2008年11月08日 [03:23:13]
人間は一人では生きて行けないものですね。
常に誰かに支えられて、誰かの力を借りて、生きていますし、仕事もしています。
会社は社長が舵を取り、社員が支える事で成り立ちます。
家庭も同じで、家族に支えられる事で主人は外で頑張る事が出来、素敵な家族が出来上がります。
その為には、会話ですね。
口先だけではなく、心を込め、心を相手に対して開き、真っ直ぐな思いで会話する事が大切だと思います。
相談に乗ったり、人を育てる仕事をしていると、可能性のある人にはどうしても期待してしまいます。
もっと大きくなれ、もっと素晴らしくなれ、もっと輝けと。
そして、伸びる人ほど、徹底的に食いついて来ますし、次々と質問が出て来ますし、毎日の様に通って来ます。
接触が多ければ多い程、色々な話が出来、意識改革が出来て、見る間に成長して行きます。
相談する側とされる側、支える側と支えられる側が、互いに心を開いて、互いを受け入れる事で、視野も広がり、意識改革も出来、新しいアイデアも湧き、成長して行きます。
が、それも一方通行だったら、何も変化しないどころか、悪い方向へ進んでしまいます。
心を閉ざしていたら、どんなに言葉を飾ろうと、振りをしようと、人は感じてしまいます。
また、そう云う心に敏感な人は特に、それによって失望感を覚えます。
心を開いて、真っ直ぐな思いで言葉を発し、心底相手を思っている事が、相手が心を閉ざす事で徒労となった様な感覚になり、また拒絶された様に感じるからです。
私ですら同じです。
頻繁に通って食いついて来て、どんどん吸収してくれるなら、期待し、さらに応援したくなります。
が、相談もせず、しても電話やメールで済ましてしまう。
そうなると、やはり冷めて来ますね。
出来る事は何でも、智慧でも力でも課してやろうと思っていても、聞かない、来ない、安易な聞き方しかなしないでは、何だかなぁ〜と思ってしまいます。
やっぱり、質問がある時、相談がある時は、筋を通して面接して欲しいですね。
電話で、メールでチョコチョコって云うのは、その人がその問題に対して真剣なのかどうか、疑わしい時も多いですね。
そうやって、人からの期待を裏切り、心を閉ざし続けて行くと、発想は枯渇し、視野も狭まり、支えてくれる人も段々と冷めて行きます。
素直になって、小さな、つまらない、下らないプライドを捨てて、心を開いて欲しいと思う事が良くあります。
人は、自分のポジションが危うくなったり、自分より評価される人が出て来たり、叱られたり、自分の意見が通らないと、心を閉ざしてしまい勝ちです。
が、それが一番いけない。
誰よりも、自分を支えてくれる人や、自分を育ててくれる人に対して心を開かなければ、孤立無援で頑張らなければいけなくなって行きます。
解放しましょう。
無駄なものは捨てましょう。
縁 |
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2008年11月01日 [04:18:59]
来る12月1日(月)〜6日(土)まで、銀座の「ぎおん石」4Fで、福島県郡山市の「ギャラリーいわた」の磐田文男氏が陶芸の展示会を開催されます。
この方は私の尊敬する新極真会福島支部長である三瓶啓二師範の後援者であり、三瓶師範よりご紹介を戴いて御相談にずっと乗って来た方です。
陶芸に対する造詣がとても深く、東京で展示会が出来たらなぁと仰っていたので、ちょっと知っている銀座のお店を紹介しました。
この店は、京都のぎおんに本店がある石専門のお店で、オーナーが銀座に店舗を構えるのが夢だと云う事で、数年前に出来たお店です。
暫く御無沙汰していましたが、この店舗が開業した時にお祝いに出かけたりしていた事を思い出し、御紹介しました。
結果はとんとんと話が進んで、この度、展示会を開催される事が決まりました。
こう云うちょっとした事も、人の御縁からですね。
一つ一つを大切にして行く事が、次へと繋がる。
とっても嬉しい事です。

縁 |
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2008年10月04日 [03:17:36]
今日、フト何気なく新極真会総本部道場のHPを見ていました。
思い出す一年前の事、そしてそれ以前の事。
総本部道場の責任者である伊師徳淳師範が急逝したのが昨年末。
その日の朝、彼から電話がかかって来たのを最後に、声を聞く事はありませんでした。
伊師師範とは、私が空手を始めさせた女性の紹介で出会いました。
当時はオーストラリア支部長だったと思います。
その後、日本に帰国し総本部道場を任され、本部事務局を運営し、海外のセミナー等も担当し、忙しい毎日を送っていた様です。
そんな中、年に数度「先生、ご飯食べましょう」と電話がかかって来たり、生来の喘息持ちなのでその相談や、仕事上の悩みの相談を受けていました。
考えれば不思議な関係だったと思います。
相談者であり、空手の仲間でもあり、付かず離れずの友情を互いに感じていたり。
伊師師範の育てた女子選手達も紹介され、頻繁ではないながらも心の交流を保っていたと思います。
試合会場で会う彼は、いつも向こうから私を探して見つけてくれ、声をかけて来てくれました。
心を通わせる。
決して濃密ではなくても、本当に信頼し合い、互いを尊敬し合う関係は、とても心地良いものでした。
空手の強い人は幾らでもいます。
偉い人も幾らでもいます。
また、尊敬に値する人も沢山います。
が、本当に心を通わせる事が出来る人は、そう多くはありません。
彼は数少ない、本当に心を通わせる事が出来た男です。
そして、今も彼の顔や声や心は、私の心の中に生きています。
真の友、そう云う人を大切にして生きたいですね。
縁 |
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2008年09月16日 [01:58:05]
人が集まる時、人には役割と云うものが生じます。
その場を締める役割、盛り上げる役割、場を保つ役割、誰かを支える役割、誰かを守る役割、教える役割、繋ぐ役割、等々と考えたら幾らでも出て来ますね。
人が役割をきちんと果たす為には、その場や関わる人の顔をちゃんと見て、心を読んで、また立場をちゃんと考えて、相手の尊厳を意識して、自分がやるべき事を考え、実行して行かなければいけません。
そう云う事を失念すると、きちんと役割を果たす事が出来なくなります。
一つの事を始めると他が疎かになる人は多いですが、人は常に幾つかの複数の立場の中で生きていますから、何かに囚われて他が疎かになってしまったら、役割を果たせなくなってしまって、自ら評価を下げる事になってしまいます。
マルチタスクは、こう云う場面でも必要であり、大切だと云う事ですね。
仕事が忙しいから、他の事は出来なくなってしまう様では、余裕がない、潤いのない、つまらない人と云う事になってしまいます。
家庭が大切でそちらにばかり向いていては、外との付き合いが出来なくなってしまいます。
遊びに囚われてしまったら、もっと最悪。
マルチで役割を与えられた人は、一つの事に囚われてしまって余裕がなければ、それだけの人物としか見られません。
折角与えられた役割を全う出来ず、その名誉を失ってしまうでしょう。
バランス良く、いつも余裕を持って、その場の空気を読んで、どの場面でも役割を果たせる様になりたいですね。
器用貧乏ではなく、また八方美人と云う事でもなく、心がこもった対応がいつでも出来る器量を持ちたいものです。
縁 |
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2008年08月18日 [02:43:41]
私の所に来る相談者は、時々何かで顔を合わして行く中で段々仲良くなってしまって、何かあったらすぐに協力し合ったり、力を貸したりしています。
不思議な友情と云うか、ファミリー感覚を持っている様な所を感じます。
引っ越しの手伝い、不動産物件探し、仕事の手伝い、それこそ何でも嫌がる事なく互いに協力し合っています。
単に私の所で出会った、今まで縁のなかった人達同士がそうやって繋がって行くのを見ていて、本当に嬉しいなと思います。
何の縛りも何もなく、自然と集まって、自然と仲間になって行く、それが自然と続いて行く。
そして、同じ仕事をする様になった人もいれば、結婚した人までいます。
正にファミリーと云う感覚ですね。
良いですね、こう云うの。
利害関係ではなく、純粋な心の繋がった信頼関係で結ばれた仲間達。
今日もそんな一日でした。
引っ越しの話が出たら、「誰々は不動産会社だよ、誰々はドッグトレーナーだよ。」そして「引っ越し屋は誰。」と、次から次へと話が進みます。
また、ちょっと霊にやられた人がいると、「連れて来ます」と心で言って本当に連れて来る。
私が除霊し、その後、またその家をお祓いしに行く奴。
本当に、皆良い奴ばかりで、良い仲間です。
その中心に図らずもいられる事の有り難さ、つくづく感じています。
縁 |
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2008年07月30日 [02:41:39]
福島県の新極真会のS支部長から御紹介を受けて、もう数年も御相談を受けている方からの報告で、銀座のギャラリー(パワー・ストーンのお店の最上階)を破格な安さで借りる事が出来たと云うお話でした。
この方は、S先生の後援者の方で、お茶道具や陶器を扱っておられるのですが、東京で展示会をやりたいとのお話でした。
それで私がちょっと知っている所を御紹介し、ご自身で出かけられて交渉された結果です。
私が知っている店長は既に辞めていたそうですが、御縁が出来て本当に良かったなと、嬉しい気持ちでした。
12月に展示会をなさるそうですので、その時にはお知らせしますから、是非お出かけになってみて下さい。
S先生、電話をかけて下さる時は、受話器を耳から話して持っていたい程の大きな声です。
曾て現役の選手でおられた頃、その姿は鬼気迫るものがあり、恐ろしくて近づけなかったものです。
それがヒョンな縁から何度か食事をご一緒させて戴く機会を得て、それからは年に数回の大会でお会いする度に御挨拶させて戴いています。
暫く空手から離れていた私が、今は道場の相談役となっているのも、この先生がきっかけと云えるでしょう。
人の御縁とは不思議であり、また有り難く、一つの御縁が広がって行きます。
縁と縁が結び、そしてまた新しい縁を生んで行く。
そこから、また大きく何かが広がって行くのですね。
縁 |
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2008年07月11日 [02:12:00]
今の時期、お中元ですね。
次々と贈って下さる皆さんの気遣いに感謝しています。
毎年、年に一度か二度しかお会いしないのにきちんと贈って下さる横浜のK師範。
新極真会の重鎮で、曾ては闘将と云われた方ですが、普段はとても穏やかで、腰の低い素晴しい方です。
また、一度しか御相談に乗っていないのに、季節毎に旬なお野菜を贈って下さる、埼玉の歯医者さんK先生。
あの時に御相談をお受けした御嬢様も、もう大学卒業でしょうか・・・。
この律義さと気遣いに、感謝と共にとても有り難さを感じます。
会社を興したばかりの人から戴いたお中元。
まだ余裕もないだろうに、一生懸命に考えて贈ってくれた。
その気持ちに感謝です。
日本で昔から行われているお中元、お歳暮、そしてお年始、そう云う習慣は段々となくなって来ています。
無駄だからと云うのか、負担だからと云うのか、何れにしろ少し寂しいですね。
お世話になった方に、せめてもの日頃のお礼をと云う気持ちから発するもので、義務ではなく、自然な心遣いから行うものだと思います。
何でもそうですが、習慣が儀礼化して、本当の意味が忘れられて、形だけが残っている。
それ故に、儀礼そのものが、まるで義務であるかの様に思われて、段々否定され始める。
悲しく、寂しい事です。
儀式、儀礼、作法、習慣、どれも相手に対する気遣いから発した自然なものの筈です。
本質を思い起こし、心を込めて行いたいものですし、残して行きたいものです。
形だけのものは空虚を感じてしまいますね。
縁 |
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