感じたり思った事を書いて行きます。 時には秘伝などを書く事も。 空手や色々な趣味の話も。

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修行は日常の中にこそあり、運を上げたければ、まず家の片づけから。

2016 - 12/02 [Fri] - 01:50

 昨日の伝授もいつも通り深い伝授になりました。
内弟子にとって修行は日常と共にあります。
それは、瀧に入ったりと云う肉体を使った荒行だけではなく、日常の生活の中に自分を見詰め、常に禊ぎ、浄化して魂の昇華を目指すと云う事です。
神に祈るのは、願うのではなく、己の中にある神性を高め、神と同調して行く事が出来る様になって、そこからがスタートラインです。
自分自身の中にある神性、仏性を見出し、それを徹底して高めて行く事。
過去を振り返ってトラウマ等を解消して行く内観法とは異ります。
入我我入、神人合一が第一歩。
そこから先が本当の修行です。
ですから、一日24時間、常に己の心を検証し、神仏の意識を常に意識しながら生きる事。
一切の穢れを排除し、下賎なものから己を遠ざける事。
何気ない様に見えますが、相当厳しい修行です。
そんな内容の伝授を行ないました。

また、この地域の氏神の境内に穢れあるもの、心悪しきものが存在している事が解りました。
早速、大きな禊をかけ、本日の神の御縁日でも最高最大限のパワーで禊を行ないました。
愚かさ、迷い、穢れは、気付きの一つの機会でもあります。
全てを排除する必要はありませんが、貴重な機会を無視し、愚かな意識で穢れを広げて仕舞う事は、特に神の座する場所では許されない事です。

 無意識の習慣の中に穢れの因はあります。
片づけられない、家の中が整理整頓されていないのは、自ら穢れを溜めている事になります。
埃も溜まって仕舞いますし、同時に穢れがそこに集って仕舞います。
運を上げたければ、まず家の中の片づけから初めてみましょう。
カオスの様な家の中で住む事が出来る精神状態そのものが、大きな穢れでもあります。
穢れは穢れしか呼びません。
程度問題と云うのはありますが、上手いとか下手とかではなく、人が心地良く過せる空間作りは心も身体も癒し、穢れを排除し、運気も上げてくれます。

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修行は何の為にするか、必要な人も不要な人もいますが

2016 - 10/01 [Sat] - 02:19

 能力者の中には全くと云って良いほど修行をされていない方も多くおられます。
そう云う方は本当に特別な方なのでしょうね。
人間である以上、妄想も出れば、固定観念もあり、既成概念もあり、体調も精神状態も良い時もあれば悪い時もあります。
ですから、我々は修行して身体を鍛え、心を鍛えて、本当に感じるものと妄想との区別を明確に判別出来る様に心がけます。
修行によって固定観念や既成概念から脱却して、本当の意味でフラットな意識で感じる事が出来る様になる事を大切に思っています。
体調に引っ張られて精神の状態も良くなったり悪くなったりします。
ですから、身体と共に心も鍛えます。
その為に空手も大変に有効です。
相手との心理的物理的距離感を意識し、心が乱されない様になる訓練として。
辛い稽古に耐えて行く中で、逃げない事、心が負けない事、自分自身に勝つと云う事を学んで行きます。

普通に生きて普通に生活して行く事、それ自体が人としての修行だと思います。
我々がやる特別な修行は心と身体を追い込んで行きますが、日常の生活の中にある修行の方が遙かに厳しいと思います。
それでもそう云う修行を何故するかと云うと、非日常の中に身を置いて、意識して自分自身を鍛え強くして行く為です。
どんな場合も動揺せず不動の精神を保つ事が出来る事を目指しています。
ただ感じれば、見えれば、聞こえれば良いと云うものではありません。
冷静な判断と洞察力がなければ、問題の根本的な解決は不可能であり、単なる対症療法でしかなくなって仕舞います。
感覚の鋭い人はエキセントリックな方が多いですが、それが色々な影響を受けて感情が乱れ、思考が乱れて仕舞うからです。
一般社会で生きる以上、そう云う点もコントロールして行かねばなりません。
感情があるのは人間の豊かさに繋がりますが、暴走して仕舞うと自分自身も周囲の人にも良くない事が起きて仕舞います。
修行が必要な人も必要ない人もいます。
不要な人が無理してやる必要もありませんし、不要な人が無理してやると却って良くない場合もあります。

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内弟子の瀧修行が無事に終了して一安心

2016 - 09/17 [Sat] - 02:51

 今日、内弟子の女性が栃木の出流山へ瀧修行へ行きました。
本当に修行しようと思ったら、初心の頃は指導者がいないと危険ですが、ある程度の段階になったら同行者がいない一人での瀧修行が一番良いです。
同行者に気を遣う必要がないですし、一人ですから誰も助けてくれませんから、真剣にならざるを得なくなります。
誰かがいてくれると云う無意識の安心感が、心と身体の限界を越えるのを阻んで仕舞います。
生きるも死ぬも、越えるも越えないも全て自分次第。
何でもそうですが、限界に挑戦すると云う事はそう云う事かもしれないですね。

無事に行って修行を終えて帰って来て、いつも通り出流蕎麦をお土産に持って来てくれました。
お土産よりも何よりも、無事に帰って来た事で一安心しました。
行きも帰りも一人ですから、彼女の愛車を駆って栃木まで往復するので、特に帰りは疲労しているでしょうから事故がない様に祈っていましたが、顔を見て安心しました。
私も若い時はさんざんやりましたが、弟子の事となるとやはり心配して仕舞いますね。
修行は行って帰って来るまでが修行。
無事にやり終えた事で、完全に出し切った顔をしていました。
今晩は疲労困憊して爆睡でしょう。
いつも頑張っている彼女なので、いつも疲れ切っていますが(笑)
溜まった被りも邪気も全て抜け落ちた感じでした。

瀧の状態も悪くなかった様でしたが、やはり瀧に通じる道は中々シュールな感じだった様です。
水量もかなり多く、水が叩きつける様に落ちて来るのを味わったでしょう。
詳しい報告は明日の御縁日にまた来るそうなので、その時に。

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明日の瀧修行は仏様にお任せして

2016 - 08/22 [Mon] - 02:51

 明日から栃木県で瀧修行の予定ですが、台風が直撃でやって来る可能性が高い様です。
お山の事でもあり、道が川になったり、土砂崩れも考えられます。
弟子達に確認しましたが、皆中止する気はなく、予定通り決行と云う意志で揺らぎがないので、細心の注意を払いながら予定通り修行に行って来ます。
自然災害は気合いだけでは避ける事が出来ませんから、絶対に事故にならない様に気をつけて行って来ます。
チャレンジと無謀は違いますからね。
参加される方々も忙しい中を予定を繰り合せて来られるので、あくまでも本人の意思に任せて、無理のない様にしたいと思います。
水量も物凄い量になっていると思います。
瀧だけを考えると最高の修行の条件ですが。
とグルグルと考えが回って仕舞います。
が、色々考えても仕方ないので、どうするか、どうなるかは現地まで出かけてその時に結論を出すと云う事で、観音霊場でもありますし、仏様にお任せして出かけようと思います。


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内弟子の瀧修行の報告

2016 - 07/15 [Fri] - 01:44

 先程、夜11過ぎに内弟子の女性が、もう一人の内弟子と行なった瀧修行の報告にやって来てくれました。
栃木県の出流観音万願寺と云うお寺の山にある瀧で修行をして来たのですが、ここは私が若い頃に毎日の様に通った所です。
本日は、内弟子二人と、いつも取材して下さる漫画家さん、編集者の方も入られた様です。
撮影したビデオを見させて貰いましたが、良い感じで修行して来た様です。
漫画家さんも編集者さんも、修行後の顔はスッキリしていて、初体験としては上出来だったと思います。
ビデオを見ていると、初体験のお二人の時は水の量が明らかに少なく、内弟子達が入る時は盛大に水が落ちて来ていました。
瀧が入る人によって加減している(笑)と。
瀧修行後、恒例のお蕎麦を食べて、お風呂に入って身体を温め、それから帰って来た様です。
途中、漫画家さんの御主人のやっているレストランにもお邪魔して、そこで別れた様でしたが、内弟子二人にとっては長い一日でしたね。
瀧修行を指導して人に修行させるのは、実はかなりの疲労を伴います。
長い時間、神経を張りつめてなければなりませんし、ずっと瀧の側にいて入っている人を見守り、時に気を入れたり、念を送ったりしています。
瀧の側は、落ちて来る水の勢いで風が巻き起こっていて、入っている時よりも側にいる時の方が身体が冷えて仕舞います。
内弟子二人も頑張ってやって来て、疲れたと思います。
御苦労様でした。
映像を見ていて思いましたが、彼等も成長しましたね。
余計な不安感を持たないで見ていられました。

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内弟子の瀧修行、無事に帰って来て一安心

2016 - 07/04 [Mon] - 03:39

 私は、瀧修行などは元来独りで行なうものと思っていました。
しかし、瀧は限度を越えて入って仕舞う事があり、時には気を失って瀧壺に浮いて仕舞ったりする事もあります。
ですから、弟子達には複数の人数で行く様に指示してありました。
複数で修行に出かけると、何かあった時の安心感に繋がります。
それが良い時と悪い場合もあります。
人がいれば、当然ですが少しは気を遣います。
独りだけ長く入っている訳にも行かないですし、見ている人がいればやはり視線が気にならないとは言い切れません。
独りで修行を行なうと、限界を越えた時、命に危険が及ぶ事もあります。
修行者と云うものは、いざ修行と覚悟して仕舞えば、後先考えず命を賭して仕舞う所がありますから、一つ間違うと本当に命に関わります。
それでもやって仕舞うのが修行者と云う人種です。
私も若い時、瀧壺に何度か浮いて仕舞った事があります。
気がついた時、無意識にでしょうが、水辺の方に這い上がっていた事も。
定に入ると云いますが、長く瀧に打たれていると、感覚が麻痺して恍惚とした状態になって仕舞って、気付かない内に限界を越えて仕舞う事があります。
そこまでやり切れるのが独り修行の良さでもあります。
が、やはり相当の修行を積み、力もつけ、神仏の加護も得た者だけが許されるものでもありますね。
生兵法や身の程知らずは、掛け値なしに命を落として仕舞います。

今日、独り修行に出かけた女性は、普通の修行の段階を越え、極限と向き合う段階に来たと云う事で、許可しました。
いざと云う時の覚悟は本人も師である私も出来ています。
ここから、彼女も本物への道が開いて行くでしょうね。
スタートラインに立てた事は喜ばしく、また無事に何事もなく帰って来たのは良かったです。


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祈りも修行も、家を出てから帰り着くまで気を抜かない様に

2016 - 06/26 [Sun] - 02:57

 修行と云うと、修行をしている間だけが修行の時間だと思って、修行そのものが終ったらつい気を抜いて仕舞う事があります。
特に身体を痛めつける荒行では、その荒行の時間が終ったら、フッと気が抜けて仕舞い勝ちです。
でも、その気を抜いた時間がとっても危険です。
修行をやる前なら、まだ緊張感がありますが、終った後の時間は最も危険な時間です。
荒行を終えて、終ったと思ってフッと気を抜いた時、心も身体もオープンになっているのでガードが緩んで仕舞います。
そう云う時に憑依や突然の被りがやって来る事があります。
魔が差すと云いますが、荒行直後の時間が一番魔が差し易い時です。
修行は、家を出る時から、家に帰って来る迄が修行の時間です。
途中で何があっても、気を抜いてはいけません。
荒行は特に危険です。
神社や仏閣にお参りに行く時でも、お参りをした後、緊張感が緩んで仕舞う時が一番危険。
お参りも立派な修行です。
また、色々な人がお参りにやって来ています。
中には目に見えない存在も来ています。
大抵は、お願い事をしにお参りに来ていて、また中には悪い因縁や穢れを落とす為に来ています。
そんな落しものを拾って仕舞ったら、大被りして仕舞います。
特に逢う魔が時と云われる夕方、日没前後は危険な時間です。

修行もお参りも、家を出てから帰り着くまで絶対に気を抜かない様にしたいですね。


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瀧修行の検証

2016 - 06/25 [Sat] - 03:27

 先日、足柄の夕日の滝で行なった瀧行の時に撮って貰った動画の編集が終りました。
2台で撮影し、片方は寄り気味で、片方は引き気味で撮って貰いました。
両方の映像を編集で組み合わせて見易くしました。
と云っても、素人が撮って素人が編集しているので、決してクォリティは高くありません。
記念の為に撮った訳ではなく、あくまでも後で検証し、修行全体を見直したり、反省点を振り返り、また修業中に見える参加者それぞれの真の姿を見て検証する為です。

昔、もう20年程前でしょうか、同じ様に瀧修行の撮影をしようとしたら、記念撮影は止めて欲しいと瀧守の人に云われた事がありました。
遊び半分で瀧に来る人もいる様で、同じ様に思われたのでしょうね。
ですが、我々が瀧修行を終えて出て来た時、その人の態度は一変していました。
10数名で瀧行を行なったのですが、時間にして3時間以上かかり、その間ずっと不動真言を有らん限りの声を張り上げて詠んでいました。
撮影は、後で検証する為と云う説明はしませんでしたが、我々の修行に対する心が伝わったのかもしれないですね。

確かに軽い気持ちで瀧に来て入る人も多いと思います。
プチ修行やマスコミの番組で遊び半分にバラエティの企画として瀧修行をやってみたり、それらを否定はしませんが、真剣な命がけの修行とそう云うものとの違いは認識して欲しいなと思います。

同じものをどう云う視点で見るか、認識するか、それはその人の心のあり様でもありますね。
表面だけで見るか、そこにある目では見えない心を見るか。
昔からお伝えしている三つのみる(見る、視る、観る)を意識して、深く物事を見て行く事が出来れば、その本質が解って来ます。
そんな意識で瀧修行の検証も行ないたいと思います。

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今回の瀧修行を振り返ってみて

2016 - 06/21 [Tue] - 04:10

 瀧修行の写真や動画を整理編集しています。
が、カメラのセッティングが良くなかったせいもあり、中々苦労しています。
それでも、瀧修行の全容はしっかり写っていますので、撮影してくれた人達が頑張ってくれたお陰です。
三脚やアングルのセッティング等、事前の準備不足です。
また、瀧修行そのものも、滝の状態のせいもありますが、見ていて反省点は山ほどあります。
参加した皆さんに完璧な修行をさせてあげられなかったなと、申し訳なく思っています。
参加した皆さん、一部を除いては殆ど初心者の方々でしたから、それでも満足して貰えたと思いますが、あれでは瀧修行としては甚だ不完全に思えます。
私自身も滝に入って、やり切った感が全くありません。
どうにも消化不良ですね。

ま、兎に角、検証しなければならないので、頑張って整理編集します。
次回は、修行そのものも撮影の準備も完璧にやりたいですね。

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瀧修行。リハビリと浄化の瀧でした

2016 - 06/20 [Mon] - 10:31

 昨日、瀧行に行って来ました。
参加する皆より早い目に着いて、地形の確認をしたり、空気や雰囲気を確かめていました。
瀧のすぐ側に小さな祠があり、不動明王が祀られていましたが・・・。
その前で祈り、法螺を立てている人もおられましたが・・・。
そして皆が到着する直前、道場のI2段がやって来ました。
奥様と娘さん達も一緒で、久し振りに会えて嬉しかったです。
その後、皆が到着し、我々の前に瀧行に入っている団体があるので、ちょっと見学。
プチ修行体験としてはあれで良いのかなと云う気もしましたが・・・。
その団体が終って、我々の修行の始まり。
まず、念入りに浄化し結界を張りました。
落ちて来る水の状態は悪くないのですが、瀧壺や周囲が何とも宜しくないので、時間をかけました。

 今回の瀧はどちらかと云うと、パワーアップや精神統一の為と云うより、浄化の瀧でした。
我々が入ると、途端に水の量が増えたり、瀧が横へ逃げたり、見た目以上にきつかった様にも思います。
参加した女性陣は一回、男性陣と私は二度入りました。
終った後の皆の顔は完全に浄化されていて、とても良い顔をしていました。
まだ入りたそうでしたが、物足りない位で止めておかないと、限界を越えて仕舞います。
ま、概ね良い瀧だったのではないでしょうか。

が、私としては不完全燃焼な瀧でした。
整備が出来ておらず、行場としてはあまりにも不完全ですし、足場も大変悪くて、何より空気が乱れ過ぎています。
ま、久し振りのリハビリと思えば、良いかなと云う感じでしょうか。

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プロフィール

島津 成晃

Author:島津 成晃
Adept・Mentor 島津相談室主宰
人生のあらゆる問題の相談に乗って来ました。
元気になって希望を持って帰って戴く事が私の願いです。
スピリチュアルな目と、冷静な分析で御相談に乗ります。
御相談はHPの方からお願いします


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