感じたり思った事を書いて行きます。 時には秘伝などを書く事も。 空手や色々な趣味の話も。

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穏やかに

2013 - 09/13 [Fri] - 02:24

 仏様の根本理念は、在るが侭を受け入れる事、そこから生まれる癒しだと理解しています。
対して神の方は、激情、怒りが強いと感じています。
同じ様に、人を守り、慈しみ、包み込み、願いを叶えるにしても、方法論と方向性が全く違う様に思います。
人間関係では、どちらが良いのかと一概に決められませんが、出来れば穏やかに平和的な方が好ましいですね。
人それぞれの意思があり、生き方があり、考え方があり、また育った環境や、今の環境の問題もあります。
ですから、相手との関係を築く中で大切なのは、相手のその侭を受け入れて行く事だと思います。
違うのですから、理解出来ない事があるのは当然です。
違うからと否定していては何も始まりませんし、それはその相手の人格や生き方、存在そのものを否定する事に繋がる事もあります。
まず否定ありきは、ただの傲慢でしかありません。
最初に肯定ありきで、相手を受け入れ、理解しようと努力し合う事から発展が生まれます。

仏の修業をする者は、自分の持つものを相手の押し付けるのではなく、受け入れる所から始めるべきですね。
偉そうな、大上段に振りかぶった物言いや態度は、傲慢にしか映りません。
未熟者ほど、大言壮語し、切り口上の物言いをします。
大変に不愉快な思いを周囲にさせている事に気づくべきですね。

 また、何か気に入らない事があった時に、子供じみた態度や不機嫌が顔にすぐに出て仕舞うのも問題です。
それでは、誰もまともに相手をしてくれないでしょう。

 仏の根本精神に立ち返り、情熱を秘めて、穏やかに、静かに、心を広くして行きたいものですね。

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仏教

2009 - 10/28 [Wed] - 03:31

 世界3大宗教と云われるキリスト教・イスラム教・仏教があります。
キリスト教が20億、イスラム教が13億人、仏教が3億6千万人の信者がいると云われます。
これは信徒の数ではなく、地域や民族を越えて世界に広がった宗教と云う事です。

 キリスト教やイスラム教は、民族が世界に広がった事もあり、また色々な政治的な背景もある事から、分かり易いですね。
でも、仏教はそう云う背景はどちらかと云うと少ないと思うのですが、何故世界宗教化したのが正直疑問を感じていた部分もありました。

 長い間、神仏を見詰めて生きて来ましたし、修業をし、思索を続けて来ました。
そして、やっとその辺りの事が朧げながら見えて来ました。
詳しくは書く事が出来ませんが、仏教は必要であったと云う事ですね。
仏教にしかない哲学があります。
この哲学が、人間にとって絶対に必要であったのだと云う事が解って来ました。

 どの宗教も、人が幸せに生きる為にあり、表現は異なっても同じ事を言っています。
が、仏教だけは若干違いがある様です。
アプローチが違うと云うべきでしょうか。
その独自性故に、仏教は世界宗教化したのだと云う事ですね。

 まだまだ奥の深い、とっても長い道程を歩いている様に思いますが、これからも一生をかけて真理を追究して行きたいですね。

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唯識論

2008 - 10/27 [Mon] - 03:06

 今日の勉強会では「唯識論」について話をしました。
仏教哲学の根幹を為すもので、心の状態を表し、魂の進化を論議したものです。
本当は空海の「秘密曼荼羅中住心論」を解説する予定だったのですが、まず唯識論をしっておかねば理解不可能なので、この話をしました。
来月からは本番の「秘密曼荼羅住住心論」、略して「十住心論」を解説して行きます。

 とても奥の深い、膨大なものからの抜粋であり、分り易く解説出来たかどうか分りません。
が、こう云うものは、頭脳ではなく心が純粋でなければ捉える事が出来ません。
字面を幾ら追いかけて読んでも、それは知識が増えると云う事であり、そこには実態はありません。

 顕経と密教、即ち論理哲学と実践の二つが揃っバランス良く配置された時、人は発心して修行し、菩提を目指し、そこから更に涅槃へと至ります。
とっても難解な論理哲学ですが、感覚的にでもこう云うものを学んでおくと良いですね。
密教ほど簡単で、尚且つ難解なものはない。

因縁

2008 - 01/22 [Tue] - 02:35

 良く因縁があるとか、因縁が悪いとか、良い因縁だとか言いますね。
何だか仏教用語が一部だけ捉えられて使われてしまっている様に感じます。

 因縁とは、原因の因、関わりを持つと云う意味での縁、この二つを繋げた言葉です。
でも、これで終わりではないのですよ。
原因があって、そこに関わりが何かあったら、必ず結果と云うものが出て来ます。
これを果と云います。
つまり、因と縁と果、この三つがセットなのです。
ですから、因果などとも云いますね。

 悪い因があって、悪い縁があれば、果が悪いのは当り前。
良い因があって、良い縁があれば、果が良いのも当り前。
また、悪い縁があっても、良い縁があれば、プラスマイナス・ゼロで、果は良いと云えるでしょう。
或いは、本当に良い果になってしまうかもしれないですね。
逆に良い因があっても、悪い縁があったら、悪い果になってしまう可能性が高いとも云えます。

 何れにしろ、因縁だけで全てを語るのは変。
現在の状態を繙く時、今までの自分自身や先祖達の状態を考え合わせると云う意味で、因と縁を見つめて分析する。
その果が現在であると考える。
そして、これからの未来に向って、新たな縁を作って、未来に良い果を残す。
そう考えるべきですね。
因縁があるから・・・だけで片づけられたら、困ってしまいますね。

時間は未来へも続き、未来は現在の選択で決まる。
ですから、良い縁を沢山作って、良い果を招きましょう。

大欲は無欲に似たり

2007 - 11/22 [Thu] - 03:21

 表題の様な言葉を良く言いますね。
道場で、大欲と云う事についての質問がありました。
回答となるかどうか解りませんが、私なりの考えを書きたいと思います。
質問して来たT君、読んでくれるかなぁ~?

大きな欲を持つと、まるで欲が無くなったのと同じ心境になると云う事です。
無欲とは、欲が無いと云う意味で、自己に対する欲を無くした状態、即ち悟りの状態と云う事です。

 が、悟りを得ると欲が無くなるのでしょうか?
修行時代から何十年と考え続け、思索し続けて来ました。
結論から云うと、あり得ません。
仏と云えども、欲がないと云う事はありません。
欲の方向が変わるだけです。
己自身の為ではなく、周囲に向けて、他に向けて、幸せを願うと云う欲があります。
己の欲は無く、他への欲はある、と云う事でしょうか?

 大きな目標を持つ時、小さな目先の欲に囚われていたら、大きな目標へ進む事を阻んでしまいます。
ですから、小さな欲には目を向けず、大きな目標へ向けて進め。
だから、欲が無くなった様に見える。
つまり、大欲は無欲に似たり、と云う事になります。

 仏教的に言うならば、大欲とは仏となる事を意味します。
つまり、仏になって悟りを得る。
その悟りを以て、自然や大宇宙と一体化し、人を救い、魂の救済をして行く。
自己を失う訳ではなく、そこにこそ自己はあり、それこそが喜びであり、最大の欲である。

 自他の区別を無くし、人の事を自分の事の様に思え、自分を取り巻く全てのものと一体化して行く事にこそ、人は喜びがあり、そう願う事が大欲であると云います。

 長い長い道程ですが、どんな修行、仏教であれ、神道であれ、他の宗教であれ、或いは武道であれ、目指す道は同じ。
どうせなら、そこを目指して行きたいですね。

存在そのものに意味がある

2007 - 11/09 [Fri] - 02:04

 今日、弟子と話していたのですが、大分以前に弟子を数時間、祭壇の前に座らせて放っておいた事があります。
で、彼は何か感じたか、見えたか、何か特別な事があったか、と云いますと、何もありませんでした。
その時に、私は「何もない事、何も起きない事に意味がある」と言ったらしいです。(霊示で答えている時は、自分の言った事を覚えていない事がよくあります。失礼)(苦笑)

 そんな話を今日していて、仏は存在しているだけで意味がある。
太陽も空気も、他の色々なものも同じ。
そして、我々人間も存在しているだけで意味がある。
と云う、仏教哲学の話をしていました。

 深くは書けませんが、特別な事が祈りで起きる訳ではありません。
そう見えるのは、忘れていた事、止まっていた事が、素直になって動き出すから特別な事が起きた様に見えるだけです。
奇跡は起きます。
が、その奇跡は必然です。
ですから、通らない、叶わない祈りも沢山あります。
叶う祈りは、当然の結果として叶うのです。

 仏も神も、助けてなどくれません。
自分を助けるのは自分自身。
ただ、神仏と向き合う事で、心も身体も魂も解放され、眠っていた智恵や力が出て来る。
その結果として、奇跡は起きます。

 仏も神も、そこに存在するだけで意味がある。
我々もそう云う存在感のある人になれたら良いですね。
その為には、自分らしく、いつも正直に、姑息な計算や利己主義を捨てて、常にバランスを取って生きる事だと思います。
清濁併せ呑むと云いますが、綺麗事や汚い事に固執してはいけません。
どちらも上手く出来る、必要に応じて柔軟に動ける様にしておく事です。

 いるだけで存在感がある、意味がある、そんな人になりたいですね。

御供養

2007 - 08/14 [Tue] - 02:39

 旧御盆の最中で、お墓参りに行かれる方も多いのでしょうね。
その為に帰省された方も多いと思いますが、長い渋滞と暑さで事故などない様にして欲しいと思います。
気象予報士が「とても暑いので、朝早くか夕方にお墓参りに」と言っていたのを聞いて、怒っていました。(笑)
朝は兎も角、日が沈み始めた頃にお墓参りなど、常識を知らなさ過ぎる、と。
こう云う常識を知らない輩がマスコミに登場するのは迷惑ですね。

 話は変わって、御供養と云う言葉は、「供に養う」と書きますね。
ロウソクに灯をつけ、香を焚き、数珠を擦って、手を合わせ、経を唱える。
御先祖に対し、成仏を祈り、更なる平穏を祈る。
ま、相手が御先祖ですからお願い事も少しなら許されるでしょう。

 心を鎮めて祈りを捧げる内に、自分自身も楽になるのを感じて下さい。
供養は、対象である霊魂も、そして自分自身をも癒します。
ですから、良いお経、綺麗なお経を詠みたいですし、聞きたいですね。
我々プロにとって、お経は修行を表す真剣勝負の様な気がします。
お経を聞くと、どれだけ修行をしたか解って仕舞います。
悟りを得て、心を込めて詠まれるお経は、どこまでも広がるかの様に、心に染み渡って来ます。
綺麗な音楽を聴いている様な気持ちになれたら最高ですね。

顕教と密教

2007 - 01/15 [Mon] - 02:03

 仏教には顕教と密教があります。
一言で解り易く言うなら、理論と実践です。

 お釈迦様が作り上げられた仏教は、現代科学すらも呑み込んだ壮大な理論哲学であり、同時に超現実的な実践論でもあります。
人が仏になると云う事、幸せになると云う事、大宇宙や地球やその他の次元の実相を解き明かし、仏になる為の道筋と方法論を人々に伝えられました。
その教えは余りにも壮大であり、奥深く、同じく仏に到達した人でなければ全てを理解するなど、到底不可能だと思います。
故に、その一部分だけがバラバラに伝わり、広がって行きました。
それが、宗派と云うものです。
教えだけが独り歩きしたと言っても良いでしょう。

 どの仏教も、全てがお釈迦様の教えであり、全ての宗派を一つにした時、お釈迦様が語り、実践された仏教の全体像が朧げながら見えて来ます。
私は修行時代からその道を目指して来ました。
真の仏教を追求し続けて来ました。
顕教の理論、密教の理論、車の両輪であり、どちらが欠けても不完全です。
これからも一生かけて追求して行くでしょう。
そして、仏の道を実践し、歩き続ける、追求し続ける姿を見せる事が、仏とは何か、仏教とは何かと云う、メッセージであると思います。
厳しく、遠い道ですね。
う~ん、頑張らなければ。

物にも意思がある

2006 - 12/04 [Mon] - 02:08

 仏教のお話になりますが、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしうぶっしょう)」と云う言葉があります。
人は誰でも仏になる種を持っている。
だから仏を目指せば、仏に誰でも成れるのだと云う教えです。
これは天台宗開祖の最澄の言葉ですが、これを私流に云うならば、「全ての物に仏の心が宿っている。即ち、全ての物が仏の意思であり、生きている」と言えます。

 物と云えども、原子が集って出来た物質であり、それは人間と同じです。
有機物であるか無機物であるかの違いはあっても、同じ様に原子が集って形を成しています。
そして、物には物の意思があり、その形であろうと云う意思があるから、その形を保っています。
もし、その形であろうとする事を止めたら、その物は分解して仕舞います。
よく、使われていない家は荒れるとか、放ったらかしの車が壊れると云うのと同じです。
例え手入れなどしなくても、使ってさえいれば、物はずっとその形を保ちます。
物理的な雨風や埃などの影響があるにしても、物が物である事を止める時、それは使われていない、人から無視され続けた結果である事は間違いありません。

 家や車は、良く話しかけてくれます。
持主の性格や使い方など、聞いてみると面白いほどに教えてくれます。
だから、中古の家や車は、最初は前の所有者の癖がついていて、それが消えるまでに暫くかかって仕舞うのです。
霊能者である私の様に具体的には解らなくても、そうやって普通の人でも解る様にメッセージを送ってくれるのです。

 物を大切にすると云う事は、それを作った人、そしてその原材料、つまり地球そのもの、宇宙そのものに対する感謝であり、コミュニケーションです。
たかが物、されど物です。
ちゃんと会話して、慈しんで使ってあげて下さい。
きっと、その物は心に応えてくれます。
私の車も、古い車ですが、運転する時に思いを込めていると、ちゃんと故障もなく走ってくれています。
調子が悪くなる時は、ちゃんと教えてくれます。

 人も物も、心を込めて、素直に向き合って付き合えると、最高のパートナーとなると思います。
あれこれ、勝手に考えたテクニックや小賢しい事は、却ってその心を否定する事になるかもしれませんね。

優しさ

2006 - 11/23 [Thu] - 02:42

 人間は本質的には、誰でも優しいと思います。

 今日、テレビを見ていて、崖で立ち往生している野良犬を救助しようとしている報道がありました。
どこのニュース番組でもやっていて、揚句の果てには、飼い主希望者まで名乗りを挙げていると云う事で、全く人間って優しいのだなぁと思います。

 昔、近くに住んでいた奥さんが犬を抱いていて、そこを通りかかった、どうみても暴力団の中年男性が、猫撫声でその犬をあやすと云うか、可愛がるのを見て爆笑した覚えがあります。

 特捜警察の刑事が来た時(時には、捜査の為に聞きに来る事があるのです)に聞いた事ですが、大抵の犯罪者は親の話を持ち出すと落ちる、つまり自白すると云う事でした。

 どんな人でも、心の底には本質的に優しさを持っています。
全てのものに、仏の心が宿ると仏教では言います。
その声を聞く事が、仏への道筋であると。

 心の中に眠る仏性と神性の声を良く聞いていたいものですね。

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プロフィール

島津 成晃

Author:島津 成晃
Adept・Mentor 島津相談室主宰
人生のあらゆる問題の相談に乗って来ました。
元気になって希望を持って帰って戴く事が私の願いです。
スピリチュアルな目と、冷静な分析で御相談に乗ります。
御相談はHPの方からお願いします


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