感じたり思った事を書いて行きます。 時には秘伝などを書く事も。 空手や色々な趣味の話も。

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霊能者

2006 - 04/29 [Sat] - 02:16

 妻と話していて、霊能者についての話題になったので、それを少し書いてみたい。

 まず、「霊能者って何?」

 ただの人間です。
特別な訳でもなんでもない、ただ、普通の人が失って仕舞ったり、眠って仕舞っている、神佛や霊と対話する能力や、力を引き出す能力が発現しているだけであり、極端な言い方をすれば原始人と同じであって感覚が異常に鋭い人と云うだけの事です。
が、人が持っていない能力を持つと、それが特別な事であるかの様に思い、自分も周囲も特別扱いして仕舞う事で、霊能者と云うものが特別な選ばれた存在であるかの様になって仕舞いがちです。
が、それは単に能力が高いと云うだけであって、普通の人間です。
能力が高いから偉い訳ではない。


 じゃぁ、「霊能者が人を救うの?」

 ただの人間がそう簡単に人を救うなんて事は出来ません。(笑)
救われたのは結果論です。
相談者と一緒に考え、持てる能力と知識を総動員してアドバイスしたり、カウンセリングしたりして、相談者自身が意識や姿勢が変り、努力した事で、救われたと云う結果になったに過ぎません。
また、霊能者は相談者の足りない力を補ってあげて、後押しをしているのです。
霊能者が人を救うなんて、そんな大上段に振りかぶった、傲慢な事は云えるものではないし、人としてそれは間違いでしょう。
神佛についても、霊についても、霊能者は通訳であり、代弁者でしかありません。
霊能者は神でも仏でもありません。
ただの人です。
特別に選ばれた人でもない。
ただ、その道の専門家である、と云うだけです。
勿論、常に神佛を意識して神佛を体現するべく修行している事は事実ですが。

 こんな話をしていていつも感じるのは、「霊能者」と云う言葉が、「特別な人」と云う風に独り歩きして仕舞っている事です。
霊能者と云う響きが特別な感じを与えて仕舞うのでしょうが、ただの人間に過ぎないのです。
が、霊能者と云う肩書きには一般の人は特別な感情を抱き、憧れや嫌悪や特別な権威を感じて仕舞う事も事実でしょう。
それは、霊能者自身も同じです。
そして、それはある種の選民意識や権力志向へと変化して行きます。

霊能力の高いものは偉いのだ。
特別な人なのだ。
選ばれた人なのだ。
人を救うのだ。

そのどれもが正しくもあり、また間違いでもあります。
一面的な見方をすると、解り難い存在であるが故に、勝手なイメージへと膨らみます。
私は、相談者と一緒に必死で考え、一緒に努力して、少しでも相談者を幸せな道へと導こうとするのが正しい姿であると思っています。
その姿勢そのものが、人として、霊能者として、あるべき姿であると思っています。

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色々とありますが

2006 - 04/27 [Thu] - 01:01

 ここの所、私の弟子達が必死で動いている。
新しい会社の設立に向かっての準備なのだが、それぞれの得意分野があり、将来への布石を打つ者もいれば、書類と数字に囲まれて頭を悩ませている者もいる。
本当に人それぞれと云うが、一人一人の姿が浮き彫りになっている気がする。

 だが、長年修行して来たからこそ今の姿がある訳で、その折々にはどうしようもない奴だとか、困った奴だと思っていたのが、こうして一つの目標に向かって走っているのを見ると、伊達に修行をして来なかったのだなぁと感慨もひとしおである。
人は化けると云うが、ある局面になると突然変身した様に大きくなり、オーラが増す人がいる。
彼等がそうであるかどうかはこれからだが、化けて欲しいものだと思う。

想い

2006 - 04/24 [Mon] - 03:01

 ご供養をしていると思うのだが、生きている人であれ霊であれ、秘められた悲しみと云うものをとても感じる。
例え寿命であったとしても、そこには別れがあり、旅立ちがある。
まして、何らかの事件や事故により亡くなった時、その想いは計り知れない。

 長年、霊とつき合って来たから、今さら霊が出て来ても恐ろしいとは思わないが、その想いを感じた時、一瞬、同調して仕舞う事がある。
一瞬と書いたのは、ダラダラとその感情につき合っていると冷静な判断が出来なくなるからで、短時間で気持ちを切り替えてクールになる様にしているからである。
それ程、そこにある悲しみは大きく深いものがある。

 見えないと云う事は時には便利なもので、一般の人は霊と云うものを感じなかったり、見えなかったりするので、何か現象が起きた時だけ霊と云うものを意識し、それ以外の時は考えもしなければ意識もしていない人が多いと思う。
だから、そう云う何かの時にご供養と云うものを、自分が楽になる為にやると云う人が多いだろう。
自分の生活や平和を脅かすのが霊、だから邪魔な存在だから供養して消せば良い。
極端だが、そう云う意識がある事は確かであり、真に霊の悲しみ、その霊にまつわる人達の悲しみや深い想いを考える事も意識する事もない、と云う人も多い。

 供養とは、供に養う。
先祖や霊を弔う事で、自己の中にある記憶、つまり彼等が残してくれたものをも同時に弔う。
そして、霊と自分、共々に癒されて行く。
それが供養と云うものである。
だからこそ、霊と人、どちらもが深い想いと悲しみを共有する事で、本当の供養と云うものが出来る。
自分が楽になりたいからと云う、道具としての供養は霊を本当に癒さないし、心に響かない。
例え依頼者がそうであったとしても、私は常にその想いと悲しみを共有してご供養させて戴く。
それが、私のやり方であり、生き方であるから。

 大切な事、大切なものを見失わない様に、正しく、深い思い遣りで供養をして欲しいものだと思う。

取材

2006 - 04/20 [Thu] - 00:54

 う~ん、今日は生れて初めての経験でした。
国際グラフと云う、病院や銀行などに置いてある雑誌の取材を受けました。
今まで、テレビや雑誌等のマスコミの取材は全て断って来ましたが、今回は何故か気が向いて初めてお受けする事にしました。

 とは云え、実はレポートに来られたのがボクシングの元世界チャンピオンである畑山隆則氏で、その話を聞いた事が一つの動機であった事は確かです。
案外、私もミーハーですか?(笑)
長年、空手をはじめとする格闘技に関わって来ましたから、畑山氏の現役時代にも注目していました。
私の見る所では彼は天才ボクサーであり、他のボクサーとは一線を画していると思っています。
なので、彼と対談なら・・・と云う気持ちもありました。(笑)
実際にお会いしてみると、とても気さくであり、好青年でした。
現役ではないので格闘技をやっている人独特のギラギラした雰囲気は消えていましたが、中に秘めた強いパワーと、握手をした時に感じた彼の肉体のバネの強さは感じる事が出来ました。

 畑山氏とお会いすると云う事に魅かれたにしろ、こう云う取材を受ける気に私がなったと云う事も含め、やはり空気が変化している感がありますね。
更に一層、頑張らねばなりません。

 国際グラフは7月号に掲載されるそうです。
またその折にはお知らせします。

変化

2006 - 04/19 [Wed] - 02:13

 最近、仕事も人脈も全てが変化して来ているのを感じる。
今日は会社設立の会議を私の所で行って色々とアドバイスしていたが、こう云う仕事も最近は多くなって来た。
以前は、やはり霊的な仕事や病気が一番多く、その次に子供や家庭の問題、その次に経営などのビジネスの相談と云う感じだったが、最近はそれが平均的になって来た感がある。
満遍なく、それこそ人生に関わる全ての問題にわたって相談を受ける様になって仕舞った。
メンターと云う仕事とは、こう云うものなのだろうなと思う。

 また、暫く離れていた人達が戻って来たり、逆に近しくしていた人達が自分の中にある懊悩や葛藤から迷い、離れて行ったり、それに伴ってある程度の距離感を持っていた人達と縁が深くなって来たり・・・。
不思議なものだと思う。

 名称を加えたりした事が、その変化を加速させているのかもしれないが、タイミングや流れと云うものが、自然とそう云うものを作り出すのだろうと思う。
一日一日を大切に、一人一人を大切に仕事をし、生きて来た事が、そう云う流れを作って来たのだろうと思う。

 未来は自分で招くものと私は言い続けているが、我が事ながら、また相談者達を見ていても、その通りなのだなと改めて実感している。
真っ直ぐに、胸を張ってしっかりと毎日を大切に生きていれば結果は自ずと表れる。
前を向いて、しっかりと歩きましょう。

静と動

2006 - 04/17 [Mon] - 01:45

 今日、横浜のK師範よりの御招待で横浜で行われた新極真空手の全関東空手道選手権大会に出かけて来た。
幼年部と云って5歳の子供から、小学生、中学生、高校生、そして一般成人、壮年と各年齢の男女が日頃の修練の成果を競って全力で試合する姿は、美しく感動を呼び、時におかしくて笑いを誘う。
その姿が観ている人の心に響いて来る。
とても素晴しい大会であった。
動きの中にある心の動きが技に表れる。
その姿が理屈抜きに感動を呼んでくれる。

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 毎朝、起きるとすぐに祭壇で御挨拶をする。
そして蝋燭に火をつけ、香炉にお香を焚く。
その火と煙の静けさと、揺らぎと広がりが、心を豊かにしてくれる。

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 静と動、どちらも理屈抜きに心に響く。
バランス良く、大切にしたいものだ。

活力

2006 - 04/16 [Sun] - 02:19

 人が生きるには活力がなければならないと思う。
慎重である事は必要だし、とても大切。
が、それがただの悩みになって仕舞っては、活力を失う。

 昔から弟子達に云っている事だが、生きて行く上で3つのみる「見る・視る・観る」を大切にしなさい、そして「悩むな考えろと」云って来ている。
まず、見て、そして集中して視て、次に少し心の距離感を持って観る事で全体像が解る。
そうすれば、本質が見えて来る。
目で見、次に視て分析し、そして観て心で感じる。

 また、悩みは堂々巡りでしかない。
何の意味もない。
時間の無駄でしかない。
だから、どうすれば現状を打開出来るか、問題解決出来るかを考える。
今、考えても解決しない問題は捨てるか、棚上げにしておく。
必要な時が来たら考えれば良い。

 未来は今の積み重ね。
今を精一杯生きれば、素敵な未来は必ずやって来る。
どんなに辛い時でも、真っ直ぐに生きていれば、光の見える時は必ず来る。
だから、悩まず、今日を大切に生きる事が大切。
活力はそんな所から来ると思う。

後で分る事

2006 - 04/14 [Fri] - 01:34

 今日、面接と云う訳ではなく、用事で一人の弟子が来て少し話していたのだが、彼はコンビニをやっていたのを、半ば無理矢理に辞めさせて今の仕事に就かせた。
その時は納得せず、私の云う事だからと従ったのだが、心の中では理解出来ずにいた様だ。
が、今日、その彼から「あの時、辞めさせて戴いて良かった。有難う御座居ました。」と云う言葉が出た。
漸く私の意図を理解したらしい。

 あの頃、彼のやっていたコンビニは周囲に大型店舗が出来、また彼が辞めたすぐ後に同じくコンビニだが有名な誰でもが知っている店が出来た。
当然、売り上げは下がり、彼の手にするお金も激減する事となる。
決して楽な仕事ではなく、それでも彼は完全主義者なので手を抜かずに仕事をしていたが、あのままではジリ貧となり、苦労だけして後悔する事となっただろう。
その時に撤退を考えても遅い。
それを予測して、私は強引に転職させたのだが・・・。

 私が口にする事は、こう云う事が多い。
20年も通って来ている弟子達が揃って云う事は、先生の仰る事が解るまで3年かかりました。
私は難しい事は何も云っていないつもりなのだが。(笑)
人は自分の価値観を越える事を受け入れない。
故に、それが耳に入るまで3年もかかったのだろうと思う。

 後で分る事は沢山ある。
今、何をしているのか、何の為にやっているのか、全く見えない。
そんな事は幾らでもある。
だが、人生に無駄な事は一つもない。
まして私が口にする事は、後になってからでないと分らない事だらけだろう。(笑)
とは云え、私は当り前の事を当り前に話しているだけなのだが。

正道

2006 - 04/10 [Mon] - 00:26

 密教でも空手でも修行をしていると、色々な情報を目にし耳にし、どれが正しいのか迷って仕舞う事が良くある。
時折、私の所へも密教や修行と云うものに興味あり、また中には実際にやっている人から質問があるのだが、その大半が「これこれこう云うものがあると聞いたのだが、どうだろうか?」とか、「自分はこう云う事に興味があるのだが、先生はどう思われますか」とか云うものである。
色々な情報を見聞きして憧れる事から人は道を目指し始めるのだが、知識ばかりが先行してしていると、こう云う質問をする様になる。

 どの道でも、修行と云うものは知識と体験の両輪であると思う。
そして目指す道筋、歩んでいる道筋をしっかりと真っ直ぐに歩き、その中から正道を見出して行く。
あちこちに目を向けて仕舞うと、それは迷いを呼び、正道を見失う。
それは焦りとなる。

 私が教えている護身法は密教における基本である。
一番最初に習うものであり、日常、常に使うものである。
が、この基本をおざなりに通り一遍にやり過す人が殆どである。
とても惜しい。

 空手においても、最初にやる基本稽古と云うものがある。
これを通り一遍にやり過す人がとても多い。
これまた惜しい。

 基本には全てが含まれている。
その持つ意味、深さ、心を追求して行くと、そこには究極が隠されている。
基本は、裏を返せば究極である。
そして、そこに正道がある。

 人との付き合いにおいても、自分の属する世界の常識だけで物事を判断して行くと、一般社会との間にすれ違いが起き、孤独となって行く。
特に修行者や武道家にはそう云う人が多い。
己が理念が最高と他を排除し、その常識だけで物事を判断して行くが故に、他から排除されて仕舞って孤独となる。
人は社会で生きるものであり、社会通念と云うものがある。
それと己が信念や理念との間のギャップをどう妥協して生きて行くか、何が一番大切なのかを見極めないと、ただの偏屈でしかないし、大切な、大きな事を失って仕舞う結果となる。

 正道は頑なとは違う。
何を以て正道とするか、それは難しい問題だが、一つの道筋を歩むと云う事は、とてもダイナミックで柔軟なものなのだ。
深く、深く、その道を静かに見つめる時、それは自然と目の前に現れてくれる。
その正道をしっかりと迷いなく歩く事が、結果へと繋がって行くと思う。

時期を待つ

2006 - 04/07 [Fri] - 02:17

 年度末から急激に色々な事が動き出している。
相談者達を取り巻く環境や、懸案事項がどんどんと変化して来ている。

 事が動くにはタイミングと云うものがあり、それが来るまでは何をしても動かないし、逆に悪くなる事さえある。
時期を待つしかない、と云う事は生きている中で沢山ある。
待つ間の苦痛はとても辛い。
八方塞がりの様に感じ、焦り、悲しくさえなって来る。
が、そのタイミング、時期が来た時、堪えて待ち続けた意味が分る。

 待たされるのは、ただ待たされている訳ではない。
その時間をどう云う風に過すか、堪えるか、それが重要なのである。
そして、動く時、その意味がやっと分る。

 待つと云う事、堪えると云う事、それは修行である。
何をしても、どんなに焦っても、どんなにあがいても何も動かない時、人は自分自身を見詰めざるを得なくなる。
最初は怒ったり、悲しんだり、苦しんだり、感情が揺れ動く。
が、時間と共に自らを顧みざるを得なくなる。
そして、人は悟る。
と同時に、事は動き出す。

 人生は山もあれば谷もある。
光もあれば陰もある。
そのどちらもが、人が幸せになる為に必要な事である。
正邪、善悪、光と影、、、、、、、。
人は二つを比べて考えたがる。
が、世界は二元論で成り立っていない。
中葉、曖昧があってこそ、人生は豊かであり、世界は成り立っている。

 今、堪えるべき時にある人は、しっかりと堪えて下さい。
そうすれば、必ず、時が至れば事は進みます。
光が見えます。

花見

2006 - 04/04 [Tue] - 02:39

 今日、少し時間が空いたので近くにある桜並木の通りを散策して来た。

 ここの所、こみ入った相談を受けていて、やはり疲れが溜って来ていたので、息抜き。
とは云え、今日は凄く風が強く、花吹雪が綺麗と云うよりも、飛び交っていた。(笑)

 花見もこれが最後だろうかと思ったが、まだ満開になっていない木も多く、まだ暫くは楽しめそうだと感じて、ブラブラ。
近くとは云え、歩いてみると知らない所が沢山あって、疲れもしたが良い息抜きになった。
自然を感じると云うのは、やはりパワーを貰える。
俗界の小さな事に囚われると、私の様な仕事をしている者は広い視野でモノが見えなくなり、柔軟な発想もなくなって来る。
地に足をつける事は大切だが、囚われると云う事は己を殺して仕舞うと改めて感じた。

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 そして、とても小さな骨董屋と云うか古物屋を見つけた。
近くにこんな店があるとは。
中に入ると、この手のお店には珍しく、嫌な臭いを感じなかった。
大体、骨董や古物は誰かが手放したモノで、因縁がありそうなものだが。
この店は気持ちが良かった。

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 戻って、ウェブをウォッチングしていたら、最高なHPを発見し、幸せな気分を味わっていた。
極真連合会の千葉手塚道場に所属していると云う小さな女の子のページなのだが、これがとても可愛い。
思わず笑って仕舞う程で、型をやっている映像がアップされているのだが、これが驚く程に立派で可愛いし、拍手してあげたくなった。
私は極真とはあちこちの派閥や先生方とお付き合いさせて戴いているが、残念ながら手塚先生とは面識がない。
が、この女の子を見ていると、きっと素晴しい先生なのだろうと思った。
ちなみに、URLは、http://kyokusinkids.com/です。
ブログもあるようで、こちらも中々。
こちらのURLは、http://blog.goo.ne.jp/kyokusinkidsです。


最も信ずべき相手

2006 - 04/03 [Mon] - 02:59

 最近、少しこみ行った仕事の話が続いている。

 話を聞いていて思うのだが、仕事をして行く上で最も大切なのは、人と人の相互理解と信頼関係である。
よくある事だが、何か人が新しい仕事をしようとしたり、上手い話が進んでいる時、善かれと思っての事だが、ヨコからアドバイスをする人がいる。
それはそれでとても有り難い事だと思う。
が、そのアドバイスを重要視する余りに、実際に自分と共に動く人に対する配慮や信頼が薄れて仕舞ったら、それは大問題である。

 ヨコからアドバイスする人は、実際に自分と一緒に汗を流して動いている人ではないし、一般論としての言葉しか言わないだろうし、また全てを把握してモノを言っている訳ではない。
また、職種に依っても考え方もセオリーも違う。
そこを重要視し過ぎるのは問題だし、それは実働している人間同士の相互理解や信頼関係を壊して仕舞う可能性も大きい。

 最も信ずべき相手、最優先で考えるべき相手は、一緒に汗を流している仲間であり、自分の代わりに実働してくれている相手である。
それを忘れたら、全てが御破算となる。

 感謝すべき相手は誰か、忘れてはならない。

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プロフィール

島津 成晃

Author:島津 成晃
Adept・Mentor 島津相談室主宰
人生のあらゆる問題の相談に乗って来ました。
元気になって希望を持って帰って戴く事が私の願いです。
スピリチュアルな目と、冷静な分析で御相談に乗ります。
御相談はHPの方からお願いします


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