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感じたり思った事を書いて行きます。 時には秘伝などを書く事も。 空手や色々な趣味の話も。

  Adept・Mentor 島津成晃の独り言のナビゲーター   トップページ > 伝授会  

伝授での話。心と意思の問題。

2018 - 09/14 [Fri] - 02:33

 昨日は伝授でした。
仕事の関係で詩乃が出張で休み。
他の内弟子達といつも通り、広く深い話へとなって行きました。
夜が更ける程に話がディープに広がって行くのが伝授。
それぞれの仕事の話、相談者についての話から始まり、修行者としての心の持ち様、また前に待ち構える大きな事に対するプレッシャーとの向き合い方等について話が広がって行きました。

誰でも、目の前に待ち構えている大きな事に対してはプレッシャーと云うものは感じるのが当然です。
そのプレッシャーとどう向き合うか。
目を背けたり、逃げていても、時は過ぎて確実に近づいてきます。
しっかり向き合い、負けそうになる気持ち、逃げたくなる気持ちと正面から向き合って、耐えて闘う事で精神の鍛練にもなり、集中力も高まります。
オタオタとしていたらみっともない。
覚悟を決めて、今自分がやるべき準備をしておく。
それは物理的な事だけではなく、心の準備をしておく。
その為に耐える力を高める。
自らに自分で行を課し、身体を鍛えて、強い精神力を更に高めて行く。
本番では持てる力を最大限に発揮出来る様に、覚悟を決めて行く事。

 具体性がある様でないのが、心の問題ですが、強い意思と覚悟が絶対必要不可欠であると云う事は確かです。
まして指導者と云う立場にあるものは、オタオタとみっともない、情けない姿を見せるべきではありません。
それは、自分自身の心に対しても弱みを作って仕舞う事になります。
やるべき事はやるしかない。
肚の括り方の問題ですね。

 そこから発展して信仰と云うものに対しての話にもなりました。
毎日、心を籠めて手を合わせ、神仏の声を聞き、伝えているものが、少々の事で悪くなる筈がない。
そこに低俗な計算があるのであれば、話は別です。
本当に純粋な心で行っているのであれば、必ず御手配もあり、救いもあります。
それは信じると云うレベルの話であってはなりません。
絶対的な確信、何があっても揺るがない信念の様なものです。
その段階まで進んでいなければ信仰とは云いません。
信じると云うのは、理屈で頭で考えて、目に見える事で信じられると云う気持ちになると云う事です。
信仰と云うのは、もっともっと深い所、心の底から生まれて来る確信。
深く長い修業の果てに掴み取れる感覚です。
そこに迷いはありません。
頭で考えた信じると云うものに囚われていたら、何かあったら迷いが出ます。
それはカルトの様な洗脳と云うレベルの話ではなく、心の底から湧き上がる確信です。
内弟子達には、更に厳しく深い修業をして欲しいと願っています。

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伝授の日の話題。祈りの道の前に人としての度量と在り様

2018 - 08/24 [Fri] - 02:39

 昨日は伝授でした。
内弟子は皆祈りに対しては非常に純粋です。
その純粋さ故に逆に自身を縛り固執して仕舞う事があります。
固執して視野が狭くなって仕舞うと、それ以外のものを切り捨て排除して仕舞い勝ちです。
それは単に器が小さい、度量がないと云う事になって仕舞って、祈りの深さから遠のいて仕舞います。
神の道、仏の道は、そんな狭く薄っぺらなものではありません。
良く云う狂信的な人と云うのは、視野が狭く、狭い価値観に拘ります。
神仏は、長きに渡り人間の愚かさも受け入れて、成長するのを待ち続けて、見守り、導いています。
その道を狭い薄っぺらなものにして仕舞うのは、人間の固執から来る愚かさに他なりません。
自分の考えだけが最高、正しいと他を排除して同じ意識のものだけが残ったら、それは異常な集団となります。
固執せず、柔軟性を持って、時には待ち、導き、見守り、受け入れて行く事が、人としての成長であり、祈りの道を深くして行く事に繋がります。

何かをする時、意見が人によって異なるのは当然です。
その時に、感情的になって仕舞って、自分の意に染まない部分だけに囚われて仕舞うと、本来の大切な目的を見失います。

 正道、本道を見失う事なく、広い心と大きな度量を持って、自分の姿勢を正して行きたいものですね。

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詩乃と阿曽の10周年参拝旅行に大変重要な役目が授かりました

2018 - 07/27 [Fri] - 00:57

 昨日は伝授。
体調を崩しながらも遠くからやって来た内弟子。
出張で遠方までお祓いに出かけて、帰りにその足で来てくれた内弟子達。
一日の仕事を終えて疲れているに違いないのに、会社帰りにやって来た内弟子。
皆、素晴らしい根性を持っています。

 成長したい、知りたい、もっと大きくなりたい、それぞれ目指す所は異なると思います。
が、皆、祈りと心に関しては非常に真摯であり、その情熱がある限りは成長し続けると思います。

 また、昨夜は神の御神託の折、大変に重要な話がありました。
神の世界の秘中の秘ですから、お話出来ませんが、歴史書にも云い伝えにもどこにも伝えられていない、神の世界の秘密。
それについての重要な役割を内弟子達に与えられました。
阿曽と詩乃の開業10周年を記念して出雲大社への参拝旅行へ出かけます。
が、ただの参拝旅行ではなく、大変に重要な役割と意味を持ちます。
故にもう一人の内弟子も同行する事に決まりました。

 能力を持つ者は、相談者の相談に乗り、気療をしたり祈願をしたり、色々ありますが、それ以外にも人知れず人界、世の中の為に力を尽くす事があります。
決して人の目には触れず、評価もされず、しかしながら己の使命と悟って力を発揮する。
ですから、いつ何時何があっても良い様に、常に自分自身を研ぎ澄まして鈍らせない様にしておかなければなりません。

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一歩踏み出せ、そこは極楽

2018 - 07/20 [Fri] - 03:20

 昨日は伝授でした。
あちらこちらで精神的にも物理的にも転機を迎えている人が多い様で、その話になりました。
本来の自分、自分でも気づかない隠された自分の心、魂の声等に気付き始めて、壁にぶつかったり行き詰まったりしている人が沢山おられる様に思います。
夏越大祓で禊された影響でしょうか。
心の奥底に眠って隠れていた本当の心や欲求が頭をもたげて来て、突き上げる様に葛藤が生まれている様です。
ならば、それに従って現実的に何をするか、そこでその突き上げに負けて感情的になって仕舞ったら、間違った選択、極端な選択をして仕舞って大変な事になって仕舞う事もあり得ます。
折角のチャンスをみすみす逃して仕舞う事も。
そんな事をしたら、自ら幸運を捨てて仕舞う事になります。
自分の立場をわきまえて、冷静に受け止めて、現実的にどうすれば良いか、良く良く考えて動くべきです。

 ここで一念発起して修業しようとする人もいます。
また、自分自身が本来あるべき姿を熟慮熟考して、勇気を持って歩み出そうとする人もいます。
いつまでも葛藤しているだけでは何も変りません。
悩みと同じ、堂々巡りするだけです。

 一歩踏み出せ、そこは極楽と云う言葉もあります。
決心と覚悟と勇気が必要ですが、思い切って新たな道を歩み出してみると、きっと何かが開けます。

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昨日の伝授

2018 - 07/06 [Fri] - 02:58

 昨日の伝授、内弟子共々で先に逝去されたお父上の御供養をする予定でしたが、一人が仕事で参加出来なかったので、来週皆が揃う時にやろうと云う事で、私一人でしっとりと読経させて戴き、御魂をお慰めしました。
助法と一緒に読経する時は、皆で合す為、ある程度は一定の決まったリズムで進みますが、一人で読経する時は自分のその時の感覚で早さやリズムを変えて行きます。
目的が御供養ですから、あくまでもしっとりと静かに沁み渡る様に。

 内弟子も、お父上が逝去された事で、色々と学んでいる様です。
親の逝去と云うのは、親が子に残す最後の教えですから、しっかり向き合って受け止めよと命じていましたが、真直ぐに向き合って頑張っています。

 その他、修行者としての心のあり様、生き様、覚悟等々、大切な話になりました。
人のあるべき姿は人それぞです。
どれが正解と云う事もありませんし、これが間違いと云う事もありません。
が、修行者とか、プロフェッショナルと云う枠を設けると、そこには一定の守るべきもの、逸脱してはいけないものと云うものが出て来ます。
大切なのは、自分が何を目指しているのか、どう生きて行くのか、しっかり決めて覚悟して行く事です。
人の声知らず、我が心の声に耳を傾けて、我が道を迷いなく進む。
ブレない事、曲げない事、揺れない事。
悟りと云うものについての、一つの姿でもあります。

 今日は懇意にさせて戴いている空手道場の師範と暫し空手談義。
楽しい時間でした。

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昨日の伝授

2018 - 06/22 [Fri] - 02:33

 昨日の伝授は、命の尊厳についてのお話。
終末を迎える人に対する受け止め方、命と云う事についての考え方、持つべき目線、等々、重い内容となりました。
誰もが一度は通る所ですが、心を込めて、尚且つ冷静に受け止めてやるべき事をやって行く。
修行者として、人として、どうあるべきか、どう考えるべきか、そんな話でした。
人の生死には何度も立ち合って来ました。
その度に考えさせられ、学ばされます。
思えば我が父が亡くなった時、まだ修業も未熟で何も出来ていなかった自分を反省させられます。
ですが後悔している訳ではなく、その時の精一杯だったと思います。
そこで学んだ事も沢山あり、そこから成長して来た自分がいます。

 修業、空手、医学と、常に人の命と向き合って来た様に思いますが、未だ道半ばです。
何を以て悟りと云うかは別として、中々成熟の域に達しないですね。
まだまだ先は長いなと思います。

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伝授。瀧修行について

2018 - 06/15 [Fri] - 01:33

 先日行われた内弟子阿曽と詩乃の指導で行われた瀧修行、10名程の人数が集った様で、初心者も多く、かなり気を遣った様です。
水量は少なかった様ですが、水量が少ない時は危険です。
水量が多いと、落ちて来る水圧で身体が叩かれて温まりますが、水量が少ないとただ冷えて仕舞います。
また、水量が少ない時は、集中力を高めるのが中々難しいものです。
水量が多いとその圧力だけで頭が真白になり、自然と集中出来て行くものですが、少ない時は冷たさと水の当たる痛さに意識が引っ張られて仕舞いますから、耐えるだけになって仕舞う可能性もあります。

 その時の報告を聞き、また仏で行う瀧修行と神で行うものでは全く違います。
神で行う瀧修行は主な目的は禊。
穢れを祓い、魂を磨く。
しかし仏で行う瀧修行は、癒やしであり再生です。
勿論、浄化と云う部分は持っていますが、それ以上に様々な囚われているものから解放され、滝に入る事で浄土や彼岸に向う体験をし、滝から出た時に再生する。

 神の持つ極限の集中力と浄化、仏の持つ癒やしと慈悲。
両方がバランス良く修業出来たら最高です。
神の存在意義と仏の存在意義は全く異なります。
両方が揃って初めて人は救われます。

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昨日は伝授でした。

2018 - 06/08 [Fri] - 01:41

 昨日は伝授でした。
その前に面接相談がありましたが、以前、霊的な問題があって体調を崩した経験のある女子大生。
今回は、同じ様な症状が出ましたが、どうやら大事ではなく、無自覚性のストレスが溜った事が原因だった様です。
とってもクールで賢い、可愛いお嬢様で感受性が凄く豊かなので、周囲の人からの色々な思いを受けて仕舞う所もあって、自覚していなくても疲れが溜って仕舞うと、免疫力が下るのと同じ様に色々な影響を受けて仕舞う事もある様です。
文句なしに良い子でお嬢様なので、いつも溌剌とした笑顔でいて欲しいですね。

 夜の伝授では、色々な話をしますが、昨日は特に内弟子二名の開業10周年の記念参拝旅行について。
行き先が出雲大社と云う事で、出雲大社に行きたいと云うだけのミーハーな人も参加して来る可能性もあります。
勿論、参拝はきちんと行うとして、ちょっとした観光や楽しみも必要です。
が、もっと重要なのは、あくまでも開業10周年の記念の旅であると云う事です。
10周年のパーティと云う案もありましたが、ただワーッと盛り上がっても一時の宴でしかなく、何も残らないと云う事もあります。
どうせなら、未来へ繋がり、参加した人の心に残り、後に来られる人にも説得力のある様なものと云う事で、参拝旅行と云う事になりました。
私の所に通っている人達も数名参加する予定だそうです。
2人の修業仲間、先輩後輩として、2人を旅中サポートしてくれるでしょう。
またお祝いのイベントも用意していると思います。
何を以て10年やって来たか、これから何を重要視してやって行くのか、そんな事も含めてしっかり打ち出して欲しいと思います。
単なる物見遊山の旅にならない様に頑張って欲しいですね。
数年前に私も30周年のパーティを行いましたが、会場の関係もあり90名弱の方に参加して戴きました。
長くお付き合いさせて戴いている方々、老若男女、様々な年齢の方にお出で戴きました。
声明、演武、母の卒寿の祝い、私の還暦等々、色々盛り沢山にしましたが、準備に一年半もかかりました。
聞く所によると、この仕事を長く続けられる方は少ない様で、何年も何十年もやっておられる方はあまりいないと御相談者の方や漫画の先生方から云われた事があります。
御縁があって仕事している以上、責任もありますし、誇りもあります。
長く続けて来られた御縁に感謝しかありません。

 また瀧修行についても少し話がありました。
どう云う瀧修行にするのか、その精神と意識のあり様。
偶然ネットで見た滝が凄く良い感じなので、また下見に行ってみてはどうかと云う話も。
修業場は幾つか複数あった方が良いですから、現在修業に使わせて貰っている二ヶ所の滝以外にも良い滝があれば検証してみるのは良い事だと思います。

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常に覚悟と潔さを心に、日常の中で精進

2018 - 04/20 [Fri] - 02:27

 昨日は伝授でしたが、妻の実家の供養を急遽行う事にして、弟子達に付き合って貰って行いました。
弟子達の助法なしで私の御供養を後で見ていて貰いました。
奠供から理趣経、途中で阿弥陀の祈りを入れて、心を込めてやりました。

 またしっかり御神託も取りましたが、内弟子達一人一人への言葉と、縁ある方々への言葉を伺いました。

 内弟子の一人が仕事上でアルバイトがルールを守らないと云う事で感情的になっていたので、厳しく叱責致しました。
人が云う事を聞かないのであれば、自分が云う事を聞いて貰える様な器や威厳を持つか、また自分の上の人間を飛び越しても会社に処分を願い出るか、或いは自分も首になる覚悟を持って云う事を聞かない人間を締め上げるか、どれを選択するにしても覚悟が必要です。
それが出来ないのであれば、感情を捨てて割り切ってクールにドライになるしかありません。
そう云う潔さも人としての器の大きさ、余裕に繋がります。
修行者たる者、事に当っての覚悟と潔さを持ち合わせていなければなりません。
感情的になっても百害あって一利なしです。
自分の云う事を聞かないからと言って感情的になるのは、自己顕示欲の現れでしかありません。
ゴタゴタ云わなくても相手が自然と云う事を聞いてくれる様な信頼感や威厳を自分が持たなければ、無理矢理云う事を聞かせようとしても無理です。
神仏に祈っている時ばかりではなく、日常の中でも事に当っての覚悟や潔さを常に意識して持っていなければ修行者として未熟。
人としての理想の姿を追求し、器を大きくするべく精進して欲しいものです。

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伝授での御神託。問題は根本解決を目指して

2018 - 04/13 [Fri] - 01:49

 昨日の伝授では、一番古株(30年以上通って来ています)が取る神の御神託を中心に、プロで仕事している2名の仕事の話や、御神託の言葉の意味などを話しました。
出かけている内弟子には、更なる成長の為、帰国したら神の行を100日間と云う御神託が出ました。
今回の旅も、私が見ている所では禊の一環であり、始まりだと思っています。
本人は意識していないかもしれませんが、魂が求める次への準備の為の禊。
成長する時が来ているのでしょうね。
具体的にどんな100日行をさせるかは、まだ決めていませんが、次に会う時までにに決めて申し渡したいと思います。

 プロで仕事している二人は、益々忙しくなるとの事。
信頼が広がって来ていると云う事でしょうね。
弟子が成長して行くのは嬉しいものです。

 肝心の御神託を取った本人は、心の迷いはあるものの、祈りの姿勢は目を見張るものがあると云う事で、何も問題なし。

 他にも気になる案件を幾つか神に問いましたが、成程と思う答もあり、やはりと云う答もありました。

 ここに縁のある方々への御神託は、今は活動・行動の時である。
迷わず進めと云う事でした。

 私も弟子達も、単に問題を解決する為だけの仕事は単なる対症療法と考えています。
根本解決を目指し、日々の生活や意識、考え方のアドバイスや提案をさせて戴きます。
伝授させて戴いている護身法も、カルチャーの様に形ややり方をお教えするだけではなく、本当の意味をお伝えし、身につけて戴きたいと思っています。
御縁ある皆様に輝き、大きく成長して、楽しい人生を送って戴きたいと思っています。

 今日は妻が実家の用事で帰っています。
いつもいる人がいないと云う事は、凄く変な感じです。

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プロフィール

島津 成晃

Author:島津 成晃
Adept・Mentor 島津相談室主宰
人生のあらゆる問題の相談に乗って来ました。
元気になって希望を持って帰って戴く事が私の願いです。
スピリチュアルな目と、冷静な分析で御相談に乗ります。
御相談はHPの方からお願いします


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