感じたり思った事を書いて行きます。 時には秘伝などを書く事も。 空手や色々な趣味の話も。

  Adept・Mentor 島津成晃の独り言のナビゲーター   トップページ > 2011年09月  

子供の心

2011 - 09/30 [Fri] - 01:33

 大人になっても、自分の中にいる子供の部分を大切にしていたいなと思います。
無邪気で純粋で、好奇心に溢れていて、何でも楽しいと思える心。
でも、同じ子供の部分でも、嫌な事から逃げるとか、目を背ける、他に責任転嫁する、嫌いなものは排除する、自分で何かする前に人に甘える、そんな所は乗り越えて大人になっておきたいですね。
悩んでいる人や成長しない人と話をしていると、そう云う良い意味ではない子供の部分、幼児性を感じる事が良くあります。
餓鬼だと思えば腹も立たないのですが、それが大人の図体をしているから始末が悪いですね(苦笑)
普段はとっても良い人で、魅力的。
しかし、何か困った事や厳しい側面に出くわすと、途端に幼児性が出て来る人がいます。
姑息な小手先の誤魔化しをしたり、自分の責任ではないと理屈をつけて責任転嫁したり、仲良くしていた人に対してその途端に心を閉ざしてしまったり、やたらと傲慢な態度をしたり、言葉を発したり、等々と人それぞれですが、本人はそれで通っているつもりでしょうが、周囲から見ると一目瞭然で性根が見えてしまって幻滅させられます。
それを繰り返して行く中で、段々と周囲から浮いて行き、人が周りにいなくなってしまいます。
当然、仕事でもプライベートでも孤独になって行きますね。

 人は誰でも大人になるチャンスを与えられています。
目の前に起きて来る一つ一つの試練や困難や嫌な事。
真直ぐ向き合って行けば、それだけ力もついて、大人になる。
でも、やっぱり嫌な事からは、しんどい事からは逃げたいですよね。
私も同じです。
しかし、だからこそ、そこを踏ん張って、嫌な事こそ向き合って行くと、力がつきます。
嫌な思いをしないで生きて行ける人などいません。
筋トレと同じで、苦しみながら、筋肉痛に耐えながら鍛えるしか、強くなる方法はありません。
微弱伝流を流せば楽に鍛えられると理屈をつける人は、勝手にして下さい。
つきあっていられません。

 霊能者も占師も宗教家も、ただ霊感があるだけで仕事出来る訳ではありません。
辛い修行を経て、力を高め、見えるだけでは役に立たないので、法力を身につけ、現実的な知識も蓄える事でリアリティのあるアドバイスが出来る様になりますし、信頼関係を作る人間力も必要です。
空手が強いだけで道場主にはなれないのと同じです。
でも、そこに同時に無邪気な子供の心も併せ持っていたら、夢のある仕事が出来そうですね。

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答えは自分が知っている

2011 - 09/28 [Wed] - 03:41

 正しい答は、自分が一番知っているものです。
ただ、それを自覚していないから、答が解らない様に感じるだけです。
今日は空手の練習でしたが、どう動けば良いか、何をすれば良いかは、自分の身体が知っています。
ただ、頭で考えた事が身体の動きを決めているので、そこにギャップが生まれてしまいます。
そうすると正しい動きが出来なくなってしまうのです。

 悩み事でも、どうすれば良いか、解決策は自分の心に必ずあります。
が、そこに拘りや感情論やしがらみ等が加わって、迷わせています。
そうすると、正しい判断が出来なくなります。

 simple is best はCMですが、正しいですね。
物事は実は凄く単純です。
でも、単純だからこそ、余計なものを捨てなければいけないので、難しい。
人生でも、空手でも、悩みでも、何でも同じです。
曾て、密教ほど易しいものはない、でもだからこそ難しい、と云う言葉をどこかで読んだ事があります。
想い、形を取り、口で言う、その3つを一つにする。
とても単純な事です。
心に迷いなく、陰りなく、拘りなく、素直である事。
簡単だからこそ、シンプルだからこそ、難しいですね。
いつもそうでいられたら、きっと空手ももっと強くなれるでしょうが・・・(苦笑)

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光を増す

2011 - 09/27 [Tue] - 02:08

 ここの所、光を増している人達が月例会参加者の中に増えています。
ギラギラしているのではなく、静かに、しかし内面に強さを感じさせる光を感じます。
一瞬光る事は誰にでも可能です。
その場限りの極端な集中力、怒りや喜び等から、その時だけ強い光を放つ事があります。
しかし、安定した光を保つ事は、とても難しい事です。
心が真直ぐであり、裏表なく、人格的にも優れていて、心に余裕があって視野が広く、何事に対しても深い造詣と真摯な気持ちを保つ事が条件です。
誰でも、物事を真直ぐに見詰めて、真直ぐにそのままあるが侭に受け止める事は難しいものです。
光の強い人は、それが出来ます。
予断や既成概念がないからですね。

 いつも穏やかに、静かに、余裕を持っている為には、広い視野と知識と、深い造詣が必要です。
また、揺るぎない自信と、歩むべき道を迷いなく進んでいる事。
人に煩わされず、人を煩わせず、自身の状態を見詰めながら、常在修行の意識を持つ事。
日常の中にこそ、人としての修行はあります。
心地良い日常を送りたいものですが、だからこそ、自身を高め、魂の光を覆い隠す事なく、真直ぐ前を向いて歩いて行きたいですね。
そう云う人の変化は、一瞬にして変わり、顔つき、目付き、肌の艶、言葉、声の質、動作まで変ります。
無駄な力が抜け、余裕を感じます。
本来、その人があるべき本来の姿、それを取り戻すからでしょうね。

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今日の月例会

2011 - 09/26 [Mon] - 02:02

 今日は月例会でした。
一人一人の成長をしっかり見る事が出来、それぞれの早さと云うものを感じさせられました。
高野山から戻って以来、劇的に成長した人、ゆっくりと登り始めた人、そして止まっている人、ハッキリと見えて来ました。
一応に転機となって変化が起きている様ですが、それぞれの早さで進んでいる様です。
そんな中で新たに学ぶべき課題が目の前に降って来たり、歩むべき道が見えて来たり、休息に勢いが付いたりしているのを見るのは楽しいですね。

 一つ一つ、越えるべきものを越えて、着実に前へ歩んで行くと、そこには新しい未来が待っています。
坂道の様に、歩の中でなだらかに登のではなく、越えるのではなく、その時までは全く何も変らないかの様な錯覚に陥りますが、その時が来ると階段のステップの様に突然にスッと上に上がります。
その時にストンと答が降って来たり、腑に落ちたりするものです。

 自分の道は、未来は、自分で切り開き、掴んで行くものです。
背中を押したり、アドバイスする事は出来ますが、誰も手を貸す事が出来ません。
自分で歩み、自分で成長して行き、学んで行き、気づいて行くしかありません。

 自分らしく、高みを見て、一歩ずつ歩んで行きたいですね。

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理趣経の響

2011 - 09/25 [Sun] - 02:42

 昨日は、秋彼岸供養会でした。
沢山の方々がお参りに来られ、奠供と理趣経の響の中に御供養を致しました。
月例会まで2日と云う日程にも関わらず、多くの月例会参加者が参拝された事は、その真摯な気持ちと姿勢に喜びと感動を得ました。
気持ちの綺麗な、真直ぐな方は、素晴らしいですね。

 供養と云えば御経、特に私は奠供(四智梵語)と理趣経(大楽金剛不空真実三摩耶経理趣品)を大切にしています。
どちらも声明の響きの中に美しい御経です。
声明は音楽で云うレとミとファの3音しかありません。
それを、当たるとか上がる、下がる、せり上げる、等々と云うテクニックを使って、とても美しい響きにします。
何よりも、発声を倍音を使う事で、音が回る様に広がります。

 御経は、大きな声を出し、テクニックを駆使するだけでは、人の心を打つものにはなりません。
導師(御経を引っ張る人)の経に従って、助法(経を導師に従って詠む人)が、同じリズムで、音を合わせて(同じ音である必要はないのですが、ハーモニーになる様に音を合わせる)詠んで行きます。
そして、一番大切なのは、導師だけが祈っているのではなく、助法をしている者達が、導師と心を合わせて同時に祈る事です。
導師が何を考え、何を想い、何をしているのかを意識しながら、導師の息を読んで呼吸を合わせて、経が途切れぬ様に息継ぎをずらし、導師の読むリズムに合わせて遅れぬ様、早過ぎぬ様、ピタリと合わせて行く事です。

 経が乱れる時、それは導師の経や心や息を助法が読めぬ時です。
遅れる、早過ぎる、音が合わない、導師より声が大きい、ハーモニーにならぬ程に声が小さい、経を詠む事にのみ集中して導師の心が見えない、それでは祈りになりません。
御経は、詠む対象である仏や御魂、そして一緒に参拝している方々に教えを伝える、祈りの心を伝える大切な言葉です。
自分勝手ではいけません。

 特に理趣経は長い御経ですから、足も痺れ、声も枯れて来て、身体もあちこち痛くなって来たり、汗も流れて来たりします。
集中力を保つのは大変な事です。
だからこそ、御経は日頃の修行がモロに出てしまいます。
御経を聞けば、その人がどれだけ普段修行しているかが見えてしまいます。
詠む側からすると、毎回試験されている様なものですね(笑)
それだけ、真剣でなければならないし、祈りとはそう云うものです。
慣れや、沢山の人間で詠むから自分一人位はと思う後ろ向きな心は、祈りを邪魔します。

 全てが一つになった時、その御経は誰の心にも響きます。
最高の音楽となり、癒しとなります。
生涯に何度、その様な理趣経や奠供を詠む事が出来るか、それは得難い体験となり、宝となります。

2011秋彼岸

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阿闍梨の教え

2011 - 09/23 [Fri] - 02:27

 台風一過、今日は晴れたのでやっと上野の国立博物館でやっている「空海と密教美術展」を見に行く事が出来ました。
この展示が始まった当初、すぐに見に行こうと思っていたのですが、様々な事情で行く事が出来ず、到頭今日となりました。
行ってみれば、何度も眼にしている物ばかりで、特に目新しい物もなく、また仏像も仏画も曼荼羅も脱魂してあるので、云わば美術品です。
そう云う意味では、素晴らしく精緻な美術品を見たと云う所でしょうか。
やはり、仏具も仏画も仏像も、お寺で祀られているのを、心を込めて祈るが一番感動がありますね。
もうすぐ終ると云う事もあってか、無関係か、人が多くて落ち着いて静かに拝見する事が出来ないのは、どの展示会でも同じです。
静かに、じっくりと時間をかけて拝見したいと思うのは、こう云う展示会では望むべくもないですね。
然し、明日は秋の御彼岸ですし、タイミングとしては一番良かったかもしれませんね。

 昨日、弟子達と高名な阿闍梨についての話をしていました。
聞けば誰でも知っている生き仏です。
その方の許へ出かけ、御法話を聞いて来たと云う話なのですが、弟子から聞く話は私に異和感を覚えさせました。
内容は素晴らしいものであり、その通りと思う御話ですが、どうも現実世界に於てのリアリティーを感じない。
何かかけ離れてしまっていて、御講説はごもっとも乍ら、現実世界に生きている俗人にとっては、それは理想論だが、現実的にはそれは不可能と感じてしまって、素晴らしい御話を聞いた、で終ってしまう様に思えました。

 仏教者として、生き仏として、そこに徹した方の御法話ですから、それはそれで良いのだろうと思います。
が、俗人が理解し、また実践して行く上での現実感と云うか、身近な感じに欠けている。
余りにも理想論過ぎると感じます。
阿闍梨の素晴らしさも、その偉大さも、全て認めて尊敬しております。
が、余りにも次元の高い理想論は、やはり良い御話で終ってしまうのだなと感じました。
我々、現実世界の現場で皆さんのお力になっている者は、一般の方々が身近にすぐに出来る、そんな御話をして行かなければなりません。

 今日の「空海と密教美術展」の仏と同様、阿闍梨はそこに存在する事、その生き様そのものが教えであり、光を放ち続けて戴き、我々がそこから何を学ぶのか、感じ取るのか、なのだなと思います。
得難い、2人といない、素晴らしい阿闍梨です。
これからも光り続けて、その姿を皆の前に現して戴ける事を願っています。

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合う、合わない

2011 - 09/21 [Wed] - 03:11

 今日、外付けのHDを新しくしました。
今、私のPCには外付けが二つHDがついていて、片方は500GB、もう一つは1TBです。
一昨日まで他の1TBのHDをつけていたのですが、どうにも相性が悪く、マントが勝手に解除されたりしていて、メンテナンスしたり、フォーマットし直したりしたのですが、どうも上手く行かないので替えました。
機械自体に問題はない様なので、何れまた使う機会があると思いますが。

 今日の空手の練習、何だかとてもハードに感じました。
気温は低いのですが、湿気が多いせいでしょうか。
気力を保ちながら最後まで頑張る事は勿論出来ていますが。
スパーリングをしていて、やはり一人一人動きもスタイルも違い、それがまた面白くもあり、楽しいのですが、同時に自分の課題を見せつけられ、反省する事が沢山あります。
やはり相性があって、こちらのペースに乗せ易い相手と、どうしても相手のペースに乗せられてしまう相手がいて、それがまた修行ですね。

 何でもそうですが、相性と云うのは大切ですね。
相性が合うとか合わないは、努力によって解消出来る場合もあれば、どうしても駄目と云う事もあります。
その根深さや、解消する時の根気と云う事もあるでしょうし、相手が物であればこちらの努力と根気でいつかは相性を越える事が出来るでしょうが、相手が人の場合はこちらの努力精進や根気だけではどうしようもない場合もあります。
ま、そう云う時は執着せずにアッサリ、スッパリとしてしまった方が次へ進めます。
駄目なものは駄目ですから、拘り続けて先へ進めなくなっては意味がありません。

 努力して、根気でどうにかなるか、ならないか、その辺りを見究めるのも大切ですね。

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台風

2011 - 09/20 [Tue] - 02:27

 先日、台風の中を高野山まで出かけて来ましたが、何事もなく予定を大過なく過せたのは本当に僥倖であったと思います。
その後のニュースで紀伊半島に大きな被害が出ている事を知り、愕然としていました。
また、台風が新たにやって来ていて、雨風による被害がまた出るかもしれないと心配しています。
紀伊半島、とりわけ熊野や伊勢、奈良等には、私が心の故郷としている神社仏閣が沢山あります。
自然災害ですから仕方ないですが、聖地が被害を受ける事のない様、またその地域に住まれている方々の被害が最小限である事を祈るばかりです。

 南紀熊野語り部ケアタクシー(熊野通信)を書いておられる方からペタを戴き、熊野の現状が伝わって来ました。
かなりの被害が出ている様ですが、復興に向けて頑張っておられる事が伝わって来ます。
有難い情報に、お礼申し上げたいと思います。

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礼儀

2011 - 09/19 [Mon] - 02:08

 お寺でも神社でも、お参りする時に急に思い付いて寄ったとか、日が沈んでからお参りするとか、出来ればやらない方が良いと云う事は幾つかあります。
どちらも、人間にとっては目上の人であり、そこに御挨拶に行く、お願い事に行くのであれば、当然ですが礼儀と云うものがありますね。
急に思い立ったから来ましたって、そりゃ人間でも喜ぶ人もいるかもしれませんが、向うにも都合があって今来られても困るって云う場合もありますね。
やはり、行くならちゃんとアポをとってからと云うのが礼儀でしょう。
神仏とどうやってアポを取るかって、簡単な事で何月何日にお参りに行こうって、暫く前から意識して思っておく、準備する事です。
それだけでアポを取った事になります。

 また、夜に訪ねて来られても、ね。
元々、寺でも神社でも、何もない所に建てない訳で、何かあまり良くない事があったから神社仏閣をそこの場所に決めたと云う事が多いものです。
昼間なら兎も角、夕方の日が落ち始めてとなると、眼に見えないものが蠢いてなんて事もないとも限らないし、何よりもやはり失礼に当ると云う事もあるでしょうね。

 また、特に地方に出かけた時に、安易にお札やお守りを買って来る事。
特別な祈念や入魂をしない限りは、普通はお札もお守りも祈願期限と云うものがあり、大体1年ですね。
ですから、そう云うものを戴いたら、1年後にまた返しに行かなければなりません。
フラッと立ち寄って、初めて行った神社仏閣でお願い事をする事自体、初めて会った人にお願い事をするのと同じで神経を疑いますが、二度と来ないかもしれない所でお願い事をして、お礼参りもするつもりがないのにとなると、願いっ放し、自分勝手と云う事になるのではないかと思います。

 お参りも祈りも、人間の作法と何ら変る事なく、当り前の事を当り前の意識でやれば良いのです。
やはり失礼な事は、神仏の世界でも失礼。
人としてのわきまえは持って、節度を持っていたいものですね。

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自然な

2011 - 09/18 [Sun] - 03:03

 何度か書いていますが、本当の自分を見つけ出すのって凄く時間もかかるし、大変ですね。
催眠やカウンセリングやスピリチュアルや色々な方法もありますが、これもその施術者の技術と経験次第であり、誰でも出来ると云うものでもありません。
それに、本当の自分が出て来るのも、本人の持っているタイミングや意思もありますから、それらがピタリと合ってシンクロした時に、ちゃんと技術と経験を持った者がサポートして初めて可能なものです。

 人間は一生かけて自分探し、居場所探しをしています。
人としてどうありたいか、本当の意味での心の声に耳を傾け続けて、それが純粋であればある程、本当の自分を見い出す可能性は出て来ます。
一般社会や教育で身につけた常識を捨て、固定観念を捨てて行く中で、本当の心の声が聞こえて来るものです。

 無理せず、自然な状態でいつもいられたら最高ですね。

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心を通わせて

2011 - 09/17 [Sat] - 02:59

 今日、先の25周年記念高野山旅行を企画し運営してくれた内弟子達と慰労の食事会をしました。
一番長い内弟子2人が25年通って来て、大きく成長し、また色々とサポートしてくれました。
他の弟子達は皆10年未満ですが、それぞれに成長著しく、自分の道を歩き始めています。
今回は内弟子達が中心となってくれました。
もう、任せても大丈夫なのだなと思える、とても良い旅であり、祝のパーティでした。

 毎年、年末の月例会の後に忘年会をやっていて、皆と食事を共にしますし、旅先では勿論全員と一緒に食事しますが、内弟子達を集めての食事会は久々です。
心通った、本当に身内の様な者達との時間は、とても和やかで、楽しいものです。
皆の頑張りに見合うものではないですが、せめてもの心尽し。
楽しい時間を過す事が出来て良かったと思います。

 こうして心通う人が身近に長くいてくれるのは、有り難いですね。
義務感や責任感だけではなく、安心感と信頼がそう云う時と関係を作り、維持してくれるのだなと思います。
これからも、長くずっとこの形が続いて行けば良いなと、改めて噛みしめていました。
私ももっともっと先へ行って、内弟子達も更に成長して行ってくれたらと思います。

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1年の成長

2011 - 09/15 [Thu] - 22:08

 昨年の伊勢神宮参拝旅行の写真をアップしていて思ったのですが、去年と今年両方参加した人達の顔が全く違います。
去年も一様に皆良い顔をしていたのですが、今年は更にもっと輝きが増していて、とても気持ちの良い顔をしています。
凄く成長したのだなと感じます。
女性軍は皆一様に顔が柔らかく、そして何よりも美しくなっています。
飾らない、素直な、穢れのない美しさを感じます。
男性陣も、迫力が増していると共に、何面から滲み出る心の大きさや逞しさを感じます。
1年と云う年月は、人を大きく成長させるのですね。

 毎月、月例会に通って来て、皆と一緒の学びながら、楽しい話をして、自分の日常に当て嵌めながら自分を振り返り、本当の自分らしさを見い出そうとしている事g、心も身体もそしえ魂も磨いて行くのだろうと思います。
写真の中から出て来そうな、それでいて出しゃばらず、眼が自然とそこへ向ってしまう様な雰囲気を、全員が持ち始めた事は、とても嬉しいですね。
継続は力と云いますが、漫然と続けていても何も変りませんが、楽しく、高い意識で学び続けて行くとこれだけ結果が出るのだなと驚きます。
嬉しく、有り難く、そして幸せですね。

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空手の後

2011 - 09/14 [Wed] - 04:23

 2週間振りで道場に行きました。
高野山から始まり、バタバタしていてやっと道場へ行く事が出来ました。
思ったより身体は動きましたが、やはり調子がどこか狂っていたのか、少し足を痛めてしまいました。
帰りはちょっと足を引き摺りながら帰って来ましたが、これもまた楽しです。
I君は拳を傷めた様ですし、熱中症でバテテしまったIT君は大丈夫でしょうか。
道場への階段を上がって行くと、本当に数度温度が上がり、酸素が少ないのを感じます。
瀧の様に流れ落ちる汗、そして上がって行く息、いやぁ疲れますが、でも楽しい時間です。
練習が終っても、汗が引きません。
高校生が一人参加していましたが、すぐに着替えて帰ろうとするので、呆れてしまいました。
汗もかいてないのか・・・。
若さとは凄いですね。

 帰って来てから入浴して色々やって今に至りますが、まだ身体が熱を持っています。
空手熱と云うやつですね(苦笑)
全身が火照った、熱中症の様な状態です。
これが冷えるまで中々辛いものがあります。
所謂、熱中症とは違うので、熱が引いて行くのを待つしかありません。
全身の筋肉の動きと気の流れのせいで熱が上がります。

 こう云う事を繰り返しながら、色々な事を学んで来ましたし、鍛えて来ました。
継続は力です。
明日には熱が下がっていると思うので、今は我慢ですね。

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メンテナンスを

2011 - 09/13 [Tue] - 01:06

 メンテナンスと云えば、身体も心もメンテナンスをしておかないと、太り過ぎたり痩せ過ぎたり、成人病が出て来たり、障害があちこちに見えない内に出て来ていたりしますね。
現代は便利な時代ですから、怠惰でも生きて行く事が出来ますし、自己管理は自分次第です。
食事や生活のリズム(お前が言うな~って言われそうですが)、運動や知識の補充等々、メンテナンスしなければいけない事は沢山ありますね。
PCでもメンテナンスしないと調子が悪くなるのですから、遥かに精密機械である肉体や心や常にメンテナンスしないと、無自覚生で調子を崩してしまう事になりますし、気がついた時には大事になる可能性もあるものです。

 これ位と思ってないで、気になったら即メンテナンスしましょうね。

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一切衆生悉有仏性

2011 - 09/12 [Mon] - 03:03

 一番知っているつもりで、実は一番知らないのが、自分の中にいる本当の自分の姿だと思いますが、修行をしていてそこに気づき始めた時に、自分の中に知らない自分がいる事に愕然としたり、また予想外の自分に驚いたり、喜んだりします。
人は生きている上で、本当の自分を押し隠して、また抑制して、色々な鎧を着て生きています。
習い性と成ると云う諺の通り、そうやって生きていると本当の自分が分らなくなったり、忘れてしまったりするものです。

 一切衆生悉有仏性、生きとし生けるもの全てに仏は宿っていると云う教えですが、それは人も同じです。
仏とは解けて自由な状態を云いますが、何ものにも束縛されず、執着せず、自由でありながら揺るぎない状態を指します。
人は誰にでも心の中に仏もいれば、鬼もいます。
それを良し悪しではなく、事実として受け入れて、人の心も仏も鬼も全てを一つにして行く。
その為に修行をします。
まず、自分が誰なのか、どう云うものなのか、何を思うのか、何を好み、何を嫌うのか、その原因はどこにあるのか、全てを受け入れて認識して行く必要があります。
己の中の仏性を見い出すと云う事は、己の中の因縁も業も欲も、見い出して行く事でもあります。
そこから、段々と一つにして行き、昇華させて行きます。
仏はこう、鬼はこう、人はこうなのだ、と云う固定観念を捨て、色々な経典や本に書かれている仏の定義を忘れて、自分自身の仏を見い出して行く事が大切です。
だからと云って、本や経典を読まなくて良いと云う事では決してありません。
知識を持ち、深い造詣を持った上で、そこから更に高い所へ登って行くと云う事ですから、何でも知っておかなければなりません。

 何をするにしても、本当の自分を知って、自分をそのまま全て好きになって、迷いなく一つの人格でいられたら最高ですね。
全ての道は一つに繋がります。

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進化

2011 - 09/11 [Sun] - 02:45

 インターネットの世界に蔓延するウィルスや情報漏洩のせいか、ОSのアップデートが早いせいか、ソフトでもОSでも、どんどんバージョンアップがかかります。
先頃、カーナビもバージョンアップしたばかりで、こちらも毎年地図をアップデートしないと、道路もどんどん変っていますから、正確なナビが出来なくなってしまいます。
昔と比べると現代は時代の流れが凄く早くなっている様に感じますね。
特にPCの進化は他の家電の10倍と云われる早さで進みますから、ついて行くのも大変です。
携帯電話にしても、i-mode等の時代からスマートフォンの時代になって来ていますし、曾てpalmと云う携帯端末がありましたが、それが凄く進化した形で一般化しています。

 考えてみれば、凄い時代に生きているものだなと思います。
2回の世界大戦を経て、多くの国が統合されたり分離したりして、その後にまた国が再統合されたり分離したり、戦争兵器の劇的な進化と共に一般社会で用いられるテクノロジーの進化も凄まじく、人間は果してそれについて行っているのだろうかと疑問を感じてしまう事も良くあります。
一部の専門家達が考え出して作り出して来たテクノロジーを、一般人は理屈も知らずに使わされているだけで、使う事さえ学んで行くのが大変。
ついて行けなければ遅れていると云われて、段々と社会から置いてけ堀になって行きます。

 その全てについて行く必要はないと思います。
でも、知っているのと知らないのでは、やはり天と地ですね。
知った上で使う使わないと云う選択をして行く事が必要だろうと思います。
古いものが全て良い訳ではないし、新しいものが全て良い訳でもありません。
古きに固執するのも、新しきに固執するのも、これまた偏りでしかないと思います。
世間の風潮に惑わされずに、自分の価値観をしっかり持って維持して行く為に、新しい時代について行く力は持っていたいですね。

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写真

2011 - 09/10 [Sat] - 03:43

 今回の高野山に限らず、皆さんが撮ってくれている写真や動画等を見ていると、その人がどこを見ているのか、目線が見えて来ますね。
写真の技術と云う問題はさて置き、何を撮ろうと思ったのか、どこに注目したのか、またその人の好き嫌いまで見えて来るから面白いです。
リアリティーを求めて撮る場合も、敢て意図してデフォルメして撮る場合も、その人の視点や価値観が見えて来ますね。

 また、写真は「真を写す」と云う言葉の通り、眼で見ていて見逃している事が捉えられていたりするので面白いですね。
眼で見ていると一点に集中していたりすると他は見えないものですが、写真はその一瞬を切り取ってくれます。
後で写真を見て、アララ!!と云う事も良くあります。
それから、人物の場合は、眼では分らなかった、その人の存在感の大きさが見えて来る事が良くあります。
内面が充実した人は、写真で見るとその存在が凄く大きく見えます。
良く、骨董品等では言う事ですが、本物は小さな物でも写真で撮ると大きく見える、と云う事ですね。

 写真の記録と云う性質、またその芸術性は、アングルやフォーカス、露出、シャッタースピード、そう云うものを駆使して出来上がります。
機械ではあっても、使う人の心が乗って行くのが面白いですね。
また、そこから学ぶ事や感じる事も沢山ある様に思います。

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「英国王のスピーチ」を観ました

2011 - 09/09 [Fri] - 03:07

 今日、「英国王のスピーチ」をDVDで観ました。
正にネイティブのブリティッシュ・イングリッシュ、聞き取るのには苦労しましたが、そこは字幕に助けられながら、聞き取れる単語で想像力を高めて観ていました(苦笑)



 吃音と云うコンプレックスを克服し、英国王として重要な局面での演説をするに至る迄の物語ですが、誰にでもコンプレックスはあるもので、まして沢山の人の前で話すなど、私は今でも苦手です。
立場は全く違いますが、私も人前で話す事が出来なかった、無口を通り越していた時代が長くありました。
小さい子供の頃から30歳位まで、人と話すのは苦手でした。
機能的な問題ではなく、心理的な問題です。
色々なコンプレックスを持っていましたが、結局は人からどう思われるか、それを気にしていた様に思います。
人は評価される事で自信をつけて行くと云う事があります。
評価に気を取られてばかりいると、本当の自分が確立出来て行きませんが、評価を受ける事で自分に自信がついて来ると云うのも事実ですね。

 私の場合は、人からの評価を気にしなくなった、自分の価値観に素直に従った事が、結果として人からの評価を受ける様になって来たと云う感じでしょうか。
不思議なものです。
人がどう思おうと、何を言われようと、関係ない。
自分は自分と思い、そう云う生き方を続けて来たら、人が評価してくれ始めた。
逆説的ですが、自分のスタイルが出来て、自己確立が出来て来たのでしょうね。

 評価を捨てる事で評価を受ける。
評価を受ける事で、自己確立が出来て来る。
自己確立が出来る事で評価を受ける。
色々な道筋がありますが、自分らしさに自信を持つ事が出来たら、堂々と胸を張っていられます。
そんな事を思い出したり、考えたり、感じたりする事が出来た映画です。

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奇蹟だったのですね

2011 - 09/07 [Wed] - 02:48

 TVや新聞等の報道を見ていて、今更ながら台風12号の凄まじい威力と被害に冷や汗をかいています。
我々が行き帰りに乗った南海高野線も、その後線路に異常が見つかって運転が見合わされたそうですし、実は行き先の候補に上がっていた熊野や那智もかなりの被害だった様ですし、違う日にちで出かけていたら行く事すら出来なかったかもしれません。
全てが僥倖で、奇蹟の様な旅だったのだなと、改めて感謝しています。

 案外その様なものなのかもしれないですね。
人が驚く様な事や奇蹟は、当の本人は当り前の様な気持ちでやってしまって、周囲が冷や冷やしたり驚いたり、後で振り返ってみたら震えが来た、なんて事も良くあります。
絶対に何もある筈がない、悪い事が起きる訳がない、それすら考えないで思いの侭に突き進む。
その先に見える光が無謀とも云える事もやり遂げ指してしまうのかもしれません。

 真直ぐな、余計な計算のない、綺麗な気持ち。
揺るがぬ信頼と信念。
心通う仲間達との気遣い。
そう云うものが奇蹟を起すのかもしれません。

 今回の旅は、色々な意味で貴重な経験となり、また転機となり、修行となったと思います。
これをまた日常に活かし、一歩前へ進まなければいけませんね。
行程中に撮った写真は、現在整理中です。

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台風の高野山

2011 - 09/06 [Tue] - 03:00

 先に御報告した通り、9月2日から4日迄、高野山へ出かけて来ました。
内弟子達が立案・企画してくれて、沢山の人達が集まってくれました。
それぞれが毎月の様に、中には毎週の様に顔を見ている人ばかり、ファミリーの集合でした。
凄まじい台風の中、誰も旅を諦める事なく、平気な顔をして参加していたのは流石でした。
3日に到着したメンバーを待って、到着早々に雨風の中を出かけて行ったのには、笑ってしまいました。
台風など、全く気にもしていない(笑)

 直撃かと思えた台風が西に逸れて、却って雨風が酷くなり、紀伊半島は凄まじい被害に遭った様で、亡くなられた方々もおられるとの事、心が痛みます。
そんな中でも何事もなく、また元気に、全ての行程を無事に終えられた事は、皆のパワーと弘法大師の御加護かと思います。

 そしてパーティー、私の開業25周年を祝って、高野山の宿望でのパーティーはとても感動的なものでした。
弟子達の考えそうな、ベタベタでしたが、それがまた心が籠っていて、凄く真直ぐな綺麗な気持ちが伝わって来ました。
25年前から来ている二人の内弟子、そして他のメンバーは皆、1年3年5年7年8年と云う人達ばかりですが、皆がずっと来ているかの様に心を込めて祝ってくれました。
特注の、それも絶対不可能と思える状況の中での、ケーキ。
かなり練習して来たであろう、空手の型や太極拳の演武、そして手作りのくす玉(笑)、寄せ書きの様な皆の写真を載せたアルバム、そして記念品。
どれもこれも、心を打たれました。

 ひたすら突っ走って来た、アッと云う間の25年でした。
それがこう云う形で皆に祝って貰えるのは、心から感謝でしかありません。
皆、師匠と弟子であり、相談者でありながら、とても身近なファミリーに思えます。
本当の意味で心通わせ、本当の家族の様に、いつでも側にいて互いに支え合って行けたらと思っています。

 中々厳しい旅でしたが、素晴らしい修行であり、また感動の旅でした。
また同じメンバーで旅をしたいですね。

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嵐の真直中へ

2011 - 09/02 [Fri] - 01:52

 明日、もう今日ですが(笑)高野山へ出かけます。
私が仕事を始めて25年を祝って弟子達が企画してくれ、毎月月例会に通ってくれている人達が参加してくれます。
強大な台風がやって来る中、直撃は免れた様ですが、中々凄い旅になりそうです。
思えば台風直撃は毎年の恒例だった様な土地に生れ育って、修行時代は嵐の暴風雨の中で瀧に入ったり瞑想したりしていたのを思い出します。
どんなに頑張っても自然に打ち勝つ事は出来ないのですが、必死に立ち向かったあの時代、思えば無謀と云うか無茶苦茶でしたね(苦笑)
嵐の高野山、私らしいと云えば私らしい(笑)

 高野山と云うのは、誰でも知っている、弘法大師遍照金剛空海の開いたお山です。
真言宗の総本山であり、地上の楽園を日本中に広めようと開いたお寺です。
宗派を越え、宗教の好き嫌いを越えて、高野山は多くの方に愛されています。
大きな伽藍、並び立つ数々のお寺、そして幽玄を感じさせる世界。
嵐の中の高野山は始めてですが、これもまた御大師様の御意思か、楽しみです。

 願うのは、参加してくれる人々が無事に、何事もなく到着してくれる事です。
きっと一生忘れない旅になるでしょうね。
気持ちの通った、いつも一緒に学び、楽しい時間を過している仲間と過す、嵐の中の記念旅行。
頑張って、仏様や御大師様に会って来ます。
向うでは弟子達が、空手の型を披露したり、何か色々と考えてくれている様です。
私も一つ型の披露を頼まれていますので、気合いを入れてやって来ます。

皆に会えるのが楽しみです。

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プロフィール

島津 成晃

Author:島津 成晃
Adept・Mentor 島津相談室主宰
人生のあらゆる問題の相談に乗って来ました。
元気になって希望を持って帰って戴く事が私の願いです。
スピリチュアルな目と、冷静な分析で御相談に乗ります。
御相談はHPの方からお願いします


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