感じたり思った事を書いて行きます。 時には秘伝などを書く事も。 空手や色々な趣味の話も。

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今年最後の仕事

2007 - 12/31 [Mon] - 03:02

 つい先程、今年最後の仕事が終りました。
最後は、御供養で奠供と理趣経を詠みました。
心を込めて、静かに。

 思えば今年はとてもイベントの多かった年でした。
毎月の月例会やお参りの日、そしてお正月の初詣、節分、春と秋のお彼岸、夏越大祓、御盆、ここまでは例年通りとして、正伝流空手道中村道場の道場開き、そして弟子の結婚、その後にまた一組の結婚、瀧修行、またその後に道場のI君の結婚、そして最後にまた瀧修行。
その他にもお葬式が幾つもあり、先月は私の心の友である師範が亡くなってお別れ会でした。
これ程、色々と重なったと云うか、続いた年は初めてです。
バタバタと、いつも走っていた気がします。
来年はどうなるのでしょうか・・・。

 でも、そうやって彼方此方で私を必要としてくれた事、またそう云う場に居られた事を、心から嬉しく思っています。
機会を与えられると云う事は、自分の歩みの一歩でもあり、もっと先へ進めと云う示唆でもあると思います。
新しい出会いも沢山あり、その一つ一つが私の財産であり、血となり肉となっています。
悲しい別れもありましたが、別れがあるからこそ、その人の事を永遠に心に刻みつけ、忘れないと思います。
楽しい、嬉しい出会いも、そこから始まる未来が楽しいものであると確信が持て、自分が刺激を受けて更に輝く事の予感を得ています。

 厳しく、忙しい一年でした。
きっと、私と出会って変化が始まった人、変化し続けている人、苦しい思いをした人、嬉しい思いをした人も、新たな一歩への不安と期待で一杯だったでしょう。
でも、それがあるからこそ人生は楽しい。
来年も刺激ある、実りある一年になる様に、一日を、一瞬を大切に、そして楽しみましょう。

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百八の煩悩

2007 - 12/30 [Sun] - 02:26

 今日は今年最後の空手の練習、道場納めでした。
基本稽古に始まり、108人連続のスパーリング。
大人も子供も女性も一生に次々と続きます。
50を過ぎた私には流石にキツイと思いましたが、最後まで楽しめました。

 108人は、百八の煩悩を打ち破ろうと云う師範の考えから出た事です。
とは云え、煩悩なんてなくなってしまう事はあり得ません。
が、それをちょっとでも打ち破って、強い自分になろうと云う意思は良い事です。
一人一人と心を込めて、肉体で会話して行くと、段々と何も考えなくなって、動禅の様な気分になります。
帰って来たら、足も手も痣だらけでしたが、それもまた楽し。(苦笑)

 後数日、本当にすぐに正月です。
今年を振り返り、今年の反省を来年に生かし、また今年得た事を来年は更に飛躍させる様、心を込めて年の瀬を迎えましょう。

大雨

2007 - 12/29 [Sat] - 03:02

 久々のお湿りと云うか、大雨になっています。
この雨の音が何とも云えず気持ちを和らげてくれます。
と同時に、身体が段々と楽になって行く感覚があります。
常に人工的な環境、エアコンや暖房機や加湿器に囲まれていると、どこかで身体のリズムが狂って来ます。
そんな時、寒いのは分っていても、窓を開け放つと、心まで解放されて行くのが分ります。
自然って偉大だなぁと改めて感じる時ですね。

 文明の発達は生活を便利にし快適にして来ました。
が、それと同時に人間の持つ本能を犠牲にして、大切な文化も失って来ました。
先のクリスマスや、これから迎えるお正月など、受け継がれて来た行事はそんな文化を意識させてくれる時です。
少しの時間でも、そう云う伝統の中に身を置き、まだ心身を解放して感覚を研ぎ澄ましてみて下さい。
きっと、眠っていた感覚が少しだけ甦る事でしょう。

師走

2007 - 12/28 [Fri] - 03:29

 師走と云う言葉通りと云うか、年末のせいか、何かとバタバタしていて次から次へとやる事が出て来てしまいますね。
仕事は素より年末も年始も関係ありませんが、それ以外の雑用が次から次。
今ここで出て来なくてもと思う事までが眼の前に出て来ます。
ま、放っておけば良いのですが、気になるとやらなくては気が済まないので、自分で忙しくしています。

 そう云う時は気をつけないと、思わぬ事故や問題に繋がります。
周囲が見えなくなると云うか、いつもならあり得ない所でつまずいたり、ぶつかったりします。
で、つい苛々。
いけないですね、落ち着かなければ。
まず深呼吸。
それから、いつもよりゆっくりと速度を落としてみましょうか。
まず、じっくり周囲を見回して、それからやおら動き出す。
それ位の余裕を持っていないといけないですね。

 皆さんも、師走の終わり、年末の忙しい時に振り回されてしまわない様に、ゆったりとして下さい。

年を重ねる

2007 - 12/27 [Thu] - 02:40

 昨日、今日と、私より少し年齢が上の団塊の世代のフォーク歌手が対談をしたり、歌を歌ったりしている番組がやっていました。
嘗て、思い切り突っ張って、TVに出る事も拒否して舞台の上で大声を張り上げていた彼等も、もう60歳前後。
時の経つのは早いもので、彼等もベテランとなり、大御所となってしまいました。

 が、番組を見ていて、彼等の心の中にあるもの、思いが全く変わっていない事に驚きと共に、喜びを感じていました。
年を重ね、経験を積んで来た中で表現方法は変わっても、何も変わっていない事は凄い事ですね。
適度に力も抜け、深みも増し、ついでに体格も大きくなって(笑)ゆとりと云うものを感じさせる様になりましたが、心の中には数十年前の夢がそのまま息づいていて、眼がキラキラしている。
自分はどうなんだろう?と思いながら見ていました。

 私は彼等の少し後輩になります。
団塊の世代を見て育った世代です。
あの喧騒とエネルギーの名残がまだ残っている世代と云えるかもしれないですね。

 ただひたすらに突っ走り、力んでいた若い頃。
特に夢があった訳ではないですが、何も考えずに自分探しをしていた時代が過ぎ去って余裕と云うものが自分の中に出て来た時、「忘れるなよ、昔の心を」と言われた気がします。

 自然に年齢は重ねられて行きます。
でも、その中で得た事、失った事、その一つ一つが自分を深く、広くしてくれました。
しかし、昔持っていたであろう情熱と夢は失わないでいたい、そう改めて思い出させてくれた番組です。

 ま、私はいつまで経っても大人になれないですし、それが私だと思うので、ヨボヨボになっても変わらないのだろうなと思いますが。
弟子には、「一生、丸くならないから覚悟しておく様に」と言っています。(笑)

痣だらけ(苦笑)

2007 - 12/26 [Wed] - 02:40

 火曜日の空手のクラスは今日が最終でした。
いつもの参加者が、時間通りに来て、最初から皆、飛ばしていました。
最後だと思うからでしょうか、体調の善し悪しに関わらず、皆のやる気が伝わって来ました。

 その後の受け返しや型の稽古、そしてスパーリング。
どんどんレベルが上がり、やる気もあり、お陰で痣だらけ。(苦笑)
それだけ、皆が空手を楽しんでいると云う事ですね。

 楽しくやると云う事が、続ける秘訣です。
楽しくないから続かない。
他に楽しい事があるから、疎かになる。
色々な理由がありますが、空手でも勉強でも同じ。
やる気にさせる内容が大切ですし、やる気にさせる事が指導者の仕事。
やらない人ややらない子がいたら、それは指導者の責任ですね。
ですから、火曜日クラスは兎に角、楽しく、でも甘やかす事なく、厳しい時間です。
指導しているI君の思いの深さが皆を楽しく学ばせています。

 本当の稽古納めは29日の夕方から。
それが終れば、本当にお正月ですね。

今年最後の月例会

2007 - 12/24 [Mon] - 01:29

 今日は今年最後の月例会でした。
この一年、護身法に勉強会、そして3組の結婚、道場開き、2度の瀧修行と、今年は本当に盛り沢山な一年でしたが、時間が経つのは早いもので、今日の月例会で今年は終了となりました。

 いつもの通り、まず護身法をやりましたが、今年最後と云う事で気合いが入っているのか、皆のやる気が伝わって来て、どんどん空気が変わって来ました。
終る頃には皆が汗だく。
座って作法をやっているだけなのに、凄い事です。
呼吸と身体の動きと意思を統一すると、凄まじい気が流れ、放出されます。

 一休みしてから勉強会。
今年最後でもあり、丁度タイミング的にブログ「霊能者と仲間達」の原稿を切り替えなければいけなかったので、今日の話題をまた録音しました。
年明けにはアップ予定ですので、楽しみにして下さい。
内容は、今年の総括、それぞれが今年経験した事や、その中で感じた事などを話題にしています。
具体的には結婚生活の話から、被りの話までいつもの様にバラエティーに富んでいます。

 その後にささやかな忘年会を行いました。
ずっと以前、今通って来ている人達が来る前に、毎年、年末は月例会の後に忘年会をやっていました。
ささやかながら、楽しい時間だったと思います。
それを思い出し、原点に返って、和気靄々と時間を過ごそうと云う事で行いました。

 最初に食事をしながら団欒の時を過ごし、その後に今年あったイベントのスライド上映会。
弟子の一人がかなり頑張って凝ったものを作ってくれたので、そこからスタート。
先日行われた第2回出流山瀧修行のスライドとなりました。

 ちょっと懲り過ぎていたせいかインパクトは強かったですが、写真をじっくり見る事は出来なかった気がします。
が、一つのムービーとして見ると面白かったですね。
その後は、今までのスライドを流して見ました。
振り返ると、皆、今年は変わったのだなぁ~と感じながら見ていました。

 一言で云えないですが、皆が逞しくなったのが顔から出ています。
本の数カ月前なのに、こんなに顔が変わるのか、雰囲気が変わるものかと驚きました。
それだけ、皆が修行を積んだと云う事ですね。
素晴しい事です。
そして何よりも、皆が本当に素の状態で心を開いて仲良く、また馴染んでいる事。
全員が文句なく良い人でとても魅力的である事が、今年を振り返って改めて実感し、心の底から嬉しく思いました。

 良い弟子と良い仲間に囲まれ、本当に幸せな一年でした。

分相応

2007 - 12/23 [Sun] - 02:24

 人には自分に合った分相応と云うものがあります。
自分の持つ格や能力に合った程度のものでないと、高級過ぎると自分が負け、低級だとみすぼらしくなってしまいます。
洋服でも自動車でもアクセサリーでも、また使う道具でも、仕事やお金でも同じです。
ですから、無理をして大きな仕事をして、結果として無理が祟って潰れてしまうと云う事も、分不相応な大きな金額を望んで、結局、潰されてしまうと云う事もあります。
また、大きな無理をして高級な服を着たり、高級車に乗る事で、他の部分に無理が祟って、アパート暮らししていながら、食べる物を削って無理をすると云う愚かな事もあります。

 今日、カメラの話が出ました。
私は高校生の時に父のカメラを使わして貰い、その後、自分のカメラを買って貰って使っていました。
もう手許にはないですが、この二つのカメラは私の大きな思い出となっています。
やっとAEと云うものが出来た時代で、それでも自分で露出とシャッター・スピードを合わせて撮らなければいけませんでした。
今の様に自動で調整はしてくれないので、露出計を見ながら、ダイヤルを回して合わす、そんな時代でした。
ですから、最初は大変だった覚えがあります。
自分の感覚が掴めて来て、写す対象によって露出やシャッター・スピードを予測出来る様になり、それからは楽しくなりました。
その後は色々なテクニックを試したり、自分のイメージで構図を作ったり、補正をして絵作りをしたりしていました。
綺麗に写す事がイコール良い写真ではなく、自分の思う表現が出来た時に絵となり、表現となります。

 今は良い時代です。
誰でもがある程度の写真は撮れる様に、カメラも進化しました。
が、腕は進化していません。
カメラの腕は、撮りまくって、失敗しまくって、試し続ける事で上手くなって来ます。
良い機材は、それだけ使い方も複雑ですし、腕がないと使いこなせません。
まずは、身近な初心者向きのカメラでスタート。
最近の初心者向きのカメラは、腕さえあれば中級者でも充分に満足出来るレベルです。
それで腕が上がったら、次は少しレベルアップして買い替えてみても良いですね。

 何でもそうですが、分不相応は身を滅ぼします。
免許取り立ての人がフェラーリやマセラッティーに乗るようなものですからね。

ベートーベンの第九

2007 - 12/22 [Sat] - 02:06

 今日はオペラシティで行われた第九の演奏会に出かけて来ました。
オーケストラは東京フィルハーモニー。
指揮者は尾高忠明氏。

 チケットを取って最初に驚いたのは、その席でした。
何と3列目。
オイオイ、眼の前だよ。
と思っていたら、今日行ってみて更に驚きが。
何と、舞台が前へ迫り出しているせいで、3列目は最前列になっていました。
アララ~、頭の上から音が降って来る。
演奏者の顔もハッキリ見える。

 結果としてはとても楽しめました。
本来であれば、コンサート・ホールは殆どは1階の左後ろが一番音が良いと云います。
が、近過ぎるせいか、音に遠近感が出て、強弱を感じる事が出来て楽しかったです。

 それよりなにより、演奏者達が感情を込めて、全身を動かして表現していた事に、新鮮な驚きがありました。
日本ではクラシックは高尚なものとされていて、無表情に、静かに演奏するものだと云うイメージがあります。
が、とても激しく、それぞれが音楽に浸って演奏する姿は、ずっと以前にウィーン・フィルの演奏以来です。

 音楽とは、文字通り音を楽しむ事。
ならば、演奏する時も楽しむべきだし、そうあってこそ聴衆にも伝わる感動があると思います。
私も色々な楽器をやって来ました。
クラシック・ギター、フラメンコ・ギター、ジャズ・トランペット、クラシック・ピアノ、エレクトーン、等々。
その時に思っていたのは、自分が楽しんでノッていなければ、聴く人に楽しさは伝わらないと云う事でした。
これは、お経を詠んでいてもそう思っています。
今日の演奏を聴いて、本当に彼等が楽しんでいるからこそ伝わるエネルギーを感じました。

 余計な贅肉、権威付けなどを排除した原点に、本当の音楽があったと再発見した気分です。

未来への予測

2007 - 12/21 [Fri] - 03:18

 相談者の中には、と云うよりは、初めて来られた方の殆どは、自分の未来を見て欲しいと言われます。
「貴方の未来はこうなる。」
そう言って欲しいのでしょうね。
でも、未来を見て何の意味があるでしょうか?
「明日、死ぬよ」と言われて、どうすれば良いのでしょうか?
「結婚出来ますか?」「出来ません」で、ハイ終わり、チャンチャン。
それでは何の意味もありません。
そう思うのは私だけでしょうか?

 占いの多くは、運気と云うものを提示します。
天中殺、天命殺、大殺界等と云う言葉が、一般の人にもかなり浸透しています。
「いつからいつまでは大殺界だから」と云う言葉を、相談者からもよく聞きます。

 未来は変えられないもの、そう云う事でしょうか?
私はそうは思いません。
密教の法の中には、運気をずらすと云うものがあります。
ですから、天命殺だろうが天命殺だろうが大殺界だろうが、時期をずらしてしまえば、数年間は余裕が出来ます。
その間に力をつけておけば、実際にその時期が来た時でも何も怖くはありません。
執行猶予と云うやつですね。

 未来は自分で切り開き、つかむものです。
占師の所へ相談に行って、当った。
結構ですね。
でも、当ったと云う事は、その占師が対処法をちゃんとアドバイスしていないか、聞く側が何も聞かず学んでいないかのどちらかです。
姿勢が変われば、その時点から未来は変化します。
ですから、占いは当らなくなる筈です。

 未来など予測しても意味がありません。
それよりは、どうすれば運が良くなるか、自分が今は何をするべきか、それを考えるべきです。

繰り返し

2007 - 12/20 [Thu] - 01:51

 相談者や弟子の中には、何年にもわたって同じ質問を繰り返す人がいます。
解決しない問題についてですが、心の持ち様がいつまで経っても変わらないので、いつまでも同じ質問を繰り返すのです。
本人なりに努力はしているのでしょうが、学習しないと云うか、覚悟しないと云うか、堂々巡りの様な気になって来ます。

 また、指導しても、いつまで経っても何も学ばない、変化して成長しないと云う人もいます。
その場だけで聞いて、学んだつもりになって帰るので、一歩外へ出たら忘れてしまうのでしょう。
何年も同じ事を言われ、それでも変わらないで同じ間違いを繰り返す。
まるで聞く気がないのか、聞いていないのかと思ってしまいます。

 が、それでも何百回、何千回と言い続け、指導し続けて行くと、いつの日か伝わるのではないか、変化するのではないか、成長するのではないかと祈りを込めて希望を持っています。
そうすると、本当に何年かしてから(極端ですが)変化する機会を得て、変わり始めます。
継続は力なりと云いますが、これは指導する側にも云える事かもしれないですね。

 諦めないで、指導し続ける。
聞く側も、諦めないで聞き続ける、通い続ける。
それが次へのステップとなるのだと思います。
例え時間がかかっても、続けてさえいれば、きっといつの日か何かが変わります。

毎回、違う

2007 - 12/19 [Wed] - 02:55

 今日はいつもの通り、空手の練習日でした。
やっていて思うのは、毎回、調子が違うと云う事です。
基本が苦しい時、逆に楽な時。
また、スパーリングをやっていて、考えなくても身体が動く時、逆に全然思う通りに身体が動かない時。
不思議なものです。
もっと不思議なのは、基本が苦しい時の方がスパーリングが楽だったり、逆に基本が楽な時の方がスパーリングが苦しかったりします。
今日は駄目かなと思う時に、思わず身体が動いたり、その逆もあります。

 祭壇で座っても同じ事が起きます。
毎回、違います。
流れがスムーズな時、とても荒々しい時、まるで止まったかの様に静けさに包まれる時。
時には苦しくなる事や、眠くなる事さえあります。

 今日の、今の時間は、この時だけ、二度とありません。
同じと云う事はあり得ないと云う事ですね。
今日を過ぎれば、明日はまた別の日が来る。
楽しい事も苦しい事も、楽な事も辛い事も、今日だけ、今だけ。
一瞬後には変化しています。

 人生も同じですね。
今を、今日を、そしてこの一瞬を大切にしましょう。

祓いの技術

2007 - 12/18 [Tue] - 01:55

 霊能者は、感受性が強く受動型の人が殆どです。
残念ながら、被りや除霊が出来る人は数が少ないと云っても良いでしょう。
ま、祓ったつもり(笑)と云う霊能者は沢山いますが。

 逆に発動型の霊能者も数は少ないながらいます。
そう云う方は、どちらかと云うと御祓いや除霊を専門にする方です。

 私も元々は受動型でした。
それでかなり辛い目にもあった様に思います。
いつも被っていて、無気力になったり、訳の解らない疲労感や頭痛に悩まされました。
それで何とかしなければと思って始めた修行が、気がついたらそれを仕事にしています。

 長年やって来た武道で得た集中力や体力、それに加えて身に付けて来た密教や神道の法、そう云うものを基礎として発動型へと変化した様に思います。

 しかし、結論から云うと、幾ら法を覚えても祓いは出来ません。
最終的には体力と気力、それに尽きます。
法は法でしかなく、形でしかありません。

 除霊や浄霊を行うなら、人間に対しての深い理解と愛情、確固たる信仰と背景となる神仏の存在、それがあれば祓いは可能となります。
被りなどの祓いについては、強い気力と体力、そして明るい笑顔、これに尽きます。

 何れの場合もネガティブは暗いものを引き寄せます。
明るさと元気、それさえあれば祓いは出来る様になって来ます。

 この法を学べば楽になる、祓いが出来る。
その通りですが、そこには心と身体の修練が必要不可欠。
形だけ覚えても無意味。
真に法を身に付ける為には、日常の中にこそ秘訣があると云う事です。

 明るく、笑顔で、いつも溌剌としていられたら、祓いなど難しい事ではありません。

共通の話題

2007 - 12/17 [Mon] - 01:54

 人と会話するのに、話題って大切ですね。
互いの興味が一致していないと、会話しても盛り上がらないですし、すぐに冷えてしまいます。
でも、共通の話題がもしあれば、きっと会話も弾み、楽しい時間となると思います。

 今日、遠くから来られた女性は、私が勧めた空手を御夫婦で始めてから、それが会話のツールとなって、二人の会話も増え、互いが練習している姿を見て、互いに相手を見直したと云う事もある様で、本当に一つの事が全てに影響をすると云う見本の様な話を聞かせてくれました。

 友達が出来ない、夫婦の会話がない、どうも人間関係がギクシャクする、そう云う方の殆どは話をするのが苦手だったり、自分の趣味嗜好にだけ興味があって相手の趣味嗜好を受け入れない、そう云う方です。
会話は一人でするものではありませんから、自分の一方的な思いだけでは会話になりません。
大概そう云う人は、「こうだから駄目」と相手の批判に終始します。
歩み寄りはお互いです。
何か共通の話題になる様な事、ツールを見つけ出す努力をしないと、どんどん溝は深まるばかり。
気がついたら独りぼっちで、裸の王様になってしまうと云う事もよくあります。

 何をするにも、周りに人がいてこそ出来る事ばかり。
人間は独りでは生きて行けないのですから。
会話を大切にし、その為に共通の話題を見つける努力をしましょう。

浅草の写真

2007 - 12/16 [Sun] - 01:22

 昨日の続きですが、新しいカメラ PENTAX K10D の写真を少しだけアップします。
出来は今一ですが、そこは腕の問題と云う事で。

浅草寺.00

浅草寺.01

浅草寺.02

写真教室

2007 - 12/15 [Sat] - 03:02

 今日は用事で浅草に出かけたついでに、ちょっとだけ妻に写真講座。
と云っても自由に撮って貰っただけで、私も新しいカメラのテストを兼ねて、使い慣れる為に撮っていました。
まだ私の方は、もっともっと確かめながら使い込んで行かなければならないと実感。
が、流石に1020万画素は解像度が高いと感じています。
RAW と云う、フィルムで云えばポジ・フィルム(スライド用のフィルム)で撮っているので、手を加えない生の写真が撮れます。
ですから、失敗は失敗として写ります。
今日は、まだ慣れていないせいもあって、失敗だらけ。(苦笑)
でも、良いのも撮れていますよ。

 妻の方も一眼レフは初めてなので(私が使っていたカメラなので、少しは使った事がありますが)、モード切り替えをしたりして、手に馴染ませている様でした。
短い時間でしたが、使い込んで手に馴染ませる事が一番です。

 道具は何でも同じですが、皮膚感覚に馴染む事が大切です。
そうすると、道具と会話が出来る様になって来ます。
それには時間をかけて、出来るだけ触れてあげる、使ってあげる事です。

 ツールは使ってこその存在意義があります。
人も同じですね。
仕事がある、必要とされている事に存在意義があります。
お互いが皮膚感覚で馴染み合うと、最高です。

自分流

2007 - 12/14 [Fri] - 02:26

 何をやっても、一番大切なのは基本、基礎ですね。
最初に習う事、覚える事は、それをする為に絶対に必要な、基礎の基礎です。
そして、それはどんなに慣れて上手くなっても、上級になっても、達人になっても、共通です。
基本、基礎が出来ていなければ、忘れてしまったら、その事自体が崩れ始めてしまいます。

 でも、基本だけを幾らやっても、それ以上は上に行きません。
基本は「覚えて、忘れろ」と昔から云います。
つまり、身体に染み込むまで繰り返してやって覚えて、その後は意識しなくても出来る様になると云う事です。
いつまでも、考えながら、確かめながらでないと基本が出来ない様ではいけません。

 そして、その基本を一つ一つを組み合わせて行きます。
応用して行くのです。
そうすると、色々と幅が出て来ますね。
勉強と同じです。
数学の公式を覚えたら、それを組み合わせて応用問題を解いて行く。
そうすると、段々と応用の範囲が広がって来ます。
それを続けて行くと・・・、自分流が出来上って来ます。

 護身法でも、空手でも、また人生でも同じです。
基本を徹底して大切にし、それを組み合わせて応用し、幅を広げ、そして自分流を作り上げて行く。
それが色となり、その人の独自のスタイルが生れて来ます。
時間はかかるかもしれないですが、遠回りは近道。
やってみて下さい。

慣れてしまう

2007 - 12/13 [Thu] - 01:49

 人間って贅沢と云うか、いい加減と云うか、何かがあって当初は感動していても、すぐに慣れてしまってその感動を忘れ、当り前になってしまいます。
そうすると大切にしていた事が、段々と怠慢になって、あって当り前の感覚になります。
人間関係では特にそう云う事は良くある事で、それが段々と澱の様に溜って行き、人間関係のすれ違いと云う事に繋がります。

 小さな事でも当り前と思わない事、いつも感謝する事、慣れて来たなと思ったら初心に戻る事。
何でもそうですが、小さな何気ない感動をいつも忘れないでいたいですね。

楽しむ

2007 - 12/12 [Wed] - 02:11

 昔からの私の持論ですが、人生は楽しむ為にあります。
確かに修行の為に親を選び、生れて来ます。
でも、修行も楽しんでこそ進歩します。
辛いだけでは、途中で止めてしまいたくなってしまいます。

 今日は空手の日でした。
時にはとてもハードな時もあります。
でも、それさえも楽しみになります。
上手く行く時、駄目な時、それも楽しい。

 日常の事さえも、考え方と目線一つで苦しみにもなれば、楽しみにもなります。
楽しくなければ生きている意味がない。
楽しいからこそ、修行も出来るし、前を目指して進む事も出来ます。
どうやったら人生が楽しくなるか、考えてみましょう。
あれがないから、あれさえあれば、こうだから仕方ない、と言い訳を作っても楽しくはなりませんし、辛くなるだけ。
こうすれば、ああすれば、楽しくなるかもしれない。
そう思って、やってみましょう。

表現する

2007 - 12/11 [Tue] - 03:02

 妻が出版予定の本の原稿で苦労しています。
基本的にはブログから始まった事ですので、内容的には問題ないと云うか、それでも修正しなければいけない事は沢山あるのですが、それよりも苦労しているのが表現です。
同じ意味でも使う言葉でニュアンスや伝わり方が変わりますし、硬軟も変わります。
固過ぎると論文みたいになったり、説教臭くなりますし、柔らか過ぎるとオチャラケになってしまいます。
その辺りのバランスはとても難しく、微妙ですね。
横で見ていて、私は質問された時にはアドバイスしますが、基本的には彼女の感覚に任せています。
自分の表現は自分で納得してやるべきなので、横から口を出さない方が良いと思うので。

 普段でも、人と話したり、メールを書いたりする時、その表現には神経を使います。
伝わらなければ意味がないですから、相手によってその表現を変え、言葉遣いを変えています。
相手の解る言葉で話す、これはコミュニケーションの基本ですからね。
嘗て大霊能者であり聖人となった仏陀やキリストやマホメットなどは、その力もさる事ながら、その表現力に凄さがあったと思います。
誰にでも解る例え話、身近な事に例えて伝える能力がなければ、何も伝わらず、そうでなければ彼等も後世まで名を残す大宗教家にはならなかったでしょう。

 言葉による会話、文字で伝える事、そして肉体を通じて伝えるボディー・ランゲッジなど、人はあらゆるものを使って伝え、受け取ろうとします。
そこをちゃんと意識する事が、円滑なコミュニケーションに繋がり、人間関係の発展に繋がると思います。

 口の悪い私は、気をつけなければいけませんね。(苦笑)

ピッタリ来るもの

2007 - 12/10 [Mon] - 01:31

 私も含めて、私の家族は殆どと云って云い程、物欲がありません。
その癖、どこかで見つけたつまらない物を衝動買いしたりします。(笑)
でも、本当に欲しくなる物は、ピッタリ来るものが見つかるまで、絶対に買いません。
洋服でも、何か趣味の物でも、アクセサリーでも、ライターや時計でも同じです。
自動車も携帯電話もそうでした。

 フィーリングって凄く大切です。
いつも使うもの、長く使うもの、自分を表現する道具を妥協すると、自分自身を曲げてしまう事になります。
ブランドや流行りに飛びついて、自分の本当のフィーリングを無視すると、個性が消えます。

 本当にピタリと来るものに出会い、身につけたり、使う時、良く云いますが、
「着る人が洋服や宝石や道具を引き立たせる」

 どんな最高級の物を使おうと、持っていようと、着ていようと、本人のカラーやオーラに合っていなければ、それは偽物、フェイクに見えてしまいます。
逆に、ピッタリと合うと、それがフェイクであったとしても、最高の物に見えてしまいます。

 大切なものは、決して妥協してはいけません。
高い物イコール良い物ではありません。
自分にピタリと来るものが最高のものなのです。

笑顔の力

2007 - 12/09 [Sun] - 02:33

 今日は8日お釈迦様の御縁日で、その上、妻の英会話のレッスンもあり、土曜日でもある事からでしょうが、何だか申し合わせた様に人が集りました。
こうして人が集ると思いますが、やはり笑顔のある人は魅力的ですね。
男性でも女性でも、陰気臭い顔をしていると、側にいるだけで、見ているだけで、こちらも暗くなってしまう気がします。
逆に笑顔に人は、それだけで何だか楽しくなって来るのは不思議ですね。

 笑顔は免疫を上げると共に、運も上げてくれます。
笑う門には福来たる、は本当の事です。

 運も因縁も、プラスとプラス、マイナスとマイナスが引き合います。
笑顔には笑顔が寄って来ると云う事ですね。

 辛い時こそ笑顔で、楽しい時はもっと笑顔で、いつも微笑みを絶やさない様にしたいですね。

守るべきもの

2007 - 12/08 [Sat] - 03:36

 人は守るべきものが出来ると強くなれると云います。
自分の為だけなら、言い訳を作ってまぁ良いやとすぐに怠ける事も妥協する事も出来ます。
が、守るべきものの為なら、全てを投げ打っても頑張ろうと思うものです。
責任と云うのでしょうか、或いはそれが誇りとなるのでしょうか。

 口先だけで幾ら御託を並べて偉そうな事を言っても、実質が伴わなければ絵空事でしかありません。
真に守るべきもの、それはその人それぞれ。
愛する人、家族、それとも生き方、誇り・・・。
人によっては権力とかお金と云う人もいるでしょうね。
でも、そう云う地位や名誉やお金は、幻想でしかありません。
何かあるとすぐに消えてしまいます。
でも、心は消える事はありません。
純粋な心を守って生きて行きたいものですね。

指導者の器量

2007 - 12/07 [Fri] - 02:11

 今日、母や妻と話していて、指導者の器量と云う話になりました。
どうも私はコワモテと云うか、近寄り難い印象が最初はあるらしく、時間が経つといつの間にか人が集っていて、懐いて来ます。(笑)
相手が子供の時も同じで、どう云う訳か、昔から子供には懐かれてしまいます。
子供は怖いもの知らずだからと、口の悪い人には言われますが、子供の目は誤魔化せないですから、私の何かを見て感じ取っているのでしょうね。

 一見すると威厳のある、怖そうな先生、近寄り難い雰囲気を持ち、話をすると本当に怖くて、何をしても叱られてばかりで、誉められる事がない。
そんな先生はどこにでも一人はいます。
私もそんな恩師に育てられた経験があります。
が、その先生は決して誉めないですが、フッと気まぐれの様に私を呼んでくれて、大切な場面を見せてくれました。
コワモテの中に隠れた、真に温かい気持ちを感じる事が出来た瞬間です。

 怖そうにしていなければ、偉そうにしていなければ威厳が保てないと勘違いしているのか、そうでなければ保てない様な威厳であれば、それは偽物であり、人は必ずいつかは離れて行きます。
私はそんなものは要らないですね。
ニコニコして、ざっくばらんで、何でも話せて、そんな関係の中に、伝わるべきものがちゃんと伝わって行く、そう云う懐の深さと云うか、器量を持ちたいですね。

 私に空手を指導してくれた数々の師範達、密教を伝授してくれた阿闍梨達、そして医学界の重鎮達は、皆とてもざっくばらんで、懐の深い、本当に温かい人達でした。
先への、次へのステップの希望を与えながら、必要な事は指摘して行く、そんな姿勢を保って、本当の意味で信頼関係を作り上げながら指導して行きたいものですね。

人を見る

2007 - 12/06 [Thu] - 02:43

 どんな事をしていても同じですが、その先に人がいる事を忘れてしまう事が多いですね。
仕事をすれば、その仕事で喜びを感じる人がいる、その仕事をさせてくれる人がいる、その仕事を支えてくれる人がいる。
ある商品を作る時、それを考える人がいて、作る人がいて、売ってくれる人がいて、買って使ってくれる人がいる。
食事を作る時、それを食べて美味しいと言ってくれる人がいる。
掃除をする時、その場所で過ごす人がいる。

 作業そのもの、眼の前のある事だけを見ていると、全ての事は義務でしかなくなったり、とても空虚でつまらないものになってしまいます。
だから、面倒臭い、鬱陶しい、忙しいとネガティブにしかなりません。

 人を見ましょう。
誰の為にやるのか、誰のおかげでやれるのか、全て人が関わり、支えてくれて、受け止めてくれる人がいます。
何をするのも同じ。
人を見て、人を意識しないと、只の自己満足でしかなく、心のない無意味なものになってしまいます。
何をするのでも、心を込めて行きたいですね。

心で感じる訓練

2007 - 12/05 [Wed] - 02:21

 今日は空手の日でした。
道場では、普通の空手道場では教えない事を沢山教えています。
投げ技、関節技、そして立禅、更には推手や発勁等々。
推手や発勁は、本来は中国拳法でやっている手法です。

 推手は手の感覚だけで相手を感じ取り、相手の身体に触れたり、避けたりするものです。
発勁は、一瞬に全身の力を手に集めて爆発させる様に放出するもの。
どちらも、訓練を長く続けて出来て来るものです。
特に推手は、意識を手に集中し、感じ取らなければいけません。
心が閉ざしていると、絶対に感じる事が出来ません。
眼を閉じ、手首に意識を集中し、相手の動きと自分の肉体との距離を感じとる。
心が閉ざしていると、手首にも腕にも力が入ってしまい、感覚を鈍らせます。
力を抜くと云う事は、心の力みも抜くと云う事です。

 心を解放し、心の力みを抜いて行く訓練、やってみると簡単そうですが、とても奥が深いですね。
人と人が肌を触れ合って感じ取る。
これは日常生活の中にも沢山あります。
肌は触れ合わなくても、毎日、誰かと会話しています。
会話すると云う事は、心を通わせる事です。
道場での練習も、違った形のコミュニケーション術を学んでいます。
そして、相手との肉体的・精神的な距離感を。

 非日常空間の中にある、日常の生活に応用出来る訓練。
素晴しいですね。

見ているのに見えない

2007 - 12/04 [Tue] - 02:20

 人って、眼で見ている様に思いますが、実は心で見ているのです。
ですから、心が開いていると、眼に見えない筈のものまで見えて来ます。
逆に、心が閉ざしていると、眼に見えているのに、見えていないと同じで、何も伝わって来ないと云う事があります。

 眼の前にある事、人との出会いや何かに出会った時、素直に感動を得る事が出来るのが、心の開いた人です。
昨日の昇段審査における10人組手は、まさにそうでした。
心が開いている状態で見ると、理屈抜きに感動します。
私の場合は審査をしている側なので、感動して感情を入れてしまう訳にいかないので、冷静を装って実はかなり苦労して感情を抑えていました。
それでも、溢れ出してしまう感覚に、つい例の柄の悪い言葉で応援とも叱責ともつかぬ言葉を出してしまいました。(反省)

 ここの所、私の影響かデジタル一眼レフが周囲で流行っています。
写真とは面白いもので、自分の眼で当り前の様に捉えている映像や構図が、写真にしてみると実はとても難しい事をしているのだと感じます。
と同時に、眼で見る感動を写真に捉えて残す事の難しさを感じます。
自分が感動したのだから、見る人にも感動して欲しいと思って撮り、修正します。
それが表現であり、心を伝える作業です。
この一連の事が全て心を学ぶ事に繋がります。

 特別な事は何もなく、心を開いて、素直に眼で見て、心で感じて、素直に感動する。
その事自体が大きな、大きな学びだと思います。

昇級・昇段審査

2007 - 12/03 [Mon] - 01:38

 今日は、正伝流空手道中村道場が開設して二度目の審査会でした。
少年部を午前中に、午後には一般部の昇級・昇段審査を行いました。
緊張感の中、一人一人が一生懸命にやっている姿は、美しくさえありました。

 また、午後の昇段審査では、二人の男性が昇段に向けて頑張りました。
久々に見た10人組手は、緊張感と、互いの力のこもった応酬が続き、審査を受けている当人も、相手をしている人達も、手を抜く事なく、逃げる事なく、頑張り抜く姿に感動さえ覚える事が出来ました。

 それぞれに課題は残されていると感じましたが、審査と云う一つの壁にチャレンジし、乗り越える事は大きな経験となり、次へのステップとなるでしょう。
試練のない平坦な道は、人を生温くさせてしまいます。
試練あってこその成長です。
今日の皆の頑張りに拍手ですね。

 そして、異例ですが二人は本日付けで昇段しました。

 本気で闘い、本気で応援し、本気で昇段した二人を祝う皆の姿は、心の通った真の友と感じさせてくれます。
大切な友だからこそ手を抜かないで真剣に闘う。
自分の番が終ったら、また応援に回り、全身全霊で頑張れと声をかける。
そして、全てが終った後、結果が出て昇段が許された二人に対し、心から祝う。
そう云う純粋な気持ちの持主達が集っているのが、この道場です。
この道場に誇りを以て、更なる上を目指しましょう。

器量

2007 - 12/02 [Sun] - 01:57

 昨日、鬼平犯科帳のDVDの話を書きましたが、男のみならず人として魅力を感じるのは、大きな器量です。
事に際して慌てず、常に冷静で、しかし心の中には熱いものを秘めて人情に溢れていながらも、緩急を使い分けて対処して行く姿には、憧れすら感じます。
勿論、映像の世界、小説の世界の中の架空の話ですが、世の中には本当にそう云う人がいます。
常に上を見て、先を見て、今やるべき事をきちんとやって行く、無駄口を叩かず、平穏を装いながら、冷静な判断と深い洞察力を以て行動する。
日本人の好きな忠臣蔵の大石内蔵助もそうですね。
彼は一見茫洋とし、洒脱な粋人でありながら、その内面にはとても熱いものと揺るがない決意を持っていたと伝えられます。
史実はどうか解りませんが、伝えられる大石内蔵助像は、その内面に秘めた冷徹な計算と深い洞察力、揺るぎない決断と強靱な精神力、そして熱い温情を持ち合わせ、その凄さは自身ですら気がついていなかったのではないかと思わせる節があります。
真の凄さとは、普段は陰を潜め、いざと云う時に自身ですら気がついていなかった力が出て来ると云う事かもしれないですね。
が、その一端は普段の言動に必ず表れています。

 愚痴を言わない。
常に冷静。
人を思い遣る。
視野が広く、幅広い価値観を持つ。
事に際しては瞬時に判断する。
等々、色々な事はあるでしょうが、はやり人望厚き人である事は確かでしょう。

 仕事でも日常でも、色々と愚痴を言ったり、世迷い言を口にしたり仕勝ちですが、いつも笑顔で穏やかでいられたら最高ですね。

理想の男の姿

2007 - 12/01 [Sat] - 03:22

 今日、久々に鬼平犯科帳をDVDで観ました。
江戸時代の特別警察とも云うべき火付け盗賊改の長官である長谷川平蔵、男としての理想の姿です。
強く、優しく、洒脱で、底の知れない懐の深さ、そして女性にモテる。
どれだけの修羅場をくぐり抜け、酸いも甘いも噛み分けて来た結果なのでしょうが、言うは易く行うは難し、ですね。
勿論、物語の世界です。
でも、架空だからこそ、人の理想の姿と云えます。
いつの日か、そう云う男になりたいと思いますね。
きっと、一日一日を大切に、一つ一つを大切にして行く事が、近道なのだろうと思います。

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プロフィール

島津 成晃

Author:島津 成晃
Adept・Mentor 島津相談室主宰
人生のあらゆる問題の相談に乗って来ました。
元気になって希望を持って帰って戴く事が私の願いです。
スピリチュアルな目と、冷静な分析で御相談に乗ります。
御相談はHPの方からお願いします


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Adept・Mentor 島津成晃の独り言
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