感じたり思った事を書いて行きます。 時には秘伝などを書く事も。 空手や色々な趣味の話も。

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無口

2007 - 07/31 [Tue] - 02:19

 今日、会話の話が出ました。
本来、私は無類の無口でした。
が、仕事柄と云うか、段々と必要な事は話す様になり、今は仕事中はちょっと喋り過ぎと思う時も良くあります。
プライベートでは、どうでしょうか?
普通に話しているつもりですが、時折、昔の癖と云うか、無口な名残が出ていると妻には言われます。

 今思うと、言葉にしない分、頭の中に沢山の言葉が詰っていた気がします。
喋るのが面倒だとか云うのもありますが、それよりも自分の頭の中ではちゃんと話しているつもりなのです。
それが口に出る時に、最低限の言葉しか出ない。
だから単語で話していると笑われます。

 今でも本当は話すのは苦手ですね。
皆の前で講演とか演説とか法話なんて、特に駄目。
質問されたら何でも答えますが。
何と云うのでしょうか、何を話したら良いのか全く浮かんで来ないのです。
妻曰く、情報量があり過ぎて、図書館の様なものだから索引から引っ張らないと出て来ないそうです。(笑)

 会話にも色々な手法があります。
でも、この仕事をしていて思うのですが、テクニックは最終的にはあまり意味がないのかもしれないですね。
伝えたい、理解して欲しいと云う真摯な気持ちがあれば、伝わるのだなと思います。
でも、話術、少しは上手くなりたいものですね。

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突然の嵐

2007 - 07/30 [Mon] - 02:04

 今日は東京では物凄い雨が一時降りましたね。
ザーザーどころかゴーゴーと音がする程の強い雨。
外を見ると大きな雨粒が瀧の様に落ちていました。
そして、時々光る稲光と雷鳴。
最初は遠く、段々と近づいて来るのが解りました。
で、一瞬強い光が走ったと思った瞬間、バーンと云う破裂音。
近くの避雷針に稲妻が落ちた様でした。
凄まじい音でした。

 雷を怖れる人は多いですね。
が、私は全く平気です。
何故なら、雷鳴は龍の鳴声なのです。
祭壇でも龍が出て来る時、あの雷鳴が私の耳には聞こえます。
ゴロゴロゴロと。
ですから、私にとっては恐怖の対象ではなく、親しみの音なのです。

 霊能者と云うものは、一般人とは異なる感覚を持っています。
自然の現象にも意味を見出し、時にはそこに意思を感じます。
また雨の近づく臭いと云うか、空気に敏感に反応します。
曾て、原始の人達はこう云う感覚を常に働かせて生きていたのだろうと思います。
情報のない時代、天気予報もなければ、地図もない。
どこに水があるか、雨や嵐がいつ来るか、どこへ行けば食料があるか、そう云うものを感じ取らなければ生きて行けなかったでしょう。
誰か離れた人と連絡を取るのも、狼煙の見える範囲なら兎も角、それ以上となると心で連絡を取り合うしかない時代。
現代でもオーストラリアのアボリジニはテレパシーを使って人と話すと云います。

 人間も本来は動物である事を思えば、不思議でも何でもない事なのですが。
現代人が失った動物的な感覚を持つ先祖返りが霊能者なのかもしれないですね。

時には

2007 - 07/29 [Sun] - 01:19

 物凄い暑さになって来ましたね。
梅雨明け宣言はしたのでしたっけ?
もう真夏と云う感じですが、この日差しは毎年ながらこたえますね。

 あちこちのブログを読んでいたり、選挙の話題などをニュースで見ていると、どこでもかしこでも「頑張ろう」「一生懸命」とポジティブな言葉が並びます。
その通りです。
何が何でもやらなければいけない時はありますし、頑張らねばならない時もあります。
やるべき時にやらないと、後で後悔する事になって仕舞います。

 が、いつもいつもいつもいつも、頑張ろう、努力しよう、一生懸命とか、こうあらねばならない、これが正しいと肩に力を入れてばかりだと、ちょっと違和感を感じると云うか、疲れて仕舞いますね。
ちゃんと力を抜くからこそ、必要な時に力を出す事が出来ます。
弓も張り過ぎると切れて仕舞います。
空手をやっていても、いつも力を入れてばかりだと、スタミナも切れて仕舞いますし、スピードもなくなって仕舞って、攻撃しても効きません。
力を抜くからこそ、鋭く、強い攻撃が出来るのです。

 時には全てを忘れて休息しましょう。
力を抜いて、怠惰に過してみるのも良いかもしれないですね。
時にはいい加減になってみましょう。
大抵の事は深刻に考えても何も解決しませんし、命まで取りません。
気楽に、どうでも良いか~、と思ってみても良いですね。

 やる時はやる、抜く時は抜く、頑張る時は頑張る、いい加減になる時はなってみる。
そう云うメリハリを持ってみて下さい。
いつもいつも頑張ると疲れますよ。

立場

2007 - 07/28 [Sat] - 02:12

 今日、TVのニュースでフィギア・スケートの有名選手が酒帯び運転で検挙されたと云う事で、涙ながらにお詫び会見をしていました。
まだ20歳で大学生と云う彼、教授と親睦会で酒を口にし、かなりの時間が経ってから大丈夫だろうとバイクに乗って、酒帯びの検問で検挙されたと云う事です。

 一言では言えませんが、可哀想にと云う気持ちと、立場を考えたら問題だねと云う気持ちがあります。
20歳の大学生で、それも教授と飲んだ訳であり、良くある事です。
そして、かなりの時間が経っていた事から、大丈夫だろうと思ったと云う事も理解出来ます。
が、調べてみたらかなりのアルコール量が血中に残っていたと云う事ですね。

 これを不運だったと取るか、逆に良かったと取るか、どちらでしょうか?
私は彼に取っては良かったなと思います。
別に図に乗っていた訳ではないでしょうが、彼の立場を考えると、やはり注意の上にも注意をしておくべきですね。
何と云っても彼は日本の代表的な選手であり、こう云う事があると選手としての生命に関わって仕舞います。
事情が事情ですから、謹慎処分、出場停止処分は致し方ないでしょう。
酷な様ですが、彼のこれからを考えると、やはり今こう云う事があって良かったかもしれないですね。
これ以降は、彼も自分の立場を常に意識する様になるでしょう。

 日常の中で自分の立場を忘れて仕舞う事は良くあります。
つい・・・と云う気持ちで、やって仕舞う。
どんな立場でもプライベートは別と云う考え方もありますが、やはり他人は常にその人を持っている肩書きや所属している会社や学校で見て仕舞います。
肩書きを持つと云う事は、それ自体がその人の評価でもあり、そこから逃げる事は出来ません。
その立場を忘れて仕舞って間違いを起して事件となっている話題は、毎日の様にマスコミのニュースに流れます。
そう云うものに余り縛られたくはないですが、やはり最低限の意識として、常に自分の持つ立場を忘れない様にしておきたいですね。

 今日の彼の反省と、一日も早い復帰を祈りたいと思います。

ペット

2007 - 07/27 [Fri] - 02:47

 私の義父、つまり妻の父の家には小さなミニチュア・ダックスフンドがいます。
昨年、子供達が全て家から出ていて長いので寂しいだろうと思って飼って貰ったものです。
家の中を走り回り、イタズラもしながら、とても可愛がって貰っている様です。

 最近、犬に関わる方が何名か来られています。
私も実はかなりの犬好きで、曾てはシェパードを2代飼っていました。
その前はコリーでした。
私が欲しいと言っておきながら、その実は母が面倒をみてくれていたりして申し訳なかったなと思います。
他にやる事が多過ぎて、また大学で家を離れて仕舞ったので、きちんと面倒をみてあげられなかったのは心残りでした。

 で、犬の話をしていると、やはりペットとして飼われている犬も幸せな犬もいれば、不幸な犬もいる事を感じます。
ペットブームとやらで、簡単に犬が飼える様になったせいか、安易に飼って、要らなくなった捨てて仕舞ったり、放っておかれる犬も多い様です。
義父などの様な家にとっては、犬は家族であり、子供です。
でも、遊び半分で飼われた犬は、玩具でしかない。
昔からそうですが、ペットと云う名の下に命を弄ばれる動物は沢山いますね。
犬、猫、鳥、虫、魚、最近では爬虫類とか他の哺乳類。

 私の経験からも、やはり良く良く考えてから、一つの命を育て、一緒に暮すのだと云う気持ちで飼って欲しいものだと思います。
単に可愛いからとか、その場の感情だけで飼われた動物は不幸です。
他の生命に不幸を与えると、やはり自分に却って来るのではないかと思います。

 ヨーロッパに出かけた時、犬がのびのびとしているのを感じました。
厳しい規制の中で、犬もきちんと訓練を受け、飼う側の人間もハンドリングの講習を受けないと飼えないと云う法律があります。
そうやって、社会ルールとして犬を共存させている事には、驚きと共に感心しました。
単なるペットとしてではなく、家族の、社会の一員として、ペットが受け入れられると良いですね。

一見すると

2007 - 07/26 [Thu] - 02:19

 人を見ていると、一見すると会話が上手に見えて、その実、肝心な所は抜けて仕舞っていて、本当はコミュニケーション不足で下手なのだと云う人がいます。
言葉数は多いのに、肝心な事は抜けて仕舞っている人、凄くソフトで人を惹き付けて話が出来るのに、肝心な事は自分一人で考えて人の意見を聞こうとしない人、等々。

 会話は人の心を繋ぎます。
人と人は言葉だけでコミュニケーションしている訳ではなく、心を繋いでいるものです。
家族でも、友達でも、恋人でも、仕事上でも同じです。
人と人が関わった以上、相手は心配していたり、気にしていたり、疑問を持っていたり、聞かせて欲しいと願っていたりしています。
それを埋めるのが、会話です。
良く仕事では報連相(ホウレンソウ)、報告・連絡・相談と云いますが、プライベートでも同じですね。
人と付き合うと云う事は、相手の思いを意識する事です。

 一見すると上手く見えるけど実は下手よりも、一見すると下手そうだけど実は誠実の方が、人として大切ですし、信頼を勝ち得ると思います。
自分に必要な時だけ連絡して来て、その後の報告がないでは、親身になって心配した人はどうすれば良いのでしょうね?
と云う実例を沢山見ました。
う~ん、それではやっぱりその人を心底から信頼するのは無理かもしれないですね。

 会話って、コミュニケーションって、難しい事ではなく、相手を思い遣る事だと思います。
当り前の事は、当り前にしましょう。
それが信頼を勝ち得るコツ、かもしれません。

意識の方向

2007 - 07/25 [Wed] - 02:05

 今日、また「霊能者と仲間達」のブログをアップしました。
霊的な話ですが、結構ディープに進んでいます。
話している時よりも、アップして読んでみると、違った感覚ですね。

 今日は恒例の空手。
今日の練習はハードだったと思います。
決して激しい訳ではありませんでした。
が、とても集中力を必要とするものでした。
ただ体力を使うと云うのとは違った疲労感を持った人が多かった様です。
指導しているI君、進化しています。
中々、良いですね。

 今日、一番のテーマは意識の方向だった様に思います。
どこに意識を持って行くか、目的意識を何に持つかと云う事です。
ただ手足を出せば良いと云うものではなく、何の為に、どこに向って、どう身体を使って手足を出すか。
意識の方向がしっかり定まっていないと、独り善がりになって仕舞って、結果的に無駄な事を続ける事になります。

 これは何でも同じですね。
やりたい事が決まっていないのに転職したいとか、ただ就職さえすれば良いとか、大学へ行きさえすれば良いとか、点数さえ取っていれば良いとか。
日常でも、食事するにもちゃんと意識して食べると味まで変わって感じます。
歩くにも、意識して歩くと美しく、負担なく歩けます。
仕事も同じ。
漫然とやっていても、絶対に成果は上がりませんし、出世などしません。
引越しも同じです。
何の為に引っ越すのか、それがしっかり決まっていないと、絶対に良い物件や相応しい物件など見つかりません。

 目的意識と意識の方向をしっかり定めましょう。
それが次へ繋がる道筋となります。

継続は力

2007 - 07/24 [Tue] - 02:11

 先日、妻のブログで書いていましたが、妻が大学院を卒業しました。
暫く期間が開きましたが、卒業証書が送られて来ました。
数年かけて勉強し、通い続けた結果です。
その間、自分でも書いていましたが、色々な事がありました。
教授の意図が解らずに苛つく事、追求し過ぎて目的を忘れそうになった事、学友との助け合いの中ですれ違いや自分勝手な人の事で苛つく事、等々。
ただ、常に諦めず、また弛まずに勉強していた事だけは、我が妻ながら感心しました。
私なら途中で投げ出していたかもしれないなと思いながら、脇で見ていました。

 一つの事を続けると云う事は、色々な事に出会います。
時には投げ出して仕舞いたくなる時もあれば、諦めて仕舞いたくなる時もあり、どうしても前へ進めない壁にぶつかる時もあります。
でも、それでも諦めず、希望があると云う事を希望にして続ける時、ある瞬間、突然の様に飛ぶ事が出来ます。

 私も空手や密教などの修行で同じ経験を腐る程して来ました。
どうしても理解出来ない、思った通りにならない、上達しない、迷いに迷った挙句にキレた事も何度もあります。
そんな時は、誰かに多大な迷惑をかけていたかもしれませんね。
この場を借りて謝っておきましょう。

 そうやって続けて来た時、そしてそれを抜ける事が出来た時、諦めないで良かった、投げ出さないで良かったと思います。
その時にした苦労、悩み、迷い、苦しみ、そして抜けた時の喜び、その全てが血となり肉となっています。

 継続は力。
この言葉に、昔は全く意味を見出しませんでした。
でも、続ける事に意味がある。
やっと今なら解ります。
そこには大きな収穫があります。
得難い、成功する事よりも大きなものが隠れています。

自分の声を聞く

2007 - 07/23 [Mon] - 02:11

 今日は月例会でした。
恒例通り、護身法から始まり、勉強会へと移りました。
参加した人、出来なかった人、しなかった人、途中で帰った人、それぞれです。
が、最後まで参加した人はそれなりに何かを掴んで帰ってくれたのではないかと実感しています。

 今日の最大のテーマは「自分の声を聞く」です。

 身体の声、心の声、そして知識を持つ頭の声、さらに魂の声。
頭と身体と心と魂、全てで自分自身です。
が、その部分一つ一つが声を発しています。
その声をしっかり聞いてあげると・・・、色々と解って来ます。

 自分に何が必要なのか、何を排除するべきなのか、どう動けば良いのか、何が足りないのか、何を見れば良いのか・・・。

 生きていると事自体が修行だと云います。
特別な修行はそれはまた意味があります。
武道などをやる事は、それも違った意味があります。
その全てが、自分の声をしっかり聞かないと、絶対に完成しない、到達しない領域と云うものがあります。
頭で考え、心で考え、肉体で考え、そして魂で考える。

 人の声を聞く様に、物の声を聞く様に、自分の声をしっかりと聞きましょう。
それが統一への道でもあり、光の領域への道筋でもあります。

やる気

2007 - 07/22 [Sun] - 02:22

 誰でもそうですが、体調の良い時も悪い時もあります。
また、心が溌剌とする時も暗い時もあります。
原因はそれぞれ。
体調が悪いと心も暗くなりますし、心が暗いと体調もおかしくなって来ます。
逆に心が溌剌としていると体調まで良くなりますし、体調が良いとそれだけで心が浮き浮きして来る事もあります。

 気は心と云います。
気持ちの気、いわゆる気のエネルギー、どちらも意味しています。
気が溢れている時は、気持ちも元気になります。
逆に気持ちが暗くなっている時は、気のエネルギーは落ちて仕舞います。

 まず、心のコントロールです。
いつも明るくしていましょう。
気持ちが暗くなる時は、切り替えて明るくしましょう。
何でも良いから楽しい事を考えましょう。

 体調が落ちている時は、気持ちを高めましょう。
そうすれば、身体もついて来ます。
具体的に病気を持っている人は兎も角として、軽いものであれば気持ちの切り替えで体調も変化します。

 修行している人は、修行で得た心で気をコントロールして、心も身体も維持しましょう。
自分で治せない病はありません。
医療も結局は病気にかかっている人の生命力と気力次第なのです。
医療はそれを補助しているだけです。
絶対に治すと云う気力がある人は、本当に治して仕舞う事がよくあります。
気持ちが負けたら終わりです。

 要はやる気です。
何としてもと云う気持ちを持てば、心も身体も、そう簡単には負けないですよ。

感覚を磨く

2007 - 07/21 [Sat] - 02:38

 密教などの修行も、空手の修行も、繰り返し繰り返し同じ事をやったり言ったりする事がありますね。
ひたすらお経を詠み続ける。
真言を何十万遍と詠み続ける。
何百回も奥駆け修行をしたり、護摩を焚いたり、瀧行をする。
空手でも、ひたすら基本稽古をする。
移動稽古を何千回とやる。
型を何回も何回も続ける。

 何回も繰り返す事で、意識しなくても身体や心が動き、働く様になる為にやっています。
しかし、繰り返して覚える為にやっている訳ではありません。
繰り返しの中で、意識的か無意識的かは別として、そうする為の感覚を磨いているのです。
心を統一する。
思考を停止する。
考えなくても身体が動く様になる。

 その感覚を長い繰り返しの中で、自分で見つけ出して行くのです。
そして、それを磨いて行く。
繰り返しに意味があるのではなく、その感覚をつかむ事に意味があるのです。
ですから、何年やってもその感覚をつかめないと、前に進む事が出来ません。

 逆に言うと、ちゃんとその感覚を意識して行く事で、劇的に変化し、前へ進みます。
何をどうすれば良いのか、あちこちの方向から考え、意識して行く事が大切です。
どうすれば楽か、どうすれば無理が無いか、どうやれば一番効率的か・・・・・。

全ての道は同じ

2007 - 07/20 [Fri] - 01:59

 今日、所用で新宿の高島屋へ出かけ、ついでに隣接している紀伊国屋へ立ち寄りました。
一番の目的は、ドラえもんの漢字辞典を探す事でした。
妻の妹がイギリスのロンドンに嫁いでいて、長男がドラえもんの漢字辞典がとても役に立ったと云う事で、続きを探しに行きました。

 暫くするとそれは見つかり、妻が選んでいる間に私は武道書コーナーを見ていました。
で、空手、合気道、古武道、忍術、中国拳法と並んでいる中から幾つかの本を手に取り立ち読みをしていました。
どれも面白そうですし、買っても良いかなと思いながらも、結局買ったのは一冊だけ。
読んでいる内に感じたのですが、結局、どれもこれもテクニックだけの問題であり、同じ事を書いていると云う事です。
身体の最も効率的な使い方、心の使い方、相手との心理的な問題、等々。
色々な武道をやり、密教を修行して来た私にとっては、表現は違っても同じ事を書いているとしか思えませんでした。

 そうなんだよなぁ~、結局、どの道も同じ所を目指しているのだな、と感じました。
人を倒す為の武道、しかしその究極は、人との和です。
相手と心を通わせれば、争いは消えます。
そこに至る前の道筋としての武道。
密教も同じです。
願いを叶え、不幸を取り除く。
しかし、最終目的は仏であり、執着から離れて幸せを自分にも人にももたらす。

 同じなんですね、結局は。

霊現象

2007 - 07/19 [Thu] - 03:21

 当然ながら、私の所には霊現象で悩まされる方が沢山来られます。
霊が見える、感じる、声が聞こえる、色々な音が聞こえる、物が動く、霊のせいで体調が悪くなる、電器製品が壊れる、等々とあらゆるものがあります。

 が、実際に霊現象であるケースは、実はとても少ないのです。
殆どが思い違いか妄想。
自分が原因である事が殆どです。
夜中になれば人は精神が活性化して、感覚が鋭くなります。
ですから、普段だったら気にしない音や臭いが、人の出す音や気配に感じられる事があります。
また、ストレスから精神が病んでいたり、弱っている時、妄想が生れます。
そう云う時は、本当に霊がいるかの様に感じられます。

 また、自分でやったのに記憶を失って仕舞う場合。
物を動かしたり壊したりしておきながら、それを全く記憶していない。
だから、霊が動かしたり壊した!!!になって仕舞います。

 実際に霊現象が起きている場合もあります。
が、それも全てが本当に霊のせいとは言えないものです。
例えば良く言われる地縛霊。
殆どは霊などいません。
そこで起きた事故などの記憶が土地に残っていて、強い波動が出ています。
その波動を感じると、あたかも霊がいるかの様に、プロの霊能者でも間違います。

 実際に霊のせいで深刻な病が発症したり、悩まされたりする事はあります。
が、冷静に、固定観念や既成概念や思い込みに囚われずに見極める必要があります。
何でもかんでも霊のせいでは、霊も迷惑ですよね。

空手をやっていて良かったと思う時

2007 - 07/18 [Wed] - 02:12

 恒例の空手のお話です。
仕事柄と云いますか、体質のせいと云いますか、私も妻も、また弟子達も兎に角、良く被ります。
被る事で同調して相手を理解すると云う事もあり、被りは慣れています。
が、それでも辛い時はあります。
そんな時、水行(水浴び)をしたり、塩や刺激物を口にしたり、タバコを吸ったり、また祭壇で祈ったり、色々やります。
そして、空手、これは良いですよ。
汗をかき、大きな声を出しながら、セイヤー・セイヤーと突きを出し蹴りを出していると、いつの間にか被りは落ちています。
また、サンドバックやミットを持ち、突いたり蹴ったりして貰うと、アッと云う間に被りが飛びます。
気合いを入れて突き蹴りを出すと云う事は、同時に気も流れ、中国拳法で云う発勁と同じ様に気が飛びます。
なので、サンドバックやミットを貫いて気が身体を抜けて行く事で被りが吹っ飛んでくれます。

 今日はかなり被りの酷い日でした。
そして、最初に基本をやっている時、いつもなら道場生達を見ながらやっているのですが、今日は無意識に目が据わり、中空を睨みながらやっている事に気がつきました。
本能的に気合いが入っていた様です。

 こう云う時間を与えてくれる空手、そして師範、一緒に汗を流してくれる道場生達に感謝です。
基本の厳しさあり、型あり、投げ技あり、移動稽古あり、スパーリングあり、本当に何でもありで、こんな楽しい道場は中々ありません。
ハードですが、身心共に活性化するのが分かります。

コンプレックスの克服

2007 - 07/17 [Tue] - 02:13

 人は誰でもコンプレックスを持っています。
肉体的な事、精神的な事、能力的な事、等々、人によってその種類は人の数だけある様に思います。
そして、それは自信をつけると共に解消されたり、覆い隠されたりして行きます。

 コンプレックスの克服には長い時間がかかります。
幾ら焦っても無駄です。
次から次へ自分を追込んで行っても、前へ前へと走っても、必ず途中でストップします。
何故なら、コンプレックスの最大の原因は、自己認識と自己の確信がないからです。
自分が何が出来て何が出来ないのか、何が得意で何が不得意なのか、そこの確信を持っていないと、常に迷います。
ですから、先へ先へと進んでも、結局は同じ所で転んで仕舞います。

 本当にコンプレックスを解消しようと思うなら、出来る事を繰り返し繰り返しやって、これは出来るのだと云う確信を持つ、そうやって出来る事に対する自信をつけて行く事から始めましょう。
そうして確信が持てたら、その次に、その上の段階へチャレンジ。
そして、出来ない事を認識して、それが出来るまでまた止まる。
その繰り返しです。

 焦りは禁物です。
ちゃんと積み重ねておかないと、砂上の楼閣でしかありません。
まず、しっかりと自分を見ましょう。

台風一過

2007 - 07/16 [Mon] - 02:07

 台風が北の方へ通り過ぎました。
大被害をもたらしたこの台風は、今の時期としてはとても大きかった様です。
現在は東北に雨をもたらしているのでしょうか。
また被害が拡大しない事を祈ります。

 台風一過、今はとても静かです。
風だけがまだ少し残っているかの様に吹いていますが。
夜の空を見ている時、色々な匂いがして来ました。
海の匂い、温泉の様な匂い、花の匂い、等々。
台風が大気を掻き混ぜて運んで来たのでしょうか。
普段はしない匂いがしています。

 人生でも同じですね。
何かあると台風の時の暴風雨の中にいる様な気がするものです。
が、終って落ち着いてみると、その中で感じていた事が浮かん出来ます。
過ぎ去った中に色々なものがあり、それが混ざり合って仕舞って、冷静さを失って仕舞う。
終ってみると、冷静に、どこか他人事の様に、浮かんでは消えて行く。
そして、人生を思う。

 過ぎ去った台風が運んでくれた、普段は考えもしない、離れた場所の匂いを大切にしておきたいと思います。
過ぎ去って終わりではなく、そこから何かを感じ取って行く、そんな感性を持っていたいですね。

流れ

2007 - 07/15 [Sun] - 03:09

 今日、買い物に愛車で出かけました。
雨のせいと云うよりも、車の流れが悪く、とても疲れました。
土曜日だったせいもあるでしょうか、サタデー・ドライバーが多いのか、流れのリズムが悪く、とても運転し辛かったです。

 道路は生きて居ます。
人間の身体の血流と同じく、流れが悪くなると滞ります。
そして、遥か後方にまで影響が出て仕舞います。
路上駐車等は迷惑以外の何ものでもありません。
と言いながら、私もする事はありますが、出来るだけ通行車両に迷惑がかからない様に気をつけています。
商業車は仕方ない場合がありますが、やはり路駐は迷惑ですね。

 それ以上に迷惑なのが、迷い運転。
どっちに行きたいの?と後ろで見ていて苛々して仕舞います。
目的意識をちゃんと持って運転して欲しいものですね。
それに、前方は見ようと思わなくても見えますが、横や後ろはちゃんと意識しないと見えません。
前しか見ないで運転されると、ちょっとね。

 何をしていても同じですが、自分のする事が周囲にどう影響するか、意識しておかないといけません。
特に運転は気をつけて欲しいと思います。
一つ間違えば、とんでもない凶器ですから。
ただ移動の手段、便利な道具だと思っていると、無意識に迷惑を周囲の及ぼし、最悪の場合は事故を招きます。

脱力

2007 - 07/14 [Sat] - 02:10

 TVでナンバ歩きなるものを特集していました。
古武道の歩き方ですが、実は明治以前の日本人はいつもこのナンバ歩きなるものを使っていました。
西洋の歩き方と異なり、手と足が同じ方向が前に出ると云う歩き方です。

 それ以外にも、脱力の話をしていました。
ある場所の力を抜く事で、必要な場所に力を伝えると云う動き方です。
この脱力と云うのがミソで、抜く事で入る力もあります。
日本古来の作法を良く見ていると解る事ですが、手一つ動かすにも全身を使います。
逆に手の力を最低限にします。
だから、美しい動きが出来るのです。
これは密教でも武道でも同じ事で、全身を統一すると云う事に繋がります。

 何でもそうですが、心も肉体も、一面だけ、一ヶ所だけしか向いていないと、とても効率が悪く、無駄な力が入って仕舞って、頑なになります。
だらしなくなると云う事ではなく、きちんと脱力してあげる事で、必要な目的の為に必要な力が、心にも身体にも入ります。

 最高のリラックスと、最高の集中が同時に存在する時、人は大きな力を発揮します。
それが、三昧であり、空です。
それを目指して、心も身体もリラックスして、意識を統一して行きましょう。
方法は・・・、秘伝です。
お会いして、通って戴けたら教えます。

秘伝

2007 - 07/13 [Fri] - 02:40

 秘伝と云う言葉には何か神秘の匂いがします。
とっても不思議な、これを知れば何でも出来て仕舞う様な、そんな響きがあります。

 が、実際にはそんな事はありません。
ある剣術の秘伝書の巻物には、開けてみると何も書かれておらず、白紙だったと云う事があります。
それは秘伝がないと云う事ではなく、白紙、つまり無心である事が秘伝なのだと云う意味です。
誰もが知っている当り前の事、当り前過ぎて誰もが見逃して仕舞う事、そんな中に秘伝はあります。

 実は私も毎月の月例会での護身法や勉強会の話の中で、かなり秘伝公開をしています。
また、このブログやブログ「霊能者と仲間達」の中でも、沢山秘伝を話しています。
秘伝ですよと断って話していないので、それと気付く人がとても少ないと思いますが、解る人には解る。(笑)
良く弟子や妻やその道の達人に「そんなに秘伝公開して良いのか?」と言われますが、良いのです。
知ると云う事と、出来ると云う事は全く別です。
知って出来る様になる人は、ほんの一握り。
出来る人には出来るし、出来ない人は何を知っても出来ない。
だから、伝えたい事は伝えます。
後は本人次第です。

 武道も密教も、他の法も同じです。
肉体と精神と魂を統合して行く。
何かをする時に、肉体の一部だけを、心の一部だけを使うのではなく、全てを統合して使う。
動きも感覚も全てです。
そうすれば、秘伝とは何か、深奥とは何か、解って来ます。
結局は、秘伝とは、最も自然である為の方法論と云う事です。
私は何気なく、時には雑談の中で、時には冗談の中で、見せたり話したりしています。
見逃したり、聞き逃さない様に、集中して下さいね。

限界

2007 - 07/12 [Thu] - 02:55

 今日、Kー1の魔裟斗選手がコメントしていました。
「限界って自分で作るものかなって、最近は思う」と。
素晴しい言葉ですね。
私もそろそろ中年と云うか壮年と云える年齢になって来て、毎週道場に通っていると、やはり昔の自分とは格段の差を感じています。
スタミナ、パワー、スピード、柔軟性、全てが衰えて仕舞っています。
が、ゆっくりとですが、少しずつでも戻して行こうと思っています。
まだまだ、現役の若者達には到底敵いませんが、何れはまともにスパーリングが出来る様になりたいですね。

 修行をしていて、人生を生きて来て、また空手をやって来て、常に限界は目の前にあった様に思います。
何も知らなかった私が、こうして仕事をし、今を楽しく生きて居られるのは、やはり一つ一つの限界を超えて来た結果だと思います。
一つ一つは、今考えれば大した事は何もありません。
が、その時には、知識も経験も智恵も体力も筋力も何もなかった時、やはり全てが限界だと感じていた様に思います。
でも、やるしかない、逃げる訳に行かない、逃げたくない、何とかしたい、そう思って頑張って居たら、結果として超えていたと云う気がします。
自信も、力も、知識や経験も、智恵も、全てが気がついたらついていたと云う所でしょうか。
諦めたら終わり。
いつか超えよう、いつか追い付こう、そう思っていつもポジティブである事が、知らない内に自分の限界を高めて行くのだと思います。

 絶対に諦めない、絶対に下らない、歩き続ける、追い求め続ける、そして楽しむ。
それが限界を高めて行くコツかもしれないですね。

新しいテーマ

2007 - 07/11 [Wed] - 02:48

 本日、新しいテーマで「霊能者と仲間達」をアップしました。
内容は「不思議な体験」です。
皆がした霊的な体験など、不思議だと思った体験をテーマに対談しています。
色々な話が出て、とっても面白いですよ。
リンクからご覧になってみて下さい。

 今日は恒例の空手。
雨の中、愛車を運転して練習して来ました。
今日も人が多いなぁと思いました。
このクラスは人気があるのですね。
指導員のI君の指導振りが板について来て、リズムが良くなって来ています。
基本稽古、技の稽古、型、移動稽古、そしてスパーリング。
良いリズムですね。
また、たまには投げ技や護身術も入れましょうか。
それはそれで、楽しめますからね。

 しかし、リズムと云うのはとても大切です。
リズム感のない人は、性格的にも無味乾燥だったりしますし、当然ながら空手も上達しません。
会話も同じです。
リズム良く話している時は、話も弾み、楽しいですね。
メリハリがないと、人生もつまらないですしね。
空手が上手くなりたかったら、音楽を聞きましょう。

街への思い

2007 - 07/10 [Tue] - 02:24

 今日、NHKの放送で、ポーランドのクラクフの風景が放映されていました。
何気なくチャンネルを合わせた時に出て来た風景に惹かれて見ていました。
ヨーロッパの石の文化に対して、私は何の影響かとても強い憧れと懐かしさを感じます。

 番組の中で、登場する現地の人達の街に対する深い思いが主題となっていた様に思います。
曾て、第二次大戦下、ナチス・ドイツに徹底的に破壊されたポーランドの中で、戦禍を逃れ中世の姿を残す数少ない古都の姿、そしてそこに暮す人達の姿と思いは、心に沁みて来ました。

 自分が暮す街に対する深い思いを持っている事に羨ましくもあり、その背景には暗い歴史がある事に悲哀を感じ、しっかりと被って仕舞いました。(苦笑)
私でもちゃんと被るのですよ。
それもTVから。

 街はそれ自体が生き物の様なものです。
長い歴史を刻んだ街は、その長い歴史の記憶を持っています。
そして、そこに暮す人々をその中で育みます。
ここが最高であると言い切れる人達の深い思いは、とても美しく、同時にとても重く感じられました。
現代の日本には、その姿はとても少なくなって来ました。
特に都会に於ては。

 街であれ、物であれ、信念であれ、深い思いを持つと云う事は、長い歴史を大切にする事なのだなと感じさせられます。
今だけ、未来だけを見ていたら、それはとても空虚であり、軽々しく感じます。
人が生きて、人が為して来た事は、良い事だけではなく悪い事も悲しい事もあります。
が、だからこそ、そこに深い思いを持つ事が出来る。
失ってはいけない、忘れてはいけない大切な事、ちゃんと受け継いで行きたいですね。

昔と今

2007 - 07/09 [Mon] - 03:03

 私は色々な修行をして来ました。
医学、空手、その他の武道、密教、神道、その他の神秘学や占術、等々。
やって来た事をあげたらキリがありません。
興味を持った事は全てやって来ました。

 曾て、学ぶとか修行するとかの場では、「見て盗め、教わるな」と言われていました。
人から教わったものはすぐに失われて行きます。
学校の勉強がそうですね。
自分がやりたい、学びたいと思っている子はどんどん伸びますが、そうでない只教わっている子は全く伸びません。

子供の躾けや教育でも同じです。
危ない目や痛い目に会って色々な事を学んで行きます。
それを、全て危ないからと先々に手を回して仕舞ったら、その子は何も経験しないで育ちます。
人から学ぶのと、経験するのとは、天と地ほどの違いがあります。

 空手でも同じ。
道場へ行って、指導員や師範から言われた通りにやる。
その技の意味まで教わって覚えて行く。
でも、そこから先は自分で経験し、自分で出来る様になって行かなければいけません。
良く言われました。
「牛や馬を水場に連れて行く事は出来る。でも、水を飲むか飲まないかは牛や馬次第。」と。
空手をやったから躾けが入る訳でもなければ、強くなる訳でもありません。
道場と云う場で、その子が色々な思いをする。
そんな中で学んで行く事が沢山あります。

 教えて貰う事に慣れ過ぎた現代では、勉強でも修行でも空手でも、習う時に相手に求め過ぎる気がします。
学ぶのは本人であり、強くなるのも本人。
与えられる事に子供も大人も慣れ過ぎると、自ら作り出す、自ら考えて進む、良いものと悪いものを区別する力がなくなります。

 教えられないで盗んで学ぶ、与えられてマニュアルで学ぶ。
どちらも一長一短です。
が、どちらに偏っても、間違いが起きて仕舞う様に思います。
やはりバランスですね。

霊障について

2007 - 07/08 [Sun] - 03:00

 仕事柄、やはり時には霊の御相談があります。
曰く、「霊がついています」「霊の声が聞こえます」「霊がやって来ます」「霊が見えます」等々。
勿論、その度にきちんと霊視します。
そして、その殆どが気のせい、思い込みです。

 もう22年もこの仕事をしていますし、それ以前の修行時代、単なる霊感少年だった幼少時代から数えると数十年の時を霊に関わって生きて来ましたが、その経験から、霊が原因で起きている事は実際には数パーセントしかないと言えます。
起きた問題を霊のせいにすると気が楽ですね。
自分が原因であると云う事に気付かない、或いは気付きたくない人が、霊の話を良くしたがる様に思います。

 が、実際に霊が問題を起す事は現実としてあります。
毎月、護身法を習いに通って来ている人達の中の大半が、実際に霊に依って迷惑を被った経験を持ち、かなりの霊感を持っています。
だから、護身法を学び、力と意識と気のコントロールを覚えて、身を守ろうとしているのです。

 霊障と云えども、相手は肉体は持っていませんが、人間です。
殆どは、ただ救われたいから訴えて来ているだけです。
が、結果として生きて居る人のエネルギーを取って仕舞ったり、眠りを妨げたりする事で、色々な現象が起きて来ます。
体調が意味もなく悪い、精神が不安定になる、家が暗い、寒い、湿っぽい、音がする、気配がある、そして見える、等々とあらゆる事が起きます。
そりゃそうです、来ている霊によって、その霊の特徴が出るのですから。
十人十色は、霊でも同じです。

 そして、大抵は霊障を除いてあげれば、つまり浄霊・除霊をすれば、現象は消えます。
が、体調に出た場合などは、霊障を除いただけでは問題は解決しません。
既に病が発生していたら、霊障による後遺症、つまり病だけが残ります。
これは医学的にしっかり治療を受けて貰わなければいけません。

 霊障は種々様々です。
場合に依っては、特に土地の問題などは、御祓いするよりも逃げた方が、つまり引っ越した方が良い場合もあります。
祈りに依って全て解決する訳ではありません。
その場合によって対処が違います。
霊さえいなくなれば、は問題の解決にはならないのです。

 が、世の中で言われている霊障の多くは、霊そのものではない、場所に残った記憶であったり、人に残った記憶が、霊と同じ波動を出す事で、人が霊と認識して仕舞う事から起きているとも言えます。
霊能者でも間違う事が良くあります。
相手が生きていても、死んでいても、人間である以上、その人その人の付き合い方をしなければいけないのは同じです。
やはり、難しいですね。

大雨洪水注意報

2007 - 07/07 [Sat] - 02:03

 九州地方でとてつもない大雨が降り、洪水や土砂崩れなどの大被害が出ていると云う事です。
台風の直撃する地方でもあり、雨風には慣れている筈ですが、今回の大雨は予想を遥かに超えたスケールなのでしょう。
これ以上の被害が出ない事を心より祈りたいと思います。

 日本では古来、自然を脅威として怖れて来ました。
荒ぶる神として、自然の神々を崇め、儀式を以て自然災害が起きない様に祈りを捧げて来ました。
それが効果をあげていたかどうかは分かりません。
が、現代においては、自然に対する崇敬の念は失われていると言っても良いでしょう。
各地で祭りは行われていますし、種々の祈りは捧げられていると思いますが、人間の心から自然に対する畏敬の念が失われている以上、形骸化して仕舞っているのではないでしょうか。

 自然と共存し、自然を畏れ、自然に対して畏敬の念を以て接していたと云う大切な文化を失いたくないですね。
これ以上、荒ぶる神が怒りをもたらさない様、祈りたいと思います。
大魔神が若く美しい女性の涙で鎮まった如く、純粋な祈りのみが荒ぶる神を鎮める事が出来るでしょうから、日本人が本来持っていた自然に対する畏敬の念を、この際、取り戻して欲しいものだと思います。

遠隔での気療

2007 - 07/06 [Fri] - 01:45

 当然ながら、私の仕事では病気の御相談も多いです。
以前は末期の癌の方ばかりが来られた時期もありますが、その後は色々な病気の御相談があります。
筋肉の硬直、ヘルニア、痛風、リウマチ、他にも色々です。
そして、霊的な被りによる発熱や体調不良。
これが一番厄介です。
何よりも被りを取らなければならないのです。
被りが取れて仕舞うと、アッと云う間に回復して仕舞うのがミソと云うか、だから事情を知らない人には仮病だと思われて仕舞います。
出て来る症状は色々。
頭痛、発熱、悪寒、吐き気、腹痛、下痢、等々。
それこそ、その人の弱い部分に出ますから、全ての症状があると言えます。

 目の前にいれば、被りを取って仕舞えば簡単。
でも、そうでない時は、遠隔でやらなければいけません。
ただエネルギーを送るだけでは駄目で、被りを取り、エネルギーを補充してあげなければいけません。
その時、一番大切なコツはやはり心です。
心の底から、その人を思い、楽になって欲しいと願い、出来るだけ具体的にイメージして目の前にいる感覚にならなければ気療は届きません。

 極度の集中を必要としますが、楽になって欲しいと心の底から願って、毎日、あちらこちらの方へ気療を遠隔で送っています。
楽になって、元気になってくれる事を祈って。

修行って?

2007 - 07/05 [Thu] - 01:33

 私は幼い頃から色々なものを見たり、また感じたり、そう云うものと話したりして来ました。
そんな中で、迷惑を被る事が多くなったのと、自分自身を見詰める上で必要を感じたから、修行の道に進みました。
武道の修行は違う理由ですが。(笑)
そして、いつの間にかこうして仕事として生きる事になりました。

 修行されている方も、これから修行しようと思って居られる方も沢山居ると思います。
その動機は何でしょうか?
辛い事から逃げたい?
煩わしい世間から離れたい?
自分を見詰めたい?
力が欲しい?
興味?
それぞれ色々あると思います。
どんな理由で修行を始めても良いと思います。
が、修行を続ける中で、嫌でも自分を見詰める時間があります。
また、修行に失望する時も、感謝する時も、修行している事に満足して仕舞う時もあります。
そして、慢心したり、落ち込んだり、止めようと思ったり、もっともっとと思ったり。
そんな葛藤そのものが修行の大切な要素です。

 修行を始める動機は人それぞれです。
が、修行を通じて、真に自分を見詰めて、世の中でより良く、楽しく生きられたら最高ですね。
その結果としてプロの行者になる人もいます。
が、それは本当に一握り。
世の中で普通に生きる為、自分の苦しみの原因を知る為、そして何よりも幸せになる為に修行はあると思います。
人のお役に立つ様になりたいとか、悟りたいとか、精神修養とか、高邁な事は幾らでも言えますが、そんな事を言う人ほど、修行は続きません。
特別な修行などしなくても、日常そのものが人としての修行です。
ある一定の時期、俗世間から離れ、静かに自分を見詰める為にこそ、特別な修行はあると思います。
ずっとそれを続けるのは、一部の特別な人だけ。
幸せになる為になら、自分を振り返る為になら、少し修行をしてみても良いかもしれないですね。
誰の為でもなく、自分自身の為に。

「先入観は罪、固定観念は悪」

2007 - 07/04 [Wed] - 02:04

 今日も恒例の空手の日でした。
いつもながら、若い人達の体力には感心します。
良く足が上るなぁ~と羨ましくもあり、感心しながら見ています。
指導のサブと云っても、私が彼等に教える事など何もありません。
ただ、彼等が知らない、習っていない、空手に対しての考え方を少し教えるだけです。
が、それが実は大きいのでしょうね。
段々と彼等の目がキラキラと輝き出す。
そうすると、もっと何か伝えたくなって仕舞います。
ですから、いつも帰りは遅くなります。(笑)

 帰って来た時、ニュースで楽天の野村監督の野村ノートが話題となり、神戸の中学で教材となっていると報道していました。
曰く、「先入観は罪、固定観念は悪」
うん、納得です。
決め付けたら何も始まりません。
こうでなければならないと思ったら、新しいものは何も出来て来ませんし、自分流も生れません。
柔軟な発想、広い視野、まず試してみてから考える。
野球も空手も同じなのだなと感じました。
そして、生き方も。

心を込めて

2007 - 07/03 [Tue] - 02:36

 相手を大切に思うと云うのは基本です。
そうでなければ家庭は成り立ちません。
新婚の頃は誰でも相手を常に意識し、何をするにも相手を思って決めます。
が、時が経つに連れて、段々と相手がいるのが当り前になり、して貰うのが当り前、或いはしてあげるのが当り前になり、言わなくても分かるだろうになって行きます。
そして、最初は相手の事が最優先だったのが、自分の事が優先される様になって来ます。
慣れと云うものは、人の心を変えて行きます。

 身近だからこそ、伝えるべき事はちゃんと伝えないと分からないものです。
そして、身近だからこそ、当り前だと思ってはいけないものです。
仕事で付き合っているのではないのですから、いつも互いの心と思い遣りを持っていないと、心が冷えて仕舞います。
相手を優先してあげれば、自分も大切にされるものです。
ま、中には性根が悪くて、相手から優先されていると図に乗って自分の事しか考えないバカもいますが。
そう云う人には、キツイお仕置きかお灸を据え、時には大きな雷を落としましょう。

 家庭は何の為にあるのか、何の為に結婚したのか、そう云う大切な事を忘れない事です。
自分が楽をする為だけにあるのではありません。
互いが、互いを、幸せにする為に家庭はあり、結婚するのです。
自分勝手でしか考えないのであれば、して貰う事しか考えないのであれば、それは家庭人失格。
お相手にさっさと別れなさいと、私が言ってあげましょう。

 大切な事を大切と認識し、どうしたら相手が幸せになるのか、まずそれを考えましょう。
家庭では、自分の事よりも相手の事ですよ。

評論家

2007 - 07/02 [Mon] - 02:57

 こんな仕事をしていると色々な人に会います。
また、毎日、こうしてブログを書いていますが、他の方の書いたブログやHPなども拝見させて戴いて居ます。
多くは素直に自分の気持ちを書かれていて、とても好感が持てます。

 人に会ったり、話したり、読んだりしていて、一番嫌な感じを持って仕舞うのが、評論家です。
何でもかんでも否定的、批判的、欠点の粗探しに終始していて、自分だけは正しいと御託を述べている。
凄いんですね、偉いんですね、それはそれは素晴しいと皮肉を言いたくなって仕舞う私は、まだまだ修行が足りませんね。(笑)

 自分と考え方が違う、生き方が違うのですから、自分の目から見たらやはり良い所も悪い所も見えて仕舞うのは仕方ありません。
それを論理的に分析し、それを言葉にする事は決して悪い事ではありません。
が、それが批判で終わり、非難になり、否定で終っていたら、それは傲慢でしかありません。
勝手に言ってろ、と云う感じですね。

 その言葉が、「自分だったらこうするけどなぁ~」「ここがこうであればもっと良いのにね」とか、「あそこは良いけど、ここは問題だね」と、バランスが取れていれば説得力もあり、素晴しいと思います。
ネガティブな、否定的な理論や理屈は、聞く人も話す自分も消耗させるだけだと思います。
どうせなら、元気になれる様にポジティブに行きたいものですね。
最初に否定ありきは、う~ん、私はやはりその人の器量の狭さを感じて仕舞いますね。
全て肯定ありきからスタートして行きたいですね。

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プロフィール

島津 成晃

Author:島津 成晃
Adept・Mentor 島津相談室主宰
人生のあらゆる問題の相談に乗って来ました。
元気になって希望を持って帰って戴く事が私の願いです。
スピリチュアルな目と、冷静な分析で御相談に乗ります。
御相談はHPの方からお願いします


関連ブログです。
Adept・Mentor 島津成晃の独り言
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