うと云う事だと思います。
頼みっ放し、任せっ放しと云うのは、無責任に思えますが。

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三回忌の御供養をさせて戴きました

2015 - 09/22 [Tue] - 00:37

 二年前に御縁があってメールで御相談をお受けさせて戴いていましたが、その後、御主人様がお亡くなりになり、今日、祥月命日と云う事で三回忌の御供養をさせて戴きました。
メールでの御相談で、今日までお会いした事がなかったのですが、是非私に三回忌の供養をと云う御依頼を戴いたので、有難く喜んでお引き受けさせて戴きました。
娘さんお二人と妹さんと一緒にお出でになりました。
内弟子達も集まり、皆でしっかり御供養をさせて戴きました。
どうやら御寿命だった様で、予想外にスンナリとお浄土へと旅立って行かれました。
御病気で亡くなり、闘病生活も厳しかった様なので、この世や生への拘りが残っているのではと心配しましたが、御本人はしっかり認識して割り切っておられた様です。
読経の最中も大変に穏やかで静かでしたし、読経が進むと共にお浄土へと進んで行かれました。
まだ亡くなられてから日が浅いのに、是ほどスッキリと旅立たれて行くのは大変に珍しいと思います。
執着が強かったり、因縁が深いと、読経を邪魔されて喉がいがらっぽくなって仕舞ったり、呼吸がし難くなったりする事が多いのですが、そんな事もなく、大変心地良く奠供と理趣経を詠ませて戴きました。

昔からお彼岸や御盆の時期に亡くなるのは寿命だと云われていますが、本当にそうだったなと実感する事が出来ました。
御霊も御遺族のお気持ちも一緒に癒されて行くのが本当の御供養です。
今日は大変に良い御供養が出来たと思います。

 お会いした事もない、メールの遣り取りだけの御相談でしたが、信頼して戴き、大役を仰せつかってとても有難く、光栄な事でした。

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当り前だと思わないで、感謝するべきです

2015 - 09/21 [Mon] - 02:54

 世の中はシルバーウィークと云う連休で、日本中で大移動が起きている様ですね。
昨日一緒に食事した義母も羽田から帰った様ですが、大変な混み様だったらしいです。
毎回、こう云う連休の時に思いますが、世の中のお父さん達は大変だなと思います。
普段、仕事で頑張っていて、休日になると家族サービスしなければならない。
家族を大切にするのはとても良い事です。
が、仕事で疲れているのに、家族の為に更に疲れなければならないのは、大変だなと思います。
家族がそれで感謝してくれたら良いですが、それが当り前みたいになって仕舞ったら悲しいですね。
家事の手伝いや子育て、家族サービス、素敵な事ですが、それが当り前の様な風潮は如何なものかなと思います。
全く何もやらないと云うのは問題だと思いますが、やって貰ったら家族の人には感謝して欲しいですね。

私は子供もいませんし、家族サービスも特に何もしません。
殆ど二十四時間、いつも一緒に家族といますし、休みも仕事が入らない時が休みと云う感じですから、連休で大移動の時に休んでと云う事もありません。
今週も普段通り仕事です。
御供養に面接、仕事の予定が続いています。
皆さんが休みの時も関係なく仕事させて戴いているのですから、有難い事です。
夜中のこの時間に記事をアップしながら、今日はFー1を録画して観ています。
気にかかる案件がある時は、夜中でも気が休まりませんが、今の所は平和です。

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渋谷で家族が集まって、楽しい時間を過して来ました

2015 - 09/20 [Sun] - 01:16

 今日はロンドンから妻の妹の息子、甥が友達を連れて日本に遊びに来ているので、家族が集まって食事しました。
日本らしいものと、妻と考えて、しゃぶしゃぶの食べ放題にしましたが、さすが若者、食べる食べる(笑)
私達年を取った者は、早々とギブアップでしたが、それでもかなりの量を食べた様に思います。
帰りはお腹が重かったです。
普段、離れていて会えない甥や、妻のお母さんも東京へ出て来て会えて、楽しい時間でした。

連休前の土曜日、かなりの人出で久し振りの渋谷は賑わっていましたが、金王八幡宮の祭礼があった様で、神輿が出ていました。
渋谷の様な街でも、しっかりやっているのですね。

会食の場所は神山町と云う所に程近く、歩いてみると昭和が残っている感じで、渋谷の大都会の裏にこんな街が残っている事に驚きました。
久々の散歩の様な感じでちょっと疲れましたが、楽しい時間でした。
ここの所、色々と気疲れする事が続いていてちょっと疲労気味でしたが、しっかり食べて楽しい時間も過せたので元気になれそうな気がします。


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妻の仕事、翻訳

2015 - 09/19 [Sat] - 02:58

 死後の世界に対しての考え方や死生観と云うものは、日本と西洋では大分違う様です。
云うまでもなく、西洋の思想的な背景はキリスト教的なものであり、日本は仏教が中心です。
西洋でもキリスト教以外にもイスラムを始めとして様々な宗教がありますが、元を質せば同根に近かったりする事もあり、死後の世界観や死生観は似通っていると云えると思います。
日本でも神道はじめ、他の宗教もありますが、やはり仏教の影響をかなり受けている感があります。

 妻の翻訳の仕事で、そう云う死後の世界観や死生観に関する話があり、そんな話をしていましたが、西洋的な思想が根本にある文章がそのまま日本で受け入れられるかどうか、私には判断出来ませんでした。
日本では死後の世界は文化的に大変身近であり、また西洋の様に身近にテロや戦争などがない事から、常に潜在的に死を意識して生活している訳でもなく、その辺りの隔たりと云うものを感じます。

良い死後を送りたければ、良い人生を生きている間に送らねばならない。
また、死後は生の後に続くもので、日本人にとってはごく普通の事です。

妻の仕事ですから、やった仕事は成果をあげて欲しいと思います。
然し、神や天使の人間の世界への関わり等は、日本の仏や神の人間への関わり方とは全く異質ですし、人間の文化的な背景も考えて行かねばならないですから、妻の翻訳も中々大変だなと思います。
何も手助け出来ないのですが、特殊な専門用語や思想背景などの知識について、必要な時だけ手助け出来ればと思っています。

 どんな思想も、人を幸せにする為に生まれて存在しているものであれば、究極は目指す所は一つですが、地域や時代の背景によって表現方法が異なっていて、アプローチの仕方が違ったりします。
私も精神世界の理屈やそこから伝わって来る言葉を、普通の人に分かる様に翻訳してお話していますが、妻の仕事も中々大変で難しいですね。

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誤解はちょっとした事から起きます

2015 - 09/18 [Fri] - 06:10

人と会話していて、自分の意図や言葉が思った様に相手に伝わらないと云う事があります。
また、逆に相手に悪気はないのは分かっていても、どうしてもねじ曲って受け止めて仕舞う事があります。
何が原因でしょうか。
どちらに原因があるのかと良く良く考えてみると、どっちにも責任があるとも云えるし、どっちにも責任がないとも云えると思います。
自分の言葉や態度には責任を持たねばなりません。
そう思う時、自分の中で自分の未熟さを感じて、心の中で葛藤が起きて仕舞います。
それが無意識ですが、言葉や態度に表れて仕舞っていて、相手にその乱れが伝わって仕舞うと云う事があります。
人と云うのは、霊感がないと思われている人でも、しっかり感覚は持っていますから、相手の心の乱れを感じて仕舞います。
そして、自分も相手の心の乱れを感じた事で、自分の中にも乱れが生じて仕舞います。
そうなると、真意は伝わらなくなって仕舞います。
また、相手に対する思いが強いと、それをつい乗っけて仕舞う事があります。
一つ間違うと押し付けになって仕舞いますが、そうなっている事に自分では気付かないもので、相手は不快な思いをしていても、こちらは善意なのに何でそうなる?となって仕舞います。

 人と会話したり、付き合って行く上で、自分の未熟さや心の乱れはちゃんと相手に伝わります。
相手との物理的、心理的な距離感が大切です。
近づき過ぎても、離れ過ぎても、こう言う問題は起きます。
その時々、相手との距離を近づけたり離れたり、柔軟にする事が出来ると良いですね。
近過ぎると互いに甘えが出て仕舞ったり、過剰な反応をして仕舞ったりするものです。
また、遠過ぎると伝わり難くなります。
その相手によって適度な距離と云うものは違うと思います。
自分の中の余裕を高めて行くと同時に、人との距離感を自由に柔軟に出来る様にして行きたいものですね。

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祈りと気療と空手

2015 - 09/16 [Wed] - 03:17

 今日15日は神様の御縁日で、祝詞を奉納しました。
御自宅で御先祖の供養をされている方が、位牌としている短冊が結露で傷んだので取り換えたいと云う御依頼があったので、特別に供養の祝詞も奉納しました。
普段はあまり詠まないのですが、神の祝詞にも御供養の祝詞は存在していて、仏教伝来以前の御先祖まで繋がる為に詠む事があります。

その後、遠くからお出でになった女性に気療しました。
酷い被りで全身の血行不良を起していて、浮腫や内臓の下垂などがありました。
気療で被りを祓い、血行不良や下垂などを改善しました。
やっている最中に本人も変化を感じている様で、感覚がかなり鋭い方でした。
定期的なメンテナンス、ヒーリングや気療等が必要だと思いますが、元気になって笑顔で帰って戴けて良かったです。
他にも少々込み入った話もありましたが、お話して楽になって戴けた様です。

夜になって道場へ行きました。
御縁日と気療で疲労感はありましたが、先週ほどの酷さはなく、普段通りに始めました。
次々とやって来る参加者は、何と道場でも最高レベルの猛者ばかり。
いつも黒帯と茶帯ばかりですが、今日の参加者は洒落になりませんでした。
そしていつも通りと云うか、いつも以上に汗だくになり、ちゃんとへばって帰って来ました。
ですが、練習のお陰で血と気が流れ出した様に感じます。

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御先祖の御供養は開運や修行の基本です

2015 - 09/15 [Tue] - 02:00

 もうすぐ秋の御彼岸ですね。
御先祖様の御供養をしっかりやると云うのは、日本人としての伝統として大切にして行きたいものです。
春の御彼岸、夏の御盆、秋の御彼岸と年に三回は御先祖様の御供養をする行事が日本中で一斉に行なわれます。
伝統行事の様なものですが、人として御先祖を敬い大切にして行く事は、今の自分に繋がる系譜を思って大切にして行く事であり、自分自身を思い遣ると云う事にも繋がります。
親兄弟や親戚、祖父母等に対して嫌な思いが残っていたりすると家そのものや家系そのものに対しても拒否感を持って仕舞い勝ちですが、どんな人であっても先祖がいたから自分が生まれて今ある訳ですから、個人的な感情は捨てて自分の命を繋いでくれた先祖に対し礼儀は尽くして行きたいものです。
それが日本人としての筋であり、忘れてはいけない大切な文化であると思います。

また、開運や修行の第一段階として御先祖の供養は非常に重要です。
運を開くのを邪魔するネガティブな因縁を御先祖供養をする事で、自分自身の肉体から解放して行く事で素直に運が開いて行きます。
また修行するに当り、自分の中にあるネガティブなものが洗い出されて出て来て仕舞うので、最初に御先祖の供養をしっかりやっておかないと、修業中に出て来て辛い思いをする事になりますし、歩みと進歩が遅くなります。
修行の第一の基本は御先祖の御供養です。

御供養の時に意識しなければいけないのは宗派ですが、自分がどんな宗教観を持っているかは個人の問題です。
御先祖はその方が亡くなる時に聞いた経や祈りの言葉を覚えていますから、その方の亡くなった時の祈りや経を唱えてあげるのが良いと思います。
知らない言葉や御経を聞かされても有難く感じないでしょうからね。
また、無宗教と云う名の宗教を信じて居られる方も多いと思いますが、そこは御先祖の為と割り切って戴きたいものです。

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気療の適用

2015 - 09/14 [Mon] - 01:32

 今日は急な御依頼で気療をやりました。
急に腰に痛みが出て、歩くのも辛いと云う事でお仕事にも差し支えると云う事で御連絡を戴きました。
飲食店で厨房のお仕事をされている様で、確かに腰に痛みがあってはお仕事に差し支えて仕舞います。
お出でになる時も、歩くのもゆっくりだったそうで、お出でになって椅子に座っているのも後にもたれると痛そうでした。
早速、気療させて戴きました所、数分で痛みが消えて歩ける様になられました。
前日に針灸も試された様ですが、効果がなかったとの事でしたが、何度かチェックしながら気療させて戴きましたが、張りもとれて痛みも消えた様で、帰りはスタスタと歩いて帰って戴きました。

 気療は筋肉の深部や関節の内部など、医学的には中々アプローチ出来ない所まで効果を表す事が出来ます。
怪我や痛みは突然やって来る事があります。
また、他にも小顔調整や痩身等にも効果があります。
あくまでも、医療に対する補助的なものと考えて戴くと良いと思いますが、医師の治療と併用して上手く付き合って戴くと効果的だと思います。

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地震でも祭壇はびくともしていませんでした

2015 - 09/13 [Sun] - 01:52

 朝一番に地震でしたね。
震度5近くあった様でしたが、丁度眠りに入った頃でした。
まず、ドンと音がして、その後にゴーっと云う唸る様な音がして来て、その直後にグラグラと揺れ始めて、ガタガタと来ましたね。
部屋の中の細かいものがカチャカチャと音がして、少し落ちました。
絶対に問題ないだろうと思いながらも、一応祭壇を見に行きましたが、案の定、何も起きていませんでした。
そこで安心して仕舞って、他を見るのを忘れて仕舞いました。
部屋の中に飾ってあるドラゴンボールのランプやちょっとした小物が落ちていた様でした。

 東京の大きな地震が来るとは思っていませんが、時々起きるガス抜きの様な地震としては大きかったですね。
父が子供の頃に関東大震災の揺れを大坂で感じたと云う事でしたが、先の関東の震災の時も九州にいた私達も感じました。
今回は大きな被害が出ていない様でしたが、災害は予測出来ません。
と云って、天災を恐れてあれこれ準備しておくのは良いですが、あまり神経質になって仕舞うのも考えものです。
何があって冷静に対処出来る様にしておきたいですね。

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小さな悟りをちゃんと保管して行くと大きな悟りへと繋がるかも

2015 - 09/12 [Sat] - 03:12

 良く悟りと云う言葉を仏教では使います。
悟りって何だろうって、簡単な様で何の事か良く分からない気がしますね。
ウィキドペディア等を見ると色々な意味が書かれています。
しかし、色々と学んで行くと、悟りと云うものも段階がある様です。
修行をしている過程で、ちょっとずつ悟り、最後に究極の悟りを得ると云う事になっています。
知ると云う事は悟りの一端だとも云えるでしょうね。
学校で学ぶ事、実体験で学ぶ事、色々な学びがあります。
学習の経験、実体験、色々な経験を通じて、誰しもが自分を振り返る機会があります。
何で上手く行かないのか、何がいけないのか、自分の長所は何だろう、欠点は?
と色々と思い悩んだり、葛藤したりして、その中から自分なりに見えて来て結論を出して行きます。
その一つ一つが悟りと云えるかもしれないですね。
仏教などで云う悟りは、もっと深層心理的であったり、哲学的であったりしますが、悟りにも段階があるとすれば、悩みや葛藤から始まって徐々に進んで行って、その先に哲学的なものへ進んで行く様に思います。

私の場合で云えば、あの世の事や見えない世界の事を知って、その世界と共存しながら生きていると云う意味では、少しだけ悟ったと云えるのでしょうか。
また、そう云う経験の中かから、自分らしさの追求、人はその人らしくて良いのだと云う意識を持つ事が出来た事は、やはり小さな悟りかもしれないですね。

 自分を知る事、それが大きな悟りだと思っています。
でも、自分の姿って自分で見る事は出来ないものです。
鏡や、人の眼を通して自分を見た時に初めて見えて来ます。
自分以外の第三者的な眼を自分に向ける事が出来たら、自分ってこうなんだと悟る事が出来るかもしれないですね。
人は毎日ちゃんと悟っていると思います。
その小さな悟りをやり過ごしたり、見失わないで大切に保管して行くと、きっと大きな悟りへと近づいて行けるのかもしれないですね。

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伝授は感じて受け取る、学習とは違う

2015 - 09/11 [Fri] - 03:07

 昨日の伝授は、とっても深い伝授になりました。
原点回帰、祈りとはと云う問題になりましたが、祈っているとどうしても自分の祈り方は正しいのかと考えて仕舞ったり、願い事をついやって仕舞ったり、それじゃいけないと思ったり、祈っているのに迷って仕舞う事も多いですね。
祈りの正しい間違いなんてありません。
素直に、神や仏に甘えて、親に甘える様に素直に向き合って祈れば良いと思います。
ピュアであると云う事は、素直であると云う事でもあります。
ゴチャゴチャと頭で考えないで、自分の心に従って、向き合えば良いのではないでしょうか。

 昨日の伝授では、土砂加持と云う秘伝中の秘伝を伝授しました。
と云っても、言葉で教えた訳ではなく、ただやって見せただけです。
そこから何を感じ、何を見て、何を学んだかは本人次第。
伝授と云うものはそう云うものです。
説明して学ぶのは学習、伝授は感じて受け取るものです。

 ただ、絶対的に知っておかねばならない事、認識しておかねばならない事は言葉で説明します。
何が大切なのか、絶対に忘れてはいけない、わきまえておかなければいけない事と云うものはありますからね。
昨日のそれは、仏も神も生きていて命を持っていると云う事です。
神も仏も御先祖も、肉体を持たず、三次元的には生きていません。
ですが、命がないと云う事ではありません。
しっかり生きていて、我々に常に接して向き合ってくれる。
その事を忘れて仕舞うと、本当の意味で向き合う事は出来ないです。
命のない死人と会話する事など出来ませんからね。
姿がなくても、肉体がなくても、命があり、生きているのだと云う認識を忘れない事が大切です。
毎日、神仏に手を合し、御先祖の供養をする事は、時に面倒であり、億劫になるものです。
が、相手が生きているのであれば、日常の挨拶は毎日します。
同じ事です。
目の前にいる相手を無視する様な事はしてはいけないですね。
素直な気持ちで、気持ち良く、毎日御挨拶して、共に過して行ければ最高だと思いますね。


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御縁日と道場

2015 - 09/09 [Wed] - 03:17

 今日は9月に入って初めての御縁日、お釈迦様の御縁日でした。
強い雨が降っている中、多くの方に参加して戴きました。
お釈迦様の御縁日には、その前に般若心経を詠むと云う会を開くのですが、本日は話をしていて時間が過ぎて仕舞って、経を詠まないで御縁日の奉経に入りました。
御縁日でも様々なお経は詠みますし、その中に般若心経もあるのですが、お出で下さった方には申し訳なかったです。
経詠みを通じて、色々な事を感じて戴いたり学んで戴ければと思っていますが、来月はちゃんとやりたいと思います。
また、お釈迦様の御縁日には、永年供養をしている方々への供養の祈りも込めてやらせて戴いています。
各家のお位牌を作らせて戴き、毎日祈らせて戴いていて、お釈迦様の御縁日やお彼岸・御盆等の御供養の行事の時は、供養の祈りを込めてやらせて戴いています。
永年供養を依頼して、そのままと言ってはいけないかもしれませんが、祈りの時にお出でになって一緒に祈って下さればと思いますが、頼みっ放しの方も多く、侘びしさを感じますが、心を篭めて精一杯祈らせて戴いています。

 夜は、いつも通り道場へ。
行きも帰りも大雨でした。
湿気のせいか、他の何かのせいか、どこもかしこも重い空気が漂っていて、体調万全とはいかないですが、いつも通りやらせて戴きました。
相変わらずと云うか、物凄く汗をかき、身体が活性化した様に思います。
ですが、本日の疲労度はかなり高いです。
色々な理由があると思いますが、もっとスタミナをアップさせないといけないですね。
若者達の成長が著しく、圧力も以前より強くなっていて、中々受け止め切れなくなって来ました。
高齢者が若者とやり合う為に、もう少し工夫が必要だなと感じています。
パワー、スタミナ、スピード、どれを取っても若者の方が上である事は確かですから、技と工夫が必要ですね。
また頑張ります。

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勤勉に安定を望んで生きるか、自由に生きるか、自分次第

2015 - 09/08 [Tue] - 02:31

 勤勉に間違いなく生きて、努力を積み重ねて行く事が安定した幸せに繋がると云う考え方があります。
安定を求めるなら、それは正しいかもしれないですね。
ですが、不安定でも自由を好み、折々の気持ちや心に従って生きたいなら、ちょっと違うかもしれません。
アニメですが、シティーハンターのエンジェルハートと云うドラマを最近見ています。
実写化されてテレビドラマになるそうですが、新宿に生きるアウトローであり、その生き方は安定とは程遠く、全く先の見えない生き方をしています。
このドラマからは、そこに流れる心の豊かさや彼等の住む世界が描かれています。
単純にシティーハンターが格好良いとか、それだけのアニメではない様に思います。

先程、偶然ですがイタリアのトリノの街並みの番組がやっていたのを見ていました。
何故か、そこに住む人達が街が大好きで、街に誇りを持ち、ゆったりとした雰囲気を漂わせている事に、何故だろうと思って見ていました。
実際に住めば、日本の様に便利な筈もなく、大変な事は沢山あると思います。
が、映像に映し出されている人達の穏やかで、ゆったりとした雰囲気は見ているこちらまでゆったりとして仕舞う気がしました。
一言で文化が違うと云えばそれまでですが、自分を取り巻くものへの満足、充実感、色々とあるでしょうが、人としての豊かさや余裕を感じさせてくれました。

自分のライフスタイル、心地良さを意識して生きている人達の姿なのかもしれないですね。
シティハンターの冴場遼にしても、他の登場人物にしても、先程のトリノの人達にしても、自分らしく生きる事を教えてくれている気がします。

私も今日を精一杯、今日の幸せと笑顔が明日に繋がると思って生きています。
今、この瞬間に身体を離れる事になっても後悔しない、そんな生き方に心地良さを感じて生きています。
人生に対する考え方は人それぞれです。
勤勉に生きて安定を望む生き方も、今を大切に自由に生きるのも、自分でしっかり心に決めて自分らしく生きて行けたら良いですね。
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粘着質、執着、激情、嫌われます

2015 - 09/07 [Mon] - 01:41

 自分の目標や感情などは、見方を変えると自己満足でしかないとも云えます。
その自己満足が人生を豊かにして行くなら、大いに結構だと思います。
何かの高みを目指す、趣味に没頭する、上を目指して必死で仕事する、何をしてもそれで自分の人生が豊かになって行くのであれば、素晴らしい事です。
が、そこに固執して仕舞って他を受け入れないとか排除するとかとなって来ると話は別でしょうね。
それは自己満足への執着、自己顕示欲にも似た、ネガティブなで感情的なものであると云えるでしょう。
自己顕示欲も自己満足もどちらも人間が自然に持つものでありますから、あって当然です。
が、それが過剰になると、自分の周囲から人を遠ざけて仕舞います。
感情的でネガティブな思いと云うのは大変に強いエネルギーを持っていますから、それに左右されたり振り回されたり仕勝ちなものです。
が、そう云うものは自分の発する雰囲気やオーラまで変えて仕舞います。
目つきも表情も変わるでしょう。
そして、来るべき幸運さえも遠ざけて悪運を呼び込む事にも繋がります。
怒り、悲しみ、喜び、楽しみと云う喜怒哀楽の激しい感情は人間の持つ特性でもあります。
それが時に美しく映る時もあります。
が、粘着質的にしつこくなって仕舞ったり、余りにも激情的に激し過ぎると、それは醜態としか見えません。
サラリとクールに、いつも涼しい顔をして様々な事をこなして行くと云う姿だけが格好良いとは思いませんが、それ位の人としての余裕や大らかさをいつも持っていたいですね。

拘りと執着は違います。
誇りとプライドが違う様に、自分に正当性を求める様な自己満足の言い訳を自分に作らない様にしたいですね。

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気療で深部の筋肉にアプローチ、瀧行の報告

2015 - 09/06 [Sun] - 01:55

 今日は、私の気療を受けておられる方からの御紹介で、気療に女性がお出でになりました。
緑内障や白内障等の眼の疾病の気療ですが、眼球の中の眼房水の流れ、眼球に繋がる血管の血液の流れ、視神経や目を動かす筋肉等々、チェックさせて戴いて、気療させて戴きました。
眼の状態が良くないと、肩や首の凝りに繋がり、顔の筋肉も硬直して来ます。
それがまた頭部の血流を悪くすると云う悪循環に繋がります。
そうなると眼球の眼圧も上がり、眼に悪い影響が強まって仕舞います。
医学的には中々アプローチ出来ない深部の筋肉等に気療で働きかけて、改善させて戴きました。
筋肉も緩み、血流や眼房水の流れも良くなった様です。
定期的にメンテナンスするつもりでお出で下さいと申し上げて、普段の気をつけておくべき事や簡単な柔軟体操のコツ等をお教えさせて戴きました。
眼球の疾病は一度なると中々完治すると云うのは難しいですが、メンテナンスしながら良い状態に維持する事が出来たら希望が持てるかもしれないと思います。
普段から身体を良い状態に保つ事を意識して、日常の中で出来るながら運動やながらストレッチ等をやって行くと良いですね。

 今日は内弟子が数名を連れて栃木県の出流山万願寺と云う所にある瀧に修行に行きました。
この瀧は、私が若い頃に毎日の様に通って瀧行をした所です。
何千回と瀧を浴びましたが、今は内弟子達に任せて指導して貰っています。
初心の者が多かったので、今日の指導は大変だったかもしれないですね。
然し、それぞれが自分の課題を意識して向かっているので、それなりに成果があった様です。
帰りに数名が寄ってくれて、わざわざ出流山名物のお蕎麦をお土産に持って来てくれたので、ちょっと寄らせて話を聞きました。
若干、瀧行としての仕上げに不十分さを感じたので、私が仕上げをして、また瀧からついて来て仕舞った目に見えない人を追い返したりしましたが、それぞれの課題はクリアして来た様で、良い瀧行だった様に思います。

 指導は難しいものです。
指導に徹して仕舞っては、自分の修行が出来ません。
自分の修行もして、その姿を見せる事が大きな指導であったりしますが、まだ未完成ながら内弟子達も良く頑張ってくれていると思います。
参加した人達も、明日からスッキリと頑張る事が出来ると思います。

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信頼を得てこそ、本当に良い仕事と云えます

2015 - 09/05 [Sat] - 02:37

 仕事の相談を受ける事も多いのですが、特に自営の方で仕事が順調に進まない方の多くは、人とのコミュニケーションに欠点がある場合が多いですね。
仕事の基本は報連相(ほうれんそう)と云いますが、報告・連絡・相談の略ですが、順番は本当はちょっと違っていて、まず連絡、そして報告と相談、でしょうね。
連絡の遅い人、レスの遅い人は、仕事の相手から信頼されません。
また何かの仕事を依頼された時、経過報告や結果の報告がきちんと出来ない人は、安心して仕事を任せられません。
仕事の途中で何かトラブルがあった時、知識や経験を持つ人に相談して、早急に問題解決しなければいけません。
相談しないで、自分だけで悩んで考えている間に無駄な時間が過ぎて行きます。
結果的にどれも信頼を失う、信頼されない事に繋がります。
大きな企業では、企業の名前と云う大看板を持っていますから、多少の事は企業の信用でカバーする事が出来る事もあります。
が、中小企業や自営業では、世の中に通用する様な看板を持っていない場合が多いのですから、緻密に丁寧にミスを可能な限り少なくして行かなければ信頼に繋がりません。
積み重ねの中から生まれた信頼は、次の仕事へと繋がります。

仕事も人間がやっている事ですから、最終的に人間関係の繋がりが大きな影響を持ちます。
良い仕事をすると云う事は、ミスをしない、完璧な仕事をすると云うだけでは不完全です。
相手の信頼を得る様な人間性や仕事上の基本姿勢が加わって、初めて良い仕事をしたと云えます。

仕事に限らず、何でもそうですが、基本の積み重ねが大きな結果へと結びついて行きます。
これ位で良いだろうと云う中途半端な自己満足は、自分の足を掬うミスを招く事に繋がります。
妥協せず徹底してやる事、常に相手がいる事を忘れない事、人と人の信頼の上に仕事は成り立つと云う事を忘れない様にしたいですね。
更にその上に、祈りが加わって劇的な奇跡にも思える事が起こって来るものです。
基本が出来ていない所に奇跡は起きません。

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心の奥の奥にある自分の本当の心を見詰めて

2015 - 09/04 [Fri] - 02:53

 運命論者や一部のスピリチュアリストは、運命は決まっているとか未来は決まっている様な物言いをします。
が、未来は自分の手で切り開き、自分の手で掴み取る。
今この時の選択が未来を決定すると云うのが私の考えです。
自分の人生は自分でプロデュースして、自分の意思で歩む人生を自ら作り上げて行きたいですね。
自分にとって何が大切なのか、何を目標として生きるのか、何を目指すのか、自分の人生の中でのコアをしっかり決めて行く事が大切です。
コアが出来ていなければ、その折々の周囲の空気や他人からの言葉や様々なものに振り回されて仕舞って、自分が本当に大切にしたいもの、するべきの、守りたいもの、本当にやりたい事等が見えなくなって仕舞います。
何の為に生きているのか、どこに向かっているのか、誰の為の人生か解らなくなって仕舞って、ただ生きている、生きる為だけに生きているみたいになって仕舞ったら、命の輝きは失われて仕舞います。
死んでからその人が再評価されて輝く人もいますが、生きているのに死んでいるかの様に輝きを失って仕舞っている人もいます。
様々な生き方、人生がありますから、どんな人生であろうと否定はしませんが、どうせなら自分が輝き楽しめる、生き甲斐のある人生を送りたいものですね。
自分の心の奥のもっと奥にある本当の思いをしっかり見詰めて会話して、自分の真の思いを知る事は大切な事だと思います。
しっかり見詰めて、しっかり納得して、覚悟を決めて、迷いなく人生を送りたいですね。
自分の人生の責任は自分しか取る事が出来ません。
誰も責任は取ってくれませんし、誰も助ける事は出来ません。
自分の人生をプロデュース出来るのは自分だけなのですから、しっかり突き詰めて、良い仕事をしましょう。

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祝詞の奉納で解った御先祖の御縁、夜は空手でした

2015 - 09/02 [Wed] - 03:53

 今日は神様の御縁日でした。
参加された女性のヒーラーMさん、暫く前に何かが頭から入って来て、それ以来眩暈が止まらないとの事。
少し探ってもハッキリしませんでした。
まずは、禊と云う事で神様の御縁日の祈りをしました。
祝詞を奉上し、祈っていると、Mさんに入っていたものが出て来ました。
何でもMさんの先祖だそうで、生前使えていた殿様が神となって祀られているとの事、自分も付き従って行きたいと云う事で、子孫であるMさんの力を借りたいと云う事でした。
もう少し深く会話してみると、私の先祖がその殿様との御縁があり、その筋を頼って来た様でした。
神となった殿様に付き従うには、その御魂も神にならなければなりません。
今すぐと云う訳にはいかないので、まずは徹底して禊し浄化しました。
その御魂はMさんの魂に吸収されるかの様に融合して、Mさんに強いパワーを与えた様でした。
Mさんが次に、そのお殿様の祀られている神社に出向けば、その御魂もその神社に入る事が出来て、念願通りになるだろうと思います。
その殿様の方にも筋と話はつけてあるので、大丈夫でしょう。

私の先祖とMさんの先祖が、何か相談でもしたのでしょうか。
御縁繋がりで起きた事ですが、何度か私もそう云う経験はあります。
余程、強い思いだったのでしょうね。
帰る頃にはMさんはかなりスッキリした様でしたが、早い段階で神社の方を訪れると決着が早くなるでしょう。
同時に彼女のパワーも既に上がっています。
益々、オーラが強くなって行くでしょうね。

 夜は道場へ。
涼しくなったと思いましたが、練習が始まるとそんな事は関係なく、汗だくになりました。
久し振りに見る顔もいて、驚きましたが、道場へ着いた時は体調が最悪でしたが、練習が進むに連れて段々と抜けて行きました。
いつもの事ですが、空手は有難いですね。
凄く疲れましたし、本当に汗だくになりましたが、空手のおかげで少しスッキリしました。

 我が道場最大の猛者が、私と同じ干支で一回り下である事が分かりました。
今日も圧倒的な迫力でしたね。
内弟子のSも、二年ぶりの甥も来ていましたが、空手は継続する事が大切です。
スケジュールをしっかり自分で調整して、道場へ来れる努力をすると云うのも、進歩する為の大切な要素ですね。

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8月最終日は良い日でした

2015 - 09/01 [Tue] - 02:17

 今日はあちこち傷んでいる歯の治療にいつもお世話になっている歯医者さんに行って来ました。
若い頃に噛みしめ過ぎて、既に耐用年数を過ぎているとの事で、歯はかなり酷い状態です。
いつもお世話になっている先生は、私の歯の状態を良く知っていてくれて、無理のない治療をしてくれます。
他の歯医者さんより治療に日数がかかると云う事もありますが、その分、無理がなく、急いで無理矢理治療しようとしないので、心理的に楽です。
歯医者と云うと、痛いとか、どうしても余り良いイメージがありませんが、この先生との出会いは有難かったです。
これからもずっとお世話になると思いますが、総入れ歯になる日も段々と近づいている様な気も。

 その後、少し時間をおいて、こちらもいつもお世話になっている美容院で髪を切って貰って来ました。
仕事が忙しいと頭部の血流が上るせいか、髪の伸びが早くなる様な気がします。
この美容院のスタッフの女性達は、私の所へ小顔や痩身、スタイル改善の為に気療に来てくれています。
私の担当の男性は、サッカーやサーフィンが趣味との事で、いつも独特のスタイルですが、仕事も手早く、美容院に有り勝ちな無駄な営業トークもあまりないので楽ですね。
まだ20代半ばの娘の様な年齢の綺麗なスタッフの女性にシャンプーして貰い、肩を揉んで貰って、リラックス。
髪も切って貰ってサッパリしました。

で、帰ろうとしたら、後からこんにちわと声をかけられ、誰かと思ったら道場の黒帯のN君で、確か彼は他の仕事をしていると思っていたので、ここで何をしてるんだ?と。
転職したそうで、この地区の担当だそうで、しばし話しました。
就業時間や休日、給与の面でも前職より良い様で、仕事も経験があった様で活き活きと働いている感じが伝わって来て、可愛い顔をしていたのが、大人っぽくなって良い顔になっていて、良かったなと思いました。
思わぬ出会いでしたが、彼とは縁があるのか、他でも何度か会った事もあり、好印象の青年だったので、何だか嬉しかったですね。

 8月最終日、良い日だったと思います。

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プロフィール

島津 成晃

Author:島津 成晃
Adept・Mentor 島津相談室主宰
人生のあらゆる問題の相談に乗って来ました。
元気になって希望を持って帰って戴く事が私の願いです。
スピリチュアルな目と、冷静な分析で御相談に乗ります。
御相談はHPの方からお願いします


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