感じたり思った事を書いて行きます。 時には秘伝などを書く事も。 空手や色々な趣味の話も。

  Adept・Mentor 島津成晃の独り言のナビゲーター   トップページ > 2014年11月  

禊か?何だか色々とありました

2014 - 11/30 [Sun] - 05:22

 今日は朝から腸の調子が余り良くなく、しかし用事があって愛車で駒沢まで行きました。
雨が降っていましたが、快適に走っていたら、突然にワイパーが故障、なので駒沢の用事が済んで帰る時にヤナセに入院させて歩いて帰って来ました。
その後、家に戻って色々とやっていましたが、深夜になって姉から電話。
何事かと思ったら、東京にいる姪っ子が怪我をしたと云う事で、急遽病院へタクシーで出かけました。
今日が誕生日だと云うのに、怪我をするとは何と云う子でしょうね(苦笑)
医師から話を聞き、大きな問題はなさそうだと云う事で、同じく東京にいる彼女の兄、私の甥が同席したので、今後の手順を話して彼に任せる事にして帰って来ました。
月末の日に、色々あって少々疲れました。
何だか禊を受けている様な気分です。
余りにもタイミングが色々と合い過ぎていて、私が云うのも変ですが、不思議です。
ま、こんな事もあるかと思いますが、また明日になれば12月1日、新い月が始まります。
気持ちを切り替えて、すっきりと頑張りましょう。

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御縁日に不動明王に祈りました

2014 - 11/29 [Sat] - 03:27

 今日は不動明王の御縁日でした。
私の所には、3体の不動明王が祀ってあります。
一体は、五大力尊の中心として、一体は座像ですが、これが一番大きな物で総丈30cm程あります。
もう一体は立像です。
不動明王は、大日如来の化身と云われ、煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救う為に忿怒の姿をしていると云われます。
積極的に、時に苛烈に、外道の道に進み、仏道を邪魔する者を断罪します。
その為に、右手に剣を持ち、左手に悪鬼外道を縛り上げる羂索を持っています。
が、その断罪はそれで終わらず、その後に必ず救済があります。
魂の救済の為に、その邪気を祓う為に断罪する。
暫く、呪法や呪詛の話題が続きましたが、我々が生きている世界に於て、呪法や呪詛は敵対する者に対する断罪は行なっても、そこに魂の救済はありません。
従って、呪法や呪詛を行なうものが、それは調伏であると口にしても、ただ命を奪うだけ、貶めるだけの呪詛に救済はありません。
如何に言葉を連ねても、詭弁でしかありません。
呪詛を受けた者の魂が、成仏せず、長く苦しみ続けている事が、それを表しています。

 御縁日にちなみ、全ての不浄を焼き尽くして浄化する為に、参加者共々、真剣に祈りました。
心を一つにして、仏に向かって祈っている時、気温が上がったかの様に熱さを感じ、汗が吹き出して来ます。
不動明王の背負う炎は、火ではありません。
火焔と表現しますが、それは不動明王の持つ強烈なエネルギーがオーラとなって全身から吹き出している状態です。
それを、曾て遠い過去に感得した人が、炎を感じ、そう見えた所から、火焔を背負う姿になったのかもしれないですね。

不動明王は、若かりし頃、美少年だったと云う話もあります。
祈りの時、そう云う美しい姿を見せて下さる時もあります。

忿怒の姿の中にある、慈悲の心、しっかり感じて祈りたいですね。

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挑戦者の持つ輝きは眩しい

2014 - 11/28 [Fri] - 03:01

 その道の達人と云われる人、エキスパートの持つ輝きは、燻銀の素晴らしさがあります。
私もその昔、ある御縁からお会いしたある真言宗のお寺の御前様の作法が目に焼き付いていて、未だに消えません。
当時、80歳後半だったでしょうか。
その作法には、力みもなく衒いもなく、正に枯れていて風格がありました。
60年修行するとこうなるのかと見せつけられた思いでした。
幸運にも他にもそう云う方に何名も出会いました。
父もその一人だったかもしれません。
総合力では既に父を越えたかもしれません。
が、父の診断能力に限定するなら、私など未だ足許にも及ばないと感じています。
医学界、宗教界、武道界には、俗に云う怪物が存在しています。
そう云う方に出会う機会を得られた事は、大変な幸運でした。
が、ただ出会った、感激した、だけでは何の意味もありません。
そこから何を学ぶか、何を感じとるか、そして自分がどう歩んで行くか、です。
思えば、長くそう云う怪物の陰を追い続けて来た様に思います。
そして、今もそれは続いています。
生涯、挑戦者でいたいと思います。

出来上がった人の持つ輝きは素晴らしいです。
が、そこに至ろうとする挑戦者の輝きは、燻銀の光は持ちませんが、キラキラと輝いていて眩しいですね。
私の許で修行している内弟子達、優勝を目指して練習している選手達、夢に向かって突き進んでいる人、皆素晴らしい輝きを持っています。
色々と苦労はあり、挫折があるにしても、上を目指し、突き進んでいる人は、輝いています。
足許の問題、目先の問題は、確実に解決して行かなければいけません。
が、そこだけではなく、未来を信じ、夢を信じて、本気で頑張っている人の輝きは眩しいですね。

 留まらないで、未来を信じて、前に向かって進んで行きたいですね。


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今日も道場へ行きましたが、全ては皆さんのおかげです

2014 - 11/26 [Wed] - 03:25

 今日も火曜日ですから、雨が降っていても道場へ行きました。
いつも通りと云うか、最初は私と師範と妻と3人だけ。
途中から他の黒帯や茶帯が来ましたが、結局今日も黒帯と茶帯ばかり。
その中の一人の黒帯、女性でまた新社会人。
とっても可愛い子で、今時珍しい程、ピュアさと透明感を感じます。
私からするとまるで娘の様なもので、あんな可愛い娘がいたら、一日中頬が緩んで仕舞いますね。
ですが、空手はやはり黒帯。
切れも良く、まだまだ進化すると思いますが、流石のレベルです。

 練習が終わった後、二段の昇段審査を受ける黒帯が、二段の黒帯から逆手の指導を浮けていました。
組手とは、足の運びも、手の動きも、使う筋肉も違うので、戸惑いながらと云う感じがしますが、そこは黒帯、飲み込みが早く、すぐに上達するのは流石です。
逆手と云うと、どちらかと云うと護身術で良く使いますが、そちらは得意な分野なので少しだけお手伝いしました。
気がつくと、もう12時近く。
帰りに途中で愛車に給油したら、帰ったらもう1時近くでした。
いつの間にか時間は経って仕舞いますね。
毎週、火曜日は空手で午前様です。
それから入浴して、全てが終わるのは3時過ぎ、今の時間になります。
楽しい事は、いつも時間がすぐに過ぎて行きますね。
人生、楽しい事が沢山あって幸せです。
と同時に、皆さんに感謝です。
道場の仲間、仕事で出会う人々、そして内弟子達、皆さんのおかげです。

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呪法について、昨日の月例会で話題になりました

2014 - 11/25 [Tue] - 04:21

 昨日の月例会の後半、深夜近くになって、残っていた一部の人達との話題は、呪法の話になりました。
呪法と云っても、人を呪うだけではなく、人の幸福を祈願するのも謂わば呪法です。
そして、人を呪わば穴二つと云う、昔から云われている言葉に話が及びました。
人を呪ったら、呪いが返って来て、自分も身を滅ぼすと云う。
本当でしょうか。
長年修行して来て、裏の呪法も沢山学んで来ました。
昨今は、呪い代行業者なる怪しい連中も存在している様ですが、あれって本当ですかね?
もし、呪法と云うものをきちんと理解しているなら、まるで必殺仕事人の様に世の悪を正すと称して呪いなどするでしょうかね?
願いを叶える方法は様々あると思います。
正統的な願い方であっても、一人の願いが叶うと云う事は、誰かがその煽りを食らって不利益を被っている事になります。
自分が幸せを掴むと云う事は、誰かを無意識に蹴落としている事になります。
そう云う事を忘れないで、自分の代りに不幸になった人にも感謝して、掴んだ幸せを大切にして行く責任があります。
呪法で願いを叶えようとする場合、願いを叶えて結果的に人を貶めるのではなく、最初からライバルや敵となる人を不幸に貶める事で、結果的に自分に幸せをもたらそうとするやり方です。
同じ事でも、アプローチが全く逆です。
かけた、その呪いが戻って来る、返って来ると云う事はありません。
が、自分が呪いを行なった、依頼したと云う事は、自分の心が一番良く知っています。
その結果、相手が不幸になったと知ったら、普通の人間であれば少なからず良心の痛みはあるでしょうね。
結果次第では、それがトラウマになって仕舞うかもしれません。
自分がやった事が重大な結果を招く訳ですから。
その自分の中に生じた葛藤やトラウマが自分自身を痛めつけます。
また、恨みから呪法を行なったり、依頼したとしても、相手が目の前から消えたとか、重大な結果を招いたと知って、完全に平静でいられる人は、余程神経が図太いか、歪んでいると云えるでしょう。
普通は、少なからず後悔を招くものだろうと思います。
ですから、人を呪わば穴二つと云うのは、自分自身の心の奥に生じる葛藤やトラウマが、自分自身を痛めつけて消耗させて行く事から起きます。

怒りや恨み、嫉みや嫉み、そう云う感情は大きなエネルギーを消耗させて仕舞います。
相手が滅びて仕舞っても、その感情が消えて仕舞う訳ではありません。
呪法などを使えば、形を変えて、自分の中に永遠に残って仕舞うかもしれません。
その瞬間は、やって良かったと思うでしょう。
が、時間が経つと共に、本当にやって良かったのか、そこまでやる必要はなかったかも、呪いが返って来るかも、と葛藤が始まります。
プロは依頼を受けて呪法を行ないます。
それが、真実、公序良俗から鑑みて、世の悪を正すと言い切れるものであれば、それは調伏と云う言葉で表せるでしょう。
が、大抵の場合、呪法は一般の正当な祈願に比べてお布施も高額となりますから、そちらが目的で依頼を受けている場合が殆どでしょう。
そうなれば、幾ら高邁な綺麗事を述べたとしても、所詮、低俗な魔道でしかありません。
依頼者も、依頼を受けた術者も、呪法を受けた相手も、三者三様に冥府魔道に進む事になります。

また、能力者の場合、無意識にそう云う念が飛んで仕舞う事があります。
生来、意識もパワーも強いですから、感情的になった時、そう云う想いが念として飛ぶ事は良くある事です。
それは、下手な修行者の呪法に匹敵する程のものである事もあります。
気をつけたいですね。
ネガティブな、低俗な想いは、色々な人、そして自分自身をも苦しめて仕舞います。
繰り返していると、自分自身が魔道へと歩んで仕舞います。
能力がある人は、感情のコントロールと、光を見続ける目線をぶらさない様に気をつけたいですね。

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私の代理として内弟子がお祓いをしました

2014 - 11/23 [Sun] - 00:42

 今日は、内弟子二人が私の代理であるお宅のお祓いに出かけました。
御依頼があった時に戴いたメールに添付されていた写真には、強烈な姿が写っていました。
久々に、かなりの案件だと思いましたが、スケジュールの関係もあり、内弟子二人に代理として任せる事にしました。
無事に終えて帰りに報告に来てくれましたが、それ以前、彼等がお祓いを始めたであろう時刻に、私の方に重いエネルギーが飛んで来ていました。
急に足も腰も痛くなり、立っているのも辛い程でしたが、程なくして楽になって来ました。
報告を聞くと、正にその頃にやっていた様で、予想以上に楽に終わったとの事。
然し、報告を聞くと、そんな生易しいものではなかったと思いました。
報告を聞きながら、私の感じや分析を答え、話していると、本人もその時になって事の重大さに気付き始めた様で、御祓いをしている時は気合いが入っていると云うか、戦闘モードのスイッチが入っていた様で、それで簡単に終わった様に感じて仕舞ったと云う事に気付いた様です。
正直、今日の案件は、中途半端な者がやったら命を落とすか、逃げ出す程のものでした。
この世の闇に存在する裏行者がらみでしたし、明らかな呪法の臭いもありました。
今時と思いますが、そんな連中が未だにそれも東京のど真ん中に存在している事自体が驚きですが、ま、それだけのものを内弟子達はちゃんと最後まで仕上げて来ました。
話している時になって、凄い事をやったのだと理解した様でしたが、やっている時に余程覚悟を決めて全力全開でやったのでしょう。
良い根性をしていると思いました。
あれだけの事を仕上げた事で、また大きく成長したと思います。
取り敢えず、プロとして認めて良い所まで、やっと来たと思います。
成長したものだなと、感慨深いものがあります。
まだまだ、これからですが、取り敢えずは一段階越えたと云って良いでしょう。
ここまで来たら、彼等も私の正式な代理を任せる事が出来るスタッフの一人として認められます。
弟子が成長して行くのを見る事が出来るのは幸せですね。
これからの彼等に期待です。

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息抜きは、人生に潤いを与える

2014 - 11/22 [Sat] - 04:41

 心が開放してさえいれば、どんな問題でも行き詰まった時に、ふとした瞬間に答えや方向性が、あたかも天から降って来る様にやって来ます。
私も、良く外で喫茶店に入って香り高いコーヒーを楽しんでいる時などに、ふっと落ちて来る事があります。
悩むと云う事はありませんが、答えを見つけるのに苦労している時などに、そう云う場面でふっと答えが落ちて来る事があります。
祭壇の前で神示や仏の声を聞く事もありますが、それは祭壇の前ではなくても、常に心に仏や神を抱いていれば出来て仕舞う事でもあります。
祭壇の前では、答えを求めると云うよりも、自分を高める、開放すると云う意図で坐る事が多いです。

 ちょっとした空白の時間、そう云う時間は必ず持ちたいですね。
フラットに戻る時間、そう云う時に答えは降って来ます。
ずっと悩んでいても、何も解決しません。
深呼吸をする時間、心にも深呼吸をさせてやる事で、その瞬間にふっと心に隙間が出来て、その隙間に閉ざしていた天からの答えが入り込んで来ます。

時には全てを忘れる時間を持ちましょう。
息抜きは、人生に潤いを与えます。

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真の修行

2014 - 11/21 [Fri] - 02:28

 良く修行と云うと、瀧に行くとか、山に篭るとか、御参りに行くとかと云うイメージがあります。
が、修行は心ですべきものであって、心の修行はどこにいても、いつでも出来るものです。
家にいて、日常の中で、修行は出来ますし、それが出来ない者がどこの聖地に行っても、どこの修行場に行っても、真の修行が出来る筈がありません。
修行場に行かなければ、聖地に行かなければ、お寺や神社や山や瀧に行かなければ修行が出来ないなんて云うのは、修行と云う形に囚われているだけで、真の修行が出来ていないと云う事を自分で露呈している事です。
どこかへ行くのも、何かに参加するのも、そこには費用と云うものが少なからずかかります。
が、真の修行に金銭は必要ありません。
山に籠りたければ、何も持たず、行けば良い、それだけの事です。
食料も居場所も、ちゃんと山が与えてくれます。
究極のサバイバルですが、山籠もりと云うのは本来そう云うもので、与えられた宿坊やお寺に泊まって、食事を用意して貰ってやるものが真の修行かと云えば、甘いと言わざるを得ないでしょうね。
自分の家で、自分の修行場を作り、聖地にして、本物の修行をすれば良いだけの事であり、それが出来ないなら、どこへ行っても無駄。
それこそ、無駄にお金を使うだけで、その経験は無駄とは云いませんが、ごく浅い修行でしょうね。

 修行するには、それなりに時間も環境も必要である事は確かです。
そう云う意味では、家族や周囲の理解も必要でしょうし、修行する余裕もなければ出来ません。
修行出来る幸せをしっかり感じとる事で、修行もまた真剣なものになるでしょうね。
したくても出来ない人もいます。
今日の生活に困っている人が、修行などしている余裕などないですからね。
また、家族や周囲の人が理解して応援してくれなければ、修行など出来ません。

有難さを噛みしめ、感謝と今出来る事を最大限やると云う意識と工夫、様々なものが一つになった時、真の修行が出来るのかもしれないですね。

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今日も道場へ行って来ました

2014 - 11/19 [Wed] - 03:46

 火曜日ですから、いつもの様に道場に行って来ました。
いやぁ〜、今日は疲れた。
練習自体は凄くオーソドックスな流れで進みました。
ミット等、少しキツイものもありましたが、それはいつもの事です。
途中、酷く被っている人がいて、その人の出している瘴気の様なものに被ってゲホゲホと咳が出ましたが、スパーリングの最中に消えて行きました
汗だくになってスッキリしましたが、何だかえらく疲れました。
ま、もうすでに筋肉痛が出ていたりするのですから悪くないですね(笑)
途中やった型の練習は三戦(サンチン)と征遠鎮(セイエンチン)と云う型で、呼吸と気を意識する事が出来る、私の好きな型です。
特に難しい技や動きはありませんが、立ち方や手の位置、流れなど、大切にやらなければならない型です。

また、被っていた人は、スパーリングで上段回し蹴りを食らって仕舞いました。
手のガードが下る癖があるのと、目線が下を向いて仕舞っていた事で、上段が見えなかったのか、受けが間に合わず変な逃げ方をして仕舞ったのか。
何れにしろ、軽く弾みで当った程度でしたので、大事にはなりませんでした。
目線が下って仕舞うのは、空手も人生でも良くないですね。
真直ぐ前を見て、相手を見ていたいものです。
目線が下り、見ている所が下の方になって仕舞うと、心も沈み、意識も沈んで仕舞います。
ちゃんと前を向いて、強い意志を持っていないと、良い未来も勝ちも手にする事が難しくなって仕舞います。

皆さんに御教えしている護身法でも、どこを見ているかと云うのは、とても重要です。
意識を高く持ち、護身法で観想する仏を真直ぐ見据えて、作法を行ないます。
続けていると、自分自身の中に芯が出来上がって行きます。
言葉には出来ない説明不能な自信が自らの中に出来上がって行きます。
自分の人生、未来を自らの手で切り開き、掴み取る為に、自分の中に芯を作り、前を真直ぐ見据えて、強い意志を持ちたいですね。
護身法で、心を強くしましょう。
興味のある方はお問い合わせ下さい。

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心の使い方が重要です

2014 - 11/17 [Mon] - 02:52

 先程、松井派の極真会館の全日本大会の試合を観ていました。
かなりの高レベルで激しい試合が続いて見応えがありました。
最終的にロシア選手が優勝したのは、残念に思いましたが、観ていて感じたのは、勝つ選手と負ける選手のメンタルの差。
相手の攻撃が効いての事でしょうが、メンタルで負けて仕舞うと途端に手が出なくなります。
勝つ側の選手も相手の攻撃が効いている筈なのですが、メンタル面で相手を圧倒していて、圧力が圧倒的です。
それとは別に、試合を観ていていつも思うのは、攻撃が急所を外れている事、効かない所を幾ら叩いても相手にはダメージになりません。
なので、突きで勝つ選手が殆どいない。
蹴りは、やはりそれだけ威力があるので、中段で相手のボディを蹴ってもそれなりにダメージを与える事が出来るでしょうし、それが上段だと入って仕舞えば一本勝ちが取れます。
また下段も、良い場所に入ると大きなダメージを与える事が出来ます。
突きは、正確に急所に当てないと、中々効かないものです。
それと、攻撃する意識が強過ぎるせいか、受けが少ない、中には全く受けない選手も多く、身体にダメージが蓄積して仕舞います。
なので、効かない筈の場所を打たれていても、徐々にスタミナを奪われて仕舞い、押されて仕舞います。
三戦や中国の硬気功の様に、肉体を固めているなら相当耐えられると思いますが、動きの中でそれは不可能に近いでしょう。
受けと返しがあってこその空手だと思いますが。

 話はズレてしまいましたが、メンタルのコントロールは、どんな時でも必要です。
昨日も書きましたが、ストレスや怒りや恐れをコントロールしないと、バランスを崩して仕舞って、正常な判断も出来なくなったり、身体も固まって仕舞って思う様に動かなくなったりします。
また、祈りの世界でも、メンタルのコントロールが出来ていないと、祈りが濁って仕舞って届かなくなります。
純粋で曇りのない祈りでないと、宇宙にも神仏にも通じません。

私がお教えしている護身法では、作法や観想も当然お教えしていますが、一番重要視してお伝えしているのは心の使い方です。
作法は、ある意味では形でしかありません。
その形に魂を宿らせるのは心です。
心の使い方を完全にマスターすれば、形を越えて、法を使う事が出来ます。
興味のある方は、お問い合わせ下さい。

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激しい感情やストレスを解消するのではなく、散らす

2014 - 11/16 [Sun] - 02:06

 良くストレス解消と云いますが、現実の世界に生きていると、幾ら解消してもその瞬間からストレスがかかって来るものです。
やってもやってもキリがないと云う感じですね。
とは云え、いつまでもそんなものに振り回されたり囚われていたら、人生楽しくありません。
若い頃は、色々なものに対して怒りを持っていて、いつも怒っていた様に思います。
最近はそれも少なくなり、怒る事も少なくなって、自分でも余り心地良いとは云えないですが、意に反して穏やかになって来ている様です。
それでも、怒りに達して仕舞う様なストレスと云うものが、時々やって来ます。
スピリチュアル的な言い方をすれば、愛を持って怒りを鎮めよと云う事になるのでしょうが、そんな甘ったるい事は私の趣味ではありません。
若い頃から、怒りやストレスは、徹底した刺激に依って散らして来ました。
道場へ行って、力一杯倒れる迄サンドバッグを叩いて蹴り続ける。
力尽きるまで組手をやり続ける。
サーキットに出かけて、限界まで責めて車を走らせる。
意識を失う寸前まで瀧に入る。
天井が焦げる程、火を上げて護摩を焚き続ける。
等々、若い頃は無謀を通り越して、無茶苦茶やっていた様に思います。
その後は、そう云う無茶も、周囲の変化もあってやらなくなって来ました。
今は、好きな音楽、特にハードロック系を大音量でイヤホンで聴いている位でしょうか。
可愛くなったものです(苦笑)
ただ云えるのは、怒りであれストレスであれ、絶対に八つ当たりを人に対してやらずに来ました。
否、道場ではもしかしたらやっていたかもしれませんが(苦笑)
ま、それが許される場所でもあったと云う事で、御容赦。
八つ当たりで友や家族に当る等、男としても人としても武道家としても最低の恥と思っていますから。
全てを飲み込んで笑ってやり過ごすと云う事が出来る程、まだ人間が出来ていないのは修行不足を恥じるばかりです。
ま、色々ありますが、穏やかにいつも笑って人生を送れたら良いですね。

護身法で自身を高めて、身心を統一させて、昇華させて行きましょう。
一呼吸、一作法毎に、鎮まって統一されて行くのが分ります。
興味のある方はお問い合わせ下さい。


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ヘアカットして来ました

2014 - 11/15 [Sat] - 02:13

 今日は、いつもお世話になっている美容院で髪を切って来ました。
髪が長くなると、空手の練習の時に汗が目に入って痛くて堪らないので、短くスッキリして貰いました。
髪は女の命と云われますが、ゲゲゲの鬼太郎ではないですが、霊気のアンテナでもあるので、髪はいつも綺麗にしておきたいですね。
髪が汚れたり痛んだりすると、どうしても邪気が溜まり易くなります。
髪を洗い、切って短くすると、スッキリするのは気分だけの問題ではない様です。

自分の気とオーラで、自分自身をガード出来る様になると、被りも楽になります。
ネガティブな気や思いは、どこにでもありますし、誰でも少なからず影響を受けています。
身心を綺麗にして、心をいつもポジティブにして、被りから身を守りましょう。
護身法は、被りに対して大変有効です。
密教秘伝の作法に、私独自の手法を加えてお教えしています。
基本的には誰方でも修得可能です。
お問い合わせ下さい。

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護身法で未来を切り開く力を

2014 - 11/14 [Fri] - 02:24

 運命論等では、良く未来は決まっている、と云われます。
全て未来は決まっていて、どう抵抗しようとも、それは変えられないと。
長年、密教はじめ、神道や様々な神秘学、哲学や宗教、占い等を学んで修行し実践して来た中で悟り学んだ事は、全く逆で未来は決定していないと云う事でした。
今この瞬間の選択で未来は大きく変わる。
正しい選択をすれば幸せな未来は必ずやって来る。
間違った選択をすれば、その先には闇がある。
未来は、自らの力で切り開き、掴み取るものであると云う事です。
間違った選択をしないで正しい選択をする為に、視野を広げて固定観念を捨て、柔軟な意識を持っている事が必要です。
困っている人は、大抵の場合、意識も心も頭脳も柔軟性を失っていて、目先の事に固執して仕舞っている状態である事が多いものです。
まず、冷静になって、固定観念を捨てて、しっかり自分の心も周囲も見回してみる事が必要です。
普通、人は多くの価値観や常識の中で生きていますから、思い切って生き方や考え方を変えると云うのは簡単な事ではありません。
ですから、その人の日々の選択の傾向と云うものがあります。
その傾向の侭に選択して行くと、未来はその線上で進む事になりますから、未来の予測は簡単に出来て仕舞います。
それが占いで運命を語る時に、あたかも未来が決定しているかの様な話になります。
流れの侭に生きて行くのは、無理がなくて楽かもしれません。
が、自分らしく、本当に満足の行く人生を歩いて行く為には、思い切って流れを変えて仕舞う事も必要です。
少しだけ努力も必要ですし、勇気も必要ですが、自分の心に従って自分らしく生きる為に、踏み出してみるのも良いのではないでしょうか。

 私が教えている護身法は、密教では基本とされているものです。
古来から伝えられている伝統的な作法に、私独自の気の扱い方や、肉体の使い方、呼吸法等を加えて島津流護身法として皆さんにお伝えしています。
そこには、密教の究極の目的である、人が生きたそのまま仏になると云う即身成仏の要となる秘伝が全てあります。
御祓いや結界等も、この護身法が完成していれば、その応用でしかなく、出来る様になります。
ヒーリングも同様、この護身法で身に付けた気のコントロールや呼吸法を用いる事で可能になります。
また、霊視や霊感が目覚めて来る方もいますね。
きちんとした身体の使い方と呼吸法を学ぶ事で、健康も増進して来ます。
未来を切り開いて行く為には、思い切った勇気も必要な場合がありますが、護身法を学ぶ事で勇気と活力が身に付いて来ます。
更に習熟してくれば、神仏と触れ合う様も出来る様になります。
護身法を通じて、心と肉体を解放し、高次元と繋がって行く事で、それは可能となります。

 月例会では、護身法以外にも、日常の悩みや疑問を話し合って解決して行く場もあります。
最近は、プロのヒーラーや占師、霊能者の方々も、御自身のパワーアップとスキルアップの為に学びに来られています。

 未来への一歩を踏み出す為に、護身法を学んでみて下さい。

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火曜日の空手

2014 - 11/12 [Wed] - 02:42

 毎週、火曜日は道場へ行って空手の練習をしていますが、今日も行って来ました。
いつもより数名ですが参加者が多く、最後のスパーリングはいつもより激しく、しかし楽しいものとなりました。
参加者は例によって黒帯と茶帯だけ。
茶帯とは云え、紅一点の妻にはちょっと厳しいものかもしれませんが、毎週良く頑張っていて、今日もしっかり最後まで頑張っていました。

特に今日は、久し振りに会う我が道場で一番のワイルド系イケメンの筋肉マンF初段が参加していて、激しくも気遣いのあるスパーリングは、とても楽しく、また大きな刺激となりました。
彼ともう一人、我が道場で一番身体の大きな猛者のN二段、この二人は次元が違いますからね。
彼等のスピードやパワーは絶対的であり、到底ついて行けません。
御陰で肉体的にはかなり疲れました。
が、被りも落ちて、気持ちはスッキリです。
ああ言う若者がいると思うと、これからの次の世代もまだ大丈夫だなと思えます。
時代が変わっても、目指すべきものを持った、心の中にしっかりとした光を持った人は必ず現れて来ます。
期待出来て、ある意味で尊敬の対象にもなり得る、そんな若者の存在は眩しいですね。
多分、彼は私の半分位の年齢だと思いますが(笑)

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写真は真を写す

2014 - 11/11 [Tue] - 03:45

 写真と云うのは、真を写すと云う字を書く様に、本当にその人の真を写します。
体調の悪い人は、それが写真から伝わります。
また、オーラの強い人はその光が写ったり、大きな存在感を持って写ったりします。
不思議なものですが、光をただ記録するだけの写真に、それ以上のものがしっかり写されているのは面白いですね。
良く心霊写真を見て欲しい、変なものが写った写真があるので見て欲しいと云われますが、点が三つあれば顔に見えると云われる様に、顔らしきものが写ったからと云ってそれが心霊写真とは云えません。
また、変な光が写り込んでいたりしても、それが単なる光の悪戯か、本当に写っているのか、全部が全部心霊写真とは云えません。
真に何かが写り込む時は、そこに霊的な波動を感じる事が出来ます。
私は良く写真を裏から見ますが、見た目の映像に惑わされず、純粋な波動を感じられるので、後から見た方がその写り込んだものをより良く感じられます。

 昨日の20人組手の写真でも、受審した人、相手をした人の存在感の違いや大きさがしっかり写り込んで感じられます。
やはり純粋に空手道を歩んでいる方々ですから、その存在感は大きく感じますね。
姿形にも心や思いが出ていると云うのは、写真ではなく、テレビでも、実際に目で見る時でも同じです。
そう云うものを意識していると、その相手の生き様や考え方の一部を感じ取る事も出来ますね。
存在感、その人から来る圧力、何となく感じさせられるオーラの大きさなど、意識してみると面白いかもしれません。


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空手は素晴らしいー20人組手

2014 - 11/10 [Mon] - 02:51

 今日は、二段に昇段する為に20人組手を行なう、いつも一緒に練習している道場生の応援と写真撮影の為、大和スポーツセンターまで出かけて来ました。
いつもお世話になっているフルコンタクトカラテの試合の合間をお借りし、黒帯の方にも参加して戴いて、行われました。
途中、スタミナ切れも見られましたが、ほぼ危なげなく20人組手を完遂しました。
いつも忙しい仕事の合間に道場に来られていて、私の妻を丁寧に指導してくれたりする人で、お嬢さんも道場で練習しておられていて、大変な努力家で本当に空手が好きなのだなといつも感心している人ですが、準備期間中に故障があったり、今日に到るまでは紆余曲折で大変だったと思います。
いつも通りにやれば問題なしと、殆ど心配はしていませんでしたが、しっかり完遂した姿は立派でした。
また、相手をしていた人達も、相手の力を引き出す様に、やり過ぎず、また抜き過ぎないで、しっかり組手をしていて、素晴らしかったです。
変に手を抜くと、受審者も気が抜けて仕舞って、最後まで頑張れません。
と云って、試合ではないので相手を潰す様な組手はしてはなりません。
受審者の側は、試合をするつもりでやれば良いのですが。
相手を潰さない様に、然し本気で受審者に痛い思いをさせてやる事で、気合いが入り、活力が沸いて来て、最後まで頑張れます。
相手をしていた皆さん、ちゃんとそれをやっていたのが素晴らしかったですね。
そして何より、その場にいた皆、相手をした人も見ていた人も、全員が全力で応援している姿、声をかけている事が、いつもこう云う組手の時に思いますが、感動です。
全員の気持ちが一つとなって、受審者のパワーとなる。
空手って、素晴らしいですね。

 妻と二人で、約1300枚の写真を撮りました。
頑張って、綺麗にまとめて記念になる様にしたいと思います。

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御縁日の祈りと、愚かしい者への失望感

2014 - 11/09 [Sun] - 02:32

今日は御釈迦様の御縁日でした。
昨日から何となくですが、御参りに来られる方が心に浮かんでいましたが、その通りに人が参加してくれて、予想通りと一人ほくそ笑んでいました。
今日は読経を録音すると云うお話があったのですが、その方のボイスレコーダーも不調で、私の使う物も不調で録音出来ませんでした。
次回はちゃんと録音出来る様にしたいですね。
読経と云っても、詠み方もリズムや声のトーンなどもあり、耳で覚えるのが一番分かり易いですから、必要なら録音して繰り返し聞くと覚え易いですね。
私も修行時代に、お経や太鼓など、録音して覚えた事を思い出しました。
皆さん、熱心に御参り戴き、お経も覚えようと努力して戴いているのは、とても嬉しい事です。

 Facebookを見ていて、ある人物が仏像を購入したと云う事で、仏像を売っているお店の取材を受けていました。
それは良いのですが、その人物は曾て沢山の人の思いの篭った仏像を祀った事があり、その後、殆ど祈りもせず放置していて、揚げ句の果てに処分してお金にしようとさえした人物であり、心の篭った祈りの対象である仏像を単なる美術品の様に扱おうとして、沢山の人の心を裏切った人物であるので、今日のFacebookでの記事を見て正直、ガッカリしました。
全く成長していないと云うか、相変わらず愚かしいと。
仏像は美術品ではありません。
祈りの対象であり、人の目指す理想像です。
それを事務所に祀る事を、仕事上の宣伝材料にするのは、自分の仕事に対する姿勢や自分自身を表現する方法として否定はしませんが、彼の場合は明らかに薄っぺらいものを感じさせられます。
愚かさは変わる事がない、とは思いません。
成長してくれたら、裏切った人達の思いも軽くなると思うのですが、駄目なのでしょうね、その性根が変わらない限り。
何だか、怒りよりもがっかりしました。

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歩き回って来ました

2014 - 11/08 [Sat] - 06:22

 今日は、久し振りに散歩がてらに外を歩いて来ました。
毎月発行しているアデプト通信を郵便局に出し、妻の自転車を探しに近くの自転車屋さんに行き、その後もう一ヶ所。
それから、買い物をして帰って来ました。
結局、目ぼしい自転車は見つからず、事前にネットで見つけていたものを注文しましたが。
昔と違って自転車も防犯登録等もしなければいけないのですが、今日出かけて自転車屋さんでやってくれると云う事は確かめたので、届いたらその自転車屋さんに持って行って点検整備と登録を頼んで来たいと思っています。

私は自転車は乗らないのですが、例に依ってそのスペックなどをしっかり調査して探しました。
どうせ乗るなら、安心して安全に乗れる物に乗って欲しいと思うので、しっかり選びました。
口コミや構造等、見ていると面白いものですね。
何だか詳しくなって仕舞いました。
選んだのは、タイヤ径が小さく、最軽量の物でしっかりした作りの折り畳み。
妻に買った物ですが、届くのが楽しみですね。

殆ど衝動買いと云うものをしないのは、納得して買い物をしたいと思うから。
感性と望む事に合うものを選ぶ様にしてるからです。
自分らしさや自分の感覚や感性を大切にしていると、そうなって仕舞いました。
時に、無駄遣いをする事もありますが、それも納得ずくの事で後悔する事はありません。
でも、何かを買おうかって探している時って、楽しいものです。
買う事そのものよりも、そう云う探し物って云う方が楽しかったりしますね。

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神様仏様を目で見たい?

2014 - 11/07 [Fri] - 02:40

 神も仏も、お願い事の対象である事が多く、その場合、殆どは自分の外に存在しています。
相手が目の前にいてお願い事をする。
人間的な感覚ですね。
ですが、本来、神仏と触れ合うのは、お願い事の為ではなく、自身を高めて神仏に近づく、神仏の境地に達する為であると、私は思っています。
良く宗教的なものに対して、信仰と云う言葉を使いますが、絶対的な信仰と云うものは、神仏を外に存在している相手として、また願い事の対象として見ている限り、あり得ません。
願いを叶えてくれたから信じる、叶えてくれないから信じない、それって凄く人間的で自分勝手な感じがします。
神や仏は、別に願い事を叶える為に存在している訳ではないでしょう。

神や仏の姿は、普通に肉眼では捉える事が出来ないものです。
霊感のある人のみが見る事の出来る存在とされています。
神や仏が、我々と同じく人間の姿をしている、像や絵に描かれている様な姿であると云う固定観念を持っている限りは、その姿を捉える事は難しいだろうと思います。
時にただの光として、時に姿もない意志だけの存在として、神仏は人の前に現れて来ます。

心が本当に解放された時、また神仏の持つ波動に同調する事が出来た時、幻覚の様にその存在は目の前に現れて来ます。
真に神仏を感じるのは、肉体の目ではなく心ですから。
そう云う意味では、幽霊と同じです。
同調した、見える人にしか、感じる人にしか見えない。

神も仏も、全ての人の心の中にこそ存在しています。
集中し、己自身を見つめて行く中で、その存在は目の前に姿を現して来ると思います。
肉体の目で見ようとすればする程、見えなくなるものだろうと思います。

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火曜日は道場の日なので

2014 - 11/05 [Wed] - 03:01

 今日も火曜日なので道場へ行って来ました。
行く時は、愛車を運転しながら頭痛を感じていました。
練習が始まっても、暫くは頭痛と闘いながらやっていました。
が、練習が終わった時には、頭痛はすっかり消えていました。
後で思い出すと、型をやったのですが、その最中位に頭痛が消えて行った様に思います。
型で気が回って、被りを落としたのでしょうか。
何れにしろ、道場へ行くとスッキリしますね。
後に疲労や筋肉痛や、時には攻撃を貰った所の痛みが残ったりしますが、練習後のスッキリ感は気持ち良いですね。
帰る頃は、外は12度しかなく、流石に寒いなと感じる位ですが、道場の中では変わらず汗だくになりました。
胴衣を入れたバッグが、行きと帰りでは倍も違う重さに感じます。

途中やったパンチングミットを使っての上段蹴りの練習、大分蹴れる様になった気がします。
以前は足が返らず、外回しの様な蹴りになっていました。
軸足の返し、その他色々と自分なりにやって来ましたが、少しだけ進化した様に思います。
昔の伝統空手には回し蹴りなどなくて、前蹴りを基本としてその変化技として回し蹴りもあった様に思います。
その癖が抜けないでいたのですが、少年部の子供達の動きなどを見て学ぶ事も多く、体幹の使い方や軸足の返し等、参考になる事は沢山ありました。
伝統的なものと新しいもの、上手く融合出来たら良いなと思って練習しています。


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渋谷のムーショップから新宿のビッグカメラへ

2014 - 11/04 [Tue] - 02:40

 今日は打ち合せがあって駒沢に出かけ、案外早く終わったのでその足で渋谷へ出ました。
久し振りに都会へ出て来た気分です。
Facebookで情報を見ていた雑誌ムーのショップがあると云う事で、そこへ行って来ました。
流石ムーのショップだけあって、中々マニアックな物が揃っていました。
置いてあるパワーストーンのクォリティは中々高かったですね。
店員さんは、余り深い知識は持っていない様に感じましたが(笑)
でも、楽しいお店でした。
その後、シダックスのビルに今時珍しい喫煙可能な喫茶店があったので、そこで一休み。
その後、妻が自転車を使うと云うので、ビッグカメラへ行きましたが、渋谷店には置いてないとの事で、新宿へ移動してビッグカメラへ。
目的の自転車は見つかりませんでしたが、何となく感覚は解ったので、ネットで探す事にして帰って来ました。
都会の人ごみは疲れるのですが、今回は何となくストレス解消になった様な気もします。
歩き回って足は疲れましたが、何か少し抜けた様な。
しかし、ちゃんとあちこちで被って帰って来ました(笑)
たまには、こんな機会も良いのかもしれないですね。
何しろ、普段は仕事ばかりで殆ど引きこもり状態で、道場へ行くか、ちょっとした買い物を近所でする時以外は外に出ませんから。

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気療

2014 - 11/03 [Mon] - 02:16

 今日はご家族で面接に御出で下さりましたが、主な御相談はお腹の痛みの御相談なのですが、お話を伺ってみると、あちこちの医師に受診されて治療を受けて来られたが改善しないとの事でした。
良く良く伺い、観させて戴くと、医学的に病名の付き難い症状が出ていて、病気らしい病気ではないのですが痛みは出ると云うもので、私も妻もいつも経験しているものと同じものでした。
これで3年以上も辛い思いをされていたとの事、決して医療が駄目な訳でも医師が無能な訳でもなく、はっきりとした病気ではないですから無理なのですね。
妻が同じ症状で入院した事がありますが、結局何の解決にもならず連れて帰って来た事がありました。
被りも含めて、ストレスによる内臓の結構不良と機能不全の症状が出ていて、拘縮した様な状態になっていて、これはとても痛いのですが、医学的に検査しても中々解明出来ず、医師としては悩ましいものだろと思います。

弟子の気療師が以前にも気療したと聞いていますが、残念ながら効果を表さなかった様で、私の気療が効果をあげるかどうか不安もありましたが、やらせて戴くと痛みも消えて楽になられた様で、とても喜んで戴きました。
気療そのものも効果を表したと思いますが、事前の問診でしっかり時間をかけて御話をお聞きしたのが、ご本人の心を解放して効果を挙げた様に思います。
痛みはご本人にしか分からないものでもあるので、誰も医師さえも分かって貰えないと云う事で、じっくりお話しを伺って、意思疎通が出来たと云う事が大きかったのでしょうね。

 勿論、弟子と私のパワーレベルの差も、焦点の絞り方も違うと思います。
が、気療してそれで良いと云うのではなく、しっかり問診しながら説明し、納得して戴き、心を解放して行くのも重要な仕事です。
話術と云う事ではなく、解ろうとする姿勢と意志を相手にしっかり伝えて行く事は、互いの信頼関係を作って行く上での重要なファクターです。
弟子はプロとして申し分ないレベルに来ていると思いますが、後一歩の詰めが甘いかもしれないですね。
失敗しながら、それを乗り越えて、教訓にして成長して行くしかないので、頑張れとしか云えないですが。


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昨日の御縁日

2014 - 11/02 [Sun] - 12:38

 昨日は神様の御縁日でした。
雨にも関わらず、沢山の人に御参り戴きました。
病で長期療養をされている方も、劇的な回復を見せて、完全回復とは云えないながらわざわざ遠い所を来てくれました。
最近、御縁日に御参りに来られる方が増えている様に思います。
月例会で学ぶ部分とは別に、浄化されたい方が増えているのかもしれないですね。
また、ご都合で月例会に御出でになれない方が、御縁日に御参りに来られ、月例会の代りに補講されて行かれる事も多くなっています。
月例会に参加されている方で、ご都合で補講を御縁日に御希望の方はお申し出戴ければ、やらせて戴きます。

長期療養されていた方は、正に劇的な回復劇で、我々が見ても奇跡に思えて仕舞います。
完全回復に至るにはもう少し時間がかかりそうですが、昨日は全身のチェックと若干問題の出ている場所に対する気療を行ないました。
面倒見の良い方でもあり、頼っている方からの依存心でしょうか、思いが飛んで来ていて、それが邪気の様な状態になっている事も、一つの原因になっていた様ですが、それも綺麗に祓い、今後邪気が身体に入り込まない様にガードもしました。
現実的な筋肉の硬直等、まだ頑張って改善しなければいけない部分もありますが、治療師の内弟子に任せておいて大丈夫だろうと思います。
とても人望がある方なので、皆から好かれているのでしょうね。
昨日の参加者も全員が、その方のお顔を拝見して喜んでいました。
また、沢山の方が心配し、回復し復帰される事の祈っています。

予断ですが、何気なくホンダのプレリュードと云う車を見ていました。
昔、若い頃に乗っていた車でしたが、事情があって泣く泣く手放した覚えがあります。
私が最初に乗っていた1800XXは、もう見つかりませんでしたが、その後継の2000の4WSはまだ中古車が流通している様でした。
私の愛車はまだまだ元気で頑張ってくれていますし、決定的な買替えの動機になる様なものがありません。
そうでなければ、迷わず買っちゃって仕舞ったかもしれないですね(笑)

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忘れ去られた古代の神達

2014 - 11/01 [Sat] - 02:09

 人類が神を祈る様になってから、長い年月が経っています。
人が神を祈り、祀り、それに応えて神も人間に利益を与え、智恵を与え、時に罰を与えて来ました。
互いの相互関係は凄く長い時を経て来ています。
が、人々が知っている神以前の忘れられた神と云われる先住者としての神は、何を目的として存在していたのでしょうか。
人間との関わりも明確ではなく、言い伝えの中では多くの場合、それは恐怖の対象でしかなかった様に感じます。
映画に於ても、良くそう云う古代の神、時に精霊と呼ぶものが甦って、人に害を為し、それを現代の神、主にキリスト教ですが、その力に依って退治すると云う物語が作られています。
それを見ていると、キリスト教は他の宗教や土着の神よりも常に強く上位であるかの如く描かれます
また、古代の神や精霊は、人に害を為すだけで、何の利益ももたらさず、何を目的としているのか分からない場合が多いですね。
彼等先住者は何を目的として存在し、人間とどう云う関係を持っていたのでしょうか。
神は常に人間の上位に存在するものであり、人間はそれに抗う事は出来ないとされています。
それでも科学や道具の発達に依って、人間に対して脅威を与えるものに打ち勝ち安全を確保して来ました。
それも、ある意味では神に抗うと云う事なのかもしれないなと思います。
大いなる大自然の猛威には人間は太刀打ち出来ませんが、科学や分明の力を持って対抗していますね。
野生の猛獣達にとっては、人間は鉄で出来た武器を持つから敵対しない様にしているのであって、そうでなければ単なる餌かもしれません。
大昔の、忘れ去られた先住者の神も、その様な存在だったのかもしれないですね。
ふと、思いついた疑問を書いてみました。

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プロフィール

島津 成晃

Author:島津 成晃
Adept・Mentor 島津相談室主宰
人生のあらゆる問題の相談に乗って来ました。
元気になって希望を持って帰って戴く事が私の願いです。
スピリチュアルな目と、冷静な分析で御相談に乗ります。
御相談はHPの方からお願いします


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Adept・Mentor 島津成晃の独り言
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