感じたり思った事を書いて行きます。 時には秘伝などを書く事も。 空手や色々な趣味の話も。

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お灯明の光

2009 - 01/31 [Sat] - 03:46

 祭壇にはお灯明があります。
私の所には、沢山ありますが、普通の家庭では一つないしは一対でしょうか。
お灯明の光は蝋燭の炎ですから、風があれば揺れ、風がなくても何かの拍子に揺れます。
その揺れ、揺らぎが、閉じた眼にも映り、気持ちを鎮めてくれます。

 昔から炎は神聖なものとされて来ました。
炎はどの様な形にもなり、穢れたものを焼き付くし、また人の役にも立ってくれます。
その温かさは、修行の時の寒さを緩和してくれる至福の温かさです。
護摩の時などは、熱さと云うより痛さになってしまう位に激しくなります。
炎は人の心を読むかの様に、変化します。
ですから、炎は生きている。

 良く、お線香をつけるのにお灯明から取りますが、お線香を炎の中心に差し込んでしまう事があります。
これは、炎を穢すと云い、避けるべきだと云われます。
炎の上、少し上にお線香を保つと、暫くすると燃え始めます。
炎の中に入るのは、燃やすべき穢れだけ。
炎の神聖な力を移す為に、炎の上に持って行くのです。

 こんなちょっとした事でも、一つ一つに対する気遣いと思い入れが大切。
それが作法となって行きます。
霊能者や修行者は勢いと感覚だけと云う場合がありますが、そうではなくて、一つ一つに気を配って、深い境地へと達して行きたいですね。

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秘伝、口伝

2009 - 01/30 [Fri] - 03:43

 修行していると、いつかは出会う、そして憧れるものに、「秘伝」とか「口伝」と云うものがあります。
普段、皆さんに教えている護身法にも「秘伝、口伝」はあります。
それは、マニュアルでは、文章では書く事が出来ません。
目の前で修行しながら、見せ、教えるものです。
それをどれだけの文言で表現したとしても、それは知識でしかなく、何の役にも立ってくれません。
また、教わろうと云う意識、習おうと云う意識が、自分の進歩を止めてしまいます。
甘えであり、安直でしかないからです。
与えられたものにはそれだけの価値しかありません。
秘伝とは、口伝とは、先人が血と汗を流して、艱難辛苦の末に編み出して来た宝です。
それを以心伝心で、口伝で、長い時をかけて掴み取った者だけが、その秘伝を受け継ぐ事が出来ます。
世の中にはマニュアル本が溢れています。
でも、知ると出来るは、天と地が交わらない様に、全く違うものです。

 教えていると、良く「どうすれば良いですか?」と方法を聞きたがる。
初心者に有り勝ちです。
答は、「自分で考えて下さい」ですね。
そして、「もう、見せました」です。
二度と見る機会、見せる機会があるかどうか、それは分りません。
目の前でやっている事、話している事、流れている雰囲気、その他諸々、その全てが「秘伝」であり、「口伝」です。

 「習うな、盗め」「見て覚えろ」は、修行の鉄則。
同じ様に苦しみ、血と汗を流して、自らの手で掴み取った時、その意味が分かるでしょう。
いつも「秘伝」も「口伝」も、目の前にあり、触れている筈ですから。

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基本は究極の秘伝

2009 - 01/29 [Thu] - 03:40

 何をやるにしても、基本と云うものがありますね。
最初に習うもの、空手でも基本がありますが、修行なら基本の作法と護身法。
基本ですから、長くやっていると段々と忘れる訳ではないですが、意識が行かなくなってしまいます。
もっと難しい事、もっと高い事へ眼が向いてしまいますからね。
で、気がついたら基本が疎かになっていて、形や意識が崩れている。
なんて事が多いと思います。

 基本は所詮基本でしかない。
そう云う風にしてしまっているのは、実は自分自身です。
実は全ての事は、基本の応用、発展でしかありません。
基本が疎かになると、どんなに高度な事や難しい事が出来る様になっても、不安定と云うか、雑になってしまいます。
特に修行の世界では、基本を忘れると、被りが酷くなったり、新たな問題に対処出来なくなったり、きちんと張っている筈の結界が汚れたりと色々な事が起きて来ます。

 基本は最初に習うものであると同時に、全てを含んだ究極の秘伝です。
基本を徹底して追求して行くと、その先に見えて来るものは、小手先の難しい技術や高度に見えるものを遥かに超えた境地です。
私は護身法と云う基本、御先祖の供養と云う基本、荘厳に徹底して拘りを持って、10年近くそればかりやっていました。
そこで見えた事が応用されて、他の事が楽に出来る様になりました。
次々と新しい事を習うのは楽しいですし、どんどん進歩した様に感じます。
確かに表面的に見ると、何年も基本を追求しているよりも進歩が早く見えます。
が、その後、気がついたら逆転しています。
近道は遠回り、遠回りは近道と、修行の世界では言います。
ゆっくり、ゆっくり、遠回りに見えても、一つ一つ積み重ねて、大切に深めて行く事が、最終的には高く、深い境地へと導いてくれます。

 初心、忘るるべからず

 基本、怠るべからず

 ですね。

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御先祖様

2009 - 01/28 [Wed] - 03:46

 日本の家屋には、神棚と佛壇の両方がある場合が多いですね。
元々、仏教が日本に入って来る以前は神道しかなかった訳ですが、だからと云って両方を祀る理由にはなりません。

 正解かどうかは分りませんが、私なりの考え方で言うならば、先祖は仏教に帰依した人だけではないからと云う事だと思います。
仏教が入る以前は神道しかなかった訳で、御先祖様もずっと辿って行くと、仏教が日本に来る以前まで遡る事が出来る筈です。
ですから、仏教を知らない、そんな先祖もいる訳です。
となると、御先祖の御供養を完全にしようと思ったら、仏教だけでは不十分と云う事になると思います。
神道と仏教、両方で御先祖様を供養する事で、本当に全ての御先祖様の供養が出来ると云う事ですね。

 御先祖様がいたから自分がいる。
その感謝の気持ちを表す事は人としての基本です。
信仰心云々ではなく、人間として当り前の気持ちを表する事が御供養だと思います。
ですから、出来れば神棚と仏壇をお祀りし、その両方にしっかり御先祖様に入って戴きましょう。

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銘香「曼華」

2009 - 01/27 [Tue] - 12:46

 先日お知らせ致しました、銘香「曼華」をお分け致します。
100種以上の香や草根木皮等を配合しました。
二度と出来ない貴重なものです。
被り、心身の安定、精神統一、祈願力の増大に効果を発揮します。

限定ですので、お早めにお求め下さい。
尚、なくなり次第、締め切らせて戴きます。

曼華


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修行する

2009 - 01/27 [Tue] - 03:58

 仏教では悟りと云う事をとても重要視しています。
悟りとは何だ???
正直な所、何十年修行しても、それは永遠のテーマです。
読んで字の如し、己を知る事と云う意味は感じています。
が、そんな薄っぺらなものではなく、もっともっと深いものだと思っています。
だから、仏教論があり、今月例会で解説している空海の秘密曼荼羅十住心論の様な哲学があり、お経があります。

 修行とは不思議なもので、やればやる程、自分を見詰めざるを得ない、そんな場面に出会います。
毎月教えている護身法でも同じ事が起きています。
自分には霊感なんかないと思っている人が、実はかなりの霊感の持ち主だと自分で気づいたり、眠っていた能力が開き始めたり、毎月会う度に見る間に変化して行きます。
正しい修行と云うものは、それだけ眼に見える様に変化をもたらして行くものなのですね。
通り一遍の作法は、只の形でしかありません。
正しい作法は、心と身体と魂の統一にあります。
ですから、正しい修行をすると、変わるのは当然。
でも、変わる為には、自分を知らなければいけない。
だから、まず自分を知ると云う場面に出会って行きます。
それが楽しい事ばかりなら良いですが、そうでもない時もあります。
でも、やっていれば、嫌な事は解消して行き、自分の中に眠っている素晴らしいものが目覚め始めます。
勿論、修行とは瞑想したり、何か特別な事をするだけではなく、日常の中にも、学ぶと云う行為の中にもあります。
解説している空海の秘密曼荼羅十住心論は、人の心の状態、意識の状態を解説してくれています。
参考になるので、「霊能者と仲間達」のブログも読んで下さい。

 本当に修行すると云う事は、辛い事もありますが、楽しいですね。
自分がどんどん力強くなり、意識が広がり、視野も広がって行くのが良く分ります。

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お経の意味

2009 - 01/25 [Sun] - 03:39

 毎日、お経を詠んでいますが、毎回詠む度に感じ方が違います。
それは祭壇の雰囲気が毎日違うと云う事とは別に、自分自身の問題だと思いますが、心に響いて来る場所が違います。

 般若心経が心に響く事もあれば、真言が心身に滲みる事もあり、奠供を詠んでいて涙が出そうな位に響く事もあります。

 お経の意味は、基本的には仏とは何ぞや、仏の境地とは何ぞや、悟りとは、等々と書いてあるもので、教科書だと思っています。
でも、詠むだけでも心に響くものでもあり、何千回何万回と詠んで行く内に自然と意味が沁み通って来て、それが仏の境地へと導いてくれると云う事もあります。

 世の中には安直にお経の意味を分ろうとする為に解説本が沢山出ていますが、お経の意味を感じ取るのは、詠んだ人自身の感性でもあり、これが正解と云うものではないと思います。
参考にするのは良いですが、解説本にこう書いてあったからと鵜呑みにしてしまって、自分で感じ取ろうとする姿勢を失ってしまったら、ただ詠んでいるだけ・・・になってしまう様に思います。

 自分で掴んだものは宝です。
安直に教えられたもの、与えられたものは、有り難みがなく、それだけのものでしかないと思います。
長い時をかけて修行し、経を詠み続け、祈り続けるのは、己自身で掴み撮る為には必要な事です。
霊感があるからと、直感だけで物事を見ていると、やっぱり論理的に間違いが起きて来ます。
ですから、信仰と云う事とは別としても、こう云う事を通じて色々と学んで行くべきだと思います。
それが、本当の哲学となり、信念となって行くのだろうと思います。

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お香の香り

2009 - 01/24 [Sat] - 04:00

 毎晩、また毎朝、祭壇で祈っています。
朝は御挨拶。
夜は皆さんのご祈願と、自分自身の修行。
それが終わってから、こうしてブログを書いています。
その時に焚くお香、その時の気分で変えています。
伽羅、沈香、白檀、そして私が100種以上の香をブレンドして作り上げたお香。

 お香の香りは、アロマセラピーの原点です。
この匂いで心身を癒し、佛に祈っていました。
私も香の香りによって、被りが落ちたり、定が高まったり、体調が戻ったりと、色々な効果を感じています。

 香は単なる煙ではなく、佛と自分、先祖と自分を繋ぐ、大切な香りです。
ですから、自分が最も良いと思える匂いを選んで下さい。
良いお香は高価ですが、やはりそれだけの事はあります。
沈香や黒沈香の地を這う様な重い匂い。
白檀の軽やかな匂い。
伽羅の甘く芳しい匂い。
私のオリジナルのお香は、曼荼羅の様に色々な匂いがします。
名前は「銘香 曼華」
曼荼羅の様に全てを含むと云う事に由来します。
近々、少量限定でお分けしますので期待しておいて下さい。

 生活の中に香の匂いがあると、何だか気持ちが豊かになりますね。
祈りの場だけではなく、日常でも、フッとした時に香を焚いてみると良いですよ。

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祈り

2009 - 01/23 [Fri] - 03:46

 ここの所、内弟子の為に経典をかき集めて資料を揃えたり、経典作りをしたり、作法書をひっくり返したり、お香を色々と試したり、何だか原点に還って真言密教にドップリはまっています。
ずっと昔に詠んだお経や、もう何十年もやっていない作法等を見ていると、懐かしいですね。
身体に染み込んだものは忘れないと云いますが、その通りで、何となく違和感なく思い出して行っています。

 作法やお経は、長い歴史の中に培われて来たものが詰っていて、宝の山です。
最初はそれらにドップリとつかって行く事が必要ですが、そこにばかり囚われて行くと、本質が失われて行きます。
祈りは心と魂で行うものであり作法やお経で行うものではありません。
手段、手法として、そう云うものは存在しており、知識、知恵として伝えられて来たものです。
ですから、ただ作法をやれば良い、ただ経を詠めば良いと云うものではありません。
その経典、その作法から、何を感じ、何を学び、何を発見して行くか、と云う事が大切です。
そこから自分の祈りを見つけ、作り上げて行く。
そうすると、段々と微妙に作法が変化し、経の詠み方が変化して行きます。

 伝統はとても大切ですし、知っておくべきです。
が、だからと云って、こうあらねばならないと言い始めた途端に、本質は消え去ります。
祈りは一人一人、それぞれです。
自分の祈りを完成させる為には、通るべき道筋をきちんと時間をかけて心身に染み込ませる事が原点です。
そこから、意識を広げて行きましょう。

 大切なのは、心と姿勢です。

新時代

2009 - 01/21 [Wed] - 03:31

 バラク・フセイン・オバマ・ジュニア氏がアメリカ合衆国第44代大統領に就任しました。
有色人種にとっての厳しい時代が長く続き、この日が来る事は誰も予想だにしなかったでしょう。
本人すら思っていなかったかもしれません。
時代が変わる、新しい時代が来るのですね。
根強く残る暗黒は未だ残っています。
暗殺等の嫌な結末にならない事を祈り、新しい大統領を祝福したいと思います。

 本当に、人生は何が起るか、なってみないと解らないものですね。
一時代を作った小室哲哉氏の惨憺たる姿。
そして、誰も予想しなかった時代の到来。

 過去と現在が未来を作るとすれば、こう云う事は必然だと云えます。
が、その必然は人の眼に触れない所で形作られて行く様に思います。
そうなってみて、なるほどそうか、と納得する。
ですから、未来を信じて、強い意思を持って、明るい未来を招く為に努力する事は、必ず結果を表すと云う事だと思います。

 未来は決まっていない。
これから決める、作る、招くのだと。
頑張りましょう。

近くて遠い

2009 - 01/20 [Tue] - 03:21

 昔から我が家では医者が遠いと云われていました。
父が開業医ですから身近に医者がいるのですが、遠いのです。
ちょっとした病気は診てくれません。
酷くなるとやっときちんと診てくれます。
普段は症状を言うと、「この薬を飲んでおけ」で終わり。

 後に自分で医学を学んで分った事ですが、身内を診るのは自信が持てないものです。
身近だからこそ見落とす事があり、良く考えたり悪く考えたりと、平に診る事が難しい。
なので、他人の医者に任せる。
でも、やっぱり心配なので他の医者は信用出来ない。
なんて矛盾を抱えています。

 私の仕事も同じ様に思います。
他人や相談者の事は良く分かりますが、身内だとやっぱり見落としていて、何かあった時や訴えられた時に初めて気づく事もあります。
それでもいつも判断に迷ったりしますね。
平に診ると云う事が中々難しいです。
が、冷静になって第三者的にクールに診ると、当然ですが分ります。

 近くて遠い、それが我が家の昔からの特徴です。

脱力

2009 - 01/19 [Mon] - 03:34

 知らない内に、心も身体も固まってしまっているものです。
日常は常に何かのストレスに曝されています。
自分では全く感じていなくても、潜在意識や肉体は確実にそれを感じているものです。
だから、疲れる。
肩が凝る。
腰が痛い。
頭が痛いとか眼が痛い。
身体が冷えて温まらない。
食欲がない。
眠れない。
眠ったら起きれない。
食事の味がしない。
興味が湧かない。
欲しい物も行きたい所もない。
したい事がない。

って書いて行くとキリがありませんが、小さな、見落としてしまう程の症状が必ず出ている筈です。
そう云う時に、ゆっくりとした非日常の時間を持ちたいですね。
温泉や旅行とまで行かなくても、映画を見るとか、音楽を聴くとか、座禅を組むとか(笑)
それは人それぞれ。

 疲れた身体は動かして汗をかく事で、疲れた心は楽しい事に集中する事で、癒されてスッキリするものですが、無自覚性のものはある日突然に症状が現れて来ます。
その時は、そう云う方法で楽にするのは難しいですね。
ゆっくりと、非日常でのんびりと時を過ごして、癒されるのを待つしかありません。
出来れば、そうやって溜らない様にしておきたいですが、気をつけていても、普段から身体を動かしたり、趣味を持ったりして解消していても溜って来るのが無自覚性のストレスと云うものです。
あれ?と思った時は、休みましょう。
そこで休んでおかないと、後で大事になっていはいけませんからね。

生存本能

2009 - 01/18 [Sun] - 01:25

 人間も動物である以上、生存本能と云うものを持っています。
肉体上の生命と云う意味で、生きようとする生存本能は勿論ですが、精神的な部分、人格を守ろうとする生存本能、また、社会的な面で自分の立場や対面を守ろうとする生存本能、いわゆる自己防衛本能と云うものも持っていますね。

 第一のの肉体上の生存本能や第二の精神的な意味での生存本能は、言わば根源的なものです。
人間と云う基本的な存在意義を守ろうとするものです。
第三の社会的な意味での生存本能、自己防衛本能は、それからすると表層的であり、自分の意思で捨てる事も変える事も出来るものです。

 普通、余程の事がないと根源的な生存本能が働く様な場面には出会いません。
事故や事件、病気、極限の恐怖等に曝されて、そこから逃げられない時に働き出します。
表層的な自己防衛本能は、常に働いていると云っても良いかもしれないですね。
人からの目を意識し、評価を意識し、勝ち負けを意識し、相手より上か下かを意識する。
社会で生きている以上は仕方のない事ですが、そう云うものに囲まれて人は生きています。

 が、そう云う表層的なものは、覚悟と考え方次第でいつでも捨てられます。
人がどう思おうと関係ない、自分は自分、そう思える時、無駄な自己防衛本能や過剰反応は消えて行きます。
良く言う事ですが、良い意味で我が儘、自分は自分らしく生きると云う事を大切にして行くと、表層的な自己防衛本能は意味を為さなくなります。

 現代人はそう云う自己防衛本能が強くなっている代わりに、根源的な生存本能が弱くなっている様に感じるのは気のせいでしょうか?
道場で練習をしていると、痛いし怖いし、だから必死になって行きます。
それを続けて行くと、知らず知らずの内に根源的な生存本能が働き始めます。
ですから、火事場の馬鹿力ではないですが、潜在的に抑制している力が出る様になって来て、思いもよらぬ大きな力を発揮する事が出来る様になって行きます。
その結果が、試し割りで固い板やバットやブロックを割ったりする様な、信じられない様な力を表します。

 格好をつけるより、人の目を気にするより、自分が自分として生きる為に、生命としての根源的な生存本能に目を向けて行くと、段々と表層的な自己防衛本能が小さなものに感じられて来て、どうでも良くなって来ます。

 どちらも必要な本能だと思いますが、そのバランスを保つ事が出来たら良いですね。

プロの仕事

2009 - 01/17 [Sat] - 03:22

 今日、髪を切りに行って来ました。
ひと月に一度は行けば良いのですが、中々タイミングが合わず、ついひと月ちょっとの間が開いてしまいます。
そうすると、私の髪は後ろと耳の辺りが撥ねて来てしまいます。
前回、髪を切った時に美容院のオーナーが、私のHPの写真を見てイメージしていて、カットを考えていたと云う事がありました。
で、その結果、少し撥ねて来ました。
でも、以前に比べたら格段に良いと思いますが、オーナーは不満足だったらしく、私の顔を見るなり「駄目じゃん!!」と(笑)
で、また次のカットを試させて下さいと云う事で、切ってくれました。

 プロの仕事と云うのは、一発でOKと云うのが理想かもしれないですが、こうして相手を見ながら、調整しながら、段々と完璧に近づけて行くと云うのもありだと思います。
相手が人間であるから、機械の様に、物作りの様には行きません。
その時の体調や気温や湿度、日常の状態に因っても、個人差、個体差があります。
ですから、これが正解と云うものはないと云っても良いでしょう。
でも、その人に合ったやり方と云うものは絶対にある筈で、そこを調整しながら、段々と近づけて行く。
これは正にプロの姿勢ですね。

 「ま、良いか」と云う事が多い中、こう云うプロと接すると勉強になります。
私も同じ様に人を相手にしている仕事ですし、その人に合ったやり方をいつも意識しています。
十人十色と云いますが、同じ人は一人としていませんからね。
まして、祈りの時などは、特にそれを意識します。
そうすると、自然と詠むお経のトーンやリズムが変化します。
祈りは毎回違います。
千回祈れば、千回違うものです。
それに柔軟に合わせて行ける余裕と懐の深さがなければ、本当の祈りは出来ません。

好きなもの

2009 - 01/16 [Fri] - 04:01

 私は好きな物が沢山あります。
スタートレック、スイス、ドラゴンボール、Macintosh、時計、自動車、映画、写真、タバコ、空手、仕事、等々。
数えていたら幾らでも出て来そうな感じで、自分でも好奇心の固まりだなと思います。
昔は自分は怠け者で、何をやっても続かない、飽きっぽいと思っていましたが、この仕事も既に24年目です。
空手も気がついたら40年を越えました。
写真も高校生の時に始めて以来ですから、もう長いですね。
スタートレックも一番最初からですから、40年以上になるのでしょうか?
他の物もそうで、兎に角、長いと言われます。
着ている洋服も、数十年着続けている物は多数。
って、考えると、私は飽きっぽくはなかったのですね(笑)

 長く生きると、好きなものがどんどん増えて行く。
年を取ると段々と趣味が減ると云いますが、私の場合はそれは当て嵌まらない様です。
世の中にあるものが、何でも面白く、楽しいと思っています。
そのお陰で時代に乗り遅れずにいられているのかもしれません。

 知ると云う事、学ぶと云う事は、とても楽しい事です。
いつも好奇心と探究心を持ち続けて、子供の心を忘れないでいたいですね。

一生懸命

2009 - 01/15 [Thu] - 03:40

 昨日の空手の練習での話。
スパーリングでは、どうしてもヒートアップしてしまうものです。
でも、スパーリングは組手とは違います。
原則は当てない、当てられない。
組手は相手を倒す、勝つ為にやります。
ですから、スパーリングは自分の技を検証し、確かめ、相手との攻防一体を楽しみます。
組手は倒す、勝つ事が目的ですから、力一杯、目一杯。
なので、どうしても形が崩れます。

 何れにしても、上手い空手、美しい空手とは、攻防一体で相手と円滑な会話をし、互いに充実して楽しいものであり、絶妙なソーシャル・ダンスに近いものです。
スパーリングでも組手でも、同じ様にそれが出来たら最高ですが、上級者と云えども、勿論私も、そうは中々出来ません。
つい力が入り過ぎ、無駄なエネルギーを使い、バランスを崩して、形も崩れます。
まして、初級者や中級者でスパーリングでそれが出来ていない人が組手の様な空手をすると、形が崩れてしまうばかりです。

 一生懸命にやると云う事と、相手を倒しに行く、勝ちに行くと云う事は全く別の問題。
空手は相手との素晴らしい会話を楽しんで行く中で、段々と上手くなり、強くなります。
スパーリングで相手を倒しに行く、勝ちに行くのは、相手を見ていない、ただの自分勝手。
ならば、当然ですがやり返されてしまって、それは楽しい会話ではなく、組手になってしまいます。
やるべき事は、相手と一生懸命に真剣に会話する事。
だから、当てない。
それでも、勢いがあるので当ります。
でも、止めるつもりでやっているので、当ってもそれはそれ。
でも、最初から当てるつもりでやっていると、それは相手に伝わってしまいます。
ですから、相手はそれに対して返礼します。
スパーリングなのに真剣に当てに来ると云う事は、ルール違反で、喧嘩を売っている様なものですから、それならそのつもりでやるか、と云う事になります。

 昔のフルコンタクト系の空手、特に極真ではそうやって常にガチでやって、潰し合いでした。
その中で生き残り、耐え抜いた者だけが空手を続けて行きます。
殆どの者は、耐え切れず、生き残れずに去って行きました。
でも、時代は変わりました。
今はそう云う時代ではなく、スパーリングでじっくりと時間をかけて誰もが強くなって行こうと云う道場が増えています。
当然、私の属している道場も同じ。

 上級者同士は、互いに解っていますから、ある程度は強く、早く、当てて行きます。
でも、初級者・中級者に対しては、かなり手加減し、出来るだけ当てない様にしています。
が、相手が本気で来たら、やっぱりそれで返しますから、それを続けているといつかは大怪我をする事になります。
上級者が本気でやったら、初級や中級の人の防御では受け切れず、骨折や内臓破裂等と云う大事故に繋がりかねません。
それは一生懸命と云うのではなく、無謀と云うものです。

 スパーリングと組手をはき違え、一生懸命と本気をはき違え、暗黙の了解を無視したり、はき違えていると、本当に危険です。

 何でもそうですが、人は相手がいる事で生かされ、活かされるものです。
独り善がりは命取り。
自分勝手に考えて、思い込みでやるのは、とても危険です。
ま、怪我をしたければ別ですけれど。

心と身体のバランス

2009 - 01/14 [Wed] - 03:11

 今日は今年2度目の道場でした。
いつもと云うか、回りは黒帯だらけ。
茶帯もまた沢山いて、その次が青帯、そして白帯。
師範の指導で練習は進み、最後のスパーリング。
やっぱり思った通りにハードでした。
メンバーがメンバーなので、スパーリングの筈なんだけど・・・、まるで組手の様に向かって来る人間もいて。
加減しているつもりでも、ついムカッとしたりして、ちょっとだけ力が入ってしまったり。
それもまた楽しい時間でした。

 が、どうも自分の意思と身体の動きがずれている様な感覚がずっとありました。
意識でも心でも考えても思ってもいない何かがあって、ずれを生じさせていたのだろうと思います。
今、バランスを取り直してみて、やはり分離していたのが解ります。

 心と身体のバランスはもの凄く微妙なもので、これをピタリと合わせるのは至難の業です。
たまたま合った時、身体は無意識に動き、自分でも思ってもいない絶妙な動きをします。
普通は感じて、考えて、意思で決めて、そして動きます。
それが、感じた瞬間に動いている様な。
今日は、そのプロセスが順を追っていました。
無意識では動けなかった。
と云う事は、やはりバランスが微妙に崩れていたと云う事ですね。

 自分でも解らない、無意識の領域のアンバランス。
でも、サインはこうして出ています。
外から見ると見える様で、妻からは時々指摘されます。
が、その時に自分で分っていないので、言われて戸惑ってしまいます。
でも、それを素直に受け止めて、バランスを意識すると、崩れている事に気がつきます。

 ちょっとした事、自分で自分に対して出しているサイン、いつも感じ取れていたら良いですね。
解っている様で、一番解っていないのは、自分自身と云う事ですね。
空手はそう云う事を思い出させてくれます。

逃げない

2009 - 01/13 [Tue] - 03:32

 職人技と云うものがあります。
今日、たまたま見ていた(これが良くありますね)TVで金属搾りの職人さんが出ていました。
その技術は世界屈指と云われ、ティンパニーのボディーやパラボラアンテナをはじめ、小さな物から大きな物まで、一枚の金属を搾り加工する事で作り上げると云うもの。
その技術に驚くのは勿論ですが、心に残ったのは「逃げない」と云う一言。
プロフェッショナルであると云う事は、「逃げない」「新しいものや高いものへチャレンジし続ける事」と云う。
常に最高を目指し、完全を目指す。
その意識が己を高めて行く。
どんな難しい物が来ても、見た事もない新しい物が来ても、逃げない。
チャレンジする。
その姿と言葉には、信念と覚悟が感じられました。

 でも、そう云うものを見て感動するのは簡単。
その感動を持ち続けるのは難しいよね、と妻と話していました。
現場にいる者は、その高い意識を持ち続けなければ仕事をしていけません。
また、常にそう云う人達と関わって仕事している人は、毎回の仕事の仕上がりに感動して、絶対の信頼を持ち続けます。
が、それを下請けとして単に使っているだけ、それが生み出すお金や違う価値に目を向けた時、人はその感動を忘れて行きます。

 私も自分をある種の職人だと思っています。
人の話を聞き、そこからヒントを見つけ出す。
それは、教えて出来るものではありません。
長年の経験と、知識と、広い視野と、柔軟な思考。
それらがバランスを保つ時、相談者の何気ない一言が大きなヒントをくれます。
どうして解るのですか?と聞かれても答えられません。
匂う、臭う、ピンと来る、引っかかる、解るのだとしか言えません。
こればかりは、職人芸と同じ。
一つ言えるのは、先の職人さんと同じ。
逃げないで、徹底して追求して、原因と答を見つけてあげようと云う強い意思。
そこから、感覚が研ぎ澄まされ、集中力が高まり、解って来る。
それしか言えません。

 逃げない、素敵な言葉ですね。

成人式

2009 - 01/12 [Mon] - 01:19

 明日12日は成人の日ですね。
2,000年に制定されたハッピーマンデーと云う訳の解らないものによって、成人の日は1月第2月曜と決まっています。
それ以前は15日だってので、どうも未だに違和感がありますが。

 本来、日本の文化には成人の日と云う決められたものはなかったと思います。
成人式、昔で云えば元服式は、個人の家庭内やコミュニティーで行われていたものだと思います。
昭和になってから制定され、1月15日は成人式と決まっていた物です。

 成人式をずっと昔に済ませた方もおられれば、つい最近と云う人もいるでしょうし、これからと云う人もいるでしょう。
ちなみに私は成人式には出席していません。
なので、未だに大人になり切れていない(笑)

 大人になるって何なのでしょうね?
何そして大人と定義するのか、難しいですね。
大人になって夢を失ってしまうなんて事は、あまり嬉しくないですね。
夢を持ち続けるのが大人ではなく子供だとすれば、大人と子供が同居している、大人になり切っていない人と云う事になるでしょうが、そう云う人は魅力的ですね。
最近流行った「ちょいワル」や、夢を追い求めている人は、幾つになろうとも子供の部分を残していて、それが弥勒になります。

 こう云う機会に改めて、大人とは何だろうか?なんて考えてみるのも良いかもしれないですね。

感動と癒し

2009 - 01/11 [Sun] - 03:36

 今日、何気なく見ていた番組が、岩崎宏美さんと平原綾香さんの長崎の旅の番組でした。
NHKが作った割にはと云っては失礼ですが、洒落ていました。
旅をし、歌を歌い、それが静かに流れて行く。
最後に訪れた地が長崎の原爆記念館。
そこで二人の話す言葉、「歌で人を癒すのが私達の使命」
そして、その後に続く二人のデュエット。
合うかどうかと思って聞いていた二人の声がピッタリとあって、素敵なハーモニーで心に響きました。

 人に感動を与え、癒す事が出来たら最高ですね。
そんな仕事をしている私でさえ、時としてそう云う事を忘れる事があります。
日常は人の意識を狭隘にしてしまう事があるものです。
相談に来た人が笑顔で、勇気を持って帰ってくれたら最高です。
私の存在や言葉が元気や勇気を与えられたら最高です。
私の詠むお経が、霊のみならず、聞いている人の心と魂に滲みて、癒しを与えられたら最高だと思います。
小手先ではなく、そう云う感動を与えられる様に生きて行きたい、仕事をして行きたいと思います。

 そんな事を、図らずも思い出させてくれた、心に滲みる番組でした。

 そう云えば、その番組の中で101歳で現役幼稚園先生をされている方が出て来ました。
平原綾香さんもお父上も通われた幼稚園だそうです。
足腰は弱り、涙脆くなっておられる様でしたが、目も耳も頭も言葉もしっかりされていて、これも感動でした。
心がけと一言で言いますが、その年齢まで現役でおられる事に、驚きと感心と感動を覚えました。

世界は広い

2009 - 01/10 [Sat] - 03:43

 TVやインターネットで情報やニュースを見ていると、本当に世界は広いなと思います。
情報の流通が早くなり、インターネットがあり、交通機関も進化し、世界は物理的には狭くなった様にも思います。
曾て、日本からヨーロッパまで行くのに北回りと南回りの航路があり、北回りで23時間、南回りでは26時間もかかった覚えがあります。
それが今では10数時間でついてしまう。
昔は衛星放送もなければインターネットもなく、それどころかFAXさえもありませんでした。
どんどん進化して、世界は狭くなっています。

 でも、やっぱり世界は広いと思います。
同じ日本ですら、地域や年代によって言葉も違えば考え方も違い、習慣も違います。
十人十色と云いますが、一億人一億色と云う所でしょうか。
一人一人、自分だけの人生があり、考え方があり、価値観があります。
それがたまたま共通の意識を持った人と出会って友人となったり、恋愛したり、結婚したり。
奇跡の様な出会いですね。
宝くじに当たるよりも低い確率に思えます。
それでも、誰かと出会って人は生きています。
人は独ぼっちでは生きられません。
誰かの力を借りる事で生きています。
何かを買うにしても、それを売っている人がいる、作っている人がいるから、買う事が出来る。
そうやって、知らない内に誰かの力を借りながら人は生きています。
そこに出会いがあるから、物を売る事も買う事も出来る。

 良くTV等で珍しい人とか、信じられない人とかを特集したりしますが、そう云うものを見ている時は
当り前ですが、色々な人がいるなと思います。
でも、日常でも良く周囲を見回すと、色々な人がいるものです。
人間観察は最高に面白いですよ。

 こうやって考えると、人間は一人一人違うのですから、同じでなければいけないと思い勝ちな人間の性は、人間が仲間を作る為に作った規則の様に思えて来ます。
それを良しとするのか、自分は自分らしく生きると決めるのか、それは人それぞれ。
縛られる必要も、縛る必要もないのだなと思います。

 どう生きるか、どう考えるかは、その人次第。
あれは変、あれは間違っている、あれはおかしいと人を批判する前に、自分もそう思われていると云う事を忘れない様にして、大らかに、広い心と、広い視野と、柔軟な意識を持っていたいですね。

お腹が空いた

2009 - 01/09 [Fri] - 02:55

 って、私ではありません(笑)
時々、先祖が何の前触れもなく出て来る事があります。
そう云う時、良く良く見ていると、供養の要求だったりする事もあります。
ちゃんと毎日祈っていて、御彼岸や御盆、命日にはしっかり供養しているのにと思っても、相手には相手の都合がありますから、足りないと思う事もあれば、もう十分と思う事もあるでしょう。
霊にとって、供養は栄養と同じ。
足りなければ、お腹が空いたって言いますよね。
お腹が一杯なら、もう良いよって。
これだけやっているから十分だろう、ってのは自分勝手かもしれません。
子供に食事を与えていて、十分だろうと思っていたら、もっと食べたいと言うかもしれない。
相手には相手の都合があると云う事です。
足りているか足りないか、勝手に決めるなって事でしょうか。

 何でもそうですが、これだけやっているのだから・・・、は勝手な思い込みでしかないと云う事ですね。

人の話や情報

2009 - 01/08 [Thu] - 02:40

 世の中には情報が溢れています。
また、自分の周囲の人とも色々な話をしていて、色々な情報が入って来たりします。
でも、その情報って全て本当の事だろうか?って疑った事はありませんか?

 例えば、このニュース番組は信頼出来る、この新聞や雑誌は本当の事が書いてある。
って、本当ですか、それ?
そう云う情報も、誰かからの受け売りではないですか?
本当に確信を持って言う事が出来るでしょうか?

 この人は信用出来る、或いは信頼出来る。
だから、この人は嘘をつかない。
って、それも確かですか?
人間は誰でも自分の立場を守る為なら、本能的に、無意識に、話を作ったり、大袈裟にしたり、或いは小さくしたりします。
嘘をついているつもりはないかもしれません。

 この人は、自分に嘘をつく筈がない。
そんな信頼関係って、一朝一夕に作れるものでしょうか?
夫婦の間でも、家族でも、色々な事があって、それを乗り越えて、互いが色々な覚悟をして、そう云う信頼関係が出来上がって行きます。
ただの友人や知人が、そこまで深くなって行くには、相当な時間が必要だと思うのですが。

 情報過多、情報の錯誤、情報の鵜呑みは、どこかで間違いが起きてしまうかもしれないですね。

空手始め

2009 - 01/07 [Wed] - 03:07

 今日は今年初めての道場でした。
空手始めです。
期間にしたら10日程休んだ事になりますが、思った以上に身体が鈍っていました。
年末年始、いつ寝たか分らない様な感じで過ごし、食餌は御節にお餅にぜんざい。
とくれば、これはやっぱり鈍りますね。
でも、道場で体重と体脂肪を量ると、案外でした。
体重は少し落ちていて、体脂肪もまだ許容量。
年齢からすると良い方だと思います。

 が、練習はキツかったですね。
途中で入れたサーキット・トレーニングは、体力とパワーのなさを痛感しました。
やっぱり年を取ったのと、練習不足ですね。
もうあちこちに筋肉痛が始まる予兆があります。
明日は、唸っているかも(苦笑)

 それにしても、皆元気で、空手の好きな人ばかり。
指導しているI君が言っていましたが、「今日は人が少ないだろうから、のんびりやろうと思っていましたが、始まったら沢山来ているので驚きました」と。
何がなくても空手と云う、本当に好きな人ばかりが集まっている道場ですから、やっぱり普段通りに皆来ます。
ハードな練習であればある程、皆が燃えて来る。
こりゃ敵いませんね(苦笑)

 今年も頑張って通います。
生涯現役を目指して。

仕事始め、治療始め

2009 - 01/06 [Tue] - 03:30

 休みが明けて仕事始めだった人も多いのでしょうね。
ニュースでは、昨年末の派遣切りの話題が流れていますが、仕事が出来ている事だけでも幸福なのだなと思います。

 私の仕事始めは、いつでしょうか・・・?
正月もずっと仕事していた様な。
ですから、仕事納めもした覚えがなく、勿論、仕事始めもした覚えがありません。
ですが、今日は仕事始めならぬ、治療始めでした(苦笑)
長年の歯磨きの怠慢と、毎夜の激しい歯ぎしりと、色々とやった武道、特に空手、そして若い頃にやっていたウェイト・トレーニングのせいで、歯も歯茎も耐用年数を超えていると歯医者さんには言われています。
要するに、ボロボロで治療しながら持たせて行くしかない。
何れはそれでも折れるか抜けるかしてしまって、いつかは入歯。
体質の問題もあるでしょうが、何よりも歯磨きの怠慢と、生活習慣、運動の負担と云う事ですから、こりゃ自業自得。
仕方ないので、なる様にしかならんと諦めて達観しています。

 年を取ると云う事は、こう云う事なのでしょうね。
段々と、思った様に身体が動かなくなり、健康なつもりでもあちこちが故障し始める。
道場で練習していて、愕然とする事はしょっちゅうです。
1秒の間に突きと蹴りを両方入れて7発以上出せたのが、今は目一杯で5発か・・・。
勿論、パワーも激減しています。
と云う事は、威力も・・・。
その分、技でカバーして、と云う程上手くは行かないもので、自分の持っているイメージと実際の自分の動きの差に愕然としてしまいます。
それでも、そうやりながら自分の今の状態を知って、最高の状態へと持って行く努力と意識、これが大切だと思って頑張っています。

 老化すると云う事は、身体だけではなく、精神も老化して行くと云う事で、年齢を重ねる事で精神が練れて成長して行けば良いのですが、単なる老化、衰退になってしまっては、本当に老人になって行きます。
生涯現役、これは仕事も空手も、趣味もですが、私の目標です。
常に外界と接触し、新鮮な情報に触れ、若い人達の意識や考え方や生き方を受け入れ、時代に乗って行く事。
そして、肉体と精神を常に研ぎ澄ます事。
無理は利かなくなっても、体調に合わせて、常に前進し続ける。
そんな生き方を貫いて行きたいですね。

仕事人

2009 - 01/05 [Mon] - 03:25

 昨日は再放送で、今日も新作で「仕事人」が放映されていましたね。
もう何十年続くでしょうか?
お金を貰って、晴らせぬ恨みを晴らすと云う殺し屋の話。
そのインパクトは強かったですね。
このドラマがずっと人気が続いている訳は、やっぱり人はいつも心に闇を抱えていると云う事でしょうか?
非現実的であればある程、どらまは劇的であり、面白いとも言えますが。

 人を恨んで、呪って、穴二つと云います。
結局はそう云う感情が自分自身を焼き尽くしてしまう。
そして、相手と共倒れになってしまう。
相手も地獄なら、自分も地獄。
分っていても、それでも恨み、呪ってしまうのが人間でもあります。
だから、自分も地獄に堕ちて、仕事人に頼んで恨みを晴らして貰う。

 相手を殺して恨みが晴れるかどうか、それは人それぞれだと思います。
相手が生きていてこそ、自分の苦しみが相手に分る時が来て、本当に恨みが晴れると云う事もあるでしょう。
心の底から改心し、謝罪すれば、いつかは赦す気になる時も来るかもしれないし、また来ないかもしれない。

 何れにしても、その恨みがある限り、その人の時間はその時点で止まってしまっているのかもしれないですね。
そこから踏み出すには、大きな決断が必要なのだと思います。
それが仕事人なのか、或いは忘れる事なのか、未来を見る事なのか、幸せを感じる様な事に出会う事なのか、それは分りません。

 ただ、どんな形であれ、時は流れて行きます。
自分だけ時に見放されてしまって欲しくはないものですね。
未来は無限です。
努力と意識で幾らでも幸せを感じる事が出来ると思います。
恨みに囚われて、時を止め、互いに地獄に堕ちるのは、ドラマだけの世界であって欲しいと思います。

気がつけばこんな時間

2009 - 01/03 [Sat] - 04:09

 いつもそうですが、色々と仕事したりしていると、気がつけばこんな時間(苦笑)
年中、寝不足です。
いつも「先生、いつ寝ているのですか?」と聞かれますが、適当に寝ています(笑)
ま、身体が持っているのですから、大丈夫でしょう。

 今日(昨日ですね)「寧々(ねね)おんな太閤記」を、途中からですが見ました。
正直、キャストと云い、原作と云い、期待していませんでした。
が、中々良かったです。
期待外れも良いものですね。

 大きな目標を掲げて生きる、目の前の小さな事を意識して生きる、意地だけで生きる、損得だけで生きる、何かを守る為に生きる、色々な生き様が描かれていた様に思います。
そして、互いの思いの違いから生まれるすれ違いと反目、または同調、同盟。
戦国時代はそれぞれの思いが交錯し合い、大きな、広い目線を持つ、強い者だけが生き残った時代。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、そしてそれを取り巻く者達や女達の思いが絡み合い、交錯し合い、江戸時代と云う平和な時代へと繋がり、それが現代にまで繋がっています。
彼等がいなければ現代は違っていたかもしれません。
大きな意味を持った時代だったと云えるでしょう。
時代の解釈は色々あり、後世に語られる歴史も色々あります。
それ故、同じテーマでも時代劇によって解釈も違えば、表現も違います。
どれが正しいと云う事ではなく、そこから学ぶべき事は沢山あります。

 荒れた、動乱の時代だからこそ、疑心暗鬼もあれば、駆引きもあり、また心を通わせた盟友もあります。
人が本当に心を通わせて生きる事の難しさ。
時代劇はそんな事も教えてくれますね。

明けまして御目出度う御座居ます

2009 - 01/02 [Fri] - 03:57

 昨年の激しい年が終わって、新しい年になりました。
明けまして御目出度う御座居ます。
今年はどんな年になるでしょうか・・・。
まだまだ動乱・混乱は続く気がしていますが。
皆さんにとっての今年が良い年になる様、祈っています。

 今年は昨年以上に、自分を大切に、人間関係を大切にして行きたいですね。
厳しい世の中であるからこそ、その時に力になってくれるのは、人です。
心で繋がった人脈ほど有難いものはありません。
時間をかけて、骨身を惜しまず作り上げた信頼関係がいざと云う時に大きな力となります。

 これ位と思える事を蔑ろにしたり、甘えや骨身を惜しんだりすると、本当の人脈は出来ません。
人は敏感なもので、心がこもっていない、面倒臭そう、嫌々やる等と云う心の矛盾を感じ取ります。
真っ直ぐな心で、本気で人と付き合いましょう。
それが色々な場所での自分の立ち位置を決めて行き、信頼を勝ち得て行きます。

 甘えない、逃げない、面倒臭がらない、本気で人と付き合う、これらが今年のキーワードかもしれないですね。
損して得を取るではないですが、貢献する事、尽くす事、出来る事をしてあげる事、そう云う事が大きな返礼となって戻って来る事は良くあります。
真摯に、心を込めて行きましょう。

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プロフィール

島津 成晃

Author:島津 成晃
Adept・Mentor 島津相談室主宰
人生のあらゆる問題の相談に乗って来ました。
元気になって希望を持って帰って戴く事が私の願いです。
スピリチュアルな目と、冷静な分析で御相談に乗ります。
御相談はHPの方からお願いします


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