感じたり思った事を書いて行きます。 時には秘伝などを書く事も。 空手や色々な趣味の話も。

  Adept・Mentor 島津成晃の独り言のナビゲーター   トップページ > 2006年03月  

年度末

2006 - 03/31 [Fri] - 01:43

 年度末になって相談者に次々と変化が起き始めている。

 副社長から直々に名指しで褒められた人、止まっていた仕事が急に動き始めた人、国家試験の合格発表を貰った人、突然降って湧いた様に仕事に入った人、大切な人を亡くして新たな生活を考えざるを得なくなった人、大きな病にかかって治療に専念せねばならぬ人、大切なものを見失って人の縁を失って行く人、新たな縁を得て行く人・・・。

 本当に年度末とは云え、今年の年度末は私の周囲ではまるで台風が起きている感がある。
登る人、降りる人、飛ぶ人、落ちる人・・・。
人生とはその場その場の選択によって決まる必然であると思うが、動きは突然に始まる。
徐々に動くと云う事が、実は少ない。
いや、動いているのだがそれが見えない。
そして見えた時、それは突然始まったかの様に、急激に大きく動き出す。

 修行でも、学問でも、やればやっただけ、それに伴ってレベルアップすると云う事はあり得ない。
全然レベルが上っていないと感じる時がずっと続き、ある日、突然にレベルが上っている事に気づく。
病が治る時も同様である。
ミクロの世界では徐々に治っているのだが、あるレベルを越えるまでは治ったと感じない。
ある日、突然に治っている事に気づく。

 それは驚きであると共に、ショックである人も多いと思う。
が、全ては自分が選んで来た結果である。
未来は自らの手で選び、招く。
無駄に思える事、無用に思える事に、実は大きな宝が眠っている事が多い。
固執せず、広い視野と、大きな懐を持って、毎日を大切にして行きたいものだ。

スポンサーサイト

20年

2006 - 03/29 [Wed] - 01:27

 今日、20周年を期して、「20周年を迎えて」と云うタイトルで対談をアップしました。

 私が仕事を始めてから20年。
思えば、早くもあり長くもある年月でした。
本当に色々な人に出会い、様々な相談にのり、とても貴重な体験を沢山させて貰って来ました。
また、相談者とお会いする事で、指導する立場でありながら、私が学ばせて貰った事も物凄く沢山あり、何も知らなかった私も少しは大人になれたかな?と思っています。
まさに、相談者によって、仕事を通じて、成長させて戴いて来たと思います。

 楽な仕事ではありません。
が、私はこの仕事を辞めたいと思った事は一度もありません。
それは、やはり天から与えられた天職であると胸を張って云える確信を持っているからであり、また相談者の人生の裏まで見させて貰って、私自身の修行であり、また成長への糧となっている仕事でもあるからです。
これほど、有り難く、また楽しい仕事はありません。
苦しく、暗い顔をして来られた相談者が、帰る時は明るく元気一杯で帰って行く姿を見た時、相談に来られて暫く日数が経った後に「先生、仰った通りにして、全て上手く行きました」と報告が来た時、無上の喜びを感じる事が出来ます。
この仕事は私にとって、仕事であると同時に、修行であり、生きる道筋であり、私そのものです。

 対談では、昔からのメンバーに参加して貰って色々な話をしています。
例によって話が暴走したり飛んだりしています。(笑)
暫く続きますので、楽しんでお読み下さい。

スイッチ

2006 - 03/28 [Tue] - 02:04

 今日、仕事に必要な印刷紙やインクジェットのインクを買いに出かけたのだが、途中で仕事の電話が入った。
その後、喫茶店で珈琲を飲みながら妻と話していたのだが、当然、その話はかかって来た電話の話になった。
そうすると妻曰く、オーラが変るのだそうだ。
仕事の話を始めた途端に私の顔つきが変り、身体から出るオーラや身体の大きさまで変ると云う。
自分自身ではあまり意識していないが、確かに仕事モードに一瞬にして変る事は確かだろうと思う。
習慣になっているのだが、電話がかかって来て出なければならない時、それまでグッスリと眠っていても頭は一瞬で覚めて仕舞う。
が、困った事に身体が覚めてくれないので、頭では答えるべき事は分っているし、霊視も出来ているのに、口が回らない事がある。(苦笑)
リラックスして、霊的な能力のレベルを下げていても、仕事の話や強い霊気を感じると一瞬でモードが変り、スイッチが入って仕舞う。
道を歩いていても、何か危険を感じると無意識に構えて仕舞うのは、長年の空手修行の故か。(苦笑)

 そう云えば、昔、私が教わっていた空手の師範が普段はとても穏やかな人なのに、道着を着た途端に身体から妖気が漂う様に見え、身体も倍の大きさになった様に感じた事は何度もある。
また、阿闍梨の修行を拝見する時、護摩を焚くその姿がとても大きく、迫力があったのに、壇から降りて歩く姿は、背の小さな細身であった事もあった。

 人はスイッチの切替えにより、オーラや気の状態が変る。
それは、身体の大きさや迫力まで変えて仕舞うのだろう。
私も少しは先人達に近づけたと云う事だろうか。
プロ意識と云うものが、そうさせるのだろうと思う。

自分らしく

2006 - 03/24 [Fri] - 01:46

 人は、いつも周囲の環境や人に合せて生きようとする。
日本ではそれが良い事だと云われ、和を大切にし、自分を殺して生きよと教える。
だが、そこに苦痛を感じる人もいる。
人に合わせようとする事で、損をしたり、辛い目にあったり、嫌な思いをしたりする事は良くある事だが、そうする事でどうしようもなく心が荒んで仕舞ったり、萎縮したりする人もいる。
だから、そう云う人は社会から隔絶しようと引きこもったり、逆にアウトローを気取って我儘を装ったりする。

 昔、六本木ジプシー等と呼ばれて多くのホステス達や水商売の人達の相談に乗っていた時、自分を抑えてスンナリとその世界に溶け込んでいる人は相談に来なかった。
私の所へ相談に来る人達は、その場しか考えていない薄っぺらないわゆる水商売の人か、色々な思いを抱えながら必死で生きている人のどちらかだった。
一生懸命に仕事をしながら、心にはそう云う自分に対しての不満と不安があり、だから悪ぶってアウトローを気取っていた。
しかし、一度心を開くととても感性豊かな、ナイーブで優しい人達だった。
表面だけを見ていたら、ただのヤンチャでしかないし、とても普通につき合えるとは思えない様な暴れん坊なのだが、心の中はいつも寂しく、疲れていた。

 そう云う人と話す時、いつも「もっと素直になれ」と良く云ったものだ。
自分には嘘はつけない。
幾ら悪ぶっても、それが真の姿ではない事は自分が一番知っている。
また、人と合わして生きると云う道を選ぶのもその人にとっては大きなストレスであり、苦しい事であるなら、無理して合わす必要もない、と良く云っていた。

 人は素直に、特に自分の心に素直に生きれば良いのだと思う。
それで人に迷惑がかかるなら兎も角、そうでないなら無理をする必要はない。
こうあらねばならない、と云う形も、時には必要だし、そうやって人は強くなるのだと思う。
が、それに縛られて息が出来ない程に苦しいなら、違う生き方をすれば良い。
極端に走ってアウトローを気取る事も、いつまでも続くものではない。
そうしていなければいられない環境や人から離れれば良い。
そうすれば、素直な自分でいられるだろう。

 我儘は決して悪い事ではない。
自分があるがまま、全てを自分自身が受け入れ、そして良い意味で素直に生きる事だと思う。
心の平穏は、自分を認めて、自分に素直になる所から始まるのではないだろうか。

闘争心

2006 - 03/21 [Tue] - 02:19

 何かを目標にして進む時、最も大切なものは純粋な闘争心である。
闘争心と云えば、戦闘的であるとか、人に対して攻撃的であるとかと思われるかもしれないが、そうではなく純粋な願望達成の為の前進力である。

 思えば、私は若い頃、戦闘的であり攻撃的であった。
が、純粋な闘争心と云うものはなかった気がする。
やりたい事は沢山あったし、夢もあったのだが、何かが出来ても出来なくても、あまり悔しい思いも嬉しい思いもしなかった様に思う。
何故だろうか・・・。
と考えた時、あの頃は自分の中にある自分の力が見えていなかったのだと思う。
内在するパワーや、隠された潜在力、そう云うものに対する自覚がなかったのだ。
今はどうかと云うと、闘争心はとても強い。
絶対に諦めない、どんな場合でも前を向いていたいと云う気持ちは誰よりも強い。
何故なら、自分の持つパワーや潜在力や、培った知恵や力に確信と誇りを持っているからである。
こんな事が出来ない筈がない、いつかは必ず出来る、実現すると確信を持って信じている。

 そして、そうなって来た過程の中で、攻撃性や戦闘的な部分は陰を潜めて来た。
不思議なものだ。
内在されていた闘争心が、形を変えて表現されていたのかもしれない。

 最近、相談を受けていて、悩みや苦しみの中にいる人の中に、闘争心の欠けた人がとても多い事に気づく。
自らの未来は自分で切り開き、つかむしかない。
なのに、言い訳の最良を探し、何かに自分の不幸の責任転嫁をし、自分が行動しない事に屁理屈をつけて言い逃れる。
私から見れば甘えでしかない。
覚悟もない。
それでは、自身もいつまで経ってもその中から抜け出せないし、周囲もそんな雰囲気を撒き散らせては迷惑でしかない。

 攻める心、リスクを怖れぬ覚悟、諦めない気持ち、そう云う純粋な闘争心を持たなければ、夢は実現しないし、近づかないし、迷いから抜け出せない。

人間の欲望

2006 - 03/18 [Sat] - 02:14

 人は生きている以上、必ず欲と云うものがある。
根源的な欲望である食欲、睡眠欲、性欲、排泄欲。
そして、人としての欲望である金銭欲、名誉欲。

 そう云う欲望を抑制し、押し隠し、そして最終的には無くして行く事が修行であり、悟りであると思う人が多い。
また、世界中の宗教がそう云っている様に思えるかもしれないし、現実にそう云う教えを初歩段階ではしている。

 確かに、人は欲望に打ち勝つには大変な努力を必要とする。
それだけ人間は弱いものである。
だから、ついそう云う欲望に執着して仕舞う。
修行を始めた時、欲望は修行の邪魔であり、抑制する必要があるし、そうする事で自身の中に克己心が生れ、執着から離れて行くと云う事は確かである。

 が、深く学んで行き、修行して行くと、どんな宗教も欲望を棄てろとは云っていないのだと云う事が分る。
一時期、確かにそう云う抑制は必要である。
心を強くする為、克己心を養う為、また執着から離れる為。
が、それでも根源的な欲望、人としての欲望が消える事などあり得ない。

 ではどうするのか?
欲望は消す必要はないのである。
そうではなく、方向を変えれば良いのだ。
お金儲けをする。
その事自体が悪い等と宗教は云っていない。
お金が目的の仕事をしてはいけないと云っているのだ。
大金を稼いだら、それをどう使うか、そこを意識しなさいと云っている。

 どんなものでも同じであり、物事は循環している。
止まって仕舞うのが一番いけないし、一方的であるのが一番いけない。
偉くなったら、得た権力と力で誰かの為にそれを使ってあげれば良い。
お金を稼いだら、それでモノを買い、売る人に利益を与えてあげれば良い。
食べたくなったら、しっかりと感謝しながら食べれば良い。
愛したくなったら、本気で愛してあげれば良い。

 執着し、失う事を怖れてギスギスして仕舞う事がいけないのだ。
また、得る事だけを考えて、得た後の事を考えないのがいけないのだ。

 欲望に素直になれば良いと思う。
それも自分自身である。
ただ、人は一人で生きている訳ではないし、循環してこそ健康的である、自然である。
何をしても良いと云う事ではない。
いつも人を思い遣り、相互関係の中で自分は生かされている事を意識して感謝しなければいけない。
その前提に立てば、自分の中にある欲を否定する必要はない。

 宗教とはそんなにせせこましい、小さなものではない。
もっとダイナミックであり、大らかなものだ。
自己否定はしてはいけない。
肯定し、そこから始めれば良い。
良い方向へ変れば良いのだ。
否定する必要はない。

正論

2006 - 03/15 [Wed] - 01:50

 最近、何組かの夫婦仲の問題、子育ての問題、人付き合いの問題の事での相談があった。
その相談を聞いている時に思うのだが、皆さん、理屈は通っている。
こうあるべきだ、これが正しい、これが間違い。
が、良く聞いていると、段々と疑問を感じて来て仕舞う。
その人の持つ頑なさと視野の狭さ、自分の価値観を相手に押し付けようとする意識・・・・・等々。
云っている事は全て正論である事は間違いない。
が、そこに相手に対する配慮や、相手の持つ立場や価値観を無視する傲慢さと無神経さが感じられる。
聞いていると、人事ながら段々と腹が立つ場合すらある。
後で母や妻と話していて、「あの言い方じゃ、私でもキレるかもしれないな。」等と云って仕舞う場合もある。

 人は互いである。
それぞれ生き方も違えば、立場も違い、それは一瞬一瞬で変る。
自分の持つ価値観や視野で決め付けては、敵を作るばかりであり、味方をなくす事に繋がる。
正論は結構だが、正論がいつも正しい訳ではない。
人間には妥協や余裕と云うものが必要である。
正論は時として、その余裕を奪う。
そして、正論だと思っている、思い込んでいる事が、実は間違っていると云う事は実に多い。

 大きな人、大きな心と云うものは、懐の深さであり、余裕である。
清濁併せ呑み、適度に曖昧さを保つ事が出来てこそ、人は良い関係を作り上げられる。
人間は機械ではない。
正論だけで生きて行けるのは、機械だけである。

Fー1開幕

2006 - 03/13 [Mon] - 02:14

 今日、テレビでF-1の開幕戦が放映されていた。
また、シーズンが始まったと思うと何だかワクワクする。
私の自動車好きは知る人ぞ知るのだが、私も昔、少しだけレースをやった事がある程、自動車が好きである。
運転する事も好きなら、車を見ている事も好きだし、手入れする事も好き。

 スーパーアグリをはじめ、HONDAやTOYOTA,そしてFerrari、BENZにBMW・・・・。
多くのチームが技術と想いの集大成としてのレース。
勝っても負けても、そこにかける姿が感動を与えてくれる。

 特に、Ferrariのミハエル・シューマッハには毎回、驚きと感動を覚える。
マシンと云って良い程に正確無比なドライブテクニック、最後まで諦めず徹底して責め続ける強さ、そして何よりも結果の如何に関わらずレース後のスッキリとした、そしてサッパリとした笑顔に、この選手の素晴しさと恐ろしさを感じる。
力を出し切った者だけが見せる事の出来る顔か?
それとも演技なのか?
そう思って見ていたが、私も人を見るプロである。
何度も見ている内に、彼のレース後の顔が真実であると分って来た。
あれがプロフェッショナルと云うのだろう。
私もそうありたいものだ思う。

 これからのFー1シーズン、毎レースが楽しみである。

20周年に向けて

2006 - 03/12 [Sun] - 02:16

 今日、20年も前から通って来ている二人を交えて、私と母と妻との5人で対談をした。
思えば、長くもあり、早くもあった20年だった。
霊能者として仕事を始め、その仕事のジャンルがどんどんと広がり、霊能者と云う肩書きが邪魔になったり、また戻したりと、私も迷いながら試行錯誤しながらやって来た。
企業や極真空手の様に、ブランドの名前で仕事をして来た訳ではない。
私一人の力で(勿論、母や弟子達や妻の支えがあっての事だが)島津成晃と云う一枚看板で地盤を作り、人脈を広げて信用を得て来た。
本当に色々な事があったなと、対談していて思い出していた。

 久々のリラックスした時間が持てた様に思う。
また、昔を思い出し、原点に還ろうと思っている。
4月からの新しい年度を20周年として、新たな気持ちでスタートしたいと思っている。

 この対談はこれからテープ起し、文章化します。
「霊能者と仲間達」にアップする時は改めてお知らせしますので、楽しみにお待ち下さい。

洗い出し

2006 - 03/11 [Sat] - 02:47

 今日、妻に云われたのだが、私は存在そのものが周囲に嵐を巻き起こすのだそうだ。
私が関わる人や組織に、どこでも誰でもが持っている小さな問題が次々と吹き出し、それが大事に発展して行くのだそうだ。

確かに、それは私も意識している。
私は本来は祓いが最も得意であり、誰にも負けないと自負している。
次に成仏法であり、招運であったり、霊視であったりと、何でもやるが、本当に強いのは祓いであり、第2に成仏法である。

だから、私と出会うと多かれ少なかれ洗い出しと云う現象が起きる。
今まで隠れていた問題、膿が吹き出して来る。
そして、それをちゃんと乗り越えると本当の開運や変化が訪れる。
だが、その洗い出しの中、そこにきちんと向き合わずに逃げの姿勢や誤魔化しで乗り切ろうとすると、その問題がどんどんと大きくなって行き、抜き差しならなくなって仕舞う。
それを横で見ていて、妻は嵐が起きると思うらしい。(笑)

特に私が何をする訳ではなく、まぁ時には「あの会社、潰してやる」とか云う事もあるが(笑)、それは余程の事であって、社会正義上で許せないと感じた時だけなのだが、普段はいたって普通であり、特に波紋を起してやろうと思っている訳ではない。
が、起きて仕舞う。(苦笑)

 妻曰く、「腹に一物あったり、逃げ根性がある人は、大事になる」のだそうだ。
また「横で見ていると大変。ハラハラする。」そうだ。
が、これは嘘である。
結構、妻が楽しんでいるのが分る。(笑)
ま、私もそれで良いと思うし、起きるものは仕方ない。
結果、それを正面から真正直に受け止めてくれさえすれば、きっと良い流れが出来て良くなって行くと思うのに、逃げよう、誤魔化して乗り切ろうとする人が多いのは悲しいと云うよりも哀れである。
裸の王様になって行くのが自分で分らないのだろう。

 嵐を起す男ならぬ、嵐を起す霊能者か、それも一興である。(笑)

憧れ

2006 - 03/08 [Wed] - 02:32

 今日、Fー1で活躍し、今年はあの鈴木阿久里氏が率いる新たなチームでスタートする佐藤琢磨氏のインタビューが放映されていた。
たまたま見ていたのだが、彼の子供の頃からの憧れが形となり現在があるのだが、そこに至るまでの彼の努力と、憧れを持ち続けた姿に、ある種の感動と共感を持つ事が出来た気がする。

 人は誰でも、心の底に憧れを持っている時代と云うものがある。
それは子供の頃、何かを見て持つものだろうと思う。
人であったり、モノであったり、生き方だったり、人それぞれなのだが、大人になるに連れてその憧れを捨てて行く人がとても多いと思う。
現実は厳しい。
憧れは夢であり、夢は実現するものだが、現実は夢を棄てろと云って来る。
その中で憧れを持ち続け、夢を持ち続ける事が出来る人は、物凄く幸運か、またはとても強い人だと思う。
まして、その憧れや夢を実現する事が出来た人は、とてつもない強運の持主であり、同時に大変な努力家であると思う。
スポーツ選手しかり、芸能人しかり、他にも色々な職業の人がいると思うし、生き方にも色々あると思う。

スポーツ選手等はその結果だけで評価されたり批判されたりする。
他の職業や生き方をしている人も、他人の勝手な思いで評価したり批判したりする。
が、自分の憧れや夢を実現しているその姿だけで、私は尊敬に値すると思っている。
人がとやかく云うのは簡単だ。
だが、そこに至るまでのその人の歩んで来た道筋を思う時、それは感動となる。
軽々しく勝手な事を云うべきではない。

 思えば私も好きな事や憧れが沢山あったと思う。
それを一つ一つ、好きなようにやって来たと思うし、また努力もして来た。
結果はどうあれ、やって来れた事自体が私の誇りでもあり、またそうさせてくれた事に対して感謝である。
憧れは、夢は持ち続けていたい。
子供の時代の純粋な気持ちを忘れない事が、人生を豊かにする。
楽しい事は楽しいのだ。
現実は、頑張れば、時間をかければ必ず打ち破れる。
だから、夢のある人生を送りたいし、送って欲しいと思う。

母の想い

2006 - 03/06 [Mon] - 02:48

 今日、暫く前から相談を受けていた除霊を行った。
ある家にいた女性の霊が、そこを訪れた女性の子供を自分の子と思って追いかけ、それを邪魔する母、父、そしてその友人達や義母にまで姿を現して訴えていたらしい。
相談を受けた私の所にもやって来た。
友人曰く、「島津先生の所へ行くなんて、凄いチャレンジャーの霊」だそうだ。(笑)

 始めてみて、とても切ない気持ちになった。
その霊は曾てその土地に住んでいて、火事で親子共々亡くなっている。
子は、どうやらすぐに成仏したらしい。
が、母親はずっとそこに留まり、子を探し続けていた様だ。
それ故、今回の事も、霊としては大した強さもないのに、やたらとしつこい感じのする霊だった。
何だか哀れであり、しかし、生きて居る人間にとっては迷惑である事も確かであり、真言と経を詠んで成仏させてあげた。
きっとあの世で、亡くなった自分の子と出会っているだろう。
そう願いたい。

 親の想い、それは永遠のものだ。
例え迷惑であったとしても、それを無碍に切り捨てる事は出来ない。
だからこそ、憑いた霊も、憑かれた人も、両方幸せになる様にしてあげたいと思った。
心から幸せを祈りたいと思う。

オイル交換

2006 - 03/03 [Fri] - 02:26

 今日、近くにあるAUTOTECHで愛車BENZ190Eのオイル交換とオイルエレメントの交換をして来た。
それまで、油圧も下がらず、特に調子が悪い訳ではなかったのだが、乗る機会が少ないのと走行距離がそれ程ではないのでついおざなりにして仕舞っていたのだが、ずっと気になっていた。
今日こそはと思い、出かけてやって貰って走らせたら、驚きであった。
エンジンは静かになり、更に調子がアップして、とても運転し易くなった。
手入れと云うものが大切である事は常々意識しているのだが、やはり毎回、新鮮な気持ちになる。

 昨日の夜、ふと思い立ってと云う訳ではないが、とても空気が重い気がして、真夜中に経を詠み、祓いをした。
こんな仕事をしているから、やはり徐々にだが、相談者の想いや因縁や悪い波動が溜って行くと思う。
意識しているつもりでも、忙しさの中におざなりにする事は避けられない。
が、終って、やはり空気もスッキリし、呼吸も身体も楽になった。

 自分の状態を把握して置く事はとても大切。
意識していても気づかない程の変化は見逃し勝ちだが、小さな変化を大切にしておくといつも良い状態を保つ事が出来る。
これ位と思わないで、面倒臭がらずに、対処した方が良いと思い、反省した昨日と今日である。

 | HOME | 

プロフィール

島津 成晃

Author:島津 成晃
Adept・Mentor 島津相談室主宰
人生のあらゆる問題の相談に乗って来ました。
元気になって希望を持って帰って戴く事が私の願いです。
スピリチュアルな目と、冷静な分析で御相談に乗ります。
御相談はHPの方からお願いします


関連ブログです。
Adept・Mentor 島津成晃の独り言
Mentor 島津成晃の独り言

だんな様は霊能力者
だんな様はメンター
島津成晃の見つけた良い物
神ながらの道

最近の記事

カテゴリー

ブログ検索

twitter Facebook

adeptmentorをフォローしましょう Naruaki Shimazu

バナーを作成 Instagram

フォト蔵

本コンテンツをご覧になるには、Flash Playerプラグインが必要です。FlashのWebサイトよりインストールしてください。

月別アーカイブ

リンク

RSSフィード

QRコード

QR