感じたり思った事を書いて行きます。 時には秘伝などを書く事も。 空手や色々な趣味の話も。

  Adept・Mentor 島津成晃の独り言のナビゲーター   トップページ > 2006年10月  

距離感

2006 - 10/31 [Tue] - 02:29

 仕事をしていたり、人と関わっていると、どうしても煮詰まって仕舞う事があります。
気を遣い過ぎたり、やる事があり過ぎてパンクしそうになったり。

 そんな時は、思い切って少し無責任になってみましょう。
大丈夫です。
頑張る人だから、一生懸命な人だから、煮詰まるのですから、少しくらい無責任な時間を持っても、仕事がダメになったり、人間関係が崩れたりはしません。

 ほんの少しで良いですから、そう云うものから心理的な距離を取ってみましょう。
密着し過ぎていると、ミクロでしかものが見えなくなって仕舞います。
煮詰まると云うのは、そう云う状態です。
全体を改めて見る為に、一度、思い切って無責任な気分になって、心理的に後ろへ下ってみて下さい。
そして、他人事と云う気持ちで眺めてみて下さい。
きっと見えて来ます。
マクロな全体像が。
そして、見えていなかった自分の姿が。

 時には、心を休めましょう。
忙しい世の中、複雑な世の中、たまには無責任で能天気になってみましょう。

スポンサーサイト

限界

2006 - 10/30 [Mon] - 01:57

 ここの所、Fー1のミハエル・シューマッハや日本ハムの新庄剛志など、スポーツ選手の引退が騒がれています。
スポーツでは、当然、限界と云うものがあり、いつかは引退する日と云うものが来ます。
仕事でも定年があり、自分の限界を感じる事と云うのは避けられません。

 人が限界を感じるのはどう云う時でしょうか?
私も空手や修行で限界を感じ、現役を引退して今に至ります。
そして、それまでとは異なった形でのやり方で修行も空手も続けています。

 肉体の限界、精神の限界、環境的な他の要素による限界、と色々な理由があると思います。
身体がついて行かなくなる。
段々と気持ちが燃えなくなって来る。
何かの理由で、これ以上はやれない状況になって仕舞う。

 そう云う絶対的な限界は必ず来ますが、それまでにも何度も何度も限界を感じる事があり、それを毎回乗り越えて限界を超えて来た後に、避けられない限界と云うものが来ます。

 生きていると、仕事をしていると、また運動をしていると、これ以上は無理と感じる事は幾らでもあります。
しかし、それが本当の限界であるかどうかは、超えようとしてみなければ解りません。
そこで限界だと決め付けて仕舞ったら、本当にそこが限界になって仕舞います。

 一流と言われる人達は、どのジャンルの人でも、そう云う常識的な限界を遥かに超えた人達です。
昔、空手の合宿の時、厳しい練習の中で倒れて仕舞う人がいました。
そして、「もう限界です」と動けなくなって仕舞いました。
そう云う時、決まってやるのは、その人を海に放り込みます。
無茶な話ですが、それで危なそうだったら本当に限界です。
が、大抵の人は慌てて海から上がろうとします。
そりゃそうです、溺れたくないですからね。(笑)
全く無茶苦茶な話ですが、本当の限界に来ていない、苦しさに負けただけの限界ですから、追い込まれるとその限界を超える事が出来るのです。

 火事場の馬鹿力と言いますが、いざと云う時に思わぬ力が発揮出来る事は良くあります。
また、調子に乗ると急にオーラが出始めて、誰も期待していない結果を残すと云う事があります。

 限界は超える為にあります。
超えて、超えて、超え続けて、そしていつか超える事の出来ない限界を迎えます。
自分で勝手に限界を決めないで、もっともっと先を目指して限界を高めてみましょう。

 私も、まだまだ先を見ています。
現役の荒行や空手の試合は出来ませんが、奥義を極め、人としての究極を目指し続けています。
まだまだ、人としての限界は見えていません。
死ぬまでにどこまで行けるか、楽しみですね。

プラス思考、マイナス思考

2006 - 10/29 [Sun] - 02:05

 色々な人がいますが、日本人は特にマイナス思考の人が多い様に感じるのは私だけでしょうか?
日本古来の文化である和を重んじるが高じて、事なかれ主義になったり、リスクを恐れて慎重を通り越して臆病になったり、他に対して心を開かなくなったり。

 マイナス思考のある人は、小さな事でも過剰反応したり、萎縮したり、無用に悩んで仕舞ったりします。
その結果、簡単な、単純な問題を、自ら複雑にして仕舞います。
素直に考えれば良いのに、難しく考えて仕舞って、ああでもない、こうでもないと堂々巡りをして悩み、その結果、何も出来なくなって仕舞ったりします。
また、すぐに無用な言い訳をしたり、口答えしたりして、自分の立場を守ろうと躍起になります。
そんな事をすればする程、逆に立場が悪くなる、評価が下るよと云う事を、自らやって仕舞います。
そう云う墓穴を掘る行為をして仕舞うのは、見ていて愚かと云うか、哀れですね。

 人が集って社会が出来て、その社会に関わって生きて行く以上、人が人と付き合いをして行かなければなりません。
互いに心を交す事がなければ、社会はとても冷たい、孤独なものとなって仕舞います。
自己中心的であればある程、マイナス思考になって仕舞います。
周囲は足を引っ張る敵ばかりと思うから自己中心的になるのです。
敵に囲まれていたら、マイナス思考にもなりますよね。(笑)

 でも、逆に考えて下さい。
人から足を引っ張られる程、自分は世の中で目立つ、大きな存在でしょうか???
そうだ、と云う人もいるでしょう。
あれ???と云う人もいるでしょう。

 何れにしろ、自分自身がしっかりと生きているなら、間違いない仕事をしているなら、足を引っ張られてもたかが知れています。
対策は幾らでもあります。
そんな小さな事をクヨクヨしていては、人生は楽しくありません。

 もっと人生を楽しみましょう。
人生とは楽しく生きる為にあります。
楽しまなければ、勉強も、修行も、仕事も、そして恋愛も、何も上手く行きません。
陰気臭い、暗い、マイナス思考だと云うのは、自ら他人を遠ざけている事であり、何れは誰からも相手にされなくなります。

 何事もケセラセラ。
小さな事は気にしないで、気楽に、楽しく行きましょう。
人生の悩みの中で、本当に悩むべき事は少ししかありません。
残りの大半は、命までは奪いません。
過ぎたら、はいそれまでよ、です。

 楽に、楽に、ポジティブになりましょう。
運を開くコツは、プラス思考の中にあります。

それぞれの立場

2006 - 10/28 [Sat] - 01:55

 人間にはそれぞれの立場と云うものがあると思います。
家庭内での立場、親であったり、子であったり、また夫であったり、妻であったり。
仕事では、自分のポジション、つまり役職や肩書き、任された仕事の内容。

 そう云う目に見える形によって、自分の置かれている立場を意識する事は、人間関係をスムーズにし、信頼関係を作って行く上でとても重要な事です。
特に仕事では、立場をわきまえない人は仕事が出来ない人と評価されます。
その置かれた立場によって、やって良い事と悪い事、言って良い事と悪い事は、ハッキリしています。

 そう云うものは、人から教えられて覚えて行くものも多いと思います。
が、実社会では、特に仕事の場面では、他人は、上司はそれ程優しくはありません。
注意をされ、叱られたら、素直に従う事。
そして、そのまま覚える事が、次へのステップとなります。
つまらない言い訳や反論は、立場を悪くするでしょう。
それを繰り返すと、取り返しのつかない事になるかもしれません。

 これ位と思っている小さな事が、後で大問題となる事が良くあります。
ミスはミスとして認め、素直になる事が、大きなステップです。

蒼天の拳

2006 - 10/27 [Fri] - 03:35

 毎週水曜日の夜中、2:40からテレビ朝日で「蒼天の拳」が放映されているのを御存知でしょうか?
曾て大ヒットした「北斗の拳」より前、主に1935年頃の上海を舞台に繰り広げられるアニメで、「193X年。最強の暗殺拳“北斗神拳”の第62代伝承者・霞拳志郎が、列強各国の思惑渦巻き、秘密結社の跋扈する魔都上海で、その拳を振るう!」と云うものです。

 心からの友人「朋友(ポンユウ)」の為には命を賭して闘うと云う物語ですが、描かれている北斗神拳の凄さもさる事ながら、その人間関係に於ける深い思いと、愛する人への純粋な心、闘いに際しての静と動が心に響きます。

 まだ放映は数回ですが、今後もずっと見続けて行きたいと思える作品です。

 人が生きて行く中で、誰と出会い、誰と心を通わせて行くか、そして何を目指し、心に何を抱いて生きるかと云う事は、とても大切な事です。
このアニメに描かれている様に、命をかけても良い友人、そして愛する人に出会えた人は幸運です。
また、一生をかけて追い求める事の出来る道がある人は、その生き様だけで人に感動を与えます。

 兎角、戦闘シーンだけが取り上げられ勝ちなアニメであろうと思いますが、ドラゴンボールと同様、長く愛好者がいるアニメは見方を変えるととても深く、人生の指針になる場合すらあります。

 人として生きる上で、何が大切なのか、何を目指すべきなのか、本当の強さとは・・・、本当の優しさとは・・・、そう云う事を考えさせてくれます。

 良ければ、ビデオにでも撮って見てみて下さい。

霊能者

2006 - 10/26 [Thu] - 03:11

 私の原点は霊能者であり、修行者です。
仕事を始めた時は、霊的な相談や病気の相談ばかりでした。
それが、年数を重ねる中で宗教哲学を話し、人生相談を受け、経営や人事などの相談を受ける様になり、育児相談、子育ての相談、他にもあらゆる問題に触れて来ました。

 全てが私にとってはチャレンジだった様に思います。
世の中の事など何も知らないに等しい私が霊能者として仕事をする事自体が無謀と云うか、無茶な話ですが(笑)、最初の10年間は全てが私にとっては新鮮であり、同時に大きなプレッシャーの中で仕事をしていたと思います。

 何としても満足して帰って貰いたい。
落ち込んで、悩んで来られるのだから、どうにかして元気にしてあげたい。
少しでも運を向上させる為に、必死で祈ってあげたい。
そんな気持ちで突き進んで来ました。

 霊能者と云うのは、常人と違う感覚を持ち、ある意味ではとても偏った人間が殆どです。
が、これを職業にして行くとなると、それは時としてカリスマ性になる事はあっても、決して良い事ではありません。
それは修行時代、日本中の宗教団体や有名霊能者を渡り歩いて学んでいた頃に見た、カリスマ達の姿を見て痛感していました。

 大上段に振りかぶって、厳しい言葉で叱り、脅し、命令する。

 人生の先達であり、神佛の世界に於ての先達であるのですから、上に立つのは良いのですが、相手の人格を否定する言動や手法は、私には納得出来ませんでした。
相談者も社会でしっかり生きている人。
ですから、人と人が信頼関係で対話する事で、本当に伝えたい事が伝わる。
また、法を用いても、信頼関係なしには法は半分しか利きません。

 そうやって生きて来た一人の霊能者が、いつの間にか何でも相談を受ける様になり、今に至っているのは、相談者によって育てて貰ったからだと思います。
思えば、何も考えず、必死に突き進んだ修行時代、そしてプロとして仕事を始めた最初の10年間は、ある意味では夢に向かって走っていた、とても幸せな時だったと思います。
それを現在も維持し続けていられるのは、真に目指す夢は遠く遥かにあり、その夢が陰る事がないからです。

 霊能者とは、とても幸せな仕事だと思います。
天から与えられた天職として、一生をかけて全うしたいと思っています。

 これを読んでいる皆さんにも、そんな仕事や生き方が見つかると良いですね。
夢に向かって一生をかけて走って欲しいと思います。

ナンバー・ポータビリティ

2006 - 10/25 [Wed] - 03:31

 携帯電話のナンバー・ポータビリティが始まった。
それに伴って、携帯電話の大戦争が始まった。
電話番号を変えないでキャリアを別の会社に変える事が出来ると云う制度だが、良く良く聞くとちょっと疑問が出て来る。
まず、メールアドレスは当然ながら変わる。
そして、キャリアを変えるのに結構な手数料がかかる。
更に、折角貯めたポイントや割引が全て消えて仕舞う。
果たして、これは便利なのか、得なのか、それとも損なのか・・・。
悩む所ですね。

 更に、次々とキャリアが使用料などの料金設定の改定を発表している。
また、新機種を発表し、互いに争っている。

 片や音楽携帯を充実、またワンセグの受信可能な大画面、料金の割引、同じキャリアなら電話代の無料化・・・・・・等々。

 さてさて、私の目にはキャリアやメーカーの勝手な独り善がりにしか見えず、実際に使うユーザー達の声を反映している様には思えないのは思い過ごしだろうか?

 どんなものであれ、人が考え、人が作り、人が売って、人が使う。
人間の血の通った物でなければ、決して受入れられないし、もしヒットしても線香花火になって仕舞う。
人間が使うと云う事を意識する、人間そのものを見詰める事で、本当に良い物が出来上って行くだろうし、それが文化になる事さえある。
数百年、数千年と生き残っている芸術や建築物は、徹底して人を見詰めた結果、生み出されたものである。

 携帯電話と云う便利なものが、これからどうなって行くのだろうか。

赤い皇帝の最後の舞台

2006 - 10/24 [Tue] - 02:49

 昨日の夜中、Fー1の最終戦がやっていました。
私は祈りの時間でもあり、仕事が沢山あるので、ビデオに留守録していました。
今日、見る時間が出来て観戦していましたが、予想以上の驚きと感動を与えてくれました。

 皇帝シューマッハのFー1人生の最後のレースは、彼の生き様と誇りを見る事が出来ました。
最後まで諦めず、やるべき仕事を全うしようとする姿勢は、レーサーとして、勝負師として、またプロフェッショナルとして、男としての、誇りと覚悟を見せられたと思います。

 10数年前、とても生意気で、アイルトン・セナに叱られた事もあった彼ですが、時代は変わり、彼自身が引退する時が来たと思うと、感慨深いですね。

 夢を追い求め、夢に届き、更なる大きな夢に向かって突き進む。

 人としての理想の生き方です。

 私も同じく、一生をかけて夢に向かって歩いています。
それが現実となるかどうかは別として、その歩みと道筋が大切なのだと思います。
頂点を目指し、夢を追いかけ、歩み続ける事、その事自体が人を成長させ、試練を与え、幅と深さを与えます。
目先だけを見ている、囚われている人は、その夢を放棄しているのと同じです。

 目標は、夢は、無茶でも何でも遥か遠くの、大きなものを持ちましょう。
論理的に不可能だと思える位の方が、良いですね。
大きければ大きいほど、楽しめます。
一生をかけて夢を追いかけてみましょう。

夢の舞台

2006 - 10/23 [Mon] - 02:33

 昨日と今日、新極真会第38回全日本空手道選手権が東京体育館でありました。
私は月例会の為、本日は観戦出来ませんしたが、昨日の土曜日に試合を観に行きました。

 例年にも増して、今年の夢の舞台はとても盛況でした。
予選だと云うのに、観客席も大半が埋まり、大歓声の中での試合は圧巻でした。

all.japan.2006.jpg


2006.all.japan.jpg


 縁があって何度か会った事のある砂川久美子・美佳姉妹もとても伸び伸びと戦っていました。
とても素直で可愛い二人には、大きな可能性を感じ、何よりも素直で真直ぐな気持ちに、思わず応援したくなりました。
残念ながら妹の美佳さんは結婚され名古屋へ移動される様で、お会いする機会も減るでしょうが、彼女の空手家としての才能は、どこへ行っても光る事でしょう。

 試合を観ていて思ったのは、人にはチャンスと舞台が必要だと云う事です。
勉強であれ、仕事であれ、修行であれ、また趣味であれ、自分自身の努力の成果はどこかで自己検証しなければいけません。
そうでなければ、ただの自己満足でしかありません。

 その為には、そう云うチャンスと舞台が必要です。
まずは小さな舞台から始めても、大きな舞台へとチャレンジして行く事は、より一層の努力精進が必要になります。
大舞台で勝ち抜く事、優勝する事だけが目的ではありません。
ただ、頂点を目指して頑張る事に意味があります。

 そして、チャンスは誰にでも満遍なく与えられています。
そこにチャレンジするかしないかは、本人次第です。

 と同時に、その舞台を用意する側の人がいます。
与える側の責任として、出来るだけ多くの、そして広く、高い舞台を用意してあげなければいけません。

 一緒に観戦していた弟子が、遅蒔きながら空手を始めて、もう10数年になります。
40代後半となった彼は、試合を観ながら、血が騒ぎ始めた様です。
そう云う熱い思いが自己検証に繋がり、自己革新へと道を進めます。

 人としての修行は一生。
空手家としての修行も一生。
互いに切磋琢磨しながら、大きな、広く、高い舞台で活躍して欲しいと思います。

 小さな事からでもチャレンジしましょう。
いつの日か、大きな舞台へ上がる事を夢見て。


リラックス

2006 - 10/21 [Sat] - 02:29

 皆さんはどうやってリラックスする時間を持っていますか?
毎日、仕事や色々な用事に追われる現代生活では、上手くそう云う時間を持たないと、段々と煮詰まって来て仕舞います。

 あ~、疲れたなと思える時、ストレスが溜ったと思える時は、まだ良いです。
意識しない、無自覚性のストレスや疲れが一番恐ろしいのです。
それが表面に出た時には、大事になって仕舞います。
胃に潰瘍が出来た、梗塞が起きた、癌になった・・・。
そんな例は幾らでもあります。

 ストレス解消、リラックスはとても重要な事です。

 そして、そう云う時間に限って、不思議と色々な考えがまとまったり、浮かんだりします。
私も、リラックスする為に外出して喫茶店で珈琲を飲む時、ドライブしている時、入浴している時に良くそう云う事があります。
天啓の様に、フッと浮かびます。
そうして予知した事や、伝わって来た事は沢山あります。
妻は、寝ている時に夢の中で色々と浮かぶらしいです。
余程、勉強好きなのか、睡眠学習している様です。(笑)

 リラックス法やストレス解消法は人によってそれぞれです。
自分らしいものを何か作りましょう。

理由

2006 - 10/20 [Fri] - 02:15

 何かをやらねばならない時、そこには必ず必然性と云うものがあります。
歩くのは、目的地へ行く為、または運動の為、気晴らしの為・・・、と理由があります。
何気なく行う事、言う事でも、そこには必ず理由がある筈です。

 そう云う理由と云うものをきちんと意識しておくと、無駄な事が段々となくなって来ます。
そして、自分自身の身心の状態、周囲の状態などがハッキリと見えて来ます。

 何気ない事、それは多くの場合、特に問題になりません。
が、時として、何気ない一言が人を傷つけたり、何気ない行動が大問題に発展する事があります。
迂闊と云う言葉では済ます事の出来ない事って世の中に溢れていると思いませんか?

 多くの事故、事件は、そうした何気ない事から起こっている場合がとても多いです。
私の所へお出でになる方の相談でも、やはりそう云う事がとても多くあります。

 昔から「自分の言葉と行動には責任を持ちなさい」と言われて育った人も多いと思います。
が、責任を持つと云う事が、一体何なのか?と解らないで生きて来た人も多いでしょう。

 何気ないを減らすだけで、きっと大半の責任は持てる様になるのではないでしょうか?
ほんの少しだけ、自分自身を意識してみましょう。

こうであるに違いない

2006 - 10/19 [Thu] - 02:18

 人が人と付き合って行く中で、互いに心を交すと云う事は、円滑な人間関係に不可欠な要素です。
自然と心が伝わり、また受け取る事が出来れば最高ですが、現実はそう簡単ではなく、相手次第と云う事もあります。

 心を閉ざしている人、心が解放されている人、表と裏の顔を持つ人、単純な人、警戒心の強い人、開けっ広げなざっくばらんな人・・・。
世の中には色々な人がいて、周りを見回せば全ての種類の人が必ずいます。

 せめで家族、夫婦や親子の間では、何も考えずとも互いの心が通じ合っていたいものですが、それも現実は侭ならない方が大多数の様に思います。

 ですから、心を通じ合わせたい人は、心を読もうとする、探る事で、相手を理解しようとします。
逆に、相手の心など無視する事で、自分の心の平穏を保とうとする人もいます。

 そうやっている内に、相手はこう思っているに違いない、と自分で相手の心を勝手に作り上げて仕舞う人も多いでしょう。
自分が生きて来た価値観や、育った環境の中で作り上げられた価値観や視野と云うものは、思った以上に大きな影響を自分自身に与えます。
なので、無意識にその枠の中で相手を見て仕舞い、相手の心まで想像して(創造して?)仕舞います。

 そうなると、現実とのギャップがある故に、苦しむ事になります。
勝手な思いは、所詮自分勝手でしかありません。
こうある筈、こうあるに違いない、こうでなければならない、とどんどん自分の中で変化して行き、現実とのギャップの中で、相手を責め、自分を責める事になります。

 勝手に相手の心を想像して仕舞うのは止めましょう。
素直に、相手を見れば、相手が心を隠しているのか、解放しているのか、どう思っているのか、自然と流れ込んで来ます。
頑張れば頑張るほど、見えなくなるのが心と云うものです。
少し肩の力を抜いて、まず自分の心を解放してみましょう。
そうすると、不思議と相手の心も解放され、伝わって来るものですよ。

プライド

2006 - 10/18 [Wed] - 03:25

 人間は生きている以上、否、死んで霊となっても、プライドを持っています。
それがあるから頑張れるとも言えますし、それが邪魔して多くの問題が解決出来ない事もあります。

 妻ではありませんが、英語に於けるプライド(pride)の意味は、日本語に於けるプライドとは異なる気がしています。
詳しい事は妻に「One point English」で説明して貰うとして、日本語で一般的に使われるプライドと云う言葉には、世間体であるとか、勝手な自尊心であるとか、地位や権力に対する誇示と云う印象を私は持っています。

 人間が持つべきものは「誇り」であり、もっと意味深く、人格そのものを表す様に思います。
残念ながら、多くの人は誇りを持たず、プライドを持っている様に感じます。
御相談者と話をしていても、プライド故に大切な事を見落とし、固執して仕舞って、問題を自ら解決しない様にしている場合が多く見られます。

 それは、多くは人の目を意識し、人からどう評価されるか、どう見られるか、何を言われるかを恐れていて、その裏返しで変に固執したり、過剰反応したりして、余計に泥沼にはまって仕舞っています。

 他人は責任がありませんから、勝手な事しか言いません。
良く言う事ですが、介護している家族を評して、「あれじゃ介護されている人が可哀想」とか、「あんなにしなくても、早く老人ホームに入れたら良いのに」とか・・・。
勝手な事ばかり言うものです。
その家にはその家の事情があり、家族には家族の思いがあります。
口を出すなら、やってみろと言いたくなる時もあります。

 人の目を意識して、自らを律するのは大切な事であり、日本古来の文化でもあります。
が、人の目を恐れて生きるのは、愚かでしかありません。
いつも申し上げている様に、「良い意味で、我が侭であれ」です。
自分の信念に従い、自分らしく生きる事が、真の意味での誇りに繋がります。

 どんな生き方をしようと、どんな考え方をしようと、必ず賛否両論あります。
そのどちらも意識し過ぎると、振り回され、身動きが取れなくなります。

 自分の生き方、考え方をじっくりと見詰め、真の意味で誇りを持って戴きたいと思います。
つまらないプライドを捨てただけで解決する問題は、とても多いと思います。

情報の重要性

2006 - 10/17 [Tue] - 01:53

 現代は、あらゆる情報が飛び交っている時代です。
メディアの種類も多く、報道も多彩であり、インターネット上ではHPにブログにmixiと日々増え続けています。
私が子供の頃には考えられなかった早さで海外の情報も入って来ていますし、意識してみると情報の渦に囲まれ、振り回されている感さえあります。

 人が生きて行く上で、情報は絶対不可欠です。
古い諺ですが「相手を知り、己を知れば、百戦危うからず」と云います。
仕事をする上ではマーケッティングが絶対不可欠ですし、その他にも株価やその動き、市場の動き、流行、メディア・・・、と情報は多ければ多いほど、リスクを減らす事が出来ます。

 また、日常生活に於ても、政治経済の動き、法律改正、流行、そして芸能人の情報まで、必要なものは幾らでもあります。

 ですが、情報と云うものは、それを世に出す側の意図が必ずあります。
全てが真実であり、情報の全てが公開されている訳ではありません。
曾ては、政府や国家による報道管制と云うものもありましたし、検閲と云うものもありました。
それを、お上に都合の良い事しか情報を流さないと一面的な捉え方をする事も出来ます。
が、何でもかんでも情報として出して仕舞っては、国益に反する事さえあります。

 また、例えば流行は、その多くは色彩協会やアパレル業界が決めて、購買層を誘導し、流行らせると云う手法を取っています。
中には自然と流行って仕舞うものもあるでしょうが、多くは業界によって煽動されているのが現実です。

 マスコミの報道に於ては、事件・事故の全てを報道する訳ではありません。
それぞれの立場があるでしょうが、彼等の目的は真実の報道ではなく、視聴率を上げる事であり、購読数を上げる事です。

 良く良く考えると、我々は、実は潜在的な洗脳を受けているのかもしれません。
情報は独り歩きします。
それを見聞きすると、人はそれを真実であるかの様に感じて仕舞います。

 歴史を深く見詰め、調べて行くと、それが良く解ります。
教科書で習う歴史、一般に言われている歴史は、表面的であり、その背景にあるその時代の立役者達の心情や真実を伝えているとは言い難いですね。
隠された歴史、消された歴史は沢山あります。

 宗教に於ても同じ事が言えます。
表の宗教、裏に隠された宗教、消された宗教・・・。

 真の情報を見極める為には、注意深く、そして広く、深く見詰めなければなりません。
一面的に、表面的に、煽動されて仕舞わない様に気をつけましょう。

 これは人付き合いに於ても、同じです。
人の言動の裏には、その人の心情、背景、その他の様々なものがあります。
それをきちんと判断しないと、その人を表面的に良い人だとか悪い人だとか決め付けて仕舞う事になります。

 大切な情報だからこそ、慎重に、良く見極めてから判断しましょう。

少しは悟ろうか・・・

2006 - 10/16 [Mon] - 02:37

 仏教で良く言いますが、「悟る」とか「悟り」とか云う言葉がありますね。
これって何だと思いますか?
何にも動じなくなって、いつも飄々としていて、気楽で、でも取り澄ましているって感じでしょうか?
何だかつまらないですね。(笑)
だって、喜怒哀楽があるから楽しいし、知らない事があるから面白いのですし、時には悩んだりするから、その後がもっと楽しいのですよね。
じゃ、悟らなくても良いじゃん、って思いませんか?

 しかし仏教では悟りをとても重要視します。
仏になる為には悟りを得なければいけない。
悟りを得たら、人生は楽になる。
って、本当かよ~、って世界ですよね。(笑)

 でも、本当です。
但し、悟りにも段階があります。
そして、悟りとは、無頓着になる事でも、取り澄ます事でもありません。
立心偏に吾と書きます。
左側の立心偏は、心と云う意味です。
ですから、吾の心、つまり自分を知ると云う意味ですね。

 詳しく説明すると長くなりますが、自分の状態を知る事、自分の心を知る事、自分の存在意義を知る事、自分の立場を知る事、等々・・・。

 どんな問題にも、悩みにも、原因は必ずあります。
それが、実は自分の心の状態や言動から起こった事と云うのは、実は多いのです。
が、人はそれを誰かのせいにしたいものです。
そして、自分の事を振り返る事をしないで、外に原因探しをします。

 ですが、案外、自分の中にある幼少期のトラウマだったり、育った家庭環境での教育だったり、そう云うものによって無意識にやっている事が原因となっている事って凄く多いのです。
もしかしたら前世かもしれませんけどね。(笑)

 そこで、一度、立ち止まってみましょう。
自分の事を良く見て下さい。

 何が好き、何が嫌い、何が出来る(出来た)、何が出来なかった(出来ない)、どこが長所、どこが欠点、等々と今までの人生をゆっくりと思い出して、自分自身を分析してみましょう。
そうしたら、自分って案外凄いかもって思えるでしょう。
あ~、私ってバカとか情けないと思うかもしれませんね。
でも、それで良いのです。
そこに感情を入れない様にして下さい。
そうしたら、自分の事が解った訳ですから・・・、そう、一つ悟ったのです。
自分を知った。
これって凄く大きな一歩ですよ。

 じゃ、また次を悟りましょうね。
自分の中に眠っている、凄い事が見つかると思います。
あ、自分って捨てたものじゃないな。

 同時に、自分が起した事が原因である事も解ります。
じゃ、直せば良いじゃんか。
それだけの事ですよ。

 気楽に悟りましょう。

運命の輪

2006 - 10/15 [Sun] - 02:34

 私の所へ御相談にお出でになる方は、以前は100%口コミでした。
来られた方が誰かにお話になり、そこから相談者が新たにお出でになり、そしてまた次の方へ。
ですから、長い間には、誰からの御紹介か解らなくなって仕舞う程、広がって行った感もあります。

 ですが、最近はメールでの御相談も増え、HPをご覧になって面接にお出でになる方も増えて来ました。
何もかも自分でやらねば気の済まない私は、HPも時間をかけて自分で作って来ました。
もう7~8年になるでしょうか。
最初は見様見真似で作り、何度も何度も作り直して更新して来ました。
それが、ここ数年、急に検索エンジンでのヒット数も上がり、少しは注目される様になって来た様です。
様々な霊能者がTV等のメディアに登場しては消えて行きましたが、良くメールでの御相談などでも名前の出て来る江原氏などは長くメディアに登場されている様に思います。
そう云う影響もあるのでしょうか。
また、世の中のセラピーやヒーリングなどのブームもあるのでしょうか。

 日本には何度か霊能者のブームがありました。
出ては消えて行くそんなブームの中で、徐々に人の心に定着して行ったのかもしれませんね。
いい加減な人も、危ない嘘も多い霊能者の世界ですが、真摯な人は確実に存在し、日々、相談者の為に頑張っておられると思います。

 私もそんな中の一人として頑張って来ましたが、思えば不思議なものです。
子供の頃から霊感故に悩む事も多く、自らをコントロールする為に始めた修行。
それが、こうしてプロとして御相談に乗らせて戴いている事。
自分探し、居場所探し、存在意義の追求、余りにも広く深い霊的な世界へのアプローチと修行・・・。
そんな人生を送って来た私が、家庭を持ち、天職に巡り合い、生かされている事は、万に一つの幸運であると共に、大いなる意思を感じ、不思議な気持ちにさせられます。

 自分を信じ、歩く道を信じ、未来を信じて生きて来た事が現在へ繋がっています。
誰かが見ていて、運命の輪を回してくれたのでしょうか。
時として、人生は思いもかけない事が起きるものだと思います。

 信じる者は救われる。

 求めよ、さらば与えられん。

 と言いますが、それが真実である事が、解ります。

 運命の輪は突然の如く回ります。
それがいつ回るか、それは神のみぞ知る。
然し、必ず回ります。
常に光を見つめ、前を向き、自分を信じ、未来を信じていれば。

 楽しい未来を想像し、そこへ向かって歩きましょう。

無意識のオーラ

2006 - 10/14 [Sat] - 02:17

 人に限らず、生命は全てオーラを持っています。
そのオーラは、3次元的な生命の形態そのもの、つまり人間なら肉体から発せられるものと、4次元的なもの、魂や幽体から発せられるものがあります。
その区別は兎も角として、そのオーラはその人の状態や気質を表します。

 人の心と云うものは不思議なもので、気持ちが変化し始めるとオーラも変化します。

 オーラと云うものは、その人の状態を表すだけではありません。
周囲に対しても、その影響は大きく出ます。
人が生きている以上、また生命が息づいている以上、色々は波動を発信しています。
それがオーラの色や形として、霊視出来る人には見えるのです。

 低周波公害や高周波公害、癒しの波動1/f、心に響くクラシック音楽、等々と、人は様々な波動に囲まれて生きていますし、互いに影響し合って生きています。

 心が明るくなれば、それは周囲へ伝わり、人間関係も変わり、仕事にも変化が表れ、運気も上ります。
磁石や電気と違い、明るさには明るさが、暗さには暗さが、互いに引き合います。

 運を良くしたかったら、何かを上手く行かせたかったら、まず嘘でも笑顔を作り、心に明るい事をイメージしましょう。
時には、劇的に運気が上る事もあります。

嘘ばっかり

2006 - 10/13 [Fri] - 01:14

 今日、護身法を習っている男性と話をしていたのだが、彼は初級にも関わらず、既に一番大切な所をクリアー出来て仕舞っていました。
あらら、こりゃ次は中級を飛ばして上級だなと驚きと共に、彼の上達を嬉しく思っていました。

 その後で話をしていたら、学問の話になりました。
そして、私も彼も、そして妻も同じ様な経験を持っている事が解りました。
それは・・・、学校で教えている事って嘘ばっかり・・・と思った事です。(笑)
小学校の頃、歴史を習っていて、教科書を読んでいるとその主人公の時代に頭が飛んで仕舞い、揚句の果てにはその中の登場人物になって仕舞っている。
それじゃ、年号どころじゃありませんよね。
で、歴史は大の不得意でした。(笑)
と云っても、本当に歴史が解らないのではなく、試験の為の歴史に意味を感じる事が出来ず、点数が全く取れなかったので成績が最悪だったと云う事ですが。(笑)

 曰く、源氏物語は昼メロ、竹取物語はイケイケの女性が男性を手玉に取ったと云うお話。
日本霊異記などはSF。
彼の経験では、人文政治などでは自分が国会議員と化して仕舞って、教師に民法で迫ったとか。(爆笑)

 と云う訳で、皆、文科系の成績はあまり良くなかった様な・・・。

 学問と云うのは、本来はとても楽しいものであり、「問う事を学ぶ」と書く字の如く、疑問を持つ訓練をしている訳ですし、歴史などはそのロマンを楽しむ事に醍醐味があります。
が、学校教育の中では、成績を取る事だけが目的意識とされ、そう云う醍醐味を味わおうとすると、必ず先生に「余計な事は考えないで、これだけを勉強して成績を上げろ」と言われました。
ですから、私は勉強は大嫌いでしたね。(笑)

 今は成績と無関係に、本当に役に立つ、そして楽しめる学問をする事が出来るのは最高の喜びです。
目的意識のぼやけた教育は学問ではなく、嘘ばっかりとは言いませんが、やはりつまならいし、人間性を豊かにしてくれませんね。
どうせなら楽しく勉強したいものですが、受験の為には、仕方ないのでしょうか・・・。
何だか侘びしくもあり、悲しい現実だと思います。

 我が月例会では、本当に楽しい、学校の教科書には書かれていない様な、本当の学問の話を始め、あらゆる話題が飛び交っています。
毎回、大切な話と共に、爆笑の渦が巻き起こります。
ストレス解消にはとても良い時間です。
話も広がり、深く、高度な話もしますので、疲れる事もありますが、兎に角、楽しいですよ。

反響

2006 - 10/12 [Thu] - 02:11

 昨日も書きましたが、遅くなってもブログや掲示板を書いていると、反響が来る事があります。
毎日、仕事から帰ったら読んでいますとか、心の拠り所になっていますとか、読んで気づいた事がありますとか・・・。

 その日、その日の気持ちや思いついた事を書いているのですが、確かに毎日書くのは楽な事ではありません。
大体、日記などは、学校の宿題でやった事もありますが、3日と持ちませんでした。(苦笑)
それが、この仕事を20年以上もやり、ブログをはじめ色々な事を毎日の様に続けているなんて、自分で言うのも何ですが、良くやっているなと思います。
母に、「こんなに真面目だったとは思わなかった。」と言われた時は、「そう、自分でもそう思う。」と爆笑しました。

 怠惰で、ムラッ気で、飽きっぽい私が、何十年と修行し、同じ仕事を続け、色々な情報発信を続けていられる様になったのは、何故でしょうか?
自分でも人間が変ったと思います。
確かに、現在は怠慢ではないですし、どちらかと云うと頑張り屋で努力家だと思います。
まるで、別人ですね。(笑)

 自分の人生を思い返す時、やはり転機は仕事を始めた時に決心した事でした。
「プロである以上は、24時間体制を覚悟しよう。」と。
開業医であった父が、夜中でも、朝早くでも、休日でも、急患を受け、往診をしていた姿を思い出します。
父も開業する時に、毎日ウィスキーを一本空けていたのに、ピタリと酒を断ったそうです。
それ以来、殆どと言って良い程、父はアルコールを飲んでいません。

 私も同じでした。
父を見習った訳ではありませんが、親子と云うのは不思議なもので、同じ事をしていました。
私も20代の頃は(10代も少し(笑))、浴びる程、飲んでいました。
しかし、この仕事をして以来、殆ど飲んでいません。

 また、相談者とお話している内に、相談者から私が学ばせて戴き、成長させて貰った事も大きいですね。
段々と、時間をかけてプロになって行けたと思います。
そうやって、プロ意識が高まって行き、現在があります。
今の私は当初思っていた通り、24時間プロフェッショナルになれたかな?と少し思える様になりました。
まだまだ、目指す先は遠く、遥かな先に見える光を目指していますが。

 経験と、意識が、自分を変えてくれました。
皆さんも、少しずつ、色々な経験を経て、視野を広げ、価値観を柔軟にし、そしてプロ意識を持って行く事が出来たら、人生も、仕事も、楽しくなると思います。
無理して頑張らず、楽しく頑張りましょう。
人生は楽しむ為にあるのですから。

妥協しない、出来ない

2006 - 10/11 [Wed] - 04:00

 いつもの事だが、こうしてブログを書いている時間は、深夜と云うよりも明け方に近くなって仕舞う事もあります。
一日、面接をし、祈り、最後の時間に通信相談にお答えし、その他のメールも読み、そしてブログを書いています。
ですから、どうしても夜行族になって仕舞います。
ま、昔から夜行族ですから慣れていますし、夜は心を静かにしてくれますから好きな時間帯ですが。

 相談者には、いつもメールの時間を見て、またブログの投稿した時間を見て驚かれます。
「先生、いつ寝ているのですか?」(笑)

 さぁ、いつ寝ているのでしょうね。(苦笑)

 確かに、今日は疲れた。
面倒臭いなぁ~、と思う時もあります。
が、やはり読んで戴いている方がいて、それを楽しみにしてくれている方がいて、中には心の支えにしている方がいるかもしれないと思うと、妥協出来ないのです。

 ブログも、HPも、メールマガジンも、そしてメールでのお答えも、また面接してお話するのも、祈願や御供養でお経を詠むのも、私の自己表現であり、仕事であると同時に生き方でもあります。
ですから、一人でも多くの方に対し、私のメッセージをお伝えしたいと思います。

 少しくらい寝なくても大した事ではありません。
それで、私の言葉を聞き、目にしてくれた方が楽になるなら。

 そんな生活を、もう20年以上も続けて来ました。
これからもずっと続けるでしょうね。
年齢が段々と上って行くと辛くなるのかもしれませんが、更に修行し、鍛え、体調管理して頑張ります。

人として

2006 - 10/10 [Tue] - 03:02

 人間は、山の中で仙人をしているのでない限り、誰かと関わって生きています。
否、山の中にいても、大自然に囲まれ、その自然との関わりの中で生きます。
そう云う意味では、誰にも関わらずに生きる事は不可能であり、どんな環境にいても何らかのコミュニティーに属する事になります。

 そう考える時、どの集団、どの地域、環境の中にいても、そこには自ずとルールと云うものが出来上って来ます。
それは、習慣であったり、慣習と云うものであったり、或いは法律や条例と、名前は色々あり、形態も色々あるでしょうが、そのコミュニティーの中で生きる上で、守らねばならない一つのルールです。
また、その集団の中だけの、独自の価値観や常識と云うものもあるでしょう。
それらを守る事が出来ない人は、その中では生きる事は許されません。

 生きている限り、否、例え死んで魂となっても、自分勝手と云うものは許されません。
天国と呼ばれる場所、地獄と呼ばれる場所でさえ、犯してはならないルールがあります。

 そのルールを無視する人は、そのコミュニティーから出て行くしかありません。
他の、それを許してくれる場所を探し求めて放浪するしかありません。
そして、それは大抵の場合、一生見つからず、悲惨な結果を招く事になります。

 自由とは、義務と権利のバランスの中で成立します。
義務を放棄するならば、権利をも放棄する事になります。
権利を放棄し、義務のみに縛られて仕舞ったら、自由を放棄する事になります。

 何事もバランスです。
仏教では中道こそが良いのだと説きます。

 極端にならず、適度と云う事を心がけると、少し生き易くなるかもしれないですね。

親と云うもの

2006 - 10/09 [Mon] - 01:24

 子供にとって、親と云うものはかけがえのない存在です。
親にとっても、子供と云うものはかけがえのない存在です。

 が、それが時としてボタンをかけ違えて仕舞い、心も言葉も通じなくなって仕舞う事があります。
表面だけを見るなら、子供が親の云う事に逆らっているとしか見えません。
親の云う事を聞かず、親を騙し、親に迷惑をかける。
そんな子供も沢山います。

 私の所にも時々、親が手に負えないと云って、不良???の子供を連れて来る事があります。
そんな子は、殆どの場合、私に対してはとても素直に心を開いてくれます。
確かに不良かもしれないけれど、そんなに悪い子ではない。
そう思う事が殆どです。

 そんな子供達の心は、いつも渇き、愛情に飢え、寂しくて、自分の居場所がなく、それ故に放浪しているのです。
社会もそんな子供達には冷たく、厳しいのが現実です。
ですから、彼等は親は勿論、大人も、社会も否定し始めます。

 しかし、じっくりと原因を探って行くと、多くは幼少期の愛情不足。
そして、ちょっとした親の勘違いから始まっている事が多いですね。

 親も忙しく、厳しいこの時代ですから、共働きの両親も多いでしょう。
そんな時、親を追い求める子供を、そんなつもりはなくても、疲れていて煩く思ったり、追いやって仕舞う事もあります。
大人にとっては、とても小さな事です。
でも、子供にとってはどうでしょうか?

 親が子供の為だと思って厳しく叱り、命令する。
それが親と云うものです。
でも、もしそれが親の心の中にある、勝手な思い込みだったら・・・。
そうでなくても、云う事を聞かせたいばかりに、子供の人格まで否定する様な一言を発して仕舞ったら・・・。

 子供の為を思って云う事でも、言葉一つで子供の心が深く傷つく事もあります。
一方的に、頭ごなしに、命令するばかり、叱るばかりでは、子供は甘えたくても甘えられません。

 子供には、子供の持つ考え方があります。
大人の目にはつまらない事でも、本人にとってはとても大きな事かもしれません。
叱る前に、命令する前に、少しでも良いですから、子供の話を余談なく聞いてあげて下さい。
どうせ彼奴は嘘を言うから、いい加減だから、ダメな奴だから、と思わないで、何も考えずに素直に言葉を聞いてあげて下さい。

 そうすれば、きっと少しずつ、少しずつ、心が通じ合って来るでしょう。
心の通わない親子は不幸です。

秋祭り

2006 - 10/08 [Sun] - 02:01

 近くの神社が秋祭りで商店街を山車を引きながら、大きな太鼓を打ち鳴らしていました。
ド~ン、ド~ンと響くその音は全身を揺さぶる様でした。
見てみると、それは2mはあるだろうかと云う大きな太鼓でした。
あれだけ大きな太鼓は久し振りに見ました。

 私も修行時代に和太鼓を打っていましたが、般若心経や真言に合わせて叩く太鼓は激しく、腕も肩も背中も、叩き終った後はパンパンに張っていたのを思い出します。

 太鼓の音は不思議ですね。
身体だけでなく、心、そして魂にまで響き、染み渡る気がします。
一打ち、一打ちの響きが、疲れた身体と魂を癒してくれる様に感じます。

 成田山の大太鼓、聞いた事がある方も多いでしょうが、御護摩の前に叩かれる大太鼓は、広い本堂に響き渡り、天井も壁も床もビリビリと揺れる様です。

 日本人だからでしょうか?
太鼓の音や、祭りの囃子に、郷愁を誘われ、心の中で何かが動く様です。
誰にでもある、そんな音、時には思い出してみるのも良いかもしれないですね。

処方箋

2006 - 10/07 [Sat] - 03:22

 私に限らず、霊能者は瞬間、瞬間のインスピレーションで霊視します。
それを普通人が理解出来る言葉に翻訳してアドバイスしています。

 我々、霊能者は殆どの事は、ビジョンや音や匂いでメッセージを受けています。
ある意味では、出て来る答は凄く単純です。
ですから、それを翻訳して人間の言葉に直すのが、実は大変です。

 また、一瞬一瞬に受けるものが凄く大切ですから、相談者の側もそれを受け止めて欲しいと思っています。

 思い立ったが吉日。

 そう、霊能者のアドバイスは医師の処方箋と同じです。
現在の症状と体質に対し、対症療法であっても、最も効果的な薬を出しているのです。
ですから、風邪の時は風邪薬を飲む様に、風邪が治ってから風邪薬を飲んでも意味がないのです。
こうしたら?と云うアドバイスは、すぐに実行して下さい。
時間が経ったら、また違うアドバイスになります。

 そうやって、すぐに実行して来てくれた人は、驚くべき変化をして来ました。
アドバイスした私が驚くほど、劇的に変化し、運が開きます。

 やらない人は・・・、まぁ、仕方ないですね。(苦笑)

不安

2006 - 10/06 [Fri] - 02:16

 不安は誰にでもあります。
怖くて仕方ない時、理由もなく心が萎える時、見えない未来を思い不安に苦しめられる時。

 そんな時は、頑張ろうと思ってもすぐにパワーは出ません。
身近な、或いは信頼出来る人を頼って下さい。
何もして貰わなくても、ただ頭を撫でて貰うだけ、手を繋いで貰うだけ、側にいて貰うだけで、段々と心が落ち着いて来る事もあります。
一人で頑張ってはいけません。
甘えましょう。

 そして心が落ち着いて来たら、改めて不安の原因を探って知りましょう。
それが分れば、対処するだけです。
それも一人ではやらないで下さい。
話し、聞いて貰って、対話の中から見つかって来ます。

 どんな不安も、そして解消するのも、信頼出来る人がいてこそです。
まず信頼出来る人を見つけましょう。

 一人で不安に悩む時、弱い人は独りぼっちでこもって仕舞い、強い人は感情的になって矛盾だらけの理屈をつけながら暴走します。
少しで良いから、誰かに心を開いたら、きっと楽になるのです。

 頑張らないで、突っ張らないで、こもらないで、もっともっと会話しましょう。

目的がズレて行く

2006 - 10/05 [Thu] - 02:35

 人は誰でもそうですが、何かに向かって一生懸命になっている時、余りにも夢中になり過ぎて段々と目標がズレて仕舞う事があります。

 夢のある仕事をしたいと思って始めた事が、段々と良い物への過剰な拘りになって行って採算が取れなくなって来る事。

 良い商品を作って消費者に喜んで貰いたいと思って始めた事が、価格を安くする事が消費者を喜ばす事だと勘違いし始めて、段々と商品がダメになって行って仕舞う事。

 人を救いたいと始めた仕事が、技術に拘るあまりに、その技術だけを見詰める様になって、人を癒す事を忘れて仕舞う事。

 人間を育てたいと思って始めた事が、ルールで縛る事に拘り始めて、人を息苦しくさせて成長を止めて仕舞っている事。

 温かい家庭を作りたいのに、家計や教育などと云う事にばかり目が向いて仕舞って、互いの温かい心を忘れて仕舞う事。

 目標がズレて仕舞う事は、例をあげれば幾らでもあります。
自分が本当に目指しているのは何だろうか?
一度、振り返ってみて下さい。

 一生懸命になり過ぎて、小さな目で見ていないか?
大きく、広い目で見てみたら、あらら~!!と云う事があるかもしれません。

 少し、ほんの少し、肩の力を抜いてみましょう。

経験者のたわ言

2006 - 10/04 [Wed] - 02:55

 今日、ある事業の事について弟子達と話していたのですが、話し終った後に考えていて、ふと気づいた事がありました。
「あぁ、私も弟子も苦労した時代を越えて来たから、経験して来たから、つい老婆心で苦労のない様に先々を考えて意見を述べている」と。
相談者に対し、当然ですが、出来るだけ苦労を避けて安楽に進める道をアドバイスします。
が、人が何かをやろうとする時、その人がこれから育とうとする時、完璧な準備などは出来る筈もなく、一番大切なのは情熱と覚悟だと云う事を忘れて仕舞って話していたかもしれません。

 成功して欲しいから、成長して欲しいから、出来るだけリスクはない様に準備して欲しいし、そうするべきだと思うのは当然です。
でも、やりながら覚える、足りない所を付け足して行くと云う事も良くある事ですし、振り返ると私も弟子達もそうやって成長し、一つ一つを乗り越えて来ました。
だからこそ、ついつい、老婆心で色々とアドバイスして仕舞う。(苦笑)

 絶対に下らない、諦めない、やり通す覚悟と熱い情熱があれば、不可能が可能になる事も多々あります。
それが通用しない事も多いですが、まずその思いがなければ何も始まりません。

 経験者だからこその、乗り越えて来た者だからこその、たわ言と云うもののあるのだなぁ、と思った今日の反省です。

神無月

2006 - 10/03 [Tue] - 02:08

 10月になりましたね。
この月は「神無月」と呼ばれています。
出雲大社に神々が集まって神様の会議が行われると云います。
なので、出雲では「神在月(かみありつき)」と云うそうです。
でも、これは出雲大社の御師が中世に全国に広めた事から始まったもので、本当は様々な語源があると言われています。

* 醸成月(かみなんづき): 新穀で新酒を醸す月
* 神嘗月(かんなめづき): 新嘗(にいなめ)の準備をする月
* 神な月(かみなづき):「神の月」の意
* 雷無月(かみなしづき):雷のない月

 と、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 http://ja.wikipedia.org/wiki/10%E6%9C%88#.E7.95.B0.E5.90.8D
では書いています。
私もこの意見には賛成です。

 こう云う例は幾らでもあります。
土用の丑はウナギを食べる。
バレンタインデーはチョコレート。
ホワイトデーはマシュマロ。
女性からのプレゼントへのお返しは倍返し。
クリスマス。
等々と、特に世の中の行事については、実は誰かの意図によって作られたものがとても多いですね。

 良く、これは昔からの伝統であるとか、こうあらねばならないとか云う方が多いですが、本当の事を知った上での事なら良いですが、親から伝えられた事や、世間の人が云う事を深く確かめもせずに鵜呑みにしている方がとても多いと思います。

 曰く、「霊は存在しない。何故なら霊は見えないし、感じないから。」
そう云う方は、空気は見えるのでしょうか?
空気を感じた事はあるのでしょうか?
科学者が言っているから、鵜呑みにして信じているだけではないでしょうか?
自分で空気の分子や原子を実際に見た事はあるのでしょうか?

 勿論、空気は存在します。
が、自分で経験した事もない、見た事もないものを、鵜呑みにして信じると云う事と同じ事を、人は色々な場面でします。
誰それが言っているから。
科学が認めているから。
伝統だから。

 何だか、変ではないですか?

 信じる事、学ぶ事はとても大切です。
でも、ただ鵜呑みにして振り回されない様にして下さい。
本当の真実は案外、全く異なるものかもしれないのですから。

コワモテ(苦笑)

2006 - 10/02 [Mon] - 01:56

 今さら言うと笑われるでしょうが、どう云う訳か私はコワモテと云う事になっています。
どうしてでしょうね?(苦笑)
そんなに怖い顔だとは自分では思わないのですが。
身体も大きくはないですしね。
ま、ちょっと態度が大きくて、傍若無人である事はあるかもしれませんが。(笑)

 妻に良く言われるのは、私の前に出ると、隠し事やトラウマのある人は自分自身の姿を見さされて仕舞うので怖いのだと云う事です。
あるかもしれないですね。
確かに、私は相談者の心の中を引き出して本音を言って戴きますから。
それに、利害と云う計算なしに相手と付き合いますから、心に闇を持つ人は辛くなるかもしれないですね。

 昔から云う事ですが、基本的に人は褒められて育つものです。
叱られて伸びる、成長する人は一部の天才のみであり、特別な才能を持っている人だけであろうと思います。
私も弟子達を叱り、時には怒鳴る事もありますが、感情的になって怒った事は一度もありません。
怒った振りをしながら、反応を見てやっています。

 人を指導したり、育てている時に、どうしても腹が立って仕舞う事はあります。
そして、感情的になって怒って仕舞う。
それが絶対にいけないとは言いません。
時には、感情をダイレクトにぶつける事で相手に伝わるメッセージもあります。

 が、感情的になって怒っている時、自分の心を振り返った事はあるでしょうか?
一度やってみて下さい。
結構、愕然としますよ。(笑)

 大抵は、相手が言う事を聞かないから、思い通りにやらないから、期待しているのに出来ない相手に苛々すると云う、自分の心の中の問題です。
プライドでしょうか?
相手が言う事を聞かないとバカにされたと思うのでしょうか?
それを自分で解った時、やっぱり、あら~と思いますよ。(笑)

 止めましょうね、つまらないプライドや見栄に振り回されて怒ったり、自分勝手な理屈で相手を非難するのは。
自分が小さな器量の人間なのだと露呈して仕舞うだけです。

熱い思い

2006 - 10/01 [Sun] - 03:17

 今日、TVでKー1の放映を見ていました。
それぞれの激しい試合の数々、人間離れした鍛え上げられた肉体は驚異です。
中でも、最終試合であったチェ・ホフマンとジェロム・レバンナの試合は見応えがありました。
身長差40センチと云う隊格差を乗り越えて互角に試合し、延長戦で勝ちを収めたジェロム・レバンナのの精神力には感動さえ覚えました。

 Kー1と云う格闘技に賛否両論ある方も多いでしょう。
が、そこに命をかけて闘っている男達の熱い思いを見る時、それはエンターテイメントであると同時に、感動を与えてくれます。

 引退を決めたFー1のミハエル・シューマッハと云い、Kー1の男達と云い、私の愛する空手を真摯に修行している道場生達と云い、皆、熱い思いで精神と肉体を鍛え上げ、自らの限界を超えようとしています。

 それがどんなものであれ、熱い思いと云うものを持つ事が出来る人は幸せであると思います。
仕事に命をかける人、夢に全てをかける人、家庭を守る為に生きる人・・・。
周囲の目がどうあれ、リスクを恐れず、前を向いて、覚悟を持って歩む事はとても美しく、感動を与えてくれます。

 その覚悟が、無言の内に周囲に伝わり、広がって行きます。
例え身近なものに対してでも、熱い思いを持って、全身全霊でそれにかける事が出来たら最高ですね。
逆に云うなら、その覚悟がなくて仕事をしていたり、生きていると、不安と不満が常につきまとい、評価も下がり、自らの首を絞める事になると云う事もあります。
何をするにしても、心を込めて、全身でぶつかりたいものですね。

 | HOME | 

プロフィール

島津 成晃

Author:島津 成晃
Adept・Mentor 島津相談室主宰
人生のあらゆる問題の相談に乗って来ました。
元気になって希望を持って帰って戴く事が私の願いです。
スピリチュアルな目と、冷静な分析で御相談に乗ります。
御相談はHPの方からお願いします


関連ブログです。
Adept・Mentor 島津成晃の独り言
Mentor 島津成晃の独り言

だんな様は霊能力者
だんな様はメンター
島津成晃の見つけた良い物
神ながらの道

最近の記事

カテゴリー

ブログ検索

twitter Facebook

adeptmentorをフォローしましょう Naruaki Shimazu

バナーを作成 Instagram

フォト蔵

本コンテンツをご覧になるには、Flash Playerプラグインが必要です。FlashのWebサイトよりインストールしてください。

月別アーカイブ

リンク

RSSフィード

QRコード

QR