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見た目と真実
色々な人がいるものだと思います。
こんな仕事をしていると、本当にあらゆる種類の人にお会いします。
本当に悩んでいる人、苦しんでいる人は当然ながら、他人に対してのみならず自分の未来に対しても無責任な人、一生懸命に生きようとして焦っている人、未来を見据えて頑張っている人、甘い誘惑に負けて仕舞ってどうしても自分を律し切れない人、心の美しい人、心の貧しい人、明るい人、暗い人、そして品性下劣な人、高潔な人・・・。
並べたらキリがないですね。
見た目は美しい、素晴しく、才能に溢れているのに、品性下劣で軽蔑に値する人がいます。
逆に、本当に何と云う事はない普通の人なのに、尊敬に値する人がいます。
人は見た目だけで判断するなと云いますが、その通りだと思います。
私も見た目で判断されると、怖そうと云われるのですが。(苦笑)
本当はとっても優しいのですよ。
会った人は知っていると思いますが。(笑)
それは兎も角、私は霊視をする時、特に写真を霊視する時は裏から観ます。
見た目を無視する為と云う事です。
目で見るとどうしても、その姿形に囚われて仕舞いますから。
そうすると、観える、観える。
「う~ん、この人は性根が悪いなぁ~」とか、「うん、良いねぇ、この人は。」とか・・・・・。
外見や言動は着飾る事が出来ますが、心と魂は飾る事が出来ません。
そして、幾ら着飾っていても、人はやはりそれを見抜いて仕舞います。
最初は誤魔化せても、いつか、それが白日の下に晒される時が来ます。
どうせなら、予想に反して良い人だったと言われたいものですね。
御神示
良く私は、頼まれて御神籤の解釈をします。
大吉・中吉・小吉・凶・大凶などと書かれていて、意味が色々と書かれていますが、私は御神籤に書かれている歌しか読みません。
何故なら、そこにこそ、神佛の御神示があるからです。
心を込めて、本当に神や仏の声を聞きたいと思って引いた御神籤は、恐ろしいほど当ります。
当り前ですね。
軽く、ついでの気分で引いた御神籤は、訳が解らないと云う事が良くあります。
お見通しですね。
タロットや易などの直感的な占いもまた、同様に御神示を明確に表わします。
本当に面白い様に表わしてくれます。
もっとも、その解釈をする、洞察力と知識が必要ですが。
真剣に、心を込めて、静かな気持ちで御神籤をひいてみて下さい。
そして、そこに書かれている歌をじっくり噛み締めて下さい。
凄く参考になる筈です。
月例会
今日は月に一度の月例会でした。
その上、不動明王の縁日が重なり、護身法を行って、不動明王の真言を皆で唱え、それから勉強会と、やはりハードな一日になりました。
昔は朝まで皆で話していたものですが、互いに年を取ったのか、夕方には流石に疲れを感じますね。(苦笑)
何がと云う訳ではありませんが、今日は何となく興が乗り、護身法も時間を越えて指導し、勉強会も今やメイン・メンバーとなった名古屋のI君や埼玉のY君がお休みの中、久々に登場したK兄君のお陰でとても盛り上がり、またいつの間にか話が広がって(拡散?(笑))、かなりディープな秘伝も話していた様に思います。
その時の雰囲気ってありますね。
今日は軽く話そうと思っていても、気がつくと興奮状態でついつい秘伝まで話して仕舞う時。
気がついたら、軽く話していて、興が乗らない時。
でも、参加している人達のキラキラとした目と、聞きたい、知りたいと云う顔を見ていると、ついついディープな話もして仕舞います。
今日、参加した人は、得をしたかもしれませんね。
また叱られますね。
あまり秘伝を話するなって。(苦笑)
良く密教の先生方に叱られるのです。
でも、秘伝って実は凄く単純だったりします。
そして、それを聞いたからと云って、知っているのと出来るのとは違いますから、私は教える事が多いですね。
解る人には解るし、出来る人には出来る。
でも、そこまで行っていない人にはチンプンカンプンだろうし、やろうとしても絶対に出来ません。
そんな雰囲気が月例会です。
興味のある方はどうぞ参加して楽しんで下さい。
ある瞬間
人生には何度か大きなターニング・ポイントがあります。
尊敬出来る師との出会い、進学や就職、結婚、出産、親の死、仕事での出会い、等々。
その瞬間は、突然にやって来ます。
大抵は、後になってそれが大きなターニング・ポイントだったと気付くものです。
しかし、その瞬間の判断や対応の大切さは、その後の人生を左右して仕舞う程のものである場合が多いです。
その現れ方は色々です。
とても嬉しい事の様に、またとっても無礼な事の様に、また驚きと共に、あるいは恐怖と共に、その瞬間はやって来ます。
その時に、どうそれを捉えるか、その時の判断で天国にも地獄にも、そして無意味にもなります。
その場の感情や、自己顕示欲、自信のなさ、勢いだけで判断したり対応したりすると、大きなチャンスを逃す事になるかもしれません。
また、逆に敢えてそれをやり過す事が最良の道なのかもしれません。
常に来る、その瞬間、つまらない考えや自己顕示欲に囚われず、冷静に見極めましょう。
何かが匂う
良く、刑事ドラマなどで事件が起きた時、刑事が「臭うな」と言う事ってありますね。
それと同じで、良い事が何か起きそうだと云う匂いがしたり、何だか嫌な予感がするなと臭ったりする事ってあります。
本当に何かの匂いがする訳ではないのですが、そうとしか表現しようがない、何とも云えない感触がありますね。
ビジネスのアドバイスをしている時などは、その匂い、或いは臭いがとても重要です。
仕事の相手の腹の内や、仕事の流れが、それで感じ取れます。
綺麗事、美辞麗句を並べていても、臭いものは臭いですし、どうみても信用ならない感じがしても、凄く良い感じで匂って来る事もあります。
そして、その感覚は外れた事がありません。
本来は誰でもがそう云う感覚を持っています。
が、使わないと退化すると云うか、眠って仕舞います。
常にどこかで緊張状態を保って、真剣に仕事している方、一生懸命に何かに打ち込んでいる方は、無意識に訓練されてその匂いや臭いを感じ取る様になります。
直感と云っても良いのでしょうが、それとも違う気がします。
本当に、人間って無限なのだなと思います。
ずっと昔、レンジャー部隊の人に空手を教えていた時、お礼と言って逆に暗闇での人の気配の探り方を教わった事があります。
真っ暗闇でも、どこに、何人、人がいるかが解るのです。
これは驚きました。
で、秘訣を聞いたら、鼻だそうです。
つまり、臭うのだそうです。
だから、必ず風下に行く。
言われて、私も少し訓練してみました。
本当に、少しずつですが、人の臭いがする様になった経験があります。
これは本当に鼻で臭うと云うものですが、同様に、意識と感覚の訓練をすれば色々な匂いがして来ます。
だから、人は面白いのです。
無限の可能性がありますから。
人の匂い
人にはそれぞれの匂いがあります。
或いは臭いでしょうか。
良い匂いであったり、あまり心地良くない臭いであったりします。
現実に汗臭かったり、体臭が強かったり、香水の匂いが漂ったり、シャンプーの匂いが香ったりしますが、それ以外にも本当に物理的・化学的なものではなく、心に直接伝わって来る匂い・臭いがあります。
それは、その人の生き方、考え方、心の状態、魂の状態によって、その人固有の匂いがします。
とても心地良くしてくれる匂い、どうしようもなく気持ち悪くなって仕舞う臭い。
そして、自分と同類と感じさせてくれる匂い。
同じ匂いのする人とは、不思議と会った瞬間からウマが合うと云うか、スムーズに関係が結べます。
が、全く異なる匂いのする人とは、時間をかけても心が通じなかったりしますね。
我々が良く云う被りは、そう云う臭いからも来ます。
まるで毒ガスを吸った時の様に、気分が悪く、体調が崩れます。
さて、貴方はどんな匂いを発しているのでしょうか?
ノリ
良く、ノリが良いとか、ノリが悪いとか言いますが、確かにノリの良い人は機転が利いて、頭脳の回転が早く、発想のユニークな人が多い様に思います。
何よりも、陰気なのよりもノリが良い人の方が魅力的ですね。
どうも陰気臭いのは好きじゃありません。
自らネガティブになって、それを楽しんでいるのではないかと思える程の人もいますが、そんな事をしていたら周囲の人も良い気持ちではありませんし、魅力もありません。
ノリの良い人は、立ち直りも早く、何かあってもすぐにポジティブになる事が出来、また好奇心も旺盛です。
そう云う人は、アドバイスするとすぐにそれを吸収して動き出します。
ですから、すぐに運も開き、次へのステップを踏み出します。
あまりノリが良過ぎるのも軽くなりますし、オッチョコチョイと云う事もありますが、どうせならノッていたいですね。
ノッている時は、不可能も可能になると云う事が良くありますから。
そう云う時は、体調も良いですからね。
有難い事です
今日、「霊能者と仲間達」をアップしました。
月例会をテーマにして、もう14回目です。
本当に沢山の人が参加してくれ、思う所を腹蔵なく話してくれていて、とても面白く、また私が読んでも為になる事ばかりで、「そうなんだよなぁ~」と、自分を振り返り、再確認しています。
こうして毎週ブログをアップしていると、本当に有難いなと思います。
沢山の人達が参加してくれ、もう幾つのテーマを話して来たでしょうか?
これからもずっと続けて行くつもりですが、こうした企画が続けられるのも、人のご縁によるものであって、一人一人と心のお付き合いをさせて戴いているからだと思います。
幾らお金持ちになっても、権力を得ても、見栄を張る事は出来るでしょうし、贅沢も出来るでしょうが、心の平穏は得られないでしょう。
逆に、それを失わないかと戦々恐々としていなければならず、高いお金を使ってセキュリティーの充実や警備員を雇わなければいけないですね。
何もなくても、人のご縁があり、支えてくれる人がいて、自分の生き方に賛同してくれる人がいて、また自分が誰かの役に立っているかもしれないと思えたら、本当に幸せです。
現実に金銭や権力がないばかりに苦労されている方もいるでしょうし、そう云う方はある程度まではそう云う現実的なものを手に入れる努力も必要です。
が、ある程度と云うのを忘れて仕舞って、もっともっととなって仕舞うと、心の平穏は遠退くと思います。
お金を得る為が、お金に使われる様になって仕舞い、権力を得る為が、権力に使われて仕舞います。
得難い財産、それは人とのご縁であり、心です。
大切なものを忘れない様、日々の感謝をしましょう。
心得
2日続けて御供養を依頼され、特別供養を行いました。
いつもの事ですが、御供養させて戴く前日から既に訪ねて来られる人がいて、勿論、これは目に見えない方ですが(笑)、体調や精神状態に影響を受けます。
十人十色とは良く言ったもので、供養する対象が違えば、同じお経を詠ませて戴いても反応が違い、それに伴って詠んでいるお経のトーンやリズムまで変わって仕舞います。
初心の頃は私も必死で、それこそ全身全霊で力を込め、気合いとありったけの自分の持てる力を発揮して御供養していました。
それがある時、フッと力が抜けました。
それ以来、私は出来る限りリラックスして、静かに、穏やかに、経をあげる様に心がけています。
生来の性格は中々変わらず、時として、喧嘩詠みと云う荒っぽい詠み方をして仕舞う事も多いのですが(笑)、御供養については出来る限り、心穏やかに、静かに、染み入る様に経を詠もうと思っています。
霊と云えども同じ人間です。
こちらが緊張し、あるいは喧嘩腰であったら、相手も同じ様になって仕舞います。
それでは成仏する所ではありませんね。
逆に経を詠む私が、完全にリラックスしていて、尚且つ、心は一点に向いていれば、霊も同じ様に緊張を解き、心を開いてくれます。
そして、私の心を受け止めてくれます。
空であると云う事は、力まず、自然な状態で、あるが侭の姿で、囚われない状態です。
霊に限らず、生きた人でも、物でも、現象でも、そう云う心の状態で接する事が出来たら、全ての事が楽しくなります。
気楽に、拘らず、自然に、あるが侭で、リラックスしましょう。
都合の良い言い訳
人間は誰しも、自分の都合が悪くなると、物事が上手く行かないと、自分に都合の良い言い訳を考え出します。
仕事は出来ないのに、それだけは得意と云う人もいますね。(笑)
都合の良い言い訳とは、誰かや何かに責任転嫁して、さも自分には責任がないのだと云う逃げ口上です。
自分は悪くない、自分は頑張っている、これが出来ないのは誰それのせいだ、上司がこう言ったから、体調が悪いから、時間がないから、能力がないから、と次から次へと言い訳を考え出す。
自分が努力してない、この位で良いだろうと軽く考えている、面倒臭いと思っている、どうせ・・・と諦めている事を棚に上げて仕舞って、その癖、自分では精一杯の努力をしていない事、力を発揮していない事を知っているので、言い訳を考える。
社会は決して温かくない面もあり、そうやって言い訳をする人間を、注意してやろうと云う奇特な人はとても少ないです。
大多数の人は、言い訳だと解っていても何も言わず、心の中で馬鹿にしているだけです。
そして、時間が経つ間に評価が下がり、人から信用されなくなって行きます。
その時に気がついても、もう遅い。
出来る出来ない、力があるとかないとか、そんな事とは無関係に、自分の責任をきちんと受け止め、精一杯の努力をし、諦めずに頑張る姿が、周囲の人の目には美しくもあり、感動を呼びます。
そして、それが信頼へと繋がります。
言い訳の多い人は、絶対に出世しません。
信頼出来ません。
逃げる事ばかりを考えているからです。
本当に生き生きと幸せを感じたいのであれば、言い訳など考えたり、言ったりしている暇があったら、自分の持てる力を精一杯出す事、やり通す事が大切です。
言い訳は、所詮、甘えにしか聞こえません。
孤独
霊能者と云うものは、ある意味ではとても孤独です。
感覚が人それぞれである様に、霊感や持てる能力も人それぞれであって、霊能者と云われる人は特にそれが顕著です。
霊が観える人、未来が観える人、透視が出来る人、臭いを感じる人、声が聞こえる人、皮膚感覚で感じる人、イメージが湧く人、心を感じる人、ただ被って体調を崩す人、突発的に物理的な力を発揮して仕舞う念力タイプ、霊と同調して仕舞う霊媒タイプ、等々と多種多彩です。
これを解らない人に理解しろと云う方が無理であり、まして体験していない人が信じる筈もありません。
変な人、嘘つき、妄想、異常、そう言われるのが落ちでしょう。
でも、本人は「あるものはある。」としか言えない訳で、結局、自分自身を信じるしかないのです。
ですから、どうしても自分の世界にこもり、孤独になって行きます。
理解者を探すのはとても困難であり、見つかってもレベルの違いや、タイプの違いがあります。
そうやって生きて来た人達が、今、私の所に集って来ています。
やっと居場所が出来た、と云う所でしょうか。
しかし、霊能者でなくても、普通の人でも同じです。
人生は一生かけて自分の居場所を探し続ける旅ではないかと思う時があります。
家庭、仕事、人間関係、そんな中に安住の地が見つかった時、人は心が穏やかになります。
特に仕事をしていて、ポジションが上がって来るとどうしても孤独になります。
誰かを踏みつけ、誰かを追い落とし、誰かを追い抜いて、上に上るのですから。
その孤独に耐えた時、人は本物になって行きます。
そこで孤独と安住の地を両方持てた人が、一流と云える人になります。
諦めず、焦らず、まずは自分を磨き、ポジションを確保し、時間をかけて安住の地を探しましょう。
「求めよ、さらば与えられん」です。
物事の波
私は毎週水曜日に「霊能者と仲間達」のブログをアップしています。
色々なテーマで、集った人達と本音トークをしているのですが、本当に毎回、面白くてアップした私自身が楽しんでいます。
こうして、毎回、決まった様に決まった事が来るのは、ある意味ではプレッシャーであり、同時に楽な事です。
が、人生は波の様に満ち引きがあり、時にはそれが極端に感じる事があります。
何事でも同じですが、波が来始めて、それに乗ると、中々その波から抜け出す事も、抵抗する事も出来ません。
ですから、無駄に逆らうのではなく、波に積極的に乗って、それを自分のとって有利な様に乗りこなすのが一番です。
また波が来ない時、焦って波を探しても、ないものはないのです。
そこで無駄に動き回って探していると、肝心な波が来た時に体力がなくなって仕舞っていると云う事もあります。
待つ時は待つ、乗る時は乗る、追う時は追う、そう云うメリハリがとても大切です。
今はどうする時なのか、よく見て下さい。
初心に返る
相談者や弟子の中に変化が起き始めている様に感じます。
それは自身の変化によって起きています。
気の流れが変わり、エネルギーの状態が変わり、心にも変化が起きる。
それに伴い、環境も、人間関係も、仕事も、全てが変わって来ます。
これは一つの流れであり、逆らえば逆らうだけ厳しく辛い時間となります。
思い切って変化の流れに乗るのが一番です。
が、急激な変化には、人は心も身体もついて行きません。
ある種のショック症状が出て来ます。
恐怖、体調の変調、苛々、臆病、浮き浮きして舞い上がる、、、、。
その状態を続けると、必ず足許を掬われます。
まずは、落ち着いて、一歩一歩踏み締めて、慎重に。
そして、何よりも原点に、初心に返る事です。
基本は覚えて忘れろが鉄則ですが、時として敢えて基本に立ち返り、一からやり直す事で、調子を調える事が必要です。
変化の時は、突然にやって来ます。
慌てないで、まずは基本に立ち返り、初心に返りましょう。
今さらと思ったり、面倒臭いなと思ったり、厳しいなぁと思う人は、う~ん、成長は諦めて当分は苦しんで下さい。(笑)
神と仏
今日、久し振りに府中にある大国魂神社にお詣りに行きました。
強く禊をした様に思います。
鎮座されている神々が禊をかけてくれたのでしょう。
祈っている人の中には色々な人がいて、その人から大被りもしましたが、同時に禊もした様に思います。
そして神の御神示。
神と仏は役割が違います。
存在のあり様も違います。
静と動、正反対の様でもあります。
そして、神は誓いの対象であり、仏は慈悲です。
そう云う意味では、神と仏は表裏一体。
神の叶える祈りと仏の叶える祈りは違います。
が、どちらも、祈る側の私達が心の底から真剣に、極限まで集中した時に受入れて下さいます。
軽い気持ちで祈るのは、無意味と言って良いでしょう。
何故なら、神も仏も、人としての完成形、理想像であり、頼る為にあるのではなく、近づく為にあります。
自分の中に眠っている神性、仏性を呼び覚ます為に祈りはあります。
決して、祈りが叶わないからと云って、逆恨みしない様に。
余計に悪くなりますよ。
心と身体
身体と心は密接に繋がっています。
体調が悪ければ心の状態も悪くなって来ますし、心の状態が悪ければ身体も変調して来ます。
逆に体調が良い時は心も弾んで来る事が多いですし、心が弾んでいる時は不思議と身体の調子も良くなって来ます。
昔、父に聞いた事があります。
「内科的な病気の内、細菌性や遺伝性のもの、暴飲暴食などを除いた他の病気の殆どは、ストレスが原因の一端になっている。精神的なものが肉体に与える影響は計り知れない。」と。
私も多くの方の相談を受けていて、同じ結論に達しています。
それも、ストレスと自覚出来るものはそれ程怖くありません。
自覚症状のない無自覚性ストレスが一番危ないのです。
それは自分の知らない所で肉体を蝕んで行きます。
そして、突然の様に症状が出ます。
ストレスの原因は色々でしょう。
他からの刺激によるもの、自分で勝手に思い込んで作って仕舞うもの、生活や仕事に追われる事によって起きるもの、そして目に見えない存在による影響、等々。
まず、自分の状態を常に意識しておきましょう。
あれ?おかしいなと解って来ます。
そのサインを無視しない事です。
そうすれば、いつもある程度の状態を保つ事が出来ます。
顕教と密教
仏教には顕教と密教があります。
一言で解り易く言うなら、理論と実践です。
お釈迦様が作り上げられた仏教は、現代科学すらも呑み込んだ壮大な理論哲学であり、同時に超現実的な実践論でもあります。
人が仏になると云う事、幸せになると云う事、大宇宙や地球やその他の次元の実相を解き明かし、仏になる為の道筋と方法論を人々に伝えられました。
その教えは余りにも壮大であり、奥深く、同じく仏に到達した人でなければ全てを理解するなど、到底不可能だと思います。
故に、その一部分だけがバラバラに伝わり、広がって行きました。
それが、宗派と云うものです。
教えだけが独り歩きしたと言っても良いでしょう。
どの仏教も、全てがお釈迦様の教えであり、全ての宗派を一つにした時、お釈迦様が語り、実践された仏教の全体像が朧げながら見えて来ます。
私は修行時代からその道を目指して来ました。
真の仏教を追求し続けて来ました。
顕教の理論、密教の理論、車の両輪であり、どちらが欠けても不完全です。
これからも一生かけて追求して行くでしょう。
そして、仏の道を実践し、歩き続ける、追求し続ける姿を見せる事が、仏とは何か、仏教とは何かと云う、メッセージであると思います。
厳しく、遠い道ですね。
う~ん、頑張らなければ。
自分の生き方
生きて居ると自分の思い通りにならない事って沢山ありますね。
それを無理して押し通すと、我が侭だと言われたり、勝手だと言われたり、協調性がないと言われたり。
でも、それって良く良く考えると、特に第三者的に見ると、周囲の人達の都合で言っていると言う事が殆どではないでしょうか。
「和を以て尊しとする」は日本古来の文化ですが、自己を抑制してまで和を優先する必要がある場合と、自己を押し通しても良い場合とあると思います。
他人は勝手な事しか言わないものです。
自分に責任がかからないとなれば、尚更です。
所詮、他人事なのですから。
誰も言った言葉の責任などは取ってくれません。
また、そこに利害関係があれば尚更、その相手はこちらに抑制を求めて来ます。
そうしないと、自分の立場が脅かされたり、危うくなったり、損をするからです。
何でもかんでも自己を押し通して良い訳ではありません。
しかし、この場面では自分を押し通す事で、自己の生き方を貫くと云う事もあります。
ガリレオ・ガリレイが宗教裁判で有罪となった時、「それでも地球は回る」と言った様に。
宮本武蔵が最後まで自己を貫き、生涯一剣術家として亡くなった様に。
運の上昇と下降の速度
この仕事をしていて思うのですが、運って上がるのと下るのではスピードが違います。
良くなる時、徐々に階段を上る様に運が上がる事はありません。
全く動かない様に思える時期が続き、突然、フッと運が上がり実感出来ます。
逆に下る時は、早いですよ。
本当に雪だるまが出来る時の様に、転がり落ちます。
アッと云う間に、ゴロゴロ。
運でも、力でも、勉強でも同じですが、ある一定のレベルまで溜らないと動きません。
そのレベルを越えた瞬間に、あれ?と思うほどレベル・アップしている自分に気がつきます。
ですから、頑張っている時は焦りは禁物。
まして諦めたら終りです。
運を上げるコツは、諦めないで、前へ進み続ける事です。
品性下劣と云う言葉があります。
人は精神的に追い込まれたり、辛い時期が続くと、心が病んで仕舞う事があります。
そう云う状態の時に出て来る考えや言葉は、まさに品性下劣。
そして、自ら墓穴を掘る様な事を言ったり、やったりします。
そして、雪だるまが山を転がり落ちて谷へ向かう様に、運も劇的に下って行きます。
諦めず、常に明るく、前を向いて、品性を保って歩きましょう。
それが開運への近道です。
人の感情
霊能者と云うものは、普通の人と比べると異常と言って良い位に感覚が鋭く、影響され易いものです。
ですから、自閉症の多くが霊的な感覚を持っている人と似通っています。
中には、本当に霊能力を持っていて、それが故に自閉症になって仕舞っている人もいます。
感覚が鋭過ぎるが故に、自分以外の人の感情が激しく高まる時、それは能力者に取っては攻撃と等しいものがあり、とても辛い感覚です。
表面はいくら平静を装っても、心底の感情の揺らぎはダイレクトに伝わって来ます。
それ故、能力者は時としてエキセントリックであり、不安定なのです。
長年の修行を通じて、私もそう云う感覚をコントロールして来ました。
それでも、やはり激しい感情には、疲労感を覚えます。
プロの私でもそうなのですから、アマチュアの方やコントロール出来ていない方には、辛い感覚だと思います。
昨日、新しく発売された「XーMEN ファイナル・エディション」を観ていて、とても悲哀を感じました。
彼等はミュータントであり、人よりも優れた能力を持っています。
が、それ故に人から怪物扱いされ、差別され、敵視しされる。
同じ人間でありながら、自分と違う者を攻撃すると云う人類の持つ根源的な心理は、悲しいものです。
こうした映画や、TVで活躍する能力者のお陰で、高能力者や高感覚者の存在が受入れられて来た事は、とても嬉しい事ですね。
感情は、それを外へ出さなくても人を傷つける事があると知っていて下さい。
感じる者にとっては、とても大きく激しい刺激であり、恐怖さえ感じる事があるのです。
霊能者と云う仕事
長年、仕事をして来ましたが、本当に色々な方にお会いし、お話を聞き、問題を解決して来たなと思います。
その一つ一つが私の血となり肉となって、今の私の中で生きて居ます。
本当に、この仕事をしていて有難く、幸せだと思います。
思えば、この仕事を始める時、賛否両論あり、中には胡散臭い仕事と切り捨てられた事もあります。
仕事をしていても、そう云う評価を受けた事もあり、上手く行って当り前、もし上手く行かなかったら(相談者の望む通りにならなかったり、予知が外れたりした時)、あれは紛い物だと言われる。
そんな綱渡りの様な、毎回毎回が真剣勝負の仕事をして来た様に思います。
逆に、良くなったからと私を自分だけのものにしようと必要以上に気を遣ってみたり、まるで生き神の様に崇めたりする人すらいます。
が、相談者との距離を間違えると、それは間違いの始まりであり、必ずミスを呼びます。
ですから、いつも相談者との距離感を間違えない様にして来ました。
一度だけそれを敢えて意識しない様にしたのが、妻です。
そして結婚して今に至ります。
時代は変わり、霊能者と云う仕事も市民権を得て来ました。
これはテレビで活躍している霊能者さん達のお陰ですね。
好き嫌いは別としても、感謝しなければいけません。(笑)
この道は永遠の道だと感じています。
追求しても、深く追いかけても、まだまだ先に光があります。
そうして私が光を追い求める姿が、そのまま皆さんの希望となれば最高だと思っています。
これからも一緒に前を向いて進みましょう。
遠くに輝く、永遠の光を求めて。
楽しく
今日、西麻布にあるイタリアン・レストラン、アルポルトのオーナー・シェフ片岡護氏をテーマにした番組がやっていました。
以前から、この方には注目していました。
いつも笑顔で、物凄く楽しそうに仕事をされている姿は、かのフレンチの鉄人の坂井宏行シェフや中華の鉄人の陳健一氏にも通じるもので、人柄の良さと、何よりも仕事を楽しんでいる姿が、印象的です。
普通、シェフや料理人と云うのは、神経質で傲慢な人が多いのですが、彼等はそんな事は無縁の様に思わせてくれる大らかさと、人格的な魅力を感じさせてくれます。
あれだけ楽しそうに料理を作っているのを見ると、本当に一度食してみたいと思わせてくれます。
深刻な顔をして料理を作り、偉そうにしている料理人の多い中、やはり貴重な存在だと思います。
一流、それも本物はああ云うものなのだなと思いました。
世の中は広いですね。
ああ云う天才が生きて、素晴しい仕事をしている。
久し振りに見ていて嬉しい番組でした。
仕事始め
人によっては仕事が始まった方も居られるみたいですが、仕事始めは9日からと云う方も多いでしょうね。
私はやっと遅いお正月を過しています。
と云っても、こうしてブログを書いたり、掲示板に返事したり、メールをチェックしたりしていますが。
鏡開きは、仕事始めと云う意味で行います。
本来、1月21日に行われていたのですが、徳川家三代将軍家光が4月20日に亡くなった事から、この日を忌日として避けて、1月11日に行う様になったのが現代まで伝わっています。
地方によっては20日に行ったり、京都の様に4日に行う所もあります。
鏡開きは、開くと云う言葉を使う通り、刃物で切らずに割ります。
切るは、切腹を連想させるので、開くと云う縁起の良い言葉を使います。
本来であれば、この日が仕事始めと云う事になるのでしょね。
主従が一緒に餅を食べて主従固めをする日であり、心を一つにしてこの一年を過そうと云う儀式でもあります。
こう云う儀式の本来を意味を知って行う事で、日本人としての根源的な心を大切に出来る様に思います。
伝統だから、昔からやっているから、と云うだけで習慣的に行うと、段々と形骸化して行き、何れはその心が失われて行く様に思います。
何気ない事の中に、人が生きる上で大切なアイデンティティーの種があります。
そう云うものを大切にして行くと、きっと人は心豊かになるのではないでしょうか。
高圧的に、「こうあらねばならない」とか「これはおかしい、変だ、間違いだ」と叫んでも、人の心には響かないと思います。
神佛と話す如く、霊と話す如く、そして武道において相手と対峙するが如く、心静かに、熱く、そして心を込めて真剣に一つ一つを大切にして行く事が、心を豊かにし、染み透って行くと思います。
風水
今日、TVを見ていたら、偶然ですが風水の出張鑑定をやっていました。
問題を抱えた人からの依頼で、風水師がその家庭を訪問して鑑定すると云うものです。
その道では有名な女性風水師は物腰も柔らかく、然しながらとても的確に端的にアドバイスをしていました。
どの道でも一流の人は同じだなと思いながら見ていましたが、依頼した方の主婦の態度と言葉、何よりもその家の状況には驚き以上に呆れ果てました。
プロがわざわざ来てアドバイスしているのに、腕組みをして聞いている。
腕組みとは、心の状態から云うと拒否の姿勢です。
相手を拒否し、偉そうにしたい時に、無意識に人は腕組みします。
何か変だと思いませんか???
誰が依頼して来て貰ったのでしたっけ?
そして、アドバイスに対して、一々、反論しないまでも言い訳する。
だって・・・、でも・・・、こう思ったんです・・・。
私も相談者と話していて、そう云う方に再々お会いしています。
正直、聞く気がないなら来なければ良いのにと思いますが、そうは云っても良くなって欲しいので、諦めずに説得を続けますが。
そして、映像に映る部屋の中は、埃だらけで、物は散乱していて、ゴミも放ったらかし。
グチャグチャの状態です。
あ~、これじゃ何をか言わんや、でした。
何よりもだらしない。
考え方も、生活も。
あれで運が悪いと言われても、知るか!!と言いたくなりますね。
生活する上で散らかるのは仕方ない事もあります。
然し、埃が溜まり、カビが生え、あげくの果てにゴミも放置では、そこで生活している以上、精神は荒み、悪い気も呼び込みますし、運も悪くなって当り前です。
特に水場は気をつけないと、健康や愛情運に響いて来ます。
金運にも大きく響きますよ。
見ていて思ったのは、やはり運の悪いと言う人は、運が悪くなる様な生活をしているのだなと云う事です。
家は、家庭は、人が帰るべき安住の地であり、巣です。
そこが汚く、落ち着かなければ、家の中に争いは起こり、精神は乱れ、健康も崩れますし、金運も下がり、果てには浮気なども起きて仕舞います。
当り前の事を当り前にする。
それが何よりの開運法です。
心休まるべき家を気持ち良い状態に保つ。
これは最低限のたしなみです。
まずは、ここから始めてみませんか?
学校での事情
昨日、相談者の子供と話していたのですが、この子は中学生の女の子で、凄く真面目で成績も良い子です。
それなのに(だからと云うべきか)、点数ばかり、評価ばかりを気にしています。
かなりの高得点を取っているし、もう充分だと思うのですが・・・。
その原因を、その子と話しながら探っていました。
それで解った原因の一つが、学校の事情です。
学校内での全てが内申書に響くと言われている様でした。
それも、しょっちゅうそう言われている様です。
妻に言わせると(妻は元は高校教師ですから)、教師達の指導力の低下により、そう云うものを題材にして指導しないと、子供を掌握出来ないのだと言います。
う~ん、それは良く理解出来ますが、どうにも私は納得出来ないですね。
そもそも学校で学ぶべきは、社会で生きて行く上での基本であり、学問を楽しいと思える素地を作っているのであり、将来、何かやりたい事が出来た時にそれを選択する為の基礎としての力を与えているのであり、また疑似社会として人間教育を行う場だと思うのですが。
それが、偏差値や受験と云う事だけに焦点を絞ったかの様な(そうではないと思いますが、そう子供や親に思わせてしまう事が問題だと思います)、そんな状態はやはり私には異常に思えます。
私も人を指導する立場であり、教師も同じく指導する立場であり、それぞれの立場や意識があって良いとは思いますが、それにしてもちょっと行き過ぎと感じる事もありますね。
それぞれの方が一生懸命にやっておられる事は良く解っています。
親としての教育や環境作り、大人としての子供に対する示唆や指導、そして学校としての教育、子供が成長して行く過程では多くのものが影響を与えます。
それを良く把握して、子供一人一人を良く見て、バランス良く育ててあげたいものだなと思いますね。
年の初め
毎年そうですが、年の初めはゆっくり出来る筈が、全然出来ません。(苦笑)
貧乏性と云うか、じっとしていません。
さすがに面接は入りませんが、ブログをこうして書いたり、掲示板、HPの更新、次々とやって来るメール、そして3日にもう一度行う初詣祈願の準備・・・。
しかし、こうしてけじめと思って、大切な時を心を込めて過す事が、人としての芯になっている気がします。
日本人として、人として、守るべきけじめ。
沢山ありますね。
年始のご挨拶、節分、春のお彼岸、お盆、秋のお彼岸、年末のご挨拶、そして恩を受けた方への御中元や御歳暮、そして折々の報告とお礼・・・。
こうした事をきちんとして行く事が、人の縁を大切にする事であり、自分の評価をあげる事に繋がります。
その逆は・・・、大変ですね、評価が下がり、何れは誰からも相手にされなくなって仕舞います。
当り前の事を当り前に行う。
神佛への祈りも同じです。
何も特別な事ではありません。
古来から続く、日本人としての伝統であり、基本であり、常識です。
それが、開運への一番の近道です。
明けまして御目出度う御座居ます
今年も頑張ります。
新しい年を、充実した、本当に幸せを感じられる年にしましょう。
大晦日の年越大祓祈願は、とても厳かに終わりました。
一年の間の穢れや被りや後悔を全て禊し、新しい年に向けて鎮魂し、八百万の神達と一体化して祈りを奉じました。
今年は更に忙しい年となります。
読んで字の如く、亥は突っ走ります。
ですが、心は静かに燃え上がる年でもあります。
勢いに流されず、きちんと目標を決めて進みましょう。
ゆっくり緻密に歩くつもりで居て下さい。
それでも、気付かぬ内に勢いが付きます。
自分のペースを意識して、周囲の勢いに惑わされない様にして下さい。
昨年の頑張りが実を結びます。
大輪の花を咲かせ、大きな実を結ぶでしょう。
が、昨年、頑張る事が出来なかった人は、注意深く。
今年はすぐに結果が出て来ます。
内面の隠された弱点や、問題点が、表面に出て仕舞います。
足許を確かめながら、禊をするつもりで進んで下さい。
これからの一年が、皆様にとって幸せな日々である事を、心よりお祈り致します。