感じたり思った事を書いて行きます。 時には秘伝などを書く事も。 空手や色々な趣味の話も。

  Adept・Mentor 島津成晃の独り言のナビゲーター   トップページ > 2007年06月  

身体が資本

2007 - 06/30 [Sat] - 02:02

 何をしていても、やっぱり身体が資本だと思いますね。
こうして、毎晩遅くまで起きていると、やはり体調管理には気を遣います。
私は喫煙者、愛煙家ですから、余計に気を遣っています。
週に一度の空手は、身心共にリフレッシュさせてくれます。

 人生を楽しむにも、仕事をするにも、何をするにもやはり体調が万全でないと心の底から楽しめませんし、頑張れません。
現代はストレス社会で、どうしても精神的なものから血行不良を起したり、病気になったりしがちです。
自分の体調管理は誰もしてくれません。
自分でやるしかありません。

 体調管理がきちんと出来ない人が、良い仕事が出来るとは思えません。
人生を楽しんでいる筈はありません。
気持ちの切り替え、ストレスの解消、健康維持の意識、そう云うものは生きる上での基本です。

 本来、人間は動物ですから、本能的に何をすれば良いか、ちゃんと身体が信号を送ってくれています。
それに従えば良いのです。
やる時はやる、休む時は休む、動く時は動く、寝る時は寝る。
そうすれば、極端に痩せたり太ったり、いつまでも体調が回復しない等と云う事はありません。
勿論、医師の診断や処方に従って対処して貰わなければなりませんが、それに加えて自分の体調維持の意識をちゃんと持つ事です。

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マニュアル

2007 - 06/29 [Fri] - 02:50

 今日、道場の師範と話していました。
道場の稽古の内容や昇級・昇段審査の規定についてですが、話していて思った事がありました。
私は火曜日に指導している指導員のサポートで入っていますが、その際に技の稽古と云う事で、護身術や投げ技、関節技、その他を教えています。
その時に、皆に「今日は何をやろう?」と聞きます。
何故そうするかと云いますと、護身術でも投げ技でも関節技でも同じですが、応用が利いて実際に使えなければ意味がありません。
こう来た時はこうですよと形で教えるのは簡単ですが、そうするとその型に意識が囚われて仕舞います。
実際にそう云うシチュエーションになってみれば分りますが、相手は練習の時の様に自分の思う様には動いてくれませんし、そう云う場面は突然にやって来ます。
ですから、型で教えるのは、マニュアルになって仕舞うので、敢えて避けています。
それよりも、相手との距離感や、基本となるセオリー、身体や意識の使い方を覚えて貰う事が大切だと思っています。
もし、私の指導の時に参加している人がこれを読んでくれていたら、「これを教えて欲しい。こんな場面ではどうしたら良いですか?」と気軽に質問して下さい。
そうすれば、それを教えます。

 マニュアルで教えるのは、教える方も学ぶ方も楽ですね。
その通りにやれば良いのですから。
でも、そうすると形に囚われ、そこから抜けられなくなります。
言われなければ何も出来ない、と最近の若者を指して年配者が良く口にしますが、そうやってマニュアルに囲まれて育って来た若者には酷な言葉だと思います。
それしか知らないのですから。

 この場面ではどうするべきか、それを考えるのも学びであり、生きて行く上では絶体に必要な事です。
知らなければ出来ない、その通りですが、基本を知っておき、そこから応用を自分で考えて行く。
そう云う意識を、空手に限らず、何に対しても常に持ちたいものです。
知らない事は知っている人に頼れば良いと云う事もありますが、全く何も知らなければ話も出来ません。
頼った相手がもし悪い人だったら、簡単に騙されて仕舞います。
自分で考えると云う意識を常に持って行きましょう。

やるべき事はやるしかない

2007 - 06/28 [Thu] - 02:54

 生きて居ると色々とありますね。
楽しい事、辛い事、悲しい事、嬉しい事、腹の立つ事、出会い、別れ、等々。
そんな中で、やらなければいけない事が沢山出て来ます。
仕事、勉強、練習、堪えなければいけない事、チャレンジしなければいけない事、待たなければいけない事、等々。
う~ん、逃げようと思えば逃げる事は出来ますし、眼を背けようと思えばそれも出来ます。
でも、それをしていると、結局いつかはもう一度向き合わなければいけない時が必ず来ます。
じゃ、逃げても、眼を背けても同じじゃん、と思いますね。
でも、それでも嫌な事や辛い事から逃げたいのが人間。

 しかし、逃げていたら、きっと一生逃げなければいけない、昔そう思った事があります。
眼を背けたら、ずっとそれから眼を背けて生きなければいけなくなる。
そう思いました。
それ以来、ちゃんと向き合い、ちゃんと受け止めて、逃げる事を止めました。
厳しい時もあります。
辛い時もあります。
でも、そうやっていると、必ずどこかで助け船が出るか、智恵が降って来るか、抜け道が見えて来るか、何れにしろ何かが解決する方法へ導いてくれる事に気がつきました。
決断と勇気と、それを支えてくれる人や何かが必要ですが、ちゃんと向き合って、逃げないで、やるべき事をやっていると、結果は出て来るものです。

 やるべき事はやるしかない。
そう思いませんか?

何気なくやっている事

2007 - 06/27 [Wed] - 02:25

 今日は、恒例の空手の日でした。
毎回、ハードですが、気持ちの切り替えがとても有難いです。

 今日、指導して思った事ですが、何気なく慣れでやっている事が、実は肝心な事が欠落している場合がとても多いと云う事です。
突き、つまりパンチの打ち方一つにしても、構え方一つにしても、その中にはとても合理的で理屈に叶ったセオリーと云うものがあります。
が、練習の中で慣れでやっていると、そう云う小さく見える事が忘れ去られて仕舞っています。

 私が最初に空手を習った時、歩き方だけで3年、拳の握り方で3年と言われたものでした。
正しい歩き方をする事で、全身のコントロールを身体に染み込ませ、拳を正しく握る事で全身の力を伝える。
無意識にそう云う事が出来る様になるまで、長い時がかかります。

 子供が言葉を覚え、歩き方を覚え、箸の使い方を覚えて行く。
それと同様、空手に限らず全ての事を、考えなくても、無意識に正しく出来る様になる為には、長い時がかかると同時に、小さな事でも意識して行く事が大切です。

 無意識に放つ言葉や態度が問題を起す時、悪気がないだけに厄介だと書いた事があるかもしれません。
同じく、無意識にやっている事が、実は自分自身の身体や精神を痛めつけていたり、ちゃんと意識や力が伝わらなかったりすると云う事があります。

 目的意識、何が大切か、正しい姿とは?
そう云う意識をちょっとだけでも持つと、色々な事がガラリと変わりますよ。

固執する

2007 - 06/26 [Tue] - 02:08

 人間は誰でも何かにこだわりを持って生きているものです。
ライフスタイル、考え方、価値観、趣味、それは人それぞれですね。
こだわりを持つと云うのは、ある意味では信念となって、その人を輝かせます。
何でも良いと云う人は、一見柔軟性がある様に思えますが、その実はただの優柔不断だったり、だらしなさだったりします。

 しかし、こだわりも程度問題で、極端に走って仕舞うと固執となり、妄執となって仕舞います。
ずっと昔、父に「蒐集癖は精神病だ」と極端な言い方をされた事がありますが、そう言う父も東北の物産品が好きで集めていました。(笑)
ま、父が精神病だったとは思いませんが、強い憧れに似たものを東北地方に対して持っていた様です。

 人が生きる上で信念やこだわりは大切だと思います。
でも、それを人に押し付け、そうでなければならないと頑固になって行くと、やはりそれは妄執であるとしか思えません。
例えば人は年を取ると頑固になって、何だかんだと固執し始めるものですが、それは年を取った事によって抑制が利かなくなって来たと云う事です。
でも、まだ若いのにそうなっている人がいます。
そう云う人を良く観察し、霊視してみると、自信の無さやコンプレックス、また自分の立場の危うさを感じる時、その裏返しで固執して行くのを感じます。

 自分がこだわって行くのは良いですが、それが他にまで及ぶとなると問題ですね。
いつも心が平穏ではなく、常に危うさを感じ、怖れを持っているのですね。
悲しい事です。
人間なんて、どんなに能力が高く見えても、偉そうに見えても、実は大きな差などありません。
所詮、どんぐりの背比べです。
諦めずに頑張った結果として、目に見える結果があり、金銭も地位も後からついて来たのです。
今だけ、見える所だけを意識すると、敵わないなぁと思うでしょうが、だからと云って自分を大きく見せようとしたり、コンプレックスを持つ必要などありません。
持っても、意味がありません。
そうやって固執して自分が大きくなれて、人から信頼されるなら別ですが、そんな事はあり得ません。
逆ですね。
やればやる程、人は離れて行きます。

 人生は楽しく生きる為にあります。
人は生きているだけで美しく、貴重なのです。
その為に、正しいこだわりと信念を持ちましょう。
自分自身の為に。
人と比べるのではなく。

コミュニケーション

2007 - 06/25 [Mon] - 03:21

 今日は、護身法の後の勉強会で「霊能者と仲間達」の為にテープ撮りをしました。
テーマは「特殊体験」。
霊現象や、変な体験、特別な感覚等を、それぞれの体験談を話して貰いました。
いやぁ~、皆、色々な経験をしているものですね。
詳しくは、何れアップされる「霊能者と仲間達」のブログを見て戴くとして、こう云う体験の持つ意味と云う事にも話を広げました。

 霊と云えども、身体はなくても人間です。
そう云う現象から学ぶ事、気付かされる事、それがとても大切です。
ただ面白い、おかしい、怖い、気持ち悪いとセンセーショナルな捉え方をするマスコミの扱い方に対するアンチテーゼとしても良いかもしれないですね。

 霊と云うのは、特に成仏していない霊は、感情に囚われています。
苦しい、悲しい、辛い、悔しい・・・・・と。
それをちゃんと聞いてあげて、少しでも癒してあげられる事が出来たら、その霊はこだわりを捨てて行きます。
そして、成仏への道を歩き出します。

 空手をやっていても、痛い思いをしたら腹が立ったり、悲しくなったり、また自分の思う通りの空手が出来ていると嬉しくなったりします。
喜怒哀楽が全て含まれている気がします。
でも、その感情をコントロールする、或いはそこから脱却して常に冷静でいられる様になった時、本当に空手が上手くなり、自分らしい空手が出来る様になって来ます。
それがコミュニケーションです。

 感情に囚われていると、良いコミュニケーションは出来ません。
時には激した感情をそのまま出すと云う事も大切な伝達手段です。
でも、そこに囚われて仕舞うと、ただの自分勝手となります。
相手が人でも、霊でも、また空手の組手の相手でも、必ず冷静さを保ち、その上で適度な感情表現が乗った時、円滑に会話が出来て行くと思います。
人が人と触れ合い、会話して、人は生きています。
大切な会話をする為に、感情と冷静さのバランスを保ちましょう。
どちらに偏っても、円滑なコミュニケーションは取れなくなって仕舞います。

昼と夜

2007 - 06/24 [Sun] - 01:16

 夏至が過ぎて、一番昼間が長い時期が続いています。
梅雨だと云うのに雨も少なく、夏日の暑い日が続いていますね。
こんな時は、昼間は何もしなくても熱がこもって仕舞って熱中症になりそうです。
でも、日が沈んで暫くすると気温も下り、過し易くなります。
まだ、本当の夏ではないのだなぁ~と実感しますね。

 一日には昼と夜があります。
当り前です。
地球は自転しているのですから、こちらが昼ならどこかが夜で、こちらが夜ならどこかが昼。
こんな当り前の事が、日々生きていると忘れて仕舞います。
昼の次は夜、その次が昼、そしてまた夜。
繰り返しています。
でも、昼も夜も一日として同じ日はありません。
毎日、暑かったり、涼しかったり、蒸し蒸ししたり、寒かったり、雨の日も曇りの日も、そして快晴の日もあります。

 人生も同じ。
昼もあれば夜もあり、楽しい時もあれば辛い時もあり、毎日、一日として同じ日はありません。
それが人生であり、だからこそ人生は生きる価値があり、意味があると思います。
毎日の移り変わり、一瞬一瞬の変化、その全てが何かを伝え、教えてくれます。

 ある武道家が言いました。
我以外皆師と。
自分を取り巻く全てが、何かを教えてくれる。
そんな意識を常に持って生きていると、どんな事も楽しく、ポジティブに受け止める事が出来るかもしれませんね。

三日坊主の思い上がり

2007 - 06/23 [Sat] - 02:40

 道場でも、私の勉強会でも同じですが、数回来ただけで自分は変われた、学んだ、解ったと思うバカ者がいます。
そして、来なくなる。
三日坊主の思い上がり。
くだらないですね、こう云う人は。
何も解っていないと云う事が解らない愚か者。
ま、勝手にして下さい、一生言ってろと云う感じですか。

 石上十年と云います。
石の上にも10年。
3年くらいでは、やっと何かを感じ始めたと云う所でしょうか。
10年でやっと少し解ったと云う感じです。

 密教から始まった私の修行も30年。
う~ん、まだ入り口ですね。
13歳から始めた空手、もうすぐ40年。
う~ん、まだまだ究極は見えませんね。
どの道も深いですね。

 たった数度で解った気になっている愚かな人、後で後悔した時は遅いですよ。
気がついたら誰もいなかった、ってね。
でも、そう云う人は自分は悪くないって誰かに責任転嫁するのでしょうね。
と云う事は、一生解らない。
やっぱり、一生言ってろですね。

夏至

2007 - 06/22 [Fri] - 02:04

 夏至は太陽が天球上で最も北に位置する日です。北半球ではこの日に太陽の南中高度が最も高くなり、昼間が最も長く、夜が最も短い日となります。
今日は、正確には昨日は夏至の日でした。
季節はこれから夏となります。
でも、日本は梅雨の真っ最中。
しかし、雨の降らない梅雨ですね。
水不足が心配。
そして、今年は猛暑となる予想が・・・。
う~、暑いのは苦手です。

 雨降って地固まると云います。
この梅雨では雨が降らなくって、これでは地が弛んで仕舞うでしょうか?
そんな事はありません。
心を込めて、互いを認め合って、しっかり会話すれば、必ず理解し合えます。
でも、それには長い、長い時間がかかります。
その間にはすれ違いも何度もあるでしょう。
でも、そうやって行ってこそ、信頼関係が生れます。
逃げていては孤独になるだけです。
人付き合いは疲れる時もありますし、面倒な時もあります。
それを楽しめる様になれたら、本当に器の大きな、懐の深い人物になれると思います。
逃げないで、諦めないで、時間をかけて会話して行きましょう。

あぁ、哀れ

2007 - 06/21 [Thu] - 02:13

 今日、ある方から連絡が入りました。
その方の曾ての上司が、自分を守る為、周囲を敵にして必死になっていると。
何でもかんでも、自分を正当化し、部下に厳しくし、締めつけをしているそうです。
また、自分の意に従わない者は全て敵だと云う意識で、徹底的に攻撃しようとする。

 その話を表面だけで捉えると、とても腹の立つ話ですね。
そんな人が上に立つと下の者は迷惑です。
自分に非があるのに、それを自覚せず、否、自覚したくないのでしょうが、周囲に責任転嫁して攻撃する。

 私の色々な方や組織の相談に乗って来ました。
そして、自ら道を踏み外して人の信頼を失って行き、孤独となって行って仕舞う方、駄目になって行く組織の長である人は、概してこのパターンが多いです。
自分が悪くない、自分は正しい、責任は全て周囲にある。
こうして突っ張り、高圧的になって、気がついたら誰もいなくなった、或いは煩いから黙って言う事を聞いておこうと周囲が思い、無責任な適当な付き合いしかしない。
裸の王様ですね。
そして、気がついた時は手遅れ。
悲しい話です。

 悪い事が起きる時、その大半は自分に非があります。
それは自分の鏡です。
が、追込まれて行くと自分を見失って仕舞います。
そして、責任転嫁を始める。
悲しいですね。

 こう云う人を見る時、こう云う話を聞く時、以前は本当に怒っていました。
元々、ちょっと?戦闘的な私ですから。(笑)
でも、最近は何だかそう云う人が哀れに思えています。
自ら道を閉ざし、人の縁を切り、孤独になって行く。
ちょっと心を開けば、解る筈なのに。
固執して仕舞うと云う事、自分を守ろうとする意識が強過ぎる時、被害者意識を人は持って仕舞います。
そんな事をしても、自分を貶めるだけです。
大らかに、心を開いて、自己を大きく見せようとする事を止める時、人は却って大きく見えます。

 気持ち良く、楽しく、人とお付き合いして行きたいですね。
それが、結局は損して得を取ると云う事に繋がるのです。

互いを大切に

2007 - 06/20 [Wed] - 02:32

 人は字の通り、互いに寄りかかって生きているものです。
誰一人として、一人で生きる事は出来ません。
山で一人で隠っていても、自然から恩恵を受けて生きています。
仕事も同じですね。
一人でする仕事は、誰かの力があってこそです。
物を売るにも、誰かが作ってくれた物を売っているのです。
何をするにも、人は必ず誰かの力を借りて生き、仕事をします。

 今日、空手の指導に行きました。
人生の大先輩が亡くなって、お通夜に行き、その後にかけつけたので遅れましたが、今日担当している筈の指導者は体調を崩して休んでいました。
それをサポートして、師範が代理で指導されていました。
遅れて私も入り、サポートされている師範のサポートをしました。
こう云う事が、とても嬉しいですね。
それぞれ、互いが尊重し合って、自分の出来る事と持ち分を守ってサポートし合う。
そこに上下関係などありません。
信頼し合っているからこそ出来る事であり、尊重し合っているからこそ出来る事です。
お互いを大切に思って、お互いが相手をサポートしようと思う。
こう云う気持ちと姿勢が、人間関係や仕事で活かせて行けたら、きっと道場と同じく、とても楽しい時間となって行くでしょう。

 人は一人では何も出来ないと云う事を忘れず、人の縁を大切にして行きたいですね。

犯人探し

2007 - 06/19 [Tue] - 01:53

 このブログを読んでくれる人から、特に相談者や弟子達から、「これは誰の事でしょうか?私の事ですか?」と聞かれる事があります。
そんな事はありません。
特定の人を指して書く事は殆どありません。
書く時には、ちゃんと名指しして書きます。(笑)

 そうやって「誰だろう?」って犯人探ししても何の意味もありません。
そう云う読み方では、このブログから何も感じられないのではないでしょうか?
私はその日その日に感じた事を素直に書いています。
そこには、メッセージもあれば、伝えたい事もあれば、時には私の趣味もあります。
読んで何かを感じ、学び取ってくれたら、参考にしてくれたら良いなと思って書いています。
これは、このブログだけではなく、「霊能者の見つけた良い物」も「霊能者と仲間達」も同じです。

 眼にするもの、耳にする事、肌で感じる事、匂い、そう云う五感で感じるもの全てが、身心に刺激を与えてくれます。
誰だろうと想像するよりも、そこから感じ取り、学び、参考にして欲しいですね。
人にある問題は、すべからく自分にもある問題です。
目に付く、人の欠点は、必ず自分にも同じ欠点があります。

 このブログが少しでも皆さんが幸せに生きる上での参考になればと願っています。

人を使う

2007 - 06/18 [Mon] - 01:34

 私も何かの時に、弟子や護身法の上級や超級者に働いて貰う事があります。
道場でも指導の時に、指導員をしているI君や、黒帯や茶帯の人にモデルになって貰う事があります。

 若い時は私も、同じ様に誰かの命令で動いたりしていました。
その時、使い方の上手い人と下手な人、沢山出会って来ました。
使い方の上手い人は、何気なくこちらのモチベーションをあげてくれ、やる気にさせてくれましたね。
でも下手な人は、注意するばかり、管理するばかりで、自分の思う通りに動かないと怒り出す。
それでは、信頼関係は出来ませんし、こちらのモチベーションもあがらないですね。

 人を上手く使うコツなんてありません。
でも、言えるのは、その人と信頼関係を作って、任せる事。
そして、その結果として何かトラブルが起きても、それは覚悟して責任を持つ事。
その後で、注意するなり叱るなりすれば良い。
でも、叱りっ放しはいけませんね。
叱りっ放し、褒めっ放しは、人を間違いへ進ませます。
飴とムチと云いますが、バランスを常に保つ事が大切です。

 人を自分の思う通りに動かそうなんて思ったら、大失敗します。
人は十人十色。
それぞれの個性もあれば、力量もあります。
自分以上の力量を相手が持っている分野もあるでしょう。
ならば、信頼してその人に任せるべきですね。
自分の思う通りに、自分の価値観で人を使おうと思ったも無理です。
それは、単なる思い上がり、傲慢でしかありません。

 本当に仕事を効率良く、また最大の成果を生み出す為には、人は使わないで使う事も必要です。
もし何かトラブルがあっても、それ位はフォロー出来るでしょう。
それが出来ないなら、その覚悟がないなら、人を使うべきではありません。

 私の弟子でKと云う大男がいます。
彼は、一見すると「大男総身に智恵が周りかね」と云う鈍さを感じさせます。
が、彼の持つ力は特別なものがあります。
彼なればこそと、秘中の秘を明かしてくれる取引先、何十年も続く仲間達や後輩達との付き合い、交渉事に於ては誰もが不可能だと思う事をやってのける。
不思議な奴です。
私も良く彼を叱りつけますが、それでもその部分に関しては絶対的に信頼しています。
彼の様な人物は、思う通りに動かそうとすると動きません。
彼流と云うものがあります。
それを自由にやらせなければ、彼はある意味では不器用ですから、使えません。(笑)
私は何十年の付き合いですから、彼を全てコントロールする事が出来ますが、他の人には無理でしょうね。
彼を真に活かして使う為には、彼と信頼関係を作り、彼流のやり方に任せる事です。
その時、彼は何かをするでしょう。

 人を使うには大きな器量が必要です。
それぞれの特徴や、優れた所を、どう活かすか。
やはり、心で会話しなければいけませんね。

具のない鍋

2007 - 06/17 [Sun] - 02:23

 口先だけ、頑張りますとか、一生懸命やりますとか言って、何も変わらない人が多いですね。
大体、そう云う言葉を使う人は、口先だけの人が多いですね。
本当に頑張っている人や、やる気のある人は、そんな言葉を使う必要もなければ、口にしません。

 有言不実行、無言不実行、どっちにしても、何もやらないのであれば同じ事です。
言われた時、注意された時だけは、その場逃れの気合いの入った言葉を口にしますが、一瞬後には忘れて仕舞ったかの様な顔をして、何もしない。(笑)

 どんなに一生懸命に、心を込めてアドバイスをしてあげても、隔靴掻痒、徒労感がありますね。
人として成長しようと云う姿勢とは思えない様な人の面倒をみている暇もありませんから、勝手にすればと云う気になります。
でも、やる気になって、本当に頑張る姿勢があるなら、いつでも力を貸したいと思うのですが。

 そう云う人を、昔から「具のない鍋」と云います。
そう、中に入っているのはお湯だけ、つまり「ゆー、だけ」と云う駄洒落ですね。
お風呂屋さんとも云いますね。
同じ「ゆー、だけ」と云う下らない駄洒落。(笑)

 人が自らの地位と立ち位置を獲得して行く為には、姿勢と結果を見せて行くしかありません。
昨夜、DVDでスタートレックを観ていました。
ネクスト・ジェネレーション・シリーズの中からですが、その中でアンドロイドであるデータ少佐が他の宇宙戦艦の指揮を執る事になりました。
その時、データ少佐が乗り込んだ先の宇宙戦艦の指揮官の反応は、拒否の一言でした。
私はアンドロイドの下では働けない。
しかし、データ少佐はそれを無視し、淡々と指揮を執る。
そして、ドラマは進み、最後の最後で彼の判断が正しく、敵艦を追い返す事に成功する。
それは、他の宇宙艦隊の指揮を執っていた誰もが気づかない、彼独自の判断でした。
そして、任務が終わり、彼がその艦を離れる時、あの拒否の一言だった指揮官が一言、「艦長」。
認めたと云う事です。

 結果は自分で出すしかない。
立ち位置も地位も、評価も、勝ち取るしかないのです。
ひがみ根性、負け犬根性、怠惰、甘えは、自らを貶めるだけです。
やる時はやるしかない。
やるべき事はやるしかないのです。
一度逃げると、一生逃げ続ける事になります。
負けに甘えると、一生負け続ける事になります。
負けたら、次は勝とうと思い、チャレンジし続ける事です。
それが、自らを高め、強くし、信頼を勝ち取る事に繋がります。

無意識の言動

2007 - 06/16 [Sat] - 01:41

 何がタチが悪いって、無意識にやって仕舞う言動で人を貶めたり傷つけたり怒らせたりするのが一番タチが悪いですね。
そこに悪意があるなら、それは意識しているのですから、ちゃんと自覚しているでしょう。
が、無意識と云う事は、自分が悪い事を言ったりしたりした事に、全く気付いていないと云う事ですから、自覚もしていなければ、もしかしたら記憶すらしていないかもしれません。

 自分の言葉や行いに責任を持つと云いますが、この手の人は自分の言動に責任と云うものを感じているのでしょうか?
無意識にどれだけの人に対して不快感を与えているか、考えないのでしょうね。

 といきなりの怒りモードとなって仕舞いましたが、自分の言動に責任を持たない人が多く、それ故に自分自身の評価を下げて仕舞っていて、どんどん孤独となって行くのを見ていると、怒りよりも悲哀を感じます。
何で気付かないのだろうか?と。
他人は冷たく、直接指摘などしてくれません。
ですから、気付いた時には手遅れと云う事が良くあります。

 誰でもそうですが、ついその場に相応しくない言葉を使ったり、その相手に向ってやるべきではない事をやって仕舞ったりする事があります。
でも、すぐにその場で訂正すれば、何と云う程の事もありません。
が、自覚がなければ、どうしようもありませんね。
気付いた時には、もう手遅れです。
一度失った信頼は、回復するにはとても長い時間がかかります。
信頼を得る時の何倍もの時間が。

 人と会話する時、人と接する時、相手の気持ちや心をしっかりと見て、ちゃんと向き合って、その上で言葉を発し、何かをしましょう。
無意識ほどタチの悪いものはありませんよ。

予想外

2007 - 06/15 [Fri] - 02:25

 生きて居ると、仕事をしていると、予想外の事っていつも起きますね。
嘗めている訳では無いのですが、長年仕事をしていると、つい慣れと云うか、大抵の事はこなして仕舞える自分が居て、緊張感を持ちながらも特別に予測もなく相談者に会う時、あらら~!!!と云う時があります。
事前にある程度は波動が来ているので気付くのですが、時に結びつかない事があって、会ってから仕舞ったと思う事もあります。
普通の相談者だろうと思っていると、ネタが出て来て、因縁に霊障に・・・と、あちゃ~!!って。(苦笑)

 ハプニングがあるからこそ人生も仕事も楽しいのですが、そう云う時こそ普段の精進が結果として出て仕舞います。
そう云う時に慌てて仕舞うか、そっか~とスイッチが入るか、それは普段の生活や仕事の姿勢の中から培われた力次第です。

 空手で護身術を教える時、基本や型を教える時、必ず言うのは1000回練習して下さい。
でも、1000回を連続してやってはいけません。(これは言ってないな)
毎日、10回で良いからずっと続けて下さい。
そうすると、100日やれば1000回。
その方が、身体に染み込みます。
続けて1000回やると、「は~、終った」で、本当に終って仕舞います。(笑)

 継続は力なりと云います。
仏教で行う千座行。
1000日かけて、先祖の供養をします。
これも、長く続ける中で感じ取る事、身につく事、色々な事が起きます。
そして、1000日終る頃には、何かが変化します。

 何でもそうだと思いますが、続ける事の意義は深く、その結果も大きいものです。
毎日を大切に、一回を大切に、何でも続けて下さい。

顔は一つ

2007 - 06/14 [Thu] - 02:43

 八方美人と云う言葉があります。
誰に対しても良い顔を見せようとし、いつも誰にでも合わそうとする人です。
見方を変えれば、いつも自分を抑制していて、風見鶏と云う感じにも思えます。
そして、自分の本音が出て来る事は、まずありません。
どれが本当の気持ちなのか、態度や言葉からは伺う事は出来ません。

 私は自分でそうは思わないのですが、こわもてだそうです。
ずっと昔、10代の頃からそうでした。
誰にでも愛嬌があって、人気のある人は羨ましいと思ったものです。
が、そんな中でも八方美人的な人は、どうしても信頼出来ませんでした。
本音が見えないからです。

 人と信頼関係を作る為には、心が通う必要があると思います。
あっちで良い顔、こっちで良い顔をしている人は、心の奥底で何を考えているのか、信頼出来ません。
実は裏に回ると全く逆の事を言っている可能性があるからです。

 また、私の様に能力がなくても、人は感覚を持っています。
その言葉や態度に心がなければ、人は見抜きます。

 顔は一つで良いのです。
人間と云うものは、そんなに器用ではありません。
幾つもの顔を持つと、いつかは破綻します。
不器用でも、一つの顔で、心を込めて人と接する事が、長い目で見たら必ず信頼を得る事に繋がります。

武の極意

2007 - 06/13 [Wed] - 02:10

 火曜日と云う事で、また空手から話題を。
武の極意とは何でしょうか?
一瞬で相手を倒す事?
それとも、絶体に相手の攻撃を受けない事?
空手は一撃必殺。
だから、そう云う答えをする人が多いでしょうね。

 でも、真の極意は敵を作らない事、敵でさえも味方にして仕舞う事です。
和を以て尊しとする。
それこそが武の極意です。
相手の戦闘意欲を失わせ、さらに仲良くなって仕舞う。
そうすれば、敵はいません。
そして、攻撃も受けません。

 強い精神力と、確かな戦闘能力に裏付けされた上での静けさは、相手からそう云う意識を失わせます。
穏やか、静か、常に冷静。
武の極意は、実は人生の極意でもあります。
生きて行く上で、仲間がいて、人脈さえあれば、何とかなって行きます。

 武の入口は攻撃を受けない事。
その次の段階は確実に相手を倒す事。
そして究極は、敵すらも取り込んで味方にして仕舞う懐の広さです。

結果を出す

2007 - 06/12 [Tue] - 02:25

 今日、一日遅れでHDレコーダーに録画していたFー1グランプリを観ていました。
荒れたレースで、次々とクラッシュ、リタイア、そして失格。
残ったのはたった12台。
凄いレースでした。
そして、最初から最後までミス無く走ったハミルトンがそのまま優勝。
佐藤琢磨は何と6位となりました。
スペイングランプリに続いてのポイント獲得。
凄いですね。
彼の集中力と、闘争心の高さ、そして結果を出すチームと琢磨選手。
人に感動を与えてくれたと思います。

 どんな仕事でも同じです。
どれ程、素晴しい仕事をしていても、クライアントのニーズに応えて、またユーザーに対して、結果を出して行かなければ何の意味もない妄想、幻想でしかありません。
そこには苦しい選択が沢山あると思います。
プライドが許さない様な事、余りにもレベルが低くて妥協しなければいけない事、本当に求めている物とは程遠い低次元の仕事、等々、嫌な事は沢山あります。
でも、そこからスタートしてクライアントやユーザーに利益を与えてこそ、次があります。
ここで我慢、妥協が出来なければ、決して次のステップは来ません。

 お金さえあれば、認めてさえくれれば、こうしてさえくれれば・・・、と幾ら責任転嫁をしても結果は出ません。
結果が出なければ、所詮は遠吠えでしかありません。

 佐藤琢磨選手も昨年は辛かったでしょう。
幾ら彼に力があろうと、闘争心があろうと、チームが用意出来るエンジンや車は大変レベルの低いものでした。
が、そこで最大限の仕事を、きっと物凄い葛藤の中でやって来たのだと思います。
その結果が今年。
そして、そこからポイントと云う結果を導いています。

 過程は凄く大切です。
が、結果がなければ過程の意味や意義は霧散します。
両方が揃ってこそ、仕事です。

怖れ

2007 - 06/11 [Mon] - 01:19

 私も多くのコンプレックスを持った10代20代を過しました。
背が低い、身体が弱い、成績が良くない、喧嘩も強くない、上手く人と話せない、等々。
だから、自分を取り巻く全て、人も環境も何もかもに対して恐怖を感じ、それ故に強がり、突っ張っていた様に思います。
そして、恐怖を乗り越える為に力をつけようと、空手を始め、修行をし、身の程知らずにも夜の六本木などへ出かけて大人の社会に飛び込んで学ぼうとした様に思います。
興味のある事、面白そうな事は何でもやりました。
全てが無謀と云える様な生き方をした様にも思います。

 それを見た人、聞いた人は、「好きな事を全てやって来て羨ましい」と言われます。
が、私にしてみたら、確かに何でも好きな事はやって来ましたが、それは力をつけたいから、学びたいからであり、その動機は恐怖の克服でした。
強くならなければ、力を持たなければと、強迫観念だった様に思います。

 怖れは心を萎えさせます。
だから、体調を崩したり、正常な判断能力を止めて仕舞ったりします。
それ故、感情的になり易く、自己の世界に隠り勝ちになります。
また、恐怖の為、必要以上に小さな事に過剰反応したり、偉そうにしたり、嘗められてはいけないと突っ張ったり、時には逆に人に媚びたり、良い格好をしようとします。
全て、自然ではありません。
それが続くと、段々と人はそれを見抜き、或いは鬱陶しく思い、離れて行きます。
待っているのは孤独だけです。

 私もそうでしたが、どこかでここを終点、始まりと心を決め、胆を括って、全てを捨てるつもりで出直す事が大切です。
何もなくても、人は恐怖で死ぬ事が出来ます。
が、その実態は只の妄想です。
自らの心が作り出した、勝手な幻想でしかありません。
怖いものなど、実は何もないのです。
素直に、あるべき姿、あるべき道筋を大切にしていれば、殆どの恐怖は消え去ります。
ただ、その為には覚悟する事です。
人として、またプロとして、きちんと先を見つめ、誰を大切にするか、何を大切にするか、何が必要なのか見極め、他を捨てる事です。
そうすれば、人生は厳しくも甘い。
幾らでも再スタート出来ます。

 まず、恐怖を見つめ、克服しましょう。

真心

2007 - 06/10 [Sun] - 01:58

 生きて居ると上手く行かない事、失敗する事、沢山ありますね。
仕事が進まない、思う様に行かない、心が通じない、等々。
でも、その一つ一つについて幾ら落ち込んでも意味がありません。
焦っても良い事は一つもありません。
それを続けていると、やはり道は下降せざるを得なくなります。

 生き方は仕事も含めて心を込めて続ける事が一番大切です。
すぐに目の前に答えが出て来なくても、長い時間の中で必ず成果が出て来ます。
一つ一つ、相手を大切に思い、縁がある事に感謝をしながら歩く事、それが心を込め、真心を込めると云う事です。

 人の付き合いであれ、仕事であれ、人は心と感情を持つ以上は、そこに思いが乗ります。
結果だけを見て行動すると、そこには心がこもりません。
経過こそ大切、相手に対する思いこそ大切です。

 全てに心と思いを込め、真心を大切にして行きましょう。

早い

2007 - 06/09 [Sat] - 02:50

 もう土曜日です。
う~ん、一週間が飛んで行きます。
年を取ると時間が経つのが早くなると云いますが。(笑)
忙しく毎日仕事させて戴いて居るおかげで、本当に毎日が飛ぶ様に過ぎています。
そして、今日も仕事、明日も仕事。(笑)

 こうして毎日のスケジュールが詰ると、やはり適度な休養が必要だと感じます。
毎週火曜日の空手は私にとって適度なストレス解消となり、また汗をかくリフレッシュの時間となっています。
20代の現役の頃の様にガンガンと自分を苛めて鍛えたり、動く事は、スタミナの上からも、身体の柔軟性の上からも不可能ですが、自分のペースに合ったスタイルでやっています。

 スイッチのオンとオフ、大切ですね。
ずっと座って面接相談をしていると、やはり身体のあちこちに負担がかかっているのを感じます。
ただ座っていると云うのも、かなりの重労働ですね。
オフィスで仕事されている方も、どうぞ適度に身体を動かされて下さい。

 そんな時、やはり祈りの時は私の最高の時間です。
祭壇の前に座っていなくても、仏や神と心を通わせていると、本当に解放されて行きます。
こう云う御縁を戴けた事はとても有難い事です。
特別な信仰心など必要ありませんが、やはり超越した存在と心を通わせる時間は、色々な意味で解放へと導いてくれます。
まず、一日に一度でも、神仏や御先祖様と心を通わせてみてはどうでしょうか?

覚悟して行く

2007 - 06/08 [Fri] - 02:47

 今日、愛車のBENZ190Eを12ヶ月点検に出して来ました。
また、古くなっている部品を変えて、良い状態になる事でしょう。
本当に気持ち良く走ってくれています。
帰り道は歩き。
ブラブラと歩いていると、同じ形式の190Eに何と4台も出会いました。
それぞれ色は違いましたが、何しろどれも綺麗に手入れされていました。
時々見ますが、こんなに次々と出会うのは初めてで、不思議でした。
この車は国産車と違い、毎年、修理費がかかります。
その代り、部品を変えて行くとどんどん新車の様な状態に戻ります。
好きでなければ乗らないであろう車ですね。
ただ乗るだけ、ツールとして考えている人には向かないでしょうね。

 さて、今日、久々にDVDを見ました。
007 カジノ・ロワイヤル。
良い映画でした。
新しいボンドは、アクションも凄かったですが、曾てのボンドの様な暑苦しい色気はなく、それよりも凄みがありました。
私は好きですね。

 この映画、何かとアクションやエンターテイメントにばかり目が行きますが、今回は私は違った感じを受けました。
決してお洒落な出来ではないと思います。
が、ボンドが一人前のスパイへと成長して行く過程、その中にある葛藤や苦しみ、悲哀を描いていました。
そんな中から少しずつ学び、反省し、心を冷たく冷やして行き、そして覚悟して行く。
スパイと云う仕事の厳しさと同時に、心の変化を描いていた所がとても面白く感じました。

 人は色々な事に直面して悩み、苦しみ、悲しみ、また喜びを得て、成長して行きます。
そして、その過程の中で一つずつ覚悟と云うものを持って行かなければ、絶体に一流にはなれません。
悩んで終わり、苦しんで逃げ出す、悲しんで恨む、喜んで破目を外す。
それはそれで人間らしいです。
とても素敵な事です。
が、一流を、上を目指すなら、その一つ一つを冷静に捉えて行く事が大切です。

 心を決め、進む道を決め、自らの歩む道に誇りを持ち、揺るがない心。
それが覚悟です。
自分が自分らしく生きる為に、一つ一つしっかりと覚悟を持って行きたいですね。

見えないものを見る

2007 - 06/07 [Thu] - 01:33

 人は三次元世界で生きています。
現実の世界は物に溢れています。
どうしても即物的になり、目に見えるものしか信じられなくなり勝ちです。
でも、生きている中で見えないものを見ている事を、人は忘れて仕舞います。
長く会っていない友達、どうしているかな?と思い出す時、その人を想像して心で見ようとしています。
電話で話す時、声しか聞こえないのに、その人の姿を心に浮かべます。
人と話す時、相手の心が伝わって来ます。
仕事をする時、自分の仕事がもたらす利益に享受する人を思い浮かべて仕事をします。
風が吹く時、その風から季節を感じ取ります。

 見えないものを見る。
見えない人を見る。
その意識を忘れると、人は即物的となり、人を排除し、また人から排除されます。
そして、生き方も仕事も段々と空虚なものとなって行きます。
それは焦りを生み、全てに対して不満を生みます。

 心の安定は高みを目指すだけではなく、満足すると云う事も大切です。
その為には、見えないものを見ると云う意識を大切にして行きたいですね。

基本

2007 - 06/06 [Wed] - 02:42

 毎週火曜日は空手の練習日と決めています。
これから指導者へと成長して行く若者のサポートをメインに、私自身のストレス解消と運動の為に通わせて戴いています。
毎回見る顔、時々しか見ない顔、皆、とても真っ直ぐで気持ちが綺麗で、爽やかな感をいつも感じます。

 今日、指導したのはちょっとした投げ技と関節技。
そして、組手の時の受け返し。
皆に取っては何だか凄く新鮮だった様です。
でも、実は基本の応用でしかありません。
何も特別な事は教えていません。
ただ、教えたのは、相手との距離感と位置、そして人間の身体の構造から来る、最も力の入る手の位置。
それだけです。

 基本こそが全ての道に繋がります。
空手に限らず、人間関係でも、仕事でも、基本をしっかりとやって、その基本をどう応用して行くか、そして一番大切な事は、その基本を忘れずに維持する事です。

 初心忘るるべからずと云いますが、基本を忘れて動き始めると、全てが狂って来ます。
そして、その先にある深奥へと進む道を閉ざします。

 基本を大切にし、基本に止まらず応用を考え、そして基本をいつも意識する事が、成長への道筋であり、開運への道筋です。

見ている所

2007 - 06/05 [Tue] - 03:07

 人はそれぞれ見ている所が違います。
目線、視野と云いますが、どこを見ているか、とても大切ですね。
上ばかり見ていると足許が疎かになりますし、足許ばかり見ていると何も見えなくなって仕舞います。
前しか見ていないと常に追われている様な感じになりますし、後ろばかり見ていると全く前へ進めません。

 同じ目線、同じ方向を見ている者が揃う時、それは本当に幸せを感じます。
それが夫婦だったら最高ですね。
でも、見ている方向が違う時、それはすれ違いとなり、誤解を生み、破綻へと繋がります。

 高い所を見る事は大切です。
が、その高い所は物質や金銭や地位ではありません。
それは幻覚です。
本当に高い所は、見えない所にあります。
幻覚を見て進むと、人は大きな間違いを起します。

 歩むべき道、高いところと足許、そして前も後ろも、平均的に見て進む時、人は間違いを減らす事が出来ます。
幻覚を見て歩く時、足許にある大きな穴、自分で作り出して仕舞う落し穴に落ちるかも知れません。
何を見て歩くか、良く考えましょう。

育てる

2007 - 06/04 [Mon] - 01:37

 人を育てる、部下を育てる、子供を育てる、と育てると云う言葉が良く聞かれます。
私も弟子を育てたと言われます。

 でも、長年の仕事の経験から云うと、人は育てようと思っても絶体に育ちません。
育てると云う事は、ある意味では、その人を自分の思う様にしようと云う事です。
人にはそれぞれ自我と云うものがあり、こだわっている事もあります。
幾ら師匠と云えども、上司であろうとも、親であろうとも、また先輩であろうとも、人はその人のテリトリーを侵してまで踏み込むべきではありませんし、そんな事をしても人は絶体に育ちません。

 人を育てたいと思ったら、その人が成長したい、育ちたいと云う気にさせる事が大切です。
人は、自分で自分を成長させ、育てて行きます。
育てよう等と云う気持ち、思いは、私には傲慢に思えますね。
私は人を育ててなどいません。
育ってくれたのだと思っています。
その過程では、知る限りの事を教え、心を込めて伝え、そして自分自身の生き様や考え方を見せて来たつもりです。
叱る事も時には必要ですが、それ以上に、その気にさせる事、ハードルを与えて自分で乗り越えさせる事。
そうやって来ました。
そして、ハードルを与えて、そこに意味を見出さない者、越えようとしない者は、自らの選択で違う道を歩いていると思います。
昔から云われる言葉ですが、「牛や馬を水場へ連れて行く事は出来るが、飲ませる事は出来ない。」と。
水を飲むか飲まないかは本人次第。
人は絶体に強制では動きません。
よしんば動いたとしても、それは自己保身の為であって、心からのものではありません。
ですから、いつか必ず裏切られます。

 人を育てたいと思ったら、まず自らが突っ走る事です。
自分の生き様を見せて、尊敬を得る事です。
そして、沢山の質問や相談が来る様に、自らの胸襟を開いておく事です。
そうすれば、人は集り、色々な話が出来ます。
そして、そんな中から人は自らを振り返り、自らを育てようとします。

 人を育てる、そんな傲慢な言葉は、私は嫌いですし、言えないですね。

気の流れ

2007 - 06/03 [Sun] - 01:55

 家でも会社でも、身体でもそうですが、気の流れと云うものがあります。
今日、御祓いに出かけて来ました。
そこで感じたのは、やはり気の流れの悪さ。
本来は、とても気の流れる筈の部屋なのに、どうも流れが悪く、滞っていました。

 土地や壁や床、天井等に染み付いた因縁はありましたが、気の流れが悪い故に、余計に色々なものが溜って仕舞っている感がありました。
御祓い後、勿論、その空気の悪さは解消し、劇的に明るく、スッキリとしました。

 でも、あの侭ではやはり気の流れはすぐに止まって仕舞うでしょう。
で、家具のレイアウト変更を指示しました。
物と云うものは不思議なもので、あるべき所にないと、気の流れを遮断して仕舞います。

 インテリア・デザイナーと云う職業がありますが、彼等は時には懲り過ぎて人間味のないデザインをする事があります。
が、本来は人が如何に住み易くするかを現実化する仕事です。
そして、見た目や住み易さを追求すると、やはり気の流れが良くなります。
風水として流行っている方位学も同じです。

 自然に、あるべき様に、必然性を追求して行く、無駄なものを省くと、そこは心地良い空間となります。
不自然が一番いけません。
人が自分らしく、気持ち良く過す為には、自然が一番なのです。

心を込めて

2007 - 06/02 [Sat] - 01:44

 今日、御供養をしていました。
しっとりと、そしてゆったりと、心を込めて理趣経を詠みました。
お経を詠む時、時にはこうしようと決めて、激しく詠んだり、優しく詠んだりしますが、基本的には何も考えずに詠み始めます。
そして、出て来られる魂、霊の状態によって、自然にお経が変わります。
不思議なものです。
詠む度にお経は違います。
時に激しく、時に優しく、時に鋭く、時に温かく。
祈りに応えて出て来られる方々の持つ波動に同調して行くのでしょうね。

 そこにはテクニックと呼べる様なものはないかもしれません。
自然と、心が望む様に詠む時、私の意識の中では私の姿は消えます。
ただお経、声だけが広がって行く。
そんな感じでしょうか。

 心を込めると一言で言いますが、幾ら考えても出来るものではありません。
ただ、素直に相手を思う事。
そこに尽きるでしょうね。

 考えなくても、心は意思を持っています。
心の侭に静かにお経を詠めば、それが広がって行く。
そんな感じですね。

「三密加持すれば、即疾に顕わる」

2007 - 06/01 [Fri] - 02:12

 護身法の超級では、少しだけ明かしますと、三密を教えています。
空海曰く、「三密加持すれば、即疾に顕わる」
「即身成仏義」と云う、空海の著書に書かれた言葉ですが、身口意の三密を一致させて祈りに入ると仏になると云う意味です。
身体と言葉と意識。
この3つを一つにして統一すると云う事は、口で言うは易し、行うは難しです。
初級、中級、上級と護身法をやって来たから出来る事で、それでも全ての人が体験出来る、体得出来ると云うものではありません。

 この三密を日常でも活かす事が出来る様になると、楽になりますね。
いつも冷静に、いつも自由に、いつも活動的に、不可能はないと感じる事が出来ます。

 今日、クリエーティブ・ディレクターと歯科の名医とお話していました。
一人前、エキスパートになるのはどうすれば良いか、どうやって育てれば良いか、と。
結局、皆が一致したのは、経験と失敗の積み重ね、そして本人が持つ才能、そして諦めず弛まない努力でした。

 人は育てようとしても育ちません。
自分を育てるのは自分自身。
そして、あるレベルを超えてエキスパートと呼ばれる様になるのは・・・・・、結果論です。
その過程の中に、三密と同じ、身体と言葉と意識、この3つが一つになると云う事が必要です。
理屈ではなく、理屈を超えて、その先に真実はあります。
理論・理屈は、入口。
そこで止まっていては何も見えません。
が、それがなくては何も始まりません。

 修行とは正に永遠であり、全ての道は一つに通じています。
長い道程ですが、修行においても、人生においても、道は長く、遠く続きます。
が、だからこそ、歩く価値もあり、楽しいですね。

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プロフィール

島津 成晃

Author:島津 成晃
Adept・Mentor 島津相談室主宰
人生のあらゆる問題の相談に乗って来ました。
元気になって希望を持って帰って戴く事が私の願いです。
スピリチュアルな目と、冷静な分析で御相談に乗ります。
御相談はHPの方からお願いします


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