感じたり思った事を書いて行きます。 時には秘伝などを書く事も。 空手や色々な趣味の話も。

  Adept・Mentor 島津成晃の独り言のナビゲーター   トップページ > 2013年09月  

外部研修

2013 - 09/29 [Sun] - 23:44

 内弟子達と、27日から今日まで外部研修に奈良まで出かけて来ました。
訪れたのは、東大寺、戒壇堂、大神神社、石上神宮、橿原神宮。
それぞれ感じる事は沢山ありました。
特に、石上神宮と橿原神宮は、心地良くて、祈りの後、思わずのんびりとして仕舞いました。
写真も沢山撮っていますが、徐々に後悔して行きます。
良く歩き、良く食べ、良く話し、色々と感じた旅でした。
毎週伝授で会っている内弟子達との旅は、とても有意義だったと思います。
また、この様な機会を持ちたいですね。
メールで御連絡戴いた方々には、御返事が遅れて申し訳ありません。
これから、御返事を返して行きますので、少々、お待ち下さい。

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酒井雄哉阿闍梨

2013 - 09/27 [Fri] - 02:11

 TV等の報道でも御存知の方も多いと思いますが、天台宗の大阿闍梨酒井雄哉氏が亡くなられました。
山中や京都市内を、7年がかりで千日間、計約4万キロ歩く千日回峰行という荒行を二度も満行され、生涯行者を貫かれた方でした。
私は残念ながら御会いした事がなく、ずっと以前に阿闍梨が入魂された御札を拝見する機会があった時、伝わって来る雄大さと強さに驚いた事がありました。

生涯行者を貫く、言葉で云うのは簡単な事です。
それは信仰と云うものを越えた、仏としての生き様であろうと思います。
我々の想像を越えた精神構造であろうと思います。
生涯一修行者、修行者としての理想です。
が、現実にはそれを貫き通す事は、想像を越えたものがあります。

仏の道を歩き、生涯を終える。
生き仏となり、生を終えて仏となる。

あの方であれば、御自身で一流を立てる事も出来たであろうと思います。
が、それを望まず、ひたすら天台の一修行者を貫かれました。
その理由は分りません。
が、生涯修行者を貫こうとされた結果の選択だろうと思います。

 凄い人としか云えませんが、普通の人と考えると、その道一筋で生きている人は、在る意味では異常としか見えません。
友達や家族には欲しくないですね。

 人の道、仏の道、修業の道に、終りはありません。
これで卒業などと云える様なものではありません。
酒井阿闍梨が、荒行を続けたから凄いのではなく、その生き様が人々に与えた感動が素晴らしいと思います。
言葉で何を言おうと、人として、その生き様、有り様が、大切です。
その姿そのものが、人の尊敬を呼び、心を打つ様な生き方をしたいですね。


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御彼岸供養会

2013 - 09/25 [Wed] - 03:06

 おそくなりましたが、先日、日曜日に御彼岸供養会を行ないました。
当日参加出来ない人から、次々と送られて来る供養紙、当日参加される方々が出される供養紙、何十枚と云う数になり、どうしようかと思って仕舞いましたが、読経の最初に願文を詠み、その最中にg供養紙を一枚一枚、詠みあげて行きました。
御一人御一人が心を込めて出して下さる供養紙ですから、心を込めて詠みあげ、それぞれの御先祖様や御供養する対象の御霊を呼んで行きます。
そして、読経の中、助法してくれる弟子達の声に乗るかの様に、沢山の御霊が供養を受けて、昇華されて行きます。
中には、読経の途中で、玄関からドアを開けて入って来る御霊もいたりして、あぁ間に合ったと云う感じが伝わって来ます。
別にドアを開けなくても入って来れると思うのですが、不思議な事にちゃんとドアを開けて、入って来るものです。
玄関に入って来る小道にも御霊は祟れていた様で、弟子達の目に映っていた様です。
御供養を願われて、当日参加された方々は、それぞれ身体から何かが抜けて行ったり、何かが湧き上がって来たり、側を通り抜けて行く人の気配を感じたり、私や弟子達の声とは明らかに違う読経の声を聞いたりしていた様でした。

 参加した人達、読経した人達の心が一つとなり、意識と心と声を合わせて行く中で、御霊も自分自身も癒されて行くのは、とても素敵な事です。
毎回思いますが、有り難い事ですね。

 したくても出来ない人がいる御供養を、こうして皆で心を一つにして行なう事が出来る幸せ、生きている人も、御霊も、心を一つにして行く、得難い経験であり、その御縁を戴ける事に、心から感謝です。

 暑さ寒さも彼岸までと云う言葉があります。
これから、本格的に秋になって行くのでしょうね。
道場の練習も、行き帰りが楽になって来ました。
相変わらず、道場の中は熱気に溢れ、汗だくになってやっていますが(苦笑)

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笑えない冗談

2013 - 09/24 [Tue] - 02:51

 人との会話で、冗談が入る事で会話がスムーズになったり、会話に弾みが出る事は良くありますね。
ウィットに富んだ、知的な会話は、その人の知性を表していて、好感が持てます。
本当に知的な人の放つ冗談は、そこに毒があったとしても、ブラックジョークだったとしても、思わず笑みが出て仕舞います。
が、冗談もジョークではなく、嫌みになったり、わきまえを忘れて行き過ぎたりする人も中にはいますね。
まだオヤジギャグの方が白けるにしても、可愛げがあります。

 良く云うツッコミも、相手との間に信頼関係があってこその話で、そうでない相手にツッコミを入れるのは、時と場合を考えないと、大変に失礼な事になります。
また、例え冗談でも、口にして良い事と悪い事をわきまえないと、相手を不快にし、怒らせて仕舞う事もあります。
イヤミや批判と、冗談を混同してはいけません。

 口は災いの源です。
沈黙は金と云う場合もあります。
が、会話は人間関係を円滑にします。
時と場合を考えて、言葉を発したいものですね。
一言の言葉が、社会的な立場全てを失う事に繋がる事もあります。
冗談を口にするのも、無言でいるのも、時と場合を考えて、場と空気と相手との関係を良く考えて言葉を発したいものですね。
言葉には、特に日本語には言霊があります。
現代の言葉からは言霊は消えつつありますが、それでも一部の言語を除いては、他の国の言語よりも遥かに言霊は強いと思います。
不用意な言葉を発すると、不利益に繋がる事もあります。
気をつけましょう。

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集団で祈る

2013 - 09/22 [Sun] - 02:43

 御供養や御祈願等で、何人もの人が一緒に御経を唱えたりする事があります。
こう云う時に大切なのは、気持ちが一つになる事、
導師の声に合わせ、全員のハーモニーを意識して、心が一つとなった時、その経は素晴らしい音楽となります。
ハーモニーの取れた音楽は、心も身体も癒す力があります。
こんな時に、必ずいるのが、目立ちたがりと独り善がり、そして引込み思案。
一人だけ大きな声を出したり、自分の感性だけで皆のハーモニーを崩して仕舞ったり、逆に恥ずかしいのか、失敗を恐れているのか、遠慮して声が出ない人も多いですね。
訓練した音楽家や僧侶ではないのですから、少し位の間違いやズレは、全体の味となりますから、何も恐れる必要も遠慮する必要もありません。
目立ちたがりや独り善がりに、大きな声を出したり、自分の勝手なリズムや音程でやると、周囲が迷惑します。

 気を合わせて、一つにして、導師に従って静かな気持ちで祈りに没頭したいものですね。
さて、明日はどんな経が流れるでしょうか。
大きな広がりとなる様に、気を合わせて、心を込めて、綺麗な音楽となる様な経が流れると良いですね。

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御彼岸の供養

2013 - 09/21 [Sat] - 03:00

 明後日は、御彼岸の御供養をします。
暫く前から、今年は出が早くて、チラチラと3次元にいない筈の人が見えたりしていますが、その影響も少なからず出ている人も多い様で、まだ早い、待っていなさいとか、帰れと叱りつけたりしていました。
待ちきれないのでしょうね。
自分達も楽になると云う事を知っているのでしょう。
またこの世に残っている遺族、家族も、御供養を受ける事で、一緒に癒されます。
漢字で書くと供養とは、供して養うと書きますが、御供え物や御経を供して、養う、ですね。
が、言霊で云うなら、供に養う。
供養する側も、受ける側も、互いに供に癒されると云う意味と、私は捉えています。

 彼岸の存在達は、ある意味では、とても義理堅いですから、しっかり供養し、祈る事で、楽になれば、それだけの恩義は返してくれます。
損得でやるべき事ではないですが、先祖を敬い、供養し、自らも癒され自らを供養する感覚があると良いですね。

 皆で一緒に楽になりましょう。

 残念ながら、被りが酷かったり、心が余りにも現実的な方に向いて仕舞うと、こう云う大切な機会に他の用事が入ったりして、邪魔が入り易くなります。
供養したい時に、しなければいけない時に、出来ないのは、何か目に見えない問題を抱えている可能性がありますから、気をつけましょう。

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心と身体の声

2013 - 09/20 [Fri] - 02:54

 心の声、ひいては魂の声を常に聞いて生きて行ければ良いなと思います。
護身法では、心の使い方を覚えて戴きますが、まず初級で身体をしっかりコントロールする事を中心に覚えて戴きます。
自分の発する声は心、身体、魂と色々ありますが、一番分り易いのは身体の声です。
お腹が空いた、疲れた、調子が悪い、暑い、寒い、等、いつも何となく感じている筈です。
特別な信号、痛いとか、寒いとか暑いとか、疲れた等と云う強い信号は感じ易いものですが、そうでなくてもいつも身体はは信号を発しています。
いつも、身体の声を聞く事を意識し始めると良いですね。
今日の身体の調子はどうか、筋肉の状態はどうか、これ以上は無理だと身体が言っていないか、心地良いと身体が言っているか、等々、ちゃんと聞くと、身体は沢山の言葉を発しています。

 意識するだけでも、段々と身体の声は聞こえる様になって来ます。
が、何か運動、激しいものではなくても、運動していると、もっと良く聞こえる様になって来ます。
ヨガでもストレッチでも、ランニングでも、何か全身を使う様な運動が良いですね。
呼吸を意識して、手足の位置や向きを意識して、確かめる様に身体を動かして行くと、何もしないで身体を意識するよりも、信号が強く、身体の声が聞こえ易くなります。

 まず、身体の声が聞こえる様になって下さい。
その後の方が、心の声も聞こえ易くなります。
身体の声が聞こえない人が、心の声を聞こうとすると、往々にして妄想になり勝ちなものです。
身体の声を聞く時も、心の声を聞く時も、感情を挟まず、冷静に分析して行く、あるが侭を知ると言う意識で聞くのが良いですが、その訓練の為にも、何か運動してみて下さい。

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感謝して生きたいですね

2013 - 09/18 [Wed] - 04:18

 何かあった時、人間には感情がありますから、自分では隠しているつもりでも、心の中に湧き上がっている感情が無意識に顔や言葉に出て仕舞うものです。
余程の訓練を積んでいないと、完全に隠し切ると云う事は出来ません。
人から注意されたり、文句を云われたりした時、自分では素直にしているつもりでも、面白い筈はなく、無意識にそれが顔に出て仕舞ったり、返事に出て仕舞ったりして、相手にそれが伝わって仕舞って苛められたり、嫌がらせを受けた様な感じになって仕舞う事は良くあります。

 誰かを好きだったら、やはり無意識に目や表情や言葉、態度に出て、相手に伝わるものです。
同じ様に、相手を嫌っていれば、相手からも理由もなく嫌われたりする事は良くあります。

 特別な感覚などなくても、心は相手に伝わって仕舞います。
それは、無意識に自分がしている言動や表情に表れて仕舞っているからです。
心と身体、考え、それぞれが独立して別の方向を向いていると、そこに矛盾が生まれて、特に感情と云うものはエネルギーが強いですから、自分の考えとは無関係にそれが外に出て仕舞うものです。
心と身体、考えが一致して、一つになっていれば、そう云う矛盾はなくなり、意味のないと思える様なトラブルも減って来ます。
何かに固執したり、意味のないプライドに振り回されていると、いつまでも自己矛盾が続きます。
素直に、今ある事に感謝し、満足していられたら、良いですね。
持っている物や権力や金銭ではなく、今、ちゃんと生きて行ける事に感謝して、幸せを感じて生きて行きたいものですね。

 人間、ハダカで生まれて、最後もハダカで旅立ちます。
他のものは、権力も地位も金銭も、何もかも付け足しでしかありません。
命ある幸せ、存在する幸せを、意識して、今この瞬間を大切に生きて行きたいものです。

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ネガティブな妄想

2013 - 09/17 [Tue] - 02:06

 何か問題が起きたり、考えるべき事がある時、慎重であるのは良いですが、悪い方にしか考えない人っていますね。
ああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう、もし悪い事が起きたらどうしよう。
って、一言で云うと、ただの妄想です。
一見、論理的に聞こえても、根拠のないただの妄想でしかありません。
事は起きてから考えても遅くないですし、そんな事自体起きないかもしれません。
また、起きない様に手を打っておく事も出来るかもしれません。

 妄想が妄想を呼んで、どんどんドツボにはまり、悪い方に行くに決っていると思い込んで仕舞う様な自己暗示を招いて仕舞う事もあります。
大抵の恐怖心は、妄想です。
気をつけるに越した事はないですが、恐怖に囚われると、心も思考も身体も動けなくなって仕舞います。
大きく息をして、何か楽しい事でもしましょう。

 妄想に囚われて暗い顔をしていたら、良い運も来ないですよ。

 ちなみに、今日、道場のI君が奥さんと子供達を連れて来てくれました。
膝の手術の後遺症がまだ残っていて、痛みがある様で、観させて貰ったら、手術時に傷ついた支持組織に傷が残っていて、そこから痛みや出血がある様でした。
気療をして、大分楽になってくれた様で、むくみも消えた様で良かったです。
まだ完治には時間がかかりそうですね。
早く治って欲しいなと思います。

相変わらず綺麗な奥さんと、可愛い二人の娘達、幸せそうで安心しました。
良い家族と云うのは、見ていると温かさが伝わって来ますね。

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いつも光りを

2013 - 09/16 [Mon] - 03:26

 修業の目的は、神仏と繋がる事、神人合一とか即身成仏とか云いますが、本当は誰でも神仏と繋がっています。
神は大いなる存在であり、その神の内に我々は存在している。
であれば、常に神と繋がっている事になります。
仏は、人が執着を捨て、拘りを捨てた姿。
誰の心の中にも存在しています。

問題は、神や仏と繋がっている事を意識出来ていないと云う事。
誰でも慈悲があり、慈愛があります。
どんな悪人でも、心の中には良心があり、そう云う心があります。

 神や仏を特別な存在と思い過ぎる、そこに問題があるのかもしれませんね。
確かに常人を遥かに超えた存在であると思いますが、神話でも伝説でも良く良く読んでみると解りますが、人間とそれ程、違う訳ではありません。
神も仏も間違いを起こす事もあれば、迷う事もあります。
しっかり感情も持っています。

人は常に神と繋がり、心に仏を住まわせている。
その事に気づいて、いつも心に光りを感じていたいですね。
自由自在にそのパワーや光りを用いる為には、修業が必要ですが、幸せを感じて生きる為には修業などは必要ありません。
心を開き、通わせる事です。

心に光りがあれば、自身も必ず光ります。

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神と神

2013 - 09/15 [Sun] - 02:43

 DVDでドラゴンボールの映画「神と神」を観ました。
やっぱりと云う感じですが、少々コメディー路線が濃くて、シリアスさに欠ける感じで、面白い半分、がっかり半分と云う所でしょうか。
然し、ドラゴンボールの世界観は、また広がった感じですね。
原作者の鳥山明氏はどこからインスピレーションを得ているのでしょうか。
良い所をついているなと思います。
そして、いつもながら、誰でも仲良くなると云うか、気に入られて仕舞う孫悟空のキャラクターには脱帽ですね。
実際にいたら、かなり問題のあるアダルトチルドレンの様な武術馬鹿で、かなり田舎臭い感じだと思いますが、その人柄は素晴らしいですね。
長く愛されるアニメの主人公、成程なと勉強させられます。
色々な悲しみや怒りを乗り越えて来た、超ポジティブキャラ、良いですね。

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町田のハンズ

2013 - 09/14 [Sat] - 01:43

 急に思い立って、町田のハンズへ出かけて来ました。
お念珠に使う糸を買い、またちょっと見つけた玩具を買って来ました。
砂時計の液体で出来た様な物、小さなプラズマボール。
実用性とか何とかじゃなく、見ていて楽しいので買って仕舞いました。
私と妻が出かけている間、母がルンバを動かして楽しんでいた様です。
面白い!!とメールが来ました(笑)

 帰ってから、夜に気療。
その後にも訪問者。
有り難い事です。

 ハンズはいつ出かけても遊べますね。
面白いアイデアや不思議なものが沢山あって、見たりいじくったりしていると楽しいです。
色々と溜っていたものが大分抜けた気がします。
たまには必要ですね、こう云う時間も。

 DoCoMoから出たiPhone、先生は買いますかと云う質問が相次いでいます。
Mac党ですし、iPadminiも使っていますから、質問されるのは当然かもしれません。
でも、今すぐは替えるつもりはありません。
androidに満足している訳ではありません。
不満は色々ありますが、Macも初期不良が良く出る事もありますし、今のスマートフォンも手に入れてまだ7ヶ月ですから、もう少し待ってからかなと思っています。
iPhoneの使い勝手は多分iPadminiと余り変らないでしょうから、使い易いと思いますが。
買い物する時は、とことん調べ尽くしてから買うタイプなので、まだ飛び付くつもりはありません。
少し待った方が、色々なアクセサリーや対応品も市場に出て来ますしね。
ま、何れと云う事で。


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穏やかに

2013 - 09/13 [Fri] - 02:24

 仏様の根本理念は、在るが侭を受け入れる事、そこから生まれる癒しだと理解しています。
対して神の方は、激情、怒りが強いと感じています。
同じ様に、人を守り、慈しみ、包み込み、願いを叶えるにしても、方法論と方向性が全く違う様に思います。
人間関係では、どちらが良いのかと一概に決められませんが、出来れば穏やかに平和的な方が好ましいですね。
人それぞれの意思があり、生き方があり、考え方があり、また育った環境や、今の環境の問題もあります。
ですから、相手との関係を築く中で大切なのは、相手のその侭を受け入れて行く事だと思います。
違うのですから、理解出来ない事があるのは当然です。
違うからと否定していては何も始まりませんし、それはその相手の人格や生き方、存在そのものを否定する事に繋がる事もあります。
まず否定ありきは、ただの傲慢でしかありません。
最初に肯定ありきで、相手を受け入れ、理解しようと努力し合う事から発展が生まれます。

仏の修業をする者は、自分の持つものを相手の押し付けるのではなく、受け入れる所から始めるべきですね。
偉そうな、大上段に振りかぶった物言いや態度は、傲慢にしか映りません。
未熟者ほど、大言壮語し、切り口上の物言いをします。
大変に不愉快な思いを周囲にさせている事に気づくべきですね。

 また、何か気に入らない事があった時に、子供じみた態度や不機嫌が顔にすぐに出て仕舞うのも問題です。
それでは、誰もまともに相手をしてくれないでしょう。

 仏の根本精神に立ち返り、情熱を秘めて、穏やかに、静かに、心を広くして行きたいものですね。

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始めたら続けましょう

2013 - 09/11 [Wed] - 02:43

今日は道場でしたが、少しだけ体力的に楽だった気がします。
体力不足を感じて以来、毎晩、キックミットを蹴っています。
苦手な上段の蹴りを20〜30本。
流石に少し汗をかきますが、思い切り蹴っている訳ではありません。
やるのは大体夜中になるので、ミットを蹴る音はかなり響きますから。
こんな感じですが、少しずつ形が変って来ているのを感じます。
その反動で、内回し蹴りが蹴り難くなったのは御愛嬌です。
股関節が変化して来ているのかもしれないですね。
軽くやっているつもりですが、継続は力なのか今日の練習では少し楽でした。
とは云え、若い皆が加減して相手してくれているからこそで、感謝しています。
一緒に練習出来る事は幸せですね。
この年齢で、練習を続けていられるのは有り難い事です。
いつまでやれるか、生涯現役でいたいですが、頑張ります。
身体も心も怠けるのが大好きですから、休まないで続けたいですね。
皆さんのお陰、感謝しながら、頑張ります。
同じ年齢の人よりは動けると思いますが、甘えない様に続けたいですね。

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下手な考え

2013 - 09/10 [Tue] - 03:09

 皆、色々と小難しく考えているなと思います。
弟子達と話していても、相談者と話していても、もっと感覚的で良いのに、何でそんなに先の事までネガティブに考えているのかなって思う事があります。
失敗がない様に予測したり、対策を考えるのは良い事です。
しかし、こうなったらどうしよう、ああなったらどうしよう、ってネガティブに考えて仕舞って、自分の限界を決めて仕舞ったり、萎縮して動けなくなって仕舞っては意味がありません。
考えるなら、真っ直ぐに考えるべきで、あれこれ悩んで仕舞っては、歪んで考えて仕舞う事になります。
大切なのは、楽しい事、自分の心が心地良いと思う事、問題を解決する事です。
自分の心がどうしたいのか、それを良く聞いて、従ってみれば良いのではないかと思いますが。
そして、決めたら迷わない、ブレない。
時間をかけて考えて答えを出したのに、何かあると迷って仕舞ってブレていたら、前へ進めません。
一々、路傍の石ころに躓いていては歩けないですね。
進むか止まるか、ハッキリしましょう。
下手な考えは、悩みであり、堂々巡りになるだけで、時間もエネルギーも無駄です。
無邪気な子供の様に、自分の心に正直に、感覚的に動く事も時には必要です。
で、何かをすると決めて肚を括ったら、それから具体的な方法や道筋を考えましょう。
その時も一々つまづかない様に、ブレない様に気をつけて。

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ロボット掃除機を買いました

2013 - 09/09 [Mon] - 03:39

 我が家にも到頭ルンバがやって来ました。
妻の希望により、ロボット掃除機を検討していましたが、色々調べた結果、やはりルンバが一番安定していて、性能も良いと云う事が解り、購入しました。
早速充電して、稼働させてみると、中々頑張り屋さんで、充電も早く、しっかり掃除してくれました。
床に敷いてある絨毯の影響で少しエラーが出たりしましたが、そこはちょっと修正するだけで大丈夫そうです。
隅々迄とは行かないですが、中々賢いロボットですね。
まるでペットを見ている様に、可愛いなと思って仕舞いますね。
健気だなと思ったり、流石にロボット専門会社が作っただけの事はあるかな、と。
メンテナンスは必要ですが、家族が一つ増えた感じかもしれないなと云う事で、楽しく付き合っ行きたいですね。

相談者が来る時や月例会の時など、慌てて掃除しなくても済む様になると、妻も母も喜んでいます。
前の晩に動かしておけば朝までに綺麗にしておいてくれますからね。
久し振りに楽しい実用的な玩具と云う感じです。

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心の持ち様

2013 - 09/08 [Sun] - 02:52

 パニック障害の相談は、割と多いですね。
ちょっとした事が原因で、人の多い所や閉ざされた所、電車や乗り物、会社や授業などで、何かあったらどうしよう、気分が悪くなったらどうしようと恐怖になって仕舞う。
大抵は、幼少期から、人前での恥を恐れるとか、迷惑をかけてはいけないとか、途中で止めてはいけないとか云う、真面目さから来ている事が多い様ですね。
実際に嫌な目に遭ってなる人もいますが、そうでない場合は、自分で無意識に自分自身を縛って息苦しくしている事が多い様です。
誰かと話していると平気とか、安心出来る人の側にいると平気とか云う場合は、特にそうかもしれませんね。
人間の精神は、強い様でも、弱かったり脆かったりします。
気が強いから、精神が強いとは限りません。
小さな恐怖心が自己暗示になって、どんどんそれが高じて仕舞う事があります。
頭では何でもないと思っていても、暗示のかかった心がそれを拒否して仕舞います。

 そう云う時は、肉体感覚を取り戻す事が大切です。
パニック障害に陥っている人を、優しく触れていてあげると収まる事が往々にしてあります。
自分で身体を刺激して、肉体感覚を取り戻して行くと、精神が肉体の刺激によって落ち着いて行く事があります。

 肉体の感覚が弱く、頭でっかち、想像癖のある人は要注意ですね。
まず、肉体感覚を取り戻す為に、しっかり運動して、呼吸法も学びましょう。
自分の呼吸を数えているだけで精神が落ち着くと云う調息法もあります。
自分が弱いと思い込まずに、自分をフラットに戻す事を覚えて行くと良いですね。

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死生観

2013 - 09/07 [Sat] - 01:55

 長年の修業と仕事柄か、ある種の死生観の様なものは出来ているつもりです。
そのお陰で大抵の事はオタオタしないで済んでいます。
また、それが私の生き方の根本的な柱になっているかもしれません。
今、この場で命を落しても後悔しない、執着しない、そんな生き方をしようと心に決めています。
ですから、今日を精一杯、思い切り命を燃やして、自分らしく、自分に正直に我が儘に生きようと思います。
クヨクヨ悩んでも無駄に時間が過ぎて行くだけで何も解決しません。
それより、自分の思いに正直に、肚を括って、いざとなればブチ切れて全てを捨てるつもりで闘う事もあって良いと思っています。
どんな生き方をしようと、賛否両論あるのは当然ですし、人は自分が被害を受けない様に遠くから遠吠えしているだけですから、気にする事も振り回される事も必要ありません。
自分の生き方を決めるのは、神でも仏でもなく、まして他人である筈がありません。
自分の人生は自分で決め、自分の足で歩くしかありません。
切り開くのも、閉ざすのも自分です。
何もしないで負け犬になる位なら、闘って前へ進んで、力一杯やって負けた方が、気持ち良いですね。
潔さとか云いますが、そんな格好良いものではなく、今を生きる、命を燃やす、自分の心地良さに拘っているだけかもしれません。
自分の人生、どう生きても、自分で責任を取るしかないですから、失敗しても挫折しても、やれるだけ精一杯生きたいですね。
輝きも曇りも、全て自分ですから、心の内の炎は消さない様に、燃え上がらせたいですね。
偉そうに虚勢を張って、権力や力を振り回して、暴言を吐いて他を批判している様な、下衆にはなりたくないですね。

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心の中の闇と壁

2013 - 09/06 [Fri] - 02:49

 昨日の伝授でのテーマは「宿題」でした。
話は色々に及びますが、昨日はそれぞれの越えるべき宿題、見詰めるべき自分の中にあるもの、乗り越えるべき自分の中にある刺でした。

誰でも、苦手なものがあり、越えられない壁があります。
普段は意識していなくても、成長して行く過程で、また何かが上手く行かない時に自分を振り返る時、そこに大きな壁や隠れていた闇と向き合う必要がある時があります。
誰でも、一つや二つ、消せない刺が心の奥底に眠っていたりするものです。
いつかは越えなければいけないものですが、それは一番心の深い所にあり、気づかないで終る人も多いですね。
修業と云うのは、心を研ぎ澄まして行くと、その一番深い所にあるものに段々と近づいて行きます。
その闇はいつもサインを出していますが、自分では中々気づかないもので、最後の場面に来た時に向き合わされます。
そして、それが見えた、解ったとして、中々、正面から向き合って越えて行くのは簡単な事ではありません。
しかし、如何に困難であろうとも、そこを勇気を持って、粘り強く完全に越えて仕舞わないと、絶対に限界を越える事は出来ず、次のステップへと進めません。

修業とは、常識を越えて、常人の域を越えるのが第一のステップです。
そこを越えないと、普通の人と大差ない、ちょっと能力の高い人でしかありません。
自分の限界は、自分の中にこそあります。
弟子達にも早く越えて欲しいですね。
苦しいし、辛いでしょうが、本物になる為に。

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自分を取り巻く色々な声

2013 - 09/04 [Wed] - 03:48

年齢とは残酷なもので,若い頃では何でもなかった事が、年齢を重ねると段々と響いて来たり、痛みや故障が出て来たり、耐えられなくなって来ます。

 事実、長年の空手での負担が私にも色々な故障をもたらしています。
膝も良くないですし、歯は全てにヒビが入り、歯根が下がったせいで歯が歯茎のみで支えられている状態です。
御陰で全ての歯がぐらついていて、ある程度の固さのものは何も噛む事が出来ません。
また、知覚過敏により冷たいものは、水と云えども凍みて仕舞います。
他にも首や膝、肘、その他手足にも色々な小さな問題は起きています。
こう書くと、満身創痍の様ですが、それで空手を止めようと思った事もドクターストップもありません。

 運動は適度にやるもので、徹底して極限までやっていると、身体を壊すと云う証明の様なものですね。

しかし、空手で学んだ事や、空手で救われる事は、一度や二度ではなく、今も空手の御陰と思う事は沢山あります。
長く続けて来た事で出来た人の縁、知らず知らずに強くなって行った気が、今は気療に役立っています。

 自分の心が求める事を素直に聞いて、自分にだけは嘘をつかず誤魔化さずに生きる、それが現在の私を作りあげて来たと想います。
それは、魂の声なのかもしれません。
頭で考えた事よりも、身体の中から湧き上がる純粋な気持ち、その心に従っただけですから。

 そして注意してみれば、いつでも間の前に、自分の周囲に沢山ある神仏の声に気付きます。
神仏の声が、神秘的な心や頭に直接響いて来る様な、不可思議な現象ではなく、常に眼の前にあります。
それに気づけば、いつも見守られ、助けられています。

 意識を研ぎ澄まして、身体の声、心の声、魂の声、そして神仏の声を感じて聞いて行きたいですね。

 私も、少し身体の声に耳を傾ける様にしないといけませんね。
若い頃に、決して無茶をしたと思っていませんが、周囲はそうは思っていない様で、やり過ぎといつも思われていた様です(笑)

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記憶や感覚が甦る

2013 - 09/03 [Tue] - 03:10

 昔、持っていた記憶や感覚、何かの理由で閉じて仕舞って長い年月が経ち、それが甦ると云う事があります。
つまもそうでした。
子供の頃に見えていた妖精や色々なもの、ある日、何を思ったのか自分でその感覚を封印して仕舞ったそうです。
それから何十年、私の妻となってからそれが甦り始めたそうです。

私も高校生の頃、全く何も感じず、聞こえない時期でした。
それが東京へ出て来て、予備校時代、甦りました。
予備校の寮に住んでいたのですが、そこで霊と遭遇し、それが引き金になってまた感じ始め、それが段々と強くなって行きました。
子供の頃は、目に見えない存在達がとてもフレンドリーで、嫌なものを遠ざけていてくれたのでしょう。余り怖い思いや嫌な思いをする事はありませんでした。
が、甦った時に感じるのは、ネガティブな、決して心地良くないものばかりでした。
これは強くなるか、もう一度封印するしかないと思って修業に入りましたが、結局感覚は高まるばかりで消えず、強さを身につけて対抗して行くしかありませんでした。
その後、自分なりのコントロールを身につけ、感覚のレベル調整と云う事が出来る様になりました。
ボリュームを上げたり下げたりする様に、感覚のボリュームの調整をする様になり、日常生活に不自由が亡くなりました。
それまでは、何処を見てもまるでホラー映画の世界で、あの映画シックスセンスの世界観そっくりでした。

一度封印したものが甦る時、その記憶も甦るものらしいですね。
が、残念ながら、当時やっていたコントロールや知識は消え去っている様です。
なので、甦った時点では、感覚が開き始めた全くの初心者と同じ。
ですから、一つ一つ経験を積み、知識を付けながら、進んで行くしかありません。
ある程度になるまでは、結構辛い日々が続くものですが、段々と解って行き、慣れて行きます。

 どうも、私の所に来ると、そう云う甦りがおきる人が多い様です。
ちゃんとサポートして行くので、安心して下さい。
感覚の強い人のサポートは、経験者でないと出来ない所もあります。
私の所には、そう云う経験者が沢山いますし、固定観念で、こうあるべきと云う決めつけはしないので安心して下さい。
その人のライフスタイルに合わせて、アドバイスして行きます。

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既にお彼岸の影響が

2013 - 09/02 [Mon] - 02:56

 何だか今年は、お彼岸の扉が開くのが早いのか、既にチラホラと出て来ているのを感じますね。
お彼岸は、御盆の様に思想的なものではなく、春分秋分の日にあの世とこの世の重なりが深くなる事で、彼岸と此岸の扉の開き方が大きくなる時期です。
どうしても、彼岸からの訪問者が増えて仕舞います。
来て貰うのは構わないのですが、どうしても生きている人間にとって、彼岸の住人のエネルギーはネガティブで影響を受けて仕舞います。
俗に云う成仏したとされる、行くべき所へ行った人達であっても、生きている人間とはエネルギーの質が違い、此岸に出て来た時にこの世にいた時の記憶が甦るのか、ネガティブなエネルギーを発していて、生きている人間に影響を与えて仕舞います。
彼の世にちゃんと行けたからと行って、皆がクリアーでポジティブなエネルギーを持つとは云えないと云う事ですね。

 とは云え、影響を受けるのは嬉しくありません。
自分達がしっかりポジティブなエネルギーを持ち、強く発していれば、影響も少なくなります。
いつも笑顔を心に持ち、身体を鍛えておきましょう。
自分が光っていれば、ネガティブなエネルギーは跳ね返す事が出来ます。
光りと影の様に、影の持つ暗さに侵食されない様に、強く光っていたいですね。
影を引き寄せるのは、自分の心の中にある陰です。
心の中に陰や暗闇を持たない様に、気をつけたいものです。

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相手の為と言いながら

2013 - 09/01 [Sun] - 01:37

 誰かに心配されている時、相手からまるで叱られている様な、押し付けられている様な感じを受けて、心配してくれて有り難いのに何だか不愉快になって仕舞う事ってありますね。
自分の事を思って言ってくれているのは解るのだけど、聞いていると素直になれなくなって、段々と腹が立って来る。
良くある事です。

親が子を思う時、同じ様に子供を責める様な言葉で、子供が素直に言う事を聞かない、子供の顔が段々と不機嫌な顔になって行き、最後には起り出すって云う事も良くあります。
それがエスカレートすると、子供が親を殺めたなんて事件に発展するのかもしれないですね。

自分が友達や身内を思う時も、心配して同じ様な言葉を発していないか、考えてみたいものです。
つい、こうでなければならない、何でそうなの、それじゃダメ、と逃げ場をなくす様な言葉で責め立てて仕舞っていないか、考えてみたいですね。

相手を思って言っているのだから、何を言っても許されると云う事はありません。
言葉を発する側にも、聞く側にも、同じ様に人格があり、それぞれの考え方や生き方があります。
互いを尊重し、相手の生き方や考え方を受け入れた上で言葉を発しないと、人格否定になって仕舞います。

自分を認めてくれない人の言葉を相手が素直に聞く訳がありません。
心が通わないのは、相手を無意識に責めて仕舞っているからかもしれません。
最初に否定ありきは、会話でも、考え方でも、先がありません。
まず肯定ありきで、そのままあるがままを受け入れ、その上で未来を思って進んで行くのが良いと思いますが。

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プロフィール

島津 成晃

Author:島津 成晃
Adept・Mentor 島津相談室主宰
人生のあらゆる問題の相談に乗って来ました。
元気になって希望を持って帰って戴く事が私の願いです。
スピリチュアルな目と、冷静な分析で御相談に乗ります。
御相談はHPの方からお願いします


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