感じたり思った事を書いて行きます。 時には秘伝などを書く事も。 空手や色々な趣味の話も。

  Adept・Mentor 島津成晃の独り言のナビゲーター   トップページ > 2008年10月  

思い上がり

2008 - 10/31 [Fri] - 02:10

 人間って、特にある種の性格の人って、すぐにつけ上がって良い気になってしまうのですよね。
人の面倒もみず、相談にも乗ってあげないのに、私は力があると思い込んで心のどこかで他の霊能者を小バカにする。
高々一年ちょっとしかやっていないのに、自分は強いと思い込む、空手初心者。
ちょっと褒められるとつけ上がり、ちょっと叱られると萎縮したり不満顔になる。
阿呆らしくて付き合っていられませんね。

 先日の新極真会の全日本大会で、後輩で一流を立てて頑張っている、身体のとても大きなA師範に会いました。
その時に、こんな奴がいるんだよなぁ~って話をしていたら、彼らしいと云うか、「そんな礼儀知らずは、一度シメた方が良いすよ」と来たもんだ。
そりゃそうなんだけどねぇ~って(爆笑)
ま、昔だったらやっていたでしょうね。
今でもやりたい気分は多いにありますが(笑)
ま、そうも行かず、相手にすると疲れるので無視する事にしています。
と云うか、学のない、教養のない、品格のない人は付き合い切れないので、勝手にすれば?と云う感じです。
周りに迷惑さえかけなければ、ですけどね。

 何もしないで評論家ぶって、偉そうに口をきかれると、怒鳴りつけたくなる時もありますね。
最近は不覚にも穏やかになったので、よくよくでないとやりませんが。
人間の性根と根っ子の性格、やっぱり大切ですね。

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思いは通じる

2008 - 10/30 [Thu] - 02:04

 別に祈りと云う程の大袈裟なものではなくても、真剣に思い、その思いが純粋であり、諦めなければ、思いは必ず通じるものです。
勿論、どんな思いも利己主義では誰も受け入れてくれません。

 願いを叶えると云う奇跡?は誰にでも起こせると云う事です。
「一念、巌をも通す」は、絵空事ではありません。
命がけ、人生の全て、自分の全てをかけた思いは、きっと叶います。
昔から「お百度参り」と云うものがあります。
あれはただ百回、境内を行ったり来たりして祈るだけではありません。
正式なお百度参りは、水ごりもあり、服装も白装束で白衣一枚、しかも裸足て行います。
現代は医学が発達していますから良いですが、曾ての日本ではそんな事をしたら、下手をすると命を落とします。
それだけの覚悟をして行うから、願いが叶うと云うのです。

 修行をしていても、現代は昔と違ってかなり緩くなっています。
奥駆け等は昔は一日に握り飯一個と云う世界でした。
今はある程度ですが、ちゃんと食事が用意される様ですね。
また、本当の奥駆けは期日を決めて短期間行うものではなく、山に住む、山で寝起きして生活する事から始まります。
ですから、いつ終わるとは云えません。
悟るまで終わらないとも云えます。

 瀧行でも、水の勢いの激しい瀧にずっと入り続け、意識を失って瀧壷に浮かぶ事などは日常茶飯事。
行の最中に命を落とすなら本望。
それが修行と云うものです。

 必死で、全てをかけて行う。
だから、どう云う結果が出ようと後悔する事はあり得ない。
そこまでの覚悟で行う事は、その思いや姿勢が本物であれば、大抵の事は叶ってしまうでしょう。

 人生は楽しく生きなければいけません。
が、楽しさを維持する為にも、色々な事に覚悟を持っていなければいけません。
そして、そこから生まれる願いや思いや、通じます。

強い意思が身体や心を引っ張る

2008 - 10/29 [Wed] - 02:44

 相変わらずハードな空手の練習でした。
その前に今日は面接、不動明王の縁日のお参り、仕事の相談、仕事上の個人面談、護身法の補講。
う~ん、結構バタバタしていましたね。

 厳しい御祈願、難しい相談、そう云うものをやった後の空手は、ハードに感じます。
でも、滝の様に汗をかきながら、段々とスッキリして行くのが分ります。
最後の仕上げのスパーリングは、一人2分で延々とやっていました。
17人程いまいしたから、34分ですか?
休みなしに相手を替えて続けて行く。
汗が目に入って見えなくなる。
たまに避け切れないで痛い思いをする。
そして、ついムキになって相手に当ててしまう。
途中でヘバってしまいそうになりながら、それでも続ける。

 集中力と強い意思が、折れそうになる心を支え、負けてしまいそうな肉体を燃え上がらせます。
そして、最後まで頑張る。
私が空手で学んだ事は、そう云う事です。
絶対に諦めない。
心を込めて、真剣に相手と会話する。
そして、全てを昇華して行く。

 いつもながらハードでしたが、また一つ気づかされた道場の練習でした。

お役目

2008 - 10/28 [Tue] - 03:08

 よく、霊能者や宗教家、ヒーラー等の、ある種の特殊な仕事は、神仏から与えられた仕事と云われます。
役割を与えられたから、そう云う職業に就けるし、就かなければいけない、と。

 これには、私は異論ありですね。
そう云う意味で云うなら、人が持っていない能力を持つ、その事自体で既にその力を以て心を知り、それを用いて周囲の人の力になりなさいと云うお役目を与えられていると云っても良いかもしれないと思います。

 人は誰でも生まれながらに、周囲の人を幸せにすると云うお役目を与えられています。
と云うよりも、それが人間の生き方であり、そう云う生き方が上記の様なお役目を自らに与えると云っても良いと思っています。

 そして、人間は神に似せられて創られたと云われます。
つまり、神へ近づけ、成長せよと云うお役目を与えられたとも云えるでしょう。
だから、人は宗教心を持ち、発心し、涅槃を目指します。

 神仏がお与えになるお役目、そんな単純なものではありません。
霊能者も修行者も、宗教家も、またヒーラーも、自らの意思によって、自らの生き方を決め、自ら未来を招いて、自らのお役目を自ら作り上げます。
それをしない、流れに流されているだけの人、自分の意思や人生を適当にしている人から見ると、それは与えられたお役目と映るでしょう。

 神仏から真にお役目を与えられる為には、神仏に近づくと云う作業、修行が必要です。
そして、神仏のお役に立とうと云う道筋や生き様があり、それを通じて神仏がお認めになった時に初めて真にお役目と云うものを与えられます。
こう云う仕事は、その修行の一環であり、それが終点ではありません。
プロになってから、この仕事を始めてから、更に上の修行へと歩むだけです。

 お役目は与えられるものではなく、自らに与える為に努力した結果です。

唯識論

2008 - 10/27 [Mon] - 03:06

 今日の勉強会では「唯識論」について話をしました。
仏教哲学の根幹を為すもので、心の状態を表し、魂の進化を論議したものです。
本当は空海の「秘密曼荼羅中住心論」を解説する予定だったのですが、まず唯識論をしっておかねば理解不可能なので、この話をしました。
来月からは本番の「秘密曼荼羅住住心論」、略して「十住心論」を解説して行きます。

 とても奥の深い、膨大なものからの抜粋であり、分り易く解説出来たかどうか分りません。
が、こう云うものは、頭脳ではなく心が純粋でなければ捉える事が出来ません。
字面を幾ら追いかけて読んでも、それは知識が増えると云う事であり、そこには実態はありません。

 顕経と密教、即ち論理哲学と実践の二つが揃っバランス良く配置された時、人は発心して修行し、菩提を目指し、そこから更に涅槃へと至ります。
とっても難解な論理哲学ですが、感覚的にでもこう云うものを学んでおくと良いですね。
密教ほど簡単で、尚且つ難解なものはない。

紛い物

2008 - 10/26 [Sun] - 03:39

 修行とは何の為にやるものでしょうか?
人が人として、広い心を持ち、慈愛を知り、本当の意味で人間として完成されて行く為にあるのではないかと思っています。
過去現在未来の三世を知り、そこから智慧を得て、悟りへと歩み、最後は涅槃と云う究極の境地へ至るのが密教、仏教の考え方です。
自己と他の区別を無くし、全てを受け入れて、大きな心を持ち、慈愛を以て他と接し、本質的な心の純粋さを以て生きる事を目指す。
それが宗教と云うものであり、修行だと思っています。

 幾ら着飾っていても、良い人を装っていても、また耳に心地良い事を言っても、その人の本質が低俗であれば、それは自ずと露呈して来ます。
口は悪くても、歯に衣着せない言葉を吐く人でも、人相が悪くても、本質が純粋な人はその美しさが段々と周囲に理解されて行きます。

 人は処世術として、心にもない事を口にしたり、そんなフリをする事があります。
自分でも無意識で、小賢しい浅はかな計算をしているのですが、それが性根を露呈します。
相手の事を思い遣るフリをしながら、実は全く相手を見ておらず、それ故に口にしてはならない言葉を、してはならないタイミングで言ってしまい、その後のフォローもしない。
言いっ放し、やりっ放し。

 逆に、友情があれば、仲間であれば、同じ道を目指すなら、当然やるべき事を自分の都合だけでやらない。
面倒だから、これこれだからと理由をつけて。
自分が有利に働く時は、フリをして色々とやってあげるのに。

 言い訳の多い人は本質が低俗である事の証拠ですね。
綺麗事などは必要ありません。
世間の常識も無関係。
それが正しかろうと間違っていようと、また常識に外れようと、そんな事よりも心がこもっているかどうかの方が大切です。
その上での間違いや非常識は許されるでしょう。

 人は人と心を通わせて縁を作り、その縁を大切にする事で幸せを得て行きます。
紛い物は所詮偽物でしかなく、メッキはすぐに剥がれます。
本当の意味で、純粋に、心を込めて、縁を大切にして行きたいものですね。

本気

2008 - 10/25 [Sat] - 03:41

 昔から私はどう云う訳か怖いと言われる事が多くて、別に困ってはいませんが(笑)、何でだろう?と思う事が良くあります。
確かに人相も良い訳ではないと思いますが、身体もそんなに大きい訳でもなく、まぁ少し態度は大きいと云う所もあると思いますが(笑)、声もそんなに野太い声でもなく、暴れて暴力を振るう訳でもなく、自分では不思議でした。

昔、空手道場へ来賓として出かけた時も、私の知らない所で「あの怖そうな人、誰ですか?」と云う話題で持ち切りになった事があるそうで(苦笑)、何じゃそりゃ???と云う感じです。
だって、私よりも遥かに体格の良い、それこそクマやライオンみたいな奴らが集まっている場所で、私如きが現役の連中よりも怖い筈がないですから。

笑い話ですが、以前は道を歩いていて、良く配っているティッシュやチラシを貰った事がありません。
何だか知りませんが、私の目の前でクルリと後ろを向いてしまったり(苦笑)、わざわざ道を開けてくれる人までいました。
最近は、それでも時たまですが、ティッシュを差し出す人もいたり、道を聞かれたりする事あります。
少しは優しく見られる様になったのでしょうか?(笑)

 それでも不思議な事に、子供はいつも懐いて来ます。
気がつくと子供が近くにいたり、一緒に遊んだりしていて、親や大人が驚いた顔をしているなんて事も良くありました。
動物にも好かれますね。
絶対に他人に懐かない筈の犬や猫が、私の側に座ってるなんて事も再々。

 最近、少し解って来ました。
いつも本気で生きていて、本気で言葉を発していて、それがどう云う訳か周囲の人に伝わってしまうのですね。
確かにマジな奴って、ある意味では怖かったり、オーラを感じますね。
私も少しはそう云うオーラを出しているのでしょうか?
自分では至極当り前の事を言ったりしたりしているだけで、特別な事は何もないですし、ただ自分に正直に表現しているだけですし、どちらかと云うと最近は少しは肩の力も抜けて来たと思うのですが。

 つい最近、ちょっと真剣に砂袋を道場で叩いていたら、誰も近寄って来ない。
聞いてみたら、「先生、何かあったな」と、私が機嫌が悪いと思ったらしいです(笑)
あのなぁ~、真剣にやらなきゃ練習にならんだろう、って感じですけどね。

 生き方って、その人の心が出ると思います。
いつも真剣でマジな人って、やっぱりそれが生き方や顔に出ていますね。
相談者の中には、どう見ても真剣に生きているとは思えない人もいます。
そう云う人って、やっぱりどこか鈍さを感じたり、隔靴掻痒の感を拭い切れないですね。

 いつも真剣で、いつもマジでいるって、慣れるまでは疲れるのでしょうね。
良く「先生、疲れませんか?」って聞かれます。
それが当り前になっている私には、何の事かサッパリ解りませんが(笑)

心のエネルギー

2008 - 10/24 [Fri] - 03:27

 思いって、想いって、凄く強いエネルギーを持っています。
その心が放つエネルギーが純粋であればある程、大きな力を発揮します。
何かの為、誰かの為に放つ心のエネルギーは、時に奇跡を起こします。
そして、とても心を温かく、熱くしてくれます。
が、その思いが一方的な、自分勝手なものだと、強いエネルギーであるだけに、自分自身を痛めてしまいます。

 思いの、想いの純粋な人の顔はいつも輝いていて、オーラを放っています。
そう云う人は、側にいるだけで心が温かくなりますし、熱くなります。
でも、そこにつまらない計算がある、自分の為だけのものを持つ人の顔は、幾ら美男美女でも魅力がない、陰りを持つものとなり、オーラが出ていません。

 神も仏も、そこにいるだけで意味がある。
頼る為だけではなく、利益を得る為だけではなく、ただ存在するだけで、その姿を見て人は癒され、学んで行く。
自分もそう云う存在でありたいものですね。
また、そう云う存在の人の側にいたいものですね。

 そして、そう云う人との出会い、神仏との出会いは、心で行うものです。
ですから、本当に心で感じ取る時、その存在はいつも心の中にあり、常にすぐ側に感じられます。
素直な、開かれた心と、純粋な想い、真っ直ぐな思いがあれば。

 心は無限のエネルギーを持っています。
だからこそ、祈願も通り、奇跡も起きます。
修行はその心を如何に純粋にするか、究極はそこに尽きると思います。
間違った心は、心身を痛めてしまいます。
綺麗な、澄み切った心でいたいですね。

思いが飛ぶ

2008 - 10/23 [Thu] - 02:24

 常に相談者や色々な問題を意識し、心のパイプを繋いでいると、しょっちゅう色々な思いや被りが飛んで来ます。
時には結構辛い時もあり、また凄く気になる時もあります。
幾ら修行を積んでも、平気の平左とはならないものですね。(苦笑)
飛んで来るものが強い時、匂いや気持ちの重さまで飛んで来ます。
そうなると、頭痛や腹痛、肩凝り、目が見えなくなる、気が重くなる、色々な事が起きて来ます。

 逆に云うと、そうである事に誇りも持てますし、有り難いと思います。
それだけ、心を私と通わせてくれている、頼ってくれている、そしてそう云う事を通じてその人の事を知り、理解する事が出来るからです。

 特別な祈願をしている時は、そう云うものがちょっと辛い時はありますが。(苦笑)

最後は心の問題

2008 - 10/22 [Wed] - 02:31

 今日の道場で、先日の新極真会の全日本大会に出場した選手2人と会いました。
悔しさが顔に出ていましたね。
師範も同様です。
それで良いと思いました。
悔しいから、次こそはと頑張る原動力になります。
そして、負けを知らない者は、決して本物には到達しません。
苦しいから、悲しいから、そして悔しいから、頑張れるし、そこから解る事も沢山あります。

 が、見ていて思ったのは、全日本クラスの選手と彼らの実力の差は髪一重です。
違いは、心。
何が何でも勝ち抜くと云う強い意思、ピンチであっても決して諦めず、恐れを知らない思い、そこに尽きるでしょう。
勝てるだろうか?負けないだろうか?
そう云うちょっとした思いが、極限の場面ではブレとなります。
彼らが超えるべき限界は、心にあると感じています。

 何をするにも、誰と付き合うにも、最後は心です。
豊かな、深い、強い、熱い心が、全てを切り開いて行きます。

流れに身を任せる

2008 - 10/21 [Tue] - 02:29

 人は成長して行く時、それは突然始まった様に急激な流れが起きます。
まるで台風の様に激流がやって来て、それに翻弄されてしまうかの様な気になるものです。
でも、そんな事はないのです。
そのずっと以前から、サインは出ていて、その流れの為に準備が始まります。
それは心の中で、また日常生活の中で、長い時をかけて流れを作り出します。
そして、あるきっかけで始まります。
人はその流れだけを見てしまうので、まるで突然に起きたかの様に感じてしまうものです。
が、実際にはその流れは自分自身の心や魂の欲求だったり、生まれる前から決めていた目的の為の道筋だったり、或いは深い縁だったりが、その流れを呼び込み、或いは自分で作り出します。

 ですから、流れが起きたらそれに身を任せて行く方が良いですね。
幾ら考えても、冷静に見ようとしても、それは無理です。
渦中にいるのですから。
一連の事が落ち着いてから、流れが静まってから、「そうか、そう云う意味か」と自然と解って来ます。
が、流れの最中に起きている事その事自体が、実は答だったりします。
サインは常に出ています。
ですから、考えないで、流れに身を任せ、幸せな気持ちで羽搏き、飛んでいれば良いのです。
特に霊的な事や神仏に関わる事は、考えるだけ無駄。
私も散々抵抗した過去がありますが、結局はその方向へ流れて来ました。
結果、良かったな、幸せと感じています。
見えない流れ、でも実は見えている流れ、恐れを感じる事はありません。

第40回新極真会全日本空手道選手権大会

2008 - 10/20 [Mon] - 01:19

第40回新極真会全日本空手道選手権大会2日目が終わりました。
盛況であり、激闘が続き、とても素晴らしい大会でした。
そして、世代交代を感じさせるものがあり、スタイルの変化もあり、時の流れを感じさせられました。

 が、一番感じたのは、大会の運営・進行の素晴らしさでした。
きちんと予定の時間で進み、でありながら滞りなく、遺漏なくと云う感を受けました。
大会運営をした方々のご苦労と、努力を感じる事が出来ました。

 途中で行われた演舞、特に少年部は圧巻でした。
次世代を担う子供達の姿を見て、微笑ましくもあり、また喜ばしかったです。

少年部演舞.01

少年部演舞.02

第40回新極真会全日本空手道選手権大会

2008 - 10/19 [Sun] - 01:49

 本日と明日、第40回新極真会全日本空手道選手権大会が千駄ヶ谷の東京体育館で行われています。
我が正伝流からも3名が出場しました。
残念ながら初日敗退で、明日の決勝には残れませんでしたが、見応えのある、次に繋がる試合をしたと感じています。
あれならば、来年、また次のどこかの大会では期待出来ますね。

 また、もうすぐ一周忌を迎える伊師徳淳師範の秘蔵っ子である砂川久美子選手、新井洋子選手、その他が新極真会総本部道場から出場しました。
結果は、明日に残ったのは砂川久美子選手のみでしたが、彼女の空手に対する意識の高さは伊師師範譲りで、素晴らしいものでした。
私の顔を見て懐かしそうな笑顔を見せてくれた彼女、試合前なのにとても可愛かったです。
明日の活躍を期待ですね。

 見ていて思うのは、段々とオーソドックスなスタイルが広がっている事。
昔の相撲空手の様な押し合い、そしてトリッキーな動きばかりの空手が減り、とても素直な、気持ちの良い空手へが増えていました。
と同時に、かなりのレベルアップもされています。

 互いに血と汗と涙を流しながら全力で力をぶつけ合い、互いの力を確かめ合って、試合が終わったら友情を温める姿は感動を呼びます。
目先の勝ち負けやテクニックばかりに気を取られず、そう云う心の交流の面や全日本に出場するまでの弛まない努力と云う部分を意識してみて欲しいものだと思います。
継続は力であり、そこからさらに一歩努力した者が達する超人的な境地と驚異的な強さ。
やはり奥が深いですね。

第40回新極真会全日本空手道選手権大会

神と仏

2008 - 10/18 [Sat] - 01:29

 一見、全く違う二つである神と仏。
しかし、良く良く考えて行くと、神と仏は切っても切れない関係にあると云う事が解ります。
本質を追究して行く時、この神と仏は遠くて近い、表と裏の様な関係である事が解って来ます。
が、その波動は全く異なり、表現も違い、役割も異なります。
しかし、人間がずっと祈り続けて来た事には、それだけの意味があります。
どちらが正しい、どちらが間違い、どちらが上でどちらが下、そんな議論は無意味な事です。
それは、神道そのものの成立を見て行くと解る事であり、原始仏教の釈迦の教えを追求して行くと解る事です。

 入り口はどちらでも、それはアプローチの違い。
結局はそのどちらを選ぶか、その人の思想と縁と方向性の問題です。
究極は同じ境地です。

 私にとっては神も仏も、どちらも魅力的であり、永遠に感じる位に深いものだと思っています。
こうして考える事、思う事その事自体がまた修行なのだなと思います。

御浄め塩

2008 - 10/16 [Thu] - 19:23

 家屋や敷地の運気向上の為に、霊的な浄化、結界が必要です
その為には、神仏で浄められた塩が有効です
一般の方がいつでも御清めが出来る様に何か方法がないかと考えていましたが、今回、「御浄め塩」を作りました
護身法等で用いる塗香と厳選した粗塩に、守護すると云う意味で最も強力な五大力尊(不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王)の魂を込めました
この「御浄め塩」を用いる事で、外から持ち込む穢れを祓い、霊的なものや因縁の浄化を行い、敷地や家屋に結界を張る事が出来ます
運気向上の為に、お使い下さい
一袋千円でお分けします
使い方はHP、同封してある使い方の説明を読んで下さい

御浄め塩

 癌の相談が増えています。
治る可能性のある人、ない人、何れにしても祈願の時は命を削ります。
痛みを抜く疼痛消徐、そして健康を取り戻す為に闘病平癒、寿命を延ばす為に延命祈願、そしてそれでもいよいよとなったら、最後の祈願をします(ここでは書けませんが)
どんな御相談も、どんな祈願も真剣勝負ですが、この祈願は正に命を削ります。
その覚悟がなければ出来ません。
暫くは、心魂を込めた祈願が続きます。

魂の萎縮

2008 - 10/16 [Thu] - 03:48

 生きていると、知らない内にストレスが溜り、周囲に合わせて、心の中まで周囲に合わせていて、気がつくと身体は固まり、心も萎縮している事があります。
やっぱり、自分らしいのが一番で、一応人間社会に生きている以上はそれなりに気遣いをして、人としてのルールは守り、社会が相手に合わす事は必要ですが、本当の自分はもっと自由で柔軟である事を忘れない様にしたいですね。

 そう云う意味で、自分を取り戻す時間って大切だなと思います。
日常を離れる時間、旅行したり、全てを忘れて何かに没頭したり、時間がゆったりと流れる様なそんな空間や時間を過ごす事って、時に必要です。
そう云えば昔、よく都内のビジネスホテルでシングルに泊まって、何もしない、電話もなければ、特に外に出かける訳でもなく、食事もルームサービスでとって、ひたすらのんびりしてした時間を過ごす、そんな事を数ヶ月に一度やっていた事を思い出します。
私には空手がありますから、道場で動いている時はそう云う時間である筈ですが、やっぱり人に気を遣ったり意識したりしています。
動いている最中は良いですが、相手がいる以上は、完全には解放されないですよね。

 今日、妻に促されて久し振りにゆったりと瞑想してみました。
そうすると目の中で光と闇が上から下へ暫く流れ、その後に下から上へと流れて行きました。
そうなる前に日常の中の色々な事が走馬灯の様に流れていましたが、それもいつの間にか消えていました。
そして段々と解放され、自分が光に満ちて行く事が実感出来ました。
自然と背が伸び、力みが消えて行きました。
知らない内に、心も身体も、そして魂も萎縮していたのだなぁと思います。

 どこへ出かけても、本当の意味で自分らしく、良い意味で我が儘でいられる、そんな解放された意識で常に過ごせたら最高ですね。
でも、それをつい忘れてしまう。
だから、時々はそれを取り戻そうとする。
でも、いつでもどこでも、自分らしくいられたら最高だし、そうしたいですね。

大切に思うと云う事

2008 - 10/15 [Wed] - 04:41

 人であれ、物であれ、また何かの思想であれ、大切に思うと云う事は、人を強くし、また優しくします。
全く正反対の事の様ですが、強さと優しさは表裏一体。
それを人は愛と呼ぶ事もあります。
普遍的な愛とは、強さに裏付けられた、深いものであり、心底から大切に思うと云う事です。

 大切に思うと云う事は、そこに固執する事でもなければ、凝り固まる事でもなく、また囚われる事でもありません。
勿論、独占欲と云う卑俗な欲でもありません。
深い、そして広い心が生み出すものです。
それが形に表れる時、行動にそれが出て来る時、考え方に出る時、人はその表面だけを見て愛だとか、情だとか、こだわりだとか呼ぶ事があります。
愚かです。
そんな薄っぺらなものではありません。

 心や魂の持つ深み、広さは、それだけの器を持つ人にしか見えないのでしょうね。
人は自分の視野でしかものが見えないと云います。
誰も理解しなくても、心の底から大切に思える対象が見つかった人は幸せだと思います。
その純粋な気持ちを、それこそ大切に温め、持ち続けていたいものですね。
そう云う気持ちが、人をとても豊かにすると思います。

道筋

2008 - 10/14 [Tue] - 03:34

 神でも仏でも、人智の計り知れないものがあり、時としてあり得ない様なストーリーを作る事があります。
御手配と云う言葉を使いますが、神仏の御手配により決められた道筋を歩かされる、時としてそれは厳しく、時に優しく、それは働きます。
その時は意味が分からず、後になってなるほどそう云う事かと納得する。
そんな場面に私自身何度も出会って来ましたし、そう云う場面に直面する人を沢山見て来ました。
今日もそんな日でした。
とても悲しい出来事がありました。
しかし、それは不思議な出来事でした。
そして改めて見た時、神の手配と計画通りである事に気づかされました。
一人の人間として見た時、余りにも辛い出来事。
でも、神仏と共に生きる者として見た時、それは道筋であると納得しました。
そして、そこに立ち会えた事、神の手配の一助を担えた事が有り難いと感じました。

 縁とは不思議なものです。
肉体と心と魂、そして神と仏。
全てが介在し、関わり合って縁が出来ていると感じる一日でした。
とても悲しく、しかしとても大切な一日でした。
考えさせられ、思い出させられ、真実を知る事の出来た一日。
この日の事をずっと心の糧にして、新しい未来へと歩いて行かなければいけないと思いました。
心の底から、魂の祈りを捧げて、真摯に神仏と、そして縁ある全てのものと付き合って行きたいとですね。

初心忘るるべからず

2008 - 10/13 [Mon] - 02:29

 長年修行をして来て、色々な相談者に会って来て、大概の事は何でも相談に乗れる様になり、祈願も通る様になって来ると、段々と偉くなってしまって、初心の修行を始めた頃の情熱を忘れてしまい勝ちなものですね。
最初の頃は、一つ一つの修行、毎回の勤行、一人一人の相談者、全てにドキドキしながらもワクワクして、ある意味では必死でやっていたものです。
それが段々と慣れて来て、恐れをなくして、刺激的な感覚が薄れて来てしまいます。
慣れると云う事は、数を重ねると云う事は、経験を重ね、知識が増え、ベテランになると云う事であり、余裕を生みます。
その事自体はとても良い事です。
余裕があれば、それだけ冷静にものが見えて来ますから。

 しかし、初心を忘れて慢心に繋がると、傲慢を生み、時に雑になってしまいます。
これはいけません。
いつも皆に云う様に常に楽しむ事、チャレンジし続ける事、それを続けていると折りに触れて初心を思い出せと云う場面に出くわします。
そして、また原点回帰する。
そこからまた新しい一歩が始まる。
人世はこの繰り返しですね。
だからこそ、人世は楽しいし、修行は楽しいし、皆さんのお役に立てる事は喜びです。
相談者と出会う事は、私に取って貴重な出会いであり、その方の人世を知る事は私の人世が豊かになると云う事だと思っています。
ですから、いつも真剣に、その方になったつもりで考え、霊視し、結論を出します。
その過程そのものが、私にとっての最大の修行であり、同時に喜びです。
こんな人世を与えてくれた神仏や先祖や皆さんに感謝ですね。

因果応報

2008 - 10/12 [Sun] - 03:33

 三浦和義氏(ロス疑惑、事件)がロサンゼルスの刑務所内で自殺したと云う報道がありました。
もう27年も前の事件でこれから改めて裁かれようとしていた最中、それも現地に移送されてすぐの事でもあり、直前まで元気だったと云う事を考えると、些か不思議な感じがしました。
これからの事を考えて悲観したと云う見方が大勢の様ですが、やはり疑問を感じて霊視してみました。
結果は、因果応報と云う言葉に尽きますね。
当時、被害者となった当時の奥様、やはり成仏出来ずに現地に留まっていた様ですね。
それが、当事者である彼の訪問で、彼に当時の記憶を甦らせ、また彼の前に姿を現した様です。
それが祟ると云う事かどうかは別として、その結果として彼の精神に破綻を招き、自殺へと突き進まされたと云う事だと感じました。

 当時の事件担当の元刑事曰く、「彼は狡猾で、その反面で気の弱さがあった」との事ですから、やはり良心の呵責か、元奥様の姿に心底怯えたのでしょうね。
人は騙せても自分の心は騙せないと云う事ですね。

 心にやましい事を抱えながら、そう云う手段を使って得た幸せは一時の幻であると云う事でしょうか。
己の為した事の責任を取らされたと云う事でしょう。
が、これからが大変ですね。
あの世では、この世以上の苦しみが彼を襲う事となるでしょう。
やはり、良い死に方をしたければ、良い生き方をしなさいと云う教訓を思い出します。

 ところで、 何事にもタイミングってありますね。
昨日まで出かけていた静岡県清水では、一昨日は綺麗に晴れていて、昨日は段々と曇りました。
そして、帰って来たら夜に雨。
今日も天気は決して良くなく、少し雨もパラつきました。
丁度良いタイミングで出かけた事になりますね。
そう云えば、向こうで見た富士山は雲の笠が冠っていました。
そう云う時は雨になる、天気が崩れると云います。
本当だったのですね。

富士山

もう少しやるか

2008 - 10/11 [Sat] - 03:23

 昨日今日と久し振りに完全オフにして休んで来ました。
行った場所は、静岡県の三保。
三保の松原で有名な所です。
ちょうど良いタイミングで、富士山も綺麗でした。
向こうで訪れたのは、日本武尊の草薙の剣にまつわる草薙神社と徳川家康を祀った久能山東照宮。
そして三保の松原、すぐ近くの美保神社でした。
宿は三保の松原の敷地続きの、その名も羽衣ホテル。
松に羽衣をひっかけた天女伝説ですね。
驚いた事に、宿泊客は我々一組だけ。
完全に貸し切りでした。(笑)
夜に大浴場に入っていると、一人切りで何だか落ち着かない事。
でも、お陰でのんびりしました。
さぁ、また頑張りましょう。
日本武尊は我が御先祖様の、その又御先祖様に当ります。
しっかり禊して戴き、お力も戴いて来ました。
帰って来て早々、すぐに相談の電話。
そして、まだ少しばかりナメクジ野郎の臭いがして来たので、もう少しやるかと思っています。
呪とは、思いを言葉にして祈りを込める事です。
人を呪うだけが呪ではありません。
が、人のゲスな思いは呪を作り出す事があります。
やはり加減は良くないかもしれないですね。
この際、徹底してやるかな。

草薙神社由来 狼煙火

日本武尊伝 草薙神社本殿

年中無休24時間態勢

2008 - 10/09 [Thu] - 02:18

 明日と明後日は、静岡の三保の松原、久能山東照宮に出かけて来ます。
ここには、他にも私と御縁があり、守護神でもあり、遠い先祖でもある日本武尊の草薙の剣にまつわる草薙神社もあり、そちらもお参りして来ようと思います。
天気が良さそうなので、富士山も見えると良いなと思っています。

 そう云う覚悟で仕事を始め、本当に年中無休で、時には本当に24時間態勢で仕事をして来ました。
何時から何時までが仕事と云う決まりは、私の所にはありません。
相談に来られる方の都合に出来るだけ合わし、夜遅くや早朝に面接と云う事もあります。
また、メールでの相談は常にあり、たまたま空いた日があって今日はオフと思っていても、それだけは欠かさずチェックし返事をしています。
ブログも可能な限りは毎日と思っています。
これも大切な仕事だと思っていますから。
休みを取るのは、空手の試合や審査の時。(これも仕事の内か?)
他に特別な用がある時位と思ってやって来ています。

 が、頑張り過ぎて体調が崩れると御相談者に迷惑をかける事になってしまうと云う事も事実。
ちょっとした体調不良は自分でコントロールしますし、仕事に入ると頭痛も熱も気にならなくなってしまいます。
それがプロと云うものだと思っていますから。
が、それも程度問題。
限界を越えるとやはり正確な判断が出来なくなってしまったり、集中力が欠けたりする事もあると思います。
年齢でしょうか?
自分では若いつもりですし、同年代からするとかなり若いつもりですが、自分で思っているよりも色々な耐性が落ちているのかな?と思う事もあります。

 仕事は何でも厳しいものです。
が、相談者にも言う事ですが、体調管理も仕事の内。
でないと相手に迷惑をかけます。
よく、どんなに疲れても仕事はしなければいけないと云いますが、それもバランス。
適度に休むのも仕事の内ですよ。

 私も流石に色々と限界が近づいているので、明日と明後日はオフにして、出かけて来ます。
一泊二日の小旅行です。
場所を変えると云う事が一番のリラックスを誘ってくれます。
帰って来たら(明後日の夜には戻ります)またブログを書きますので、毎日読んで下さる方、申し訳ないですが、宜しくお願いします。

今日はやたらと霊話が多かったです

2008 - 10/08 [Wed] - 03:46

 昨日からですが、御主人に何かが憑いている様に思うと云う電話。
でも、今日道場で見たら、何もなし。
ま、彼が心配してる若者の蔭と云う所でしょうか。
ご自身では割り切って線を引いたと言いますが、情の厚い人なので、頭ではそう思っても本質ではそんな事は出来ないのでしょうね。

 他にも幽霊ビデオを観ていて、画面から出た霊とコンタクトしてしまった人、被りで体調を崩した人、挙げ句の果てには久々の生霊。
ずっと昔に生霊を送られた事があります。
曾て密教を師事していた方の思いでした。
しっかり跳ね返しましたが、修行者と云えども人間、そう云う事もあるのだなぁと思った覚えがあります。
今日の相手は、只のゴミ。
ま、これから本当の恐怖を味わう事となるでしょう。
喧嘩を売った相手が悪かったです縁。。
只じゃ済みません。

魂の解放

2008 - 10/07 [Tue] - 02:35

 ここの所、ちょっと魂についての追求が続いています。
自分の魂がどう生きて来たのか、何処でどの時代にどの場所で、そして誰と、何をして生きて来たのか、その経緯を追う時間が時々あります。
それを妻や弟子達と話していて、また新たな発見があったり、自分を改めて見つめたり。
それが何の意味があるかと云うと、これからの人世をどう生きるか、また何を目指すか、そう云う事の指針として、自分とは何ぞや?と云う疑問を持ち続けて修行をして来ましたから、その一環として自己認識の為に行います。

 そうすると、魂の抑制がどんどん外れて行くのが分ります。
忘れていた事を思い出し、自分の歩いて来た道を確認し、本来持っているエネルギーやパワーが解放されて行くのを感じます。
それで感じるのが、自分で思っている自分の持つエネルギーは、本来持っているものからすると比べようもないと云う事です。
人間の持つパワーは無限であり、とてつもなく大きいと感じます。
それを抑制する事でバランスを保っているとも云えるかな?と思います。
何故なら、解放されて行く力の中で、実は身体が持たなくなって来ています。
修行しながら、段々とあがる自らのパワーに、身体をついて行かせる為に鍛えて来ましたが、もっともっと鍛えねばならないと思います。
細い電線に高圧電流は通りません。
ショートして切れてしまいます。
段々と肉体も慣れて行くでしょうが、それまでは辛いものです。
護身法をやっている人は、上級ではそれを感じる人が多いでしょう。
急速なパワーアップで、肉体が悲鳴をあげて、痛みを感じる事が良くあります。
私もまた次の段階でしょうか。
こりゃ本気で鍛えなければと思っています。

 そう云えば、もうすぐ新極真会の全日本空手道選手権大会
東京体育館で毎年行われますが、今年は今月10月18日(土)19日(日)。
我が正伝流からも選手が出場します。
F君、N君(大きい)、N君(可愛い)等。
土曜日の予選を突破して、日曜日の本戦に勝ち残って欲しいですね。
正伝流で空手をやっている人、時間があったら是非応援に来て下さい。
私も必ず行っています。

憧れ

2008 - 10/06 [Mon] - 02:17

 憧れを持って生きる事が出来る人は幸せですね。
長い人生、憧れだけでは生きられませんが、持ち続ける事が出来て、夢を持って努力し頑張っていられる人は幸せだと思います。
楽しい事も辛い事もあるでしょうし、挫折もあると思います。
それでも憧れを持ち続けていられるのは、一つの才能であり、運だとも思います。

 今日、9歳のゴーカート・レーサー阪口晴南(さかぐち・せな)君の話題がF-1のニュースで流れていました。
アイルトン・セナにちなんで付けられた名前で、本人も大人になあったらF-1レーサーになると云う目標を持って頑張っている男の子です。
小さい頃から強い憧れと目標を持って頑張ると云う事に良し悪しはあるでしょうし、異論もあるでしょうが、それでもそうやって頑張る姿に、素晴らしい事だなと感動を覚えます。

 空手の世界でも同じ様に頑張っている子供はいます。
いつか世界チャンピオンになると本気で思って頑張っている子供達。
毎週の様に試合に出て、毎日の様に道場で練習している。
凄い事ですね。

 誰にでも憧れるヒーローやヒロインと云うものはいるだろうし、いたと思います。
が、日常と現実の中に、いつの間にかその気持ちが薄れ、単なる夢になって行きます。
そう云う憧れを持ち続けて生きて行けたらどんなに幸せでしょうか。
どのジャンルでも同じですが、そうやって生き、その中から最後まで勝ち残った人達が、スターとなります。
何十万人、何千万人の中の頂点に立つ一握りの人達。
そこに至る課程は過酷であり、時に楽しく、時に厳しい道のりだったと思います。
その事だけで、尊敬に値すると思いますね。

 私の場合は、その尊敬する人が現実の人ではなく、過去の偉人、織田信長や豊臣秀吉、キリストや釈迦や空海だったりしました。
また、超古代文明やギリシャ神話の世界、それに続くローマ神話の世界、中世ヨーロッパの世界等に憧れて生きて来ました。
現実的なものと云えば、強くなりたい。
空手に憧れ、ずっと続けて来ました。
やっぱり、変わった子供だったでしょうね。(苦笑)
今、こう云う仕事をし、こう云う生き方をし、空手を続けていられ、それを良しとしてくれている母や妻、相談者達に囲まれている事に、本当に幸せを感じています。

 少しでも良い、そう云う憧れを持ち続け、忘れずに夢を追いかけて生きたいですね。
年をとっても、死ぬまでそう云う気持ちで生きて行けたら、最高に幸せだと思います。

霊感のある方へ

2008 - 10/05 [Sun] - 03:19

 HPを更新しました。
今月の語録やAdept通信を載せてあります。
また、トップページその他、若干の変化があります。

 「霊感のある方へ」と云うメニューで、内容は今までと変わりませんが、少し分り易くしました。
霊感のある人って、霊を感じるとか感じないとか、タイプは色々ありますが、霊感を持たない人とは違った視点や目線、価値観を持っていますし、それが故に人間関係が上手く行かなかったり、悩んだりしている事が多いと思います。
また、やはり人の心や霊や場所の波動に影響されて不安定になったり、体調を崩したりする事が多いと思います。
ですので、同じ霊感を持つ者の先輩としてと言っては口幅ったいですが、同じ様に悩んで生きて来た同朋としてお役に立てたらと思っています。
自分をコントロールする方法、肉体を鍛える、精神のバランスを取る、影響を受けた時にそれを排除する、自分の価値観や視野が決して間違っていないと云う事を知る、そんな事を通じて社会で生き易くなってくれれば良いなと思っています。
ま、自分では霊感があるつもりで、只の変わった人だったり、精神に異常を来している人もいますから、そこは区別しなければいけませんが。

 一般の方の相談は勿論、これからは積極的に霊感のある方の御相談にも乗って行きたいと思っています。
毎月の月例会でもそう云う方が沢山います。
時にはまるで霊能者学校の様になってしまう事もあります。

 どうぞ、気楽に御相談下さい。

心を通わせる

2008 - 10/04 [Sat] - 03:17

 今日、フト何気なく新極真会総本部道場のHPを見ていました。
思い出す一年前の事、そしてそれ以前の事。
総本部道場の責任者である伊師徳淳師範が急逝したのが昨年末。
その日の朝、彼から電話がかかって来たのを最後に、声を聞く事はありませんでした。

 伊師師範とは、私が空手を始めさせた女性の紹介で出会いました。
当時はオーストラリア支部長だったと思います。
その後、日本に帰国し総本部道場を任され、本部事務局を運営し、海外のセミナー等も担当し、忙しい毎日を送っていた様です。
そんな中、年に数度「先生、ご飯食べましょう」と電話がかかって来たり、生来の喘息持ちなのでその相談や、仕事上の悩みの相談を受けていました。

 考えれば不思議な関係だったと思います。
相談者であり、空手の仲間でもあり、付かず離れずの友情を互いに感じていたり。
伊師師範の育てた女子選手達も紹介され、頻繁ではないながらも心の交流を保っていたと思います。
試合会場で会う彼は、いつも向こうから私を探して見つけてくれ、声をかけて来てくれました。

 心を通わせる。
決して濃密ではなくても、本当に信頼し合い、互いを尊敬し合う関係は、とても心地良いものでした。
空手の強い人は幾らでもいます。
偉い人も幾らでもいます。
また、尊敬に値する人も沢山います。
が、本当に心を通わせる事が出来る人は、そう多くはありません。
彼は数少ない、本当に心を通わせる事が出来た男です。
そして、今も彼の顔や声や心は、私の心の中に生きています。

 真の友、そう云う人を大切にして生きたいですね。

魂の萎縮と混乱

2008 - 10/03 [Fri] - 02:36

 人間は誰でも色々なものに囲まれています。
それは自然だったり、人だったり、物だったり、社会だったり。
そして、人は相互関係で生きています。
ですから、互いに影響し合い、それで力を得たり、スポイルされたりしながら生きています。
その結果、被りの一種と云っても良いのですが、自分自身とは似ても似つかない波動や思いに惑わされ、自分を失ってしまう事があります。
それが長く続くと、心も魂も萎縮してしまいます。
そうなると、小さな事でも迷いが出て、常に心が揺らぎ始めます。
本来の自分がどうであったか、忘れてしまうのですね。

 人は生きているだけで美しい。
自分が自分らしい、本来の姿でいる事は、魂の輝きに導かれて生きると云う事です。
自分を見失う時、その輝きは陰ります。
それは、葛藤を生み、迷いを生み、自信の喪失となります。

 自分を思い出す、取り戻すと云う事は、言葉で云う程簡単な事ではありません。
自分の顔は自分では見る事が出来ません。
深い縁のある人や物、場所との出会いが、記憶を呼び覚ます様に何かを動かしてくれます。
そして、自分を取り戻す時、それは輝きを取り戻し、天空に飛翔しようとします。

 人がいつも自分らしく、本来の自分であって欲しいと願っています。
迷いの強い、自信のない、揺らぎの多い人は、魂と心の萎縮があるのかもしれません。
そう云う方に対し、心から私は祈りを捧げます。
そして純化し、本来の姿へ導いてあげたいと思います。

神無月

2008 - 10/02 [Thu] - 03:01

 10月は神無月と云われます。
神が全て出雲に集結し、日本国中から神がいなくなる月、故に出雲では神在月と云うと。
って、そんな訳ないでしょう!!
現に、祭壇で祈れば神はしっかり姿を現してくれます。
本来の神無月は、神嘗月です。
神の為の神嘗祭、大嘗祭の為の準備を始める月と云う意味です。

 また、集まる神は、現代云われている神ではありません。
大和朝廷の信奉して来た、その後の日本で信奉されて来た神とは違う、もっと古い、先住の神がいます。
彼らは人から神である事を忘れられ、或いは追いやられ、その地位を貶められました。
結果、彼らの多くは妖怪として、或いは卑俗な山神や土地神として扱われて来ました。
中には仏教や神道、修験道等で眷属として扱われて来たものもいます。
出雲に集まるのは、そう云う先住の神達。
つまり、妖怪達です。
ゲゲゲの鬼太郎の水木しげるの水木しげるロードが出雲に出来たのは偶然ではないでしょう。

 妖怪達、魑魅魍魎は私に取ってはとてもフレンドリーで、子供の頃に良く遊んでくれた仲間達です。
人間のせいで住む場所を追われ、段々とその姿を消して行っていますが、彼らは厳然として存在しています。
同じ星に住む仲間として、今の神、曾ての神である妖怪、魑魅魍魎達、全てが平和に幸せになる時代が来ると良いですね。

霊能者

2008 - 10/01 [Wed] - 03:28

 増えましたね、私の所に通って来る霊能者が。
次から次と云うか、来る人来る人、皆何かを感じる人ばかりに思えます。
実際にはそんな事はないのですが、月例会で護身法を習う人の多くが霊能者と云っても良い感じですね。
そんな中にいて護身法を習っていると、全く霊感がない筈だった人が、段々と霊感らしきものが出て来るから面白いですね。
感性が高まり、気が高まり、視野が広がって価値観が変化して来ると、人間誰もが本来は持っている感覚が甦って来るのでしょうね。

 また霊能者の側も、普通の社会で生き難く、いつもバランスを崩していたのが、段々と調って来て、無理をしなくても一般社会に馴染む事が出来る様になって来ている姿もあります。

 護身法は本来は真言宗、天台宗等の密教の基本の作法です。
ですが、その真実は奥が深く、密教の究極の目的とされる即身成仏に至る、基本であり、また(私の考えですが)全てを含んだ究極です。
それを真面目に学ぶと云う事は、やはり大きな意味を持っているのだなと、皆を見ていて思います。
目に見える変化、見えない変化、色々な事が起きて来ます。
そして、全員が間違いなく、強く、大きく、深くなっているのを感じます。
護身法を教える様になって良かったなと、今更ながら思います。

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プロフィール

島津 成晃

Author:島津 成晃
Adept・Mentor 島津相談室主宰
人生のあらゆる問題の相談に乗って来ました。
元気になって希望を持って帰って戴く事が私の願いです。
スピリチュアルな目と、冷静な分析で御相談に乗ります。
御相談はHPの方からお願いします


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