感じたり思った事を書いて行きます。 時には秘伝などを書く事も。 空手や色々な趣味の話も。

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オール・スター

2007 - 10/31 [Wed] - 02:25

 今日の空手、とても激しく、楽しい時間でした。
選手クラスの道場生達がゾロゾロ、3年ぶりの女性も参加、仕事を終えて集って来る人達。
活気があって、活き活きしていて、延々とスパーリングをして、とても充実していました。
流石に選手クラスは強いし、早いですね。
でも、それが楽しい。
初心者達もどんどんモチベーションが上って来て、力みになってしまうものの、そう云う意識の高さがとても心地良い感じでした。
まるでオール・スターの様な感じでしたが、こう云う日は厳しい練習もいつの間にか過ぎて行きます。
無意識に集中力が高まっているのを感じます。
静と動、メリハリのある動きの中に、相手と会話している感覚がとても心地良かったです。

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端末

2007 - 10/30 [Tue] - 02:52

 昨日の月例会の中の勉強会で話していましたが、世の中で通りが良いので霊能者と云う名称も使っていますが、やはり私はちょっと違うなと思っています。
敢えて「Adept・Mentor」と云う名称を用いているのは、私が霊を扱えるとか、予言するとか、透視するとかだけを仕事にしている訳ではないからです。
人生相談あり、子育て問題あり、教育あり、ビジネスの相談も多く、常識や作法などの教授もあり、自己啓発あり、密教伝授あり、さてさて私は一体何屋さんかと自分で解らなくなる時があります。

 私は私でしかなく、島津成晃と云う一人の人間です。
その私の所へ皆が相談に来て、問題を解決し、学んでいます。
しかし、たかが一人の人間がどれだけの事が出来るかと考える時、やはり私個人、人としての私の能力を遥かに超えた仕事をしている実感があります。
自分でも、よくやっているなぁ~、と自分を誉めてやりたくなる事もあります。

 自分がやっている仕事や、自分の能力を分析して行くと、私はやはり端末であり、膨大な容量の何かからの情報を得て、それを人間に解る様に翻訳して伝えているのだと感じ、確信しています。
でなければ、今の私のしている事は、自分の能力や経験や知識の幅からすると、余りにも超越してしまっています。

 心と精神と魂を素直に開いて純粋を保つと、こうなると云う見本が私なのかもしれません。
何れにしろ、私はやはり霊能者と云うジャンルからは大分外れている様に思います。
やはり、Mentor(メンター)なのでしょうね。

月例会

2007 - 10/29 [Mon] - 01:36

 今日は、月例会でした。
相変らずと云うか、益々と云うか、ホットでディープでハードな一日でした。
皆の護身法がどんどん進化し、それぞれが放出する気の量が半端じゃないので、まるで蒸し風呂の様になっていました。
この季節に、思わずエアコンで冷やす程でした。

 そのすぐ後に不動明王の縁日の祭礼、そして一休みしてからの勉強会。
特に勉強会は、話題がどんどん広がり、ディープな話となりました。
初心者には難しかったかもしれないですね。

 先日の瀧のDVDを観て、瀧をはじめとする修行論、その後に、修行に続く悟りと云う事についての話題、それから霊能者論、どう見えるか、どう感じるかと云う話、その霊感の来るメカニズム、そしてその意義の話題、そう云う広がりを持つ事が出来るのがこの月例会の楽しさでもあり、またある意味では厳しさでもあると思います。

 楽しく、深く、そして厳しく。
そのバランスを保ち、常に意識を高く保って行くのは、難しいですね。
でも、有難い事に、月例会に参加している人達の殆どが、とても心が純粋で、真っ直ぐで、高い意識レベルを持っています。
ですから、私ではなく、皆で引っ張って行ってくれている感があります。
こんな楽しい月例会をずっと続けて行きたいですね。

井の中の蛙、大海を知らず

2007 - 10/28 [Sun] - 02:57

 自信あり気な人ほど、こうあらねばならない、と言い切るとか、自分の価値観を押し付ける人が多いですね。
これが正しい、これは間違い、これは綺麗だけど、これはダサい、これ以外は考えられない、等々。
聞いていると、確かに理屈は通っていたりします。
ま、正論と云うやつですね。
でもね、人間って正論だけで生きて行けるほど、強くないと思います。
グレー・ゾーンがあるから、適当に力も抜けるし、違う価値観を持った人とも付き合って行ける。
自分の価値観だけに固執していると、違う価値観の人と必ずぶつかる事になりますし、それがひいては戦争やテロに繋がります。

 が、第三者として冷静に見ていると、そうやって固執している人ほど、「井の中の蛙、大海を知らず」と感じてしまいます。
自分の属している世界、そこで生きていると、知らない内に「朱に交われば赤くなる」で染まって行き、その世界での価値観だけが正しいと思い込んでしまう。
人が集るコミュニティーや、属する世界と云うのは、一つの価値観でまとまらないと混乱に繋がりますから仕方ない事なのですが、それでは視野が狭くなってしまって、固執してしまう事になる可能性がありますね。
その世界では正しいですが、広い世間の中の眼から見た時、さて、人としてはどうなんでしょうね?
そう云う思い込みや、ある種の洗脳があるからこそ、その世界で生き残って行く事が出来るのかもしれないですが、人間的魅力には欠ける気がします。
また、仕事でも、広く世間と付き合って行こうと思うなら、違うものを見て学ばなければいけないですね。

 何でも興味を持ち、何でもやってみて、何でも学んで行く意識が凄く大切な事だなと思います。

何様のつもりかね?

2007 - 10/27 [Sat] - 02:39

 今日、マスコミ各社で亀田興毅君の謝罪会見を放送していました。
見ていて、段々と憮然として来たのは、私だけではない様ですね。
いつも思う事ですが、マスコミの取材レポーターって、一体何様のつもりでしょうかね?
正義の味方を気取っているつもりか、相手の揚げ足を取って突っ込み、細々とくだらない質問を繰り返し、追込む。
相手の都合も考えずに、押し掛けて囲む。
そして、それが問題となると、一転して姿を隠して逃げる。
こう言っては何ですが、たかが20歳の若蔵に対し、次から次へとされる質問のしつこさと、くだらなさ、容赦の無い言葉には怒りさえ覚えました。

 私の相談者にもマスコミ関係は沢山います。
また、取材申し込みや、出演依頼もあります。
が、その殆どをお断りしている理由は、こんな所にあります。

 節操がない。
その一言に尽きますね。

口先人間

2007 - 10/26 [Fri] - 02:49

 昔、口裂け女と云うホラー話が流行りましたが、今日の話題は口先人間。(笑)
ホラーではないですから怖くはありません。
が、話していると段々と腹が立って来ます。
言葉に心がこもらないと云うか、何も伝わって来ません。
慇懃無礼と云うか、言葉は丁寧ですが、全く口先だけで実がありません。
これは掲示板でも同じ事を感じる様な書き込みがあります。
その場だけ取り繕えば良いと思うのか、深く物事を考えないのか、真剣にならないのか、何れにしろ、私は心で付き合えない人は好きではないので、段々とムカついて来ます。(余程でないと、本人に噛み付いたりしませんけどね)(笑)

 現代人は教育を受けている故に、理屈だけは立ち、口だけは達者と云う人が多いですね。
が、口にする事と実際にやっている事がバラバラ。
人の仕事に口だけ出して、手を貸す事もなく、勝手な事だけ言って去って行く人。
自分が元凶なのに、大した事ではない様な顔をして、ヘラヘラと笑っている人。
約束事が守れないのに、ああだから、こうだからと、言い訳ばかりで何もしない人。

 口先人間、言葉を変えると言うだけ人間は、昔から銭湯とか、具の無い鍋と言いますね。
ま、下手な洒落ですが、中身がないと云う意味では、正解でしょうか。
有言実行、不言実行、どちらでも良いですが、有言不実行や不言不実行は恥と思って生きていたいですね。

自分の意思と考え

2007 - 10/25 [Thu] - 02:21

 どんな場面でもそうですが、仕事でも家庭でも友人関係でも、自分の意思や考えをハッキリと口に出して言うと云う事はとても大切です。
日本の文化は控え目で恥の文化と云い、出しゃばり過ぎない事を善として来ました。
が、海外へ出た事のある人は分るでしょうが、自分の意思や考えをハッキリと言わない日本人は、彼等に取っては不気味でしかなく、また時には嘗められてしまう結果となります。

 ハッキリと言わない人は、相手に心や思いが伝わらないと云う事があり、相手から押し切られてしまうと云う場面が沢山あると思います。
何で解らないのか?と苛々する事も多いでしょう。
が、言わない方が悪い。
争いを怖れ、相手からどう思われるかを恐怖していると、何も言えなくなります。
曾ての日本なら、言葉にしなくても解る、解り合うと云う文化ですし、実際にそうしていたと思いますが、現代人はそう云う優雅な文化の中で生きていません。
ですから、言わなければ解らないし、解り合えないのが現実です。

 感情論になってしまっては、喧嘩になってしまうので良くない事もあるでしょうが、例え争いとなっても、言うべき事を言う方が、互いに本音で付き合って行けると思います。
その時に使うべき言葉遣いと云うのは、当然、良く考えなければ行けませんが。

 我慢する事だけが、相手の言う事を聞くだけが、人として正しいと思うのは間違いです。
特に仕事では、スムーズに進める為には、時には強さも必要ですし、強弱を上手く使い分けて、言うべき事は言うべきです。
それが、例え親であっても、上司であっても、大切な相手であればある程、ハッキリと言う方が心が通じるものです。

抜き足、差し足

2007 - 10/24 [Wed] - 02:45

 今日、道場へ向う前、さぁいざと思って車に向うと・・・、小さな足跡がついていました。
それも前のボンネットから、ずっと後ろへ向って、後ろのトランクの上まで。
そこでUターンしたらしく、また前へ向って。
それを見て妻が大爆笑。
私もその足跡が可愛くて、消さないでおきました。

 私の家の周囲には猫が沢山います。
ずっと以前に御紹介した挨拶猫は、老化したのか亡くなったのか、暫く見ていませんが、ここ暫くは家の近くで集会をしています。
本当にまるで話しているかの様に聞こえる鳴声は、猫が人間の様に鳴声でコミュニケーションを持っているのだと感じる事が出来ます。

 庭にも猫が良く立ち寄ります。
時には堂々と横になって日向ぼっこ。
我々の顔を見ても逃げません。
人に慣れ過ぎていると云うか、どこかの飼い猫かもしれないです。
多分、今日の犯人もその猫でしょう。

 どちらかと云えば犬派の私ですが、猫も見ている分には絵になりますね。
私の車の上を歩いていた猫、一体何が目的だったのでしょうか?(笑)

足跡

変わる、変える

2007 - 10/23 [Tue] - 02:52

 人が生きている中で色々な人と関わっています。
そうすると不満は常に出て来ますね。
相手が自分の思う通りにならないと怒ってしまったり、文句を言ったり、相手を変えようと無理な注文をしたり。
そうやっていつも苛々していると、相手も鬱陶しくなって来て、もう良いよって去って行く事もあります。
こちらがキレてしまって去る事もあります。

 人を変えようと思っても、人は変わりません。
誰でも自分の生き方があり、プライドがあります。
自分が変わらないで相手を変えようなんて、やっぱりムシが良いかもしれないですね。

 友達でも恋人でも、そして夫婦でも、自分は変わりたくない。
でも、相手には変わって欲しい。
そんな話を良く聞きます。
う~ん、それってやっぱり・・・。
「一生、言ってろ」と思ってしまいますが。
一応は大人なので、誰にでも言いませんけどね。(笑)

 相手に変わって貰う前に、自分が変わろうと思えないのは何故でしょう?
変わるのが怖いからか、変わる過程でしんどいからか、自分は正しいと思っているからか。
何れにしろ、自分勝手でしかないですね。

 相手を変えたかったら、自分が変わらないといけません。
相手の心に響く様な言葉がある筈です。
どうしたら気持ち良く変わってくれるか、それを考えないと。
その為には、自分が相手の趣味や指向に合わせて変化して行かなければいけません。
そうやって、互いが相手を思い遣って、相手に合わせようとして、段々と近寄って行くのだと思います。
ま、一方的に合わせるだけでは駄目ですけど。
合わせた上で、自分に引き寄せる。
心を通わせる為に、相手に近づくのですからね。

 変わるか、変えるか、無理押しはやっぱり無理だと思います。
自然に変化して行ける様に、気持の良い環境を作って行けば、互いに気持ち良く変化して行くと思います。

日常の中にある事

2007 - 10/22 [Mon] - 02:38

 昔から弟子達に言っている事ですが、物事を考える時、日常の中で、三つのみる「見る、視る、観る」で見なさいと言っています。
まず見て全体をつかみ、ポイントを絞って詳しく視て、その背景に隠された事まで観て行く。
そうすると、その物事の本質が見えて来ます。
何かの問題で困った時、いつもそう云う眼で見る癖をつけておくと、目の前の日常の中にヒントが隠されている事が解ります。

 当り前だから気づかない事、見過ごしてしまっている事、そこに色々なヒントもアイデアも、そして神仏の教えもあります。
特に神仏からのメッセージ、御先祖からのメッセージは、眼の前にこそあります。
別に特別な啓示と云う事ではなく(そう云う場合もありますが)、殆どは眼の前にある事の中にしっかりと現れています。

 偏った目線、狭い視野、固まった価値観では、見えるものも見えません。
日常の中で生きていると、色々な事があって、それに振り回されてしまいますから、見落としている事も沢山あると思います。
しかし、そこに気づくと、世の中が違って見えて来ます。

 こうでなければいけない、こうでなければ価値がない、こうでなければ意味がない、と固執していると、結局は自分の首を絞めている事になります。
日常の中にある当り前の事、自然にある事、そこにこそ真実もあり、究極もあります。

 ちょっとだけ目線を変えてみてはどうでしょうか?
楽しくなりますよ。

自分に素直に

2007 - 10/21 [Sun] - 02:55

 今日、野球ニュースを見ていて、戦力外通告を受けながらも野球が好きで、諦めないで野球人生を歩こうと努力している男達の話がありました。
桑田投手、野茂投手、その他にも沢山の選手が出ていました。
その時に桑田投手が口にした言葉が印象的でした。
4番を打つとか、タイトルとかが好きな選手と、どうであろうと野球が好きな選手がいる。
前者はさっさと止めて行くが、後者はいつまでも止めない。
好きだからこそ、出来る喜び、納得するまで頑張る気持に素直でいられるのだと思います。
だからこそ、人が何と言おうと怖れる事はなく、恥じる事もない。

 自分に素直で、変なプライドを持たず、自分自身の生き方に誇りを持っているなら、何も怖れる必要はありません。
他人がどう言おうと、他人からどう見られようと、それは自分には無関係な事です。
貫く、信念を持つと云いますが、そんな難しい事ではなく、もっと単純に、やりたいからやるのだと云う真っ直ぐな気持を大切にする事だと思います。
そう云う人は失うものがありません。
ですから、いつも裏表がなく、真摯です。
そう云う人の放つオーラは、とても純粋で美しく感じます。
それは、ある種の迫力とも云えるでしょう。

 それを見て、凄いなぁ~と感動出来る人、畏れを感じる人は、自分もそうなる事が出来る可能性がある人だと思います。
凄いと思うなら、畏怖を感じるなら、自分がそうなれば良いのです。
その為には、無駄な装飾を捨て、着飾るのを止め、格好をつけるのを止めて、真っ直ぐに自分の目指す所を歩けば良いのです。
強さも必要です。
でも、本当に思うなら、強くなれるものです。
今は、弱くても良い。
いつか強くなれたら。
そう思って、真っ直ぐに、自分らしく歩いて行きたいですね。

ツール

2007 - 10/20 [Sat] - 02:43

 私は写真が好きで、高校生の時から一眼レフでスナップを撮っています。
風景写真が主ですが、時には人を撮ったり、動物を撮ったり、花を撮ったり、また物撮りではないですがマクロで小さな物を写真に収めています。

 私はプロではないので、特別な機材は何も持っていません。
フィルムを使う一眼レフ、デジタル一眼レフ、それに広角から望遠まで使えるズーム、そして外付けのストロボ、三脚を数台位です。
後は工夫ですね。
マクロの時はトレーシング・ペーパーやティッシュを使って、ストロボの光を和らげたり、人を撮る時にストロボを上に向けてバウンスさせたり。

 良い写真を撮る為には良い機材があるに越した事はありません。
その方が楽に綺麗に撮れます。
が、ないならないなりに、工夫です。

 また、今は撮った後の処理がPhotoshopで出来ます。
と云っても、私が持っているのは、簡易版のPhotoshop elements と云うsoftです。
これで充分なのです。
どうしたいかと云うイメージさえ出来ていれば、高度なsoftは必要ありません。

 ツールは、どう使うかです。
高度な、高級なものを使っても、使いこなせなければ宝の持ち腐れでしかありません。
中級のツールでも、完全に使いこなせなければ、高級なものを使いこなせていない時よりも良いものが出来上ります。

 道具は使うものであって、使われるものではありません。
特に写真と云うものは、その人のセンス、イメージが大きく左右します。
何を撮りたいのか、何を強調したいのか、何を消したいのか、また何を表現したいのか。
それが決まっていれば、自ずと構図もシャッタースピードも絞りも決まって来ます。
その後の処理も、決まってしまいます。

 道具に頼るのではなく、自分の創意工夫と意識の持ち方で、良い写真と云うものは撮れるだろうと思います。
と自慢出来る程の腕は私にはありませんが、自分で満足して人前に出せる程度の腕はあるかな?と自負しています。

どの観点から見るか

2007 - 10/19 [Fri] - 02:20

 良く妻や弟子達から聞かれるのですが、「これは正しいのですか?」と云う問いに対して、私は大抵は「どの観点から見て?」と答えます。
例えばPCのソフトやOSがバージョンアップしたとします。
機能がアップし、使い易くなっている筈です。
が、一般のユーザーにとっては無用の機能かもしれませんし、必要ない機能かもしれません。
スピードの向上や使い易さは上っていても、人によってはそれが却って煩雑と云う事もあるかもしれません。

 価値観や視野は国や地域によっても、また時代によっても、異なります。
日本で正しい事が西洋諸国では間違いと云う事は良くある事です。
曾て正しかった事が、現代では間違いと云う事も。

 文明の進歩は文化の進化とは異なります。
どんどん便利になって行く現代社会が、本当に人の心を表しているのかと考えると、肯定出来ない部分もあります。
だからと云って、過去が良かったのかと云うと、それも違います。

 誰にとって、どの社会にとって、またどう云う観点で物事を見るかによって、正しい・間違いは違います。
こうでなければならないと云う論理は、視野の狭い、固執した論理であると思います。
多くの人が関わって成立しているのが社会であり世界です。
自分だけの論理で物事を考えて進めると、それが争いの元になります。
そう云う問題、沢山見聞きしますね。

 自分を確立すると共に、周囲の人達の論理も認めて行ける様な、広くて柔軟な心を持っていたいものだと思います。

何の為に

2007 - 10/18 [Thu] - 03:48

 良く話題に乗るのですが、何の為に・・・と云う事って、大切ですね。
仕事は何の為にするのか?
お金の為、名誉の為、誇りの為、その仕事が好きだから、、、、、。
修行は何の為にするのか?
幸せになりたいから、自分を見つめたいから、強くなりたいから、大きくなりたいから、神仏が好きだから、、、、、。
空手は何の為にやるのか?
強くなりたいから、健康の為、ストレス解消、身を護る為、選手として名を上げる為、、、、、。

 どれも間違いじゃないし、どれも正解じゃない気がしますね。
また、やっている内に目的が変わって来る事も良くあります。
理想に燃えて仕事を始めたら、現実に直面して、好きだった仕事がお金の為の仕事になっていたとか。
選手になろうと思って始めた空手が、やっている内に試合よりも大切な事に気づいて試合に興味がなくなったとか。
幸せになりたくて修行を始めたのに、それは間違いなのだと気づき始めて、自分を高める為の修行に変わったとか。

 どれを選ぶも自分次第です。
が、目的意識を明確にする事って大切だなと思います。
人は一つの事だけで生きている訳ではありません。
仕事だけが人生ではないし、修行だけが人生ではないし、空手だけが人生ではありません。
私の古い弟子が「遊ぶ為に仕事してお金を稼ぐ」と言っていた事を思い出します。
その後、彼は仕事そのものを楽しむ様になり、仕事の中に喜びを見出して来ました。
目的が変わったのですね。
また、ある弟子は幸せになりたくて修行を始め、今は自分を高める為に修行しています。
不思議な事に、幸せになりたくて修行していた頃は、手に届きそうになる幸せがスルッと逃げていました。
ま、幸せになろうと修行すると云う事は、神仏と取引しようと云う事ですし、修行しているのだから幸せにして貰えるだろうと思うと云う事は、「神仏の為に修行しているのだから、報酬が欲しい」と云う事か?と思ってしまいます。
が、その意識が消えかけたと同時に、幸せになりました。

 色々な事が重なり合って人は生きています。
一つの事に囚われ過ぎていると、他の事を妥協したり、捨てて行かなければなりません。
どこまで専念するか、どこまでやるか、それは目的意識の問題です。

 自分の人生は自分で決めて、自分で切り開く。
人から与えられたものであってはいけません。
全体のバランスを考えて、敢えてアンバランスにするか、バランス良くするか、大切な自分の人生ですから、人に決めて貰うのではなく、決められるのではなく、自分で決めて歩いて行きたいですね。

それぞれのスピード

2007 - 10/17 [Wed] - 03:03

 人に指導したり、育てたりしている時、どうしても相手の成長が遅いと苛々したり、怒ったりします。
私も曾てそうでした。
否、今でも時々そんな時があります。

 が、人は自分のスピードでしか歩けません。
無理矢理に引っ張ったら、きっとコケてしまって立ち上れなくなるでしょう。
或いは逃げてしまうでしょう。
指導する側、育てる側からすると、それは本末転倒ですね。
遅くても、ゆっくりでも、後戻りしても、確実に少しずつでも前へ進んでくれたら、喜びとするべきです。

 自分がやった方が楽。
そんな気持になる事はしょっちゅうです。
が、見ている我慢、待つ我慢、いつの日かと期待する心。
そんな気持を持ち、伝え続ける事、そこに尽きる気がします。
絶対に諦めない事。
それは、育つ本人だけではなく、育てる、指導する側にも云える事ですね。

誇りある仕事

2007 - 10/15 [Mon] - 23:54

 世の中には、休みも取れない、勤務時間も決まらない程、厳しい仕事が沢山あります。
特に、警察官や消防士、自衛隊等の、国家や国民に奉仕する仕事。
そして、医療(医師や看護婦)。
また我々、霊能者や行者など、人生を左右する相談を受けている人達。

 どの仕事も、その職業を選択したならば、ある程度は(それ以上かもしれませんが)、個人的な事は犠牲にせざるを得ません。
事件はいつ起きるか解りません。
火事もいつどこで発生するか解りません。
災害や戦争もどこでどの様に発生するかなど、予想出来ません。
病気も同じ、常に緊急を要します。
私も20数年仕事していますが、常在緊急時の心で24時間いつでも相談を受け、祈念し続けると云う覚悟で仕事して来ました。

 周囲の家族や、その職業に関わらない人達から見れば、それらの仕事は厳しいだけで、報われない、また休みもまともに取れない嫌な仕事にしか見えないでしょう。
が、それはどちらから見るかと云う問題です。

 自分の人生をかけて人に奉仕する仕事、やり甲斐もあれば、命を懸けてやっている誇りとなります。
この仕事をして行くには、覚悟をしなければなりません。
それが出来ない人は、他の職業を選ぶしかありません。
本当に心から誇りを持って出来る仕事に就ける事の意義、また選ばれた少数精鋭である事の誇り。
それを感じる事の出来る人だけが続けられる仕事です。

 家族の都合、また周囲の人の都合、その目線だけでこれらの仕事を見る事は、そこで命がけで働く人達の誇りを汚す事になります。
人として生きる上でのバランスとして、適度な休みも必要ですし、趣味も大切ですし、勿論ですが家族も大切です。
しかし、それを犠牲にしてもやらねばならない事がある、それがこれらの仕事です。

 職業を取るか、自分の時間を取るか、どちらを選ぶかは本人次第ですが、周囲の人が、これらの仕事を嫌な仕事だと腐す事は絶対に許されません。
誇り高く、命を懸けて仕事をしている人達の行為を汚す事となります。

 外からしかそう云う仕事をしている人を見ないのが普通ですが、厳しい仕事をしている人達の事を理解してあげられたら良いなと思います。

新極真会世界大会本戦

2007 - 10/15 [Mon] - 01:38

 昨日に引き続きですが、今日も新極真会世界大会の本戦を観戦して来ました。
激闘と云う言葉が相応しい、素晴しい試合が続きました。
外国勢の強さには驚かされると共に、日本勢の危うさが目立ちました。
男子はかろうじて優勝を日本が死守しましたが、女子は残念ながら日本人選手は3位に終って仕舞いました。

 しかし、勝っても負けても、日本人選手達がその肩と背中に、日本の優勝を死守しようとする決意と、外国勢の強さに対するプレッシャーを感じて戦っていた事が、手に取る様に感じられました。
その中で必死に自分の持てる力を出し切ろうとする姿は、感動を与えてくれました。
勝ち負けは結果論、やれるだけの事を命がけでやる。
とても美しくさえありました。

 自分が強くなりたい、勝ちたい、優勝したいと云う思いと共に、勝たねばならないと云う重圧。
それに向って努力精進し、心を定めて力を出し切る。
羨ましくもあり、尊敬に値します。
負けない様に、一生懸命、人生も仕事も頑張らねばなりませんね。
そんな思いとエネルギーを貰えた大会でした。

新極真会世界大会

2007 - 10/14 [Sun] - 02:24

 今日13日(土)と明日14日(日)は第9回新極真会世界大会です。
明日も観戦に出かけますが、世界から集った猛者達の姿は、とても迫力あるものでした。
日本勢にとっては厳しい結果が出て来ていますが、女子大会もあり、とても充実していると思います。

 観戦していて感じるのは、やはり今まで鍛錬して来た、その日々です。
それぞれが今日を目指して頑張って来たのだろうし、勝っても負けても、ここまで来た日々は決して無駄にならないと思います。
潔く、全てを出し切って戦う姿は美しくさえあります。
微妙な判定ではブーイングも出ますが、誰が見ても納得する様な試合をして欲しいものだと思います。
何でもそうですが、誰が見ても納得出来る様な姿を見せる事が大切ですね。
その姿勢でやっていれば、結果がどうあろうと、人は納得し、その人を尊敬します。
中途半端は、やはり良くないなと思いました。

 速報が出ています。
URLを載せておきます。
第9回新極真会世界大会速報掲示板
http://jbbs.livedoor.jp/sports/4796/

新極真会世界大会.01

2007 - 10/13 [Sat] - 02:16

 写真を見ていたりすると思うのですが、人の顔は人生を表すと云う言葉が真実だなと思います。
顔や手など、表現する場所は心をも表しています。
特に、眼や口、手などは、本当にその人の隠された部分まで表していると思います。
幾ら顔が笑っていても、眼は笑っていないとか、口が少しだけ歪むとか、手が落ち着かないとか、心の状態が表れます。

 また、顔を見れば、その人が幸せかどうかは霊感を使うまでもなく、一目で解って仕舞います。
金銭的な、或いは家庭的な苦労をしている人は、頬骨の上に染みが出来て来る人が多いなどは一例です。
顔に品がある人、顔が下品な人、また職業に依って人の顔は似て来ます。
医師は医師の顔をしており、時には専門の科目に依って顔で解る場合もあります。
不思議なものですが、観察力を上げると解る様になって来ます。

 良い顔をしていたいものですね。
印象が良いと云う事は、良い顔をしていると云う事であり、説得力のある人は眼に力があり、手に表情があります。
唇の綺麗な人は、生活が安定していると云います。

 自分の顔を意識して、人生を振り返ってみるのも一つの方法としてあるかもしれないですね。

準備と本番と終ってから

2007 - 10/12 [Fri] - 02:22

 今日、先日行った瀧修行の写真を整理していました。
皆が修行する前と後では顔が変わって、とてもスッキリしているのを見ながら、自分はと云うと、う~ん、我ながら瀧に入る前は眼が据わってるなぁ~、と苦笑していました。

 修行は、その計画を立て始めた時から、そして準備を始めた時から、既に修行に入っています。
そして、本番が終わり、家に帰り着いて仏壇なり祭壇に修行の報告をし、そこで修行は終ります。
初心者はよく、本番だけが修行だと思ってしまう様ですが、一連の全てが修行です。
そこを忘れると、完全な修行は出来ません。

 また修行が終ったら、それで終り・・・・・、では駄目ですね。
修行でリセットしたら、俗界に戻った時に、もう一度、俗界向けにリセットしないと、感覚が上っているだけに息苦しくて娑婆で生きて行けなくなります。

 それから、修行を終えただけでなく、何が良くて、何が悪かったか、振り返り、考える事が必要です。
修行をして力を得て、感覚も上り、研ぎ澄まされても、俗世に戻ったら苦しい事は幾らでもあって、何も悟れていない事に気づくでしょう。
何故だろう???って、考えて下さい。
考えて、考えて、考え抜いて、それでも答えが出なくて、それでまた修行に行く。
そして、また駄目で、また思索して、追求する。
その繰り返しの中で、理屈ではなく解って来る事があります。
そこにこそ、光りはあります。

 修行は、本番だけで終わりではないのです。
前も後ろも、全て修行です。

家庭

2007 - 10/11 [Thu] - 03:17

 今年は結婚する人が多く、何だかラッシュの様に彼方此方から報告や相談があります。
私の弟子も今年、結婚しました。
遅くなった春ですが、今はとても安定して幸せな姿を感じます。
外国帰りの彼は、結婚した事で生活が安定したのか、とても穏やかになった様に見えます。
もうすぐ、また私の空手の後輩が結婚します。

 家庭とは安住の地であり、帰るべき巣です。
家庭の中が安定していると、また居心地が良いと、それだけで全て癒される気がします。
長年、成長が滞っていた弟子が、急速に成長し始め、どこか頑なだった部分が薄れて来ました。
また、これから結婚する彼は、何かに目覚め始めている気がします。

 家庭、そしてパートナーとは、こんなに大切で、また大きなものなのだなぁと、改めて感じます。
良い家庭を作る、安住の地にして行く為には、互いの思い遣り、そして何よりも心を開いて素直に自分を相手に見せて会話する事が大切だと思います。
テクニックではなく、自然な心で、自然に相手を思い遣る。
それがとっても重要なのだなと思います。

目標が無い

2007 - 10/10 [Wed] - 03:15

 最近の若者は目標が無いと云います。
でしょうね、余りにも満たされているから。
何か特別な事に興味を持つ事もなく、目先にある色々な事も楽しいと思えない。
皆、頭の中で勝手な想像と、中途半端な知識で解って仕舞った気になっている。
でも、我々も同じだった様に思います。
生きていて、目標が決まる人って、そうそういないと思います。
ただやらなければいけないから、義務だから、親や先生が怖いから、また何かから逃れる為に、やるしかなかった、と云う所でしょうか。
やるしかないからやっていたら、いつの間にかその道の中に目標が生れて来て仕舞った。
そんなものですね。
目標が無いから、面白い事が無いから、頑張れない。
甘ったれるなと云う感じですね。
また、甘やかすなと云う感じです。

 飽食の時代(古い言葉ですが)、何でも手に入る時代、何をしていても生きて行ける時代、良い事ばかりではないですね。

瀧修行

2007 - 10/09 [Tue] - 02:22

 本日、瀧修行をして来ました。
思っていたよりも水量も少なく、また水温も気温も高く、初心者には楽だったかもしれません。
とは云え、瀧の持てる力を最大限に引き出した上での瀧修行は、激しくも厳しいものだったと思います。
勇気を持って、皆、気合いを入れて修行をしました。
出た後の爽やかな顔は、やって良かったと言っていました。
何枚か写真をアップしますので、ご覧下さい。
出流山瀧修行.01

出流山瀧修行.02

出流山瀧修行.03

瀧修行

2007 - 10/08 [Mon] - 02:29

 明日、正確には今日ですが、久々に瀧に行って来ます。
場所は栃木県の出流山と云う所にあります。
昔、20代の頃に通い詰めて瀧修行をした場所です。
ひょんな事から弟子達が集って瀧修行をする事となり、最初は弟子に任せるつもりでしたが、ついつい乗せられて?(笑)私が指導する事となりました。
ま、一度だけ指導者講習として弟子に指導するのも良いかと思っています。
指導補佐、次回からは指導する弟子は、もう私の所で20年修行しています。
瀧もベテランです。
が、自分が入るのと、人を入れるのとは違います。
そこの所を指導しておきたいと思った訳です。
私も久々なので、やはり少し緊張しています。
でも、それで良いのです。
緊張し、怖いと思う事、だからこそ気合いも入り、アドレナリンが上ります。
そう云う気持を受け止め、正直である事、そしてそれを乗り越える事、それが修行です。

戦略

2007 - 10/07 [Sun] - 01:55

 近くにTESCOと云う外国のスーパーが進出して来ました。
イギリスの大手スーパーの日本進出の中での事ですが、行ってみて正直な所、これは難しいなと思いました。
戦略では、「東京のお客様は、鮮度の高い食品を少量、毎日、買い求めるという傾向があるため、従来のハイパー(大型)マーケットの形態では地域のお客様のニーズを満たすことはできません。英テスコが日本市場に進出するに当たって、加工食品を専門とするディスカウント・スーパーマーケット事業者を買収するという手法を取ったのは、そのような背景があった」と云う事なのだそうです。
が、近くに大きなスーパーがあります。
良い商品が集っていると有名な所が2店舗。
その近くに新規オープンしたのですが、商品は正直、感心出来るものはありませんでした。
既存のスーパーと変わらないと云っても良いでしょう。
他の地域は解りませんが、この辺りではかなり苦戦するだろうと云う予想が立ちます。
TESCOでしか変えない物と云うのが、少ししかありません。

 戦略は色々な視点から決定して行きます。
マーケッティングにより地域性を調査し、購買層を見極め、自分達の主張を明確にして行く。
一面的に、東京では・・・と云う戦略では、苦戦するだろうと思います。

 仕事では勿論ですが、人生でも何かを目指す時、戦略と云うものは大切です。
どうすれば良いのか、何をしてはいけないのか、大切にするべきは何か、そう云うものを見極めた上で、時間をかけて戦略を決めて行かなければいけないと思います。
広い視野と、柔軟な価値観と、何よりも人間が介在しているのだと云う事を忘れると、間違った戦略となって仕舞います。
大切なのは心です。
どうすれば人に伝わるのか、喜んで貰えるのか、そこを忘れると大きな損失となって仕舞うかもしれないですね。

 何れにしろ、まだオープンしたばかりです。
これからのTESCOを見守って行きたいと思います。

バットマン・ビギンズ

2007 - 10/06 [Sat] - 03:02

 最近はTVで映画は殆ど観ません。
DVDでは観ますが、地上放送の映画は殆どが、カットされ、日本語吹き替えで、字幕もなく放送されているからです。
字幕を読むにしても、原語で観ると独特のニュアンスや匂いが伝わって来ます。
が、久々に今日は「バットマン・ビギンズ」を地上放送で観ました。
バットマンは、子供の頃にTV番組でやっていたのを観ていましたが、最近の映画のバットマンはどうも暗くて、ストーリーも只のエンターテイメントになって仕舞っている気がしていて、あまり興味を持てませんでした。
それはそれで楽しめるのでしょうが、舞台であるゴッサム・シティーの暗さが何とも云えず、またバットマン自身のネクラさがどうも好きになれませんでした。
が、以前から今日の映画には何となく面白いかもしれないと思っていました。
で、観た感想ですが、面白かったですね。
バットマンがネクラなヒーローになった経緯、それを支える人達の顔ぶれ、そして善と悪の紙一重の信念。
良く描かれていたと思います。

 善かれと思ってやる事も、やり過ぎれば悪に変わる。
思い込みは人を惑わします。
そして人は知らず知らずの内に悪に染まって行きます。
何が善で何が悪か等と安易には言えませんが、そう云う場合が多いのではないでしょうか。
それが極端になった時、テロとなり、戦争となって行くのだと思います。

 善悪の基準など、地域によっても、時代によっても、また人種によっても違います。
何を以て善とするか、また悪とするか、思い込みで走って仕舞うと大きな間違いへを自分を進めて仕舞うかもしれないですね。

のりしろ

2007 - 10/05 [Fri] - 02:57

 何気なく深夜番組を見ていたら、笑福亭鶴瓶氏が色々な人と対談をしていました。
泉ピン子さん、さんま氏、武田鉄矢氏等ですが、長年芸能界で生き残っている人達のトークは、素晴しい間と強弱があり、久々に大爆笑しました。
独特のキャラクターを持つ人達が話す言葉には、広がりがあり、聞いているとビジュアルが浮かんで来ます。
絶妙なタイミングでのやり取り、関西風で云うならボケと突っ込みでしょうか、芸ではなく、トークでそれが出来る事の奥深さを、笑いながらも感じていました。

 トークが進むと、始まった話題からどんどん外れ、広がって行きます。
が、絶妙なタイミングで、話が戻り、主題はボケないで終ります。
何十年の長きにわたって第一線で活躍する人達の凄みを感じた様に思います。
何と云うのでしょうか、話に、話題にのりしろがあるのです。
それが間となり、広がりとなって行きます。
通り一遍のトークではない、先の読めない面白さと云うのでしょうか。

 私もああ云う風に話せたら良いなと思いました。
それには、広く世を見て、色々な事に触れて、知っておかなければいけないなと思います。
人生、いつでも学ぶ事が出来るのだなと、改めて思った番組でした。

街が変わる

2007 - 10/04 [Thu] - 03:18

 今日、成城まで出かけて来ました。
駅にしたらたった二駅ですが、私が住んでいる所からすると、ガラリと雰囲気が変わります。
大分以前、成城を訪れた時、この街は気の流れが悪く、発展しない気がするなと思いました。
住宅街ですから、繁華街の様に発展する事がないのは当然ですが、何だか段々とさびれて行く様な気がしたものです。
が、ここ数年、状況が変わりました。
駅がリニューアルされてファッションビルとなり、それに伴って駅周辺も綺麗に整備されて来ました。
高級住宅街と云いながら、確かに大邸宅は其所此処にあるのですが、空気が澱んでいたのが、変化して来ました。
しかし、それに伴って、人が集る様になったせいか、空気が悪くなった様に感じました。
気の流れが良くなった代りに、重い気も沢山流れ込んで来ているのでしょうか?
或いは、余りにも人工的な街と化して行く中で、磁場に狂いでも生じているのでしょうか。
歩いていると、何だか頭がクラクラとし始め、頭痛となって行きました。

 街が発展する、変わる事は良い事です。
が、大切なもの、残しておくべきものを失う事もあります。
街としての潤いや心。
新しくなる事、美しくなる事、便利になる事だけが正しい事でも良い事でもありません。
古き良きものを残すのも大切な事です。

 そのバランス、難しいですね。

人前での態度や言動

2007 - 10/03 [Wed] - 03:06

 若い女優が生意気だと云う事で、かなり問題になっていると云うか、話題になっていますね。
何でも元ヤンキーだとか、女王様だとか、確かにTVで見ていて生意気そうで気の強そうな顔をしていました。
が、それを許している大人達の方が問題なのかもしれないな、と思います。
考えてみれば、彼女はまだ21歳とか云う本当に若い年齢です。
あの年齢でスターとなってちやほやされたら、誰でも舞い上がって生意気になるでしょう。
その後、ブログで謝ったとか、共演者に涙を流して謝罪したとか云われていますが、一つの教訓になって彼女が大人に成長して行くか、或いは誰かから潰されるか、どちらかでしょうね。

 私も若い時は、手の付けられない程に生意気だったと思います。
が、裏返せば、私の場合はですが、怖いから突っ張るし、嘗められない様に高圧的になって、アウトローやハードボイルドを気取っていたと思います。
今、真に自信を持って生きている時、あの時代の事は冷や汗が出ると同時に、やはり色々と怖かったのだなと思います。

 生きていると人間関係からは逃れられません。
プライベートでも、仕事でも、誰かと関わっています。
その中で、自分の立場を確立して行く時、生意気はある時期は通ります。
が、それが通用しない相手、また逆効果と云う場合の方が多いですね。
コワモテで、生意気で、活きが良ければ、一見すると格好良いと思う人もいますが、大抵の人は関わっても面倒だから、「そんな態度はしない方が良いよ」とは言ってくれません。
気がついた時には裸の王様になってしまうケースが多いですね。

 人間の信頼は、能力でも、残した成果でも、偉そうな態度でも得られません。
普段の、何気ない、一つ一つの事に対する真摯な態度、心を込めて真っ直ぐな心で自分を相手に理解して貰おうと思う事が、自然と信頼を得る事に繋がり、自分の立場、ポジションを作り上げて行きます。

 不良ぶったり、アウトローを気取ったり、偉そうにしたり、そんな事はいつまでも通用しません。
紳士であり、ジェントルマンであり、礼儀をわきまえ、TPOをわきまえて、相手の解る言葉で話し、相手の好む態度で接する事です。
時間はかかりますが、そうして得た信頼は、そう簡単には消えません。
結果や成果、能力で得た信頼(と思えるもの)は、ミスがあれば、その瞬間に消え去ります。

 最後は人間性なのです。
真っ直ぐで、心を豊かに、穏やかに、人と接して下さい。

脱力

2007 - 10/02 [Tue] - 02:20

 今日、本屋で正宗太極拳の本とビデオを見つけました。
渋谷駅前にある日本唯一の王樹金先生の正式認定道場である団体の初心者向きの本とビデオです。
あの団体は知る人ぞ知る正統派であり、ビデオと云うものは考えられませんでした。
お嬢様が主催された様で、とても良い作りとなっておりました。

 中国拳法は、特に北派の太極拳や形意拳、八卦掌等は、力を抜き、インナーマッスルの動きを大切にします。
空手も最初は力を入れて、徹底した剛の力を用いますが、技を練り込んで行く中で、段々と脱力して行きます。
どちらも行き着く所は同じです。
が、アプローチが全く正反対であり、初心の人は両方をやると迷いが出て仕舞います。

 何でもそうですが、心と身体に力を入れるのは簡単です。
が、正しく力を入れるのはとても難しいものです。
力を入れれば固くなり、力を抜けば弛れて仕舞います。
適度な力と適度な脱力、このバランスが物凄く微妙です。

 何をする時も、適度に力を抜いて、柔軟でいたいものです。
そうすれば、視野も広がり、身体も自由に動きます。
そして、必要な時には必要な力を入れる。

 心も身体も、力加減を上手くコントロールして行けると良いですね。

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プロフィール

島津 成晃

Author:島津 成晃
Adept・Mentor 島津相談室主宰
人生のあらゆる問題の相談に乗って来ました。
元気になって希望を持って帰って戴く事が私の願いです。
スピリチュアルな目と、冷静な分析で御相談に乗ります。
御相談はHPの方からお願いします


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