感じたり思った事を書いて行きます。 時には秘伝などを書く事も。 空手や色々な趣味の話も。

  Adept・Mentor 島津成晃の独り言のナビゲーター   トップページ > 2007年05月  

終る、始まる、続く

2007 - 05/31 [Thu] - 02:31

 かぁ~、もう5月最終日ですね。
早いですね、時間の経つのは。
今年は忙しくなりそうだなぁ~と予感した正月元旦を、遥か遠い過去の様に感じて仕舞います。

 思えば、毎年、毎月、こうして時が飛んで行くかの様に過して来た様に感じます。
人が休む時に仕事をし、人が働く時にも仕事をし、ってそれじゃいつも仕事してるじゃないかと思いながら、でも仕事が趣味で、遊びで、学びで、修行で、人生で・・・。
やっぱり、仕事が好きなのでしょうね。

 私に限らず、人は次々と、一つが終ると次、また次と、終る事なく始まりがあり、ずっと続くのだと思います。
命が生れ、育ち、生き、そして命が終わり、また異なる世界で生きる。
そうして永遠に輪廻して行くのがこの世であり、あの世です。

 小さな事はどうでも良くなりますね。
大きな目で、大切な事を感じ、自分に後悔のない様に、楽しく、そして前向きに生きてさえいれば良い。
元気こそ、明るさこそが大切だと感じます。
夢を持ち、希望を持って、いつも太陽の様に生きていたいですね。

 さぁ、後半も頑張りましょう。

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力を抜く

2007 - 05/30 [Wed] - 03:04

 今日は毎週の空手の練習日でした。
いつもながら、元気の良い、やる気満々の、それも素直で気持ちの良い人達に囲まれての練習は、辛いながらも楽しい時でした。
一つの技を教える時、皆のキラキラした目がとても印象的です。

 今日、関節技や投げ技を教えましたが、最初はやはり力で何とかしようとします。
それが練習をして行く内に、力ではなく、流れで相手をコントロールすると云う事を理解し、出来る様になって来ます。

 基本をやっていても同じです。
最初は力を入れて、突こう、蹴ろうとします。
が、段々とその力が抜けて行きます。

 何でも同じですが、力みは心も身体も硬くし、動きを制限して仕舞います。
無駄な力を抜き、楽に、楽にして行くと、自然に身体も弛み、自由に身体が動き出し、伸びやかになって来ます。
力は抜くからこそ、大切な所で力を発揮出来ます。

 考える時、悩む時、動く時、何でもそうですが、力みは視野を狭め、動きを止めて仕舞います。
一歩引いて、楽な気持ちで、柔軟な動きをしましょう。
そうすれば、色々な事が楽に出来て行きます。

色々な事

2007 - 05/29 [Tue] - 02:37

 今日は色々な事がありました。
護身法の補講、不動明王の縁日、その他の仕事の事での相談、そしてニュース。
こんな仕事をしていますから、毎日、本当に色々な事、種々雑多な事ばかりですが、そんな私でも今日流れたニュースには驚きを隠せませんでした。

 松岡大臣が自殺されたとの事。
色々と噂もあり、野党やマスコミから追求されていた方ですが、その人生の終り方が自殺と云うのは、何とも云えない気分ですね。
その報道を聞いていて、また野党の党首の一人が「こうなる前に説明責任を果たして・・・」等とほざいていたのには、この党首は一体どう云う人なのだろうかと人間性そのものを疑いました。
そう思えば、他の野党の党首が亡くなった方への追悼の思いを、敵ながら心から述べられていました。
人はそれぞれですね。
好き嫌いとは別に、やはり自ら命を断つと云う事は悲しい事です。
当人にとっては、それしか方法がない所まで追い詰められたのでしょうから、良いとも悪いとも勝手な事を言うべきではありません。
が、命はかけがえのないものです。
それを、こうした事から学んで行きたいですね。

 また、ZARDの坂井泉水さんが亡くなられたとの報道。
これは、正直な所、驚きと云うよりもショックでした。
歌で元気を与えられる数少ない歌い手の一人であり、出せば売れる、聞けば元気になる、いつ流していても邪魔にならないと云う、貴重な歌い手として評価していました。
また一人、伝説となる歌手になったと思い、残念な思いがしています。

 人生は生きているだけで美しいと思います。
どんな生き方をしようと、ある人にとっては得難い人であり、ある人にとっては存在を疎まれる人であり、その両面を人生は持っています。
そして、その事自体が、生きる価値であり、学ぶべきものだと思います。
亡くなって行くと云う事は、その人が誰かに向けて、亡くなった事を知る人に向けて、最後のメッセージだと思います。
そこから何を受け止めるか、学ぶか、それは人それぞれ。
ですが、少なくとも一面的に、表面的に捉えないで、その方の人生を少しでも思って、正面から受け止めて行きたいと思います。
その方の最後のメッセージに恥じない様に。

口先だけの御託、有限不実行、評論家

2007 - 05/28 [Mon] - 02:09

 世の中には評論家だらけですね。
色々なブログでも、モノの批判だけしか書いていないものもあって、見ていると思わず失笑して仕舞います。
知ったかぶりの、口先だけの御託は、聞いていると貧しい気持ちになります。
あれが悪い、これが悪い、ここが欠点だ、ここが問題だ。
それしか言わない人、どうすれば良くなるのかと云う代案や改良案を出さない癖に、否定論と批判ばかり。
あまりにもくだらなくて相手にする気もしませんが、そんな奴が身近や社内にいたら迷惑千万ですね。
仕事の足を必ず引っ張られます。
自分のやるべき事をやりもしないで、余計な事にばかり頭を突っ込んで、揚句の果てに出て来るのは批判ばかり。
こんなのが側にいたら、気持ちが暗くなるだけで、百害あって一利もありません。

 自分が完璧にやっているつもりなのか、大層な事ばかり言う奴。
やると言っておきながら、何にもしない奴。
自分で何もしないのに、評論ばかりする奴。

 品性下劣な、心の貧しい奴は人から信頼を得る事は絶体にありません。
誰からも相手にされなくなって仕舞うでしょう。
言葉よりも実行、結果を出す事が大切ですね。

レベルチェック

2007 - 05/27 [Sun] - 02:28

 妻と良く話しているのですが、私は図書館で余りにも蔵書が多過ぎて、「何か話して下さい。」とか「何か教えて下さい。」と言われると困って仕舞います。
一体、何を話して良いのか分からないのです。
「何々について教えて下さい。」と云われると、これまた幾らでも出て来て、止めどなくなって仕舞います。

 空手を教えていてもそうなのですが、ただ教えるとなると、何を教えて良いか分かりません。
投げ方を教えて下さい、受けを教えて下さい、こう云う時の対処を教えて下さい、と云われるとすぐに教えられます。

 ですから、何でも教えて下さい、学びたいと云う人には、まずレベルチェックをします。
その上で、じゃぁ貴方のレベルに合わせて必要な事を教えてあげましょう、と云う事になります。
まず欠点を指摘し、それを修正して貰うとか、もっと良い方法があるよと教えるとか。
その段階で、自分の欠点や弱点を指摘されて不快となり、反発したりついて来れない人は、申し訳ありませんが相手にしている暇がありません。

 教える事は無限にあり、伝える事も無限にあります。
だからこそ、段階を踏まなければならないですし、その時、持っている欠点を一つずつ克服したり、修正して行かなければなりません。
自分のレベルは自分が知っていると思い込んでいる人は、私に教わる必要はありませんし、それは只の傲慢にしか過ぎず、いつかその思い上がりを思い知らされる時が来ます。
その時は、もう手遅れと云う事もありますけどね。

 レベルチェックはとても大切です。
そこから自分に合ったスピードと内容で進むからです。
そこでショックを受けたり、喜んだり、悲しんだりするでしょう。
が、そこからスタートしないと、何も始まりません。

生意気

2007 - 05/26 [Sat] - 02:22

 私も若い頃は物凄く生意気だったと思います。
と云っても、私は無口でしたから、生意気な言葉を使ったりはしなかったですし、礼儀正しかったと思いますが、考え方が生意気だったと思います。
向う見ずで、自分の限界にチャレンジする事を喜びとしていました。
また、何をやっても不可能はないと思っていました。(今でも思っているのですが(笑))

 が、他人に対して、特に目上の人に対して生意気な態度を取った事は一度もありません。
上下関係と云うのは、人としての原則であり、それをわきまえない人はどんな世界でも通用しません。
それこそ、昔であれば生意気な言葉を使ったり、そんな態度を取ったら、殴られたり、放り出されたものです。
上の者に楯突く、それだけでリストラの対象になりましたし、例え暴力を使っても矯正されました。
それが全て良いとは云いませんが、つまらない人権擁護だの、権利だのと云う意識が広がる中で、そう云う原則まで忘れ去られて仕舞っている感は否めないですね。

 人から評価される時、それが自分の思いと異なる事など幾らでもあります。
自分の思っているよりも高い、逆に自分が思っているよりも低い評価。
自分が上手くやっていると思い込む事、だから人はそれを評価するだろうし、するべきだと云う考えは、傲慢でしかなく、生意気です。
それが、年若かったり、平社員だったり、習う側だったりしたら、場合によっては見捨てられます。
切り捨てても誰も困らないし、代りは幾らでもいるからです。

 生意気はエネルギーです。
良い意味での生意気は大歓迎ですし、そうでなければいけません。
が、間違った生意気は、潰されます。
自らの成長を止めて仕舞って、身を滅ぼす事に繋がります。
間違った相手にやらない様に。

攻撃は最大の防御?

2007 - 05/25 [Fri] - 01:26

 良くそう云う言葉を言う人がいますし、そうする人もいますね。
身を守る為に攻撃する。

空手でも同じで、ちゃんと倒すと云う目的があって攻めるのではなく、攻撃される事が怖いから自分からどんどん攻めるタイプ。

また、人から弱点や欠点を指摘されると、身を守る為に相手のあら探しをしてそこを攻める人。
指摘された事には答えず、言い訳をすると同時に、相手を攻撃して逃げようとする。

 私も昔はあまり大人しいとは云えない方でした。
仲間にもそう云うタイプが沢山いました。
でも、それも人から嘗められたりバカにされたらどうしようと思う恐怖から、その裏返しで突っ張っていた様に思います。

 師範と話していて、良く妻から笑われますが、真面目に「もし、ここで襲われたらどうしよう?」と話します。
「こうやって、ああやって、あれを武器にして投げて・・・。」と、本人達は真剣に考えています。
それをみて妻が「師範や貴方を襲う様な命知らずがいる筈がないでしょう。」と爆笑しています。

 武道をやる人は、殆どは怖がりです。
だから、常に危機管理を意識し、危ない所へは近づかないし、いつ襲われても良い様に考えています。

 攻撃は最大の防御。
確かにそうかもしれませんが、それは余裕のなさから来る精神状態かもしれません。
やられる前にやる。
自信のなさ、怖さの裏返しです。

 真の武道は、防御は攻撃に繋がり、絶体に負けない事です。
勝たなくても、絶体に負けない。
身を守ると云う事は、相手を倒さなくても良いのです。

 同じ様に、会話でも人間関係でも、相手を攻撃しなくても、相手に勝たなくても、相手とスムーズなコミュニケーションが取れて、良い関係を作れるのなら、それが最高です。
あら探ししなくても良いし、欠点や弱点を指摘されたら、それを糧として学び、成長すれば良いのですから、有難いと思えば良いのです。
それが余裕であり、本当の自信へと繋がって行きます。

 肩の力を抜いて、心を解放すると、無駄な恐怖は消えます。
そうすると、攻撃も必要ない場面も増えて来るでしょうね。

空気、空間

2007 - 05/24 [Thu] - 02:51

 目に見える汚れってすぐに目に付きますね。
いつも綺麗にしていると余計に気になったりします。
でも、目に見えない空気の汚れって、気がつかないですね。
冬には良くありますが、ガス中毒などは目に見えない一酸化炭素が空気中に増え過ぎた事で起きるものです。
また、湿度は大切ですね。
湿度が低過ぎると夏風邪、多過ぎると冬風邪をひき易くなりますし、湿度が高いと温かく、低いと寒く感じます。

 同じ様に、目に見えないもの、因縁や霊なども空気の中に溶け込んでいて、中々気づかないものです。
霊感が特別にある人でなければ、何となく疲れが抜けないとか、眠れないとか、調子が段々と悪くなるとかしても、それでも意識しない事が多いですね。
金縛りにあったり、霊的な何かを感じた時、初めてアレ?と思うのでしょうが。

 家を浄化する時、物理的な物、壁や家そのものや床や・・・、そう云う三次元的な物だけを意識していると、本当の意味では浄化出来ません。
本当に綺麗にするべきは、目に見えない空気であり、空間です。
雰囲気とでも云うのでしょうか。
そちらを意識しないと、真の意味で浄化した事になりません。

 空間認識、目に見えないものを意識するって、人間関係でも凄く大切ですね。
言葉に含まれていない思いを感じ取る、その場の雰囲気を感じ取る。
良く場が読めない奴と云いますが、自分もそうなっていないでしょうか?

 ちょっと意識して、家を良く感じ取ってみて下さい。

安らぎの時

2007 - 05/23 [Wed] - 03:30

 仕事をしていると、知らない間に疲れが身心に溜っていますね。

 毎週一度の空手の時間は、そう云う意味で私にとっては安らぎの時となっています。
半ば指導と云う面もありますが、真っ直ぐな道場生達の姿勢と意識が、とても心地良く感じます。

 また、瀧の様に流れる汗が、色々なものを流してくれる様に思います。
確かに肉体は疲れます。
が、それ以上の爽快感はとても嬉しいですね。

 そして、練習が終わって帰る時、ゆったりとした気持ちで運転をしながら帰りますが、この時間が心を静かにしてくれます。

 適度な距離感、綺麗な気持ち、純粋な心、真っ直ぐな姿勢、汗、ゆったりとした夜の時間、そう云う素晴しいものを与えてくれる道場と師範に感謝です。

 空手は強くなり、身を護る為の技術です。
が、同時に心を鍛え、余計なものを削ぎ落とし、リフレッシュさせてくれるものでもあります。
強くならなくても良い、勝たなくても良い、自分を見つめて、気持ちを真っ直ぐにさせてくれる、そう云う空手もあって良いなと思います。

上手くなくて良い

2007 - 05/22 [Tue] - 02:32

 人が人と話をする時、心がこもっていなければ、何だか機械と話している様な気になりますね。
何かを言う時、反応がなかったり、帰って来る言葉に心がこもっていないと、話す気を失います。
自然を見たり、触れたりする時、そこには皮膚感覚と云うものがありますね。
それは理屈ではなく、感じるものです。
同じ様に、言葉も感じて貰うものであり、感じるものです。
言葉の並べ方だけに意識が行くと、そこに心はこもりません。
上手く、流暢に、正しく話す事は大切ですが、そこに囚われると真意は絶体に伝わりません。
良くビジネスライクと云いますが、それは非人間的に効率だけを求める場合に使われるテクニックであり、それだけでは人と心は通じず、信頼関係は出来ません。
心が通じていなくて、信頼関係が出来ていなければ、何も発展して行きません。

 会話は決して上手くなくて良いのです。
それよりも、心を込める事、本気で伝えたい、解りたいと思う事が大切です。
人が人と関わって生きて行く以上、心が伝わらなければ、とても空疎で寂しいものとなって仕舞います。
例えビジネスライクに話すにしても、書くにしても、それは自分の言葉として発言するべきであり、通り一遍の言葉の羅列から伝わって来るのは、必要事項であって、心ではありません。
その言葉からは、話している、書いている貴方の人間的な魅力は消え失せ、人としての交流は不可能となります。

 心で、魂で、会話しましょう。
相手が人であれ、仏であれ、神であれ、また自然であれ、動物であれ、心を開けば沢山の言葉が聞こえて来ますし、伝える事が出来ます。
文章や物にすら、その心を載せる事が出来て来ます。
相手を心で見ましょう。
頭でばかり考えないで、感じましょう。

嫌な事件

2007 - 05/21 [Mon] - 01:37

 ニュースを見ていると、本当に毎日嫌なニュースばかりが報道されていますね。
良くもこれだけ毎日、事件が起きるものだと感心するやら、悲しくなるやら。
特に、数日前の立て篭もり事件で殉職されたSATの隊員の報道には、辛い思いをしました。
現場は一瞬一瞬で動きます。
その場にいない者は警察の不備であるとか、対応が悪いとか、勝手な事を言います。
報道でそう云う言葉を聞くと、憮然とします。
評論家達の勝手な御託は聞きたくもないですね。
皆、真剣に命をかけて働いているのです。
改善するべき事は沢山あるでしょうし、意見を述べるのも自由です。
が、そこには事件に関わった方への深い思いを持ってやって欲しいものです。

 こう云う事件を見るにつけ、人の心が渇いている事を感じます。
相談を受けていても思いますが、家庭の中に心がなくなって来ている現実は、確かにあります。
親も一生懸命なのですが、表面だけを見ている。
心が見えていない。
一日をやり過ごす為に、その場限りの事でやり過ごし、大切な事を忘れて仕舞う。
そんな繰り返しなのでしょう。

 人に心を伝えるのは、特に家庭の中で心を伝えるのは、決して特別な事は必要ありません。
本気で相手を思う事、それだけです。
そうして育った子供は、例え子供の目から見たら理不尽と思える躾けをされても、愛情を感じています。
本気でなく、言葉だけで、力だけで行った躾けは、決して子供の心に響きません。
ウザッタイと云うだけです。

 テクニックなどありません。
真剣に、本気で、子供と向き合って下さい。
それが次世代を担う、大切な子供を育てる為の、コツであり、一番大切な事です。

御供養すると云う事

2007 - 05/20 [Sun] - 02:36

 身内の供養をすると云う事は、自分の中に流れている血と遺伝子を知ると云う事でもあります。
長い年月の中に受け継がれて来た、自分の中に眠っている記憶を呼び覚まし、それを共有すると云う事です。
それを仏教的、霊能者的な言葉で云うならば因縁と云う事になるでしょうが、血筋と遺伝と云う意味であって特に抹香臭く捉える必要はないと思います。

 また、成仏していない霊がいるとして、それがイコール悪い事と云うイメージがある様ですが、そうではありません。
生きていた時代にやり残した事、現世への思いが強い時、人は霊の世界へ行かずに現世に止まろうとします。
が、それが全て悪因縁となり、生きている人に禍をなす訳ではありません。
例えば、私はお茶が好きだから、あの世へ行ったら飲めないからこの世に止まる。
私は旅が好きで、会いたい人も沢山いるから。
そんな理由もあるのです。

 かなり以前に私が供養した霊達は、「我らはこの世に止まる。成仏する気はない。」と云って、眠りました。
その状態であれば、誰にも迷惑をかける訳ではないですし、却って下手に起して無理矢理成仏させようとする方が彼等には迷惑だったりします。

 霊と云えども人です。
肉体が無くなっただけです。
ですから、身内である以上は子孫は可愛いものです。
例えば霊として出て来た、そして何か問題が起きたと云う事も、霊が望んでやっている事ではなく、助けを求めているか、解って欲しいと訴えているに過ぎません。
その思いを共有してあげる事、それが供養と云うものです。
その為の手法として、彼等が聞いていたお経を詠んであげる。
また、語りかけてあげる。
そう云う事が彼等を楽にしてあげる事に繋がり、多くの霊はそれで成仏して行きます。
成仏しない霊も、落ち着いて行くでしょう。

 供養とは修行の基本です。
が、修行を志さない人も、修行などした事もない人も出来る、霊との会話です。
だって、身内で話すのですからね。
修行だと義務的に考えるのではなく、身内の苦しみや言葉を解ってあげると云う、温かい気持ちを持つ事が大切だと思います。

何となく気怠く

2007 - 05/19 [Sat] - 03:01

 私は夜の静けさが好きです。
昔、六本木辺りで時間を過していたせいか、能力者のせいか、夜中の何となく気怠く静かな時間をゆったりと楽しむのが好きです。
時間や規則、常識や固定観念や既成概念、そして都会の喧騒の中で生きていると、精神が段々と疲れて来ます。
それすら意識しない疲労感は、いつの日か溜まり始めて、精神の活力を奪います。

 先日の旅で都会を離れ、静かな自然に包まれた時、虫や鳥や蛙の声、風の音、水の音に身心が活力を取り戻して行くのが解りました。
そして都会へ戻った時、その喧騒に堪え難い思いをしました。
段々とまたこの喧騒に慣れて行くのでしょうが、それでも夜中の静けさが自分を取り戻す大切な時間だなぁと思っています。

 何をする訳でもなく、一杯の香り高い珈琲を飲み、妻と何気ない話をし、何となく過す。
そんな時間を大切にしたいと思います。

 祭壇の前での瞑想や祈りとは違った、ゆったりとした何気ない気怠い時間。
大切にしたいですね。

それでも回る

2007 - 05/18 [Fri] - 02:24

 会社と云うのは、人が集って、同じ方向を向いて、一つの結果を出す為に動いています。
ですから、その和が崩れると、目標が見えず、勝手な方向へ人が動き出します。
そうなると、その会社はどんどん駄目になって行きます。

 私が相談を受ける様な会社は、少なからず何らかの問題を抱えている訳ですから、霊視し分析して、色々なお話を聞いていると、次から次へと問題が浮き上がってきます。
その中で、共通しているのは、やはり人の問題です。
ロクな従業員がいない、勝手な事ばかりする、上の言う事を聞かない、仕事が出来ない、等々と云う事が多いですが、中には上司や社長がワンマン過ぎる、下の心を解ろうとしない、下の声を聞かない、等と云う話もあります。

 何れにしろ、会社は人が集って出来ているのですから、互いのコミュニケーションが重要ですね。
上の命令が下に届かない、下の報告が上に届かない、情報が錯綜して仕舞って中途半端な情報や間違った情報が伝わる、そう云う問題が起きて来ます。

 曾て、今でもありますが、指さし確認、復唱と云うものが軍隊や電車の運転手の基本にあります。
上官からの指示は必ず復唱した後に、次へ伝える、実行する。
実行時には必ず指さし確認をして、間違いを起さない様にする。
軍隊や列車等の仕事は、ミスが即生命に関わります。
医学界ではそう云う事はしませんでしたが、確認・再確認・再々確認は鉄則でした。

 単純なミス、特に情報についてのミスは、時として命取りになります。
会社の運命を左右する事もあれば、自分自身の会社での存在意義を失う事すらあります。

 仕事にミスは付き物ですが、絶体にやってはならないのが情報伝達ミスであり、言葉のミスです。
仕事上だけではなく、人間として、無責任である、真剣さが欠けていると云わざるを得ません。

 が、それでも会社は回ります。
不思議な事に、そう云うミスが続く会社でも、回って行くのです。
何れは、大きな問題に発展する事もあります。
その時は致命的になるでしょう。
が、誰かのミスを誰かがカバーし(させられ?)て、会社は回って行きます。

 人間がミスを沢山しているのに、地球がちゃんと存続しているのと同じで、会社も一つの生き物と考えれば、小さな事なのかもしれませんね。
気にし過ぎても良くないのだなと思います。
しかし、小さなミスを放っておくと、何れは大きな事に発展します。
蟻の一穴から城が崩れると云います。
小さな事を大切にすると、大きな事へ繋がります。

 良い事も悪い事も、小さいな事、ちょっとした事を真剣に捉えて行くのが発展への道なのでしょうね。

久々の休日

2007 - 05/17 [Thu] - 02:33

 月曜日14日より今日まで、長野県は伊那市の高遠へ出かけていました。

高遠城址公園


昨年の夏以来、久々の休日です。
かねて母より言われていた絵島生島事件の絵島の押込め屋敷やお墓に行って来ました。
権力のスケープゴートにされた絵島の局の話は時代劇では有名ですが、こうして訪れてみると、本当に深い悲しみを感じる事が出来ました。

 そこで被ったのか、思いが来たのか、兎に角、久々に極限と云える疲労感を体験しました。
動く事すら出来ない程の疲労感は久々です。
それだけ疲労が溜っていたのが出て来たのでしょうか。
普段は全く意識していませんが、これ程に疲れていたのだなと実感出来ました。

 たった二泊三日ですが、かなりリフレッシュする事が出来ました。
やはり、時には休養も必要なのだなと実感した旅です。
忙しい現代、時にはこうして全くオフと云うのも必要ですね。

12回全関東大会トーナメント

2007 - 05/14 [Mon] - 01:42

 今日は新極真会横浜支部木元道場の主催で行われた第12回全関東大会トーナメントに出かけて来ました。
例年、招待状を戴き、とても親しくして戴いております。
身体は大きく、心は優しく、物腰もとても低くて丁寧であり、人望も高く、誰からも好かれている師範です。
道着を着て空手をされる時は、それこそ人が変わった様に強さが前面に出て、正に武道家と云う感がありますが、普段の師範はこれが空手家かと思うほど、低姿勢でシャイで、とても優しい方です。
本当に強い男と云うのはこう云う人の事を云うのだろうなと、お会いする度にいつも反省させられます。

 師範の人望の故か、物凄い数の試合参加者と観戦者、応援者でした。
その熱気は凄まじく、見ているだけで汗だくになる程でした。
人の出す熱気と云うのはかくも凄いものかと、改めて思い知らされた次第です。

 試合は盛り上がり、見応えのあるものが沢山ありました。
特に幼年部や小学生、中学生、高校生達、少年部の試合は、微笑ましくも感心させられ、驚きと共に大切な事を思い出させてくれた試合が続きました。
素直と基本と、諦めない心。
大人も敵わないその姿勢には、自らを省みて仕舞いました。

 あちこちの支部長先生、師範達とも久々に再会する事が出来、本当に有意義な一日でした。
こう云う機会を与えて下さった新極真会横浜木元道場と木元師範には心より感謝しております。

 明日より数日間、遠方へ出かける用がありますので、少しだけブログを休みます。
楽しみに毎日読んで下さる皆様には申し訳ないですが、帰り次第、ブログも書きます。
掲示板もお返事が少し止まりますが、宜しくお願いします。

生きて死ぬか、死んで生きるか

2007 - 05/13 [Sun] - 01:26

 何だか生きていても死んでいる人が多いですね。
目標もない、信念もない、目指すものもない、何でも上っ面だけ。
う~ん、ただ生きているだけ。
何の為に生きて、何が楽しくて生きているのか、自分でも分っていないのでしょうね。

 人はいつか死にます。
死に向かって歩いています。
極論を云うならば、人は死ぬ為に生きています。
ならば、生きている間に何かを成し遂げ、また何かを残して、死を潔く迎えたいものだと思います。

 命だけの問題ではなく、例えば学校を卒業する。
これは、死です。
そして、新しい学校へ進学する。
これは生れると云う事です。
転職も同じですね。
一つの会社で死を迎え、新たな会社で生れる。

 結婚はどうでしょうか?
独身である自分に死を迎え、新しい人生に生れて二人で歩く。

 死は一つの終わり、生れると云う事は一つの始まりです。
いつもそれを意識していると、潔く、また日々を大切に、真剣に生きる事が出来ると思います。

 空手を始めとする武道は、本来は死に際して潔く、常に死を意識して生きる事が、武道家としての究極の心得です。
だからこそ、常に美しく、清く、潔くあろうとします。
その為の修行であり、それは人としての完成を目指すものです。
ただ強くなれば良い、試合に勝てば良い、上手くなれば良いと云うのは、武道とは云いません。
それは技術であり、道ではありません。

 真っ直ぐに生きる事は、時として悲しみを伴う事もあります。
器用に生きると云う事とは正反対な面もあります。
しかし、信念に従い、己が目指す道を真っ直ぐに一筋に進む事は、何ものにも負けない信念と誇りを与えてくれます。
その姿は、ただそこにあるだけで教えであり、心を揺さぶります。
そんな姿で生きて行きたいと思いますね。
もしも生きている時に誰からも評価されなくても、その生き様は人の心に残り、死んだ後も伝説となって残るでしょう。
死んで生きる。
そんな生き方もあるんだと、自らを振り返って戒める事が、私も時折あります。

言葉の独り歩き

2007 - 05/12 [Sat] - 03:16

 人と人が付き合うと、その間には言葉が必要不可欠です。
SFではあるまいし、テレパシーで全て解り合える訳じゃないですし、そう出来たとしても隠しておきたい事もあれば、言葉でコミュニケーションした方が、表面上だけでも円滑な関係を作れますね。

 ですが、言葉は時として誤解を生み、すれ違いを起します。
一言の何気ない言葉が大きな問題に発展する事は、良くある事です。
その立場、場面によって、これ位と思う言葉も決定的な致命傷となる事は、政治の世界では良くありますね。

 言葉の先には、聞く相手がいます。
話す自分にも心がある様に、聞く相手にも心があります。
また常識や価値観、そう云うものが十人十色です。
良く云う事ですが、相手の解る言葉で話さなければ、言葉は誤解を生んだり、認識不足を生んで、後々に大きな問題となって来ます。
自分の言葉には責任を持てと云う教えは、心を込めて、相手を思い遣って、不用意な発言をするなと云う事です。

 電話の受け答え一つ、メールのやり取り一つ、言葉も文字も独り歩きします。
そこで何か問題があると、ビジネスでも大きな損失となる事があります。
コミュニケーションとは、キャッチ・ボールであると云いますが、投げっ放し、受け取りっ放しと云う場面は良くあり、後で大きな問題とならなければ良いがなぁ~と心配したり懸念を持ったりする事が良くありますね。

 人間の持つ最大の能力である言葉と文字。
心を込めて、相手を思い遣って、大切に使いたいですね。
暫くある相談者に貸したままになっていますが、言葉には言霊と云うものがあり、それについては詳しく書かれた文献もあります。
魂の宿った言葉、魂の宿らない言葉、それぞれが独り歩きする事は忘れないで欲しいと思います。

役に立つ事

2007 - 05/11 [Fri] - 01:42

 私は長年、密教や神道や世界中の色々な宗教や占術を学び、修行して来ました。
また、空手を始め、多くの武道に触れて来ました。
その他にも医学は勿論、哲学や心理学、歴史、等々と色々な事を学んで来ました。
中には、遊び方などと云う学問?もありましたが。(笑)

 ですから、私は宗教家であり、修行者であり、霊能者であり、メンターであり、武道家であり、哲学者でもあり、教育者であり、・・・・・と、色々な側面を持っています。
が、その色々な側面を持っている事自体が、私がTVに出て来る霊能者と云われる人達と違って見える所以だろうと思っています。

 どれもこれも、私の今を形成している要素です。
そのどれを取っても、それ一つだけでは私ではありません。
そして、そのどれもが私が誰かの幸せの為にお役に立つ為のツールです。
その人その人により、どのツールを使うか、それはその時々です。

 このブログを読んで下さる方の中にも色々な方がおられると思います。
宗教が好きな人、嫌いな人。
霊能者を信じる人、信じない人。
武道が好きな人、嫌いな人。

 何でもそうですが、人にはそれぞれ好き嫌いがあります。
それで良いのです。
そして、それを無理に変える必要もありませんし、無理に変えて貰おうとする必要もありません。

 人は誰でも一つの側面だけで生きていません。
その人を形作って来た経験が沢山ある人ほど、その人は深みがあり、魅力的です。

 どんな相手とも、人として、その人の良い点も悪い点も認め、その上で自分にとって適当な距離感で付き合って行きましょう。
そうする事で、視野も広がり、価値観も柔軟になり、世界も広がります。
相手を拒否するのではなく、理解しようとする姿勢は、人の縁を広げます。
狭い自分の価値観や視野に閉じこもらず、広く世間を見て、色々な人と関わりましょう。
そうやって世間を見ると、本当に色々な人がいて、世の中も楽しいなと思いますよ。

治療

2007 - 05/10 [Thu] - 02:05

 ここ暫くと云うか、結構長い間、歯医者に通っています。
気を遣っていたつもりですが、チェックして貰うとかなりあちこちガタが来ていました。
虫歯あり、歯周病あり、加齢による変化あり・・・。
長年の武道修行と、密教修行による、噛み締めが最大の原因になっていますが、歯科の先生に言わせると歯にも耐用年数と云うものがあるそうで、私の場合はその年数に近づいているそうです。
ま、自然現象なので仕方ないですね。
後何年か、何十年かしたら、歯抜けの先生になるでしょうか?(笑)

 肉体も精神も、何かの機会がなければ中々自分で確認しないものですし、意識しないものです。
が、その機会に「あぁ、自分も年を重ねたのだな~」と気づいたり、思っていたよりも悪い状態だったり、良い状態だったりで驚く事があります。

 常にクリーンで良い状態を保っていなければならないと思っていますから、常人よりも遥かに自分には気を遣っているつもりです。
が、それでもこうなのですから、一般の皆様は毎日のチェックを忘れないで下さい。
私も歯科にかかって以来、以前にも増して自己チェック、特には歯については(笑)チェックする様になりました。
良い状態を知り、それを保つ。
それがとても大切だな~と、実感しています。

距離感

2007 - 05/09 [Wed] - 02:02

 人と付き合って行くには、適度な距離感と云うものが必要ですね。
近過ぎたら問題が起きます。
また、逆に遠過ぎたら接点がなくなります。
空手をやっていても同じです。
近過ぎると突きも蹴りも威力がなくなる。
遠いと当らない。

 心理的な面でも同じです。
こちらが拒否していたり、相手を見下していると、不思議と相手に伝わって仕舞って、相手との距離が開いて仕舞います。
心を解放していると、近づきます。

 そこには、目に見えないオーラと云う問題があります。
意識に伴ってオーラは変化します。
偉そうにしたい病や目立ちたい病はそう云うオーラを出しますし、苛められっ子は苛められオーラを出しています。
が、目立ちたくないと思っていると、自然とオーラが身体の中に引っ込みます。

 武道では、相手に攻撃する場所を読ませない訓練をします。
俗に云う気配を消すと云うやつです。
これも、同じ事です。

 自分自身の無意識に出す雰囲気、オーラをコントロールしましょう。
そうすると、人や物との距離感を自在に変える事が出来る様になります。
意識の持ち方一つですよ。

休み明け

2007 - 05/08 [Tue] - 02:35

 連休中は皆さんは楽しい時間を過せたでしょうか?
普段、しっかり働いている方は、この時とばかりバカンスに出かけたり、里帰りされた様ですね。
私は・・・、御存知の通り、イベントが続き、他にも仕事が色々とあってずっとバタバタしていました。
人が休んでいる時ほど忙しい仕事をしていますから仕方ないですが、決まった時間で仕事している訳ではないので、自己管理がとても大切だと思っています。

 仕事をしていて、自己管理する事はとても大切な事です。
精神状態、肉体の状態を、常に良い状態に保つ。
これも仕事の内なのだよと云う話を良くしますが、適当に休み、適当に切り替えて、いつもリフレッシュしておく事は、次の仕事の効率を上げ、ミスを減らしてくれます。
疲れた身体と頭では、どうせロクな仕事は出来ませんからね。

 以前、休み時間も一人で働こうとする男がおりました。
真面目と云えばそうです。
完全主義故の事ですが、私は叱りました。
休むのも仕事の内。
また、一人が仕事していたら、休んでいる人達は居心地悪くならないか?と。
職場の和、体調や精神状態の管理と云う面から考えても、休みはちゃんと休むべきです。

 自己管理能力のない人は、結局はどこかで潰れて行きます。
メリハリを考え、思い切って休む事も大切な仕事ですよ。

幸せの顔

2007 - 05/07 [Mon] - 01:50

 昨日の弟子の結婚の祝いの会の写真を整理し、スライド・ショーにするべく加工してDVDに焼いていました。
ここの所、そう云う事をする機会が増えています。
高校生の時から写真が好きで撮っていましたが、その頃は学校の写真部の暗室を借りてやっていました。
その後はリバーサル・フィルム、いわゆるスライド・フィルムを使って撮って、それをプロ・ラボに出していました。
そして、今はデジ・カメ。
便利な時代になりました。
撮った写真は、フォトショップで加工し、それを iDVD に取り込んでスライド・ショーにします。
中々、凝ったものも出来、楽しいものです。

 同時に、写真は真を写しますから、写っている人の心状態などが手に取る様に見えて来ます。
目で見ているのとは全く違う姿が見えるのには、驚く事もあれば、嬉しい事もあり、時には悲しい事もあります。
心の綺麗な人、真っ直ぐな人、ぐんぐん成長している人の顔は、写真で見ると素晴しくパワーに溢れ、輝いています。
が、心にわだかまりを持つ人、悩んでいる人、拗ねた人、傲慢になっている人、人の欠点しか見ない人の顔は、残念ながら私の目には明らかに見えて仕舞います。
そう云う時は悲しいですね。

 ここの所の3度のイベント、道場開き、弟子の結婚の儀式、同じく弟子の結婚を祝う会の写真を見ていても、それぞれの真の姿が写っています。
撮ったのは私ではありませんから、私のパワーで呼び込んだ訳ではありません。
写って仕舞うのです。
どうせなら、いつも幸せの顔をして写っていて欲しいと思います。

 中には、私の20年来の第一世代の弟子達、そして私の母の友人である、功成り名を遂げて引退された高齢者の方の姿も写っています。
嬉しい事に、第一世代の人達のパワーと重みは、真っ直ぐに綺麗に光っていました。
威厳と優しさと深み、彼らも大きくなったなぁ~と、心から嬉しく感じました。
そして、素敵な高齢者の方達の持つ、何とも云えない威厳は、どんなに優しい顔をされていても滲み出ていました。
何より、その方々の品の良さと、TPOと礼儀を重んじる姿勢に対し、若輩の私は頭が下る思いでした。
こう云う会にわざわざ足を運んで戴き、息子の様な年齢の私に対しても礼儀を尽して下さる姿には、憧れさえ感じる事が出来ました。
有難い事です。
そう云う威厳と礼儀を大切にして行きたいと、心から思いました。

 どうぞ、日本人として、人として、礼儀を重んじ、TPOをわきまえ、何よりも真っ直ぐな温かい心を持った、豊かな人になって下さい、と写真を見ながら心の中で弟子達に向かって言っていました。

祝いの会

2007 - 05/06 [Sun] - 01:24

 今日、私の弟子の結婚を祝う会を開きました。
とても多くの方が賛同して下さり、出席してくれました。
私が号令をかけたからと云うのもあるでしょうが、今日の主役である彼の人柄によるものが大きいと思います。

 短気で不器用な奴ですが、20年以上にわたって私の所へ通い詰め、時に相談者、時に弟子、時にスタッフとして、常に私の身近にいて色々と手伝ってくれました。
私が、結婚の祝いの会を開いてやろうと思える人物は、二人おります。
その内の一人が彼であり、もう一人が、今日も沢山頑張ってくれた男です。
二人共が、本当に長い間、ずっと通い詰め、叱られたり怒鳴られたり、褒められたりしながら、私のサポートをしてくれ、また多くの事を学んで来ました。

 二人共そうですが、兎に角、自分の事を度外視しても誰かの為に一生懸命になる。
その不器用さは、無類の優しさからのものですが、それ故、誰からも好かれて来ました。
今日の祝いの会も、彼なればこそ、私も出来るだけの事をしてやりたいと思って開きました。
彼の為に、私の友人や弟子達、空手の仲間達が協力し、長い時をかけて準備して来ました。

 どうにか無事に終わり、盛り上がり、楽しい会になったと思います。
この日が、彼ら新婚夫婦の良い思い出としてずっと残る事を願っています。

 彼が所属する会社も、彼がいなければ設立は出来なかった事は間違いありません。
今日、手伝ったもう一人の男も、彼がいなければ路頭に迷っていたかもしれない時もありました。
新たに開設した道場も彼の働きがあればこそ、他の協力者の力も生きました。
私も彼の働きと頑張りに感謝する事は度々ありました。

 そんな彼への感謝の気持ちを忘れず、さらに厳しく彼を育てて行きたいと思います。
もっともっと大きな、頼りがいのある男性へと成長して貰う事が、私の責任だからです。

 殆どの人が、温かく、心のこもった言葉を彼にかけてくれました。
中には、TPOをわきまえない事が格好良いと勘違いしている向きもありましたが、それもご愛嬌でした。
彼に世話になった人、彼のおかげと云う人、そして彼を何より好きだと云う人、そんな人が集ってくれた会となったと思います。
これからも、彼の人柄を大切に、彼への感謝を忘れずにいて欲しいと、心から思いました。

 新しい人生、幸せを心から祈っています。

便利なもの

2007 - 05/05 [Sat] - 01:36

 こうして、出来るだけ毎晩ブログを書こうとして遅くなっていますが、それでも時間を作っては毎日、相談者やリンクしている所のブログやHPを見ています。
そうすると、書いている方の事が色々と解ります。
精神状態はどうかな?
仕事は上手く行っているかな?
体調はどうかな?
と、やはり意識しながら見て仕舞います。
時には、私の方が癒されて仕舞ったりする事があります。

 人の縁とは不思議なものです。
曾ては、電話で話したり、会ったりするしか方法がなかったものが、今はメールは当然ながらHPにブログにmixiと色々なものが出来ました。
そうやって、会わずしても相手を感じる事が出来ます。

 それが人間関係が稀薄になったと云うか、それとも便利に使うか、それはその人次第。
顔が見えないから勝手な事が言える。
顔が見えないからこそ、言葉を大切に使う。

 便利な道具は、所詮は道具でしかありません。
どう使うか、それはその人の心の問題です。
大切な縁、心を込めて書き、また読んで行きたいですね。

意識の持ち方

2007 - 05/04 [Fri] - 01:21

 弟子達が祭壇の前で真言を詠んだり、お経を詠んだりする姿や、道場で空手の稽古をしている道場生達の姿を見ていて思うのは、やはり意識の持ち方って凄く大切だと云う事です。

 祭壇の前で真言であれお経であれ、詠んでいる時に、どんな意識で詠んでいるか。
願い事を叶える為か、形として詠んでいるか、己自身を仏と為す為に詠んでいるか、その意識のよって気の流れも、外に出るオーラも、呼吸の状態も変わります。
百万遍詠んでも、間違った意識で詠んでいたら、ただ時間が過ぎただけになって仕舞います。
まぁ、体力と気力と集中力はつくでしょうが。
真の目的とする、達する所へは到達しないでしょうね。

 空手も同様で、一つ一つの技、例えば基本をやる時に、その意識によってただのストレッチになるか、体操になるか、あるいは真に使えるものになるか、全く異なって来ます。
常に相手を想定して、例え基本であっても闘う意識を持つ、また自分自身の肉体と会話すると云う意識が大切です。

 目的意識と、意識の方向を考えていると、心も身体も、外に出る言葉や動きも変わって来ます。
考えるのも良いのですが、考え過ぎるとそこにこだわりが出て来ます。
ある事をイメージして、それを忘れない事。
そうすると、すぐに変化が表れて来ますよ。

肉体は正直

2007 - 05/03 [Thu] - 01:19

 身体と云うものは、心の状態や意識によってすぐに変化します。
ストレスが溜ると調子を崩し、気持ちが明るくなると調子良くなり、甘やかすとすぐに弛れ、鍛えるとすぐに締まって来ます。

 私は妻や空手の師範から、反応が異常に速いと言われます。
ちょっとトレーニングを始めると、すぐに締まって来て、体型まで変化して来るらしいです。
らしいと云うのは、私自身があまり自覚していないからです。
少し、身体が楽になった、軽くなったかな?と云う程度はありますが。
昔、かなり鍛えていたおかげかもしれないですね。

 暫く仕事が忙しく、色々な事情から空手の練習から離れていました。
新しい道場が開設されて練習をさせて貰いに、ついでに少しだけ指導のお手伝いをさせて戴くべく、週に一度位のペースで通うつもりで道場へ行き始めました。
忙しいので、仕事だと思って行く事にしています。
そうでないと、つい忙しさにかまけて仕舞いますから。
生来、私は怠け者だと思うので、何かで縛っておかないと。(笑)

 行き始めた第一回、やはり自分のスタミナ不足、バランスの悪さ、明くる日の筋肉痛など、それは情けないものでした。
昔のイメージからは程遠く、思う通りに動かない自分に腹が立ちました。
師範からは、全然そうは見えなかったと言われ、バレてなくて情けない姿は見せないで済んだかな?とホッとしましたが。(笑)

 そして、2度目。
う~ん、スタミナ不足は相変らずですし、思う通りに身体は全然動きません。
が、明らかに楽になって来ています。
何かが変化したのかもしれないですね。
このまま続ければ、多分、数ヶ月である程度までは戻るかな?と云う感覚が出て来ました。
勿論、若くないですから、昔の様なパワーも、スタミナも、スピードも、元に戻す事は不可能だと思います。
が、出来る所まで戻してみようかなと云う意欲が出て来ました。
そうなると身体は正直なもので、何か変化が始まっているのを感じます。

 肉体は正直なものです。
心と身体、意識、そして意欲、そう云うものに正直に反応してくれます。
さぁ、皆さんも少しでも身体を動かして、健康を保ちましょう。
健全な肉体に健全な心が宿る、は、ある意味では正しいと思います。
健康である為に運動する、は辛いものがあります。
でも、何か楽しめる運動が見つかると良いですね。
そうしたら、ずっと続けられますから。

雨の中のドライブ

2007 - 05/02 [Wed] - 02:55

 正確にはドライブではないのですが、道場への行き帰りに車を使っています。
残念ながらちょっと離れて距離があるのと、駅からも少し離れているので、夜遅く帰る事を考えると車の方が便利なので。

 今日は雨の中のドライブとなりました。
こう云う日の運転は気を遣います。
でも、雨は心を鎮めてくれます。
昔から、土砂降りになるとドライブしたくなると云う悪い(?)癖があって。(笑)
雨の日の運転は、特にそれが夜だと、静かな閉鎖空間にいる様な気分でとても心が静まります。

 道場の帰り、稽古の内容等を思い起こしながらゆったりと運転していると、穏やかな気持ちになりました。
これからも毎週の様に愛車には走って貰わなければなりません。
近々、12ヶ月の法定点検もありますし、その前に遠出の予定もありますし、可愛がってあげようと思います。

これしかない

2007 - 05/01 [Tue] - 01:22

 人は何か良い物を見つけた時、また苦しみの中にある時、一つの事や物に固執して仕舞います。
これしかない。
これがなければ意味がない。
こうしか出来ない。
この通りにならないなら生きていても仕方ない。

 う~ん、否定はしません。
その人にとっては、そこにしがみつかなければ希望が見つからないのでしょうから。
そこにしか救いがない、それだけが最高と思って仕舞う。
それも良く解ります。

 衝動買いや一目惚れ等はその最たるものでしょう。
その物がなければ、その人がいなければ、人生が閉ざされた様な気になる。

 苦しみの中で、必死に生きている人にとっては、自分が善かれと思ってやっている事が最上なのでしょう。
それ以外は見えないし、あると思えないし、それが上手く行かなければ全てが終わって仕舞う様に感じるでしょう。

 見えていても見えない。
見たくないから見ない。
見ようとしないから見えない。
何れにしろ、固執すると云う事は、視野を狭め、どんどん自分を狭い道へ追込んで行きます。
そして、そう云う時は誰の言葉も耳に入りません。
自分が望んだ事以外は全て拒否して仕舞います。
悲しい事です。

 そう云う願いは、神仏は絶体に叶えません。
それが地獄道へ通じるからです。
正しい道、真に幸せに繋がる道でなければ、神仏は叶えません。

 いつの日か、そう云う人が目を開き、心を開いて、真に幸せへの道へ歩き出す事を祈っています。
その時、本当に道が開くでしょうから。

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プロフィール

島津 成晃

Author:島津 成晃
Adept・Mentor 島津相談室主宰
人生のあらゆる問題の相談に乗って来ました。
元気になって希望を持って帰って戴く事が私の願いです。
スピリチュアルな目と、冷静な分析で御相談に乗ります。
御相談はHPの方からお願いします


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