感じたり思った事を書いて行きます。 時には秘伝などを書く事も。 空手や色々な趣味の話も。

  Adept・Mentor 島津成晃の独り言のナビゲーター   トップページ > 2012年09月  

静かに流れる空気感

2012 - 09/30 [Sun] - 01:44

 人と付き合っていると、相手との間にある空気を感じる事が出来ます。
心が通っているか、すれ違っているか、心地良いか、違和感があるか。
無言でいたい時に、無理に言葉を交さないと落ち着かない相手は、まだ相手との間に自然な空気が流れていないと云う事ですね。
沈黙の時間、心地良く過せる相手がいたら最高ですね。

 同じ事が、自分を取り巻くものにも云えます。
家や車、喫茶店やレストラン、自分の感性に合っていて、ゆったり出来て、どこかワクワク感がある様なものなら最高ですね。
何気ない時間を、家で何気なく過す。
ゆったりと、急ぐ事なく、愛車を駆って運転そのものを楽しむ。
落ち着ける喫茶店で、好みの味の珈琲を飲み、その空気を味わう。
ゆったりと時間を気にせず、美味しい食事を楽しみながら、心にも身体にも栄養を与えて行く。
そんな贅沢が最高だと思います。

 道場で、試合や審査に向けてシャカリキになって練習する時間も良いですが、一つ一つを確かめながら、時間をかけて基本をやったり、移動稽古をしたり、型をじっくり確かめて行く時間は最高です。

 心豊かに、贅沢な時間を、自分に与えてあげられる様にしたいですね。

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残すべきもの、捨てるべきもの

2012 - 09/29 [Sat] - 02:04

 人が新しい道へ踏み出そうとする時、変化は付き物です。
その時に今まで手許にあったもの、洋服でもアクセサリーでも、誰かから貰ったプレゼント、何か書いたもの、他にも時間を過して来た家や車など、何かから離れる、捨てる必要が出て来る時もあります。
変ると云う事は、付き合う人も、持つ物も変って来るものです。
全ての過去に決別する必要はありませんが、新たな道へ踏み出そうと云う時に、過去にトラウマになっているであろうものを、後生大事に持ち続けようとする事は、踏み出す一歩に躊躇を呼びますし、止めてしまう事さえあります。
人間と云うのは、いざとなると中々割り切れないもので、ズルズルと過去の遺物や栄光に囚われていたりするものですが、それが未来へ歩み出す役に立つものであれば兎も角、要らないもの、足を引っ張るものは、捨てて行きましょう。

 勿論、ずっと持ち続けるべきものもあります。
親の形見の遺物。
今は役に立たない物ですが、そこには親の人生と心が詰っています。
そこから勇気を得たり、自分の指針になったりする事は良くあります。
他にも同じ様な意味で、残すべきものはあると思います。

 何を大切に残すか、何を捨てるか、未来への道筋の中で考えて行きたいですね。
捨てる時には、心の中で有難うと感謝すると、別れ易くなるかもしれませんね。

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越えてはならぬ

2012 - 09/28 [Fri] - 03:20

 人には誰にでも、絶対に侵されるべからざる大切なものを、一つや二つは持っています。
それは信念であったり、それに付随する物だったり、生き方だったり、思い出だったり、色々あります。
それに不注意に、或いは不躾に、触れてしまったら、その人の逆鱗に触れてしまう事になります。
どんなに穏やかな人でも、絶対に触れてはならない領域と云うものがあります。
それを越えてしまうと、まるでニトログリセリンが爆発する様に、前触れなく暴発してしまう事もあり得ます。

 親しき仲にも礼儀ありと云いますが、同時に信も筋も仁も義もあります。
まして親しからざる仲には、その礼儀やその他を守らないと、大変な事になります。
人としてのわきまえと云っても良いかもしれないですね。
世の中が便利になり、上下関係等が曖昧になって来ている中、そう云うわきまえを知らないのか、知っていて無視しているのか、傍若無人に踏み越える無礼者が増えている様に思いますね。

 私は、祭壇や祭壇の上の法具、また経典、そして神棚や仏壇は、私が許可した者以外には触れさせません。
触れる資格のある者以外が触れる事は、絶対の禁忌です。
が、何かの折に、親切心から許可していない者が手伝おうとする時があります。
そう云う時、弟子達が上手く止めてくれています。
助かりますね、こう云うのは。
私が直接言うと、やはり厳しく叱責された様に感じてしまうでしょうから。

 道場では、黒帯は許可を浮けた者以外は締める事は勿論、触れる事も許されません。
黒帯と云うのは、それ程、神聖なものです。
また、それ位の思いを持って黒帯を締める事が、武道が武道たる由縁です。

 当り前の様に思いますが、当り前じゃない、わきまえのない人が増えているのは嘆かわしいですね。
近代化すると云う事やざっくばらんである事と、守るべき事を逸脱すると云う事は違うと思いますが。
大切にするべき事は、絶対に侵してはならないですね。

 今日、私の一つの大切な物、愛車を点検に出しました。
どこかからガソリンの臭いが漂って来ていたので、ガソリンがどこかで滲んでいるか、漏れている可能性があるので、危険ですから。
古い古い車ですが、大切な私の相棒であり、友です。
ずっと乗り続けて行きたいですから、しっかり点検して、悪い所は直して、健康になって帰って来て欲しいですね。

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何でしょうね、偉いって。

2012 - 09/26 [Wed] - 03:29

 勉強が出来て成績が偉い、一流大学に入ったから偉い、大企業で働いているから偉い、スポーツ等で好成績をあげたから偉い、他にもずっと努力しているから偉いとか、偉いって言葉は色々な場面で使われますね。
何が偉いのかと云う基準も、人それぞれの価値観による所も大きいですし、属している社会によっても違います。
例えば医学界では、誰がどう言おうと医師が一番偉いと云うのが不文律だったりします。
それが正しいか間違いかではなく、そう云う基準で動いている社会だと云う事です。
武道の世界では帶が上の者、会社では地位が上の者、スポーツの世界では成績を残した者、それぞれの世界での基準があります。
そこに異論を唱えたとしても、それはその社会の中では通用しません。
外部の人が、それはおかしいだろう、変だ、間違っていると言うのは自由ですが、余程の事がない限り、その基準は変りません。

 世間一般では、以上の様な基準で人を評価し、偉いと口にする事が多いですね。
人としてどうかと云う問題は、この際は無関係ですし、そんな理屈はその世界では通用しません。
が、偉いからと云って、人から尊敬されるか、愛されるか、憧れの対象になるかどうかは、また別問題です。
偉い人で、実は人格的に問題があったり、人望がなかったり、そう云う人は沢山います。
が、長い年月で考え、観察して行くと、やはり本当に偉い人と云うのは、人格的なバランスも取れていて、人から尊敬されて人望も篤く、憧れの対象になっている様な人が、長く偉いと云われ続けている様に思います。

 偉いと云われる所へ登り詰めるのも大変な努力の結果だと思います。
が、それをずっと維持して保って行くのは、もっと大変な事です。
真に偉い人と云うのは、自慢したり、人からの評価を望んだり、媚びたりしないものだと思います。
理想論ですが、そう云う人になりたいですね。

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ゆっくり、ゆっくり

2012 - 09/25 [Tue] - 03:55

 先日の日曜日は、御彼岸供養会でしたが、厳しくもあり、激しくもあり、しかし心を込めて滞りなく行なう事が出来ました。
供養に参加した人の思いがとても熱く、真摯であり、それが大きな渦となって祈りが大きな波となって伝わって行った様な気がします。

 供養の後、いつも通りに月例会を行ないました。
護身法、それに続く勉強会。
そんな中で先の熊野参拝旅行の写真をスライドにして、皆さんに見て戴きました。
写真の枚数にすると160枚弱、10数分ですが、そこには参加した皆さんのとても優しく、輝く笑顔がありました。

 供養と云い、参拝旅行と云い、何かをして行く中でどうしても変化を求めてしまい勝ちですが、人はすぐには変れません。
人が成長するには、長い時間が必要です。
また、大切なものをじっくりと時間をかけて行く事も大切です。
その場の気持ちや情に任せて焦ってしまうと、大切なものを壊し、また失ってしまう事に繋がります。
人の心と云うものは、ゆっくりと進んで行く事で、自然に高まって行き、輝いて行きます。

 ゆっくり、じっくり、焦らず、大切に、心を育てて行けたら良いですね。

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ファンタジー

2012 - 09/23 [Sun] - 02:56

 3次元に囚われているのが我々ですが、心と魂は次元を越えて広がる事が出来ますね。
距離を越え、時も越えてしまう事があります。
思えば一瞬にして眼の前に現れ、また自らが赴く事さえ出来るのが心と魂の世界です。
実際的な次元論は兎も角、そう云う広がりを自分の中に持っておく事は、大切です。
眼の前の現実がどうあれ、そこに未来への道があり、過去への道があります。
また、3次元世界に対する多くのヒントがそこに隠されている場合もあります。
瞑想したり、イメージングしたりする事で、問題解決の糸口が見えて来たりする事は良くあります。
自己啓発等で良く言われる引き寄せの法則やマーフィーの法則等も同じですね。

 修行では、肉体と心と魂を一つにして行く事を目指します。
それぞれに人格がありますから、人には最低でも3つの人格がある事になります。
これでは混乱を生むのは当り前ですね。
それらを一つにして行く事で、人格は統一され、混乱が消えて行きます。
迷いも当然ながら消えますね。
そうした時、意思は強い方向性を持って進みます。
そして、心と魂は次元を越えています。
ですから、思いは次元を越えて目的に向って進みます。

 ファンタジーは、エンターテイメントとして、とても癒されるものですが、誰の心にもそれは眠っていて、日頃は忘れていても、ファンタジーに触れた時に甦ります。
単なる絵空事としてではなく、少しだけ、本当の事かもしれないと思えたら、世の中を見る眼も、自分自身を思う気持ちも変化するかもしれません。
また、肉体と心と魂を統一して行くヒントが、沢山描かれています。
ちょっと目線を変えて、ファンタジーに触れてみて下さい。
取り敢ず、楽しいですから。

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祈る幸せ

2012 - 09/22 [Sat] - 02:24

 明後日、23日が御彼岸の供養会ですが、今日は祖母の命日です。
亡くなってからかなりの年数が経っていますが、未だに消えない記憶が沢山あります。
お小遣いを貰った事、遊びに行った事、あまりお喋りな人ではなかったですが、不思議と心にしっかり残っています。
母が年齢を重ねて、段々と似て来るのは、やはり親子なんだなと思います。

 祈りの日々が続くのは、例えば被りとかで辛い事も多いですが、その反面でとても嬉しいものです。
過去を支えてくれ、私達に繋いでくれた人々と交流し、祈りを捧げる事の出来る喜びは、得難いものがあります。
祈るにも色々な条件がなければ出来ません。
生活に追われていてそれどころじゃないと云う場合もありますし、目先の事に囚われていたら大切な事は見えなくなってしまいますし、先祖を思う心って与えられるものなのかもしれないなと思います。

 祈る幸せを感じて、しっかり御供養して行きたいですね。

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女性に威張っている男性って、バカに見えますが

2012 - 09/21 [Fri] - 03:16

 最近、良くある相談ですが、いわゆる男尊女卑的な言動をする男性が未だに沢山いる事に驚きます。
昔の様に女性は3歩下がってとか、男性のする事に一切口を出すなとか、何でも男性の言う事を聞けと云う程、ハッキリ激しいものではないのですが、それでも男性の方が上であるかの様な言動や、家事を一切しないで女性に全てやらせるとか、そう云う話は良く聞きますね。
男子、厨房に入らずなんて言っていると、今時ではお洒落じゃないなと言われてしまいます。
料理の上手な男性は魅力的ですね。
それだけ感性や情緒が豊かである事の証左ですし、食べる人の事を思って料理する姿は、愛情に溢れています。

 別に家事を女性と分担するとか、そう云う事ではなく、相手の立場や心情も考えてあげる、その上で話し合う中で出来上がって行くのが素敵な関係だと思いますが。
自分が機嫌が悪いとか、自分の望んだ通りでないとか、そう云う事で八つ当り的に女性に暴言を吐いたり、強い言葉を発してしまうのは、同じ男性として聞いていても、男らしくないなと感じます。

 女性は慈しむものであり、苛めるものでも、押え付けるものでも、抑圧するものでもなければ、まして部下でも家来でもありません。
男性を癒してくれて、時には励ましてくれて、支えてくれるのが、女性です。
また、男性にはない感性や目線を持っていて、それが男性の仕事にとても役立つ時が多々あります。

 外で仕事をしていると、家事は仕事ではないと感じ勝ちですが、家事は家を維持する為の大切な労働であり、それは女性の男性への慈しみの気持ちから与えられているもので、それが当り前だと思ってしまったら、人として傲慢極まりない愚か者でしょうね。

 何れにしろ、女性に対して、キツイ言い様や、怒鳴ったり、暴力は、男として恥ずかしい、許し難い行為だと思います。
優しく教えたり、アドバイスしたり、協力したり、そう云う事が出来るし、それが包容力のある男と云うものしょうね。
強いものに対して立ち向かうのは立派ですが、弱いものに強く当るのは、男性としての未熟さと恥を晒している様なものです。
気をつけたいですね。

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事件は現場で起きている?

2012 - 09/19 [Wed] - 03:13

 「事件は現場で起きている」は踊る大捜査線の青島刑事の台詞ですが、本当に全ては現場で起きているものです。
幾ら知識をつけても、考えても、悩んでも、現場で起きている事に実際に直面しないと解らない、学べないものです。
仕事でも修行でも、マニュアルで語れない、教える事が出来ないものは沢山あり、それは現場での体験の中からしか得る事が出来ません。
失敗したり、壁に当ったり、落ち込んだり、迷ったり、そんな中から自分で掴み取って行くものですね。
それは、人間関係も同じです。
人付き合いや恋愛で、幾ら頭で考えても、相手は自分の思う通りには動いてくれませんし、思ってくれません。
何度も何度も失敗しながら、一つずつ学んで行くものです。

 今日、道場へ行き、練習後に妻が黒帯の先輩から、とっても痛い、いわゆる効く下段蹴りを教えて貰っていましたが、そう簡単に身につくものではありません。
何百回も何千回も蹴って、覚えて行くものです。
すぐに出来る様になられたら、黒帯の立つ瀬がないよねと笑っていましたが(笑)

 内弟子にプロとして人の相談に乗っている者がいます。
また、プロとして人を癒している者がいます。
いつも、兎に角、沢山の人を癒し、相談に乗りなさいと言っています。
現場で仕事をしなければ学べない事が、それこそ山ほどあります。
こう云う場面ではこう、ああ云うケースではこう、と教えても意味がありません。
自分で失敗を繰り返しながら、苦しみながら、覚えて貰うしかありません。
勿論、その度にアドバイスしたり、批評したりしながら、色々と教えますが。

 体験を恐れず、チャレンジして行きたいですね。

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シンクロする

2012 - 09/17 [Mon] - 02:17

 数日前に見た映画にはまって、また観ている映画が「ロード・オブ・ザ・リング」指輪物語の映画版ですね。
ところが、数日前から作っている月例会での資料が、「精霊と妖精」。
何だか完全にシンクロしていました。
意図した訳ではないし、不思議な感覚ですが、こう云う事って良くあります。
思っている事が誰かの思いとシンクロしたり、何か考えている時に眼の前にそれに関連する事が出て来たり。

 良くテレパシーとか云いますが、人間の思いは表情や態度だけではなく、外に向って発しているのでしょうね。
それをキャッチしたり、同じ様なものを発しているもの同士が引き合う。
双子がいつもシンクロすると云いますが、普通の人でもそう云う事は、振り返ってみると良く起きているのではないかと思います。

 そこに感情があってもなくても、強い思いは伝わる。
それが純粋であればある程、顕著かもしれませんね。

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曲げられない誇り

2012 - 09/16 [Sun] - 01:57

 誇りは、安っぽいプライドとは違います。
信念であり、自分の生き方の基本であり、自分を律するものですね。
それは、自分の人生観や哲学、職業意識等から生まれて来るものだと思います。
小さな事はどうでも良く、最後の最後、それだけは曲げられないもの、それが誇りです。

 職業人として、絶対に曲げられない誇りを持っていたいですね。
それを忘れたら、その職業を生業とする者として失格。
そんな気持ちで仕事をして行きたいものです。
人は弱いもので、何かの時に信念を曲げてしまわなければならない事にぶつかる事もあります。
でも、そんな時でも、頑固に信念に従い、後に起きて来る結果は甘んじて受ける覚悟を持つ事が出来たら、怖いものはありませんね。

 敢てリスクを犯す必要もなく、そうして家族を守る、そう云う生き方もあります。
それは逃げではなく、誇りを持ってそうしている訳ですから、立派です。
中途半端でなく、下がるか、闘うか、誇りを持って、信念に従って行きたいものです。
また、誇りを持って、威厳を持って、頭を下げる事が出来る様になったら、最高ですね。

 心は貴く、そして頭と腰は低く、眼は高く、そんな生き方が出来たら良いですね。

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ファンタジー

2012 - 09/15 [Sat] - 03:46

 今日、何気なく見たBSで「ロード・オブ・ザ・リング」がやっていて、見入ってしまいました。
何だか印象が違って、以前に見た時とは異なる感じがしました。
とても面白く、入り込んでしまいました。
見ている内に、何か自分の中で甦るものがありました。
子供時代のファンタジーでしょうか、魂の奥底に眠るものでしょうか。
眠っていた夢が想い出されて行く感じです。

 この手のものをファンタジー、絵空事として楽しむのは勿論ですが、ちょっと視点を変えると、色々と感じるものがあり、何かが動き出す様な気がします。
また、色々なヒントが隠されていたり、伝わって来たりしますね。

 誰でも心の奥に眠らせているファンタジーの世界、なくさないで大切にしたいですね。

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井の中の蛙

2012 - 09/14 [Fri] - 02:38

 人間は誰でも自分の価値観を持っていますが、それは大抵は誰かからの、或いは周囲からの影響や、受けた教育、育った環境等から作りあげられたものです。
人それぞれの価値観に正しいとか間違いとはありません。
が、自分の側から、或いは一方の立場から見ると、他人の価値観は間違ったものだと感じてしまったり、自分の価値観だけが正しいと思い込むのも事実ですね。

 宗教団体に限らず、何かの団体に所属したり、ひかれたレールの上を歩いて来た人、レールから外れて生きて来た人、それぞれ自分の価値観の中で生きています。
そこにこだわって、他の価値観を拒否し続けていると、ある意味では楽ですね。
迷いも生じないし、混乱もしないで済むでしょう。
が、世の中は広く、また色々な人と出会う中で、自分と異なる価値観の人と出会わないで済むと云う事は、あり得ない事ですね。
そんな時、自分の世界や価値観以外のものを排除して来た人は、凄く戸惑います。
日本人が初めて海外へ行った時に、現地の言葉や習慣に戸惑うのと同じです。

井の中の蛙、大海を知らず

 良く云う諺ですが、視野が狭く、価値観も固まっていて、それ以外は認めない頑迷な人の事を云いますが、誰でもこう云う側面は持っています。
変る、認めると云うのはとても勇気の要る事で、自分だけが正しいと誰でも思いたいし、それが楽だし、またそうやって自分を守ろうとするのが人間の本能です。
でも、そこから一歩踏み出して、世間を知らない自分を認識して行くと、人は変ります。

 自分以外の考え方や価値観を受け入れ、認める事が出来る様になると、人との距離感が変わります。
十人十色、当り前の事ですが、それを認めると、逆に人の多様性を楽しむ事も出来る様になります。
弟子達と良く話しますが、この世に絶対的な正もなければ、邪もありません。
ある価値観、立場から見た時、そこにルールが存在し、そして正邪の考えが生まれます。
人間社会で生きているのですから、人間社会の正邪に従うべきではあると思いますが、時にはそこを離れて、広い眼で色々な物事を捉えてみると、精神も魂も解放されて行くだろうと思います。
意識せず囚われ、また自ら望んで囚われているのが人間ですが、精神や魂はもっと広く大きく昇華する事が出来ます。
そこからまた人間関係も、問題の捉え方も変って来るかもしれないですね。

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夜は涼しくても

2012 - 09/12 [Wed] - 02:45

 夜になると、コオロギや鈴虫の声が聞こえる様になり、昼間もアゲハチョウの姿が消えました。
涼しくなって来てはいますね。
とは云え、昼間はまだまだ暑い日が続き、雨が降らずに渇水と云う事で、落ち着かないですね。
が、道場は今日も夏真っ盛りと云う熱さでした。
こんなに出るかと云う程、大量の汗がボタボタ落ちて、練習が終った時には道着がグッショリ。
汗が出過ぎて、肌がサラサラになっています。
筋肉痛は明くる日や、その次の日に出ると云いますが、反応が早い私の身体は既に筋肉痛が出始めています。

 有り難いですね、こうして何かに集中し、夢中になれるものがあるのは。
年齢を重ねると、段々と世間が狭くなったり、付き合いが減ったり、趣味もなくなってしまったりするものですが。
一生現役、でいられたら良いなと思います。
と云う訳で、秋は体育と食欲の季節と云いますが、空手の季節です。
これから、沢山の試合が各流派、派閥で行われます。
その全てを見る事は到底無理ですし、今年はどう云う訳か、大きな試合は全て仕事の予定で潰れています。
仕事しろ!!って事でしょうね。

 こうして空手を続ける事で、あちこちに知り合いも広がり、お世話になる方、世話する方、色々と広がって行くのも嬉しいですね。
ネットワーク、何かの繋がりを持っている事は、仕事でもプライベートでも大切です。
ジャンルを問わず、年齢を問わず、一緒に頑張って行けて、知り合いが増えて、視野も広がります。
道場は良いですね。
何か一つ、そう云う場所を確保しておくと、まだまだ成長して行く事が出来る可能性が高まります。
面倒臭がらないで、臆さないで、何かやってみると良いですね。

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熊野参拝旅行後記(続)

2012 - 09/11 [Tue] - 03:04

 熊野参拝旅行の写真をフォト蔵に全てアップしました。
面白いと云うか、Casioの性能の良いカメラのフォーカスが合わず、ピントがズレている写真が多く、聖地等では写真が撮れない事もありますから、そう云う事なのかとも思いますが、参加メンバーの写真がピンずれしているのは驚きです。
お参りによって皆さんのオーラ・パワーが上がったのでしょうね。

 また、妻が空や夕焼けの写真をブログにアップしていますが、旅行中の空には色々なものが写っていたりして、聖地ならではと云うべきか、皆のパワーが呼び込んだのか。
そう云えば、2日目のお参り出発直前、物凄い通り雨が降りました。
たまたまと云うか空を見ていたのですが、黒い雲が風に乗って近づいて来て、正に一転かき曇りと云う感じで、凄まじい程の雨が降りました。
それが通り過ぎると、今度は抜ける様な青空。
絵に描いた様な禊の雨だなと感じたのを覚えています。

 それにしても、写真に写る皆さん、とても良い顔をしていました。
笑顔、真剣な顔、夜のリラックスタイムでの素顔、どれも素敵です。
とても印象に残った人も何名かいます。
今まで見る事が出来なかった素顔、素敵な一面を見る事が出来たのは幸せです。

 大勢での旅は、率いる私よりも、コーディネートして、細かい配慮で準備し、また最後まで遺漏なくやってくれるスタッフ、これは内弟子ですが、他にも協力してくれる参加者の方々の力があっての事です。
毎年、大変な思いをさせてしまっていますが、年を経る毎に熟して行く様に感じて、有り難いです。
決める時は決める、それ以外は楽しく、リラックスして、互いを気遣い、全身で何かを学び取る。
そんな旅、また出来たら良いなと思います。

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内弁慶

2012 - 09/10 [Mon] - 03:42

 良く内弁慶とか、外面が良いとか云う人がいますね。
家の中では偉そうにして、外に行くと、如才なくてとっても良い人。
だから他人は凄く優しくて良い人だと思っているけど、実は家の中では無類の我が儘で勝手気侭。
そう云う人、日本人には特に多いですね。
強いものにはへつらい、弱いものには強い、って人もこれまた多いですね。
至誠一貫していない。

 大体、そう云う人、内柔外剛の人には何らかの強いコンプレックスやトラウマが残っている場合が多く、アダルトチルドレンとは云いませんが、成長していない幼い部分が強く残っている人が多いですね。
そして、運悪く、同性の尊敬出来る先輩との出会いが少なかった人、社会性に欠けると云うか、足りない人が多いと思います。
幼いのだから仕方ないって言っていられたら良いですが、近くにいるもの、家族にとっては良い迷惑の人ですね。

 色々な事で余裕がなくなって来ると、仕方ない部分もありますが、それが我が儘や自分勝手、気遣いのなさ、礼儀を失する(親しき仲にも礼儀あり)となると、これは人として如何なものかと思います。
言い訳にはなりませんね。

 私も若い頃は(今でも若いつもりでいますが!!)そうだったかもしれないなと反省しています。
八つ当たりや我が儘や自分勝手はしなかったと思っていますが(自分ではそう信じていますが)、余裕がなく、ピリピリしていた事は確かですね。
でも、色々な人が支えてくれて、助けてくれているから自分もデカイ面をしていられるので、特に家族や身内にはそうだったと思います。

 闘うべきは外の社会であり、家庭で、身内の中で、無用な肩肘は人間が小さく見えますね。
どこで突っ張るか、どの場面で闘うか、間違わない様にしたいものです。

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自分で殻を破る

2012 - 09/09 [Sun] - 03:10

 殻を破るって難しいですね。
何も不自由がなく不満がないなら、そのままで良いのでしょうが、月日が経つに連れて状況は変って行きますから、どこかで進歩する、変化する事は必要だろうと思います。
また、狭い視野と世間で生きていて、「井の中の蛙、大海を知らず」と云うのは、やはり人として悲しいですね。
広く世間を見聞きして、視野を広げて行きたいものだと思います。

 その為になにをするか。
今までやった事のない事にチャレンジする。
限界と思っている所を、死ぬ気で越えてみる。
拒否していたものを、敢て受け入れてみる。
方法は色々とあるでしょうね。
変化するのは怖いですし、必要を感じないと、殻を破る勇気は中々出ないものです。

 でも、小さくまとまらないで、大きく、自由に羽搏きたいですね。

 写真は、SHINO が今日やったライブの場面です。
参加してくれた人が撮って送ってくれました。
中々、弾けていますね。

SHINO LIVE
SHINO LIVE posted by (C)島津 成晃

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不可侵

2012 - 09/08 [Sat] - 02:54

 日本は不思議な国で、神と仏のみならず、海外から来た神(仏も元はそうですが)やそれ以外にも下界のものや魔界のもの、更には人間が作りあげた科学や哲学と云う宗教まで信じています。
海外でも同じ様に多種多様な信仰はありますが、日本は精神性と云うものに限定するなら、世界の臍と云われる場所で、地球上の全ての信仰が集まって来ている場所です。
だから、表面上は信仰がない様に見えたり、自分でもそう思っている人が多いですね。
ですが、その実体は宗教、信仰から絶対に離れる事がない。
無神論者だと公言し、自分でもそう信じている人でも、それは無神論と云う宗教を信仰しているのだと云う事が解っていないと思います。

 神や仏の存在があるかないか、その意味はと考えても、それこそ意味がありません。
が、人間の意識や智恵で解ってしまう程、世界は狭いものではないと云う事は事実でしょう。
人間がどう思おうと、他の生命が存在する様に、神や仏も存在してるかもしれません。
気楽にと云っては変ですが、そう思えば良いのではないかと思います。
神社仏閣、聖地、神殿、色々とありますが、古代から現代まで信仰が絶えた事がないのは、人間が愚かで、未熟で、妄想的であるからとは思いません。

 神と仏、他の存在、それぞれテリトリーも違えば、思想哲学も違います。
どれが正しいと云う事ではなく、どれと相性が良いか、と云う事でしょうね。
何を信じるのも自由。
互いに干渉せず、不可侵でいられる状態で、上手く共存して行けたら良いなと思います。

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改めて、自分らしく生きたいと

2012 - 09/07 [Fri] - 02:40

 いつも言っている、書いている事ですが、自分らしく生きると云うのは、大変ですね。
親兄弟を始め家族、友達、仕事関係、自分を取り巻く環境、そして法律もあれば、コミュニティーのルールもあり、常識とか云うものもあったり。
色々なものに縛られて生きていますからね。
時にそう云う全てのものから解放されたくなる時もありますね。
瞑想していても、基本的には全てから解放されている様に感じますが、身体と魂に刻み込まれた長い歴史の中の記憶に囚われていて、そこからも解放されるのは簡単ではありません。
そして、我々の世界の更にその先には、仏や神の世界があり、そこにまた縛れていたり。
何よりも、この地球で生まれて育って、この太陽系の中の星に住んでいる。
そして、宇宙の中の辺境の地である銀河に存在している。
と考えて行くと、永遠に解放される事はないのだろうなと思ったりします。
いつの日か、その全てから解放される日が来るのだろうかと。

 そんな中で、自分が出来る範囲で自由でいる事は意識していたいですね。
長く生きていると、どうしても人との関わりや、周囲を見回して、余計な波紋が起きない様にとか、迷惑がかからない様にとか、嫌な思いをしない様にと、自分を無意識に抑圧、抑制して来て、それが習い性となってしまって、気づかない内に自分らしさを失って行く事は普通に誰にでもあります。

 心地良さ、気楽さ、自由を感じるなんて、人それぞれ。
一人一人違います。
縛られる事に安楽さを感じる人もいます。
逆に、常に解放を求めている人もいます。

 全てを満足させる生き方などありませんが、人がどう感じようと、どう評価しようと、そんなものはどうでも良くて、自分の心と魂、そして肉体が喜ぶ生き方をしたいですね。
熊野に出かけてから、以前にも増して、そう云う事を思います。

 とは云え、やる時はやる、責任はしっかり、そして逃げない、諦めない強さは持っていたいし、そうでなければ本当に自分の力で解放される事は難しいですからね。
頑張る時は頑張りましょう。

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参拝旅行後記

2012 - 09/05 [Wed] - 03:34

 予想していた事ではありましたが、熊野参拝旅行はスケジュールもタイトで、また昨年の台風被害の影響で、本宮以外の聖地の結界が崩壊しており、一人憑依現象まで出てしまいました。
が、本宮で感じた、まるで竜巻が巻き起こる様なエネルギーの渦が、一人一人を包んで、それぞれに大きなものを残してくれたと思います。
かく言う私自身、既に変化を感じています。
魂の奥深くに眠っていた意識とエネルギーが甦りつつあるのを感じています。
遠い昔の私の魂の故郷で目覚めの時を迎えたのかもしれませんね。
これからどう変わるか、どう進化するか、何れにしろ迷う事なく、真っ直ぐに歩んで行きたいと思います。

 写真を整理していて、参加した一人一人の顔が変化して行くのを感じます。
初日、2日目、そして帰る日、まるで別人の様に勢いもオーラも変わっているのを、写真は正にありのままに写してくれています。

 祈りと云うものは、とてもピュアで、濁りないものです。
その祈りを奉じる場を聖地にして来たのは、数千年にわたる人々の祈りと、そこを維持して来た心清らかな人達です。
が、先の被害の影響か、或いは観光客が沢山来る事から何かが崩れたのか、かつての清浄な世一の空気は、そこにありませんでした。

 人が足を踏み入れる事のない、純粋な聖地は、もうこの世で探すのは難しくなっています。
地図にも載らぬ聖地は、もう存在しません。
傍若無人に人が踏み込み、また祈りを知らぬ観光客が押し寄せ、それに惑わされる人々が聖地を守って来た事は、真の聖地の崩壊に繋がっているのかもしれないですね。

 真に聖地は、自らの魂で作りあげるものです。
我が家、そして自分の心と魂に聖地を作る事を目指して行きたいですね。

 旅としては、とても良い旅でした。
素敵な、そしてピュアな人達、真摯に準備し、運営してくれた内弟子達、その他の協力者達、そう云う人の心と意思が素晴らしかったです。

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参拝旅行から戻りました

2012 - 09/04 [Tue] - 02:50

 熊野参拝旅行から戻りました。
色々な思いをした旅でした。
総勢33名と云う人数でしたが、厳しい中にも良い旅だったと思います。
写真は徐々にフォト蔵等にアップしますが、聖地が聖地であり続けるのは困難なのですね。
神が神であり続けるのも、同様かもしれません。
本来あるべき姿、その様なものを感じた旅でした。
原点回帰、そんな言葉が浮んでいます。
何を目指すかではなく、本来の姿に戻る事が最良なのだろうと思います。
私は、やっぱり闘いでしょうか(笑)

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プロフィール

島津 成晃

Author:島津 成晃
Adept・Mentor 島津相談室主宰
人生のあらゆる問題の相談に乗って来ました。
元気になって希望を持って帰って戴く事が私の願いです。
スピリチュアルな目と、冷静な分析で御相談に乗ります。
御相談はHPの方からお願いします


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