感じたり思った事を書いて行きます。 時には秘伝などを書く事も。 空手や色々な趣味の話も。

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記憶に残る永遠のヒーローから学ぶ

2017 - 09/19 [Tue] - 04:49

 偶然見つけたジャイアント馬場さんのインタビュー、物凄く懐かしい気がしました。
一度だけ空港で見かけた事がありましたが、本当に背が高く、TVで拝見するよりも幅も広く、正に大男でした。
まるで壁の様に思えた記憶があります。
父がプロレスリングが好きで、力道山の時代から良く一緒に見ていました。
沢山のプロレスラーの方がおられましたし、今もおられますが、何故か私はジャイアント馬場さんが好きでした。
後年、バラエティ番組等にも出演される様になって、若い者達の無礼な言動にも笑っておられた姿、インタビューを見て改めて人間の器の大きさを認識させられました。
画面上では色々あるにしても、実際の所、馬場さんを信頼して外国人レスラー達がやって来ていたと云う事、本当に凄い方だったのですね。
生前のエピソードなど、色々と以前から聞いていましたが、亡くなられた時の喪失感は私の中でも大きかったと思います。
知り合いでも何でもないですが、好きな男性像として心の中に大きな位置を占めていたと思います。
身体の大きさだけではなく、人としても大きかった方、私は程遠いですが。

 映像と云うのは有難くも残酷で、亡くなった方の姿が残っています。
記憶に残る永遠のヒーローの姿から、未だ学ぶ所が沢山あり、心の中で感謝して拝見しています。

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薄っぺらな言動

2017 - 02/11 [Sat] - 02:45

 何かをする時、そこには必ず動機と云うものがあります。
崇高なものから、下衆っぽいものまで、人の思いは様々です。
生きて行く中で、どれが正しいとか上とか下とかと云うものはありません。
が、何かをする時、そこに何かを得る為にやると云う計算がある時、それは隠しても透けて見えて仕舞います。
それがいけないのではないですが、透けて見えて仕舞う程度のものであれば、それは安っぽく映って仕舞います。
本当に心が求め、魂が求めるものの為、内側から湧き上がって来るものは、人の心に響いて来ます。
頭で考えた事、それも良くに根ざしたものは、薄っぺらく低俗に感じます。
その思いがいわゆる崇高なものでなくても、心の奥底、魂の奥底から湧き出て来たものは、人の心に響きますね。
見え見えの薄っぺらな言動は、わざとらしさを感じさせます。
人は誰でもそう云うものを感じ取ります。
願いを持つ事は悪い事ではないですし、当り前の事です。
それが頭の表面だけで考えただけのものか、心や魂の奥底から信念を持って湧き出て来たものか、おそれが重要です。
本当の意味で自分らしさを意識して、薄っぺらで安っぽい言動をしていないか、意識しておきたいですね。

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昔の日本の男の生き方

2017 - 01/28 [Sat] - 02:20

 今日は御依頼があった方の御先祖の御供養をしました。
その方の御子息が大学受験でもあり、合格祈願を兼ねた意味も含めてやらせて戴きました。
内弟子の助法もあり、御先祖様もお喜び戴けた様です。
勿論、受験の方も心配ないと云う事で、気持ち良く読経させて戴きました。

 また、今日、ぶんか社より「あなこわ」の新刊が送られて来ました。
発売されて本屋さんに並んでいると思うので、手に取って見てみて下さい。
今回のテーマは内弟子の前世です。
私は安易に前世を観たり、前世療法をやりませんが、内弟子の彼の場合はどうしてもそこに問題の原点があったので何度か前世療法をやりました。
現世で問題がある時、現世での原因を見つけ出して解決して行くのが当り前です。
その原因を安易に前世に求めて仕舞うのは、現世の生き方からの逃げでしかありません。
現世で何も見つからない時、初めて前世に探りを入れます。
何でもかんでも簡単に前世やスピリチュアルなものに原因を責任転嫁して仕舞うのは、現実逃避だったり、甘えだったりする気がしますね。

 今日、お話していて、ある男性の一言がグサリと心に刺さりました。
その方の抱えている苦労や辛いお気持ちがダイレクトに伝わって来た様な気がする程でした。
男には男の美学があります。
愚痴も文句も言わず、ひたすら耐えて、家族を守って生きる。
誰もそれを理解しなくても、その生き様を貫いて行く。
昔の時代の男の美学です。
現代では、そんな男性はあまり見かけなくなりましたが、事情を知らず外から見たら、弱気な情けない男に見えたとしても、そう云う男性は本当に大きく強く、立派です。
肚を括って生きる。
その肚を読んで和を保つのが日本の本来の文化です。
肚を読む事が出来ない薄っぺらな頭でっかちには理解不能でしょうね。
人の肚を読んで受け止めて行ける、そんな大きな器を持っていたいものです。

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勝つ必要はない。でも絶対に負けない生き方はしたいですね

2016 - 12/11 [Sun] - 03:37

 フルコンタクト空手をやっていると、試合と云うものが常に視野にあり、どうしても相手に勝つと云う意識が先行して仕舞います。
練習でもそう云う意識が強く、どうやったら相手に勝つ事が出来るか、その練習ばかりする事が多くなります。
試合と云う場面を考えると、それは当然であります。
ですが、空手道、武道と云う側面から本質を追求して行くと、自分自身をしっかり守る事が最重要な事であり、相手に勝っても自分も傷ついて命を落として仕舞っては意味がありません。
従って、武道では負けない空手を意識します。
絶対に負けない、自分を守り切る。
その中で、相手を倒す事が、自分を守り切る事に繋がる場合は躊躇なく行なう。
そう云う意識をしっかり持った方は、言葉では表せない威圧感があります。
荒ぶる訳でもなく、あくまでも穏やかで、しかし触れる事の出来ない威圧感を持つ。
武道家としての理想ですね。
一般社会でも、苛めを受ける人は、苛められる雰囲気を持っている場合が多いです。
いざとなったら絶対に引かない、負けないと云う強い意思を持つ人には苛めはやって来ません。
威風堂々、絶対に負けない生き方をしたいですね。

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本当に力が抜けると云うのはいい加減とは違う

2016 - 09/13 [Tue] - 02:07

 懐の広い、大らかで器の大きい人になりたいですね。
小さな事に拘らず、鷹揚に構える事が出来たら最高です。
自分がミスをした時、それを責める事なく鷹揚に受け流してくれる人が器の大きい人と云う話がありましたが、それは間違い。
それは、相手は確かに器が大きいのかもしれないですが、自分の側はそれに甘えるだけの勝手な理屈でしかないと思います。
自分のミスはミスとして真摯に受け止めるべきだと思いますし、それを責めない上司を大きな人と云うのは、甘えから来る戯言としか思えません。

器を大きくして行く上で、何が必要か考えた時、最初から余り細かい事に拘らないでいると云うのは違う気がします。
それは曖昧やいい加減であって、知っていて流すのか、本当に知らないで流すのかの違いと同じです。
ちゃんと知識も経験もあり、それ位の事はと流す事が出来るのが本物。
何も知らない癖に無責任に流して仕舞うのが、いい加減とかちゃらんぽらん。
外から見たら同じに見えても、その実体は天と地ほど違います。

最初は徹底的に拘り、拘り抜いて行って、その結果、余裕が生まれて来て小さな事はどうでも良くなるのが本当の余裕であり、その姿が大きな器と云う事です。
拘りがあるから、それ以外の事はどうでも良くなる。
拘りのない人は、何でもどうでも良くなって仕舞う。

見た目で解り難いですが、全く別物ですね。

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自分は自分、人は人、人がどうであろうと関係ない。

2016 - 07/05 [Tue] - 02:28

 御相談等でお話していると、その方の内面に強いコンプレックスを感じる事があります。
学歴や、経済的な面、住んでいる家、容貌や伸長等と云うものもあったり、あらゆるものが捉え方一つでコンプレックスになって仕舞う事があるのですね。
くだらないから、そんなものは捨てて仕舞って考えるのを止めなさいと云うのは簡単です。
でも、コンプレックスにまでなって仕舞うと云うのは、その人の生き方や考え方の中で重要な部分を占めている問題なのだと云う事を忘れてはならないですね。
どうでも良い事であれば、気にもしないでしょう。
それが、憧れだけではなく、コンプレックスと云う事にまでなって仕舞うとしたら、その方の価値観や視野等、根本的に修整して方向転換して行く必要があります。

 人間は皆、母親のお腹から裸で生まれて、生きて行く内に色々な鎧や飾りを身につけて、そして最後はやはり裸になってあの世に旅立ちます。
どんな肩書きも、裕福さも、素晴らしい持ち物も、そして外見も、最後には全く意味をなさないものとなって仕舞います。

 他の人の心に響くのは、その人の心です。
身につけた飾りや鎧は、人の目を惹きます。
が、それだけで人は心を打つ事はありません。

どんなに出世しても、引退すれば只の人、その瞬間から肩書きは消え去って仕舞います。
どんなに裕福でも、失う時は一瞬です。
あの世にまでお金は持って行けないですしね。
どんなに素晴らしい外見を持っていても、年を重ねて行けば皆年寄になって衰えます。

何かに固執しているから、そう云う価値観に縛られているからコンプレックスを持って仕舞います
価値観も視野も人それぞれ。
学歴がなくても、立派に人のお役に立ち、社会貢献している人は幾らでもいます。
大切なのは自分の生き方に誇りが持てるかどうか、精一杯生き抜いているかどうかです。

社会や他人から与えられ、植え付けられた価値観に縛られて、無用なコンプレックスを持つのは井の中の蛙と同じです。
自分らしく、良い意味で我が侭になって、あるが侭の姿で命を燃やして生きたいですね。
自分は自分、人は人です。
誰がどうであろうと、自分には無関係です。
自分らしく、精一杯、楽しく命を燃やして生きましょう。

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暴論かもしれないですが、極端な生き方も一つの生き方です

2016 - 06/24 [Fri] - 03:21

 一芸に秀でる者、全てに優ると云いますが、それは結果論ですね。
一芸に秀でていると認められる迄は、単なる変わり者で超頑固者、拘りが強過ぎる偏執狂と思われ、全く協調性がないと思われているでしょう。
逆に云うなら、それ位じゃないと抜きん出る事は出来ません。
人と同じ事をして、普通の人に見られていたい様な人は、絶対に特別になる事は出来ません。
何で人と同じ事をしなければならないのか、人の真似など絶対にしないと云う位でなければ一芸に秀でる事などあり得ないでしょう。
人と違う事、自分らしさ、自分だけのオリジナリティに拘り抜いてこそ、自分の道は開かれて行くと思います。
人がどう思おうと関係ありません。
どうせ他人など、その人の目線や価値観で無責任な目でしか見ません。
賛美しようと批判しようと、誰も責任は取ってくれません。
他人など所詮勝手なものです。
自分の道を貫いて、苦しい目に遭ったら命がけで道を探せば必ず見つかります。
来てもいない未来に、負の想像をし妄想して恐怖していては何も始まらないし、萎縮した生き方しか出来ません。
やるだけやって負けて打ち拉がれたら、その時に改めて立ち上がれば良いだけの事です。
恐れを根拠にした生き方は、危機管理が出来ていると見られて評価される場合もありますが、無駄や無謀、挑戦のない生き方は、夢もなく、自分らしさもない生き方に思えます。

 全ての人に当てはまる事ではありませんが、自分らしさに徹底的に拘って、変人に徹してみるのも一つの生き方ではないかと思いますが如何でしょうか。
何かの道で一芸に秀でたいのであれば、そこまで拘って、拘り拔く事は必須ではないかと思います。

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物事の本質を見なければ、その場凌ぎでしかない。

2016 - 05/30 [Mon] - 03:31

 今日は以前より御依頼されていた御先祖様の御供養をしました。
中々に深い因縁のある一族なので気合いを入れて内弟子共々御供養に入りました。
が、思いの他、御先祖様達は潔く、また高潔であり、スムーズに進みました。
中々剛毅な御先祖様で、その分、こちらの思いが伝わると覚悟を決めて行くべき所へ嵐の様に進んで行かれました。

 ちょっとした問題の話を数日前に耳にしました。
その問題自体は何があろうと当事者間の問題であり、間に入るつもりもありませんし、注意するつもりもありません。
大人同士の話ですから。
表面だけ見ていると一方が悪くて、一方は悪くないと見えて仕舞います。
そんな状況の中で、誰しも常識的な目線で見て正しい間違いを決めつけて仕舞います。
でも、人と人が関わる中で、一方だけに原因があると云う事はありません。
精神世界やスピリチュアルの観点から見れば、どっちもどっち。
甘さが甘さを引き寄せて、それが結果的に心地良くない結論に繋がったと云う事ですね。
自分が苦しい時に安易に人に甘え、それをまた安易に善意のつもりで手助けして甘やかせて仕舞って、片方にしてみればやってあげたのに・・・と。
本当の優しさではなく、甘やかしてその場を凌がせただけ。
人として本当にその相手を思うなら、厳しく叱責したり、道を指し示す事も出来る筈ですね。
甘える方も、人に簡単に甘える前に、自分で決意し肚を括ってやるべき事をやれば、人に甘える必要などないし、自力で抜け出してこそ自分も成長し、経験も積んで行けて強くも大きくもなる事が出来ます。
問題の本質から目を背けて、逃げ根性でその場をやり過ごしても、所詮は繰り返しです。
根本的な部分を変えて行かないと、また同じ事が起きて仕舞います。
どっちも未熟。
甘さと甘さが互いの信頼(そもそもそんなものがあったかどうかですが)を壊しただけ。

 困った時に人に頼ったり、逃げ出したりする事が悪い事ではありません。
でも、まず自分がやるべき事、やらねばならない事から目を背けていたら、その問題の本質や原因が見えません。
また甘やかす方も、安易な援助は自己満足でしかなく、物事の本質的な解決に繋がりません。
甘さは甘さを生み、負のスパイラルを生むだけです。
意味のない、その場凌ぎのボランティアと同様、自己満足では本質的な救いや癒しに繋がりません。
綺麗事だけでは生き抜いて行けません。
が、失ってはいけない、違えてはいけない筋や原則もあります。
どちらもそこに気付いて成長してくれたら良いですね。

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プライドを持つのは悪い事ではないけれど

2016 - 05/17 [Tue] - 03:21

 人間は誰でもプライドと云うものを持っています。
プライドを持つ事は当然な事で悪い事でも良い事でもありません。
でも、そのプライドが色々な事、特に人間関係において邪魔になる事は良くあります。
また、プライドが自分の持つコンプレックスの裏返しで自己防衛の本能から出て来ている場合もあります。
実力もないのにプライドだけ高くて、周囲から評価されないと言って素直になれない人も多いですね。
そう云う人は目立った成果も挙げず、転職を繰り返して仕舞ったり。
また、過去に栄光があって、そこから抜け出せずにいて、今の自分の立場や状態から目を背けていて、プライドだけが先行して過去の自慢話にこだわる人とか。
こう書くとプライドと云うのは悪い事の様に思えます。
でも、人間的な余裕と懐の深さを併せ持ってのプライドは、凄く格好良く見えます。
感情的ではなく、自分が持つべきプライドと、そうではない所を自分で把握しているので、無用なプライドの主張がありません。
プライドと云うのは和製英語であって、和訳すると誇りと云う事になるのでしょうが、今の日本で使われる和製英語のプライドと誇りと云う言葉は、そのニュアンスや意味合いについてかなり違う様に思いますね。
プライドを持つ事は悪い事ではないし、自分を律する芯となり維持して行く柱になるものです。
でも、プライドの無駄な主張は、人を遠ざけて仕舞います。
特に精神的や肉体的に弱っていたりする時、人は自分のプライドにしがみついて仕舞う事があります。
気をつけたいですね。

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言葉数や話ではなく、生き様や姿で勝負したいですね

2016 - 05/10 [Tue] - 02:36

 自分に自信がない人や、心に暗い陰を持って仕舞っている人は、つい自分の自慢話をしたり、誰かの言葉に対して言わなくても良い様な事を言って過剰反応したり仕勝ちなものです。
活躍するスポーツの選手や空手の世界でも活躍している選手達、一筋に自分の目指すものへ突き進む人達は、職業が何であれ、その姿そのものに説得力があって、見ている人に感動を与えてくれます。
羨ましいと云うか、素晴らしいですね。
修行時代、そう云う大先達にお会いし、またお世話になって、その時の光景は目と心に焼き付いていて今でも忘れる事が出来ません。
当時、80歳を過ぎておられたであろう御前様の作法、枯れて無理もなければ無駄もなく、その風格に圧倒された覚えがあります。
また、平易に若蔵であった私に色々とお話して下さり、いつも淡々としておられた御前様、目の前にまるで空気の様に座られていて、それだけで自然と緊張し頭が下って仕舞う様なものを醸し出されていました。
道場で昇段審査で頑張る若者を見ていて、審査する側にいながら目が潤んで仕舞う事も何度もありました。
言葉ではなく、その一途な思い、その姿に感動を覚えます。
会話や言葉は大切ですが、自分の生き様や姿で勝負出来る様になりたいですね。

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プロフィール

島津 成晃

Author:島津 成晃
Adept・Mentor 島津相談室主宰
人生のあらゆる問題の相談に乗って来ました。
元気になって希望を持って帰って戴く事が私の願いです。
スピリチュアルな目と、冷静な分析で御相談に乗ります。
御相談はHPの方からお願いします


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