感じたり思った事を書いて行きます。 時には秘伝などを書く事も。 空手や色々な趣味の話も。

  Adept・Mentor 島津成晃の独り言のナビゲーター   トップページ > 2015年01月  

原因が解らないが疲れる相手

2015 - 01/31 [Sat] - 02:11

 側にいるだけで、話しているだけで、理由は解らないが何故か凄く疲労して仕舞う相手と云うのがいますね。
相手に対する感情は別で、好ましいと思っている相手でもそう云う事があります。
逆に、元気になる相手もいます。
その人といるだけで、何故か元気になる。
どっちかと云えば、元気になれる相手が良いですが、人の付き合いはそう都合良くは行かないものです。

吸血鬼と云うのは、知らない人は殆どいないと思いますが、血を吸う悪魔の様な存在。
十字架やニンニクや柊やバラのトゲを恐れる。
そんな話も伝説もあります。
本来は、吸精鬼と云い、人の生きるエネルギーである精を吸い取るものが、血は人間のエネルギーの象徴と云う所から、血を吸う様になったのか、そう云われる様になったのかと。

普通の人の中にも吸精鬼の要素を持った人は結構います。
なので、そう云う人の側にいると、理由もなく兎に角疲労します。
身体から精が抜けて行く様に、エネルギーが低下して行きます。

逆に相手を元気にする、人にエネルギーを与える人もいて、そう云う時はこっちが吸精鬼になって仕舞っているかもしれませんね。

また、ライフスタイルや持っているバイブレーションの違いから、リズムが相手と合わないと云う事があると、やはり凄く疲れます。
不協和音が流れる訳ですから、疲れるのは当然です。
我々プロは、自分のもつバイブレーションを相手に影響が出ない様にフラットにする事を知っていますが、一般の人、特に個性の強い方は合わない相手が多かったりすると云う事がある様です。

吸精鬼も、リズムの不協和も、どちらも意識している訳では泣く、無意識の領域の場合が多いので責める事は出来ません。
が、体調が悪い時や調子が優れない時は、そう云う相手との距離を少し取っておくと云うのも必要な事かもしれないですね。
勿論、意図的であれば、それは遮断するとか、跳ね返すとか、具体的な手法を取る事になります。


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初釜と祈りの秘伝

2015 - 01/30 [Fri] - 04:25

 昨日は毎週行なう内弟子の伝授でした。
夜の9時から始まり、いつも明け方と云うより朝までやっています。
例によって深夜に及ぶほど、秘伝が出て来ます。
丑三つ時頃から本番と云う感じでしょうか(笑)
昨日は、初釜と云う事でまずお茶の稽古をしました。
茶道は元々禅宗系の作法から始まったものだと云われますが、内弟子達にもわきまえの一つとして、礼法としても学んでおいて欲しくて、時折指導しています。
茶道にも達人と云うのがいて、達人が点てるお茶は茶室そのものが三昧の境地に満たされ、主人と客と茶室が一体となると云われます。
禅に於ける定の様な境地でしょうか。

その後、それこそ深夜になってからの話は、同じテーマかもしれないですが、祈りの境地の話でした。
大きな声で勢い良く経を詠んだり、荒行をする中で陥り易い事ですが、自己満足になって修行した気になって仕舞います。
真の祈りは、そんなパフォーマンスではなく、深い所に通じます。
空手でも、激しい練習の時に気合いが入り、静かな稽古の折には気合いが入らない人がいますが、気合いを入れると云うのはパフォーマンスではありません。
心と肉体が一体化して、全身全霊で空手と向き合って行くものです。

気合いも経も修行も、自己満足のパフォーマンスになって、やった気になって仕舞うと云うのは陥り易い事ですし、誰でも一度はそこを通りますが、更に先に進化しないと何十年修行しても意味がありません。
深奥は、その字の如く、深い所にあります。
表面の姿形だけでは何も見えて来ませんね。

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私の教えにマニュアルなし、それぞれの早さと道筋で、自分で答えを見つけて

2015 - 01/28 [Wed] - 02:17

 今日は、先週妻が道場で傷めた足の指の回復が思わしくなく、まだ稽古するには無理があると思ったので、道場はお休みにしました。
ここで無理をさせて稽古して負担をかけると、また治りが遅くなって仕舞いますから。
と思っていたら、道場で稽古している少年部の子のお父上からFacebookでの友達申請が来てメッセージも戴きました。
私は審査会でしかお会いしないですし、直接その子を指導する事もないのですが、有難い事です。

ここの所、内弟子達の成長が著しく、頼りになって来ました。
月例会でもスタッフとしてしっかり動いてくれますし、今年予定している30周年記念のパーティーの準備や計画などもしっかり動いてくれています。
成長には人それぞれの道筋があり、その人の早さと云うのもあります。
私の所に来て何を学ぶか、気づくか、それも人それぞれ。
月例会や伝授に来て、まず開放しフラットになって自分らしさを取り戻し、そこからまたスタートして学んでくれたら良いと思います。
目先の問題を解決して行く中で学ぶ事も多いと思います。

月例会に参加してくれている内弟子以外の人達も、それぞれ自分の課題を目の前にして、しっかり向き合い成長してくれています。
私は何事もマニュアルで、学校の勉強の様に教えませんから、ミーハーな感覚で教わるのを待つ人には向かないと思います。
教わるのではなく、自分で気づき、自分で学ぶ。
答えを教えて貰っていては成長しません。
答えは自分の中にこそあります。
そのきっかけや、ヒント、誘導はしますが、最終的な解答は自分の中にしかなく、自分で見つけなければ何も始まりません。
勿論、具体的な問題についての御相談の時は、出来るだけ詳細にリアリティを重視してお答えさせて戴きます。


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昨日の月例会は盛り沢山でした

2015 - 01/27 [Tue] - 03:14

 昨日は月例会でした。
いつも通り護身法から始まり、その後の勉強会では仏画の塗絵を行ないました。
その後、内弟子による気療、個別相談などを行ないながら、空手の指導もあり、様々な話題が広がり、充実した月例会となったと思います。
昨日の護身法では、初級から中級へ上がる審査と、中級から上級へ上がる審査も行ないました。
時間がかかっても、きちんと出来上がってから上に上がった方が確実に後が楽になります。
人それぞれの歩みの早さと云うものもあります。
早ければ良いと云うものでもありません。
私も護身法だけで10年かけました。
それだけかけたから、皆さんに教えるだけの中身が出来たと思います。
パッパッと習って、パッパッと進むと、形だけになって仕舞います。
じっくり時間をかけて、本物を作り上げて欲しいですね。
護身法は身を護る法と書いて、事実目に見えないものから身を護ります。
が、それだけではありません。
自分の内面を開放し、内在する潜在能力を目覚めさせて行き、それによって自身の持つオーラを高めます。
ですから、色々な事が自然と思う通りに動く様になって行きます。
引き寄せの法則と云うのは、強い意志の力で望む事を引き寄せるテクニックではなく、望んだ時には既に引き寄せが働いていると云うのが本当です。
私も若い頃、秘伝書などを沢山引き寄せました。
読みたいなと思っていると、何気なく立ち寄った本屋にその本があって、普通では手に入らない筈のものが目の前にやって来ると云う感じです。
必要な時に必要なものがやって来る。

不要なものは、それが何であれ、自然と切れて離れて行く、そんな感じです。
また、運気の底上げと云いますが、誰でも運にリズムがあり、上がったり下ったりするものです。
が、運が下って最低になった時の運のレベルがマイナスにならなければ、そんなに悪い運とも云えないですね。
普通、マイナスまで下る運を底上げして、少なくともゼロレベル迄上げておけば、運気の上がり下がりを恐れる必要がなくなります。
護身法は、基本中の基本ですが、自己の開放から始まり、持てる潜在能力を開放して行きます。

 その後の仏画の塗絵、凄く楽しかったです。
それぞれの個性や心理状態が出て、また自然と集中する事で、色々な被りも消えて行き、心の中の懊悩もかなり解消された様です。
中には集中し過ぎて、肩や首がバリバリになって仕舞った人もいますが(笑)

その後に気療を行なったので、体調不良の方も楽になった様です。
また、内弟子が個人面談やタロットもやったので、目の前の問題の解決策も見えて楽になった様です。

いつもの事ですが、正午から始まり、終了したのは12時を過ぎていました。
その前から内弟子が集まったり、人が来始めますので、私は都合13時間位、座っていた様に思います。
途中、身体解しに動いて、出来るだけ一人一人とお話しする様にしていますが、昨日は空手の指導も特別に入ったので、逆に身体を動かせて良かったです。

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神秘の捉え方

2015 - 01/25 [Sun] - 02:05

古来、科学と神秘は常に敵対して来ました。
互いに否定し合い、一方が真実であると。
然し、神も仏も云います。
科学は、事実と検証と再現性によってのみ、その論理を語ります。
神秘は、事実と人間の意識と心によって、その論理を語ります。
科学が否定しても、現実に存在する事実もあります。
神秘においても否定される現実もあります。
目に見えない世界は非常に危険です。
故に徒に神秘の世界に触れるべきではありません。
経験と知識、しっかりとした心の芯がなければ、自己の破壊へと繋がります。
科学も神秘も万能ではありません。
一方のみを盲信する事は、狂信と変わりません。
科学も神秘も、現段階では過去の事実の解明と証拠から積み上げられたものでしかなく、多くはその論理の延長線上にある仮説でしかありません。
然しながら、科学者でもないのに、科学しか信じないと云う人が多いのには驚きます。
神秘を知らないのに、神秘を盲信するのと何ら変わりません。
過去の人の理論や教えられたものを鵜呑みにして信じているとしか思えないですね。
現実は理論では割り切れない事も、解明出来ない事も沢山あります。
非現実的な理論を振り翳して、他方を否定する事は、自身の無知さをさらけ出しているだけです。
然し、不思議、不可思議は魅力的です。
未だ解らぬ事があり、そのグレーゾーンがあるから世の中は楽しい。
全て解って仕舞ったら、つまらなくなるでしょうね。

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時には自然や聖地に身を置いて

2015 - 01/24 [Sat] - 03:40

 現代は、人が道具に依存して生きていて、道具によって守られて生きています。
道具が発展して便利になればなる程、大昔何もなかった時代や野生の動物の様に身を守る為に五感を鋭くしておく必要がなくなり、感覚が鈍って来ます。
が、修行をしたり、武道等を長くやっていると、その五感が段々と甦り、その五感から伝わって来る情報に具体性が生まれて来たりします。

 時折、山や自然に囲まれた場所に出かけて過して来た後、戻って来ると都会や人間の持つ匂いや音が酷く辛く感じる事があります。
そう云う場所に出かけた時、本能として感覚が鋭敏に研ぎ澄まされて行くのかもしれないですね。
五感が鋭敏な人に取って、強い刺激は時に暴力的にさえ感じます。

郊外の中にもそう云うものがある様で、耳にも聞こえない程度の音や振動がずっと続く事で、肉体や精神に影響を与えて仕舞って、体調不良になると云う話もあります。
低周波公害や騒音公害等は、正に現代が生み出している公害と云えますね。
多分、嫌煙家に取っての煙草の香りと云うのも、そう云う事なのでしょうね。

五感への刺激が人を癒す事もあれば、害する事もある。
そのレベルは、その人それぞれ。
心地良さのレベルもそれぞれ違います。
感覚の鋭い能力者に取っては、現代、特に都会は大変に厳しい環境であると云えるかもしれないですね。
時には、フラットな状態に戻す為に、自然の中に身を置いたり、聖地と呼ばれる場所に身を置くのも必要な事なのだろうなと思います。

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真の修行

2015 - 01/23 [Fri] - 02:47

 修行と云えば、瀧行とか護摩行とか、断食とか、山籠もりとか、どうしても激しいものを想像し勝ちなものです。
が、御釈迦様が荒行で散々身体を痛めつけても悟りが得られず、最後に菩提樹の下で瞑想して悟りを得られたと云う事からも解りますが、どれだけ身体を痛めつけて、激しい修行をしたからと云って悟りを得られるものではありません。
荒行は、一見劇的で華やか(と云う言い方が正しいかどうか解りませんが)で、インパクトは凄くあります。
然し、そんなインパクトのある行も繰り返し続けて行くと、段々と飽きて来て、インパクトは薄れて行きます。
空手の正拳1000本突きと同じで、飽き飽きして来ます。
ですが、そこが大切で、そこからが本当の修行と云えるかもしれません。
奥駆けにしても、毎年毎年、何年も何十年も御山に登り続けて行くと、最初の頃の感激も薄れて行きます。
そこから唯の山登りになるか、本当の修行になるかの分れ目が来ます。

 飽きる程の繰り返し、そんな中でそれでもやり続けていると、自ずから意識も目線も自分自身の内面へと向かいます。
何でこんな事をやっているのだろうと思って仕舞う事もあります。
それでも、飽き飽きしながらでもやり続ける。
その過程で、自分自身の内面の、自分自身が気づかぬ自分の心や隠されて姿が見えて来ます。

 人と云うのは、肉体の意識、頭脳、心、そして魂とそれぞれが独立して動いていますから、目指すべきは三位一体ではなく、四位一体です。
この世に生まれて育って行く中での経験、環境や与えられて来た教育、属する社会からの刷り込み等々が肉体と頭脳に染み込み、価値観を作り上げて行きます。
そこを原点として心が働き始めます。
また、全くこの世の価値観とは別に魂は存在していて、影響を与えようとしています。
全く原因も意味も解らない感情や意識の発動、拒否感等は、魂からのメッセージである場合もあります。
そう云うものを見詰めて行き、融合させて行く中で、統一が生まれて来ます。

 真の意味で悟りと云うものが何であるかは解りません。
が、自己の完全な統一の先にある事は確かでしょう。
その為には、飽き飽きする程の繰り返しを続けて行く事が、次に繋がる修行だと思います。
インパクトのみを求める修行は、子供の遊びでしかありません。

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弱点克服して

2015 - 01/21 [Wed] - 03:40

今日、道場で茶帯の授与式がありました。
前回の審査から1年以上経ち、かなり間が開きましたが、その間しっかり頑張って練習し、時に特訓し、弱点を克服して昇級して茶帯になった男性ですが、仕事の関係や家族の事などで忙しい中、諦めずに時間をかけて自分の弱点を克服して行く姿は、いつも黒帯達からそれこそボコボコにされながら耐え抜き、到頭辿り着きました。
諦めず、真摯に空手と向き合い、頑張り続けた事が、昇級した帯以上に彼にとっては大きな財産だと思います。
まだまだ、更に上に行く為には越えなければいけない山がありますし、空手も進化しなければならないと思いますが、正しい練習を、絶え間なく続けていれば、必ず辿り着きます。
いつかは、もっと上の黒い帯を締める時が来るだろうと思います。

練習には厳しい事も辛い事も沢山あります。
飽きて仕舞ったり、諦めたり、逃げ出したり、色々な理由で練習を止めて仕舞ったら、そこで止まるのではなく、それまで積み上げたものが段々と薄れて行き、退化して仕舞います。
良く云いますが、一日サボると、元に戻るのに3日かかると云われますが、心も身体も怠けるのも甘えるのも大好きですから、登る時は時間がかかるのに、落ちる時はアッと云う間に転げ落ちます。
登るスピードは人それぞれの早さがありますが、前へ向かい、上に向かって進み続ける事が大切で、その道筋の中で学んだり、得難い財産と出会って行きます。

 今日の彼にも、これからも更に上を目指して進んで欲しいなと思います。

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あっちでもこっちでも、受験の時期ですね

2015 - 01/20 [Tue] - 03:40

 今は世の中、受験シーズン真っ盛りと云う所でしょうか。
中学、高校、大学と、入学試験があちこちで行なわれている様です。
先日はセンター試験もありましたね。
毎年、センター試験の時は雪が降ると云うジンクスがありましたが、東京は今年は降らなかったですね。
この時期、大学では年度末試験が重なったりする事もあります。
学生に取っては、嫌な季節ですね。
この年齢になっても、時々その頃のストレスを思い出したりする事があります。
目から鼻へ抜ける様な頭脳明晰ではないので、いつも苦労していた様に記憶しています。
単純暗期、丸覚えが出来る人が羨ましいと思えていました。
繰り返し勉強し、しっかり理解しないと駄目なタイプで、後年になって解りましたが、記憶のシステムが違う様です。
覚えた事が、そのまま深いレベルに入って仕舞って、短期で読み出さなければいけない記憶の領域に残らない様です。
何十年も経った今頃になって、その時に覚えた事が甦り、役に立つと云う事が良くあります。
なので、勉強は時間を幾らかけても駄目。
効率が悪いばかりでした。
勉強の仕方、自分に合ったやり方を見つけ出す事が出来たのは、修行に入ってからかもしれません。
一つの事に興味を持つ事で、そこから広がって行く、そんな感じでしょうか。
一つの道筋から、段々と広がりを持って行って理解し記憶して行くと云う感じですね。
単純に丸覚えするよりも時間はかかりますが、記憶が明確になって長く残ります。

世の中で云う頭が良いと云うのは、学校の成績が良いと云う事とイコールな場合もありますね。
が、本当に頭の良い人が学校の成績が良いとは限らない。
でも、頭の悪い人は、学校の成績も悪いですね。
逆がまた真なりとは云えない所が、面白いと云えますね。

何れにしろ、越えなければならない関門は、越えるしかないので、受験生や学生の皆さんには頑張って欲しいですね。


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慎重に扱いたい宗教観

2015 - 01/19 [Mon] - 03:13

 妻が翻訳している中で、キリスト教的な考え方が基本となっていたり、ユダヤやイスラム等の考え方があったり、著者の考え方が日本人である妻には時として理解不能だったり、混乱を招く事がある様で、そんな時にヘルプの要求が来ます。
私も全ての宗教に精通している訳ではないので、何でも答えられると云う訳にはいきませんが、自分が理解している範囲で答えています。
背景となる宗教観、フランスでの風刺画をめぐるテロ事件でも話題となっていますが、人間の生き方の根幹となっている思想ですから、軽々しくは考えられません。
色々な宗教観がありますが、仏教の様に全てを哲学して理解して行くものと、キリスト教を代表する西洋的な、人間の生き方を主題として、生き方を規制し、或いは肯定して行く考え方と、大きく分類すると二種類あるかと思います。
どちらが上とか下とか、正しいとか間違いとかではなく、そう云う根本理念を心の芯として生きて行く、それが様々な芸術や分化として存在していると云えるかもしれないですね。
所変われば全て変わります。
違う価値観や理念を持つものから、もう一方を見ると理解不能だったり、混乱したりする事は良くあります。
何れにしろ、宗教理念と云うのは、本来人が幸せに生きる為にあります。
頼ると云う事ではなく、その理念の許で正しく幸せに生きる為の哲学であったり、戒律であったり、具体的な方法論であったりします。
宗教理念と云うのは、それを信じる人に取っては大切なものであり、時にはその人の誇りとなっています。
そこにアプローチする時は、気をつけたいですね。


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御縁日と、祈願文の書き方

2015 - 01/18 [Sun] - 01:44

 今日は観音様の御縁日。
奉経後、祈りの仕方、祈願の書き方等についての話になりました。
特定な、極限定された祈願、例えばお金とか、そう云う祈願は贖いを必要とされる事もあり、危険も伴うと云う事があります。
なので、一般的に特別な願い事がない時は心願成就と云うのが一番無難であると云う事で、祈願では良く心願成就の祈願文で祈願用紙があがります。
ですが、もう少し具体性を持たせたいなと思う時、具体的に過ぎない程度の曖昧さを残した願い事の書き方と云うのは難しいものです。
金運招来であれば、仕事を通じたり、人の縁を通じて金運と云う流れがやって来ます。
が、お金が欲しいとなると、具体的に過ぎて、そこに贖いが生じて仕舞う事もあります。
お金がやって来ても、身内の生命保険では困って仕舞いますね。
祈願文、願い事は、神仏との対話ですから、目上の人と話すのと同じ感覚で、簡単明瞭で直接的な表現に成り過ぎず、下品にならない事を注意して、言葉の解釈は色々に出来ると云う含みを持たせておくのが良いと思います。
良縁招来と云う言葉は、別に恋愛だけに限らず、人との御縁、神仏との御縁、物との御縁、全て含んで良い御縁が将来される様にと云う意味合いで使う事が出来ますね。

昔から、因縁解脱と云う言葉がありますが、原因があって、そこに色々な縁が出来て、そして結果が出る、結果が出たのが現在ですから、そこから解脱する等と云う事はあり得ません。
言葉としてはOKですが、因縁と云う言葉だけが独り歩きして仕舞っていて、本来の仏教で使われる因縁果とはかけ離れて仕舞っています。
因縁は、浄化して行けば良いのであって、解脱はあり得ない。
方向性を変えてやれば、良い結果に繋がって行くでしょう。
曾ての色々なスピリチュアル系の方々の造語が独り歩きしているのに振り回されないで、本当に神仏に願いたい事は何か、しっかり考えて祈願文を書きたいものです。

時に、祈願文に長々と文章を書かれる方もおられますが、祈願の最中にそんな文章は読んでいられません。
そんな暇はありません。
四文字熟語にして祈願文を、と云うのは常識です。
そんな文章で来たものは、こちらで適当に四文字熟語に変換していますが、自分の願い事を簡単明瞭な言葉で書ける様に意識して欲しいですね。


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気療の始まりと、痛みの軽減

2015 - 01/17 [Sat] - 04:02

 体調が悪かったり、どこか痛んだりすると、それだけで大きく消耗します。
この仕事を始めた当初、末期の癌の方からの御相談が多く、主に癌から来る痛みの軽減をお手伝いさせて戴いて事がありました。
痛みが軽くなったり、消えたりする事で消耗が少なくなったのか、余命数カ月と云う方が数年延命されたと云う事もあります。
癌と云うのは、コントロールが利かなくなって増殖し続ける細胞ですから、周囲の細胞を壊して行きます。
そこから来る痛みは強烈で、酷い時は声も出せない状態になります。
私の父が癌で亡くなっており、発覚した時には既に末期でした。
かなり痛んだ筈ですし、苦しかった様ですが、一言も弱音を吐かなかったのを覚えています。
亡くなる直前、離れて一人暮らししていた私の所に来て、最後を迎えましたが、私の所に来てからの数日間、毎日私が行なっていた勤行をしている最中は、父はぐっすりと眠っていました。
痛みや苦しみが消えていた様です。
そんな所から、私の気療は生まれて来ました。

今日も、妻が歯医者での治療を終えて帰って来た後、歯根の痛みが酷くなり、気療を行ないました。
完全とは云えないまでも軽くなった様で、食事もどうにか摂れましたので良かったですが。
私も頭痛や腹痛は友と云える位、昔から良くあり、慣れて仕舞っています。
気にしていたらキリがないので、痛みや苦しみを逃す方法を覚えて仕舞った様です。
空手でも打撃を食らって痛む事はありますが、そう云う場合も痛みを逃して仕舞う事で、身体の硬直も消えて動く事が出来ます。

 痛みは身体のサインですから、ただ止めれば良いと云うものではありません。
何故痛むのか、原因を特定する必要もあり、医療を通じて適切な治療が必要な場合もあります。
が、痛みを我慢し続けるのは、消耗して仕舞うだけなので、早く楽になる様に軽減して行きたいですね。
気療は万能ではありませんから、誰にでも効果的とは云えないですが、効果のある方には劇的に結果が出る事もあります。
痛みや苦しみがある時は頑張り過ぎないで、その原因を見つけて、同時に痛みを軽くする方法を見つけて行きたいですね。

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内弟子達の真摯な修行姿勢

2015 - 01/16 [Fri] - 02:40

 今日は神様の御縁日でした。
昨日の伝授に続き、朝までいたのにお参りにやって来る内弟子達、その真摯な姿勢には喜びと同時に驚きさえ感じる時もありますね。
祈りは真剣。
祈りに向かう気持ちも純粋で迷いなし。
しかし、固くならず、肩の力を抜いて自分らしくいつもリラックスした状態で。
修行者として理想的な姿です。
修行していると云えば、どうしても頑なだったり、堅いイメージがありますが、本当に修行している人と云うのは、心に余裕もあり、穏やかでリラックスした雰囲気を持っています。
これだけの修行をしたと偉そうにしている訳でもなく、と云って修行がまだ足りないと卑下する訳でもなく、あるが侭、自分の姿を素直に認めて素直に生きて行く。
如何にも修行していますと云う姿が顔や態度に見える人は、まだ未熟、本物の修行者になれていないと云う事だろうと思いますね。
弟子達もブログに書いていますが、内弟子の一人が所有する狩衣を借りて、試着会が昨日の伝授では行われました。
中でも二人の男性の内弟子達の似合う事(爆笑)
神道顔と云うものがありますが、着させてみると正にその顔が浮き上がりました。
身体から出るオーラまで変化して来ますから不思議なものです。
形から入る事もあると云いますが、装束と云うのは不思議な効果があるものですね。
道場で胴衣を着たり、祭壇で祈る為に法衣を着ると、その瞬間から気合いが入ると云うのも、そう云う事なのでしょうね。
いつも穏やかで腰の低い、尊敬する空手の師範が、胴衣を着ると途端に妖気が漂う様な迫力を感じるのも、同じ事でしょうね。


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互いに切磋琢磨して行ける相手がいる事は、幸せであり、感謝です

2015 - 01/14 [Wed] - 02:51

 今日は、太陽が出ている間は熱い位でしたが、日が陰ると途端に気温が下り寒くなって仕舞いました。
そんな中、昼間に面接をさせて戴き、その後、道場へ行って来ました。
本日お出でになった方は前回行なった気療の、その後の報告も兼ねてメンテナンスに来られました。
3年苦しんだ腹痛が、一度の気療で、その後は痛みが出ない日々が続いたそうです。
然し、少し痛みが戻ったと云う事で、改めて気療させて戴きました。
痛みは、それだけで体力も気力も消耗させて仕舞います。
今日お出でになった方の顔の血色を見て、気療させて戴いて良かったなと思いました。
原因が被りだったので、余計に劇的に改善されたのかもしれないですが、楽になって戴けたらそれだけで私も嬉しいですね。

 道場は相変わらずの帯研状態ですが、そんな中、妻も頑張っていました。
気心の知れた仲間達と練習していますが、時折スイッチが入って仕舞う事もあり、今日もそんな日でした。
お互いにスイッチが入って仕舞い、楽しさと危機感を感じながら、汗だくになってスパーリングをやりました。
この緊張感が堪らないですね。
面白かったです。
互いに空手を通じて身体で会話し、互いに高め合って行き、人としての完成を目指して行くのが空手だと思っていますから、互いに切磋琢磨して行ける相手がいる事はとても幸せです。
時には、ちょっと痛い会話だったりしますが、緊張感の中に流れる心の交流は、とても楽しく、爽快感があります。
いつまで動けるか解りませんが、生涯現役を目指して、無理し過ぎない程度に頑張って行きたいですね。
いつも一緒に練習してくれる人達にも感謝です。

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大人って何でしょうね

2015 - 01/13 [Tue] - 02:32

 今日は成人式だったのですね。
昔、成人式は15日だったので、未だに日にちが変更された事になれておらず、違和感を感じて仕舞います。
私は成人式には出ていません。
きっと偉い人達が出て来て、偉そうなお話を延々と話すのでしょうね。
聞いている若者達には退屈でしかないと思いますが。
どうして大人と云うのは、若者達に訓話をしたがるのでしょうね。
良い大人になれなんて、自分達だって良い大人かどうか、胸を張って言える人がどれだけいるやら。
昔の武士の元服式を由来とするなら、もっと儀式的な事をやれば良いと思いますが。
元服式では、武士としての弁えと作法を教えたと云われますね。
一人前として社会に出る為の心得と作法、具体性があったと思います。
その中には切腹の作法も含まれていたとか、習う側の若者も真剣にならざるを得ないものだったでしょうね。
偉そうな訓話を幾ら聞かされても、退屈なだけで実感など湧いて来ないでしょう。

若かりし頃、今の年齢、40代や50代の大人は、それはそれは出来上がった大人と感じました。
が、自分がその年齢になってみて思うのは、全く大人になんかなってない、何も変わっていないという事です。
私が子供の部分を残して仕舞っているのかもしれません。
もっと本当の大人になっている人もいると思いますが、色々な方の御相談で多くの人にお会いしていると、それもどうなのかなと思ったりもします。
そもそも、大人って何でしょうね。
社会で人と上手く合わせられるって事でしょうか。
或いは、恥をかかない様に上手く誤魔化せる、装えるって事でしょうか。
今時の若者はと云う言葉は、私達も若い頃に言われて来た事ですが、大人である事はそんなに偉い事なのかと思う時も良くありますね。
若者の方が真剣に人生を生きていると感じる時もあります。
分らないからこそ、無謀でも無茶でも真剣に人生に立ち向かっていると云えるかもしれません。
何れにしろ、今日成人式を迎えた若者達には、自分らしい後悔しない生き方が出来る様になって欲しいと思います。
自分の人生は誰のものでもなく、自分のものですから、自分の意思で切り開き、自分を誤魔化す事なく生きて行ける力を身に付けて欲しいですね。

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自分の中にある仏を呼び覚ます

2015 - 01/12 [Mon] - 01:59

 今日は遠くからお出でになった方に護身法の指導を致しました。
かなり上達されていて、良い感じですが、観想から仏の姿が浮かんで来ません。
自分の外側に仏様を想定されていた様です。
護身法で目指すべきは即身成仏、この身このまま仏となる事です。
仏教には、「一切衆生悉有仏性」と云う言葉があります。
生きとし生けるもの、全てに仏性があり、仏陀となり得ると云う意味です。
意志がないとされている草木や石にさえ仏性はあるとされます。
護身法を通じて、自分の中に眠る仏性、仏の心を呼び覚まして行く事で、この身このままの仏を目指して行きます。
思う観想も心の内に向い、詠む真言も心の内に向けて行きます。
空手でも、気合いを入れますが、大きな声を出すのは良いのですが、外に向けて声を張り上げて行くと、呼吸法等で練り上げた気が外へ逃げて仕舞います。
気合いも、自分の中へ飲み込む様に出して行くと、体内の気の流れが変化して広がって行きます。
意識も、気合いも、自分の内面に向けて、内面を充実させて行き、高めて生けたら良いですね。


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炎は維持したいですね

2015 - 01/11 [Sun] - 04:03

 長く生きていると、段々、心の中の炎が鎮まって行くのを感じ、炎が消えて仕舞ったのではないかと思う時もあります。
が、何かでスイッチが入ると、その瞬間に炎が戻り、全身に広がります。

最近、限界年齢を越えた年齢でプロスポーツで頑張っている人の話題が時々ありますが、肉体的体力的な限界はあっても、努力と智恵でプロとしてのパフォーマンスを維持している事は素晴らしいですね。
自分で出来ると思っていても、他の人が評価しなければプロとして認めて貰えません。
それだけのパフォーマンスを維持し続けると云う事は、強い思いと炎が燃え続けていると云う事でしょうね。

 環境や年齢、他にも色々な要素はあると思いますが、心の中の情熱、炎は例え小さくなっても消さないでずっと燃えさせておきたいですね。
燃え過ぎると、燃え尽きて仕舞います。
小さな熾火の様に、ずっと燃え続けさせて、いざと云う時に炎を大きく上げる事が出来たら最高です。
その為には、いつも心の中に大切にしているものを持ち続けて、夢を持ち続ける事、好奇心を持ち続ける事、そして最低限以上の体力を維持する事でしょうか。
無理は続きません。
低いレベルでも、ずっと続けて維持して行く事が大切かもしれないですね。
やる時はやる。
それで良いと思います。
これだけは譲れない、捨てないと云う楽しい事を、ずっと心の中に持ち続けて行きましょう。


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夢の影響

2015 - 01/10 [Sat] - 02:30

 今日、妻と話していて、夢は現実じゃないからと云う話になりました。
そう云う話を現在翻訳していて、彼女の意見ではないのですが、能力者に取っては夢の中の世界も現実であり、三次元ではないと云うだけの事です。
頭と心と魂が分離している人にとっては、夢は非現実の世界かもしれません。
が、その統一が進んでいる、或いは元々近しい人に取っては、夢も現実同様の世界であり、その経験は三次元世界での体験と変わらない感覚で捉えられ、残ります。
心の中で起きている世界を夢想と捉えるのか、現実として捉えるのか、難しい所ですが、一言で夢想だと切り捨てて仕舞っては、解決出来ない問題もあります。
勿論、単なる夢想でしかない場合も多いのですが。

朝、良く妻がこんな夢を観たと話します。
その殆どは三次元世界での体験から来る記憶の積み上げだったりデフォルメだったりのものです。
が、時折、明らかに三次元世界での記憶とは別のもの、前世の記憶だったり、どこからかやって来ている意識から伝わって来ているものだったりする事があります。

何れにしろ、夢見は大切ですね。
寝入りばなと寝起き寸前の数分間しか夢は観ていないと云われますが、完全に熟睡している状態で、誰かと闘っているとか、印を組んだり九字を切ったりしていると、私は妻や母に何度も云われます。
起きると全く覚えていない事も多いのですが、それが夢なのか、それ以外のものなのか何でしょうね。

夢見が良いと、朝爽やかな気分で起きる事が出来ますが、夢見が悪いと何となく朝から不機嫌だったりして仕舞うので、出来れば良い夢を観たいですね。

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会得したい仏の境地

2015 - 01/09 [Fri] - 04:08

 本日は本年最初の御釈迦様の御縁日でした。
初釈迦と云いますが、今年初めてだからと云って特別な事はなく、いつも通り心を込めて奉経しました。
いつも同じ様に、いつも揺れる事なく、いつも静かな心で、迷いなく祈りたいものです。
生き方に於ても、同じ様にいつも平静を保ち、迷いなく、自分の心に素直に、ブレないで生きて行きたいですね。
その為には、出過ぎず、下り過ぎず、淡々と前へ向かって行く事だと思います。
人は一人では生きていませんし、生きて行けませんから、どうしても人との関わりの中で生きています。
人との関わりの中で、自分の立ち位置は大切ですが、それを重視し過ぎて仕舞うと、焦りとなり、余計な言動をして仕舞ったり、下り過ぎたりして仕舞います。
今、自分が為すべき事は何か、今どうあるべきか、心を平静にして、自分の在り様を考えて行けば、丁度良い中庸を保つ事が出来ます。
武道の理想、空手の理想は、勝つ事ではなく、負けない事と先人の達人が仰られています。
人生でも同じ。
勝つと云う事は時に敵を作る事に繋がり、負けると云う事は追いやられて居場所を失う事に繋がります。
大切なのは、自分が自分らしく生きて、それを保持して行く事です。
従って、勝たない、負けない。
何事も焦りと感情は、暴走に繋がる事があります。
平静を保ち、ブレず、迷わず、中庸を保持していたいですね。
仏の境地とは無闇に穏やかになる事ではなく、その静けさと内面に秘された強さです。
祈りを通じて、会得して行きたいですね。

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初稽古で被りを落としてスッキリ

2015 - 01/07 [Wed] - 03:46

 今年初めての初稽古に行って来ました。
バタバタと忙しくしている様でも、あまり身体は動かしていませんし、大晦日から元旦と3日の祈願でかなり被っていた様で、基本稽古が終わる頃には、胴衣の下履きが緩くなって仕舞って、休憩の時に締め直しました。
少し浮腫んでいたのでしょうか。
と隣を見ると、黒帯のI君が同じ事をしていました(笑)
練習前にしっかり締めた筈なのに、基本稽古だけでユルユルになって仕舞うなんて、どんだけ浮腫んでいたんだと云う感じですが。
練習が終わると、やはりスッキリ感は格別ですね。
疲労感がない訳ではありませんが、道場へ向かう時は何となく調子の悪さを感じていたのが、帰りはスッキリでした。
今年は、50代最後の年です。
誕生日が来たら、50代ではなくなって仕舞います。
どれだけ動けるか、どれだけ続けられるか、今年もしっかり頑張ります。

 明日は、今年最初の伝授。
内弟子達が集まって来ます。
正月の祈願では、内弟子達が凄く良く頑張ってくれました。
30周年のパーティの準備も頑張ってくれています。
修行の方でも頑張って成長して欲しいと思っています。


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今年も始動しました

2015 - 01/06 [Tue] - 02:44

 本日から、一般社会では仕事始めの所も多いのでしょうね。
私も始動しました。
通信相談も戴いていますし、面接の御予約も戴いています。
今日は、まず懸案だったHPの英語ページの修整と若干の変更を行ないました。
海外からの御相談も時折ありますし、妻に英語のチェックを再度して貰って行ないました。
今年もゆっくりする事は出来そうもないですね。
仕事も自分の一部として捉えていますから、プライベートと切り替えると云うよりも、仕事が日常の様な感覚を持っていますから、仕事させて戴くのは大変有難い事で、忙しいのは歓迎ですが。

正月の行事の後、色々な話をしましたが、その中でテーマの様に何度か出て来たワードがあります。
恐怖は心の中にしかない、外に恐怖はない、と云う事。
受験でも合格するかどうか不安で仕方ないと云う気持ちは良く解ります。
私も経験しましたし、大変なストレスです。
が、恐怖心を感じるのは、自分の心であって、目の前に恐怖が存在している訳ではありません。
恐怖心を作り上げているのも自分自身の心です。
苦手意識にしろ、恐怖心にしろ、不安にしろ、自分の心の中で作り上げた、いわば妄想の様なものです。
その思いを打ち消すのも、また自分自身の心。
ネガティブ癖のある人は、自分で妄想を作り上げて、どんどん不安や恐怖心の渦に入り込んで行きます。
妄想ではなく、現実をしっかり見詰めて、触れて、ちゃんと認識しましょう。
案ずるより産むが易しと云う事もあります。
必死になって通り過ぎたら、何だこんなものだったかとガックリする事もあります。
無用な恐れを自分で作り上げない様にしましょう。
また、結果や出来る事に自信の根拠を持たない様にしましょう。
どんな結果を出しても、出来る事を増やしても、上には上があり、下には下があります。
次の瞬間には、その自信は簡単に打ち砕かれて仕舞います。
結果や出来る事ではなく、そこに向かってかけて来た努力や時間、自分の思いに自信の根拠を持てば、揺らぐ事はありません。
結果が出ようと、出まいと、そこにかけて来た強い思いと、努力は誰にも負けないと云う事、賛否どちらにしても誰からも口を挟まれる必要もありません。
本当の自信と云うのは、時間と共に自然に出来上がって行きます。
余計な不安妄想を作り上げず、やれる事を精一杯やりましょう。

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心の声を聞いて自己矛盾を解消したいですね

2015 - 01/05 [Mon] - 02:02

 自己矛盾と云うのは、誰でも抱えているもので、自分では自覚していなくても、周囲の人からは透け透けに見えているものです。
自分では、意識統一しているつもり、こう思っているつもり、思った様に行動しているつもり、しかし実際には心の奥で腑に落ちていないとか納得出来ていない、なので無意識に表情にそれが出て仕舞ったり、態度で拒否感を表していたりする。
全く無意識の事なので、自分で自覚出来ていないのだが、周囲の人には違和感として写ります。
人の心と云うのは、案外敏感なもので、そう云う言動不一致や内面の矛盾を感じ取って仕舞って違和感として感じ取ります。
こうあらねばならない、こうあるべきだ、自分を論理理屈で縛って行く時、自分に無理矢理そう思い込ませようとすると、そう云う自己矛盾が起きて来たりします。
人と上手くやろう、争いを避けよう、批判されたくない、そう云う気持ちが過剰になる時、そう云う自己矛盾が起きる事もありますね。
自分の心を騙して、自己矛盾から目を背けていても、自己認識出来ていなくても、心の違和感や隙間風は消えませんから、何の理由もなく寂しさを感じたり、孤独感を感じたり、表面上は何事も起きていない様に見えても、違和感は必ずあると思います。
理由もなく、そう云う虚無感等を感じる時は、じっくり自分と向き合って本当の心の声を聞いてみるのも良いかもしれないですね。

とは云え、真の自己統一は永遠の過大で、修行はそこから始まります。
弟子達に良く云うのですが、表情は変えても良いが、人間は変わってはいけない、その人は一人で良いのであって、色々な人格を作ってはいけない。
良く仕事の顔とプライベートの顔と云いますが、顔だけなら良いですが、心まで変えて仕舞うと、時間と共に自己矛盾が起きて来て仕舞います。

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買物をして来ました

2015 - 01/03 [Sat] - 01:46

 寒い御正月ですが、毎年正月3日の御参りの日に御参り戴いた人にお出ししている物を買いに出かけました。
人ごみは苦手で、最近は買物も殆どネットなのですが、思いの他、スムーズに買物が出来て良かったです。
日が陰り始めると途端に気温が下りますが、今日はその前に帰って来る事が出来て、他にも必要な物を少々買って帰って来ました。
それ以外に欲しい物が出て来ていますが、ネットで注文したので、今日はビッグカメラにも寄らずに帰って来ました。
何でもネットで帰る時代になって便利になりましたが、お陰で完全に引き籠り気味の生活になって仕舞いました。
道場へ行く時と、何か特別に用事がある時は、出かけますが、それ以外は余り外に出ません。
若い頃は放浪癖があり、夜中のドライブも良くしましたし、意味もなく外へ出かけていた様に思いますが。
今年は少し外へ出なければと思っています。
何かの目的ではなく、何となく外へ出て、色々なものに触れる事も大切な事です。
視野も広がりますし、意識も広がります。
今年は、パーティーもあり、他にも参拝旅行なども考えていますし、また他の目的ですが旅もまた考えています。
年齢も洒落にならない年齢になって来ていますし、固まって本当に老人になって仕舞わない様に、色々な刺激を受けたいと思っています。

 取り敢えず、明日は正月三日のお参り。
元旦同様、全開全力でやりたいと思います。

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明けまして御目出度う御座居ます。本年も宜しくお願いします

2015 - 01/02 [Fri] - 01:43

 明けまして御目出度う御座居ます。
大晦日の越年大祓祈願会を無事に終え、2015年を迎えました。
元旦は、朝5時過ぎ迄、人がいて楽しい新年となりました。
祈願の折に、皆様から戴いた祈願用紙を読み上げ、神様に受け取って戴きます。
毎年、数枚は受け取って戴けないで弾かれる祈願用紙がありますが、今年はそう云う事もなく全てしっかり受け取って戴きました。
ですが、神様が祈願を受け取ったからと云って、祈願が通るとは限りません。
神様がそれぞれを良く見られ、判断されて決められます。
祈願を通すには、それなりの贖いが必要な時もありますし、越えなければならない試練が待っている事もあります。
その願いに相応しい人間になっているかどうか、神様は良く試されます。
ですから、気を抜かないで、真に願いを叶える為に努力精進して下さい。

今年は、私にとっても重要な年になります。
仕事を始めて丁度30年、そして私も年男です。
母も今年で米寿になります。
7月には30周年の祝いの会を弟子達が開いてくれると云う事で、皆、色々と計画してくれている様です。
御招待致しますので、御付き合いのある方々は、どうぞ予定を開けておいて下さい。
宜しくお願い致します。

今年最初の祈願は、全開全力でしたので、感覚の鋭い人達に取っては厳しく激しいものだった様です。
今年も昨年以上に勢い良く突っ走るつもりでいるので、宜しくお願い致します。

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プロフィール

島津 成晃

Author:島津 成晃
Adept・Mentor 島津相談室主宰
人生のあらゆる問題の相談に乗って来ました。
元気になって希望を持って帰って戴く事が私の願いです。
スピリチュアルな目と、冷静な分析で御相談に乗ります。
御相談はHPの方からお願いします


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