感じたり思った事を書いて行きます。 時には秘伝などを書く事も。 空手や色々な趣味の話も。

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審査会

2008 - 03/31 [Mon] - 02:40

 今日は正伝流空手道中村道場の審査会です。
昨年4月15日に開設して以来、3度目となります。
早いですね。

 審査を受けた皆さんの日頃の成果が良く見えました。
それぞれ歩みの早さは違っても、確実に上手くなり、強くなっていました。
それに伴って、最後に行うスパーリングも激しく、見応えのあるものになっていた様に思います。

 審査会は試験です。
どれだけ進化したか、上手くなったか、それを審査して昇級するかどうかを試験する時間です。
ですが、落とす為の試験ではなく、上って貰う為の試験です。
そこで新たに課題を見つけ出し、その後にどんな事を注意しながら練習すれば良いのかを確認する機会でもあります。
審査会は試験ですが、同時に大切な練習でもあるのです。

 今日はどう云う訳か、受信者もそれ程は多くなく、応援者や観戦者もあまり来られませんでした。
少年部においても、父兄の参加が少なく、子供だけが来ているのが多かったですね。

 インフォメーションの不足か、或いは他の何かの都合なのか、何れにしろ審査する側と受審する側、それを手伝うスタッフだけでは、審査会としては寂しいですね。

 仲間が受審するのだから応援して欲しい、人の昇級審査を見て学ぶ事、得る事が沢山あるのだから、見て欲しい。
子供が審査を受けるのだから、日頃の頑張りや成果を親御さんには見て欲しい。

 でも、そう云う気持ちになって貰う為に、日頃からインフォメーションして、また審査会の意味や大切さを指導して行く。
これは指導する側の責任です。
反省ですね。
これから、師範や指導してくれている黒帯や、日頃道場の手伝いをしてくれている人達と相談しながら、もっともっと楽しく、活気ある道場にして行かなければいけないなと思いました。

 一年経ったから見えて来る事、沢山ありますね。
素晴しい道場を作ってくれた師範を盛り立てて、もっと良い道場になって欲しいと思います。
やる事は沢山ありそうです。

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自分らしく

2008 - 03/29 [Sat] - 22:30

 明日は私がお世話になっている正伝流中村道場の昇級審査。
残念ながら朝の苦手な(って毎日4時頃に寝ているのですから当り前ですね)私にとっては辛い早起き。(苦笑)
なので、今日は少し早め(大分、かなり、早いですね)に書いています。

 何をしていてもそうですが、一番力を発揮出来るのは、目的意識がハッキリしていて、同時に肩の力が抜けた時、自分らしく無理がない時ですね。
これをやらなきゃ、こうでなければいけない、これは失敗出来ない、と力んだ時、それはプレッシャーとなり、心も身体もカチンカチンに固まってしまいます。

 明日、昇級審査を受ける人も、もし読んでいたら、いつも通り、楽に、練習だと思って伸び伸びとやって下さい。
力を出し切る、それが結果に繋がります。

 最高の状態は、最高の集中状態と最高のリラックス状態が同時にバランスを取れた時。
それは修行をしていても、空手をやっていても、また仕事をしていても同じです。
座禅や瞑想の奥義は、三昧。
最高に集中していて、尚且つ、完全なリラックス状態にある時。
それを保つ事が出来たら、何時間でも、何日でも、座り続けていられます。

 そう云う状態の時は、呼吸もゆっくりと深く出来ます。
視野も広がって、広く、遠く、ものを見る事が出来ます。
そして、心も自由に、柔軟に働いてくれます。

 そんな状態を意識して作ろうとして行きましょう。
自分が自分らしく、ゆったりとしている事が、一番力を発揮出来るのですから。

魔境に入る

2008 - 03/29 [Sat] - 03:33

 人は色々な欲望や誘惑の中で生きて居ます。
ですから、時に心の中の声や外界の誘惑に引っ張られて、間違いを起す事があります。
傲慢になったり、卑屈になったり、やってはいけない事をしてしまったり。
それが人間であって、そこが魅力的だったりもしますし、だから人間って弱いんだなと思います。

 特に仕事で忙殺されていたり、思った成果が出て来なかったり、逆に急に暇になったり、急に成果が出て来たりする時、人の心には隙が出来ます。
そんな時、人の心に魔が入り込む事があります。
自己弁護、責任転嫁、自己防衛が過ぎると思える時、それは魔が入っている、魔境に落ちていると云っても良いでしょう。

 修行では良く魔が入ると云います。
神佛とは似ても似つかない低俗な霊が、あたかも神佛であるかの様な姿形に化けて出て来ます。
そして、誉め殺しをしたり、如何にも認めているかの様な発言をします。
気がついたら、傲慢でどうしようもない、権力主義、金銭主義、快楽主義の、何をやっても許されるのだと思い込んでしまう大馬鹿者になっています。

 しかし、その魔は殆どの場合は外から来た悪霊や魔物ではなく、自分自身の中にいる魔、自分自身の嫌な部分から生み出されたものです。
欲望が際限なく増長した時、正当な評価を他からされない時、人は勘違いをして歪み始めます。
そして、自ら魔境へと陥って行きます。

 全ては自分の心次第。
幾ら自己弁護しても、自己保身しても、心の中の魔は消えません。
そうやって枝葉末葉に対して対症療法ばかりすればする程、魔境深くへと陥って行きます。

 そこから抜け出すのは至難の業です。
蟻地獄と同じく、一度落ちたら中々抜けられません。

 が、いつもフッと立ち止まり、自分の本来のあるべき姿を意識していると、その時点で違和感を感じるものです。
自分でも気づかなかった、自分の愚かさ。
それを感じた途端に、人は魔境から抜け出します。

 自分の心の闇に住む魔、綺麗に退治したいですね。

人間道

2008 - 03/28 [Fri] - 03:40

 人は人を見る時、判断する時、外見や職業や能力、自分に対する利益を基準に、この人はこうなんだと決めて行き、そこに好き嫌いが出て来たりします。
人種差別などはその最たるもので、職業に貴賎なしと諺に云いますが、現実にはそこで差別している場合も多く、外見での差別、能力による差別もあります。

 それが良い事ではないのは明らかです。
でも、そう云うものに捕われてしまうと云うのも、未成熟な社会では仕方ない事でもあります。
人種が違う、文化が違う、育ちが違う、職業が違う、外見も違う、それは人としての尊厳とは無関係な事です。
ですから、その違いを意識して区別する事は必要です。
また、その上で好き嫌いはあって当然。
が、そこで差別と云う形になってしまったら、それはちょっと違うよねと思います。

 人が人とそう云うものを越えて信頼関係を作り上げて行くには、とても長い時間がかかります。
また、社会が成熟して行くのにも、物凄く長い時がかかります。
そんな中で、そう云うものに負けずに毅然としていられるには、相手に対する心からの信頼と信念が必要です。

 骨髄バンクが今に至るまでの苦難の道筋、昨日TVでやっていましたね。
最初は白血病も差別の対象でしかなかった。
骨髄移植についても、同じ。
それが今に至るには信念と情熱、そして命の尊厳と優しさです。

 人が人としてどう生きるか、それは人間道です。
上っ面ではなく、信念を持って人と信頼関係を作り上げて行く。
それは深い信頼と信念、情熱、そして人を思う心です。

 生き方でも仕事でも、修行でも、人間道を追求して、本当の本物を目指して行きたいですね。

トラブルはチャンス

2008 - 03/27 [Thu] - 04:10

 一生、修行ですね。
唐突ですが、祭壇で夜中の祈りをしていて、感じる事が沢山ありました。
内容は秘密ですが、トラブルは次へのステップのチャンスであると云う事。
何度も経験し、学んで来た事です。
今回もまた一つ学ぶ、気付く事が出来ました。
自分は本来どうあるべきか、それを改めて気付かされた様に思います。
いやぁ、人世は修行ですね。
乗り越えたつもり、出来ているつもりでも、まだまだ未熟。
これからも一生修行は続く。
そんな感じですね。
でも、その道がある事、そう云う機会がある事、それがまた有り難く、感謝です。
って、今日は宇宙語バージョンで失礼します。

上に立つ者の器量

2008 - 03/26 [Wed] - 04:03

 今日、ブログ霊能者と仲間達の記事をアップしました。
今回のテーマは「第15回 この人との出会いがあったから、今の自分がある」ですが、今回は教育論となっています。
人を育てる時、育てられる時、その在り方はとても大切です。
言葉一つ、態度一つで、上手く育ちもすれば、潰れもします。
上に立つ者、指導する者の意識、そして育てられる側の意識、とても重要ですね。

 言葉一つで人はモチベーションが上がり、やる気になり、どんどん伸びて行きます。
逆に、叱責一つ、注意一つでも、ネチネチとしつこく繰り返したり、つまらない厭味をしつこく言われたり、こうあらねばならない、こうでなければ失格、みたいにやられると、育てられる側もふざけるな、いい加減にしろ、と言いたくなって来て、育つ事を拒否してしまいます。

 如何に上手く褒め、上手く注意するか、これは上に立つ者、指導する者の永遠の課題であり、常に意識を集中していなければ失敗してしまいます。
嫌気を起させてしまったら、反発を買ってしまったら、上に立つ者、指導者としては失格。
悪い所は自ら改めよう、もっと頑張ろう、そう思わせる様に仕向ける、これが一番大切です。

 それ以前の問題として、部下であれ、育てている相手であれ、同じ人間であり、その尊厳と誇りを傷つけてしまったら、それは無礼であり、上に立つ者、指導者以前の問題、人として最低です。
そうやって、多くの会社は部下に背かれ、指導者は育てている人に背を向けられてしまって、潰れて来ました。

 良い上司、良い指導者とは、人として下の者と心で付き合える、思い遣りを持ち、相手の尊厳を守り、本気で相手の成長を願う人の事です。
体面で、感情で、勝手な理屈で、こうあらねばならない、こうでないと認めないと言っていたら、気がついたら誰もいなかったと云う事になりかねません。

 上に立つ、指導すると云う事は、全身全霊でやるものです。
忙しいから、他の事で一杯一杯だから、ついやってしまったと云う間違いは許されません。
その覚悟と信念がなければ、上に立つ者として、指導者として、失格であり、他に迷惑をかけるだけです。
早々にそう云う方はお辞めになるべきでしょうね。

人工的な美

2008 - 03/25 [Tue] - 02:25

 今日、久々のオフにして、白金にある懐石料理店に出かけて来ました。
春の夜桜見物と称して、昼間に懐石料理を食べると云う企画です。
その料亭の一室に桜を飾り、有名な東儀氏の母上と御姉妹で雅楽を演奏し、御手前を戴く。
ま、それなりのものではありました。
御料理は不味くはなく、まぁまぁ美味しい方だったと思います。
また、雅楽も流石と云う程ではなく、雰囲気は良かったかな?ですね。
そして、御手前は、これもまぁまぁ。

 しかし、白金って物凄く人工的な街ですね。
買物も不便そうで、坂ばかり。
若い頃に良く遊んだ六本木へ行く道筋、外苑西通りの先にありますが、あまり白金にはご縁がありませんでした。
行ってみると、妻の妹夫婦が住んでいた恵比寿の家から程近く。

 街と云い、桜と云い、全てが人工的な様式美と云う感じでしたね。
大体、茶の湯にしろ懐石にしろ、長い歴史の中に追求されて来た様式美です。
原点の、限られた命と時間の中で、一瞬の美を楽しむと云う、桜の似た思想は伝統として形骸化して残っている気がします。
それは、作法と名のつくものを持つもの、全てに云える事だと思いますが。

 人間の長い歴史の中で培われた様式美には、それなりの美しさも深みもあります。
徹底した人間追求、自然との融和、そんな中から生み出され、追求され続けて来たのですから。
でも、やはり自然の持つ美しさ、はかなさには、到底かなわないものだなのだなと、今日改めて感じました。

 自然は時に優しく、時に厳しく、ある時は冷酷ですらあります。
だからこそ、この一瞬にと全てをかけて美を表現するのが自然界。
人間の浅知恵と云ってはそれまでですが、その作法や様式美が生れた原点、本来あるべき深さや思想を見詰め、形だけになってはいけない。
長い間、密教をはじめとして色々な神佛の教えや作法に触れ、追求して来た中で、いつも心の思っていたのが、原点と云う事です。
真の意味、本来あるべき姿、そう云うものをきちんと学び、知っておく事は、日常の動き一つにまで変化が出て来ます。
形だけに捕われず、そう云う歴史を振り返ってみるのも、一つの修行だと思います。

御彼岸供養会と月例会

2008 - 03/24 [Mon] - 01:44

 今日は春の彼岸供養会と月例会が重なりました。
いやいや、中々ハードでしたね。(笑)

 何十枚とある供養願いを読み、奠供を詠み、理趣経へ。
いつも通りですが、その時に出す最初の第一声でお経の調子が決まります。
本来であれば御供養は、静かにシットリと詠むのが良いのですが、それも第一声次第。
今日は、最初からトーンが強く、お経もシットリとと云うよりは、気合いで詠んでいた様な所がありました。
いつも同じ様に詠む事が出来れば良いのですが、相手のいる事(勿論、供養を受けに来る沢山の霊達)ですので、中々そうは行かないですね。
色々と感じる供養願い、スッキリしているなと感じるものもあれば、あらららら~と思ってしまうものもあり、御供養は御利益を得る為の道具じゃないんだけどなぁ~と憮然としてしまうものもあり、その純粋な気持ちが伝わって来て嬉しくなるものもありました。
供養願い、ただの紙切れですが、そこから沢山の事が伝わって来ますね。


 その後は月例会。
最初は護身法から入って、勉強会。
護身法は殆どが上級者と超級者でしたので、ついつい秘伝、口伝をボロボロと・・・。(苦笑)
ま、良いかって、教わったからすぐに出来るものでもなし、メンバーを見て人格的に問題ありの人がいないので、教えてしまいました。
昔から、私は秘伝も口伝も惜しみなく教えてしまいます。
習ったから出来るものでもなく、頭で理解しても、心や魂で理解して習得しなければ、ただの知識でしかありませんから。
とは云え、行者さんや霊能者さんや阿闍梨様からは、あんまりバラすな~って、良く叱られましたが。(苦笑)

 月例会は仕事のやり方や心構え、最低限知っておくべき、やっておくべき基本についての話となりました。
上に立つ者の責任、やるべき仕事、知っておくべき事、仕事上での常識論となりました。
仕事は一人でやっている訳ではありませんし、出来る訳でもありません。
誰かに支えられ、協力を得て、人の繋がりがあって初めて良い仕事が出来ます。
また、自分の立ち位置で絶対にやらなければいけない事、知っておかなければいけない事と云うものがあります。
同時に人をきちんと見極める力も必要。
誰を味方にし、誰を敵にするか、その相手とどう付き合うか。
そこを間違えると致命的となってしまいますし、上手くやれば強力な味方となります。

 いつもながら、濃く、長く、そして楽しい一日でした。
こうやって皆が集ってくれて、心を一つにして、充実した時間を過ごす事が出来るって、最高ですね。

似た者同士

2008 - 03/23 [Sun] - 02:02

 弟子の一人が仕事の事で悩んで来ました。
上司が何だかんだと小姑の様に煩くて、言う事もコロコロと変わり、気が休まらず溜らないと。
が、良く聞くと、その上司の言う事は全て間違っている訳ではなく、その通りだと感じている部分も多分になるとの事。
ただ煩くて、全面否定したくなっている感じでした。

 色々と聞いていて、最後に笑ってしまいました。
実はその弟子は仕事に対しての姿勢は人一倍厳しく、以前にアルバイトや従業員に厳しく当り過ぎて造反された事があります。
その仕事のやり方や考え方、実はその上司、ソックリなんですよね。
何だ似た者同士じゃないか。(笑)
本人は納得したくない様でしたが、似ているのは確か、自分でも解ってはいた様です。

 こんな事が相談を聞いていると良くあります。
どうにも目障り、ムカつくと云う話を聞いていて、良く良く聞くと、相手と似ている。
似ているからこそ、無意識に腹が立つ。
自分の鏡を見るのは嫌なものだと云う事でしょうか?

 修行でも最初に、そして最後に直面して乗り越えなければいけないのは、自分自身の心です。
最大の悪夢、ナイトメアは自分自身のおぞましい姿だと云います。

 人は無意識に自分と煮たものを選んでいます。
飼っているペットが飼い主にソックリって事、良くありませんか?
笑ってしまう程、似ている飼い主とペットっていますよね。

 また、夫婦も同じ。
仲が良くても悪くても、外から見ると似た者同士だよなぁ~って思う事、良くあります。
一見すると正反対、似ていない様に見えますが、良く良く観察すると、夫婦って似ているのですよね。
って、言うと、私はそんなに短気じゃないって妻から言われそうですが、そのすぐ後に、でも似てるよねって。(笑)

 結局、そんなものかもしれないですね。
似てるから好き、似ているから目障り、似てるから理解出来る、似てるから理解したくない・・・。

 少し心を開いて、ゆったりとした目で見たら、案外、嫌いな人も好きになるかもしれないですね。

自分に出来る事

2008 - 03/21 [Fri] - 02:48

 御彼岸が近いですね。
自分が今あるのは、親がいて、祖父母がいて、またまたその上がいて・・・。
考えてみたら、有史以来ずっと血が繋がった先祖がいるのですね。
はてはて、一体どれ位の先祖がいるのでしょうか?
俗に、直径傍系併せて7代で2,000人と云います。
凄い数ですね。
だったら有史以来と考えると・・・・・、想像もつきません。

 自分の今あるのを感謝する事、そう考えると、今まで出会って来た全ての人やものに感謝する。
当然です。
同時に、自分を生み出してくれた先祖と云うものに感謝するのは、宗教以前に、人として当然と云う気がします。
その手段は人それぞれあって良いと思います。
供養する人、思い出して偲ぶ人、先祖を辿ってルーツを探す人、色々な方法が考えられますね。

 自分の今を幸せだと感じている人には抵抗のない事だと思います。
でも、今を不幸だと思っている人は・・・。
不幸の原因は先祖にある場合、また先祖とは無関係な場合、両方あるでしょうね。
どちらの場合も、先祖に感謝なんてしている余裕なんかない、したくもない、してたまるか、と云う気持ちかもしれません。
でも、いつも書きますが、不幸って自分の捉え方一つ。
そこからどうステップにして行くか、そこが大切です。
そして、取り敢えず、命があるのだから、人世の幸不幸は兎も角として、生きていられる事に感謝する。
そう云う気持ちを持てたら、少しだけ、心が軽くなるかもしれません。
生きたくても生きられない人もいる。
生れてすぐに死んでしまう子もいる。
そう思うと、不幸を不幸と感じる事が出来るだけでも、幸せなのかもしれないなと思います。
不幸を感じる事すら許されない命、何度も目にしました。
とても辛い、でも何もしてあげられない、その時の無力感は忘れません。
だから、少しでも出来る事をしたい、それが私の仕事への情熱となっていますし、人付き合いでも同じです。

 空手道場で試合に出た人がいたり、昇級審査や昇段審査を受けた人がいて、その写真を撮ってスライド・ムービーを作ってあげています。
写真も勿論、プリントしてあげています。
当り前の事ですが、今までの道場ではやっている所は余りありません。
頑張っている姿を記念に残してあげたい。
ただそう云う思いからの事です。
楽しい時間をくれている道場、そして道場の仲間達への、せめて私が出来る事。
感謝の気持ちから始めた事です。
正直、大変です。(苦笑)
撮る枚数は軽く1,000枚。
それを編集し、良いものだけを選んで、スライド化する。
でも、それをしてあげたいと思う気持ち、それが先祖への感謝と同じものだと思います。
一緒に練習してくれる、そう云う時間を与えてくれる、そう云う場を与えてくれる。
その事がとても有り難い事だと感じています。

 今、自分がある事への感謝。
大切にしたいですね。

自分で作ってしまう

2008 - 03/20 [Thu] - 01:50

 ずっと昔、父から言われた事で覚えている事があります。
「内科的な病気の半数以上はストレス、精神状態から起きている」
その時は、医学的な事は何も知らなかったので、へぇ~と思っていましたが、色々と学んで行く内にそれが真実であると分りました。
また、今の仕事に就いてから数多くの相談者と接している中で、それを実感して来ました。

 そして、肉体的な健康もそうですが、精神的な健康も、やはり同じだなと思います。
生きている限りは色々なプレシャーやストレスに常に曝されています。
その中で生きて行く為には、考え方やものの見方、意識を変えて行かなければ、押し潰されてしまいます。
心の持ち方、目線、考え方一つで、ストレスにもなれば、楽しみにもなります。

 過去の事でも同じ。
それを後悔するか、それをステップにするか、それは考え方次第ですね。
何をしても失敗したり、悩む事は当り前です。
後でそれを悔むより、そこから次へのステップにして行く様なポジティブな意識を持たないと、いつまでも引き摺って辛いだけ、自分を苦しめるだけです。

 運気も不思議な事に同じです。
目に見えない世界は、プラスとプラス、マイナスとマイナス、陽と陽、陰と陰が引き合います。
気持ちがマイナス、体調がマイナス、心の状態がマイナス、魂がマイナスの状態だと、まるで雪だるまの様にマイナスの運が集って来てしまいます。
そして、転がる様に運が下る。
逆にいつもポジティブで、明るく、前向きだと、どんどん運が集って来て運気が上って行きます。

 健康も不健康も、開運も不幸も、自分で作って、自分で呼び込んでしまうものだと思います。
どうせなら、人世は楽しみたいですね。
生きる事は楽しい、そう思える様に、いつでも明るく、前を向いていたいものです。

新しいテーマで

2008 - 03/19 [Wed] - 03:47

 以前からやっております「霊能者と仲間達」の新しいテーマが今日から始まりました。
今回は「出会い」です。
この人がいたから、今の自分がある。
誰かの、何かのおかげで自分は成長し、今の自分になれた。
誰でもある事ですね。

 通って来た道は全て無駄なものは一つもないと思います。
良い事も悪い事も、楽しい事も嫌な事も、またどんな人でも出会った人から感じたり学んだ事、全てが今の自分を作り上げています。
その思い出や記憶を大切にし、感謝したいですね。

 あれがなければ、あの人に会わなければ、良かった。
そう思う事も多いと思います。
が、それは自分を苦しめるだけ。
辛い記憶、嫌な記憶を封じ込めて恨んでも、未来は良くなりません。
それよりも、そこから学んだ事、得た事、思った事を大切にしましょう。
それがあるから、経験も積めたし、賢くもなれたし、成長も出来たのですから。

我が事の様に

2008 - 03/18 [Tue] - 02:24

 昨日、優勝した、弟子の奥さんがトロフィーと賞状を持って来て見せてくれました。
夫婦で嬉しそうにやって来て、祭壇に挨拶。
トロフィーと賞状を祭壇に供えてお参りし、その後に本当に嬉しそうに見せてくれました。
その姿は、優勝もさる事ながら、仲の良い、とても素敵な夫婦に見えました。
我が事の様に喜ぶ弟子。
それを見て、優勝した事以上に喜ぶ奥さん。
良いですね、こう云う姿は。

 で、「今度は君が優勝してトロフィーを取って来い」と思わず言いました。(笑)

 夫婦のコミュニケーション・ツールとしての空手、そう云うものもあって良いし、彼等の姿を見ていると、本当にやらせて良かったなと思います。

 午前中にも、産婦人科の先生の奥様がお出でになられましたが、こちらも色々とありましたが、今は夫婦円満。
仕事も順調。
次へのステップを考えて相談に来られました。

 夫婦は家庭の基本単位であり、互いの帰るべき巣であり、本当に心を開ける唯一の存在です。
互いを思い遣り、最も大切に思い、嬉しい事も悲しい事も我が事の様に思える関係でいたいものですね。

正伝流デー

2008 - 03/17 [Mon] - 03:18

 今日は平塚で清武会春季交流試合がありました。
我が正伝流中村道場からも20数名が出場。
幼年部から壮年部まで、大勢が出場しました。

 そして、九州の佐賀県では、新極真会主宰の全九州大会。
こちらにも、我が道場で一番大きな選手が一人出場しました。

 結果は、清武会の方では一般部、壮年部、女子部でとても大きな結果を出しました。
また全九州でもベスト16。
中でも今日が初めての試合出場で優勝してしまった、女子部初級のMさん。
勢いで初戦突破したら、そのまま優勝までしてしまいました。(笑)

 また一般部上級では、我が道場のホープ二人が決勝を争い、優勝、準優勝を勝ち取りました。

 今日は正伝流デーです。
多くの道場生や家族の方々が応援に来られ、その熱気ある応援に選手達が応えた結果です。
皆で取った栄光、素晴しい事です。
嬉しいですね、こう云うの。

正伝流中村道場選手達

やたらと機嫌が良い

2008 - 03/16 [Sun] - 02:37

 今日は帰郷していた妻を迎えに夜のドライブをして羽田空港へ行って来ました。
環状八号線を下って行きましたが、どう云う訳か、今日の愛車はやたらと機嫌が良くて、エンジンが物凄く軽く回っていました。

 昼間に近くにあるオートテックが改装の為に閉店すると云うのでバーゲンをしているので、歩いて行って来ました。
多分、駐車場は物凄く混んでいるだろうと思って、歩いてもそんなにかからないので。
予想通り、駐車場は満車。
店の中も凄い人でした。

 駐車場に昔のセリカのハッチバックが止まっていました。
憧れた車で、今も現役で走っているのだなぁと驚きと共に嬉しい思いをしました。

 そろそろヘッドライトのバルブとワイパーを取り換えたいと思っていたので、買って来てすぐに付け替えました。
もしかしたら、それで静電気か何かの状態が変ったのでしょうか?
それとも、ちょっと前に洗ってやってコーティングをして、また今日、いじったのでかまって貰って嬉しいのでしょうか。
今日は兎に角、機嫌が良い走りをしてくれました。

 車と云えども生きているのだなと思いながら運転していました。
心を込めて接してやると、車も応えてくれます。
まして人付き合いは・・・、と思ったドライブでした。

イマジネーション

2008 - 03/15 [Sat] - 02:47

 密教でも、他の霊感修行でも、観想をとても大切にします。
幾ら作法を覚えても、観想が出来なければ、仏作って魂入れずになります。

 空手でも同じですね。
相手と組手やスパーリングをする時、相手の心理を読んで、動きをイメージしなければいけません。
基本や移動稽古や型をやる時、眼の前に敵がいるとイメージして、その敵を倒すつもりでやらなければ練習になりません。
シャドウボクシングと云いますが、シャドウ空手はとても大切。

 どちらも、自分自身の肉体や精神を、内面までイメージする事が大切ですが、それだけではなく、周囲の状況や相手、その先の先までイメージして行かなければ不完全です。

 これは仕事も同じですね。
シュミレーションして、相手を想定し、プランを作る。
先の先まで読んで戦略を立てる。

 どの世界でもイマジネーションはとても大切です。
理論理屈の上に、更に感覚を高めて、イメージ化して行く。
最初は上手く行かないでしょうし、イメージした事と現実に差があるでしょう。
訓練を積んで行くと、それが合致して行きます。
先が読めると云う事はそう云う事です。

 自らを鍛えるにも、ビジネスするにも、何に対しても、イマジネーションは重要です。

深呼吸

2008 - 03/14 [Fri] - 01:18

 人に限らず、全ての物は呼吸しています。
目に見えない空気や気を取り込んで、また吐き出して、生命は生きて居ます。
見えないから、あまりにも自然にやっているから、普段は気がつきません。
でも、空気がなかったら、気がなかったら、生きて居る事は出来ません。

 密教修行でも空手でも、呼吸は最重要視します。
腹式呼吸、胸式呼吸、肩呼吸、これを組み合わせ、また同時に気の流れを意識して、ゆっくりと呼吸します。
どんな状態でも呼吸をコントロールする事が出来たら、肉体も精神も安定して行きます。

 調息法と云う呼吸では、吸うのに1分、吐くのに1分かけ、自分の呼吸音が耳を塞いでも聞こえない程、静かに行います。
一朝一夕で出来る事ではありませんが、長い時をかけた訓練で習得して行きます。

 空手では息吹、逃れの呼吸(表、裏)と云うものを用います。
また、これは密教でも使いますが、火の呼吸、水の呼吸と云うものを使います。

それ以外にも特殊な、ここには書く事が出来ない、呼吸法の秘伝は沢山あります。

 気持ちが安定していない時、また心身が疲労している時、呼吸は必ず乱れます。
意識して呼吸を調えると、それだけで気持ちが落ちつき、肉体も安定する事があります。

 何気ない事こそ大切。
これは、何でも同じかもしれませんね。
無意識にやっている事、時々、意識してコントロールしてみたら、色々な事に気付くと思います。

継続は力なり

2008 - 03/13 [Thu] - 02:03

 今日、自分のブログを何となく眺めていて、フト、記事の履歴に目が行きました。
もうすぐ書き始めてから3年になるのですね。
2005年の6月から書き始めています。
最初の頃は毎日書いていませんでしたが、いつ頃からか毎日書く様になりました。
読みましたと云う弟子や相談者の言葉、ブログで気付きがありました、学びました、気が楽になりました、等と云う言葉を聞くと、何気なく書いている事に責任を感じ始めました。
楽しみにしてくれている人がいる・・・、これは頑張って書かなきゃ、と。

 最初は、島津成晃とはこう云う人なんですよ、と私の人となりを知って貰うのが目的で書き始めました。
私の様な仕事は、最終的には人としての信頼関係です。
霊能力そのものは、最終的にはどうでも良い事で、信頼関係があれば、人として心で付き合って行けるし、どんな人か分かれば、相談に来易くもなるだろうと云う事で。
それが、段々と私の言葉を楽しみにしてくれる人が出て来て、とても有り難い事ですが、余程の事がない限りは書かなきゃいけないな、と思いました。
責任感もありますが、プレッシャーと云う事ではなく、ブログを通じて皆と会話している、そんな感覚です。

 毎日書くからと云って、あまり気取った、説教臭い感覚で書かない様に気をつけています。(充分に説教臭いか・・・(笑))
思った事を、感じた事を、そのまま書くと云う感覚を保つ様にしています。

 継続は力なりと云います。
確かにその通りで、ブログを書き始めてから、今までは100%口コミだったのが、段々とネットでの相談も増えて来て、そこから護身法を習いに来る方、実際に面接に来る方も増えました。
HPも出していますが、あれは云わば看板の様な物で、出し続ける事に意味があります。
ブログは、人としての人となりをお伝え知って貰う為にあると思います。

 人は人を信頼するのに、とても時間がかかります。
ネットを通じて来られた方の殆どは、最初から最後まで全てブログを読みました、と云う方。
その上で判断して、私なら・・・と信頼して来て戴けます。
とても有り難い事です。

 信頼は一夜にして出来上りません。
長い、長い時をかけて作り上げるものです。
逆に、人を信頼するのにも、目先の損得だけを意図して人を見ていると、信頼した・・・つもり、であって、何かあるとすぐにその相手への信頼を失ってしまいます。
本気で人を信じる事が出来ない、損か得かだけで人を判断すると云う事になります。
寂しいですね。
本当の信頼は、損得勘定とは無関係に、心で感じるものだと思います。

 継続は力なり。
空手も同じ、修行も同じ、仕事も同じ。
そして、そこには必ず自分を支え協力してくれる人がいる。
大切な事を忘れず、真っ直ぐに前を向いて歩き続けると、後には道が出来ています。
そして、気がついたら力がついている、ですね。

 明日を目指して、今日も歩き続けましょう。

 って、やっぱり説教臭くなりましたか・・・・・。(笑)

人は・・・

2008 - 03/12 [Wed] - 02:52

 よく「馬鹿は死ななきゃ治らない」と云います。
これ、全くの嘘です。
供養をしていて霊と向う時、いつも「生きている時に馬鹿だった人は、霊になっても馬鹿だなあ」と思います。
性格の悪い奴も、やっぱり霊になっても性格が悪い。

 考えてみれば当然の事で、あの世へ旅立ったからと云っても、単に肉体から離れただけでの事であり、それで知能が変る訳ではありません。
すぐに良い世界へ旅立つ様な、こだわりの少ない霊であれば、肉体に閉じこめられている時に封印されていた、失われた記憶を取り戻し、気付きの時を迎える場合もあります。

 でも、多くの霊は、現世での執着が捨てられず、暫くはそれを捨てる為にこの世に留まります。
また、いつまで経っても執着から離れる事の出来ない霊は、成仏出来ず、子孫や他の色々な人に迷惑をかけてしまう事があります。

 何があっても学ばず、何があっても自分を省みず、自分が得する事や楽する事、逃げ道ばかりを探し、いつも責任転嫁し、現実も自分自身をも見つめない愚か者は、霊になってもそのままでしょう。
そう云うものに捕われている限り、心の平穏は永遠にやって来ません。
幾ら着飾っても、誤魔化しても、苦しむのは自分です。

 人としてどうあるべきか、素直になって、純粋な心と真っ直ぐな目で、大切なものを見失わない様にしたいですね。
「後悔先に立たず」
気がついた時には手遅れとならない様に。

堪忍袋の緒が切れる

2008 - 03/11 [Tue] - 02:47

 怖いと思われている私は、確かに凄く短気かもしれません。
でも、それはすぐに怒ると云う事ではなく、ここがラインと云う点を越えた瞬間に怒っていると云う事です。
良く逆鱗に触れると云いますが、まさにその通りで、そこまでは何があっても怒りません。

 人は皆、弱いものです。
色々な苦労や悲しみや苦しみを抱え、必死で生きています。
それが分ってしまうので、大抵の事では怒れません。
バカな事をしたり、愚かな事をしたり、人を傷つける様な事をしているのを見て、怒るよりも哀れになります。
早く抜け出して、成長して、楽になれば良いのになぁ~と思ってしまいます。

 基本的には、物凄く平和主義。
争い事は嫌いですし、怒るのも実は嫌い。
笑っていたいですし、苦虫を噛みつぶした様な顔はしていたくありません。
冗談も大好き、アニメも大好き、笑えるものが好きです。

 でも、そうさせてくれないのが、現実ですね。
誰でも、ここからは許せないと云うラインがあります。
そこを越える時、まさに堪忍袋の緒が切れると云う事になるのでしょう。
私も何度かそう云う経験があります。
前回、堪忍袋の緒が切れたのは、もう何年も前でしたね。

 人には誇りがあり、曲げられない信念があり、生き方の核となるものがあります。
そこに触れてしまったら、やっぱりキレられてもしかたないのかもしれないですね。
それすら、笑ってやり過ごせる大きな懐と器量、欲しいなとも思い、要らないとも思います。(笑)

デコボコ

2008 - 03/10 [Mon] - 02:17

 沢山の相談者と話していたり、弟子と話したり、また空手関係と話していて思うのですが、人間ってやっぱりデコボコだなぁと思います。

特別な才能を持つ人は他の部分が全く欠落していて常識がないし、世間も知らなければ、根性もないし、懐も浅くて薄っぺら。
まるで中学生の餓鬼の様です。

また最近逞しくなって来た弟子は、総合力はかなりのレベルに上がっていますが、文章力は高校生レベル。
人柄の良さが文章に出ていますが、読んでいると笑ってしまいます。(笑)
もっと色々な本を読んでくれると良いのだがなぁ~と思います。

接客の天才と云われた弟子は、これまた他の事は欠落しています。
客に対しては誰にも負けない気遣いが出来るのに、プライベートな事になると、また仕事上の人間関係や組織論になると、笑えてしまう程、程度が低い。(笑)

 凄く有能で膨大な知識を持つ人がいます。
彼はまるで頭脳がHD。
でも、人としての生き方や付き合い方は、申し訳ないですが小学生レベル。(笑)

 かく言う私も同じ様なものでしょうね。
妻曰く、極端と極端でバランスを取っている。
間と云うものがないそうです。(笑)
暴走するか止まるか、どっちかしかないそうです。(苦笑)

 デコボコだからこそ人間は面白いと思います。
それが上手く嵌まると、互いを補い合い、素晴しいものが出来上って来ます。
3Dのジグソーパズルの様に、出来上った時は、元の形とは全く違う素晴しいものになります。
でも、嵌まらないと、バラバラでしかなく、反目し合い、敵となってしまう事もあります。

 互いの信頼があってこそ、互いのデコボコを認め合える様な本質的な信頼があって初めて、ピッタリと嵌まり、補い合う事が出来ると思います。
デコボコでも、極端でも構いませんが、真っ直ぐで、純粋で、裏表がない生き方をしている事が互いの信頼を築き上げる基本かもしれないですね。

霊の方が楽

2008 - 03/09 [Sun] - 03:04

 色々な相談を受けますが、霊の相談の方が楽だといつも感じます。
人間関係の問題は、とても神経を遣います。
霊ならば、説得するにしろ、叱りつけるにしろ、包んでやるにしろ、成仏させたらある意味では問題解決。
しかし人間関係は、そうは行きません。
これが解決したから互いに理解し合えて終わりと行きません。
互いの信頼関係など簡単には作れませんし、信頼しているつもりでも何かあって崩れると、幾ら問題が解決してもわだかまりは心の中に残ります。

 大抵の人間関係の問題は、片方だけが悪い訳ではありません。
どっちもどっち、両方にそれぞれ問題があって起きて来ます。
どちらの立場に立つかに依っても、見方は違って来ます。
完全に第三者的に見た場合、それでもこっちに分がある、ここは敢えて妥協するべき、完全に向こうが悪いと云う事もあります。
一つとして同じケースと云う事はありません。
ですから、物凄く神経を遣います。

 ですが、人間関係のトラブルは、見方を変えると互いが成長する糧ともなります。
また、そう云うトラブルを乗り越えて行きながら、互いに信頼関係を作り上げる場合もあります。

トラブルの中で、相手を批判し、怒り、恨みだけの感情でいると、冷静に物事が見えなくなります。
相手を見て、自分を省み、俯瞰して見て、そこから解決策を見出し、また学んで行く事が、次への成長となって行きます。
が、感情だけに捕われると、何も見えず、何も判断出来なくなってしまいます。

 時には怒る事も、感情に走る事も必要だと思いますし、そうであってこそ人間らしいと思います。
が、瞬時に冷静になれる揺らがない心も持っていたいですね。
ピンチはステップアップの為の準備であり、成長するチャンスです。
トラブルは嫌なものです。
でも、起きてしまったものは仕方ありません。
そこから何を学んで、何に気付いて、次へ繋げるか、ですね。

ゆったりしましょう

2008 - 03/08 [Sat] - 02:30

 明日はお釈迦様の縁日、8日です。
来月4月8日が灌佛会、御花祭ですが、毎月8日に縁日を行っています。

 そして、明日は土曜日、明後日は日曜日。
温かくなり、咲き始めている梅や桜も弛む事でしょう。
これから、美しい季節ですね。

 折角の週末、心も身体もゆったりとしましょう。
ストレスを溜めて頑張っている心身は、気付かぬ内に疲れているものです。
何をしても、何もしなくても、この週末はゆったりとして、大らかに過ごしたいですね。

 どんな問題も、ゆったりとしたリラックス状態が一番良い考えが浮かびます。
肩に力が入り、カッカとしていたり、恐怖に戦慄いていたら、良い考えも浮かびません。
リラックスするから、集中も出来ます。

 静かな気持ちで、遥か先を見通しましょう。
眼の前の小さな事で一々苛々としたり、固まっていたら、疲れるだけです。
風景を見る様に、どこまでも続く道を見る様に、大きく、広く、目を上げて先を見ましょう。
きっと、気持ち良くなりますよ。

自己中

2008 - 03/07 [Fri] - 02:42

 ジコチュー(自己中)と云う言葉があります。
自己中心的。
人間は誰でもそうです。
最後の最後は自分が一番大切なもので、自分の身が危うくなったら、他人の事など考えていられないですから。

 大分以前に月例会で「愛のレベル」と云う話をした事があります。
次元が上がる毎に、愛の範囲が変わる。
自分、家族、コミュニティー、社会、国家、そして世界、更には人間以外の生命・・・、と広がって行きます。

 世界大戦の時、誰が言った言葉かは忘れましたが、いざとなって自分の命が危うくなった時、自分が助かる為には家族すら見捨てたり、敵に売ったりする、と云う話がありました。
余裕のある間は、国家や社会、自分が属するコミュニティー、そして家族を守る為に頑張る。
でも、ギリギリの所に来ると、最後は自分だけを守ろうとする。
それが人間だと云う話です。
そんな状況でも家族や他人を守ろうとする人がいます。
そう云う人を本当に凄い人、素晴しい人と云うのだ、と。

 う~ん、この話を聞いた時、考え込まされましたね。
人は誰でも自己中です。
それがいけない事とは思いません。
しかし、人として理想とする姿を追い求めて行く時、自己中で良い場面と、そうであってはいけない場面との区別がついて来ます。
誰に対しても、どんな場面でも、「博愛、衆に及ぼす」では愚かです。
度を越した良い人は馬鹿と云います。
場面によってスイッチを切り替えるべきですが、いざと云う時に誰かの為に身を曝す覚悟のある人間でいたいと思いますね。

 自己中なだけの人は、他人も物も知識も智恵も、自分の為のツールとしか思っていません。
自分に有利に働く時だけ大切にし、そうでなくなったら遠くへ追いやろうとする。
そんな自分勝手な心は誰にでもありますが、それをコントロールするのが理性であり、人間性です。
して貰った事に対しての感謝など、口先では言っていても、心では思っていない。
所詮は口先だけの薄っぺらな裸の王様でしかありません。

 学び、修行し、真摯に生きている人は、不器用でも美しいと思います。
人付き合いは頭で考えてするものではなく、心でするものです。
人と付き合わなければいけないと思うのではなく、心が自然に人と付き合わせてくれます。
そう云う豊かな心を持ち続けていたいですね。

我流

2008 - 03/06 [Thu] - 02:56

 私は何でも我流が好きです。
一番メインである密教でも、長年の修行の中で習った事を自分なりにアレンジして変えてしまっています。
空手も同じ。
伝統流派で長年修行した後、極真で習い、他の武道も学んでいる内に、自分流に変って来ました。
使っているPC、Macも自分で本を読みながら、かなり苦労して覚えました。
他にもクラシックギター、フラメンコギター、ジャズトランペット、ピアノ、エレクトーン等の楽器もやりました。
どれも、正式に教室で習って、その伝統を受け継いで・・・なんて事は一つもありません。
全て島津流になってしまっています。
勿論、人に伝える時、教える時は、基本が大切ですから、最初に習った事を出来るだけ忠実に(但し自分の解釈や経験を交えながら)話します。

 覚えて、忘れろ。
昔から云われる事です。
身体に染み透るまで徹底して真似をして覚え、染み込んだら考えなくても動く様になりなさい、と云う意味です。
お箸を使ったり、歩いたりするのと同じですね。

 また、自分流を作れ、とも云われます。
色々な先生、師匠に習いましたが、一流とか超一流と云われる方は、皆同じ事を言われました。
「最初は真似で良い。でも、何れは自分流へと転換して行きなさい。」

 守るべき伝統、変えてはならない筋道はあります。
が、その上に自分のやり方、道筋を加えて、自分流、つまり我流を築き上げなければ本物とは云えません。
徹底して追求して行くと、教わった事全てが正しい訳ではないのだ、と云う事にも気付きます。
また、体質も体型も価値観も、十人十色。
だからこそ、自分に合ったものを見つけ出す、見つけ出せなければ作り上げる必要があると思います。

 目指す先は同じ。
ならば、自分らしく、自分の道を切り開いて行きましょう。

 我流、素敵な言葉です。

楽しい

2008 - 03/05 [Wed] - 03:02

 今日は空手の練習ですが、いつも書く事ですが、兎に角、楽しい時間、楽しい道場です。
被りは落ちるし(道場で被る事もありますが・・・(苦笑))、瀧の様に汗をかく。
固まった身体がほぐれ、何よりも他の事を忘れて集中出来る。
そして、素晴しき若者達。
ちょっとアドバイスするとすぐにそれを練習し、自分のものにしようとする。

 何でもありの、楽しい道場。
それを主催する、チャレンジ精神旺盛の師範。
空手をどうすれば楽しく出来るかを追求している若き指導者。
強さだけを求めて空手をやっていたのが、この道場に移ってから楽しむ事を覚えた若者達。

 特に師範の頑張りには感心します。
私も毎月会報を出し、語録を書き、毎日ブログを書いていますが、師範も同様、寝る間を惜しんで頑張っておらえます。
それも、一日何度も指導をし、その上での事。
その情熱には驚かされます。
いつ見ても嫌な顔一つせず、苦労している事が喜びの様な顔で「こんなのやってみました。」と見せてくれます。

 良くもまぁ、これだけ性格が良いと云うか、魅力のある人が集ったものだと思います。
師範の人徳でしょうか。
この先にどんな楽しい事があるだろうかと期待させてくれる、とっても素敵な道場です。

 が、あちこち筋肉痛と打撲傷です。(苦笑)

2008 - 03/04 [Tue] - 02:26

 仕事柄、いつも色々な話や相談事が入って来ます。
楽しい事、悲しい事、怒りたくなる様な事、笑いたくなる様な事、本当に人世のあらゆる側面を見聞きしている気になります。

 今日は平穏な一日が過ごせるかと思うと、次の瞬間にはムカつくと云うか、激怒したくなる様な話が入って来たりします。(苦笑)
逆に今日は苛つく事ばかりと思っていると、ホッとする様な話や、爆笑してしまう様な話があります。

 海や風と同じく、人世でも波は一瞬たりとも止まる事をしません。
良い波、悪い波、楽しい波、不愉快な波、その波一つ一つが全て異なります。
人世の荒波を乗り越えると云いますが、静かな波もあれば、流されてみたくなる波もあります。

 波に揺られる船の如く、人世も時には波に逆らい、時には波に流され、また波を越えたり避けたりする事で生きて行きます。
その波を知り、見極めて、遥かな先へと船を進めて行きたいものですね。
人世と云う大海原、色々な事があるから楽しくもあり、苦しくもあり、だからこそ冒険してみたいとも思います。

耐える時

2008 - 03/03 [Mon] - 02:51

 夢を持って始めた事でも、夢を維持し続けるには、ある程度の強さは必要です。
大きな夢を持って始めた会社、楽しく和気靄々として夢のある仕事をしようと思っていても、現実が押し被さって来て潰されてしまう事があります。
それを強さで跳ね返して乗り越えて行って、初めて本当に楽しく、夢のある会社となります。

 楽しそうだと始めた空手、
最初はどんどん上手くなります。
でも、ある時期が来ると、自分が思う通りに身体が動かない事に気付き、上級者の真似が出来ない事に苛立ちを感じます。
格好悪いなぁ~と恥ずかしくなり、腹立たしくなり、辛くなります。
誰でもが最初にぶつかる壁です。

 どちらも同じ。
辛いからこそ、厳しいからこそ、原点回帰が必要です。
最初の夢を思い出す。
一緒に始めた仲間と話した事を思い出す。
サポートしたり、支えてくれている仲間の思いを見つめる。
基本に立ち返って、徹底的に基本をやる。

 何故、この仕事についたのか、何故、空手を始めたのか、どうしてそれを続けているのか、この道を通じてどうなりたいと云う夢を持ったのか、初心の頃に何をして自分を支えたか、思い出してそこに戻る事が一番の近道。

 修行も同じで、長年修行をしていると作法もお経も上手くなり、大概の事は出来る様になっています。
が、だからこそ進歩が止まる。
そんな時、原点に返ってみる。
先祖の御供養、ひたすら何百回も真言を詠んだ事、利益を求めずに行った寺社の境内の掃除や奉納、何も考えずに行をやる事だけが全てだった時代を思い出し、そこに戻る事は大切な事を思い出させてくれます。

 原点回帰するべき時、それは耐えるべき時、辛い時にこそやって下さい。
早く楽になりたい、前へ進みたいと焦れば焦るほど、逆に遠回りになります。
大切な事を見失っている可能性が高いから。

 遠回りは近道です。

春の足音

2008 - 03/02 [Sun] - 02:28

 奈良の大仏で有名な東大寺で「東大寺二月堂修二会」通称「お水取り」が始まりましたね。
関西では、これが終ると春と云います。
不思議と、本当にお水取りが終ると、春らしくなって温かくなって来ます。

 これからは花の綺麗な季節。
天気の良い日は出かけて写真を撮りたいですね。
忙しい生活をしていると、中々、自然に触れる機会も少なく、心身を解放する時間も持てない人が多いと思います。
本来、都会と云うのは仕事をする場所で、住むべき場所ではないのかもしれないなと思います。

 心が穏やかになり、肉体も弛んで来ると、本当に柔軟な発想が出て来ます。
「忙しい」とは「心を亡くす」と書くと云いますが、本当にそうかもしれません。
適度な息抜きや、解放感を得る時間は絶対に必要です。

 とは云え、やる事をやらねばそんな余裕も持てませんし、人と心を通わせていなければ、周囲は敵ばかりに見えてしまって、心も身体も休まりません。
昔から云う事ですが、「人は人によって真に癒される」と思います。
心通わせ、信頼があれば、穏やかな気持ちでいられます。
この人と話すとホッとする、そんな人を大切にしたいですね。
それには、自分がそう云う人にならなければ、相手もそうなってくれません。
尊大、傲慢、いつも戦々恐々として敵対的・・・では、誰も心を通わせてくれません。
と、戦闘的な私が言うと似合わないと思われるかもしれまんが、私は凄く平和主義です。
平和が好きだから、その平和を乱す相手を許さない、と云う事で、やっぱり戦闘的になってしまいます。(笑)
でも、素直な、穏やかな人には、私はとても優しいですよ。

輝き

2008 - 03/01 [Sat] - 03:09

 人が何かを決断する時、苦難から抜け出した時、新しい道を歩み出した時、進むべき道を見つけてまっしぐらに進む時、人の顔は輝きますね。
相談に来て、最初は暗く沈んだ顔をしていた人が、最後には明るい顔で嬉しそうに帰る時、これだけ頑張っていますと報告に来てくれる時、心の底から嬉しさを感じます。

 共通するのは、皆、兎に角、純粋である事。
曲がった事が嫌いで、自分を誤魔化せなくて、真っ直ぐに自分の信じた道を進む。
そして、何よりも他人の為に自分を惜しまず、目的の為に努力を惜しまない。
また、この人と決めたら、心底からその相手を信じ切る。
そして、大切にする。

 そうやって、私の所にお出でになって、段々と顔が輝き始め、出ているオーラも強く、綺麗な光を放ち始めるのを見ていると、本当に我が事の様に嬉しいものです。
反対に、性根が悪いのか、素直じゃないのか、自分の事しか考えないのか、そう云う人は一度輝いても、時間が経つと陰り始めます。
責任転嫁、弱音、文句、自己弁護、辛い事や嫌な事からの逃避、人を信じない、感謝しない、無意識か意識的か人の心や誇りを踏み躙る、人を認めない、等々とあまり見聞きしたくない事が次々と表れて来ます。
そうすると、段々と足が遠退き、来なくなります。

 生き方って、隠しても表れます。
信頼のおける人は、欠点だらけでも、いつも人に恵まれます。
それも、心の通い合う人と。
曲がった人は、人に恵まれている様に見えても、周りには利用しようとする人か、心の底で舌を出して小馬鹿にしているのを隠している人ばかり。

 肩肘張らなくても、突っ張らなくても、素直に、純粋に、真っ直ぐに生きてさえいれば、人は輝きを増します。
どうせなら、いつも光って輝いていたいですね。
良い人、輝く人に囲まれ、私は本当に幸せだと感じています。

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プロフィール

島津 成晃

Author:島津 成晃
Adept・Mentor 島津相談室主宰
人生のあらゆる問題の相談に乗って来ました。
元気になって希望を持って帰って戴く事が私の願いです。
スピリチュアルな目と、冷静な分析で御相談に乗ります。
御相談はHPの方からお願いします


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