感じたり思った事を書いて行きます。 時には秘伝などを書く事も。 空手や色々な趣味の話も。

  Adept・Mentor 島津成晃の独り言のナビゲーター   トップページ > 2007年11月  

素晴しい本が出ました

2007 - 11/29 [Thu] - 15:11

 癒しの本は沢山ありますが、この本は、私がダイヤモンド社に紹介した柳町茂一君が翻訳したものです。
内容はキリスト教を原点として、自分の意思の力で未来を切り開いて行く為の本です。
是非、御一読下さい。

 柳町君は、数カ国語を使いこなすエキスパートであり、また哲学者でもあり、あらゆる歴史に通じた歴史家でもあります。
これだけの多彩な才能を持った人は珍しいですね。
奇縁から私の許へ通う様になりましたが、たまたまダイヤモンド社の編集者からの依頼で翻訳者として彼を紹介した結果、こうして出版される事になりました。
本当に、我が事の様に嬉しいですね。




スポンサーサイト

思いは時を越えて

2007 - 11/29 [Thu] - 02:18

 最近、割と前世の話をする機会が増えました。
ずっと以前、前世にはあまり意味を感じていませんでした。
過去の経験でしかなく、その事自体が現世に対して大きな影響を与える等と云う事は殆どありませんし、興味本位に知っても意味がない、そんな事を知ってどうするんだ、と思っていました。

 前世とは云え、自分は自分です。
ですから、生き方や趣味指向、考え方や性格等は当然の事ながら変わりません。
前世がこうだったから、現世でこんな影響が出ている等と云う事は、ありません。

 が、特殊な事例がない訳ではありません。
霊能者や行者や宗教に関わる人、また一筋に何かの道を極めようとする人、極端な恐怖を常に持っている人等は、やはり前世からのトラウマや深い思いが魂に残っているせいだと云う場合もあります。

 妻の高所恐怖症もそんな事が原因でした。
また、弟子の中にも前世の影響で強い霊感を持ち、修行の道に入った者もおります。
私も同じ、やはり前世、それ以前の前世から神仏に関わりを持って生きて来ました。

 深い思いは時を越えます。
が、大抵の人の場合は、一話完結。
その人生が終ったら、本質は変わらなくても、次の人生に影響を与える事はあまりありません。

 でも、やはり前世ってどこかロマンがある感はしますね。

楽しい時間

2007 - 11/28 [Wed] - 02:44

 今日は空手の練習日でした。
いつも思う事ですが、本当に充実した、厳しくもあり、同時に楽しくもある、素敵な時間です。
真剣に一つ一つの動作を意識し、相手を意識して動き、その中にとても楽しい感覚があります。
初心の人は最初は戸惑った様ですが、その楽しさが分ると共に積極的になり、そのやる気の高さは上級者も時に圧倒される時がある程です。

 練習は当然ですが、厳しいものですし、そうでなければなりません。
自分の力を伸ばして行くと云う事は、限界を越える事です。
それは、とても大変な事です。
が、厳しいだけでは、辛いだけでは、心が折れてしまう事もあります。
耐えるだけでは、限界は越えられません。
楽しいからこそ、限界は越えられるのです。

 その楽しさはどこから来るのか?
それは、互いの信頼と、会話です。
空手を通じ、肉体を通じて、互いを信頼し合い、そして会話しているのです。
相手の立場になって、相手の気持ちになって手を合わすから、攻撃を避ける事も、攻撃する事も出来ます。

 肩肘張って、突っ張っても無駄。
そんなものは、すぐに見抜かれますし、相手にされません。
と云うよりは、潰されるでしょう。
素直に、胸を開き、心を開いて、相手を受け入れた時、互いの心が通じ合い、信頼へと結び付きます。
それは、空手以外の世界でも同じですね。
馬鹿にされたくない、嘗められたくないと突っ張って肩肘を張って無理をして自分を大きく見せようとしていると、気がついたら誰もいなくなった、と云う事になるでしょう。
或いは、誰かに潰されてしまうでしょう。

 素の侭の、正直な姿でいるのが一番強いのです。
力を抜くからこそ、本当の力が出る。
楽しいからこそ、頑張れるし、信頼し合える。
そんな時間を与えてくれる、道場と、火曜日の指導をしているI君に感謝です。

それぞれのスピード

2007 - 11/27 [Tue] - 02:48

 人が育って行ったり、変わって行ったり、自分の道を見つけ出すのには、それぞれの人のスピードと云うものがあります。
早く結果が欲しいと焦っても、自分の、その人のスピードでしか進む事は出来ません。
大切なのは、その道へ歩き出す事、そして諦めないで歩き続ける事です。

 人を育てていると、つい結果を見て、早く育て、何故育たないんだと苛々してしまい勝ちです。
が、それは指導者としての焦りであって、育っている本人、前へ進んでいる本人の本来のスピードと云うものを忘れてしまっているからです。

 ゆっくりでも良い、遅くても良い、回り道をしても良い。
歩き続けてさえいれば、そして歩き出してさえいれば、未来は必ず来ます。
歩く事自体に意味があり、結果に意味がある訳ではありません。
歩く過程で、結果は結果論として出て来るだけです。

 まず、始めましょう。
そして、歩き続けましょう。

人が立つ時

2007 - 11/25 [Sun] - 02:49

 人は誰でも一生に一度、または何度かは、本気で覚悟して立ち上らなければならない時が来ます。
それは、自分の為であったり、誰かの為であったり、信念の為であったり、人それぞれ。
そう云う時に逃げてしまうと、自分の心は絶対に忘れません。
一度逃げると、一生逃げなければいけなくなってしまいます。

 そんな場面が、ドラマや映画では多いですね。
そして、そんな場面、人が覚悟して立ち上る時、観ている人は感動します。
誰でもがヒーローに憧れるのは、自分の中に、そうありたいと云う願望があるからです。
でも、憧れるよりも、自分がそうなりたいものですね。
真剣に何かを、誰かを大切に思う時、人は覚悟が出来ます。

 立ち上るべき時に立ち上れる様に、心を常に真っ直ぐに、綺麗に保っていたいですね。

密教と魔法

2007 - 11/24 [Sat] - 03:14

 ハリー・ポッターの最新作をDVDで観ました。
似ていますね、やはり、密教と魔法は。
昔、魔術の勉強をした時も思いましたが、手法や表現の違いはあるものの、とても似ています。
内容は勿論、書けませんが、修行過程も凄く似ています。
そして、光と闇、善と悪についても。

 ですから、この映画もやはり私にとっては娯楽ファンタジーだけの位置づけではありません。
身につまされる事や覚えのある事、納得する所、啓発される所など、心に響く映画です。
このシリーズ、次が待ち遠しいですね。
って、まだまだ先ですね。(笑)

 ハリーの成長する過程、特に彼の学ぶべき事は、魔法でありながらもとても仏教的な側面と似ています。
そして、描かれている光と闇も。
面白いものですね、世界が違っても、思想が違っても、目指す所は同じ、と云うのが。

今を大切に

2007 - 11/23 [Fri] - 03:11

 映画を観ていたり、ニュースを見ていると、突然に事故や事件に巻き込まれたり、病気や怪我等の災難に遭う事が日常茶飯事で起きていると感じます。
特別な事は何もなくても、毎日、元気でいられる、不満を言っていられる事に感謝するべきだなぁと感じます。

 生きていると、特別な事をつい望んでしまいます。
良い事がない、刺激がない、劇的な事がない、もっとこうなって欲しい。
考えてみれば、人間は贅沢な生き物で、貪欲な生き物だと思います。

 日常が平和であればある程、不満がつのり、非日常を求める。
欲望は際限なく、自然破壊をし、人を蔑ろにしている事に平気になって来る。
瞑想をしている時、人間は地球上に巣くう、不治の病を引き起こすウィルスの様なもので、どんどん増殖し続ける、と感じた事があります。
と同時に、それさえも地球の一部であり、そうやって新陳代謝しているのだ、とも。

 私も父や恩師や、最近では友人を亡くしています。
さっきまで元気だった人が・・・、と思うと暗澹とした気持ちになりますが、持って生れた能力と修行のお陰で、それが終わりではない事を知っています。
ですから、そこから新しい人生が始まると云う事を知っている故に、救われます。
が、やはり寂しさは拭い切れるものではありません。
また、自分に置き換え、いつ何があるか分らないな、とも思います。

 だからこそ、今を、一瞬一瞬を、今日を大切に、近しい人も縁のある人も大切に、心を込めて生きていたいと思います。
死に様は生き様。
いつか来る旅立ちの日に、良い死に方をする為に、良い生き方をしたいですね。

大欲は無欲に似たり

2007 - 11/22 [Thu] - 03:21

 表題の様な言葉を良く言いますね。
道場で、大欲と云う事についての質問がありました。
回答となるかどうか解りませんが、私なりの考えを書きたいと思います。
質問して来たT君、読んでくれるかなぁ~?

大きな欲を持つと、まるで欲が無くなったのと同じ心境になると云う事です。
無欲とは、欲が無いと云う意味で、自己に対する欲を無くした状態、即ち悟りの状態と云う事です。

 が、悟りを得ると欲が無くなるのでしょうか?
修行時代から何十年と考え続け、思索し続けて来ました。
結論から云うと、あり得ません。
仏と云えども、欲がないと云う事はありません。
欲の方向が変わるだけです。
己自身の為ではなく、周囲に向けて、他に向けて、幸せを願うと云う欲があります。
己の欲は無く、他への欲はある、と云う事でしょうか?

 大きな目標を持つ時、小さな目先の欲に囚われていたら、大きな目標へ進む事を阻んでしまいます。
ですから、小さな欲には目を向けず、大きな目標へ向けて進め。
だから、欲が無くなった様に見える。
つまり、大欲は無欲に似たり、と云う事になります。

 仏教的に言うならば、大欲とは仏となる事を意味します。
つまり、仏になって悟りを得る。
その悟りを以て、自然や大宇宙と一体化し、人を救い、魂の救済をして行く。
自己を失う訳ではなく、そこにこそ自己はあり、それこそが喜びであり、最大の欲である。

 自他の区別を無くし、人の事を自分の事の様に思え、自分を取り巻く全てのものと一体化して行く事にこそ、人は喜びがあり、そう願う事が大欲であると云います。

 長い長い道程ですが、どんな修行、仏教であれ、神道であれ、他の宗教であれ、或いは武道であれ、目指す道は同じ。
どうせなら、そこを目指して行きたいですね。

誉める、叱る

2007 - 11/21 [Wed] - 01:43

 人には、誉められて伸びる人と、叱られて伸びる人と、2種類があります。
私の弟子の中でもガンガン叱られ、怒鳴られて伸びた人間がいます。
その逆に、ちょっと叱るとすぐに萎縮してしまう人もいます。

 昔、ある人から言われた事ですが、怒られ、叱られて成長する人は、ほんの一部、と云うか希少な部類だそうです。
然し、誉めるだけでは、図に乗らせてしまいます。
ですから、アメとムチ、誉めると叱るを上手く組み合わせなければなりません。
これが、簡単な様で難しい。

 長年、弟子を育てて来て、私なりに覚えたのは、叱った後は必ず誉める、誉めた後は必ず叱る。
そうやって来ました。
また、時には本気で感情的になっても怒る。
真剣だからこそ怒る。
人は案外感性を持っているもので、こちらが真剣であれば伝わります。
が、テクニックでやっていると見抜かれます。
不思議なものですね。

 子育てでも弟子を育てるのでも、部下を育てるのでも、アメとムチは必要ですね。
その使い訳と按配を上手くしたいですね。

身体のの声、精神の声

2007 - 11/20 [Tue] - 03:35

 私の様な体質の人間は、精神の活性によって、疲労を忘れてしまう事がよくあります。
仕事となると特に、疲労など忘れて、気合いでやってしまいます。
が、身体も精神も、やはり限界と云うものがあります。
今日は、それに気づかされました。
久々に、酷い頭痛に悩まされ、歩く事さえ億劫になってしまいました。
そして、数時間の睡眠。
と云うよりも、落ちたと云う方が正確でしょうか。
気絶した様に眠りました。
それでほぼ回復しました。

 ずっと若い頃、やはり同じ様な事がありました。
意識のレベルに合わせて生活していたら、身体を壊しかけた事があります。
精神は休まなくても活動出来ますが、肉体はついて行かなくなります。
今回も同じでした。
いつの間にか、大変な疲労を溜め込んでいた様です。

 う~ん、年を取ったと云う事でしょうか?(笑)
私もやはり人間だったと云う事の様ですね。

祝宴

2007 - 11/19 [Mon] - 01:54

 今日は空手の後輩であり、私の護身法の弟子でもある男性の結婚式でした。
奇縁から知り合い、彼の空手の指導を補佐し、また護身法を教える事となり、今日、祝宴に招かれて出席すると云う光栄に与りました。

 人の縁とは不思議なものであり、また有り難いものです。
彼と彼の妻となる人も空手が縁で知り合い、今日に至りました。
そして、彼は将来、僧侶として、また空手師範として、人生を歩く事になります。
縁が結び、導いて行く、彼の人生、豊かである事を祈ります。

 彼を祝う空手仲間、師範、後輩、皆が心を込めて彼を祝う為に全力で演武をしました。
私も久々に再開した師範と旧交を温め、挙句の果てには演武に飛び入りで参加させられました。(苦笑)

 この縁こそが、皆の思いこそが、彼と彼の妻となった人の宝です。
それさえあれば、道はどんどん開いて行くでしょう。
彼等二人の素晴しい人格が、この縁を呼び、結びつけたと思います。

 二人のこれからの素晴しい人生に、心よりお祝いを申し上げると共に、今後の幸せを心より祈ります。

結果より、歩く事

2007 - 11/18 [Sun] - 02:10

 人生には色々な目標があります。
今日の目標、明日の目標、今月の目標、今年の目標、来年の目標、遠い先の目標。
でも、目標はすぐには達成出来ません。
今日の、目の前の目標ですら、達成出来るかどうかさえも分りません。
まして、先の目標は果たして達成出来るかどうか・・・。

 結果を見て、そこだけを考えていると、焦りになってしまいます。
早く結果が出て、それも目標を達成して、結果を出したい。
しかし、長い人生を歩いていると分りますが、目標を達成する事は大きな成果ですが、それよりもその道を歩き出す事、行動する事に大きな力があります。
結果は後からついて来ます。
精一杯の良い仕事をしていれば、お金も地位も名誉も後からついて来ます。
一つの山を越えようと思ったら、ひたすら何も考えずに歩いていれば、自然と山を越える事が出来ます。

 大切なのは、今。
この一瞬を大切に、精一杯、歩く事、止まらずに歩き続ける事、思い切って前へ進み始める事が大切です。
その結果は、後からついて来ます。
気がついた時には、結果は見えています。

 結果ばかりを焦ると、墓穴を掘る事になります。

護身法

2007 - 11/17 [Sat] - 02:54

 毎月、月例会で護身法を教えています。
身を護る法、気を高め、オーラを高め、厄難から身を護る為の法、霊的に高まり、魂を向上させる為の法、、、、、、。
真言密教や天台密教で基本とされる護身法は、割りと簡単に、短時間で教えられ、通り過ぎる事が多いものです。
が、護身法はやればやる程、その奥深さを感じさせてくれます。
人が自分らしくいられる為の法であり、突き詰めると即身成仏への道筋でもあります。
その応用範囲は広く、全てに通じます。
基本こそ奥義とは、どの道の達人も口にする事ですが、それを肌で、心で実感するには長い時がかかります。

 仕事などで月例会に来れず、止むなく補講する人がいます。
仕方のない事です。
護身法の伝授は、高々、数十分。
それだけで全てが終る訳ではありません。
ですから、仕事などの正当な理由があるなら、日程を変えるのは構いません。
それよりも、毎日、朝昼晩と常に護身法を意識し、実践する事が大切です。
月例会で教われば、補講すれば、それで良いと思って来ている人も中にはいる様ですが、それではカルチャー・センターと同じ。
何の意味もありません。

 また、気が向いた時だけ、時間が開いた時だけ習いに来れば良いと思っている人もいる様です。
が、これも間違い。
その意識そのものが、法を獲得するのを妨げます。
修行は24時間、常在修行です。
また、法は筋道に沿って進まなければいけません。
ひと月に一度の伝授は、継続すると云う意味からも、定期的なチェックと云う意味からも、進歩の度合いを一定にすると云う意味からも、原則です。

 法はその筋道を間違えると、何の意味も持たなくなります。
決められた事を決められた様に行う事で、正しく身について行きます。
お札一つ、お守り一つ作るにも、決められたルールがあります。
それを、少しでも怠ったり、間違えたりすると、効果は零になってしまいます。
行は真剣勝負。
人を越える法を身につけるならば、真剣に取り組んで下さい。

思い残した事

2007 - 11/16 [Fri] - 02:27

 先日亡くなった、私の友人であるI師範が訊ねて来ました。
勿論、肉体はないですが、その存在感はそのままでした。
人は亡くなった後、四十九日までは生前の厚情に感謝して挨拶回りをすると云います。
今日の訪問もそうだったかと思いました。
が、彼の目的は、挨拶もあったのですが、思い残した事があった様でした。

 生前、会う度に、「先生の九字や、祈願の時の手の動きは素晴しい。空手の理想像に近い。」とお褒めの言葉を戴いていました。
そこから空手談義、空手が何よりも好きだと云う二人ですから、時間を忘れて話が弾みます。

 そんな彼の訪問、目的は組手でした。
柔道で云えば乱取り、自由に攻防をし合う真剣勝負です。
どう云う訳か、私に対してはかなり遠慮勝ちだったI師範、心の中では念願だった様です。
光栄な事です。

 で、やりました。
勿論、想念の世界ですが、彼の最後の道場、本部道場で心行くまで徹底的に。
とても素晴しい時間でした。
言葉を越えて、心と心で、戦う事で会話する。
不思議な、そしてとても楽しい時間でした。

 能力者ならではの、心を通わせた時間。
彼も満足したのか、旅立って行きました。
これで、本当に彼は次の世界へ行くのでしょう。

 I師範に幸あれと願います。
皆の心に永遠に記憶として残るでしょう。

会話と文章

2007 - 11/15 [Thu] - 03:34

 人が人にものを伝えると云うのは、とても難しい事です。
伝える側の問題、聞く側や見る側の問題。
感覚的に伝えなければいけない事、論理的に伝えなければいけない事。
同じく、感覚的に聞いたり見たりしなければいけない事、論理的に聞いたり見たりしなければいけない事。
その切り替えは、経験でつかまなければ仕方ないとしか言えません。

 人はそれぞれ価値観も違えば、育った環境も違い、受けて来た教育も違います。
趣味指向も違えば、見ている目線も違います。
それをどう調整してすり合わせて行くか、それがとても大切です。

 言葉と云うものは、心を伝えるものであり、意思を伝えるものです。
その目的意識をちゃんと意識しないと、伝わる言葉や文章になって行きません。
同様に、聞く側、見る側も、相手の意思をちゃんと受け取ろうと意識しないと、何も伝わって来ません。
聞こえる文章や言葉、見えている文章や言葉だけを捉えて判断すると、間違いを起しますし、伝わって来ません。

 何語であれ、言葉は道具であり、道具そのものは大切ですが、そこにこだわり過ぎると、伝えると云う真に大切な部分を忘れてしまう事になります。
逆に、ちゃんと使うと、相手に心を伝える事も、受け取る事も出来ます。

内助の功

2007 - 11/14 [Wed] - 02:29

 男性が外で仕事をする時、出世して行く、仕事が上手く行く為には、絶対に内助の功が必要であると思います。
悪妻は百年の不作と云いますが、良妻あってこその良き夫、強き男だと思います。
特別な事は何もなくても、家を守り、安住の地を維持してくれる、それだけで男は頑張れるものです。
そして、何よりも夫の言葉に耳を傾ける姿は、男性に安心感を与えてくれます。
男性が外で働く時、常に緊張の中にあります。
妻が、唯一の、絶対の理解者である時、男性は活力を得て奮い立ちます。

 最近は男女が逆転している場合もあり、また同等の場合もあります。
そんな家庭でも、男と云うものは単純で、つまらないプライドに縛られています。
それを上手く解きほぐしてくれる妻がいたら、最高ですね。

友の想い

2007 - 11/13 [Tue] - 01:17

 今日、新極真会のI師範が亡くなられたと云う連絡が入りました。
17歳で空手を始め、大山倍達総裁の命により海外支部長を13年務め、帰国してからは東京本部支部長・国際部事務局長を兼任しながら世界を飛び回っていました。

 彼とは不思議な縁でした。
1999年に岡本徹君が世界大会を制した時、ある人から紹介されたのが始まりです。
それ以来、ベタベタとしょっちゅう会う仲ではありませんでしたが、年に数度、試合を観戦に行く時に会い、時折、こちらを訊ねて来てくれて(相談事もあっての事ですが)、年に一度位ですが一緒に食事を共にする、そんな付き合いでした。

 が、似た者同士のせいか、何かが通じ合うのか、互いに空手関係と云う事を越えての不思議な友情の様な感覚がありました。
試合に行けば、私も彼を目で探し、会えるのを楽しみにしていました。
彼もまた、私を探し、見つけては、育てている若い女子選手を伴って駆け寄って来てくれました。
そう云えば、一度だけ、女子選手にアドバイスをした事がありました。
他の用事で彼の道場を訪ねた時、練習していた女子選手と空手の話をしていて、目に付いた所をアドバイスしました。
そんなこんな、彼との思い出はそれ程多い訳ではありませんが、常に孤独の陰を臭わしていた彼は、私の数少ない友人です。

 彼と話した人生論、空手論、私から色々と聞きたがり、教わりたがったあの子供の様な目は忘れません。
掛け値なし、彼は超一流の空手家であったと思います。
何を思い立ったのか、昨年、急に五段を受けますと言って来ました。
そして、無事に昇段した後、「いゃ~、身体がボロボロです」と笑った彼の顔は忘れないですね。

 彼は旅立ちますが、彼が目指し、追求していた道、空手を通じての人生、真の武道、その思いを彼の弟子達が受け継いで行ってくれるでしょう。
私も微力ながら、その想いを伝えて行きたいと思っています。

 決して長くはない付き合いでしたが、私の心にしっかりを足跡を残して行きました。
I師範の冥福を祈ると共に、これからの旅立ちの無事と、幸せを祈りたいと思います。

                                押忍

仲間

2007 - 11/12 [Mon] - 01:44

 今日は平塚で行われた清武会空手のウェイト性の試合に出かけて来ました。
正伝流の道場から数名の若者達が出場しました。
活き活きと、一生懸命に頑張る姿は、とても爽やかなものがありました。
それにも増して、応援している皆の姿、仲間意識がとても心に響いて来ました。
あの大舞台に上がると、眼の前の事が見えなくなってしまって、思う通りの空手が出来なくなるものです。
それを、応援している人達の声が冷静さを取り戻させる事もあります。
我が事の様に大きな声で応援し、喜び、悲しむ姿は、爽やかな気持ちにさせてくれました。

 が、観戦しているのは疲れます。
自分でやっている方が楽な気にさえなります。
怪我をしないか、勝てるか、負けるか、観ているのに自分でも一緒に戦っている様な気分です。

 とは云え、私と妻と弟子の奥さん、今日は写真班でした。
私と妻だけでも400枚位の写真は撮っているでしょう。
さぁ、これから整理をしなければ。
これがまた、色々な気づきになるのです。
大変ですが、結構楽しいものです。

 ある事情から、ここ暫くは空手づくめです。
今日の試合を終って、これで今年の試合は終了。
これからは、毎週の練習と残された事が一つだけ。
今年は空手を通して、色々な事を学び、気づき、悟らせて貰っています。
本当に、有り難い事です。

生き様

2007 - 11/11 [Sun] - 02:41

 人の一生は重き荷を負うて歩むが如し、とは徳川家康の言葉ですが、歴史上色々な人を調べている時、また私の仕事柄、時に旅立ちに立ち会う時、人の一生とは何だろうかと考えます。

 昔から弟子や相談者に伝えていますが、死に様は生き様です。
綺麗に、良い死に方をしたかったら、良い生き方をしなければいけない。
何が良いかは一概に云えませんが、後悔のない、自分に正直に真っ直ぐに生きよと云う事です。

 人生の目標のある人、その日その日を大切に生きる人、適当にその場その場を誤魔化しながら生きる人、自分の事だけを大切にしようと姑息に生きる人、誰かの為に心を込めて生きる人、、、、、。

 人の生き様は百人百様。
どの生き様が正しいか、答えなどありません。
が、その答えは自分が旅立つ時に分かります。
そして、それは自分だけが分る事です。
余人には決して推し量る事が出来ないものです。

 今日を大切に、今を大切に、自分らしく、後悔を残さず生きたいものですね。

正しい事

2007 - 11/10 [Sat] - 02:35

 色々な人と話をしていて思うのですが、人にはそれぞれの価値観や立場があります。
また、浅くも深くも、色々な思いがあります。
その、色々な人と話す時、相手の心の奥底を読み取り、価値観や立場をしっかりと意識しながら、相手の聞こえる言葉、理解出来る言葉で話をしなければなりません。
幼稚園生や小学生に、大学生や教授の論理は理解不可能です。

 また、自分が考える正しい事が、相手に取っても正しいとは限りません。
子供が大人の理屈で言われても、うるさいと思うだけで、理解出来ず、それどころか拒否してしまうのと同じです。
正論だけで話しても、現実には通用しないと云う事です。
敢えて間違いすらも認める器量、柔軟性がないと、どんな素晴しい言葉も相手には聞こえません。
それどころか、余計なお世話にしかなりません。
そこに感情が乗ってしまうと、もっと厄介です。
感情が乗ると、余計に固執してしまって、押し付けになってしまう事もあります。

 正しいと思う事を相手に伝える時、冷静に、互いの立場を意識して、相手の耳に聞こえる言葉を使う事です。
思いを幾ら捲し立てても、正論をそのまま話しても、全く無意味です。

 人は心で会話していると云う事を常に意識しましょう。

存在そのものに意味がある

2007 - 11/09 [Fri] - 02:04

 今日、弟子と話していたのですが、大分以前に弟子を数時間、祭壇の前に座らせて放っておいた事があります。
で、彼は何か感じたか、見えたか、何か特別な事があったか、と云いますと、何もありませんでした。
その時に、私は「何もない事、何も起きない事に意味がある」と言ったらしいです。(霊示で答えている時は、自分の言った事を覚えていない事がよくあります。失礼)(苦笑)

 そんな話を今日していて、仏は存在しているだけで意味がある。
太陽も空気も、他の色々なものも同じ。
そして、我々人間も存在しているだけで意味がある。
と云う、仏教哲学の話をしていました。

 深くは書けませんが、特別な事が祈りで起きる訳ではありません。
そう見えるのは、忘れていた事、止まっていた事が、素直になって動き出すから特別な事が起きた様に見えるだけです。
奇跡は起きます。
が、その奇跡は必然です。
ですから、通らない、叶わない祈りも沢山あります。
叶う祈りは、当然の結果として叶うのです。

 仏も神も、助けてなどくれません。
自分を助けるのは自分自身。
ただ、神仏と向き合う事で、心も身体も魂も解放され、眠っていた智恵や力が出て来る。
その結果として、奇跡は起きます。

 仏も神も、そこに存在するだけで意味がある。
我々もそう云う存在感のある人になれたら良いですね。
その為には、自分らしく、いつも正直に、姑息な計算や利己主義を捨てて、常にバランスを取って生きる事だと思います。
清濁併せ呑むと云いますが、綺麗事や汚い事に固執してはいけません。
どちらも上手く出来る、必要に応じて柔軟に動ける様にしておく事です。

 いるだけで存在感がある、意味がある、そんな人になりたいですね。

自分の立場

2007 - 11/08 [Thu] - 02:37

 今日はある方が亡くなったお別れ会に出かけて来ました。
とても粋人であり、洒脱な方でした。
その方のお別れ会での事、とても長い人生を共にした友人の方のお別れのご挨拶。
お二人の出会いから、お付き合いを話されていました。
そこまでは良いのですが、そこから先。
聞いていて、少し首を傾けたくなる様なお話。
自分の思いからか、亡くなった方の扱いに対する希望と、生前に思う通りにお見舞いに行けなかった事への恨み言とも思えるお話をされていました。

 気持は充分に解ります。
が・・・、お別れ会ですから、当然ながらご遺族が居られ、その方に向けてのそう云う内容は如何かと思って聞いていました。
友情と長い付き合いは分りますが、立場と云うものがあります。
わきまえと云うものがあります。
自分の思いを口にして良い場面と、それはやってはいけない場面とあります。
これはご家族に対して失礼、そう思ったのは私だけではなかった様です。

 人は立場と云うものを常に持って生きています。
場面により、場所により、その立場は色々あります。
そこには、心を抑えても我慢しなければならない事もあれば、どんなリスクや恐怖があっても覚悟して乗り越えなければいけない場面もあります。
自分の思いだけに囚われてしまっていると、周囲の人への配慮やわきまえを忘れてしまいます。
そうすると、いつの間にか人の心は離れて行きます。
気がついたら独りぼっち、と云う事は良くあります。

 以前、私が相談役をしていた会社の社長は、とてもワンマンな人でした。
社員からはとても嫌われていました。
が、会社の為に自身の財産を失う覚悟で、会社に対する融資の個人補償をし、銀行と渡り合い、常にストレスの中で頑張っていました。
残念ながら、そのワンマンさ故に、社員がついて来ず、また商品に対する意識の間違いから、その会社は逼塞してしまいましたが、その社長の覚悟の程は称賛に値します。
ただ、その社長の欠点は、社員のやる気を上げる為に、怒ると云う手法一辺倒だった事です。
しかし、社長としての覚悟は持っていたと思います。
それがないなら、社長など辞めた方が良い。
社員全員の生活を担っているのですから、弱腰、腰抜けでは、社員は安心して社長についていけません。

 今日の話と云い、会社の話と云い、自分の立場をちゃんとわきまえて、心をコントロールしなければ人はついて来ないと云う事ですね。
他を思い遣り、守ろうとする時、人は強くなります。
自分の事しか考えない人間は、残念ながら軽蔑に値してしまいます。

激動

2007 - 11/07 [Wed] - 02:28

 今年を振り返るにはまだ早いですが、今年は例年にも増して激動の年だと感じています。
転職あり、結婚あり、出発あり、訃報ありと、本当に色々な転機が相談者や弟子に一度に起きて来てしまった気がします。
そんな中で、良くなる人、落ちる人、試練に出会う人、旅立つ人、本当に人それぞれ。
今さらながらですが、人生の大切な瞬間に立ち会い、相談に乗り、アドバイスすると云う、大変責任の重い仕事をしているのだなぁ~と、改めて感じています。

 一生懸命に生きている人、生きた人、成長する人、しない人。
本当に人それぞれですが、一つ一つを大切に、心を込めて相談に乗って来ましたし、これからもそうしたいと思います。

 後2ヵ月弱、今年が無事に終わり、素晴しい来年が来る様に、心から祈りたいですね。

意地を張る

2007 - 11/06 [Tue] - 03:14

 誰でも誇りがあり、プライドがあります。
ですから、意地を張ってしまう事もあります。
特に弱点を突かれた時は、本能的に自分を守ろうとして維持を張ってしまいます。

 思えば私もこの仕事を始めた頃は30歳そこそこで、右も左も解らない世間知らずでした。
ですから、肩肘を張って突っ張っていました。
今その頃を思い出すと、冷や汗が出ます。(苦笑)
そして、いつも自分の弱い所は「死んでも見せない」と力んでいました。
「弱点は死んでも見えない」は、今でも変わりませんが。(笑)
少なくとも、無駄な力みは取れたかな?と思います。

 今回、報道されている自民党と民主党の問題は、与党と野党の間の政治姿勢から派生した問題だと思います。
特に野党側である民主党の意地と云うものを感じます。
与党を倒して政権交代してこその野党、連立などあり得ないと云う意地。
良く分ると云えば分ります。
が、そこに国民不在と感じてしまうのは私だけでしょうか?
ある部分で連立、ある部分で敵対、それで良いのではないかと思うのはご都合主義でしょうか?
真に国民の為を思う政治であるなら、そう云う柔軟性を持って欲しいものだと思います。
如何に早く、如何に無理なく、良い国、住み易い国にするかを最優先で考えて政治をして欲しいものだと思いますが、現実には野党は与党を倒す事、敵対する事だけを考えている様に見えてしまいます。

 組織の長として、小沢氏、福田氏の行動が正しいかどうかは別として、国民を主に考えた政治姿勢としてはどうだったか。
色々な意見があると思いますが、この騒動を見ていて、そんな事を思っていました。
生き方として、意地も程々、柔軟性も必要だなぁと思います。

ネットワーク

2007 - 11/05 [Mon] - 01:39

 私の相談者や弟子達は、皆、仲がとても良いです。
互いに何かあると助け合い、連絡を取り合って食事したり、飲みに行ったり、仕事の話をしたりしています。
空手道場の方でも、私の相談者や弟子達がかなりの人数が通っています。
それも、夫婦連れで。
ですから、何だかしょっちゅう会っている様な気がします。
月例会、お参りの日、道場、その他の面接や相談事のある時。

 私は、こう云う事が理想でした。
相談者や弟子達がネットワークを作って、互いに力を貸し合いながら、皆でステップアップして行ってくれたら、それが最高だと思っていました。
そう思ってから、かなりの時が経ってしまいましたが、それが実現しているのはとても嬉しい事です。

 困った時はお互い様。
楽しい時もお互い様。
皆が仲良くして、良い関係で、皆でステップアップしてくれたら、それこそ最高ですね。

住む場所

2007 - 11/04 [Sun] - 02:25

 引っ越し、魅力的な言葉ですね。
長年住んだ家を離れ、新しい土地と家に引っ越す。
環境も人間関係も変わり、空気も気の流れも変わります。
不安と期待が入り交じった感覚、引っ越し魔だった私は良く解ります。
若い頃、本当に良く引っ越しました。
理由は色々とありましたが、引っ越しする度に運が変わった気がします。

 住む場所って大切です。
気持ちの良い、自分に合った場所に住めたら最高ですね。
逆に合わない場所や、環境の悪い場所、霊が徘徊する様な場所に住んでいたら、運も体調も悪くなってしまいます。
風水や方位学等で家を幾ら良くしても、やっぱり土地そのもの持つ格や因縁によっては、対処し切れない事もあります。
隣近所の問題や環境問題等は、特にそうですが、風水等では解決出来ませんからね。

 無闇矢鱈と引っ越すのも良くないですし、時期や移る方角と云うのもありますが、一生同じ場所に住まなければならない法律もないですから、柔軟に考えてみても良いかもしれないですね。

何を見ているのか

2007 - 11/03 [Sat] - 02:33

 人間の眼って、とても上手く出来ています。
見たい物にちゃんと焦点を合わし、それ以外をぼかしてくれます。
でも、ちょっと目線を変えると、周囲の物も背景も全てを綺麗にフォーカスして見る事も出来ます。
また、眼が見ていても、全く違う事を考えている時、脳に信号が行かないで見ているのに見えていないと云う事も起きます。

 長年、写真に興味があってやって来ました(本当に下手の横好きですが)が、そうすると見え方や見せ方を凄く意識する様になって来ます。
そして、物事を見る時の見方を意識する様になって来ました。
その結果、私が長年言っている三つのみる「見る、視る、観る」が生れました。

 ある種の特殊な分野にいる人は、その特定の目線を持って仕事をしています。
ですから、違うジャンルの人からすると、その人の目線が全く理解出来ず、まるでマジックの様に感じる事があります。
前から見ているのに、後ろ側の事を意識している。
ある色を見て、他の色が見えて来る。
我々、能力者も同じでしょう。
顔を見ていて、身体の中や他の事が観えて来る。
父も、顔を見ただけで、罹っている病気の今までの経緯や程度を見抜いたものでした。

 色々な目線、視野、深さ、同時に沢山の眼で見る様な感覚が持てたら、人生はもっともっと楽しくなるでしょうね。
その為には、やっぱり色々な事に触れて、感じて、経験して、知識を得て行くしかありません。
それが多ければ多いほど、眼は沢山持つ事が出来ます。

本当の修行

2007 - 11/02 [Fri] - 02:21

 修行と云うと、仏壇の前で御先祖に手を合わし、佛に祈り、また神棚や祭壇の前で神仏に祈り事だと思っている人が多いと思います。
私も、それこそ長い長い時を祈りの時間に当てて来ました。
修行時代(今もそうですが)、若い頃は一日中、時には何日も祈り続けた事があります。
また、瀧を浴びたり、護摩を焚いたり、瞑想したり、時には水行したり、読経を長い時間し続けたりしました。
そして得た事はとても沢山あります。

 空手や他の武道を修行している時も同じです。
ひたすらサンドバックや砂袋を叩き続け、蹴り続ける。
型を毎日何十回、何百回とやり続ける。
基本稽古を延々と続ける。
スパーリングや組手を、飽きる事なく何十分も、何セットもやる。
そうやって掴んだ事は大きな財産です。

 が、例えば祈りの場、例えば道場を一歩出て世間に戻った時、その修行がそのまま生きる訳ではありません。
幾ら祈っても、自分が劇的に変わる訳ではなく、何も悟っていない事もあります。
悟ったとしても、所詮は心と頭だけ。(でもないですけどね、本当は)
武道も、幾らやっても喧嘩が即強くなる訳ではありません。
決められたルールの中で幾ら強くても、ルール無視の実戦の世界では通用しない事がよくあります。

 本当の修行は、今、生きている実生活の中にこそあります。
朝起きて、夜に寝る。
家庭の中で過ごす、仕事をする、遊ぶ、そんな中に沢山の修行があります。
毎日を、一瞬一瞬を意識する時、その中に沢山のヒントがあり、ステップアップの為の材料があります。
自分を見詰める時間、それが祈りや道場での練習の時間と云う事も言えるでしょうね。

 メリハリを持ち、自分の生き方に誇りと自信と責任を持って、毎日を明るく、楽しく生きる事、そんな中にこそ本当の修行はあります。
ダラダラ、グジグジしていると、頭も心も魂も腐って来ます。
折角の人生、折角の時間、折角の与えられた修行、無駄にしたくないですね。

欲しいと思うもの

2007 - 11/01 [Thu] - 02:12

 人間って欲張りなもので、いつでも何かを欲しいと思っています。
アクセサリーや洋服などのファッション、それもブランドが欲しいと云う人。
自分の持ち家が欲しいと云う人。
贅沢な生活が欲しいと云う人。
ストレートにお金が欲しいと云う人。
地位や名誉など、権力が欲しいと云う人。
もっと身近に、美味しいものが食べたいと云う人。
そして、結婚したいと云う人。
自由が欲しいと云う人。
等々、数えて行くとキリがない程、人間の欲は多種多彩と云うか、終わりがないものだと思います。

 「悟りを得ると、欲がなくなる」と思っている人が殆どだと思います。
これ、大嘘ですよ。
悟っても、悟っても、欲はなくなりません。
ただ、欲の性質が変わるだけです。
利己的な欲が、他利的な欲に変わる。
形は変わっても、欲は変わりません。

 人が生きて行く上で、求め続け、追い続ける、最終的な欲は何でしょうか?
幾ら地位や名誉やお金があっても、豪華なファッションブランドに身を包んでも、絶対になくならないどころか、どんどん高まって行く欲があります。
それは、自分の居場所、そして自分自身の中の確信です。
本当に心の底から安心出来る安住の地。
それは場所だったり、家庭だったり、人だったりします。
人間は一生かけて安住の地を求めて生きます。
また、自分の中に確信を持ちたい。
自分は何の為に生きているのか、自分は一体何なのか、自分の本心は何なのか。
そう云う確信が持てた時、本当に自分らしく、飾る事なく生きる事が出来るでしょうね。
自分探し、これも一生をかけてやっているのが人間です。

 永遠のテーマ、これを探し求めて生きて行くのも楽しいですね。
ちょっとやそっとで見つからない最終目標だから、ずっと楽しめます。
そんなつもりで人生を歩いてみるのも良いかもしれないですよ。

 | HOME | 

プロフィール

島津 成晃

Author:島津 成晃
Adept・Mentor 島津相談室主宰
人生のあらゆる問題の相談に乗って来ました。
元気になって希望を持って帰って戴く事が私の願いです。
スピリチュアルな目と、冷静な分析で御相談に乗ります。
御相談はHPの方からお願いします


関連ブログです。
Adept・Mentor 島津成晃の独り言
Mentor 島津成晃の独り言

だんな様は霊能力者
だんな様はメンター
島津成晃の見つけた良い物
神ながらの道

最近の記事

カテゴリー

ブログ検索

twitter Facebook

adeptmentorをフォローしましょう Naruaki Shimazu

バナーを作成 Instagram

フォト蔵

本コンテンツをご覧になるには、Flash Playerプラグインが必要です。FlashのWebサイトよりインストールしてください。

月別アーカイブ

リンク

RSSフィード

QRコード

QR