感じたり思った事を書いて行きます。 時には秘伝などを書く事も。 空手や色々な趣味の話も。

  Adept・Mentor 島津成晃の独り言のナビゲーター   トップページ > 2006年11月  

対症療法

2006 - 11/30 [Thu] - 01:51

 マスコミ報道で、苛めについての対策会議の事がニュースになっていました。
苛めた側の子は登校停止にするとかしないとか。
結局、それは外された様ですが、何だかどっと疲れを感じました。
妻が言うには、例えば停学処分になった生徒は、そのまま自宅待機させる訳ではないとの事。
毎日、教師が家まで訪ねて様子を見、話をし、反省文を書かせると云うのです。
そして、家に誰もいない日は、仕方がないから学校へ来させて、単独で管理すると云う事でした。
それを聞くと、登校停止にしてボランティアに参加させるとか言いますが、それを管理する教師の仕事が増えるだけであり、既に限界と言われる仕事量を更に増やすと云う事は、更に子供達への目が届かなくなると云う事ではないかと。

 こうして、行き当たりばったりの対症療法ばかり考え出しても、何も解決しません。
根本的な解決法がない限り、同じ事が起きるだけです。
現代の厳しい世の中、両親は家のローンや生活費や子供の教育費を稼ぐ為に共働きせざるを得なかったり、その親自身が親としての自覚が欠落していたり、溢れ出すマスコミ報道のせいで子供達が変に大人びた知恵だけを身につけて仕舞ったり、あまりにも膨大な仕事量を抱える先生達が余裕がなく、子供全てに目が届かなかったりと、問題はあらゆる場面にあります。

 全てを解決する事など、不可能でしょう。
が、親が躾けを家庭で放棄し、学校や他に任せて仕舞って、その上、責任転嫁して仕舞っている事だけでも変われば、と思います。

 臭いものには蓋をすると云います。
事なかれ主義とも言いますね。
本当に本質を見ると云う事は、前首相の小泉氏ではありませんが、痛みを伴います。
が、未来を思う時、その痛みを覚悟しても、本質を見なければ、子供達は育たないのではないかと思います。

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時を待つ

2006 - 11/29 [Wed] - 01:35

 どんな事にも、どんな人にも、最も力の発揮出来る時、駄目な時と云うものがあります。
占いでは良い時と悪い時を色々な名で呼んでいますが、要は相応しい時と相応しくない時があると云う事です。

 仕事をするにも、動いて良い時、動かなければいけない時があります。
株や相場をやっている方は良く分るでしょうが、その時を間違えると大きな損失へと繋がります。

 部下を育てる時、上司に何かを上申する時、やはりタイミングがとても大切です。
ピタリと合えば、思った以上にスムーズに事は運びます。
が、もし間違えたら・・・。(笑)

 何か心に思う時、やはり焦りが出ます。
早く何とかしたい、終らせたい、結果が欲しい・・・、と。
しかし、その時を待たないと、望まない方向へ進んで仕舞います。

 物事には偶然はありません。
時を待ち、時を観て、時に合わせるのです。
その結果が、必然として出て来ます。

 子供を叱るタイミング、部下を叱るタイミング、何か新しい事をやって良いタイミング、そして待つ時、耐える時、進む時・・・・・。

 時に縛られて、時間で生きるのはつまらないと思います。
が、時を上手く使う、利用する事が出来たら、もっと人生が豊かになるかもしれないですよ。

もののふ(武士)

2006 - 11/27 [Mon] - 13:52

 昨日は月例会でした。
iMacの設定の為、お休みしましたが、新しいPCはやはり快適ですね。

 話は戻り、月例会では護身法の初級が終了しました。
来月からは、また新しいコースが始まります。
自分のオーラを強くしたい方、精神的・肉体的にもっと強くなりたい方、厄を避けて身を守りたい方は、どうぞご参加下さい。
島津流護身法は、密教の作法としてだけではなく、呼吸法、気功法、ストレッチ法、イメージトレーニング等、多くのものを含んでいます。
仏教に興味のある方、ない方、霊感のある方、ない方、どんな方でも参加出来ます。

 護身法の後は、勉強会です。
と云っても、いわゆる講義ではありません。
曾て、数千年前のソクラテス等の賢人が行った如く、集って知的な事は勿論、冗談も、日常の事も、何でも皆で話し、知識と知恵を得、笑い、ストレスを解消しようと云うものです。

 昨日のメインのお話は、語録の「武士(もののふ)」と云うお話をしました。
興味のある方は、HPに載せておりますので、どうぞ語録をお読みになって下さい。

 人がこの一瞬を大切に、真剣に生きる事の大切さ、それがもののふの心です。
これは決して武士だけのものではありません。
武士であるから、常に死を意識しています。
だからこそ、家族を思い、和を重んじ、社会に貢献しようと思うのです。
命の大切さは誰よりも知っています。

 真の意味での武士道、もののふの心を持っていたら、日本はもっともっと良い国になるでしょうね。

誰の為に生きるか

2006 - 11/25 [Sat] - 02:55

 人間はとても弱いものです。
すぐに怠けるし、甘えるし、嘘をつくし、逃げるし、言い訳をする。
そんな場面は、霊能者と云う仕事をして相談者と向き合っていると、沢山、それこそ腐るほど見て来ました。

 人は、自分自身の為には中々生きられないものです。
余程の野心がなければ、自分だけの為には頑張れないものです。
もうイイや、まぁイイか、これ位でイイだろう、となって仕舞い、自分自身に言い訳を作って仕舞って、そこに逃げ込み、甘えて仕舞います。
これではいけないと思っていながら、自分自身に嘘をつき、目を逸らします。

 人は、何か護るものが出来た時、突然に強くなります。
責任感と云うのでしょうか。
それは野心であったり、生きる上での信念であったり、誇りであったり、そして家族(夫、妻、子供、等々)や友達、会社、等々と、護るべき対象が出来る時、自分一人ではないと実感します。
そして、心の中に責任感が生れます。
そうすると人は強くなります。

 人は自分自身の為には中々生きられませんが、誰かの為、何かの為には、命も顧みず突き進む力を持っています。
真の強さとは、そう云う時にこそ発揮されます。
火事場の馬鹿力、母が子を守ろうとする時、火事の中で持ち上がる筈のない重い箪笥を持ち上げて子を助ける。
そんな理屈を超えた力は、そう云う時にこそ出て来ます。

 修行や武道は、火事場の馬鹿力を意思の力で引き出そうとする訓練ですが、誰かを護ろうと云う強い意識を持ち続ける時、人は自らを鍛え上げようとします。

 一つでも、一人でも、良いですから、護るべきものを持ちましょう。
きっと、自分でも信じられない位に、強くなる事が出来ます。

受ける、被る

2006 - 11/24 [Fri] - 02:59

 霊感のある人は、良く人や霊や場所から受けるとか、被るとか言います。
霊や場所の持つマイナス波動や悪因縁、人の持つ悪い想念や憑いている霊の波動等を感じて仕舞って、精神状態も体調も崩れると云います。

 確かに、低周波公害と同様、人は色々なものの影響を受けて仕舞います。
高圧電流の側にいたら、やはり体調は崩れますし、暗い人と話していたら、自分まで暗くなって仕舞います。
排気ガスを吸ったら、体調が悪くなって当然ですね。

 私の様な仕事をしていたら、被りは当然。
曾て、同業者と云うか、師事していた先生から生霊を送られた事もあります。
勿論、千倍にして返しましたが。(笑)

 被りや受けると云うのは、凄く辛いものです。
頭痛はする、お腹は痛くなる、時には下して仕舞いますし、吐く事もあります。
肩は異常に凝り、あちこちに異常が出て来ます。

 そして霊感のある人は、それを物凄く恐れます。
段々とその恐怖から、日常さえ危うくなる人もいます。

 が、私が霊視すると、確かに被りがあっても、それ程まで酷い症状が出る筈はないな、と思う事がしばしばあります。
思い込みと云うのでしょうか。
ちょっと感じて仕舞うと、それを自分の心で増幅して仕舞い、ある筈のない症状まで引き起こして仕舞います。
自己暗示の様なものですね。

 霊感のある人は、情緒的であり、感情的である場合が多いです。
理論理屈よりも感覚を優先します。
ですから、どうしてもちょっとした感覚が、自分の中で増幅されて仕舞います。
が、それを恐がっていたら、生活も出来なくなります。

 私の所へ来る霊感のある人達は、殆どが最初はその自己暗示に振り回されています。
私も、ずっと昔はそうでした。
が、自らの生命のエネルギーはそんなに弱いものではありません。
大抵の被りは、意識を変えるだけで、またちょっと汗をかいたり、楽しい事に集中するだけで、簡単に解消します。

 被りが長引き、酷くなり、症状が激しくなるのは、殆どの場合は記憶です。
さっき感じた波動、臭い、気持ち悪さが、自分では忘れているつもりでも記憶に残り、それを無意識に脳がイメージを作り出して、幻覚を作るのです。
ありもしない事を、感覚として感じさせて仕舞います。
ですから、いつまで経っても消えない。

 足を切断した人が、足の先が痒いと云うのと同じです。

 被りは甘くみてはいけませんが、恐がり過ぎても良くありません。
まず、精神のバランスを保ちましょう

 でないと、霊感は厄介なものでしかなくなります。
霊感は、五感の延長であり、便利な道具でしかありません。
特別なものではないのです。

優しさ

2006 - 11/23 [Thu] - 02:42

 人間は本質的には、誰でも優しいと思います。

 今日、テレビを見ていて、崖で立ち往生している野良犬を救助しようとしている報道がありました。
どこのニュース番組でもやっていて、揚句の果てには、飼い主希望者まで名乗りを挙げていると云う事で、全く人間って優しいのだなぁと思います。

 昔、近くに住んでいた奥さんが犬を抱いていて、そこを通りかかった、どうみても暴力団の中年男性が、猫撫声でその犬をあやすと云うか、可愛がるのを見て爆笑した覚えがあります。

 特捜警察の刑事が来た時(時には、捜査の為に聞きに来る事があるのです)に聞いた事ですが、大抵の犯罪者は親の話を持ち出すと落ちる、つまり自白すると云う事でした。

 どんな人でも、心の底には本質的に優しさを持っています。
全てのものに、仏の心が宿ると仏教では言います。
その声を聞く事が、仏への道筋であると。

 心の中に眠る仏性と神性の声を良く聞いていたいものですね。

コミュニケーション

2006 - 11/22 [Wed] - 03:23

 コミュニケーションを大切にする事は、人付き合いの上でとても重要な事ですね。
ですが、それは会話をすると云うだけの事ではありません。
人は、言葉だけで人や外界と交流する訳ではありません。
そこには、身振り手振り、表情、体温、目線、息、心の波動、オーラ等と、あらゆるものを使っています。
自然を感じる時、心で感じ取ります。
それは、紛れもなくコミュニケーションです。

 掲示板上で書く。
これもそうです。
誰が読んでいるか分らない。
でも、その見えない誰かと会話する。
文字だけで会話していると思うかもしれません。
でも、人は文字から、それを書いた人を想像して読みます。
そして、書いてある内容をイメージして広げます。

 相手を意識しない文字や言葉は、独り善がりでしかありません。

 そう云う人、多くないですか?

 仕事の出来る人、異性にモテる人、人気のある人は、皆、上手くコミュニケートしています。
独り善がりでは、そうはなりません。

 コミュニケーションは、ある意味では自己表現です。
相手をイメージし、その心を思い描いて、良い関係を作りましょう。

思い込み

2006 - 11/21 [Tue] - 03:00

 色々な人と出会って相談に乗り、また街で色々な人を見かけて観察していると、人って本当に勝手と云うか、思い込みで自分だけの思いで生きているのだなぁと思います。

 あるブログで、「子供は親を選ばない」とか「苛められっ子が沢山いて、自殺して行くなんて、神様は何をしているのでしょうか?」とか書いてありました。
この方は、魂の世界、神の世界の何を知って書いているのだろうか?と思います。
知識もないのに勝手な思い込みで、勝手な事を書かれては迷惑。

 子は親を選びます。
この親の下で育ちたいと思って生れます。
結果、思う通りに生きられない事もあるでしょう。
が、それも自分の選択。
そして、それこそが自分の修行です。

 苛められたり、事故や事件で亡くなる方を神佛が何もしないからだと云う短絡的な考え。
神佛は、自らを救おうとする人のみを救います。
何でもかんでも神佛のせいにしようとするのは、単なる責任転嫁です。
大人が、社会が、平和な世界を作ろうとしないのに、神佛が何の手助けが出来ますか。
まず、助けて貰おうと云う意識、その甘えこそが神佛から自らを遠ざけます。

 神佛は頼るものにあらず。
敬い、尊び、人としての完成形として目標として近づくべき存在です。
そうやって祈る時、神佛はこちらの意思とは無関係に、手を差し伸べて下さいます。

 「14才の母」と云うドラマが放映されています。
私は見ていません。
が、内容は想像がつきます。
子供が子供を産んでどうする?
生れた子は不幸になるだけ。
14才の子は、まだ子供なんだから恋なんかしてはいけない。

 全て、大人の勝手な思いでしかありません。
その子には、その子の強い思いがあるでしょう。
子供が子供を産む事を良しとはしません。
もしかしたら、親子共に不幸になるか、そうでなくても大変な苦難の道でしょう。
が、こちらだけの勝手な決め付けで結論を出すべきではないと思います。
その子の思い、親の思い、周囲の環境、健康、そして魂、そう云う事を全て考え合わせて結論を出すべきです。

 堕胎は、極論をすると子殺しです。
生れて来る一人の人間を葬る行為です。
出来れば避けるに越した事はありません。
が、状況から、敢えてその道を選ぶ事も必要な場合もあります。
ですから、堕胎が全ていけないとか云うべきではありません。
一面的に、偏った考えは、非現実的であり、その理論には、その意見には血が通いません。

 自分の考え、意見、思いが、独り善がりの勝手なものではないか、一度考えてみましょう。

正しさの根拠

2006 - 11/20 [Mon] - 02:46

 人は誰でも、自分は正しいと思って生きています。
と云うか、そう思わなければやってられない、と云う所でしょうか。
自分は間違っていると思ったら、苦しくて仕方ないでしょう。

 よく、正しいと間違い、善と悪、良いと悪い、前と後ろ、プラスとマイナス、陰と陽、等々と二つの基準、二元論でものを考える人がいます。
確かに、全ての事は、極端な考え方をすれば、どちらかに色分けされると思います。

 男と女、大人と子供、金持ちと貧乏人、強いか弱いか、成績が良いか悪いか・・・・・。

 並べたらキリがない程、無理矢理に二つに分けた様な言葉って多いですね。

 でも、本当にそうでしょうか?
それが正しいのでしょうか?

 そう云う二元論の根拠って、どこにあるのでしょうか?

 極論をすれば、人を殺してはいけない。
その通りです。
が、法律で決まっているからですか?
それとも、人としてしてはいけない事だからですか?
または、他の理由ですか?

 曾ての戦国時代、また二度にわたる世界大戦、そう云う場面に於ては国を守る為、家族を守る為、信念を貫く為に、敵を殺す事が善であるとされました。
皆、それを信じて敵を倒し、また倒されて来ました。
現代でも同じです。
世界中で起きている戦争や紛争、テロに於て、第三者は批判し、糾弾します。
ですが、当事者にとって、それ以外の手段がないのかもしれないし、善だと信じてやっているのかもしれない。

 曾て、男女が並んで歩くだけで糾弾された時代がありました。
現代ではどうでしょうか?
そんな事を言ったら、爆笑されるだけです。

 物事は全て、二つに綺麗に分ける事などは絶対に出来ません。
無理矢理に、そう云う分類をする事で、単純化して来ただけの事です。
本来、色のグラデーションではないですが、徐々に移り、変化して行くものです。
曖昧、中途半端と言うかもしれませんが、それが間であり、空間であり、懐の深さであり、人の情であり、心です。

 何でもかんでも二元論で考え、決め付けて仕舞うのは、あまりにも愚かです。
PCの如く、0と1でしか判断出来ないロボットではないのですから。

 目に見えない空間にこそ、大切なものはあるのではないでしょうか?

ホグワーツ魔法学校

2006 - 11/19 [Sun] - 02:24

 「霊能者の見つけた良い物」でも書きましたが、ここ数年、次々と霊能者が集って来ます。
霊が見えると云うだけではなく、被ったり、祓ったり、人の心が読めたり、過去の人物と同調(霊媒)出来たり、思いが高ぶると電気製品が壊れたり金属が曲がったり・・・。
等々と、バラエティーに富んでいますが。

 私は基本的には密教を土台として、古神道を基本として来ました。
が、世界中の宗教を学び、様々な占術や秘法を学んで来ました。
ですから、どんな宗教も、どんな秘法も否定しませんし、肯定的です。
祭壇で十字架にキリストを入魂した事もあります。(笑)

 人はそれぞれ、自分に合った神佛に触れ、自分に合う手法を用いて、自己検証し、コントロールするべきだと思います。
無理矢理、仏教でとか、神道でとかでは、いつか必ず矛盾が起きて来ます。
ですから、現在もそれぞれに合った手法と哲学を、その人その人に合わせて指導しています。

 冗談の様ですが、将来はハリー・ポッターの映画に出て来た「ホグワーツ魔法学校」や、XーMENに出て来た「恵まれし子らの学園」になって仕舞うかもしれませんね。
でも、そうなれば、どこか普通ではないと苦しんでいる子供達が、普通に生きる術を教える事が出来るかもしれません。
宗教ではなく、あくまでも生きる為の学校として。

楽しく生きましょうね

2006 - 11/18 [Sat] - 01:45

 霊能者は、人生は修行であると良く言います。
前世でやり残した修行を修める為に生れ、一生をかけて修行するのだと。
確かにそう云う側面もあります。
人は自分で親を選んで生れて来ます。
それは自分で、こう云う人生を歩きたい、こう云う修行をしたいと希望して、それならこの親の所に生れたら実現出来るかもしれないと思って生れます。

 魂、つまり人間は、表面はどうであっても本質的には上昇志向を持っています。
それは、競争意識、学ぼうとする意識、修行しようとする意識、等と云う方向へ人を向かわせます。

 でも、殆どの人は経験しているでしょうが、辛い事は続きません。
それが出来るのは、一部の特別な人だけです。
大多数の人は褒められてこそ成長します。
叱られて、苦しめられて成長するのは、一部の天才だけです。

 仕事でも勉強でも修行でも、自分で望むからこそ、苦しい事も辛い事も頑張れるのです。
厳しい世界と見えても、それは人から強制されてする事ではありません。
自分が楽しいと思うからこそ、我慢も、乗り越える事も出来るのです。

 人生は、楽しく生きる為にあります。
仕事でも、人生でも、楽しまなければ、決して良い未来は来ません。
楽しむ為に準備をしなければいけないのですから、辛い事も苦しい事も乗り越えて、その先に待つ楽しい事を目指すのです。

 楽しくない仕事や人生を送っている方は、どうやったら楽しくなるかを考えましょう。
逃げるのではなく、ちゃんと勝負して、その上で楽しむ事を考えましょう。
本当の楽しさは、前向きの中にあります。

心のあり様

2006 - 11/17 [Fri] - 02:10

 どんな人間でも、心を持って生きています。
その心のあり様で、どんな環境や状態にいても、幸せであったり、不幸せであったりします。

 裕福で、外から見たら、何不自由なく幸せに見える人が、実は心が常に波立ち、幸せを実感していない事は、この仕事をしていると良く出会います。
逆に、とても幸せに見えないのに、心は常に穏やかで、心底から幸せを感じている人もいます。
外見だけでは、本当に解らないものだなと思います。

 霊能者と云う人種は、普通人が敏感であると云う次元を超えて、人の心を感じ取って仕舞います。
それ故、相手の心の状態が伝わって来て仕舞う為に、人間関係に疲れて仕舞う人も多いのです。
アマチュアの霊能者、コントロール出来ていない霊能力、無自覚の霊能者と云う人達は、そう云うものに振り回され、誰にも言えない辛さと悩みと同居しながら生きています。
人間として最も大切な心を感じとる事が出来るのに、それを大切だと思えなくなって仕舞う程の苦しさを感じて仕舞うと云うジレンマ。

 心で人と付き合うと云う事は、それだけ大変な事です。
自分に強さと信念がないと、人間が持つ心の状態に依って振り回され、時に飲み込まれて仕舞います。
平常心と言い、不動心と言いますが、生きる上での強い信念と目標を持たなければ、そんなものは遠い夢でしかありません。

 自分が何の為に生きるのか、何を目標に生きるのか、そう云う事を時には考えてみるのも良いかもしれないですね。

冷静と感情

2006 - 11/16 [Thu] - 03:06

 人は仕事は勿論、プライベートでも、時として人と争わなければならない時があります。
また、勝ち負けを意識しなければいけない時があります。

 武道、スポーツ等は、最初から勝ち負けを意識し、決められたルールの中で争い、かけひきをします。
仕事もある意味では、決められた不文律の中で、戦いをしているのと同じです。
かけひきもあれば、勝ち負けもあります。

 その他の人生の中で、立場や意見や感情の行き違い等から人と争う場面も、全くないと云う人はいないでしょう。

 良く、勝ち組・負け組と言いますが、勝ったから善し、負けたから駄目と云う訳ではありません。
が、それが自らの信念に照らし合わせて、誰恥じる事もない、強い意思の下での事ならば、何としても勝ち残りたいものですね。

 戦いは、冷静の中にあります。
争うと云う行為自体、どうしても感情を喚起し、高ぶらせて仕舞います。
が、コントロールされない感情が入ると、冷静さを失い、戦略を失います。
結果、もし勝ったとしても、それはまぐれ。
殆どは、負けて仕舞うでしょう。

 闘争心と怒りは違います。
煮えたぎる怒りを闘争心へと昇華して、冷静に戦略を練り、そして偏らず、頑なさを捨てて、闘う。
それが勝ちへの道です。

 戦い方も色々あります。
正面からぶつかる、側面から責める、後ろから潰す、そして負けて勝つ。
最後の負けて勝つのが一番高度です。
頭を下げ、負けた形をとって、実質的に自分の有利へ導く。

 退却と前進は表裏一体です。
それを、退却するのは潔くない、形だけでも負けるのは業腹と思うのは、未熟。
幼い戦い方です。

 深く、そして戦いの後を考えて、どうするのが一番良いのか。
決めたら、迷わない。
目的を見失わない事です。
つまらない感情論は無意味どころか、邪魔です。
その感情が、自分のミスを招くかもしれません。

 生きると云う事は、表面的な考えや視野だけでは、思う通りの人生は歩けません。
自分らしく生きる為に、思いを遂げる為に、硬軟、前進と後退を意識しましょう。

人類の歴史の旅

2006 - 11/15 [Wed] - 03:38

 人類は、約400万年前に出現したとされています。
それまでは類人猿であったのが、その頃から直立歩行し始め、人類への一歩を踏み出したとされています。
礫石器と云う簡単な道具を使っていたとされています。

 その後、50万年前頃から人類は言語を持ち始め、火も使う、いわゆる原人類が出現したとされています。
そして、20万年位前頃からネアンデルタール人が出現し、精神性も高まって埋葬と云う習慣も出て来たとされます。

 約4万年位前に現代の人類の祖であるクロマニヨン人が出現したとされます。
この時代には、原宗教や呪術も存在したと云われます。

 そして、氷河期を経て、9千年程前から劇的に人類は進化したとされています。

 地球の46億年と云う長い時間からすると一瞬でしかない人類の歴史は、それでも現代に生きている私達からすると、想像を絶する長い時です。
その中で、どの様な事が起きて来たのか、それは誰も解りません。
が、確かなのは、私達の身体の中に、心の中に、長い長い歴史の果てにいる先祖から受け継いだDNAが存在し、記憶や思いが奥深くに眠っていると云う事です。

 考古学と呼ばれ、インディー・ジョーンズやトゥーム・レイダースの様に映画でも扱われて来た学問は、残された古文書や遺跡などから歴史を辿り、推察するものです。
それは、多くは仮説であり、証明したと思っているだけかもしれません。
真実は、もっと違っているのかもしれません。

 我々、能力者は、時としてそう云う古代の事をインスピレーションで感じる事や、見えて仕舞う事があります。
人が思っている以上に、古代の人は智慧を持ち、技術を持っていた、と。

 失われた知識や技術には、現代人の想像を超えたものが沢山あります。
秘教と呼ばれるものの伝承の中で、秘かに伝えられて来たものもあります。

 人類とは、かくもロマンチックなものだと思います。
日常の大変さもありますが、遠き人類の歴史に思いをはせてみるのも、時には良くないですか?

機械と会話する

2006 - 11/14 [Tue] - 01:00

 人間は生きていると、つい会話する事を忘れて仕舞う事があります。
人と付き合って、会話している筈なのに、実は表面だけで話していて、全く心が通っていないとか、そう云う事、沢山ありますよね。

 まして相手が機械となれば・・・。
自動車を運転する時、コンピュータを使う時、家電製品を使う時・・・。
それが古ければ古いほど、ちゃんと会話してやらなければ、時々ヒステリーを起したり、ゴネたりします。
私が乗る自動車は、もう15年以上経つ古い車ですから、無理をさせるのはやはり恐いですね。
普通に運転しますが、それでも無謀運転はしなくなりました。
元々、私は飛ばし屋ですが、過去にレースの経験もあるので、無謀な運転は絶対にしませんし、とても慎重です。
が、今の車に乗る様になってから、やはり車自体の体力と云うか、限界を感じるので、それに合わせて運転しています。

 運転は掌と足の裏とお尻と音で車の状態を把握すると言います。
最近の車は、あまりにも良く出来過ぎていて、音も聞こえなければ、振動もないので、逆に恐いですね。
感覚を研ぎ澄ましていると、私の車はちゃんと教えてくれます。
これ位で限界だよとか、まだ余裕があるよ、と。

 こうやって会話しながら運転していると、本当に楽しくドライブが出来ます。
ただ移動の道具であったり、ステータス・シンボル的な車は、楽しくありません。

 私はPCもMacintoshで、どちらかと云うと少数派に入ります。
が、Windowsと違って、人間的と云うか、感覚的に使えるのが気に入っています。
DESKTOPと云う様に、自分の机の上と引き出しを使っている感覚です。

 が、このMacも今でこそあまりなくなりましたが、昔はヒステリーを良く起し、中々、我が侭で扱い辛かったですね。
使い易くなった分、安定した分、Windowsに近づいた様に感じるのは、少し寂しいですが。

 会話は、相手と自分を繋ぐ掛け橋であり、心です。
良い会話は、言葉だけではなく、全身で、心でするものです。
表面だけを意識しないで、感覚を解放してみましょう。

フィクションとノンフィクション

2006 - 11/13 [Mon] - 01:53

 昔から私は言っている事ですが、作り事である筈の小説や映画、アニメ等から、思いも寄らぬヒントを得る事は良くある事です。
神佛の世界、宇宙から見れば、人間の考える事などは、幾ら素晴しく見えても高が知れています。
ですから、フィクションとして書かれたり描かれたりしたものが、実は凄く多くのノンフィクションを含んでいる事が常です。
と云うよりも、ノンフィクションの上に構成されたものがフィクションなのですから、当然の事です。

 小説や映画やアニメを、単なる娯楽として捉えるか、何かのメッセージを含んでいると思って見るかに依って、その意味は全く異なって仕舞います。
それぞれの作者達の深い思い、伝えようとしているメッセージ、そのストーリーの土台となるノンフィクションからのメッセージ、そう云うものを深く見詰めると、フィクションの中には驚く程の深い示唆が隠されています。

 古来、秘伝書と呼ばれる物は詩編として書かれました。
空海やお釈迦様、イエス・キリストの言葉も同様です。
そして、それは読み解く力のある者にしか解らない形で書かれています。
通り一遍の読破では決して解らないトリックが隠されています。
何故なら、秘伝は頭ではなく、心で読み解くものだからです。

 また、長い歴史の中に埋もれ、或いは意図的に形を変えられ、その真の姿を隠したものも沢山あります。
子供の遊びの中、絵画や彫刻などの芸術、一見、意味のない事の様に思える事の中に深い思いが隠されている事もあります。

 真実を見極める目は、あらゆるものへの好奇心と発想力の中にあります。
偏らず、広い視野で、常識を捨てて物を見てみましょう。
きっと、とんでもない事が見えて来ますよ。

闘いの風景

2006 - 11/12 [Sun] - 02:26

 今日、先日行われた新極真会の第38回全日本空手道選手権大会の模様がTVで放映されていました。
当日は月例会の為、前日の予選しか観戦出来ませんでしたので、楽しみにしていたのですが。

 内容は単なる試合中継だけではなく、選手達の試合前の練習やプライベートな風景もあり、少年部の演武等もあって中々楽しめるものでした。

 放映を観ていた思いましたが、闘いに臨む選手達の普段の努力と精進、試合の場に立つ覚悟を感じる事が出来ました。
全てを投げ打ち、空手一筋に進む者、仕事をしながら空手を修行する者、正統派の空手をする者、天才的な空手家、それぞれの生き様とスタイルが交錯し、一つの風景を作っている気がしました。

 試合は、言わば発表会であり、晴れ舞台です。
そこに立つには、長く厳しい修行を修め、熱い思いと情熱が必要です。
そして、勝っても負けても、一つの場面が通り過ぎただけであり、終りではありません。
試合も、一つの修行であり、そこからまた新たに始まります。

 厳密に言えば、試合に勝つ為の空手と、実際に使う為の(人を殺す為の)空手は、似て非なるものがあると思います。
が、自己を高め、武道として昇華する道として、どちらも目指す所は同じである筈です。

 目に見えない、地味で、厳しく、弛まぬ修行は、一生続きます。
若いなら若いなりに、年を重ねたらそれなりの、それぞれに合ったスタイルを追求し続ける事が、自己を見詰め、他を見詰め、武道として昇華し、人の道の完成へと繋がると思います。

 厳しく、しかし楽しく、自分に合ったスタイルで、ずっと武道と関わって行きたいと思います。
自分がやってもやらなくても、勿論やれば最高ですが、武道と云うものに興味を持って貰えたら良いなと思います。

ダ・ヴィンチ・コード

2006 - 11/11 [Sat] - 02:19

 予約していたダ・ビンチ・コードのDVDが来て、数日前に観ました。
また、今日はディスカバリー・チャンネルのバチカンをテーマにしたDVDを観ていました。
それで思ったのは、兎に角、キリスト教と云うのは、とてもドラマチックでロマンチックで、伝説が数多くありますね。
キリストの伝説、ハルマゲドン、ファチマ、ルルドの泉、等々と数え切れない程の伝説に彩られている気がします。
ずっと昔から、映画でも沢山扱われたテーマですね。

 世界中に広がり、どこを探してもキリスト教の信者がいて、知らない人はいない。
我が仏教も三大宗教と云われていながら、それ程の拡大はしていません。
長い歴史の中で、あらゆる所に入り込み、世界を裏から操っているのではないかと思える程です。
かのローマ法王の持つ絶大な権力と影響力は、他に類を見ません。

 曾ての古代ローマ帝国で成立したキリスト教会が作り上げた、完璧な様式美と組織は、世界中の国家を凌ぐものです。
2,000年の時を経て尚、そのまま生き続けている事は、奇跡です。
これも、キリストの力でしょうか。

 長く続いて来た宗教には、それだけの表も裏もあります。
キリスト教のみならず、仏教にも世に隠された姿はあり、神道も同じです。
世界中、どこにでも秘教と云うものがあります。
それが時代を経る毎に、表舞台から姿を消し、闇の世界へと隠れました。
が、それは厳然として生きています。

 そんな事を思いながら観ていましたが、そう云えば私も世に隠された密教を探し求めていた時代があったなぁと思い出しました。
その結果、私が見つけ出し、身につけたものは・・・、秘密です。
いつの日か、相応しい人に出会う事があれば、伝えて行くでしょう。
もし会わなければ・・・、私の死と共に消えて行くでしょう。

我が侭はいけない事?

2006 - 11/10 [Fri] - 02:52

 昔から、我が侭は言ってはいけません、と教わります。
人が生きる上では、我が侭を抑えて、正しく、控え目に、人に迷惑をかけないで、誰とでも仲良くして生きる事が美徳であるとされて来ました。
う~ん、理想論ですね。(微笑)
そうやって生きる事が出来たら、とても幸せです。(かな?)

 しかし、人生は、世の中はそう簡単なものではありません。
沢山の人がいて、その人が皆、それぞれの価値観や視野を持っています。
良い人もいれば、悪い人もいます。
親切な人もいれば、冷たい人もいます。
ちゃんと人間性を見てくれる人もいれば、表面だけで判断する人もいます。
十人十色どころか、千人千色です。

 そんな中で、皆に合わして、自分を抑制して、争い事を起さず、誰にも迷惑をかけないで生きる事なんて出来るのでしょうか?
私は甚だ疑問ですね。

 まして、人間は生きているだけで、魂と肉体から多くの波動を出しています。
また、中には霊を連れて歩いている人さえいます。
いるだけで、色々な因縁を振り撒いているのです。
それだけで、充分に人に迷惑をかけているのです。
感覚の鋭い人にとっては、因縁を振り撒く度合いの強い人は、それだけで迷惑です。
被って、気分が悪くなったり、胃が痛くなったり、頭痛がしたりと、とても辛いものです。
まして霊を連れて歩いていたりしたら・・・。(笑)

 人は我が侭で良いのです。
積極的に人に迷惑をかけたり、周囲に波紋を起して仕舞う様では、確かに人として問題です。
が、自分がどう生きるか、何を信じて生きるか、それは自分の勝手です。
その結果として迷惑をかけたら、その時は仕方ない事です。
良い意味で我が侭、自分があるが侭、と云う事は、自分らしく生きると云う事です。
誰も自分の人生に責任をとってくれません。
自分の人生は、自分が選び、自分で歩き、自分で責任をとるしかありません。

 合わす事ばかり考えず、自分を大切にして、良い意味で我が侭になりましょう。
人に合わせられない、周囲に溶け込めないからと云って、自分を嫌いになったり責めたりしてはいけません。
無理して合わす必要はないと思いませんか?
楽になりましょう。

 良いじゃないですか、我が侭で。
楽しいですよ、我が侭に生きるって。

競走馬

2006 - 11/09 [Thu] - 01:30

 人が悩んでいる時や、何かに固執している時の姿は、競馬で走る競走馬にとても似ている気がしています。
まるで、外からの刺激を受け付けないが如くに目の脇に覆いをして、前だけを向いて突っ走っている様に見えて仕舞います。

 確かに渦中にいると、何かに囚われていると、視野が狭くなり、心も頑なになって仕舞っていますから、何も見えなくなって仕舞います。
良く言えば夢中になっていて仕舞うのでしょうが、それでは何も解決しませんし、堂々巡りするだけですし、時には人に嫌われて仕舞います。

 余裕がないと云うのでしょうか。
特に、ご相談に来られて、いつまでも解決せず、また成長しない方は、そう云う方が多い様です。
私のお話する事を、聞いている様で、実は全く聞いていない。(苦笑)
あの手、この手で、ご理解戴ける様に色々な例え話をしたり、押したり引いたりしながらお話しているのですが。
そう云う方は、自分の考えに囚われて仕舞っていて、話が聞こえなくなっているのでしょう。
幾ら心を解き解そうとしても、それを拒否されている様に思います。

 猪突猛進も時には必要です。
馬車馬の如くなる事も、必要な場合があります。
が、競走馬になって仕舞っては、人としては余りにも狭く、頑なに思えますし、問題解決には繋がりません。
少し楽になりましょう。
きっと、見えていなかった事が、見えて来ます。
あ、そうだったか・・・、と。

ミクロとマクロ

2006 - 11/08 [Wed] - 01:57

 ここの所、仕事の相談がとても多いです。
会社の設立、経営、人事、戦略、等々と、とても幅広く、深いご相談が来ています。

 こう云う時に思うのは、目の前の現象に囚われて仕舞うと、大きな組織や流れが見えなくなって仕舞いますし、大きい方ばかりを意識していると、小さな大切な事を見落として仕舞います。

 ミクロとマクロの両方をバランス良く見る事が出来なければ、仕事は必ずどこかでミスをします。

 修行時代でも思ったのは、大宇宙を考える時、ミクロで考えると何となく見えて来ると云う事です。
原子の姿は、宇宙の姿に似ています。
そして、それを作っている法則は同じ宇宙の法則です。
相対するものを同時に考える事で見えて来る事は沢山あります。

 常に、ミクロとマクロをバランス良く考え、見る事が出来たら、冷静に、そして深くものを見る事が出来ると思います。

自分のいる場所

2006 - 11/07 [Tue] - 02:24

 長年、こう云う仕事をし、修行をして来て思うのは、人生とは一生かけた自分探し、自分の居場所探しだと云う事です。
生まれ育った家庭の中で、通っている学校で、また勤めている会社で、自分を取り巻く人間関係の中で、良い事も悪い事も、楽しい事も辛い事もあって、その一つ一つをクリアーして行く事で、自分を見つめ、自分の居場所を探し、自分の立ち位置を決めて行くのだと思います。

 曾ての日本では生涯雇用制度があり、女性は嫁いだら死んだものと思って帰って来るなと言い、始めた事は全うせよと言い、そうやって一所にずっと居続け、頑張り抜く事が美徳とされました。
現代は時代も変わり、転職も離婚も引っ越しも、転校も、誰も問題視しない方向へと変って来ました。
その両方に良い点も悪い点もあると思います。

 一所で頑張って自分を見つめ、居場所を確保するしかないと云う事。

 変って、自分の居場所を見つける、また変る事で自分を見つめると云う事。

 どちらにしても、やる時はやらなければなりません。

 「人生は重き荷物を背負って歩むが如し、急ぐなかれ」と徳川家康が言いましたが、一歩一歩、大切に歩く事、歩き続ける事に大きな意味があります。

 どんな道を選択しようと、誰の人生でもなく、自分自身の人生です。
大切に、自分に嘘をつく事なく、素直に、正直に生きたいものです。
そうすれば、必ず、自分の居場所は見つかります。
自分が何者なのか、必ず見つかります。

伝わる

2006 - 11/05 [Sun] - 17:51

 不思議なもので、少し時間が空いたり、意欲がある時、次々と相談のメールが来たり、面接の予約が入ります。
まるで、私の状態が伝わっているかの様に。
私の出すオーラが強いと云う事と、私のテリトリーの範囲が広いと云う事はあるでしょうが、それにしても不思議なものです。

 被ると同じで、人はそれぞれのオーラを持ち、互いに影響し合っています。
体調が悪ければ、心理状態が悪ければ、それは伝わって仕舞います。
逆に、調子が良ければ、それも伝わります。

 昔、ある詐欺師が言っていた言葉が思い出されます。
人を騙すには、本気で自分が信じる事だそうです。
その人を好きだと、自分が信じて話すと、相手も自分を好きになってくれて、信用してくれる。
その通りだと思います。
強い思いは伝わります。

 本気で相手を思って対していると、人は心で会話が出来る様になって来ます。
表面だけのテクニック、合わすだけの付き合いは、自分を孤独にするだけです。

どこを見るか

2006 - 11/04 [Sat] - 16:59

 生きていると良い事も悪い事も沢山あります。
そんな渦中の中では、ついつい目の前の問題に振り回されて仕舞い、ハタと気づいた時に自分は一体何をしているのだろうかと疑問を感じる事も良くあるのではないでしょうか。

 子供の頃は、大人になったら何になりたいと云う事があって、表面的ではありますが、自分の未来像がとても楽しそうに輝いているものです。
が、大人になるにつれて、その光が段々と陰り、未来への希望を失って行く人が凄く多く感じます。

 夢は持ち続けてこそ、追いかけ続けてこそ、希望も楽しみも続きます。
ある意味、非現実的だからこそ素敵なのではないでしょうか。
余りにも現実的であると、そこに至るまでのリスクや大変さをもリアルに感じて仕舞って、どうせ無理だと諦めに近づくのではないでしょうか。

 人が楽しく、いつまでも輝く未来を意識する為には、見果てぬ夢が持てると良いですね。

 足許を、現実を、そして近未来ばかりを見ていると、人としての輝きが失せて仕舞うのではないでしょうか。
どうせなら、思い切り遠くを見て、夢を見続けましょう。

本当の強さ

2006 - 11/04 [Sat] - 02:29

 人は強くあらねばならない時が良くあります。
最近、話題にのぼる事の多い虐めでも、虐められっ子がもう少し強ければ、死ぬ事もなければ、いつまでも虐められ続ける事もなかったかもしれません。
何かにチャレンジする時、もう少し強ければ、途中で諦めて仕舞って、後で後悔する事はなかったかもしれない。
試合をする時、もう少し強ければ、最後まで力を出し切れたかもしれません。
もう少し、もう少しがとても大切です。

 でも、本当の強さは、自分の中にあるのではないかもしれません。
幾ら修行をしても、幾らトレーニングをしても、強くなった様に思えても、いざとなると崩れて仕舞う事は良くあります。
それは何故かと云うと、大抵の人は、表面の事だけに囚われて勝ち負けを意識したり、自分の心の中だけで限界を定めて仕舞ったり、自分の利益の為だけに強さを求めるからです。

 本当の強さとは、守るものが出来た時に本当に生れて来ます。
それは、愛する人であったり、家族であったり、また自分の信念であったりします。
信念の為と云えば、自分の利益と思うかもしれませんが、そうではありません。
信念を守る為に、自らの利益を度外視してと云う事も多くあります。
と云うよりも、信念と利益は相反するかもしれないですね。

 何かを守ろうとする意識、それは人であれ、心であれ、物であれ、相手との触れ合いと、心の交流に依って生れて来ます。
表面的な言葉ではなく、上っ面の態度ではなく、互いに心を開き、思いが伝わる時、真に心が通じたと言えるでしょう。

 本当の強さとは、自分の中にあるのではなく、大切な相手から戴く最高のプレゼントなのかもしれないですね。

連休

2006 - 11/03 [Fri] - 02:26

 世の中は明日から連休なのですね。
とても羨ましいと思います。
私は、もう何十年も決まった休日と云うものを持っていません。
一日、きちんと休める事はないと言っても良いですね。
面接の相談がなくても、メール相談はありますし、ブログや掲示板を書いていますし、仕事を完全に忘れると云う事はあり得ないです。
イギリスへ行った時ですら、メールで仕事をしていましたから。
まるで、仕事中毒みたいですね。(苦笑)

 ですが、人から見ると私の仕事は羨ましく感じる様です。
通勤はない、休日は自由に取る事が出来る様に見える、何よりもうるさい上司がいない、仕事をしたらしただけの成果がある、等々と。
確かに、あのラッシュの中を通勤していると考えると、それだけで尊敬に値すると思っています。
が、その他の事は、やはり隣の柿は美味しそうに見えるのだなと思って聞いています。
私から言うなら、会社に勤めて居られる方の方が羨ましく感じる事も多々あります。
休日は決まっているし、ある程度までならミスがあっても会社が守ってくれる、何よりもボーナスがある、等々。(笑)

 どんな生き方をしても、それなりに苦労もあれば、我慢もあるものです。
外から見ていると羨ましく、良いなぁと思える事も、中に入れば辛い事は付き物です。
やはり、他人の畑は良く見えるものです。

 そう云う意識は、人間であれば持って当然です。
それをなくす必要はありません。
ですが、人を見て良いなぁと思う事で、自分の属する生活や仕事を嫌って、諦めて仕舞ってはいけないと思います。
どうすればもっと楽しくなるか、良くなるかをポジティブに考えましょう。
羨ましいは良いですが、それが妬みになったら、自分自身が辛くなるだけです。

 自分が人から羨ましいと思われている部分もあるのだと云う事を忘れないで、楽しく頑張りましょう。

姿勢と態度

2006 - 11/02 [Thu] - 02:20

 私の様な仕事をしていると本当に色々な人に出会います。
数もそうですが、その種類も何でもありと云う位、あらゆる種類の人に出会います。

 少し話をして、アドバイスをすると、アッと云う間に吸収し、それだけではなく実行して、見る間に成長して行く人。

 中々、理解は遅いのですが、意味が分っていなくても取り敢ず言われた通りに、素直に実行し、それも言われた以上の努力をし、暫くしてから意味を知る人。

 学んでは忘れ、忘れては学ぶを繰り返す、ハッキリ言うと学習しないけれど、それでも素直に頑張る人。

 アドバイスを聞いているフリをし、素直にハイと返事をするのだけど、全く聞いておらず、何も学ぼうとしない人。

 アドバイスに対して、頭から自分には出来ないと否定的で、先に諦めありきで、結局何の解決も出来ない人。

 何も聞いておらず、自分の勝手な理屈だけで、頼み事をして来る人。

 等々と、まぁ、色々な人がいるものだと思います。

 人が何かを学ぼうとする時、また救われようとする時、当然あるべき態度や姿勢、心構えと云うものを、知らないのか、無視しているのか、全く見えない人と云うのがいます。

 逆に、素直過ぎて、こちらが慎重になって仕舞う、そんな人もいます。

 もし貴方なら、一体どちらの人の助けになってやりたいと思いますか?

 こんな事を言ってはいけないのでしょうが、時には、相談に乗りたくない、アドバイスしてやる気も失せる、目の前にいても無視して仕舞いたくなる、そんな人もいます。

 学ぶ機会は、一期一会です。
つまらない態度や姿勢は、自分が損するだけだと思うのですが・・・。

 素直でいるのが一番楽ですし、得もしますよ。

表裏一体

2006 - 11/01 [Wed] - 02:06

 仕事をしていると、また生きていると、危ない時や追い込まれる時、トラブルの時が数多くあります。
そう云う時は、つい追い込まれて仕舞って、どうしようもない気分になって仕舞うものです。
逃げる訳にも、負ける訳にもいかないが、かと言ってどうすれば良いか解らない。

 そんな時は、迷わず、強い人に助けを求めましょう。
経験、知識、度胸、色々な面で、助けになる人は、必ずいる筈です。
冷静になって、そう云う人を探しましょう。

 そして、まず心が負けて仕舞わない、萎えて仕舞わない事です。
やる前から負けていては、勝てるものも勝てません。
どうせやらなければならないなら、何としても勝つ事を考えて下さい。
そして、自分を、自分に力を貸してくれている人達を信じる事です。
大抵の事は、それで乗り越える事が出来ます。
99パーセント、可能性がなくても、残りの1パーセントの可能性があれば、そこに全身全霊をかけて下さい。
私はそうやって、不可能を可能にして来ました。

 その結果として、もし負けたら、仕方ない、諦めましょう。
全ての持てる力と、人脈を使って、それでも駄目なら、引き摺らない事です。

 そして、勝っても負けても、考えましょう。
これはチャンスだ、と。
困難やトラブル、危ない目は、次へのステップです。
そこで経験した事は、二度と同じ負けをしない様に学ぶのです。
最初から何でも出来る人はいません。
負けてこそ、失敗してこそ、大きく成長出来るのです。

 思い切って、やれるだけやりましょう。
そして、大きく成長して羽搏きましょう。

 物事は全て、表と裏なのです。

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プロフィール

島津 成晃

Author:島津 成晃
Adept・Mentor 島津相談室主宰
人生のあらゆる問題の相談に乗って来ました。
元気になって希望を持って帰って戴く事が私の願いです。
スピリチュアルな目と、冷静な分析で御相談に乗ります。
御相談はHPの方からお願いします


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