感じたり思った事を書いて行きます。 時には秘伝などを書く事も。 空手や色々な趣味の話も。

  Adept・Mentor 島津成晃の独り言のナビゲーター   トップページ > 2011年11月  

ムクドリ

2011 - 11/30 [Wed] - 17:28

 ちょっと買物に近所に出かけて、帰りに異様な鳥の鳴声が聞こえて来たので見上げると・・・・・。
電線に物凄い数のムクドリが留まっていました。
何が起きたのか、この辺りではムクドリは沢山いますが、こんな光景は初めて。
異様でしたね。



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見えなくなる

2011 - 11/30 [Wed] - 04:02

 恐怖や体調不良は視野狭窄を起しますね。
空手でも、恐怖心から一点を見つめていると視野が狭まり、攻撃が見えない事があります。
人間関係でも、どこかに恐怖心を持っていると、相手の事を観察したり、考えたりする余裕がなくなってしまって、頑なになったり、猪突猛進してしまいます。
何も見えていないで、見ているつもり。
だから、落ち着いて来て視野が広がって来た時に、「こんな筈じゃなかった」と愕然とする事もあります。
心が偏ったり、固まると、身体も固まってしまいます。
目の前の石ころさえ見えなくなってしまう事がありますね。

 穏やかに、心寛く、ゆったりとして、柔軟になっていたいものです。
力が入るとロクな事がありません。
言わなくても言い事を口にしたり、やってはいけない事をやってしまったり、あり得ないミスをしたり、色々な事で躓いてしまいます。

 人生は楽しむ為にあります。
心も身体もゆったりとして、リラックして、楽しみたいですね。

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間違いない、、、本当か???

2011 - 11/29 [Tue] - 01:24

 親から教わった、学校の先生から習った、自分でやって来た、やっている事が、絶対間違いない、正しい、と思いたいものです。
でも、本当にそう???と、質問したくなりますね。
どれだけ世間を知っているのか、物事を知っているのか、自分の視野や価値観の中で変化を恐れているだけで、実は何も知らないのだとコンプレックスを持っていて、その裏返しで虚勢を張っているだけ、井の中の蛙でしかないのではないかと。

 どれだけ自分が知識を蓄えたつもりでも、経験を積んだつもりでも、上には上が、先には先があります。
時代もどんどん変わっていますし、旧態然とした事に固執していては置いてけ堀にされてしまいます。
好き嫌いもあるでしょうが、自分の考えだけを相手や周囲にに押し付けていたら、相手と歩み寄る事も出来ませんし、我が儘勝手としか思われません。
何でもかんでも、自分の考えでルールを作って押し付けて行ったら、息苦しくて人は生きて行けませんし、逃げ出したくなります。
織田信長が武田信玄を評して、同じ事を言った事があります。
「あんなに規則規則で縛られたら、家来も庶民も息が詰ってしまう。」と。

 人は自由にさせて(程度はあるでしょうが)おく方が、その人らしい輝きを放ちます。
縛りつけると、段々と輝きを失って行きます。
自分の好き嫌いや、価値観を絶対と思って生きるのは良いですが、歩み寄りがなければ人との関係も社会との関係も断ち切ってしまう事もあります。

 それが、人の懐の深さ、大きさ、と云うのではないでしょうか。
細かい事など、どうでも良いと思いますが、如何でしょう。
その相手が近しい人であればある程、家族、連れ合い、子供、恋人、友人、自分の思う通りにしようと思ったら、息苦しくなってしまうかもしれませんね。

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今日は月例会でした

2011 - 11/28 [Mon] - 01:54

 今日は第4日曜日で、毎月の集まりがある日でした。
今日も沢山の人が来てくれて、中には八戸や札幌からも参加してくれ、楽しい時間でした。
決り事や縛りはなく、自由に日頃の疑問や悩み事を話しながら、何かを見つけて時間を過します。
皆、ここで知り合った人ばかりですが、凄く仲良く、刺激し合いながら、楽しい時間を過します。

 心を開いて、本当に安らぎを得る事の出来る空間は、誰にでも必要です。
と同時に、違う価値観に触れ、異る考え方に触れ、色々な目線を知って行く事で、自分が広がって行く事が出来る場所があると良いですね。
たまたま私が中心になっていますが、皆が互いにそう云う関係で、適度な距離感を持って、自然で自分らしい姿でいられる場所であって欲しいなと思います。
今日の活力が、明日からの日常に活かして行けたら最高だとです。

 いやぁ、然し今日は気療オンパレードで、喜んで貰えた様なので良かったですが、皆色々とストレスを抱えているのだなと思いました。
気療を受けて、スッキリして貰えたらと思います。

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感覚を高めると

2011 - 11/27 [Sun] - 02:12

 何かのきっかけ、修行や心の解放、価値観が変ったり、目から鱗が落ちて視野が広がったりすると、途端に感覚まで変ってしまいます。
目の前が明るくなり、色々なものに焦点が合って来ます。
また皮膚感覚が鋭くなって、ちょっとした空気の動きや地面の揺れを感じたりします。
鼻も敏感になり、今まで解らなかった匂いを嗅いだり、耳も鋭くなりますから、小さな音まで聞こえて来たりします。
五感が鋭くなって、それに伴って心も敏感になって来ますね(この辺りは鶏と卵で、どっちが先かは人それぞれですが)

 まるで良い事ずくめの様ですが、そうとも云えません。
今まで気づかなかった、自分の周囲にある音や匂い、空気の重さやちょっとした汚れに気づいてしまいます。
普通に話していた相手の言動等から、心の中が読めてしまう事もあります。
如何に自分が鈍感に、色々なものを無視して生きていたかが解ります。
でも、知らなくても、解らなくても良いと云う事が沢山ありますね。
街に住んでいて、街の喧騒や匂いや汚れを一々気にしていたら、そこにいるのが辛くなります。
人と話していて、相手の心の内の、実は裏腹なものを感じ取ったら、その人と話すのが嫌になってしまうかも。

 感覚が上がると、今まで見えなかった何かの問題の解決策が見える事もあり、洞察力が上がります。
また、入って来る様々なデータが増えますから、想像力が上がります。
洞察力、想像力、発想力、分析能力が上がれば、問題解決力は上がりますし、未来の予測も出来て来るかも知れません。

 感覚は人間や動物に与えられた大切な、そして有益なツールです。
自分でコントロールして、感覚を上げたり、下げたり、他にも上手くコントロールして行く事を学ぶと良いですね。
感覚の高い人は、それを覚えないと生き辛い事ばかりかもしれません。
鈍い人は、逆に感覚を上げる訓練をすると良いですね。
自分の持つ能力ですから、しっかり訓練して、上手く使いたいですね。

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囚われる必要はない

2011 - 11/26 [Sat] - 02:57

 誰かにとっての常識は、他の人にとっては非常識である事が良くあります。
ある場所での常識は、他の場所では全く通用しない非常識である事もあります。
こうでなければならないと云う常識は、ある場所やコミュニティでのみ通用する不文律であって、それを他人や他の地域に対して押し付けるのは、只の傲慢ですし、余計なお世話ですね。

 間違っているから、知らないから、教えてあげようと云う善意の気持ちであったとしても、相手が自分流を望んでいて、それを変えるつもりがないなら、それは「小さな親切、余計なお世話」と云うやつです。
十人十色、人はそれぞれ考え方も生き方も違います。
何が正しいなんて、法律を犯さない限りはその人の自由です。

 個性が強ければ強い程、また古臭い伝統を受け継いでいる家系や地域では良くある事ですが、煩わしいですね。
基本的には常識を守り、逸脱しないで、素直に従うのが一番生き易いでしょうが、それも程度問題で、我慢ならないと思ったり、強いストレスになってしまったら、敢て無視して思う通りにやってしまう方が良いですね。
我慢して、抑圧して、生きるのが辛くなるより、はみ出し者になった方が余程楽ですから。

 面倒ですね、人間関係は。
でも、そこから色々なものが生み出され、文化も文明も美も発展して来るのですから、上手くやれる程度の事は仕方ないかもしれませんね。
適度に流して、自分を曲げたり、抑圧しない様にしたいですね。

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魅力的な人

2011 - 11/25 [Fri] - 02:57

 とても魅力的な人って、いますね。
その魅力って、どこから来ているのかって考える事があります。
女性なら美しい、男性ならイケメン、他にもスタイルが良い、御洒落、品が良い、仕事が出来る、等々と色々あると思います。
魅力を感じる所は人それぞれですから、あの人は魅力的だなと思っても、他の人から見ると理解不能!!と言われる事もありますし、誰かが魅力があると言っているのを聞いて、どこが??って思う事もありますね。

 でも、長く魅力が続く人には共通したものがある様に思います。
まず、バランスが良い。
大人と子供の純粋さが、良いバランスで両方備わっている。
努力家でありながら、適度に遊ぶ事も、怠ける事も出来る。
感情の起伏が、激し過ぎず、と云ってもちゃんと感動する事が出来る。
言葉が穏やかで、落ち着いた話し方をする。
いつも最低限の努力は怠らず、心と身体のシェイプアップ、バランスの維持を心がけている。
好奇心に溢れていて、過去にとどまらず、変化を恐れない。
と云う、私の私見ですが、如何でしょうか。

 人は外見も凄く大切ですが、心が美しく、バランスの良い人は、自分を魅力的に保つ方法を知っている様に思います。
幾ら見栄を張っても、ないものは誤魔化しが効きません。
本当のレディやジェントルマン、エレガント、ダンディを意識していたいですね。

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誰かの助けが必要です

2011 - 11/23 [Wed] - 04:05

 心を閉ざして生きている人は沢山います。
苦労や悲しみの渦中にいる人、特別な感覚や価値観や視野を持っていて、周囲に理解者が少ない人、未来への希望を失っている人、等々と心に傷を負ったり、わだかまりが強い人ですね。
その心を開くのは、中々実は至難の業です。
私も心を開いてと口にしますが、それが簡単な事ではなく、凄く時間のかかる事だと云う事を知っています。
自分自身が昔そうでしたから。
そして、自分一人では中々心を開く事が難しいと云う事も。
昔の事だとか、どうでも良い事だとか、詰らない事だ、人は一人一人違って当り前だと、頭で理屈では解っていても、心が納得しません。
ですから、ずっとずっと昔の、心の底に埋もれている筈の、消えた筈の記憶が、その人の心を閉ざしています。

 運良く、その心を開こうと思ってくれる人に出会っても、閉ざした心は簡単には開きませんから、大抵の場合はその相手も、何度もトライしてくれながらも、いつか諦めてしまいます。
無意識ですが、心が最初は拒否するからです。
心が開く為には、自分自身の意識改革や視野や価値観を変えて行く事と同時に、自分を本当に思ってくれる人が、そのエネルギーを惜しみなく与え続け、諦めないで、トライし続けてくれる事が必要です。
それは親であったり、友であったり、或いはパートナーであったり、師であったり。

 そして、心を開くトライをする以前に、互いの心が通う信頼関係がなければ、心は絶対に拒否します。
ここでも焦りは禁物。
トライするタイミングと、そこに流れる信頼と、自分自身の努力が揃った時に、初めて心は扉を開きます。
その時、温かい光が心に差し込みます。
心が開いて終りではなく、そこからまた新たなスタートですが、心が開かなければ何も始まりません。

 もしかしたら、周囲に自分の心を開こうとトライしてくれている人がいるかもしれません。
見回してもいなければ、見つかるまで探しましょう。
そう云う人との出会いが、人生の幸福を教え、また感じさせてくれます。

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自分のやり方

2011 - 11/22 [Tue] - 00:33

 色々な事を学んで成長して行く時、一番大切にしたいのは、自分らしさの追求です。
どんな修行でも、また学びでも、一時的な抑圧と云うのは必要な時があり、欲望や欲求を抑えて、一定の厳しさの中に身を置く事はあります。
が、それはそう云う俗なものに振り回されず、自己の意志でコントロールする事を覚える為です。
ですから、欲望や欲求や自分らしさを完全否定する必要はありませんし、あってはなりません。
大切なのは欲の方向を変える事であり、なくす事ではありません。
また自分らしさを失ってしまうと、八方美人的な風見鶏となってしまって、自分の中に芯が出来て来ません。

 自分らしさ、良い意味での我が儘、在るが侭は、時として人から理解されない事もあります。
世間の俗な名誉や地位や職業や年齢とは無関係に、解放された心の声に従って、自分の心地良い歩み方や生き方を追求するのですから、そう云う事もあります。
時と場合に依っては、表現や態度を変える必要はありますが、我慢して抑圧するのは間違いです。
言いたい事は言う、思いは口にする、やりたい事はやる、それで良いと思います。
その結果として賛否両論は当然であり、これは何をしても同じ事です。
理解出来ない人に媚びる必要もなく、無理をして合わせる必要もありません。

 何が自分らしいのか、心や身体や魂に問いかけて、見つけたいですね。

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旅の空へ

2011 - 11/21 [Mon] - 02:25

 明日から1泊2日で母が京都へ、母の友人達と出かけます。
とても珍しい事です、母がこう云う旅をすると云うのは。
余程、気があったのか、話を聞いていると互いに干渉し合わず、適度な距離感で付き合える友人達であると云う事が解りました。
ちょっと気温が低い様ですが、天気は良さそうなので、楽しい旅をして貰いたいですね。
今頃は丁度紅葉が見頃になり始める頃で、京都を知っているのは母だけですから、母が案内役をする事になるそうです。
母にどこへ行くのが良いだろうねと聞かれて、紅葉の美しい所は沢山ありますが、何せ1泊2日ですから行くと云っても限度がありますので、幾つか候補を挙げましたが。
興福寺、東福寺、高台寺、醍醐寺や三千院、そして天龍寺の湯豆腐、錦市場の街並み、もし天龍寺が混んでいたら南禅寺の奥丹、等々を挙げておきました。

 旅は良いですね。
母と話していて、来年辺りにヨーロッパへ出かけようかなんて話もしています。
私も妻も、ヨーロッパへ出かけると凄くリラックスし、リフレッシュします。
二人共、私はスイス、妻はイギリスと、場所は違いますが、第2の故郷と感じている場所があります。
また訪れたいですね、スイスのGstaad。
妻が留学していたEdinburghにも是非行ってみたいと思っています。
母はイタリアのミラノや南フランス等が希望の様です。
じっくり時間をかけて、計画してみようかと思っています。

 時には違った価値観や、異る土地で、ゆっくり過してみると、自分を振り返ったり、新しい何かに出会って視野が変る事があります。
そう云う時間も持ちたいですね。

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見えない世界のお話

2011 - 11/20 [Sun] - 02:09

 精神世界の本はどこの本屋さんでも溢れる程置いてありますね。
妻もまた、ある意味では精神世界に関わる様な内容の本を翻訳しています。
そして、世の中にはそう云う世界を仕事にされている方も沢山おられます。
私もその一人ですが、残念ながらその中には余り真摯ではない、嘘と欺瞞に満ちた方もおられるのが現実です。
これは精神世界に限らず、どの職業でも同じですが。
ただ、目に見えない心の世界、不可思議な世界である故に、とても魅力的に映ったり、恐怖の対象になったりします。
世界的に広まり、ファンの多い、ハリーポッターを始めとして多くのそう云う精神世界や神秘世界を扱った映画や出版物が溢れ返っています。

 人が心や神秘に興味を持つのは当然です。
それがファンタジーや、幸せに繋がるものであれば良いですね。
然しながら、何か問題が起きた時、まずするべき事は現実的な対処です。
理論的に、科学的に、また現実的な対処を考え、それを実行し、それでも解決出来ない、理由が解らない等の明らかな不合理を感じた時、初めてそう云う精神世界を生業にしている人達の力を借りると云うのが正しいと思います。
その時も、焦って、藁をも掴む気持ちではなく、冷静に相手を見極めて、信頼出来る人間性を持っているかどうかと云う確信の上にお付き合いして戴きたいなと思います。

 また、精神世界に興味がある、神秘なものに興味があるから学びたいと云うならば、先ずは伝統的な長く続くものの理論や文献を読んで学んで行くのが良いと思います。
目新しいものは魅力的に映りますが、旧来のものに対するアンチテーゼとして、或いは新しい解釈として表現されるものが多く、それは元々の旧来のものを知った上でないと、何が正しいのか区別がつきませんし、鵜呑みにしてしまうのは余りにも危険です。

 ですが、精神世界の事や神秘世界の事など知らなくても、生きて行けます。
必要ない方が無闇に興味を持ってしまうのは、お勧めしません。
本当に必要な方には、正しい筋道での出会いがあると思います。
そして、筋の通った理論・理屈、納得の行く道筋、何よりも信頼出来る人間関係を構築出来るかどうか、そして現実的に応用出来るリアリティがあるかどうか、そう云うものを区別出来る目を持つ事が大切ですね。

 何か起きた時、不安な時、精神世界や神秘世界に責任転嫁したり、頼ったりしたくなるものですが、本当に自分に必要かどうか、自身を振り返って良く考えてから踏み出す事が必要だと思います。
目に見えないものは信じないと云う傲慢ではなく、見えない世界は確かに存在しますが、見えないからこそ慎重であって欲しいし、そうでなければいけないと思います。

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御先祖を思い

2011 - 11/19 [Sat] - 03:14

 昔、ルーツと云う映画がありましたが、人は誰でも誰かの子供であり、その先に祖父母がいて、その先にも曽祖父母がいて、と永遠とも云える程にずっとずっと先まで続いています。
先祖の事など、普段は思い出さないし、気にしないと云う人は多く、それが普通だと思います。
日常の生活で精一杯ですからね。
でも、一度もお墓参りに行った事がないとか、御仏壇で手を合わした事がない、家にお仏壇がないとなると、如何なものかと思ってしまいますね。
霊現象がどうのこうの、因縁がどうのこうのと云う事は別にして、そんなものは信じる人もいれば、信じない人もいて、信じなければいけないなんて事は思いません。
ただ、先祖がいるから自分がいる、そしてその遺伝形質は確実に受け継いでいると云う事は紛れもない事実ですし、日本に長く受け継がれて来た文化として、御先祖を敬い、日々手を合わして行くと云うものがあります。
日本人である以上、そのアイデンティティの基本である、神や仏や御先祖との付き合い方を学び、また知って行き、実践して行くのは当然の事であろうと思います。
時代が移り変わり、文明・文化が変わっても、変えてはならない事もあるのではないかと思います。

 昔から、結婚したら分家初代として戸籍から抜け、新たな家を作って行く。
その時に、御先祖様の御仏壇を作って、日々手を合わして行く事は、神棚を作るのと同様、大切な事であると思います。
でなければ、ルーツと縁が切れた根無し草になってしまって、氏素性の確かではないものと云う事になってしまいます。
信仰とか、宗教とか、そう云うものとは無関係に、人としての当然の行為として筋を忘れず、違えずに、一日に一度、心静かに御仏壇、そして神棚に手を合わせる時間を持つと云う事は、フラットな自分を取り戻す時間となって、とても有益であろうと思います。

 ちなみに、七代辿れば直系傍系併せて2千人と云われる御先祖様。
色々な人がいたのだろうなと思いを馳せるのは、悪くないですよ。
思いを馳せる事、思い出す事、また御先祖について調べたり、辿ったり、そう云う事も立派な御先祖の御供養と思います。
御先祖を思うと云う事は、自分の中に流れる受け継いで来たものを思う事でもあり、自分自身を振り返って見つめると云う事でもあると思います。

 霊的なお話をすると、確かに御先祖の霊が影響を与えると云う事はあります。
全て何か悪い事が起きた時に御先祖が影響しているのではなく、そう云う例もあると云う事です。
ですが、別に祟っている訳ではなく、救って欲しくて頼って来ていて、それが結果として障りと云う事に繋がっていると云う事です。
霊障って、嫌な言葉ですね。
ま、中には根性の悪いのもいますが、霊と云えども肉体がないだけで同じ人間です。
苦しい時は誰かに頼りたいですし、話を解ってくれる人を探します。
ですから、頼られたと云う事は、先祖から認められたと云う事でもあり、見方を変えれば名誉な事です。
だって、御先祖様を救う事が出来るのですから。

 ネガティブにばかり捉えないで、日本人として、人間として、筋を通し、大切な文化を守って行きたいですね。


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痛い思い

2011 - 11/18 [Fri] - 03:15

 大人になる、成長するって、良い事ばかりじゃないですね。
むしろ痛い事や辛い事や哀しい事の方が多いかも知れません。
あっちにぶつかり、こっちに当り、擦り傷や切り傷や大怪我をしたり、恐い思いをしたり、そんな経験をしながら段々と成長し、大人になって行くのですね。
正直、成長しなくても、大人になんかならなくても良いと思いますが、人と関わりながら社会で生きて行く為には、なりたくない大人にもならなければいけないし、成長もしなければならないし、強くならないと生きていけないですね。
同じ趣味や同じ考え方や同じ目線の人とだけ付き合って行くと、井の中の蛙の様になってしまって、居心地は良いでしょうが、普通の社会で生きては行けなくなりますし、非現実的ですね。
違う価値観や視野や、異る目線や考え方を持っている人と、色々な思いをしながら付き合って行く事で、人は強くなり、成長して行きます。
空手も同じですが、痛い思いをしなければ強くならないですし、技術も身につかず、上手くもなりません。

 でも、皆が同じじゃないから、楽しいと思います。
時には哀しい思いをしたり、寂しい思いをしたり、怒ったり、笑ったり、色々あるでしょうが、それが楽しいと思います。
心の中にファンタジーや、子供の無邪気な部分は残しておきたいですが、大人になるって痛い事が多いですが、楽しい事も増えて行くと思います。

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敵と味方

2011 - 11/16 [Wed] - 03:47

 誰かの味方、どっちかの味方と云う場面って良くありますね。
味方とは、見方であり、それが冷静な分析の上での事なら良いですが、そこに感情論が乗ったり、自分の価値観や視野に縛られていると、一方的な見方で片方の味方をしてしまう事があります。
喧嘩両成敗と云う考え方は昔からありますが、人と人が争う、意見が違う、そう云う時にどちらかが完全に正しく、もう一方が完全に間違いなんて事は、絶対にあり得ません。
どちらも正しい側面と、間違った側面を内包していて、そこに感情論が乗る事で争いになります。
感情論がなければ、冷静な議論が出来て、そこから新たな発展を生む事が出来るかもしれません。

 まして、その内容を全て詳細に把握した上での事なら兎も角、一方の言い分だけを聞いて鵜呑みにし、またもう一方の言い分を聞いた事もなく、印象だけで判断すると、それは単なる思い込みでしかなく、全体を見通している人から見ると愚かとしか映りません。
くだらない噂話の様なレベルの話ですね。
そう云う事を公言する人がいますが、正に自分の愚かさを露呈しているとしか思えません。

 毒舌家と云われる人の多くが、その下衆な類でしかないと思えます。
それを自認して自慢にしていたら、それは芸能人ならそう云うキャラもありでしょうし、パフォーマンスとしてありだと思いますが、インテリ、知識人を気取っているなら、大いなる勘違い。
そう云う人に異論を言うつもりもなく、ただ阿呆らしい、馬鹿臭いとしか思いませんが、人の悪口は口にするな、噂話はするなと云うのは、人としての基本的なものだと思います。
誰かの味方をして、それを主張したいと云う動機から発している純粋な気持ちだとしても、やはり如何なものでしょうね。

 応援するのは結構、祈ってあげるのも結構、励ましてあげるのも結構、でも片方の味方をして片方を貶めるのは、人として未熟としか思えません。
人を裁く事が出来るのは、裁判官だけですからね。

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人との付き合い方

2011 - 11/15 [Tue] - 02:42

 何が面倒臭いって、人付き合いが一番面倒臭いですね。
自分と全く同じ人間なんかいないですから、必ずどこかが違っていて、そこで互いを意識したり、尊重したり、戦ったり、競い合ったり、考えるだけでも面倒です。
でも、一人では生きて行けないのが人間ですし、その面倒臭い関係の中から生まれて来る素晴らしい事や感動や学びも沢山あります。

 相手によって態度が違うと云うのを悪い事の様に言う人がいますが、相手が違えば対応も違い、言葉遣いも意識も距離感も変えて当然であって、誰とも同じ様になんて事自体が不合理ですし、非現実的です。
ただ、その時に必要以上に自分を飾ったり、大きく見せたり、逆に抑圧したりすると、自分の中に裏表が出来て来ますし、そのストレスはとても大きなものになります。
また、自分の信念や考えを曲げて迄相手に合わしてしまうと、発言に一貫性がなくなってしまって、どれが本当か解らない、相手によって言う事が真逆なんて事にもなりかねませんから、人から信頼されなくなってしまいます。

 相手が変わっても、自分は変らず、必要以上に背伸びしたり、抑圧したりせず、いつも自然体でいられたら最高ですね。
その為には、相手によって心理的・物理的な距離感を柔軟に変え、それに合わせて言葉も態度も上手く変えて行く事です。
でも、自分の思いや意志や信念は絶対に変えないで、表現だけ変える、或いはその話題を上手く流して避ける、と云う事を意識する事が必要ですね。

 大体、100%まるごと人格を信じられる人なんて、この世にはいません。
誰でも長所欠点を持っていますし、他人から見たら信じられないと思える価値観だって、一つや二つはあるものです。
だから、この部分は信じられる、ここは信頼出来る、ここは怪しい、あそこは信用出来ないな、と云う所は誰でもあります。
そう云う冷静な部分を持っていないと、人付き合いは疲れるだけですし、振り回されてしまいますね。
信頼、信用なんて、多分に感情的なものでもあり、それが人の心の美しさでもありますが、同時にそこから悲劇も生まれる所でもあります。
ドライ過ぎるのも哀しいですが、少しだけクールな目線を持って、人とつき合って行けると良いですね。

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育てるって事

2011 - 11/14 [Mon] - 03:57

 弟子は勿論ですが、生徒や後輩達に何かを教えて育てて行く時、本当に育って欲しいと思うのは当然ですし、それがなければ人を育てるなんて不可能です。
また、習う側が自分に教わりたいと思ってくれる魅力も絶対条件ですね。
でも、幾ら教えても、育つのは習う側の人自身であり、教える側が育てる訳ではありません。
人は自分で自分を育てて行きます。
育てる側は、その環境作りや、道筋を示し、ちょっと後押しをしてあげるだけです。

 その時に大切なのは、本気である事。
これは当り前です。
本気だから、本気で叱り、怒り、誉める。
習う側が本気なら、本気で一緒に苦しんであげる。
そして大切なのが、理論と体験です。
ただやりなさい、こうしなさいと言われても、習う側は何をして良いか解りません。
ですから、見本を見せる、理屈を教える、そして後はやらせる。
良く、見て盗め、教わるな、自分で考えろと言いますが(私もそう言います)、でもそれは気持ちと姿勢の問題であって、全く教えないで良いと云う事ではありません。
一度は教えて、後は自分でやらせる。
自分で悩み、葛藤し、試行錯誤して、習ったものを自分のものにして行きます。
だから、手を出し過ぎてもいけません。
と云って、放りっ放しもいけません。
手を出さなくても、出したくても、我慢してじっと観察していて、今と云う時にちょっとアドバイスしてあげる。

 人を育てるなんて、忍耐と我慢です。
そして、人を育てるなんて烏滸がましい事は、私も言えません。
真に人を育てるなんて事は、大事業です。
私はちょっとだけ手助けするだけです。

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お手入れしましょう

2011 - 11/13 [Sun] - 03:02

 私の様な、セラピストやヒーラーやアドバイザーの類の仕事をしていると、相手の思いや色々なものと同調してしまって、体調を崩したり、何となく精神的にスッキリしなくなったりするのは、宿命の様なものです。
人が人と関わる、物や色々な物事と関わる時、その相手を理解しようと云う事は、同調しようとしている訳ですから、影響を受けるのは当然ですが、それを生業にしているのですから、普通の人の何倍もディープに影響されてしまいます。
所謂、「被る」と云う事ですが、それを長く放置しておくと、自分でも気づかない内に色々な事が起きて来ます。
見る人が見れば一目瞭然、目の力がなくなって来て、顔も老けて来ますし、肌艶も悪くなります。
また、熟睡が出来なくなって来たり、どこも悪くないのに調子が上がらない、集中力に欠ける、目がぼやける、短気になる、気力がなくなる、等々と何でもありです。
特に、人間は誰でも一つや二つは弱点を持っていますから、そこが増悪する形で出て来ますね。

 愛車のボンネット・インシュレーター、ボンネットの裏についているスポンジの様なものですが、これでエンジンの熱や音が外へ出るのを防ぐのですが、2年程でボロボロになっています。
これを付け替えなければいけません。
ネットで安価に手に入れたのですが、如何せんつける時間がない。
忙しいと云う事なのですが、身体も愛車も時間を見つけて、じゃなくって、時間を作って、手入れしないといけませんね。
「時間がない」は「時間を作ろうとしないからだ」と思います。
言い訳してないで、手入れしましょう。

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願いの作法

2011 - 11/12 [Sat] - 02:42

 人にものを頼む時でも、神仏に祈願して祈る時でも、邪心があると相手は聞いてくれないどころか、そっぽを向かれたり、蹴落とされたりする事もありますね。
あれが欲しい、これを叶えて欲しい、これから逃げたい、等々とつい直接相手に伝えたい気持ちは解ります。
でも、それをやった時、相手がどんな反応をするか考えてやらないと、タイミングや伝え方を間違えると、相手の逆鱗に触れてしまう事もあります。

 今は減って来ましたが、社交とか接待とか、おもてなしと云うのは、何だかんだ云っても下心がやる事です。
そう云う行為を通じて、仕事を繋いで貰ったり、商品を契約して貰ったり、便宜を計って貰ったりする為にあります。
御中元や御歳暮や年末年始の御挨拶も、本来は純粋な気持ちで日頃の御礼を込めてと云うものですが、現実的にはそこに下心が見え隠れします。

 本当に洗練されて洒落た社交や接待やおもてなしが出来たら、相手も何かその行為に対しての返礼、謝礼をしたいと思ってくれるかもしれませんね。
見え見えの下心や目的があると、やっぱりゲッソリしてしまいます。
損して得を取ると云いますが、出来るだけの事をすると云う誠意と最高の礼儀が、相手の心を動かします。
織田信長が明智光秀を厳しく叱責して、それが本能寺の変に繋がりましたが、その一因にこの相手のもてなしと云う事があったと聞きます。
自分の誇りにかけて、最高の礼儀を持って、ひたすら望みを心に秘めて相手をもてなす。
その関係の中で、相手の心が動かされて、次に実際に願い事を話す機会を得る。
回りくどい様ですが、それが心を通わせて、真に信頼関係を結んで、相互理解へと繋がります。

 まして相手が神仏だったら、言わずともお見通しであり、クドクドと願い事を云う下衆な心は嫌われるかもしれないですね。
最高の作法は、願いの意志を持って、それを出さずひたすらに経を詠み、行を進める事です。
高貴で品格が高く、純粋な祈りは、その有り様そのものが光となると思います。

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気をつけないと

2011 - 11/11 [Fri] - 01:58

 人にはそれぞれ、自分のペースと云うものがあります。
それは親兄弟でも、夫婦でも、友人でも、恋人でも、一人として同じと云う事はありません。
似通っている、近いと云うのはあるかもしれませんね。
でも、それでもリズムが違っていて、同じと云うのはあり得ません。
また、目線も一人一人違います。
良く価値観が同じとか、見えている方向が同じとか、目線が同じと云いますが、それでも完全な一致はあり得ませんし、どこか違っているものです。

 でも、人間って厄介なもので、自分の思考のペースや、価値観や視野に、人を従わせようとする事が良くあります。
また、自分が正しい、相手が間違っていると、優位を主張したがります。
だから言ったでしょ、私の言った通りでしょ、等々と云う言葉を良く聞きますが、これは小さな問題ながらも、大きな問題に発展する事があります。
相手のプライド、誇りを無視して、相手に自分の優位を認めさせようと云う言葉ですから、最初の内は良くても、時が経つに連れて相手が我慢出来なくなったら、アウトです。
悪気はないのだけどは、人との関係に於ては相手が傷ついたり、誇りやプライドを刺激してしまったら、言い訳になりません。

 人が考えている時、何か計画している時、何かに向っている時、外から見ていたら解らないかもしれませんが、本人は自分のペースで進もうとしている時に、覆い被さる様な言動は相手を傷つけてしまいます。
煽って良い時と悪い時があります。
自分のペースや価値観や視野に相手が調子を合わせないからと云って感情的になったり、浴びせかけたり覆い被さったりしてしまうと、取り返しのつかない事になる場合もあります。

 人にはそれぞれの視野があり、価値観があり、ペースがあります。
それを時には刺激したり、煽ったり、覆い被せる必要がある時もありますが、どんな場合でも相手のプライドや誇りを傷つけない様、相手を追い込まない様に気をつけないといけないですね。
それを意図してやるのを許されるのは、余程相手よりも熟練した、かなり上位にいて、それを相手も認めている場合のみです。

 つい言ってしまう、やってしまう事、気をつけたいですね。

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理論と体験

2011 - 11/09 [Wed] - 03:24

 頭の良い人はすぐに頭で考えて納得しようとします。
そして、頭で理解した後に心に落して行く。
頭で理解して行く事は良いのですが、心が求めているのは、そう云う論理を越えた絶対的なもので、理論、理屈ではない筈ですね。
ロジカルで考える事で、感情論を抑える事は出来るかもしれません。
でも、それで真に心が満足するかは別の問題です。
真実は、理論を越えたその先にある、論理はその入口でしかない。
それが人間であり、全てだと思います。

 ただ、目に見えないものや、人の心や、理屈を越えたものを理解して行くには、豊かな想像力が必要です。
科学が証明しているからとか、誰々がそう言ったから、なんて御託はバカバカしいです。
会った事もない科学者の論理を鵜呑みにする、自分の目で確かめないで誰かが口にした事を信じてしまう、それは洗脳されているだけの愚かと思います。
科学や理論理屈や論理が間違っているとは言いません。
正しいと思います。
でも、それを自分で確かめて、確信を持って欲しいですね。
知識だけの知ったかぶりは、愚かです。

 世の中には理論や理屈を越えた事は幾らでもあります。
それを真に理解して行くには、理論と同時に体験が不可欠です。
体験でしか得る事が出来ないもの、そこに理論が結び付くと、最高ですね。

 修行をしている人、護身法を習っている人、空手をやっている人、越えようとしている人、想像力を働かせて、その意味と、その深さと、大きさを、理屈だけではなく、理解して行って欲しいなと思います。

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洗うと雨

2011 - 11/08 [Tue] - 02:54

 不思議な事に、愛車を手入れして綺麗にすると雨が降ります。
昔からそうで、何台も乗り換えて来ましたが、どの車でもそうでした。
今日はワックスコーティングはしていませんが、手入れをして、ちょっと修理をして、点検して、そして水洗いしました。
まだワックスコーティングが残っていて、水玉がしっかり出来ていたので、今日はそれで終りました。
でも、やっぱり雨が降っています。
何だか、見られているみたいですね(笑)
この確率は殆ど100%です。

 雨の中のドライブ、夜中のドライブは好きです。
雨に閉ざされた愛車の中の空間は、心が落ち着きます。
今日は出かけませんが(笑)

 今まで乗った愛車は色々。
それぞれ良い車で今も想い出に残っていますし、今でもまた手に入れらたら欲しい車ばかりです。
車は、移動手段であり、落ち着ける空間であり、またロマンだったり、ステータスだったり、人によってそれぞれでしょうが、昔の色気ある車は良いですね。
最近は便利になって、性能も上がっていて、とても綺麗ですが、何だか違う気がします。
人の手ではなく、機械で作っているからでしょうか。
昔のMacintoshと同様、昔の温かみのある車が好きですね。
デジタルを使って、それについて行っているつもりですが、アナログも捨て難く、好きですね。

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仕事の波

2011 - 11/07 [Mon] - 01:21

 いつも仕事をしていて思いますが、凄く波が偏ります。
通信相談は毎日の様に入って来るのですが、面接相談その他はバタバタっと駆け込む様に重なり、そこに気療が入ります。
そして、波が通り過ぎると、数が減ってのんびりになります。
この波が来ている時と来ていない時の極端さは、凄いものがあります。
普通の人なら、波が来ていないと、もう仕事が来ないんじゃないかと不安になるかもしれませんね。
でも、通信相談は勿論ですが、例えばブログを書いたり、HPを修正したり、他の方が書いたブログやHPを見たり、今時になったら来年のカレンダーや年賀状の準備をしたり、全てが私にとっては仕事です。
そう云う、直接的ではない裏方の仕事をしっかりさぼらないでやっていると、また波は確実にやって来ます。
が、その波の来方が激しいので、バテテしまう事もありますが、それでも一つ一つ丁寧に、心を通わせて行きたいですね。

 現代の駆け込み寺かと思う様な時もありますが、お風呂で垢を落す様に、温泉でリラックスする様に、また図書館で答を見つける様な、そんな感じで気楽に来て戴ければ良いと思っています。
こう云う所へ来て、元気になって、笑顔で帰らなければ、意味がありませんからね。
苦しい事も、悩み事も、辛い事も、目線を変えたら楽しい事になるかもしれませんし、元気を取り戻して、勇気と希望を持って戴けたら最高です。

 ちなみに、今日、東北大会に出場した我が道場の師範が、シニアで優勝したそうです。
辿り着いた第一歩ですね。
とても嬉しい報せでした。

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ヒーローは永遠に

2011 - 11/06 [Sun] - 03:24

 毎晩の様に、TV版の宇宙大作戦、スタートレックを観ています。
もう何十年も前に放映していたものです。
出演者は、亡くなった人もいれば、未だ存命で映画にも出ている方もいますが、それだけの年月が経ったと云う事ですね。
が、当り前ですが、画面の中の姿は若い侭です。
彼等は、私の中では当時の侭で、永遠のヒーローであり、先生です。
私は映像や文字から学んだ事が凄く沢山あります。
ヒントやメッセージは無限にあり、そのタイミングでその映像や文字を目にする事は、神の配剤だと思っています。

 嘗て存在した偉人や宗教家や武道家や、架空の世界ですが映画やアニメやドラマ等の登場人物は、多くの示唆を与えてくれます。
それは、後世の人にとって、また当時を知る人にとって、永遠の存在です。
心で感じる、永遠の存在からのメッセージ。
そう思うと、誰にでもそう云う対象がいて、心に残る存在は沢山いると思います。
いつも、そして必要に応じて、そう云う永遠の存在を意識して行く事って、忘れていた何かを思い出す機会かもしれませんね。

 これからも、ずっとずっと、スタートレックやドラゴンボールや北斗の拳や、色々な映画やアニメや本を大切にして行きたいと思っています。
いつも私には示唆してくれる、ヒーローがいて、先生がいると思うと、心強いですね。

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影響を受ける

2011 - 11/05 [Sat] - 03:38

 霊的なものであれ、人の思いであれ、また場所の悪い雰囲気であれ、被りは辛いですね。
世界中どこを探しても、今は人が足を踏み入れない、人に穢されていない場所なんて殆ど皆無に近いですから、被りがない生活なんて望むべくもありませんが、出来れば軽く済ませて、辛い思いは余りしたくないですね。

 被りは、良く言いますが、毒ガスを吸った様なもので、対象が発しているガスを吸ったのと同じです。
また、低周波公害や高周波公害、電磁波なんて云う表現もしたりしますね。
加えて、人や物や場所が持っている記憶に同調してしまって、そこから抜けられない状態であるとも云えます。
何れにしろ、被ると色々と症状が出て来て嫌なものです。
自分が持っている弱点、身体の弱い所や、精神的な面での弱点、そんな所を増悪してしまいます。
何もない、弱点のない人なんかいませんし、無意識でも人は周囲を意識し、同調して生きていますから、被りのない人なんか存在しません。
それを意識するかしないか、だけですね。

 理由も解らずやって来る倦怠感、検査しても何も出ないし、悪い物を口にした覚えもないし、疲労する程でもない。
だけど、倦怠感が酷い。
急にやって来る頭痛や腹痛。
これも原因不明。
突然の発熱、風邪も引いていないのに、パーッって熱が上がる。
訳もなく腹が立って、短気になる。
急に何もかも嫌になって、何もする気にならず、厭世的になってしまう。
等々、何でもあり、って感じですね。

 楽しい事や、嬉しい事に集中したり、刺激物を摂ったり、汗を流して、被りを早く消してしまいたいですね。
尤も、被りは相手を理解すると云う事もあります。
悩みを聞いたり、相手の苦しみや哀しみが伝わって来たり、相手と理解し合うには被る事も必要だったりするので、仕方ない時もありますが。

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今更ですが

2011 - 11/04 [Fri] - 01:45

 私は40数年空手をやって来ていますが、未だに上段回し蹴りと、回転系の蹴り(五連蹴り、回転回し蹴り、後回し蹴り)が苦手です。
前蹴り、横蹴りは、得意ですね。
理由は身体の構造です。
腰が前方には柔らかいのですが、後方に曲り難いので、中段や下段はしっかり蹴れますが、上段は回し蹴りで足の甲が返らず、足の内側で蹴る形になってしまいます。
それで良しと、どこかで甘えていましたが、一念発起じゃないですが、最近は頑張って工夫しています。
若い子達がやる縦蹴りには程遠いですが、しっかり軸足を返して、膝を上げて、回転しながら蹴る様にすると、どうにか足の甲で上段回し蹴りも蹴れる様になって来ました。
未だに自由自在とは行かず、スパーリングでは全く使えませんが、いつか自由に蹴る事が出来る様になりたいですね。

 必要は発明の母とか云いますが、工夫は必要です。
出来ない、難しいと諦めてしまったら、そこからは何も生み出さないです。
何か方法がないか、補う技術はないか、あちこちを見ながら、キョロキョロして、上から見たり、下から見たり、右から左から前から後から、そして近くから遠くから、色々な方向から、世の中にあるもので参考になるものはないかと、諦めずに探し続けます。
そうすると、何か閃きがあったり、引っかかるものが見つかるものです。
でも、その段階ではまだまだリアリティーがなく、それを応用するには、時間と努力が必要です。
途中で何度も諦めたくなりますし、嫌になりますが、それでもいつか・・・と信じてやっていると、ある日フッと抜ける様に出来てしまう事があります。

 言い訳と諦めは、逃げでしかありません。
それは、結局は自分を楽しくさせないだけで、苦しみだけが残ります。
本当に心が楽しむ為に、人生を楽しむ為には、ひと時の苦しみや辛さは必要な時がありますね。
未来を信じて、いつか楽しくなる日を信じて、頑張り続けたいものですね。

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良く、変りたいですね

2011 - 11/02 [Wed] - 03:09

 年数は人を変えると云いますが、全く変らない人もいますね。
それが素晴らしい人格で、その人が変らないでずっといるとしたら、それは凄い事です。
でも、そうじゃなくって、ちょっと問題ありと云う人が、何年経っても何も変っていない、どころかもっと悪くなっているなんて事もありますね。
と云う事は、悪く変ったと云う事ですか(苦笑)

 学習しないのか、成長しないのか、年月を重ねると云う事は、それだけ色々な経験をしたり、見聞きしたり、人と出会ったり別れたりして来ている筈ですね。
なのに変らない、成長しないでいると云うのは、逆に凄い事かもしれないですね。
頑固なのか、視野が狭いのか、閉じ篭もった世界から出ないのか、そう云う人は変化を嫌っているのでしょうね。

 変るのも、変らないのも、成長するのも、退化するのも、自分次第。
誰のせいでもありません。
親や家庭や学校や社会のせいにしても、それは言い訳のたわ言でしかありませんね。
年と共に、良い方向へ少しずつでも歩いて、変化して、成長して行きたいですね。

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自分の中にある声

2011 - 11/01 [Tue] - 03:09

 誰でも心があり、魂を持っています。
普通は意識しないかもしれませんが、悩んだり壁にぶつかったり、失敗したりする時、心を意識しますね。
それをもっと深く掘り下げて行くと、魂があります。
今の自分を作ってコントロールしているのは、心であり、魂ですね。
日常に左右されて、自分の中の声を聞くのを忘れてしまいがちです。
でも、フッと振り返る瞬間や、本当にリラックス出来た時に、心の声や魂の声が飛び出して来る事があります。
パッと目の前が開ける様な、フッと浮んで来る様な、またガツンと頭を叩かれた様な、そんな感じで思いや考えが出て来ます。

 特に転機になった時、スタートラインについた時、人間の持っている知識や経験では判断出来ない事が良くあります。
そう云う時は、自分が何が好きで、何がしたいのか、何を大切に想っているか、自分の潜在意識の中にある声、心の声や魂の声を聞く事が出来ると良いですね。
それには、折りに触れて、自分の中に目や耳を向けてみる習慣をつけておく必要がありますが。

 いつも心に従い、魂の声に従い、それを現実と上手くバランスを取りながら、一番自分が心地良くて、自分らしい生き方が出来ると良いですね。
それが人から理解されなくても、自分が良しとして、自分らしく、心地良く、楽しく生きられたら良いですね。

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プロフィール

島津 成晃

Author:島津 成晃
Adept・Mentor 島津相談室主宰
人生のあらゆる問題の相談に乗って来ました。
元気になって希望を持って帰って戴く事が私の願いです。
スピリチュアルな目と、冷静な分析で御相談に乗ります。
御相談はHPの方からお願いします


関連ブログです。
Adept・Mentor 島津成晃の独り言
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