感じたり思った事を書いて行きます。 時には秘伝などを書く事も。 空手や色々な趣味の話も。

  Adept・Mentor 島津成晃の独り言のナビゲーター   トップページ > 2007年08月  

無自覚性ストレス

2007 - 08/31 [Fri] - 02:09

 生きていると、ストレスからは逃れられませんね。
仕事のストレス、対人のストレス、家庭のストレス、その他にもストレスとなる事は幾らでもありますし、プレッシャーも常にかかっているでしょう。
自分では全くストレスなどないと思っていても、身心は正直です。
物凄く調子が良いと云う事はあり得ないとさえ思えますね。
その証拠に、全てから離れて旅に出たりすると、解放感に驚きさえ覚えます。

 ストレスも、自覚しているものは解消し易いと云えます。
肩凝りや目の疲れ、筋肉痛や疲労等は、解消法がちゃんとあります。
然し、無自覚のストレスは怖いですね。
何しろ自分では感じていないのですから、それが信号を送る時はもう重症だと云う事です。
過労死や脳溢血や脳梗塞等、狭心症や心筋梗塞等は、無自覚性ストレスが原因と云っても過言ではありません。

 何となく疲労が取れない、回復が遅い、常に胃腸の調子が悪い、身体が火照ったり、逆に冷えたりする、頭痛が頻繁にある、そう云う症状がある時は自分で気付かないストレスが溜っている可能性があります。
医師のチェックを受けるなり、マッサージなどを受けてみると良いですね。

 そして、そう云う時は転地療法が一番です。
温泉や、どこか自然のある所への旅、また海外へ出てみるのも良いでしょう。
逃げても逃げられないものはあるでしょうが、少なくとも離れてみると云う事で、かなりの変化がある筈です。
手遅れになってからでは遅いですから、まず自分の調子を振り返ってみて下さい。

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宗教

2007 - 08/30 [Thu] - 03:14

 宗教って、常に人間と共にありますね。
人類創世以来、宗教が存在しなかった時代はないと思います。
世界三大宗教と云われるキリスト教・仏教、回教。
そして、それ以外の名前も知られてない宗教を合わせると、その数は天文学的になるでしょう。

 時に人の拠り所となり、時に人を救い、時に政治の道具となり、宗教は様々な形を見せて来ました。
それが良いとか悪いとかではなく、人が生きて行く上で、神や仏の教え、哲学は絶対に必要なのだと云う事です。
宗教否定論者も多いですが、そう云う人でさえ、日常の中で無意識に、或いは一部分で習慣として受け入れているのが現実です。
文化の中に完全に溶け込み、入り込んで仕舞っています。
何かのデザイン一つ取っても、そこには長い歴史があり、それは宗教的な意匠を原点としているものが沢山あります。
日常使っている言葉や習慣の中には、同じく宗教を原点としているものは、数え切れない程です。

 その長い歴史と、受け継がれて来た人の心と思いを大切にしたいですね。
団体としての、人の集りとしての宗教そのものには色々な賛否があって当然ですが、その源流に流れる純粋な思いと歴史には、敬意を払い、畏敬の念を持っていたいものです。

大人しくしてろ

2007 - 08/29 [Wed] - 02:53

 今日は不動明王の縁日。
経を詠み、真言を唱えて、不動の力を戴く日です。
午前に面接、午後には祭壇で不動明王に祈りを捧げ、その後に妻の英会話。
そして、夜は空手でした。
流石に、これだけハードだとちょっと疲れますね。

 そして・・・・・、道場へ向う前にコンビニに寄って飲み物を補給して道場へ向うのですが・・・・・、コンビニに入る直前、一転かき曇りと云う言葉通り、突然に雨が降り出しました。
そして、稲光に雷。
アッと云う間に土砂降りの雨でした。
それも、尋常じゃない雨で、前が見えなくなる程でした。
傘をさしても無意味な程の雨で、駐車場からコンビニに入る、ほんの数メートルでずぶ濡れとなって仕舞いました。
そして、道場へ車を移動し、まず道着などの入った荷物を妻に託し、先に道場へ入って貰いました。
私はそこから道場の駐車場へ移動、傘をさして道場へ行きました。
駐車場へ向う途中、同じく道場へ通う弟子夫婦に出会いました。
土砂降りの中、駐車場から二人で歩いて来た様です。
う~ん、奥さんだけ先に道場へ入らせれば良いのに、気遣いが足りないなぁ、相変らずだなと思いながら、車を駐車場へ向わせました。

 練習をしていると、暫く雨が続き、止みました。
窓を開けると、涼しい。
あの雨が熱気を綺麗に取り去ってくれた様です。

 休憩時間に「誰の龍だぁ~?」(笑)
ったく、ちょっと大人しくしてろ~、でした。(笑)

 ハードですが、楽しい瞬間です。
毎回、道場へ行くと色々なものが剥がれ落ち、とても楽になります。
指導しているI君、そしてN師範、いつも有難う御座居ます。

適性

2007 - 08/28 [Tue] - 02:02

 どんな職業でも、適性と云うものがありますね。
向き不向きと云うのでしょうか、或いは才能と云っても良いのでしょうか、やはりその人に合う仕事と合わない仕事と云うものがあります。

 ある青年は、接客をさせると完璧と云える仕事します。
天才と云っても良いでしょう。
が、人を使う事、管理する事に関しては、零点に近い。
またある青年は、営業や交渉に関しては職人芸と云っても云い程、素晴しいものを持っています。
が、センスは全くなく、他の面では鈍いとさえ感じて仕舞います。
また、ある青年は、天才的なプロデューサーです。
が、数字も駄目、経営的な事は全く零に近い。
面白いものですね。

 我々、癒しとか相談とかに関わる人間は、特に適性と云うものが大切です。
幾ら技術があっても、心がなければ完全に不適格です。
話術や技術は磨けば幾らでもアップします。
が、相手の立場になって考え、相手の為なら何でもしようと云う心がなければ、仕事は失敗します。
やりたいだけでは出来ない仕事です。
憧れだけでも駄目。
どちらかと云うと、自分を癒す為に始めた事が、気がついたら仕事にさせられていた、と云う感じでしょうか。
痛みを知っているから、人の痛みが解る。
だから、その人の為に必死になれる。

 どんな仕事でも同じですが、相手をしっかり見て、感じていなければ、良い仕事は出来ません。
マニュアル通りに、技術や知識だけで仕事をしていて、関わる人やお客さんの心や顔が見えていないと、それは単なる自己満足です。
適性のない人は、何れ必ずその仕事を失敗し、辞める事になります。
逆に云うと、心があれば、相手をちゃんと見ようとしていれば、適性は合って来ます。
諦めず、毎日を大切に、常に人の顔を見て、心を込めて、責任感を以て仕事していれば、最初は不適格だと思われていても、段々と信頼を得て行きます。

 人は、やはり心なのだなと実感しますね。

月例会

2007 - 08/27 [Mon] - 02:42

 今日は月例会でした。
毎月の事ですが、沢山の人が参加してくれ、護身法から勉強会へと進みます。
今日は、上級と超級の人に奠供、理趣経の読誦もしました。
初級、中級の人には、彼等の良い声は刺激になったでしょうか。
心と魂、肉体、その全てが統一されなければ、良いお経は詠めません。
口先だけの読経は、歌でしかありませんから。

 勉強会では、次の「霊能者と仲間達」の為に、買ったばかりのデジタル・レコーダーに録音しました。
だからと云う訳ではありませんが、話がテーマから広がって行き、かなりディープで、高度な内容となりました。
ま、時にはそう云う話題も良いだろうと思います。
結果的には、インタビューと云うよりは、しっかり勉強会になっていたと思います。

 正しく物事を知り、真っ直ぐな目で全てを捉えて行くと、色々な事が解って来ます。
中途半端な知識や風評に振り回されると、迷うだけですからね。
月例会では遠慮なく、幾らでも質問して下さい。
答えられる事は全て回答して行きます。
秘伝、話してはいけない事は、内緒と云う事で御勘弁。(笑)

自殺

2007 - 08/26 [Sun] - 02:35

 自殺と云う話題が、ニュースにも流れ、仕事でも色々聞きます。
長年この仕事をしていますから、自殺された霊に出会う事も一度や二度ではありません。
自殺の名所と云われる場所に出かけた事もあります。
また、過去に自殺未遂したと云う人にも沢山お会いしました。

 霊的な側面で云うなら、自殺は自らの寿命を、自らの手で途中で断ってしまうのですから、決して許される事ではありません。
それが仏教的に罪であると云うのは、こじつけです。
が、自己の責任を放棄すると云う意味では、罪と云うよりも、死んでも後悔を残す事になります。

 また、そこに固執して離れられなくなった結果としての行為ですから、その思いは簡単には消えません。
自殺霊の多くは、自らが死んだ事に気付かず、「死にたい、死にたい」と行為を繰り返す事があります。
その時に、近くにいる生きた人、何かで気弱になったり、生きる気力を失いかけている人に同調し、その人の身体を使って、行為を繰り返します。
それが続く場所、そこが自殺の名所となって行きます。

 また、中には自分は苦しんでこうなったのにと云う逆恨みで、幸せそうな人を見ると自分と同じ目に遭わせてやりたいと云う、根性の曲がった者もいます。
滅多にある事ではありませんが、自殺の名所と云われている場所では、それだけ数多くの自殺霊が存在していますから、中にはそう云う性質の悪い者もいますし、生きて居る人間側も幸せでありながらも、心の弱い人もいますから、霊によって死に導かれると云う事があります。

 が、そうやって最後の結論を出してしまった人は、ある意味では哀れ、それしか本人にはなかったのでしょうから、その気持も分かりますし、責める気にもなれません。
しかし、本気じゃなく、まるで狂言の様に自殺行為を行う人がいます。
どう考えても失敗するだろう、すぐに発見されて助けられるだろうと云うやり方でやってしまう人。
そして、見つかって、失敗して、助けられたら、すぐにあっけらかんとして、「馬鹿な事をした」と反省している様なしてない様な態度をする人。

 本気でそう云う結論を出す人は、長い時をかけて考え、悩み、最後の決断をします。
ですから、思い出作りをしたり、最後の旅をしたりして、全てを捨てて行きます。
そして、絶対に失敗しない方法を選択します。

 そうではない、まるで狂言の様に自殺行為をする人は、許せないですね。
命を弄び、周囲の人の驚きと慌てる姿を喜んでいるとしか思えないですし、何かの問題についての責任逃れとしか思えません。
そんな事をして、周囲から哀れみを受け、責任が消えると思っているのでしょうか?

 人が最後の決断をする時、それは決して美しいものではありません。
それしかないと追込まれ、それしかないと固執してしまった結果です。
悲しく、哀れです。
その決断をする前に、捨てる事が出来たら、変える事が出来たら、違う人生を歩く事が出来たと思います。
が、そこまで追込まれてしまった信条を思う時、責める事は絶対に出来ません。

 最後に申し上げますが、自殺した霊はその後が大変です。
長い時、苦しみが続きます。
それがいつ解消されるか、それはその人の持つ徳次第です。
自ら選ぶ死は、心の平穏を決して与えてくれません。

動機

2007 - 08/25 [Sat] - 02:23

 人が何かをするには必ず動機と云うものがあります。
ちょっと出かけるにしても、何かを学ぼうとするにも、また人を批判するにも、全て何かの動機があって人は行動し発言します。
その動機が明確であり、他人や周囲の人が見てもハッキリしていると、誰もが理解出来て、賛否があるにしてもちゃんと意見を言ってあげる事が出来ます。
が、その動機が漠然としていると、他人や周囲の人は勿論ですが、自分自身でも何でこんな事をするのか解らないと云う、どうにも不明瞭な事が起きて来ます。

 動機がハッキリしているなら、賛同する、反対する、無視する、敵対する、と云うハッキリした対応が出来ますね。
でも、それが茫洋としていると、どうして良いか解らなくなります。
そうすると、自分自身も周囲の人も面倒になって来ます。
そして、気がついたら誰もいないと云う事になります。

 また、ハッキリした動機も、それが正道であれば、真っ直ぐな一本道であれば、誰がどう思おうが、何を言われようが、信念を持って進む事が出来ます。
然し、その動機が不純なものであったら、自分の地位を上げる為、名誉を上げる為、自分を大きく見せる為、そんな動機から理不尽な言動をしていると、やはり気がついたら誰もいないと云う事に繋がります。

 人が何かをする時、その動機、目的意識は、明確だとしっかり自覚して進む事が出来ます。
そして、その動機が、目的が、正統であり、正道であれば、自然と何かが回り、動き出します。
茫洋だったり、漠然としていたり、不純であったりすると、止まってしまいます。

 真っ直ぐな心で、綺麗な気持で、明るい光を目指して、正しい目的を持って、しっかりと動機を持って生きて行きたいものですね。

精神世界

2007 - 08/24 [Fri] - 02:21

 今日、修験者が御山にあがる前に来てくれました。
禊をし、奥駆けをし、護摩を焚いている、その修験者はとても真面目で面倒見が良く、情緒豊かな人物であり、とても礼儀正しく筋道を大切にする人です。

 精神世界は色々なジャンルがあり、浅いものから深いもの、怪しいものから正当なものまで、それこそ数え切れない程の種類も数もあります。
真言宗、天台宗を代表とする純粋密教。
修験道などの雑密。
禅宗を代表とする座禅。
その他にも神道や新興宗教、西洋魔術等々・・・。
キリが無いですね。
それぞれの中にも、新しいものや古いもの、怪しいものや正当なもの等々と、区別して行くとキリが無い程に種類も数もあります。
そのどれを選ぶのか、またやるのかやらないのか、触れて良いものといけないもの、その見極めをしっかりしないと危険な世界です。

 が、一番大切な事は、そう云うものに興味を持つ時、また触れようとする時、学ぼうと思う時、条件があります。
単に心を癒したいだけなら、軽い瞑想や気功法などの呼吸法を用いた運動で充分です。
それ以上深いものに安易に触れない事です。

 もっと深く学びたい、そう思う方はまず人としての常識や宗教についての歴史、あるべき作法等を学ぶ事から始めるべきです。
人として正統でなければ、安易な興味や、欲だけで始めて仕舞うと、正当なものを見極める事が出来ず、間違った道を歩く事になります。
目が曇っていたら、正しく見えないからです。
精神世界は物理や化学や数学の様に答えが目の前にありません。
目に見えない世界だからこそ、歪んだ心やバランスの悪い精神状態では危険です。

 精神世界を追求する目的、修行する目的は、人として完成する為にあります。
人が人を超えて行き、人の役に立って行く、人としてあるべき姿を深く追求して行く為に精神世界はあります。
興味だけで安易に入り込むと、魔に躍らされるでしょう。
まず、人として正道を歩く、人として学ぶべき事を学ぶ、人としてどうあるべきかを意識する。
その上で、時間をかけて、何年かかっても、正しく、深い指導者を見つけ出す事です。

学んで成長する

2007 - 08/23 [Thu] - 01:46

 昨日は空手の日でした。
道場も夏休みで、少し間が開いて仕舞いましたが、相変らず道場はとても暑いです。
夜になるとそれなりに涼しい風が吹くのですが、空手は御存知の通り動きが激しく、声を出します。
すると、アッと云う間に汗だくになります。
練習している2時間の間に何度か小休止を取って水分補給をしますが、ポカリスウェットで云えば1リットル以上は飲んでいるのではないでしょうか。
それ位は摂取しないと、脱水症状を起す位に汗をかきます。

 昨日も、旧道場から移って来られた若者が参加してくれていました。
最初はとても戸惑った様です。
今迄は習わなかった事、足運びや考え方をやっている中で、戸惑いながら一生懸命にやっていました。
その内に、段々と目がキラキラして来て、最後には夢中でやっていた様に見えます。

 また、昨日が初めてと云う人も参加していました。
最初から最後まで力が入っていてガチガチになっていましたが、楽しんで貰えた様に思います。

 何でもそうですが、空手でも、人生でも、やりながら覚えて行くしかありませんし、学んで行くしかありません。
やらなければ何も解りません。
頭で幾ら考えても、それは想像でしかありません。
どこで力を抜くか、どこで力を入れるか、どう動くか、心をどうコントロールするか、やってみなければ何も解りません。

 人生も、仕事も、同じですね。
前へ進むしかありませんし、止まっていては何も始まりません。
頑なになっていては止まるだけです。
動いて、やってみて、教わる事を受け入れて学んで行くしかないですし、やって行くしかありません。
そうする中で成長し、大きく変化して行きます。

 怖れて、頑なになって、止まっていては、何も始まりませんよ。

電気製品が壊れる

2007 - 08/22 [Wed] - 02:30

 本日、「霊能者と仲間達」の第12回対談をアップしました。
残念ながら、都合により、今回の話題のアップは今日で最後となって仕舞いました。
都合と云うのは、録音していたテープ・レコーダーが壊れて仕舞ったからです。
う~ん、またやって仕舞ったか、と云う感じですが。
実は、よくある事なのです。
ちょっとディープな話をしたり、怒って仕舞ったり、気のレベルを上げ過ぎて仕舞った時、電気製品が片っ端から壊れて仕舞います。
電話機が鳴らないとかはよくある事で、洗濯機が止まったり、車のバッテリーがあがったり、PCのハード・ディスクが壊れたり、CDーROMまで壊れた事があります。

 曾てTVで大活躍した宜保愛子さんは、殆どTV局のやらせや演出で動いていました。
が、彼女は本物の霊能者であり、本当に霊視し始めると機材が壊れて仕舞ったり、映像がなくなっていたり、写ってはいけないものが写ったりと、シャレにならなかったそうです。
心霊番組は、怖くて、でもどこか面白くないといけないので、真実、怖い非現実的な現象が写って仕舞うと、放送出来なくなって仕舞うのだそうです。
で、仕方なく演出ややらせが始まって仕舞い、それが行き過ぎて彼女自身の評価に関わって仕舞ったそうです。

 目に見えない力は、どこか電気系と性質が似通っているのか、こう云う事がよくあります。
今回も、つい話に夢中になって、コントロールを忘れて仕舞った様ですね。
次からは気をつけないと。

生きているだけで迷惑

2007 - 08/20 [Mon] - 22:07

 昔から、私は言っている事ですが、「人間は生きているだけで、因縁を振り撒き、環境汚染をしていて、周囲に迷惑をかけている」のです。

 道を歩いていいて側を通られただけで、喫茶店で横に座られただけで、また相談を受けていて、被る事はしょっちゅうです。
私は戦闘的ですし、対処も慣れていますから平気ですが、感覚が鋭く、対処もまだ未熟か知らない、そう云う人にとっては、時には大事となります。
お腹や頭が痛くなって、薬も効かない。
時には入院する事すらあります。

 誰でも、喜怒哀楽があり、先祖もいます。
ですから、常にそう云うプラスとマイナスの両方の波動を出しています。
感覚の鋭い人にとっては、被りの原因となります。
生きているだけで、歩いているだけで、座っているだけで、人と話しているだけで、迷惑をかけているのです。

 だからこそ、その迷惑を少しでも減らそうと、御先祖の供養をし、気持を綺麗に保ち、ストレスをためないで、常に明るく、物事に固執しないで柔軟でいて欲しいと思います。
何かをする事だけが人に利益となると思わないで、普通に、当り前の事を当り前にし、頑なにならない事が、迷惑を減らす事に繋がります。

守るべきもの

2007 - 08/20 [Mon] - 00:51

 人は生きていると色々なものや人と出会います。
そして、段々と守るべきものが出来て来ますね。
それは家族だったり、自分自身だったり、自分の信念だったり、夢だったり、また仕事だったりします。

 人は守るものが出来ると強くなれると云います。
自分の為だけなら「まぁ、良いか」といい加減に手を抜く事も出来ます。
が、何かを守る為には、妥協は出来ませんし、誰かの為なら必死で頑張れます。

 でも、守るべきものを間違えると、それはただの固執であり、頑固であり、結果として守った事にならず却って貶めたり、傷つけたりして仕舞います。
真に守るべきものを、きちんと見極める事は大切ですね。

 人から批判された時、それが自分自身の立場を守る為だけの言い訳になっていたら、それは守った事にはならず、却って自身を貶めて仕舞います。
それが、間違いなく、自分の心の底から出ている信念であると確信が持てるのであれば、誰が何と言おうと構いません。
守り抜くべきです。

 守るべきものがあるのに、守ろうとしない、逃げようとするなら、それは無責任でしかなく、我儘でしかありません。
どんな言い訳も通用しません。
単なる独り善がり、甘えでしかありません。

 守るべきものを守り、その為に責任を果たし、時には耐える事も必要ですし、辛い事もあるでしょうが、そうして生きていると、心の中に誇りが生れます。
本物の誇りを持って生きて行く為に、何を守るべきか、何を捨てるべきか、心を透明にしてしっかり見極めたいものですね。

どろろ

2007 - 08/19 [Sun] - 03:31

 今日は久々にゆっくりと映画をDVDで観ました。
御存知の通り、私は映画館で観るのは好きではありません。
いつもセル・DVDを買って来ます。
今日観たのは、「どろろ」です。
手塚治虫氏の原作漫画「どろろ」を映画化したものです。
この所、鬼太郎をはじめ、色々なアニメや漫画が実写映画化されていますね。
この「どろろ」は、昨今のCG等の技術が上った事で、やっと映画化する事が出来たものです。

 架空とは云え、時代劇を題材にしたSFアクション映画です。
内容は観て戴きたいので敢えて書きませんが、人間の悲哀や愚かさ、悲しさや喜び、そう云うものを含んでいる、良い映画でした。
久々に観て、久々にとても楽しめました。

 下にアフィリエイトでリンク画像を載せておきます。
ご覧になって下さい。


人生は楽しく生きる為にあります

2007 - 08/18 [Sat] - 02:55

 当然ながら、私の所へは悩みの中で苦しんでおられる人が相談にお出でになります。
悩んだり、問題を抱えていると、その事ばかりが頭と心を占めていて、他の感覚が鈍って来ます。
美味しい食事も咽喉を通らず、味もまともに解らない。
大好きなアニメを見ても楽しめない。
楽しもうと思って買った本が、集中力が欠けて仕舞っていて、どうしても文字を追えない。
そんな事が続いて仕舞います。
そうすると、段々と気力も衰えて来て、気力もなくなり、何もするのが嫌になって仕舞います。

 私は、人生は楽しむ為にあると信じています。
楽しむからこそ頑張れるし、次へのステップへ進む事が出来ますし、夢を見る事も出来ます。
良く人生は修行だと云いますが、修行も楽しくなければ続きません。
我慢し、辛い事だけ、厳しい事だけでは、人間の気力も体力も続きません。

 悩む事も、一時期は大切です。
その中で自分を見詰める時間となりますし、耐える力もつきます。
でもずっと悩んでいたら、腐って来ます。
悩むよりも考えましょう。
どうやったら解決出来るか、どうやったら抜けられるか、考えましょう。
また、問題を解決して行く事を、ゲームではありませんが、楽しみましょう。

 人生は苦しむ為にあるのではなく、楽しむ為にあります。
思い切り楽しんで、人生を謳歌して下さい。

送り火

2007 - 08/17 [Fri] - 01:21

 今日は京都五山での送り火が焚かれました。
京都五山の送り火とは、

「大文字」(左京区浄土寺・如意ヶ岳。20時00分点火)
「妙・法」(左京区松ヶ崎・西山及び東山。20時10分点火)
「舟形」(北区西賀茂・船山。20時15分点火)
「左大文字」(北区大北山・左大文字山。20時15分点火)
「鳥居形」(右京区嵯峨鳥居本・曼陀羅山。20時20分点火)
以上の五山で炎が上がり、お精霊(しょらい)さんと呼ばれる死者の霊をあの世へ送り届けるものです。
御盆で帰って来た御先祖様達が、あの世、彼岸へお帰りになるので、火を焚いてお送りすると云う行事です。

 日本にはこうした行事が各地に残っています。
先の世界大戦で亡くなられた戦没者の御遺族が、高齢となりながらもまだ生きて居られる事もありますが、日本と云う国は、心と魂と云うものに重きをおいています。
ですから、どれだけ個人主義になろうと、テクノロジーが進もうと、心と魂を重んじる事は失われません。
良く「心を込める」とか「魂が宿る」とか云いますが、それだけ日本人が重んじている証拠ですね。

 これを機会に、改めて「心」と「魂」を大切にする事を思い出し、重んじて行きたいと思います。

御盆供養会

2007 - 08/16 [Thu] - 02:02

 今日は毎年恒例の旧御盆供養会でした。
例年はとても沢山の霊がやって来て、数日前から息苦しい日々が続きます。
今年も例年通り数日前からとても息苦しく、重苦しかったですが、昨年はとても多かった戦没者の霊達の訪問が、今年はそれ程ではなかった気がします。

 また、今年は護身法をやっていて、奠供や理趣経の読経を学んでいる人達に助法をして貰いました。
後ろからお経を詠んで貰うと、その人達のパワーが私に入り、かなり楽に御供養させて戴く事が出来ました。
お経を詠むと云う事は、経典を見て、経を詠み、どうじに霊と会話し、祈りを捧げています。
見た目はただ座ってお経を詠んでいる様でも、結構忙しいのですよ。(笑)
助法はそれを補助してくれます。
と同時に、助法してくれた人にも徳となります。
こう云う事に参加する事、その事自体が、修行であり、また徳を得る事に繋がります。

 いつも思う事ですが、御供養は会話です。
一方的に「成仏しろ」と力技では限界があります。
何千何万の膨大な数の魂と接する時、力技では到底太刀打ち出来ません。
秘訣は「空」です。
囚われず、静かに、経そのものになり、魂達に伝える。
仏様と魂と自分、その三位一体を意識し、空となる時、その心は伝わります。

 空手でも、仕事でも同じですね。
空手で相手と向う時、自分と相手と、その間にある空間。
この三つを一体として捉える時、良い空手が出来て、互いの間に会話が成立して行きます。
勝ち負けは結果論です。

同様に、仕事では、自分とクライアント、そしてその双方に流れる間の三つを意識して行くと、言葉のキャッチボールが出来、心の交流が始まります。
そうすると、とても良い仕事が出来るものです。
一方的に相手を説得しようとか、相手に言う事を聞かせようとかしていると、一方通行でしかありません。

 供養も、勤行も、空手も、人生も、そして仕事も、皆同じです。
勝ち負け、上下、陰と陽の二元論ではなく、三元論を意識して行くと、とても温かく、懐の深い、人間らしい生き方、考え方が出来ると思います。

タトゥー

2007 - 08/15 [Wed] - 02:18

 ここの所、話題にタトゥーが登る事が多いので、私の私見を書きたいと思いました。
世の中にはタトゥーを題材にした柄やデザインが氾濫しています。
確かに格好良く見えますし、迫力があります。
銀のアクセサリーやTシャツなど、タトゥー柄のものはとても多いですね。

 タトゥー、即ち入れ墨は、その始まりは魔除けの柄です。
今でもアメリカ・インディアンやアフリカなどの原住民は魔除けとして身に入れ墨を入れています。
日本でも古代では同じ意味でした。
それが時代を経て行く中で、仲間を表す識別の為に使われたり、職業を表す為に使われたりしました。
その一方で、入れ墨は刑罰を受けた者を識別する為に入れたりする様になり、また社会をはみ出した人達の象徴として、またそう云う反社会的な集団の一員であり忠誠心を表す為に入れたりする様にもなりました。

 入れ墨、タトゥーそのものに対する偏見は私にはありません。
その本来の意味する所は魔除けであり、デザインとして優れたものが多いのも確かだからです。
が、その一方で、格と道府県に於て条例として未成年に対する入れ墨・タトゥーを禁じている所が多いのも事実です。
また残念ながら入れ墨やタトゥーを入れている人達が、反社会的集団に属していたりする場合が多いのも事実です。

 大人が格好良いと思って使うのは全く問題ありません。
ちゃんとわきまえた上での事でしょうし、良いデザインがある事も事実ですから。
しかし、子供の使う物に対してはやはり使うべきではないと思います。
その子が入れ墨やタトゥーを安易に受け入れて仕舞って、将来その子が墨を入れて仕舞ったら、責任は誰が取るのでしょうか?
また、特に教育現場では、とても小さな事が大問題となる事があります。
食事の時に手を合わすと云う当り前の行為が、「それは宗教の作法だから、やらせては困る」と親御さんよりクレームがつきます。
タバコも、広告すら出来なくなって来ました。
危うきは近づかずと云うのが教育現場の鉄則です。
自分は良いと思ったは通用しません。
また、私の好き嫌いも無関係です。

 昔、もう10年も前でしょうか、とても美しい女性が通って来ていました。
中学・高校とイギリスへ留学していて、若気の至りでタトゥーを全身に入れて仕舞ったそうです。
日本では墨が入っていると温泉にも入れません。
また、空手道場も基本的には入会出来ません。
私の通う道場でも入会規定に入れ墨は禁止しています。
師範の判断で特例と云う事で入会した者はいますが、基本的に拒否です。
その子も、それがあるばかりに結局開き直って生きるしかなくなり、リスクを背負って生きていました。
一度入れた墨は消すのにも大変高額な費用がかかりますし、完全に消し去る事は難しいです。

 一つのデザイン、文化としての入れ墨やタトゥーは認めて良いと思います。
が、それをどの地域、どの対象で用いるかによって、大きく意味は変わります。
使って良い場所、使ってはいけない場所、タバコと同じですね。

 自分が良いと思うは、ただの自分勝手であり、傲慢でしかありません。
それを見た人の気持ち、立場、そこから起きる問題、そう云うものを見極めて行く必要があるでしょう。

御供養

2007 - 08/14 [Tue] - 02:39

 旧御盆の最中で、お墓参りに行かれる方も多いのでしょうね。
その為に帰省された方も多いと思いますが、長い渋滞と暑さで事故などない様にして欲しいと思います。
気象予報士が「とても暑いので、朝早くか夕方にお墓参りに」と言っていたのを聞いて、怒っていました。(笑)
朝は兎も角、日が沈み始めた頃にお墓参りなど、常識を知らなさ過ぎる、と。
こう云う常識を知らない輩がマスコミに登場するのは迷惑ですね。

 話は変わって、御供養と云う言葉は、「供に養う」と書きますね。
ロウソクに灯をつけ、香を焚き、数珠を擦って、手を合わせ、経を唱える。
御先祖に対し、成仏を祈り、更なる平穏を祈る。
ま、相手が御先祖ですからお願い事も少しなら許されるでしょう。

 心を鎮めて祈りを捧げる内に、自分自身も楽になるのを感じて下さい。
供養は、対象である霊魂も、そして自分自身をも癒します。
ですから、良いお経、綺麗なお経を詠みたいですし、聞きたいですね。
我々プロにとって、お経は修行を表す真剣勝負の様な気がします。
お経を聞くと、どれだけ修行をしたか解って仕舞います。
悟りを得て、心を込めて詠まれるお経は、どこまでも広がるかの様に、心に染み渡って来ます。
綺麗な音楽を聴いている様な気持ちになれたら最高ですね。

夢追い人

2007 - 08/13 [Mon] - 02:47

 今日、沖縄の水族館が改修されて今に至る話を報道していました。
誰もやった事のない、世界一の水族館を作る、海の中の自然の姿を見せてやりたい。
そう云って、前代未聞の巨大水槽を作り上げ、1万匹もの魚を海から集め、3匹ものジンベイザメを水槽に入れ、何れは繁殖させたいと云う。
異常と言う人も居ただろうし、無茶なと思った人も居ただろうし、素晴しいと思う人も居ただろうと思います。
自分の為ではなく、見る人を喜ばせる為、水族館の理想像を追いかけて、その無茶をやり通した人達の話でした。

 単純に感動したりはしませんが、夢追い人のロマンを見た思いがします。
お金や名誉の為ではなく、夢の為に突っ走る。
失敗するかもしれないし、莫大な損失となるかもしれない。
それでも夢を追い求め、熱い思いを持ち続ける。

 人生を生きる上でも、仕事でも、お金や名誉の為ではなく、夢の為に、誰かを喜ばせる為に、熱い思いを持ち続けて居られたら最高ですね。

御盆休み

2007 - 08/12 [Sun] - 03:08

 御盆休みが始まっている人も多いのでしょうね。
今日あたりから帰省ラッシュが始まっていると報道されていました。
大変ですね、毎年の事ながら。
日本の会社の体質上、同じ時にしか休みが取れないのですから、仕方ないと云えばその通りですが。

 しかし、日本人ってとても律義と云うか、やはり家族意識が強いのだなと思います。
家族なのですから、年に数回は会いたいと思うのも当り前ですが、逆に何年も会わなくても大丈夫と云う事も言えると思います。
が、凄く多くの人が帰省して行くのを見ると、やはり日本人の中には根強く家族意識があるのだなと思います。
個人主義が外国から輸入されて変化したと云われますが、それでも変わらないものがあるのだと感じさせられます。

 でも、休みに行くのか、疲れに行くのか、気を遣いに行くのか分からない様な気もしますね。
折角の休みだし、家族サービスも良いですが、ゆっくりと楽しめる所へ遊びに行かれたら良いのにな、なんて思ったりもします。
それぞれの生き方、考え方があり、皆違っています。
だから面白いのですね。

不安

2007 - 08/11 [Sat] - 02:33

 人生、生きていると不安になる事って幾らでもありますね。
極端に言えば、明日死ぬかもしれない、事故に遭うかもしれない、癌かもしれない、なんて心配になる事ってありますね。
また、仕事が駄目になるかもしれない、上手く行っているのは今だけかもしれない、このまま行くと失敗するかもしれない、等々と取り越し苦労で不安になる事もあります。

 不安って、独り歩きして、勝手に増幅して来るんですよね。
これでもか、これでもかって、不安が不安を煽って、どんどん追込んで来ます。
最初は、そんな事はないだろうとか、そんな事がある訳が無いと打ち消していられても、段々と時間が経つにつれて不安の力が強くなって、最後には打ち消せなくなって来ます。

 それを解消するにはどうするか、ですね。
不安を打ち消すには、具体的な根拠を持つのが一番確実かもしれません。
論理的に、冷静に考えて、感情論を捨てて、他人事と思って見ると、そこにある現実が見えて来ます。
そうすると、ただ不安になっていただけで根拠がないのだと云う事に気付く事も良くあります。

 良く、自信を持ちなさいと言いますが、それは一朝一夕には無理。
自信なんてつけようと思ってつくものではなく、気がついたらついていた、と云うものですから。
何かを一生懸命、諦めずに続けていたら、気がついたら自信がついていた。
そんなものです。

 ただ、自分の生き方に対する誇りは欲しいですね。
また、自分が本当に心を込めて生きていたり仕事していたりしている事、これは絶対条件ですね。
どこかで甘えていたり、逃げていたり、嘘があったりしたら、他人は誤魔化せても自分自身はそれを知っているのですから、誤魔化しは利きません。
そうすると、不安が生まれ、不安が不安を呼んで行きます。
真っ直ぐである事、自分を誤魔化さない事、それは絶対条件だと思います。

 でも、不安って、考え方を変えるとチャンスでもあります。
不安だからこそ頑張ったり、努力したりする原動力になります。
不安が全くなかったら、人間は甘えて仕舞って、努力も頑張りもしなくなって仕舞うでしょう。

 上手な不安との付き合い方、出来ると良いですね。
不安だ、不安だって愚痴を言っても、誰も助けてくれませんし、可哀想だとも思ってくれません。
自分の人としての評価が下るだけです。

 不安は自分で作り上げているのです。
問題が起きたら、どうすれば解決するか、どうやったら乗り越えられるか考えれば良いのです。
不安と云うのは、自分がこれだけやっているのに、と云う正当化の場合もあります。
自分で作った不安なら、自分で解消しましょう。
それが出来るのは自分しかいません。
不安で恐怖を感じている暇があったら、何が出来るか、どうすれば良いか、考えて、止まらないで動きましょう。
自分の力で乗り越えるしかないのですから。

洗い出し

2007 - 08/10 [Fri] - 02:52

 人は生きていると、知らず知らずに溜って仕舞っている穢れや、思わずやって仕舞った間違いや、心に秘めた事があります。
色々な場面で、そう云うものが思わず噴き出したり、思い出さざるを得ない事もあります。
そう云う時に一つ一つ解消して行く事で、運が変化して来ます。
運の変り目、運が良くなる時が来ると、洗い出しと云って、隠された事柄が噴き出して来て、一時的にワサワサと慌ただしくなる時が必ずあります。
逆に云うと、そう云う時こそチャンスです。
それをしっかりと受け止めて、乗り越えた時、大きく運が開きます。

 私は特にそうですが、霊能者に会ったり、関わったりすると、洗い出しは強く出て来ます。
自分でも忘れている様な事、隠している事、自分でも気付かない様な事、等々が一度に噴き出して来ます。
それを耐え抜き、きちんと正直に対処して行くと、劇的に運が開くものです。
今迄は通っていた嘘も、霊能者の前ではなく、霊能者と会ったり関わった後に、全てが白日の下に晒されて来ます。
怖いものですね。

 霊能者の前では、また会う時は、正直になって下さい。
霊能者と云うものは、敢えてそう云う事を指摘しないものです。
が、後で現実に目の前に顕されて来ます。
ただ運を見て欲しいと云う気持ちで霊能者と関わると、結構きついものかもしれませんね。
アドバイザーとして、先導者として、ちゃんと教えを乞うと云う気持ちで霊能者と関わって下さい。

目的意識

2007 - 08/09 [Thu] - 02:23

 昨日は空手の日でしたが、その時に先日行われた第一回昇級審査会の写真をスライドにしたDVDを持って行きました。
帰ってからすぐに写真に修正をかけ(逆光だったりするものが、どうしても多いので)、良いものだけを選んで、iMacのiPhotoに取り込み、それをiDVDに移してスライドショートしてDVDに焼きました。
それから、ロゴやマークなどを組み合わせて、DVDのケースの表紙を作って。

 審査会が日曜日で、持って行ったのが火曜日。
ま、私としては普通のスピードですね。
枚数で云うと、最初は200数十枚だったのを、良いものだけを選んで170枚程度に減らしました。
妻が写真班、私がそれに手を加えると云う役割が出来て仕舞ったみたいですね。(笑)

 作業としては楽な仕事ではないと思います。
が、目的意識をハッキリと持っていると、辛くはなく、楽しめます。
師範も、審査を受けた道場生も、審査を手伝った道場生達も、皆、きっと楽しみにしているだろうと思うと、一刻も早く仕上げてあげたいと思います。
勿論、私はその方面のプロではなく、あくまでも素人ですので、仕上がりは所詮・・・ですが、それでも喜んで貰えると嬉しいですね。
何れ余裕が道場に出来たら、プロにお願いして良いものを作って欲しいと思いますが、それまでは私の手でやれる程度で我慢して戴くとして。(笑)

 空手は私の趣味でもあり、生き方の大切な原点でもあり、一つの芯ともなっています。
私が通わせて戴いている道場だけではなく、新極真会のあちこちの支部長先生とも仲良くさせて戴き、そこから学ばせて戴く事は沢山あります。
また、その全てをある意味では仕事と捉え、責任感を以てお付き合いさせて戴こうと思っています。
真摯に、誠実に空手と向き合い、お付き合いさせて戴く上で、単にプライベートではなく、仕事と云う側面を意識付けする事で、しっかりとした目的意識が生れます。
誰の為に、何の為に、何をすれば良いか、するべきか、しっかりと見えて来ます。
後は、誠実にそれを実行する。
人と人の付き合いであり、人が関わっているからこそ、楽しくもあり深くもあると思います。
だからこそ、しっかりと目的意識を以ていたいと思います。
それが、人と人の信頼関係を作り上げて行くのではないかと思います。

自己満足

2007 - 08/08 [Wed] - 02:24

 今日、また「霊能者と仲間達 第12回対談不思議な体験(5)」をアップしました。
どうぞ、ご覧になって下さい。

 今日もまた空手の日でした。
5日の日曜日に審査を受けられなかった人、2名が審査を練習中に受けました。
頑張っていましたね。
あの一生懸命さが良いですね。

 その後、師範と仕事と云う事について話しました。
ある事から、仕事とは?と云う話題になったのですが、仕事は誰かに利益を与える為にあります。
幾ら自分が良い仕事をしたつもりでも、依頼者が、或いは出来上った商品を手にした人が喜ばなければ、何の意味もないと云う事になります。
それは、単なる自己満足。
この仕事は誰の為にやるのか、出来上った商品は誰の手に渡るのか、その商品の目的は何か、それが見えないでやった仕事は、無意味です。

 人が考え、人が作り、人が売って、人が買って使う。
仕事は人を見なければ絶対に出来ません。
それは思い上がりでしかありませんね。
自分が良いと思うと云う事が受け入れられるとは限らないと云う事です。

 誰かの為に心を込めて、誠意を尽してされた仕事は、そこから強いオーラが出ています。
その仕事の成果も同じです。
血が通っているからです。
が、そうじゃない仕事は、死んでいます。
所詮、絵空事であり、幻の様なものです。

 今日、私はそんな最低・最悪の仕事の成果を見ました。
これ、誰の為に作ったのか、公序良俗上からも相応しくない、これを手にする人を全く考えないでやった仕事だと思いました。
当然、オーラなどありません。
あれではゴミにしかなりませんね。
悲しい事です。

 仕事に心を通わせましょう。
どんな小さな事でも、人が人の為に心を尽す事が、血の通った仕事となり、大きな力を持つ事になると思います。

立場の違い

2007 - 08/07 [Tue] - 02:17

 人にはそれぞれの立場があります。
自分の立場を守る為と云う事は、他の立場の意見と向き合う事もあります。
今回の参議院選挙も、今日の広島原爆祈念も、それぞれの立場で発言が異なります。
そのどちらが正しいか、それは一言で言って仕舞うべきではないと思います。
立場を保護すると云う意味では、そう言わざるを得ないと云う事もあります。
逆の立場にすると、そう言われたら冗談じゃないと云う事もあります。
渦中にいると、その立場によって闘わざるを得ない、言わざるを得ない事もあります。

 が、そこに固執して行くと争いは永遠に続きます。
平和とは、互いの立場を尊重し、互いの意見を受け入れて、妥協点を見つけ出す事から始まると思います。
自分だけは正しい、相手が間違っているのだと決め付けて行くと、敵と味方、二元的に分れざるを得ません。
そのどちらにも属さない者は、日和見だとか風見鶏だとか言われて非難されます。

 本当の意味でコミュニケーションを取り、理解し合うには長い時がかかります。
そして、何よりも一方的な価値観や立場に固執しない事だと思います。
大変に難しい事ですが、心を開いて、相手を理解しようとする所から始まるのではないでしょうか。

熱き心の子供達

2007 - 08/06 [Mon] - 03:28

 今日は正伝流中村道場の第一回昇級審査会でした。
とても暑い中、審査は行われました。
それぞれが真剣に審査に挑んでいる姿は、美しくさえ感じました。

 技術面や心理面で云えば、見ていて思う所は沢山あります。
が、一様に真剣にやっている姿を見れば、そう云う表面的な部分は徐々に指導して行けば良いのだと思います。
年に数回のこう云う機会、審査も稽古の内です。
繰り返して行く事で、精神面でも肉体面でも必ず強くなって行きます。

 審査に通る為ではなく、日頃の成果を見せてくれる場として、審査会を捉えてくれると良いですね。
通る、通らないは結果論です。
大切なのは持てる力を出し切ったか、精一杯やったかです。
そう云う意味では全員合格でした。
最終結果は師範が判断されますが、良い結果が出ると思います。

 それにしても、今日は暑かったですね。

花火

2007 - 08/05 [Sun] - 01:39

 あちこちで花火大会が開かれていますね。
あの大きなドーンと云う音と、空に花開く光がとても美しく、夏の暑さを一瞬忘れさせてくれます。
花火の起源は中国と云われますが、元々は連絡に使ったり、敵を脅す為に使ったり、敵陣に火を放つ為に使われたりしたのが、音と光の威力から祝砲等に使われる様になったと云います。
日本では徳川時代に家康が初めて花火を見たと云う事らしいですね。
それが庶民の楽しみに変化して行ったものでしょう。
尤も、海外では夏の風物詩ではなく、何かの時のイベントに使われます。
所変われば、花火の使われ方も変わるのですね。

 職人達が花火を作っているのを見た事があります。
一つ一つ、丁寧に火薬玉を作り、それをまた大きな玉に詰めて行く。
そのバランス一つで、空に上がった時の火の広がりが違うそうです。
一つ間違えば大事故になる作業。
心を込め、慎重に一つずつ詰めて行く。
そして、綿密な準備をして打ち上げに臨む。
最後の一瞬、ドーンと火が広がり、見ている人達の心と身体に響く。

 一瞬の為にずっと長い時をかけて作業し、研究し、心を込めて行く。
その姿は正に職人であり、頭が下ります。
人生は一瞬の積み重ねですが、一瞬の為に命をかけている人もいるのだなと思います。
今日の積み重ねが明日。
一日一日、一瞬一瞬を大切にしましょう。

親の思い

2007 - 08/04 [Sat] - 02:24

 親が子を育てる時、誰もがその子の為を思ってやっていると思います。
厳しく、優しく、この子が将来困らない様にと思って。
でも、それが時に行き過ぎる人がいますね。
一言で過保護と云うにはエスカレートし過ぎと云う事がある様に思います。

 毎年、お受験の子供、小学校を目指す幼稚園生を連れた親御さんが相談に見えますが、徹底的に仕込まれた礼儀正しさと大人しさには、何だか気持ち悪さを感じます。
聞いてみると、やはり目指す学校は一流私立小学校。
どうして決めたのかを聞くと、殆どは有名校だから安心、良い学校と云う評判だから。
子供の意見は入らない事が殆どですし、入ってその子が合うかどうか、考えてもいない親御さんがとても多いですね。

 空手道場でも同じです。
少年部や幼年部の子供達の練習を見ているのは良いのですが、叱ると文句を言う。
何故、私の子供ばかり叱るのですか?
呆れ果てた事に、他の子は昇級出来たのに自分の子は何故上がらないのか?と言う人も。
挙句の果てには、先生に叱られない様にちゃんとしなさい、ちゃんとしないとお母さんが恥ずかしい。
こう来たら、もう何を言わんやですね。

 子供が成長し、40代50代になっても子供扱いし、一人前と認めない。
独立しようとすると、縁を切るのを覚悟しているのか?
う~ん、子供の人生よりも自分の思いが優先と来た日には、こっちから縁を切りたくなりますね。

 世の中、困った親御さんが沢山居られます。
子供は親の持ち物でもなければ、ペットでもなく、一人の独立した人格です。
親の価値観で縛ると、親よりも出世しないですよ、とは、良く昔から言われた言葉です。
最後の最後、保護を求めて帰って来た時に、精一杯の愛情で包んであげれば良いのであり、それ以外は自由にさせて世の中に育てて貰う感覚を持っていれば、子供は大きく羽搏くと思います。
間違った子育ては、間違った大人を作る事になって仕舞う気がしますが。

思う通りにならない事

2007 - 08/03 [Fri] - 02:33

 仕事でも人生でも、思う通りにならない事って沢山ありますね。
一生懸命に仕事していても評価されない、プロジェクトが進まない、上手く行きそうになると駄目になる、こんな時に限って病気になる、凄く好きな人が振り向いてくれない、幾ら指摘しても相手は間違っている分かっていながら変わってくれない、等々。
空手をやっていても、思う様に身体が動かないなんて事はしょっちゅうです。
だから稽古するのですが。

 そう云う意味では人生って、思う通りになる事の方が絶対的に少ないですね。
時たま、自分の思った通りになる時、本当に有頂天になりたくなるものです。

 然し、プロと言われて仕事している人はそうは行きません。
やって当り前、出来て当り前、上手くやって当り前。
そのプレッシャーは計り知れません。
私もそう云うプレッシャーは常に感じていますが、そこはそれ、なるようにしかなりません。
最大限の力を発揮して駄目だったら、それはそれ、仕方ない事です。
と、根性を据えて仕舞えば良いのですが、人間は弱いもので、こうなったらどうしようと焦り、恐怖を感じて仕舞います。

 色々な人とお会いし、真正のプロと云える様な人にも沢山お会いして来ました。
そんな中で感じた事は、皆、素直に受け止めると云う覚悟を持っていると云う事です。
上手く行く時もあれば駄目な時もある。
それで良いのだ、と。
それをオタオタしないで受け止めて、一瞬一瞬を大切に、手を抜かないで頑張る。
思う通りになったらラッキー、ならなくて当り前と思っています。
だからこそ、理想とする姿に近づく様に常に前を見て、高い所を見て、頑張る。

 怖れて、焦ってオタオタしても、何も始まりません。
どうすれば理想に近づくか、常に意識し、前向きでいる事が、思う通りにして行く道筋の様に思います。

 また、自分が思っている、願っている事が本当に正しいのか、常に検証して行く必要もあるでしょう。
間違った事を望んでも、天は許しません。
ならば、思う通りにならなくって良かったとも言えますね。
何が自分に取って一番良い事なのか、目指しているものが間違っていないか、良く見極めながら進みましょう。

 でも、何でも思う通りになったら詰らない人生でしょうね。
思う通りにならないから、頑張れるし、チャレンジ出来るし、楽しいのだと思います。

人類の長い歴史

2007 - 08/02 [Thu] - 03:07

 世界遺産の番組をたまたま見ていました。
世界遺産と云っても、色々なものがあるのですね。
自然の景観だけではなく、人類の長い歴史の中で作り上げられた物も含まれています。
そう云う物を見る時、人類は本当に長い歴史を歩んで来たのだなと思います。
文化、文明、建築、宗教、闘い、色々なものがあり、負の遺産も沢山あります。
でも、人類は長い時をかけて、歴史を作って来ました。
大切に残したいもの、語り継ぐべきもの、忘れ去られるもの、目を背けられるもの。
本当に多種多様ですね。

 私が関わって来た、宗教、修行、空手、武道、医学、哲学を見ても、先祖達の残してくれた偉大な智恵や知識、技術が受け継がれ、それをまた私が受け継いで来ました。
その中には、忘れ去られようとしていたものもあり、変わらずに残っていたものもあり、その一つ一つが私の宝であり、得難い財産です。
そして、それを少しでも語り継いで欲しいと願って伝えています。
私の話を聞いて、私の動きを見て、生き様を見て、少しでも興味を持ってくれたら嬉しいですね。

 時間があれば旅をしたいと思います。
壮大な長い時を超えて来た人類の残したものを、少しでも多く見たい、触れたいと思います。

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プロフィール

島津 成晃

Author:島津 成晃
Adept・Mentor 島津相談室主宰
人生のあらゆる問題の相談に乗って来ました。
元気になって希望を持って帰って戴く事が私の願いです。
スピリチュアルな目と、冷静な分析で御相談に乗ります。
御相談はHPの方からお願いします


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